2020-11-24 36:47

【GMV 259】自分の時間がないと困るのか?

怖がらなくなれば問題も消える
00:04
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
ここ3連休で、私の仕事に3連休とかは関係ありませんけれども、
グッドモーニングバイブスだけは小読み通りに動くので、3連休いただきました。
その間に、佐々木さん、自分の時間がありませんという本が出たんですけれども、
これは先日にもっと前に出た、「読むセラフィー」という本とは違いまして、
タクさんという方と対談を起こしていただいて、
タクさんとの対談をタクさんに起こしていただくみたいな形の本なんですけれども、
の中でテーマとしてタクさんに、自分の時間を取るにはどうしたらいいのでしょうかという提示をいただき、
私がそれに対してですね、「それはほとんど取れないんですけれども、心配するには及ばないのです。」みたいなところから議論が始まるという本になっています。
これはあれなんですよね。私はこの点についてはタスクシュートの件と似ていて、
ある種の確信を抱いておりまして、グッドバイブスのサポートもありながらなんですが、
もともとタスクシュートで長年ですね。私、だから前も言いましたけど、この件に関しては非常にスッと入ってきやすいんですよ。
タスクシュートを
2007年ぐらいから断続的に、もうほとんど1日も開けることなく使っているわけですね。
そうすると、その中で13、14年、思ったと短いか長いかわかりませんけど、だいたいそのぐらい、
10年以上にわたり、つまり3600日以上にわたってタスクシュートを使っておりますとですね、
自分の時間って取れている日がほとんどなくて、その間にもいろんなことが起こりますけれども、その自分の時間が取れないことによって、
もう不幸で、うつ状態になり死んだ方がマシだと感じる日とかはないんですね。
で、それはあんたの独取事情だろうと言われるかもしれませんけれども、だからこれがですね、他の人にもある程度共有可能なものなのかどうかは、
独取者の方に判断を委ねますしかないですからそうしますけれども、
という流れにありながらの中でGood Vibesを聞くとですね、この点はすっと入ってきたということなんですよ。
何の違和感もなかった。 1秒もない日も何百日もありますよ、自分の時間という純粋な意味では。
僕があの中で自分の時間と定義したのは、 他人からの依頼、仕事、用事、言い付け、その他をやる時間と、
03:02
自分自身の体からの依頼、食事、拝説、お風呂が微妙だけどまぁ入れましょうね、お風呂もね。
睡眠等に合わせると24時間になる。 そうすると自分の時間というものはそれ以外の時間になるはずだと。
非常にグレーゾーンな話もありますっていうか、自分の時間に入れるのか入れないのかが事前と事後で揺れてしまうという時間も本当はあるんですけどね。
その辺の話も少し話題に混じっております。
それで、なんで自分の時間が必要だと皆さんが思うかというと、 まあそう思い込まされているからなんだというのが私の一つの仮説で、
しかもその自分の時間と称しているのは実は人と関わり、 かつ自分が主体的に人と関わっている時間が欲しいんだということを書いているんですよ。
例えばエヴァノートの整理をするとか、 小説を書くとか、
何でもいいんですけどね、ネットのゲームをするとか、全て自分時間 というところで行われている時間は社会活動の一種であると
私は思うんですね。そのことを書いているわけです。 ゲームって社会的なものですからね。自分でゲームを
ゼロから作って、ゼロからですよ。パソコンとか使っちゃダメですね。 パソコンを自分で作らないと。
ゼロから作ってそのゲームに自分だけで興じるっていうならば、非社会性と言えるかもしれませんけど、 ほぼそういうわけじゃないですよね。
エヴァノートの整理とか完全にこれは社会的な活動だと私は思うんですよ。 そこで何かしらの自分の欲求不満が満たされるということは、
つまりその欲求不満の根底には、もっと自分を主体的に、自分の主体性を保ったまま他人と関わりたいということだろうと。
で、私は思うんですね。そういうふうに。 だからそういう時間が欲しければ家族とか会社とか仕事の中でできるはずなんですね。
それを仕事とか家族とか会社の中では一切避けるようにして、別途自分の時間を作ろうという、独特の偏った方針で行こうとすると、そのような時間が取れなくなるという。
このフラストレーションで苦しむ必要は本来ないはずだっていうのが、あの本で言わんとしていることです。
まったく同じような話を多分何度も何度も書いてるんで、これが負に落ちないというふうに多分思う方はいらっしゃるんですよ。
で、負に落ちないのはですね、自分の時間は必要なんだという、なんて言うんですかね、信念。
それが何を意味するかはともかくとして必要なんだという、絶対的な確信のようなものがある限り、
あの本に書いてあることの内容の難易度とは関わらず負には落ちない。
要はこういうことですね。神は存在するんだと絶対的に感じていらっしゃる方が、どういうふうな理屈で一生懸命無心論の本を読んでも負に落ちない、
06:11
書かれていることは大変独特の悟りの境地だみたいな話になってしまうんですね。
そんなことはないのです。僕の理屈では10年以上もやってきて、1分、5分、せいぜい10分、多くても30分という自分の時間。
もちろん長く取れる時もありますよ。それでも2時間がせいぜい。
で、0分の日も山のようにある。これが事実なんですよ。
この事実を何とかしてねじ曲げなければいけないと信じるほどの理由はそこにはないということですね。
そういう言い方をしてもいいかなと思う。
虚しいという話になるんですけど、それは自分の時間がなければ虚しいということが確定しているからなんであって、
そのような事実が宇宙海脈からあったとかいうことはないわけですね。
人類の歴史を自分の時間が取れない者はみんな欲打つになって自殺したということもないわけですよ。
そういう心理的な普遍の法則があるというならまだしもないわけだから、
そのような不幸というものはこの世のどこにもないというふうに自分は考えた、という本です。
で、長々とCMになりましたが、ここから本題に入れるかな。
時間が経過しておりますが、
えーとですね、今私が一番ホットなのはずっと精神分析の考え方なんですね。
私精神分析は精神分析の人も難しいことをおっしゃるんですけれども、
私たちが普通に活用していいものだと考えているんです。
特に結婚生活というのは精神分析そのものになっていく傾向が強いと昔からこれは感じていて、
最近その辺についての確信を得つつあるんだけれども、
あのカウンセリングっていうのではないですよね。精神分析ってすごい独特なんですよ本当に。
たぶん毎日毎日1時間ずつ行って、お金も総額に払うから、
年間でいうと200万とかかかっちゃったりして、
だからそういうことをして小さい頃のトラウマをほじくり返すだけだみたいな批判にも晒されやすくなるんですね。
広がれば必ずそういう批判が出てくる。
もっとライトな方法とか簡易な方法があるはずだと。
私たちだったらもっと簡単に直せるっていう流派がいろいろ出てきてしまうのは当然なんですよ。
そこへ持ってきて本を読んだだけでは何も理解できないとか、
だったら本書くなよって感じがするじゃないですか。
というわけで、この種のなんて読むんですかね。
まったくまったく規模が違うしタイプも違うんで、あれなんですが、
タスクシュートに関しても似たようなところが感じられるんだろうなと。
09:02
精神分析のよっぽど難しいしお金もいっぱいかかりますけれどもね。
でも私が思うに精神分析というのは本に書かれているべきものでもあるんだと思うんですね。
というのはさっきも言った通り結婚生活って精神分析的なものになるんですよ。
だって元々家族だったわけじゃない人と年がら年中一緒にいるわけじゃないですか。
その中で転移も、転移というのはつまり自分のお父さんの良いところや嫌なところを他人に見ちゃうんですね。
こういうことは私たちしょっちゅうしますよ。
自分の上司とか自分の雇い主に、それが男性であれば父親のようなところを見てしまう。
そうするとこれが非常に面白い現象なんですけど、東英ドイツ誌って言うんですけどね。
その人が父親の良いところや悪いところのように振る舞い始めると。
これでも考えてみると実に単純な理屈で説明はつくんですよね。
ただそういうことを詳しく説明していきつつ、そういう考えにのっとって解釈して、
しかもそれを実地にロールプレイするっていうところが精神分析の実にユニークなところで、
しかもそれをしつこくやるわけですよね。
だって毎日毎日やるんで。
でもこれって結婚生活って本当そういうものですよね。
生まれながらの親子ってんだったら違いますよ。
それはもうロールプレイじゃなくて親子ですから。
でも、例えば奥さんに自分の母親を見るとか、お姉ちゃんを見ちゃうとか、
それをやってますよね、私たちはほぼ間違いなく。
相手のパートナーに父親を見る、父親の嫌なところを見つける、あるいは良いところを見つける。
そういうことをすると相手は父親らしくなっていっちゃうんですよね。
その極めて極端な形が、しかもドラマチックに現れてしまうのが精神分析で、
だから無闇にやっちゃいけませんって言うんですけど、無闇にやっちゃいますよね。
結婚してる段階ですね、精神分析みたいなもんですよね。
しかも結婚生活、精神分析以前からあるものであって、
無闇にやってはいけないものにもないだろうと本を読んでるたびに自分はそう思うんですよ。
だからついつい夫のことをボコボコに殴るとか、あるじゃないですか。
無闇にやると危険だとか言われてもどうしようもないことだと思うんですよ。
安全に精神分析をやるためには結婚しないみたいな話になったら本末転倒のいいところで。
だから相手に何を見てしまうかということを自覚したりですね、分析したりできる知識を得るっていうのは、
そう悪いことではないんじゃないかと、自分なんかは思うんですけどね。
で、今のはすごく概略的な話をしたんですけども、
トイドイツ氏という話をしたついでにですね、
つまり例えば今日なんか今にも雨が降りそうなんですね、二宮は。
12:05
で、こういうのを見て、空を見てですね、どんよりしていて嫌な天気だって私たち平気で言うわけですよ。
これを精神分析的に言うと、自分の悪いものを例えばお空に投影しているというわけですね。
空に良いも悪いもないわけですよ。
どんよりとか言ってるのは人間のその感じ方であって、感じ方ということはつまり私の中にあるものであってね。
空自体は雲だからどんよりとかって言ってるわけじゃないわけですよ。
それは当然ですよね。でも私たちは外にあたかもですね、どんよりしたものがあるかのように言うんですよね。
それは私の中にある悪い感じ、悪いもの、悪い感情、悪いネガティブな気持ち、精神状態、
これを自分の中にあるものなのに外に追い出して、空の方に向かって投げつける。
だから投影、投げる影ですね。
その投げた悪いものを、しかし私は自分から投げただけなので完全に引き剥がすことができない。
引き剥がすことができればですね、投げてスッキリみたいになるわけですよ。
だって自分の中の悪いものを全部外に出したからスッキリするじゃないですか。
悪いものを外に出すとか、うんちにして外に追い出すとかいう表現を精神物理で取ったときは、このことを察しているわけですね。
そして投げる。雲に向かって自分のネガティブな気持ちなり感情なりを投げる。
昨日もまた何かやらかしちゃったから嫌な気持ちになってどんよりだっていうのを外に向かって投げると。
ところがそれを私はムーメランになって戻ってきちゃうんですよね。
だって自分から完全に切り離せないから、どういえばそれをパッと空を見たときにそこにあるわけです。
ただし自分が投げたということは無意識にやっているので、自分が投げたことには自覚が全くなく空がどんよりしているように見えると。
これがですね、対象が自分の投影したものと一致してしまうというかそういう言い方をするんです。
一致してますよね。雲がどんよりしているわけですよ。
私の目にもどうしてもそう見える。
でもこれをすごく一生懸命こういうことばっかり考えているとですね、これは私の気持ちをあそこに見てるんだなということがだんだんわかってくるんですね。
これが大事っていうことを分析の人は言うわけです。
空に投影するのはみんなやってるじゃないですか。社会的にも認められてますよね。
だからどんよりした雲とかっていう表現を使っていいわけですけれども、
これを他人にやっちゃいけないという暗黙のルールみたいなものが私にはあるような気がするんですよ。
あいつどんよりしたやつだとかって言ったらダメじゃないですか。
15:01
それはあんたがどんよりしてるんでしょっていうことになるわけですよね。
でも私たちはこれも割と平気でやるんですよ。
分かんないのに上司はいつも不機嫌だとか。
それはあんたの不機嫌なんじゃないのっていう話なんですよ。
少なくともそのことを考えてみるべきではないでしょうかという話なんです。
ところが人間というのは雲とは違うわけですね。
どんよりを投げつけられるとだんだんどんよりしてきちゃうんですよ。
ここが雲と全然違うところなんですよ。
例えば君はいつも不機嫌だなって奥さんに向かっていつも言ってると絶対不機嫌になりますよね、相手は。
これを投影同一視と言うんです。
投影しているうちに相手は投影した存在にだんだん変わっていってしまう。
これを精神分析の世界では多分絶対にできてしまいますよね。
なぜなら無意識に投影する人が言ってみれば精神的に厳しい状態にあるわけです。
精神的に厳しい状態にある人はみんな無意識に投影をしちゃうんですね。
グッドバイブスっていうものをツイッターで検索をかけるとどうしてもブスっていう言葉にヒットしちゃうんですよ。
見なくてもいいものを見ちゃうんですけど、私はどうせブスだからって言っている女性が何人も引っかかってくるんですよ。
その人たちが言うには早く成形するお金を貯めないと人生は絶対に好転しないんだけれども、
そのお金もやたら高くて死んだ方がマシだってすぐ死ぬ話になっていくんですね。
これもまた一つの投影なんですよ。
酷なようですけどね。
精神的にきつい状態にあるとですね、世の中に対してというよりは他人に対して投影をしちゃうんですね。
私のことをどうせろくでもない人間だと思っているだろうと何度も何度も何度も言われているとですね、
こいつは本当にろくでもない奴だって思っちゃうんですよ、人間ってのはね。
これを逆転移とか言ったりもするんですけれども、どうしたってそういう現象が起こって、
これが木とかだったらないわけですよ。
木に向かって私は本当にブスでって何回言っても本当にこいつダメだなとは木は絶対思わないと思うんですよね。
これが自然に向かって投影した時と人間に向かって投影した時の大きな違いであって、
人間に向かって投影するとどうしても投影同一種という現象が発生してしまう。
これ本当にですね、良いものを投影しても非常に難しい。
良いものだけを投影すれば良いものだけを投影するってことはできないんですね。
だんだん私も感じてきたんですけど、倉園圭祖さんがグッドバイブスで、
18:00
私たちは本当に正しいことは分からないけれども、悪い意味付けをするよりは平静でいて平安でいて、
意味付けをしない時の方が現実に近いというような話を時々チラッとされるんですけど、
これはそれかなと思います。
良い意味付けを、投影とは意味付けですね。
これは良いか悪いかが究極的な形になりやすいんです。
精神分析の流派によってはこれを正か四かという言い方に生きると死ぬんですね。
言うんですけど、そこまで行くとかなり生々しくなっていって、
良いか悪いかですよね。
だからさっきの例えば雲に向かってどんより言うのは、これは悪いものを投影しているわけです。
大体意味を付けてしまうのは、私にとって良いか悪いかですよね、究極的には。
良いものを投影するというのも、しない方が良いんですよね。
良いものを投影しちゃうと、
良いものだけ投影できれば良いんでしょうけれども、
どうしても良いものと悪いものを投影しちゃうんですよ。
だいぶ昔のことになってしまいますけど、
例えばですけれども、
タスクシュートの大橋哲夫さんと私、仕事をしているわけですが、
ずっとですね、昔からしてたわけですね、結構。
タスクシュートを知ったのは、彼に教えてもらったんだから、
それ以前からはやってたわけですけれども、
例えば私が大橋さんに、自分の良いところを投影しちゃう。
どういうふうなことかというと、
お天気見て良い天気だって、良い天気って言うじゃないですか、
グッドなわけですよね。
私は自分の良いところを天気に投影しているから、
だから青空になるとグッドなものが見えるし、
自分の良い部分ですよ。
どん寄りしているとどん寄りしたものが見える。
自分のどん寄りしたところですね。
これだけではないかもしれないけど、この部分とても大きいです。
私、この今どん寄りしているのを一生懸命先から眺めていてですね、
これは私のネガティブな気持ちを反映しているだけなんだと
続けているとネガティブなものは見えなくなっていくんですよ。
ここに至るための方法なんだな、これはと思うんです。
それで、大橋さんのタスクシュート一緒にやっていた時、
私、タスクシュートですごい生活がガラッと良くなったんで、
大橋さんに良いものを投影しまくっちゃうんですね。
ここが大事なんです。
そうすると、大橋さんすっごい人に見えてくるんですよ。
ここが大事なんです。
宗教ではこのことが頻繁に活用されています。
何も悪いことはないって思われると思うんですよね。
これ、たぶんグラザノケイゾーさんのグッドバイブスのセッションを受けられて、
生活が良い方向に変わったら同じことが起きるはずです。
カンセラーはこのことが必ず起きるんだろうなっていう風に僕はよく思うんですね。
21:00
戦亡と感謝っていう本があったりするんですよ。
戦亡というのは何だろう。
戦亡って何ですかね。
羨ましいっていうやつですよね、戦亡。
戦亡っていうのは羨ましいんですけど、
羨ましいっていうことにはちょっと恨み事っぽさがありますよね。
嫉妬ですよね、要するに。
嫉妬が入るか入らないかっていうような問題があったりするわけですね。
良いものを外に投影するっていうのは、
良いものって自分の中にあるわけですよ。
さっき悪いものも自分の中にあったように、
良いものは自分の中にあるんですよ。
タスクシュートがすごかったから、
それをしたのが大橋さんだから、
大橋さんすごいって思うって普通に考えるんですよ。
でもこれは単純すぎるんですよ。
それは青空は私たちに恵みをもたらしているから、
青空すごいっていうのも同じなんですよ。
そんなことを言うならば、
どんよりした雲は雨を降らせてくれて、
それも恵みをもたらしてくれるから、
どんよりすごいって思わないとおかしいじゃないですか。
投影はそういう部分が欠けていて、
大橋さんはすごいだけになっちゃうんですよ。
青空みたいになっちゃうんですね。
そのようになった時はいいんだけど、
それだけで済めばいいんですが、
ずっとそれだけっていう状態がいいんですけど、
それでは普通は済まないわけで、
例えば私なんかの場合は、
わかりやすい事例ですけど、
例えば外でタスクシュートの話をするとか、
いうこともあるわけですよね。
大橋さんの仕事の一環だけれども、
自分だけでするということもある。
その時自分は大橋さんじゃないっていう問題が
発生するわけですね。
投影同一視してる時はいいんですよ。
相手はすごいと。
そのすごいという風に投げつけてるのは
自分の良いところとすごいところだから、
他人に見てるものなのに
自分と同じになっちゃってるわけですね。
よくあるじゃないですか。
こういうことはよくあるはずなんですよ。
いざ一人で喋ろうと思った時に、
あれどの部分自分が喋ればいいんだっけ
っていうことになるんですよね。
一歩間違うと、
全部ただ大橋さんが喋ってることを
そのままなぞることになってしまう。
この時に出てくる問題があるわけですね。
同一じゃないものを同一視してしまったので、
相手のすごいと思ったところだったものが
実は自分がすごいと思っているものを
相手に張り付けただけだったりしているので、
自分は何を喋ればいいのかと。
この時に分離が起こるわけですよ。
分離しないわけにいかないからですね。
例えば自分のものにしちゃう。
これ有名なんですね。
問い同一視で自分のものにしてしまう。
24:00
もともと相手のものじゃなかったんだっていうところの
程まで自覚がいかなくなるとすごいんですけど、
そういう人もいないではないですよ。
他人のものを完璧にパクっておきながら、
もともとあれは俺のものだったんだよっていうことにするんです。
分離はあるわけじゃないですか。
相手と自分は違う人間なんだから。
そこのところで何かが起こるわけですよね。
例えば大橋さんがすごいっていうことにしてしまうと、
自分はすごくないってことに。
自分が投げてしまったからね、すごいもの。
投げてしまったから。
現実にそういうことは起こりますよね。
タスクシュートの話をするとき。
これはタスクシュートといって大橋さんが作りました。
この何かの時間を測るのも大橋さんの発想です。
お前何のためにそこで喋ってんだよってことになるじゃないですか。
自分がなくなるわけですよね。
投げちゃったからいいものを。
セミナーで悪いものばっかり喋るわけにはいかないですよね。
自分は何も作ってないんで、自分の発想は何一つなくて、
自分はそれまでダメなことばっかりやっててっていう話を聞きたい人は別にいないじゃないですか。
いるかもしれないけどね。
とにかくそういうことまで喋れるようになっているときは
ある程度自分のものになっているからいいんだけど、
大概そういう一番最初の人が喋れないわけですよ。
だからすごいものを外に出して、
そのすごい外にあるものを全部喋っていると
自分の中にあるものは悪いものばっかりということになってくるわけですね。
くるわけです。
あるいは自分は何にもなくて空っぽだみたいな。
この感覚は嫌じゃないですか。
セミナー中とか非常に嫌だと思うんですよ。
ものすごくいたたまれないような感じになると思うんですね。
自分何にもないじゃんみたいな。
ここで何かもう何にもないことが
セミナーの来ている人にバレたらどうするんだよみたいになるじゃないですか。
なったときに何が起きるか。
大橋さんを恨むんじゃないですかね。
僕はこれが一番起こる現象としてあり得ると思うんですよね。
いいものを俺から吸い取った。
このこともカウンセリングではよく出てくるんですよ。
カウンセラーにいいものを全部奪い取られたみたいな。
あとで気づくってやつなんですけどね。
自分が投影したんですけどね。
この恨み方が非常に現実的な場合には
例えばあの人さえタスク習得を開発しなければとかね。
わからないことを考えるんだけど
こういうときは分裂してるんで
精神分裂みたいなところに入っていくんで
こういう思考が違和感なく出てくるわけですね。
あの人さえタスク習得を発明してくれなければ
こんなところで自分こんなに辛い思いせずに住むのにとか。
あるいはこういう人の方が多いかな。
今のはあまりにも分裂が尻滅裂で病気みたいなんで
多分違う、こういうタイプの方が
昔から自分もこれと同じこと考えてたんだよねみたいな。
27:01
そういうやつですね。
自分の方にいいものを取り戻しにかかるときに
相手を悪くしなきゃいけないような気がしてくるわけですね。
これも夫婦喧嘩をしていると
こればっかりだなって思ってうんざりするわけですよ。
本当に自分がいいものを
どんな結婚でも恋愛でもそうですよね。
自分のいいものを相手に投げてしまっている。
だからあの人すっごいいい人でっていう話になるわけですよ。
綺麗だし優しいしみたいな。
その人間と関係ないんですよね。
自分のいいところを相手に張ってる。
そのことには満足していいことなんだけれども
自覚がない上にそれ東映なので
結婚したときは
こんなに優しかったのにねってことになるわけですよ。
いいものを相手から引き離しにかかるんですね。
でもこれは当然のことですよね。
自分が投げたいいものが
例えば相手にぴったり張り付いていないとか
しょうがないですよねそれは。
青空の日もあればどんよりの日もあるということは
つまり青空に向かって
いいものをどんどん投げ付けていたら
どんよりになっていると。
俺は騙されたみたいな。
これ空に向かって言ってると
頭のおかしい人になっちゃいますけれども
こういうケースは山のようにありますよ。
私自身もよく経験します。
エヴァノートとGTDで
ハツラツとしていた頃の佐々木さんに戻ってください
みたいなDMをもらうことはあるんですよ現実に。
青空の頃の空に戻ってくださいって言うと
同じことですね。
あなたは今曇り空になっちゃってますみたいな。
残念ながらそういうものだと思うんですね。
曇ってることが悪いわけじゃないし
晴れてることがいいわけでもないんだけど
投影するんですよね私たちはね。
多分今日一日のうちに何度も私は空を見ては
自分を見ちゃうんですよね。
暗い。暗いのはお前だってことなんですよ。
これは
私は精神分析の世界では
ごく一般に言われていることでありながら
夫婦の生活とか家庭生活の中では
しばらく離れて暮らしている実家の親とかの関係でも
いちいちこれは見て取れます。
戦亡はものすごいありますね。
例えば今で言うと実家の母とかはね
私に対して戦亡を投げちゃうという
いいよね、しょうごはみたいな
わけわかんないことを考え始めるわけですよ。
いいよねっていうのは
要するに私にいいものを投げちゃってるわけですよ。
後で取り戻されるわけですね。
取り戻されるって言うのも変なんですけど
自分の中のいいものなんで
自分に戻っていくのは当たり前なんです。
その時私がその分悪くなるっていうことを
30:02
発生させなければいいんだけど
自覚がないんで発生させちゃうんですよね。
結婚して朝霞に住んでた頃はあんなに良かったのに
今二宮に移っちゃって
奥さんのいいなりになってみたいになるわけですよね。
全然関係ないんですよね。
外的な理由はどうでもよくて
後で取り戻されて戻っていってしまった。
なんでですかね。
昔流行ったスケバンデカって
古すぎてダメか。
ヨヨンみたいなもんなんですよね。
投げたら戻ってくるわけですよね。
一番この病気か病状の中でも厳しくなってくるのが
やっぱ糖尿症で
自分の投げた悪いものが
もう人とかじゃないんですよ。
荒らぬものに投げちゃっていて
しかもその自覚がないまま
そいつが戻ってくるときは怖くてしょうがない。
これだけ喋ると
なんか聞いたことがある病気みたいだけど
すごいわけわからんなって思うかもしれませんけれども
同じなんですよ。今のと。
どんな人でも
例えばお母さんとの思い出の中で
良い思い出と悪い思い出ってありますよね。
で、不意にそれが可能にさせられるようなと見えるとき
例えば単純に
目の前にいる人がお母さんとよく似ていたみたいな
そうすると、例えばですけれども
顔似てる人って性格も似るのねって
そういうこと言う人いるじゃないですか。
別に普通にいると思うんですけど
で、そのお母さんに昔すごいなんか
嫌な思いをさせられたときのことを
ふと思い出すと
その人がすごいこう
悪い人に思えてくるということはあるんですよ。
でも私たちはそんな事例でなくても
例えばクモとかヘビとかに
平気で自分の悪い部分投影してますよね。
クモとかヘビって別に
自然界で悪を名乗ってるわけじゃないですよね。
なぜあれがあんなに嫌われるのかというと
私たちの一番嫌なところ
おそらくですね、生々しくて
えーと、なんかこう
なんて言うんですかね
悪いと思っているところ
あるいは親にそれはあんた悪いところだとか言われたところを
投影する癖がですね
幼い頃についたと思うんですよね。
私にはクモとかそんな怖いものに見えませんから
クモがすごい恐ろしいものに見えるという人はいっぱいいて
多分それは全部自分の一番悪いところを
徹底的にクモに向かって投影してるから
見るとものすごい嫌なものなんですよね。
しかも自分を襲ってくるように見えるわけですね。
戻ってくるからですね、自分に。
クモって全然方向性持ってないんで
人に向かってくるなんてことは絶対しないんですよ。
第一、危険ですからね、そんなことすると。
クモどんなに恐れている人でも
大体そうですけれども
バンとかジェットとかでめちゃくちゃ怖い液体とかかけてくるんで
実はクモとかにとっては
人の方がよっぽど危険なんで
クモが人に向かって襲ってくるなんてことは絶対ないんだけれども
口から入るホラー映画とか
33:02
目から入るホラー映画とかありますよね。
邪悪な感じがする。
それはまさに自分が投げたものですよね。
悪い、自分の中で最悪のものを
クモに向かって投げてるから
二面性があるとかですらないんですよ。
他人に対しては二面性とかを投げるじゃないですか。
いいところと悪いところを両方投げるケースが多い。
だからあの人はパッと見はいい感じなんだけど
実は腹黒いとか。
それは自分の悪いものを腹に向かって投げて
顔に向かっていいものを投げてるから
そういう風に見えるんでしょうけれども
クモはそうじゃないですよね。
パッと見善良そうなクモだけど
実は毒グモだとか
そういう話はしないじゃないですか。
悪いものだけ投げてるから。
で、それが自分に向かって
襲ってくるっていうわけですね。
とっても怖いですよね。
自分の最悪のものが
自分に向かって襲ってくるんだから
もうパニックですよね。
パニック障害ってやつですよ。
あのー
ATMとか
そういうものに悪を投げるんですよ。
非常に恐ろしいと思います。
あのー
クモが嫌いな人が
タランチュラみたいなののでっかいやつが
ATMの形になって
自分を常に攻撃しようとしてる
っていうような感じ。
多分そんな感じだと思うんです。
まぁ
これはなってみないと
こればっかりは分かんないと思うんですけれども
でも理屈はそういうことかな
という風に思います。
だから
投影って私たちするんですよね。
意味付けなんで。
だって何かが良いとか悪いとか
言った瞬間にそれはもう投影なんで。
あのー
何かが良いとか悪いとかって
投影じゃないですか。
新しく出たiPhone12は良いじゃないですか。
それは良い。
自分が最高だと思ってることを投影してるから。
だから私は
どうしてもこういうことが
どうしても起きちゃうんですけれども
自分がこう
時間管理とかでやりたかった
タスクシュートでやりたいようなことを
全部できた。
それを開発した人って
すごいって思っちゃうじゃないですか。
これが投影だと思うわけですね。
これをやって
おいて
その人と関わってるうちに
当然のことながら
その人は私が作り上げた
勝手な理想の人物
とかではないので
ズレがありますよね。
そこに今度は
良いものを引き離しにかかった時に
悪いものを見てしまうという
これを
みんなお互いにやるんですよね。
やらずにはもう生きていられない
と思うんですよ。
だから
極力やんない方がいいし
単純に言うと
自分の中に良いものは
あるわけだから
自分の中が空になったとか
悪いものしか残ってないとかいう
恐怖感を抱かないのが
一番いいんですよね。
最終的にはこの話になるんですよ。
イリュージョンなんですよね。
それはつまり。
36:01
だって最初から最後まで全部イリュージョンでしたからね。
投影がイリュージョンだし
投影の結果も当然イリュージョンですよね。
その後に起こる
どんなことも
本当はちっとも恐ろしくないんですよね。
そういう意味ではまさに
夢を見ているようなものであって
夢の続きなんですよね。
自分の中に
悪いものしか残っていないなど
というのは
この辺のことがですね
精神分析の本には山のように書いてあって
これが普通に
何らかの形で
活用されていたら
いいんですけれども
それは非常に今の日本では
現実的な感じはしないんで
この辺のことを考えながら
読んだりしているわけです。
36:47

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