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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
ここ数日、すごく自分の中では話が過境に入っている感じがあってですね。
前もちょっと言いましたけど、そういう時になるとアクセスっていうのかな、この場合再生数なんだけど、
見る見るうちに差があるんですね。
この現象本当にですね、考えさせられるものがあって、ある意味下がるってすごくいいことなんだなって思うんだけれども、
そのように思うことで、私は変だと思うんですよ。
上がるほどいいとは言えないっていう感じはあるけれど、下がるほどいいっていうのもどうかと思うし、
だけれどもですね、私このグッドモーニングバイブスで結局ざっとタイトル見直したり、
喋ってきたものを軽く聞いて、全部じゃないですけど、本当につまみ食いしてみたんですが、
タスク集との話をするか、倉園さんのグッドバイブスを、
タダではないんだけど、自分なりに喋ってるかのどっちかでしかなくて、
最近ようやくどっちでもない話を、グッドバイブスコンテクストなんですけど、どっちでもない話を、
そこそこ自分らしい話ができてきてるなと思ったら、下がるというですね。
こういう現象ってすごくブログでも既視感があるんですよ。
本当によく似てます。規模はブログよりぐっと小さくなったけど、
非常によく似たことが起こるものなんですね。
だからこの辺で迷っちゃいけないんだろうなと思いますね。
この辺で真っ直ぐというか、やってきた通りにやっていくのがいいかなと。
こういうところで迷うと、たぶん面白い方向には決して進めないような気がするんですよね。
ここから急にタスクシュートバイブスとかにしちゃえば、いいのかもしれないですけど、
そういうものではないんだと思うように、これはブログの教訓かなって感じがします。
今、教訓といったんですけど、メモを取るじゃないですか。
というか、取る話をよくしますよね。
最近、これはライフハック的な界隈の話ですけど、
エヴァノートをみんなだんだん諦められているというか、愛想つかされているというか、
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ここまで行ったらいけないか、そういう現象があり、
オブなんとかってやつと、スクラップボックスがだいぶ前に話題になりましたよね。
ワークフローイとか、アウトライナーなんですけど、ダイナリストとか、
なんでこれらのアウトライナーが話題になったかというと、
ブラウザ上で使えるからなんですよ。
基本的にアウトライナーってテキストベースなものなので、
ただそれが段差を作れるという、ただそれだけのものなので、
一番ブラウザ上で使うのに適してるんですよね。
Gmailなんかよりもよっぽど警戒に動くだけの理由があるわけで、
しかもそれがクラウド対応になっていると、スマホでも確認できたりするじゃないですか。
スマホで見ているとよく思うのは、こなれてないな全然という気が正直するんですよ。
正直メールのほうがよっぽどやっぱり歴史が長い分、
スマホでも断然使えるようになっているけど、
メールより本当は容易に使いこなせるはずなんですよね、アウトライナーのほうが。
ただのテキストファイルですから、言ってみれば。
そういうものがどんどん出てきて、メモをどうやって取ろうかみたいな、
ある種の人は大変興奮する話が出回っているんですね。
このメモ、いつどうやって取ろうかということを、
昔は私も多分タスクシュートを知らず、
グッドバイブスも知らなければ早速この盛り上がりを楽しめたと思うんですけど、
今は私実は全然ホットになれなくて、
ほとんどエヴァノートを一個で済ませてしまうんですね。
何が起こったんだろうって思ったんですよ。
何が起こったのかは実は簡単でして、
記録を取るということに対する執着心が、
これは違うな、表現が違う。
記録を取れないということに対する恐怖感が消えたんですね。
この方が正しい。
なぜエヴァノートとかデジタルメモとか、
なかった頃はポケット付箋とかそういったものに、
あんなにこだわっていたかというと、
記録を取りそびれることに対する恐怖感というものが強くあった。
だから、たとえエヴァノートなりに記録が残ったとしても、
今度はそれを呼び出せない、いざというときに呼び出せない恐怖感は
強い恐怖感というものがあった。
だから、もっと警戒に動いてiPhoneでもすぐに見られるものとか、
検索にヒットしやすいものとか、
06:00
わかりやすい整理術といったものにすごく興味があったんですよ。
あったんですよ。
それが全然なくなったんですね。
なぜならば、それらを呼び出せなくても、
何も問題は生じないというふうに、
手放せたからということになるのかな。
一つはタスクシューとタスクマのおかげというのがあるわけですね。
これ、どっちも心理的なものであって、
なぜなら恐怖感ですからね。
心理的なものであって、事実とは関係ないんですよ。
呼び出せなくて困ることがないのか、あるのかといったらあるんですよ。
ただ、困らなくなっただけであって、
仮にトラブルがあったとしても、
その時に私の心理状態で、
ここは簡単に済ませるために返答タイムモードと言っちゃいますが、
返答タイムモードがアクティブにならなければ、
どってことはないんですよ。
何が起ころうと。
何が起ころうとといったって、
刃物を振り回している人が駅前にいますみたいな時はダメですよ。
返答タイムモードが走らないはずがないので、
走りますけど、
それが逆速の時間を忘れたとか、
すっぽかされたとか、
そういう話であれば、
全く心情的変動って何にも起こらなくなりつつあるので、
つまりその時にメモがあるかないかは、
どっちでもトラブルが減るかもしれないけれども、
心理的な変化はないんですよね。
で、今、刃物っていう話しちゃったんですけど、
つまりですね、
刃物を振り回している人がそこに登場したという話になってくれば、
これはエヴァノートに何かが書いてあっても無駄だと思うんですよね。
あんまり意味がない。
だからエヴァノートで対応できるようなことに対応し損ねたとしても、
あるいはスクラップボックスなりダイナリストなり何でもいいんですが、
それらのことで対応できそうなことに対応し損ねたとしても、
別に心情的な動揺は発生しないんで、
大丈夫になったんですね。
これが非常にグッドバイオス的だと思うんだけれども、自分でも。
タスクシュートの時にすでに8割方生じていた変化なんです。
だから私はタスクシュートを使うようになってから、
エヴァノートからノートを動かさなくなってきて、
エヴァノートを使うようになってから、
タスクシュートを使うようになってから、
エヴァノートからノートを動かさなくなってきたんですね。
これ、タスクシュートユーザーでも人によって全然やること違うんで、
タスクシュートを使えばこういう恐怖感から逃れられるとまでは言えないんですけれども、
言えないんですが、僕は逃れられたんですね。
で、それどうしてなんだろうと思ったんですよ。
そのことを昨日、あるセミナーで喋っていて、
不意に気がついたんだけれども、結局ですね、
自分はいつしかタスクシュートを使っていて、
09:02
私はこのやり方を一番喋っているつもりなんですけど、
過去の記録があってもなくても、
未来のリストがあってもなくても、
同じだなと思うようになったんですよ。
同じというのはつまり、
自分という人間は過去の自分とは違うじゃないですか。
そこを記憶でつなぐんだけれども、
記憶はつないでいるだけであって、
別人であることは間違いないんですよ。
物質が全部入れ替わるとかいうのは、
あれは都市伝説ですが、
全部は入れ替わらないけど、全部入れ替わらなかったって関係ないですよね。
1割入れ替わったら別人であることは間違いないと思うんですよ。
むしろ同一人物であるということを言うならば、
同一人物であることはなぜ科学的に言えるのかを立証しなければいけないと思うんですね。
エビデンスを言う話からすればですね、
変化していくのが私は事実だと思うんですね。
変化していくということがスピリチュアルだと言うならば、
変化しないということこそスピリチュアルなんですよ。
変化しないというのは信仰に近いものですよね。
そういうふうに思い込んでいるだけであって、
変化はしているわけだから、
変化しているって言ったって同一人物でしょうって言うけれども、
それはあれですよね、
散々ここのところ話してきた、
乖離性同一障害というものに対する手当を脳がしてくれているだけであって、
つまり、同一じゃないものを同一だと思い込ませる機構がちゃんと脳にある、
それが働くことを正常って言うんですよ。
だけれども、それが働かなくなれば、
同一ではないってことに人は気づいてしまう。
同一でないってことに気づくっていうことは、
同一でないことが事実だから気づくのであって、
同一であるっていうのが思い込みなんですよ。
別にその思い込みが悪いわけではないし、
思い込んでいることが正常だと社会が認定しているから、
思い込んでいることが正常なんですよ。
この正常は鍵かっこつきますね。
このように思い込むことによって、
このように思い込むことが正常であるという、
社会的認定を得ているから正常なんだけど、
ここにエビデンスとかがあるはずはない。
現に脳科学であれ、神経科学であれ、生理心理学であれ、
全部同じこと、社会心理学でもいい。
同一人物であるというのは幻想だと。
だから、エビデンス言うんであれば、
同一人物ではないんですよね。
ここが僕にとって、
タスクシュートではっきり感じられたことだったんですよね。
いつタスクを見ても、
同一人物が見ているとは考えられない。
例えば、朝早く起きるモチベーションを
どうやれば維持できるかって話があるんだけど、
そういう挑戦をするじゃないですか、
タスクシュートを使うような人は。
12:01
私の結論は、そんなモチベーションのキープができた試しはないし、
原理的にできるはずもない。
なぜならば、同一人物ではないのだから、
モチベーションだけキープできたらおかしいですよね。
同一でもないものなのに。
同一の車がガソリンの燃費をキープすることはできますよ。
同一の車ですから。
物質的な変化がないですからね。
でもその機能は少しずつ変化していってしまうから、
完全に元のような燃費では走らなくなりますよね。
これは車運転する人、みんな知ってるはずのことですよ。
人間だけモチベーションという、
これまたよくわからないエネルギー効率みたいな、
おそらくは幻想的な観念をですね、
100日前と100日後で全く同じようにキープできるようにしましょう。
それは無理ですよね。
だって100日前と自分が明らかに違う人間になってるのに、
モチベーションという幻想的な観念だけが全く同じようにあったら、
むしろ実に不可解なことじゃないですか。
それこそスピリチュアルですよね、完全に。
だからモチベーションのキープっていうのは、
あくまでも言葉遊びなわけですよね。
そうやって全部考えていくと、
明らかにだんだんなっていくことはですね、
タスクをやるたびに自分は変化している。
しょうがないんですよね。
タスクをやるんだから。
特に食事とかしてしまったらもう敵面です。
さっき私かぼちゃ食べましたけど、
かぼちゃは私になっちゃうわけですからね。
物質的に。
今も徐々になっている最中ですから。
かぼちゃだけ私と乖離していたら、
同化できないじゃないですか。
消化って言うんですけど、これ同化ですよね。
ってことは、
毎秒毎秒実際は変化しているし、
食事なんかだったら全然違う人間なわけですよね。
一部分は少なくとも。
これを同一だと思い込んでいるのは、
さっきも言ったけど、脳の機能による働きであって、
事実としては同一ではないので、
タスクをやるたびに同一ではないんですよ。
で、メモを取ったりしていくと、
むしろ分かると思うんですよね。
毎朝毎朝起床時にメモを取る。
一度たりとも自分が全く同じだったことはないし、
一度たりとも全く同じ気圧だったり気温だったり天気だったり、
いろいろありますけれども、
一瞬たりとも同じであるということはなかった。
だから、
記憶がそれを繋ぐんだけれども、
さらに私たちはタスクシュートとかエバーノートを使うときに、
記録でさらに補強しようと、
そういう話をしているわけじゃないですか。
ということはですね、
これはしなくてもいいんですよ。
ここに飛躍を感じられると思うんですけど、
それは自分が同一だという幻想にしがみつこうとしている力が強いほど、
ここが飛躍に感じられるのであって、
別人であることが確実であるのではないか。
15:01
だから昨日一昨日ともそういう話をしたんですよ。
イヴ・ブラックとかイヴ・ホワイトとかジェーンとか、
同一の肉体の中に3人の価値観も考え方も、
相互の記憶も完全には、
イヴ・ブラックとかイヴ・ホワイトとか、
相互の記憶も完全には行き来できていない存在がいると、
ああいう人たちが同一のタスク集と使えるわけがないですよね。
タイムラインを持っていて、
イヴ・ブラックのタイムラインと、
イヴ・ホワイトのタイムラインと、
ジェーンのタイムラインはことごとく違うわけですよ。
もちろんそれを外から時系列に直すことはできますよね。
そういうのが、エヴリン・ランカスターという
ダイオンの人格の人がまとめた手記なんですよ。
そういうものはあるわけですね。
でも、エヴリン・ランカスターがまとめたものを読むと、
ますますわかるのは、
同一の時間軸上に何か生きていないわけですね。
この三人格の中で一番面白いのは、
イヴ・ブラックの計画というやつで、
彼女は大変計画が好きなんですよ。
一番子供っぽい人格なんで、
一番子供っぽい人格が一番自分の計画に固執するっていうのは、
私は非常に面白い現象だと思ったんですね。
私には私の計画があるのよと。
それを邪魔しないでほしい。
だから彼女は娘の相手とかしないわけですよ。
つまり彼女の計画というのは、
外に行って高そうな服を買って、
ダンスホールに行って男を引っ掛けるという
壮大な計画があるから、
他の人に邪魔されたくないという話をするわけですね。
計画というのはそういうところがあるんですよね。
でも彼女の計画はすぐおじゃんになっちゃうわけですよ。
他の人格が出てくるから。
これ、どの人格にとっても同じですよね。
イヴ・ホワイトはもう少しまともな計画を立てて、
新しい仕事を見つけて、
そこで売りっ子頑張るみたいなことをやる。
これを今度はイヴ・ブラックが壊すわけですよね。
こんな職場で働くのは退屈だというわけで、
そこら辺のお店に来ている男の人たちに
デタラメを不意調して自分に注目を浴びさせて、
その後でイヴ・ホワイトが戻ってきて、
すごいびっくりするっていうような、
すごい困るっていう話ですよね。
計画が壊れていくわけですね。
でもこれは、
こんなに劇的なことが起こらないですけど、
私たちの身には。
同じようなことは必ず起こっているはずであって、
これ、同じようなことを起こさないようにすることを
モチベーションの意思とかっていうことを
おばあさんは使っているわけですけれども、
それは嘘だと僕は思うんですよね。
明らかにおかしい。
なぜならば、私たちは
こういう劇的な人格の交代が起こっては困るけれども、
これのうんと縮小したバージョンのことは
常に起こっているわけですし、
夜寝ているときに夢を見るじゃないですか。
あの時の人格を考えればもう、
私たちの中であれと近いことが起こっているのは
間違いないですし、
しかも相互に記憶が僕らはつながっているから
気づきにくいだけであって、
やっていることが起こっているのは
18:00
指のホワイトとブラックが
お互いに何か別の人格を介して
何かを伝え合っているのと
やっていることは告示しているように
私には感じられるし、
おそらくそれが事実に近いと思うんですね。
これはレブリン・ランカスターという人が
それは指のブラックとホワイトの
統合人格なんですけれども、
書いていることで
多重人格そのものは珍しくも何ともない現象で、
自分たちの経済も
自分たちの知識も
何ともない現象で、
自分たちのケースが珍しいとすれば、
その抗体の仕方がキーなんだ
というふうに書いていて、
その通りだと思うんですよね。
なぜ彼女がそういうことを知っているのかが
ちょっと不思議なんですけれども、
私たちの人格は多分多重であって、
抗体も起こっているんだけれども、
何か私なんかは多数シュートをやっていると
明らかに抗体が起こったと考えた方が
はるかにマシなケースが
多いなと思うんですよね。
食事をする前は
とてもご飯が食べたい。
お腹いっぱいになりすぎた時には
もうご飯をあんまり見るのもあんまりうんざり。
違う人みたいですよ。
わずか40分の間に。
やったことが違う。
やったことがあって変化してしまったから
違う人みたいになる。
ただ、私はその時に
さっきまでは食べたかった
あれも自分だというふうに認識はするんですけど、
それを記憶って言うんですよね。
これを40分前も40分後も
1時間後も40日後も
常に同じ人間でありたいという人が
言う主張をするとすると
とても恐ろしいことになると思わないですか。
お腹がいっぱいである自分と
お腹が空いている自分と
眠りたい自分と
起きたい自分と
それらを全部同じにして
しまった一つの人格で
通して生きていくということをしたら
私は実に恐ろしいことになる
という感じがします。
それが、つまり
いつも自分は
ある自分の状態を
ずっと維持して生きていきたい
ということだと思うんですね。
それは朝だけ英語の勉強をしたい
ということを言ったとしても
同じことを意味すると思うんですよ。
朝だけ英語の勉強をしたい
ということを言ったとしても
同じことを意味すると思うんですよ。
この種のご相談を
しょっちゅういただきます。
朝、朝活をして
中国語なのかな、今は。
わかんない。
中国語じゃないと思うんですけど
プログラミングとかね、
そういう話ありますけど
いつも同じ人格を呼び出して
それは無理っていうものですよね。
それを可能にしてしまったら
多分、頭おかしくなってしまいますよ。
それを私たちは
するはずがないので
せいぜいのところ
やることとしては
記憶に頼るんですよ。
これしかないはずなんですね。
記憶当てにならないから
記録に頼りましょうって
私も本に書いたことあるんですけど
21:01
あれは言葉のアヤですよ。
記憶が完全に欠けてしまったら
どういうことが起こるかというと
イヴブラックとイヴホイトになっちゃうから
メモリーの中に
もう何か100枚残しておいても無駄です。
イヴブラック全部捨てちゃいますからね。
そんなメモは。
現にそれに近いことを試みようとしても
ちゃんと失敗してます。
価値観が変わるっていうことを
忘れちゃいけないんですよ。
あと、記憶が失われるということは
そもそもメモを書いたということを忘れるし
本質的な意味で
記憶を失うということは
自分がメモを書いたという事実を
認められなくなるので
ダメなんですよ。
ただ、他の人の書いたメモって
使えないじゃないですか。
私と大橋裕祖さん
ずっとタスクシュートも開発した
大橋裕祖さんはかなり長い間
仕事一緒にしてますから
多分、大橋さんのメモを見れば
何となく分かるでしょうけど
やっぱり私とは使う言葉も違えば
構成の仕方も違うから
読んですぐ理解するというわけにはいかないんですよ。
記憶を失うというのはこれですから
人の書いた記憶を
記憶を見て
それを使って自分の人格を統合しようというのは
およそ無茶な話です。
私たちがメモを活かせるのは
全て記憶に頼っているからなんですね。
記憶を活用するためには
記憶に対する依存度を相当上げないと
むしろ無理だと思うんですよ。
記憶をするということで
基本はまかないわけだから
記憶する必要って
ほとんど実はないと思うんですね。
それをタスクしようとして
むしろ私は知ったんですよ。
これを使っていると記憶が強くなっていく。
記憶が強くなるというのは
さっき言ったとおり
ある程度モロ派なんですよ。
コストがあるわけです。
つまり人格交代は
起こりにくくなりますからね。
同志だって、同一だっていう
自分のイリュージョンを
強化していく結果になります。
ただし、同一ではないので
こういう話なんですよ。
あり得ないので。
だから同一だという観念が
勝利を収めることは
決してないんですけれども
だって本当に大変なことになりますよね。
一度お腹が痛いっていうことを
自分の人格として確定してしまったら
その場合は一生お腹が痛いんですよ。
変化しないと困るわけですよ。
私たちは絶対に。
一生野球を見続けていて
幸せなわけではないじゃないですか。
野球をどれほど好きであっても
人格交代するからいいんであって
しないんだったら
本当に大変なことになるわけです。
それだったら
いい人格だけ揃えて
その繰り返しセット
例えば朝早く起きて
夜早く寝ると
眠くなる人格と早く起きる人格は
同じだけどっていう話を
されるかもしれませんけど
これも言葉の綾です。
24:01
毎秒毎秒変化しているんだから
その同じ人格が何度も
伸び出されているわけじゃないんですよ。
これがタスクシュートで言う
リピートタスクの呼び出しと
人格とは違うっていうことですね。
あくまでもこれは
前にしか進んでいかないわけですよ。
時間がそうであるように。
なので、元に戻ることは決してないわけです。
この元に戻ることが決してないということを
当然なんですけど
元に戻ったことは
一瞬もないと思うので
当然なんですけど
考えてみると
自分たちの記録を残すなりしていることというのは
基本的には
同じ人格を呼び出したいという
呼び出せないと困ったことになるという
不安から本当は来ていたはずなんですね。
私なんかは確実にそうです。
何かを忘れてはいけないから
メモをすると
一番最初はここから始まるわけですよね。
何かを忘れてはいけないからメモをするんだけど
そのメモは大量に発生するから
整理を必要として
エヴァノートになり
だけどエヴァノートが10万とかになってくると
僕10万だったことはないけど
検索してもヒットしないか
ヒットした件数が8000とかだと
駅で包丁を振り回している男に
遭遇した時に対応する方法とかいうのが
どっかにあったとしても
間に合わないから
ダイナリストにしましょうと
あるいはオブなんとかにしましょうと
あれならもしかすると
そういうケースにあっても
傍観に襲われた時の
100のライフハックというやつを
検索でヒットさせて
iPhoneから取り出して
逃げることができる
ということをやるぐらいなら
逃げた方がいいんだけれども
全てのことを思い出すことはできませんので
私たちは
記録をするということをするんですけど
基本はですね
さっき途中で言った通り
この同一性は保てないけれども
保ちたければ
やっぱり記憶する必要が
どこかに絶対あるというか
記憶しなければ
同一性は絶対保てないと思った方が
いいと思うんです
だから私はもう
これもあんまり推奨したくないんですが
セミナーとかで失敗したとか
これ失敗っていうのが
すでに間違っていると思うんですけどね
失敗したというのであれば
二度と失敗しないように
記録するのではなくて
まず記憶しておけばいいと思うんですね
記憶するのは辛いって話あるじゃないですか
だから乖離が起きるわけじゃないですか
失敗の記憶をする
とても辛いと
だから抑圧して
忘れてしまうわけですよね
でもその記憶は消えるわけじゃないから
後でブラックが出てくることになる
そのブラックは多分失敗した辛さとかを
27:00
思い出すというよりは
失敗したっていいじゃないっていうような
人格として出てきますよね
多くのケースでは
これを想的防衛って言うんですよ
きっと
このGNVの中でしゃべりました
想的防衛というのは
結局こういうことが起きたって
俺は大丈夫だもんねっていう
しょっちゅうイヴ・ブラックという人は
嘘ぶくって書かれる
あれ嘘ついてエバってるっていう
意味ではないです
虚勢を張るって意味だと思いますね
嘘ぶくんですよ
私たちはね
何が起こっても大丈夫だもんねっていう
防衛の仕方をする
これを想的防衛って言うんですよ
そうやって
何かすごくまずいことが起きたと
そういう時にすごく
想的に防衛する
いやいや全然俺は大丈夫だから
へっちゃらだからって言って
思ったことある
だけどもう体力が途切れてくるとですね
へっちゃらじゃないということに気づいて
いきなりドーンと落ち込む
ホワイトに戻るんですね
だからブラックとホワイトの
あれは乖離性の人格障害だけど
乖離しないレベルであれが起こると
おそらく相極性
相鬱になりますよね
相極性障害
だから気分障害として見られると思うんです
現にブラックはものすごく相っぽいし
イヴ・ホワイトはものすごく鬱っぽい
自分のやってしまったことに
後悔するというのと
やってしまったことに決して後悔しないように
防衛を張るという
その行ったり来たりをするっていうのが
相極ですね
だから相極はただ記憶が繋がってるんだけど
相極の記憶が途切れてしまうと
乖離を起こすと
そういう感じ
これ私たちに実にですね
よくやってると僕は思うんですよね
奥さんなりあるいは
恋人なりと喧嘩をして
あいつがもう別れるのは
全然俺平気だって言うんだけど
体力が途切れてくると
後悔すると
あんなこと言わなきゃよかった
ホワイトとブラックのやってることと
なんだか変わらないと思うんですね
これ記憶するっていうことが
私たちが
一つ取ってる戦略であって
つまり
記憶を抑圧したり
記憶を否定したり
するもんじゃないと思うんですよ
だから記憶する代わりに
記録しちゃいけない
ということだと思うんですね
記録をするのが
いけないわけではないんだけど
記録は私するんですけど
不安からするってことは
断じてもうしないようにしてるんですね
不安であるならば
記憶すればいいんですよ
覚えておけばいい
それを失敗だと
見なさなければいいわけです
これ装的防衛と
切り分けなきゃいけない
というふうに思っていて
いずれこの話をしなきゃ
私はいけないと思うんですね
倉園圭三さんはこの問題に
引っかからないと思うんだけど
私はこの問題に引っかかり得ると思うので
30:01
装的防衛って私には
すごく馴染みの深い感覚になって
平気だというふうに嘘吹くというのは
よく分かる気がするってことです
平気じゃないんですよ
平気じゃないんだけれども
ここがグッドワイフルの
グッドワイフルと
抑鬱症を単に
技術的に説明することの違いなんですが
技術的には要するに
説明することの違いなんですけれども
平気じゃないんだけど
自分が犠牲にならないという
観点が必要なんですね
この観点を取るために
自分はグッドワイフルを
持ってくるんですけれども
ひたすらこれを
装と打つのが入れ違いを
繰り返す羽目になる
これは政治面積的に言うと
おおむね正常と見なされるんだけれども
正常でもこの戦略って
危ういと思うし
厳しいんですよねやっぱりね
やらかしては反省すると
それに対して例えば
反省点を記録しておいて
PDCAで次回に生かすと
私はこの戦略にも
同意できないわけですね
要するに
それは一つには
そのようにして改善され得るとは
到底考えられない
これはしでかした失敗というよりは
自分の心の中の
癖みたいなもので
人格交代のパターンみたいな
本当はパターンはないけれど
パターンみたいなもので
やりたい放題やっては
後で反省するっていう
人格交代のパターンみたいなもので
何をしでかすかなんて
分かってるわけですよ
簡単に言うと
夫婦喧嘩をしないための
自由のライフハックとか
そういうものをエヴァノートで
呼び出せなかったから
喧嘩しちゃったわけではないってことは
重々承知しているわけですよ
PDCAに書いておいて
こういう時にこういうことを
言ってしまうと奥さん怒るとか
そういうのを呼び出せなかったから
喧嘩になったわけではないんですよね
そうではないからこそ
そういう方法を
討論を取っていた私は
ずっと失敗し続けていたわけですから
そうではないんですよね
こういう風になって
考えてみるとつくづくですね
今もそうなんですけれども
わーっとなってしまう
喧嘩する時ってわーっとなるじゃないですか
わーっとなるって何なのか
細かいことを言うのが嫌だっていう
否認もあります
すごいフロイドですよね
細かいことを言うのが嫌だ
それを脳内で詳細に再生するのが嫌だ
記録を撮ることが
全ての解決にもしなるのであれば
喧嘩している時の自分の
動画と音声をがっちり撮っておいて
それを後で聞けばいいんですよ
嫌だって感じがする方多いと思うんです
これ大きな抑圧ですよね
わーっとなって
もう一つわーっとなっている時は
33:00
人格交代が起きているので
その時のことを後で思い出すのは
否認がなくても簡単ではないんです
夢の中ほどひどくはないんですよ
ちょっと遠いんですよね
だからこれを記憶しておくってことは
とても大事だと思うんですよ
記憶できるということは
そんなに安易に
相的なというべきな
イブブラック的な
そういう人格を飛び出させない
ってことを意味するわけで
ということは記憶をしっかりできる
自分でいるということが
そもそもそうわーっとならない
っていう
ことそのものを意味するんです
そうすると
喧嘩にならないわけですよ
その上でここでするべきことは
イブホワイト的には
ダメなんですよね
とにかく耐えて我慢するとか
そういう路線ではいけないわけですよ
その時に相手は
どういう状態にあるのかという視点が
とても役に立つわけですね
イブホワイトで言えば
ラルフ・ホワイトという夫ですね
あの夫はどういう状態にあるのかと
あの夫は要するに
恐れと不安にまみれているわけですね
どういう恐れと不安かというと
目の前にイブホワイトという
綺麗な夫さんがいるのに
セックスする機会を失うんじゃないかという
恐れと不安にまみれているわけですよ
ここまでわかれば
一気にことは解決すると思うんですよ
イブホワイトにはこういうことは
全然わかんないんですよね
とにかく嵐が過ぎるのを
じっと耐えて待つ
これをやるから
自分の中でめちゃくちゃ腹を立てている
ゆっくりの人格が飛び出してきて
もうイブホワイトは覚えていない段階で
夫を罵りまくると
ひたすら罵声を浴びせると
夫は逃げていくという
パターンを繰り返すわけですね
これ絶対に私は
記録を取ることによっては
解決できるとは思えないわけですよ
後で見ないですよね
イブホワイトはこれを後で見ることは
決してできないと思うんですよ
これをあの時代動画ないですけど
動画で撮っておいて
後で物知ってる自分を見ても
自分だと到底思えないと思うんです
だから記憶がそこに
滞在していない時に
記録だけあったとしても
記録としての価値を有していないので
記憶がないってダメだと思うんです
そうすると記録というのは
単なる記憶の補助では
済まされないということですよね
記憶はもうそこにしっかりなきゃいけない
その段階で
記録の内容は変わっていくはずなんですよ
だってイブブラック出てこないわけですからね
出てきた場合の記録と
出てこなかった場合の記録は
全然違ったものになるのは当然じゃないですか
そもそも口数自体が
少なくなっているはずですからね
で、まあそれを
そういうことを全部主旗として
残してくれている人が
エブリン
エブリンはイブだから
要するにだって
エブリンというものを綴めてイブですからね
36:00
エブリンなので
結局同じことのようにも
思えてくるんですけれども
それくらい私たちの
脳内の形
脳内の機構というのは
すごい複雑だとも
言えると思うんですね
私はこういう文脈の中で
ずっとグッドファイブスとか
なんていうんですかね
遠慮ですよね
やっぱりサポートしてくれるところを
見出してきた感じが
あるわけです
こういうことそれ自体は
エブリンの主旗も
私が読んだのは大学時代なので
だいぶ前ですよ
20年くらい前なんです
今になって
エブリンの主旗を再入手して
読んでいるわけですね
あの時には
全く何の意味もなかったわけ
じゃないんでしょうけれども
大変不思議な話として
のみ記憶に残したんですね
これがグッドファイブスで
こういうふうに使えるんだ
ということ
エイブホワイトの立場にしてみれば
無理だとは思うんだけど
ラルフの状態
彼が何に怯えているのか
ということを認識するという
そういうふうに考えることによって
私がですね
人格抗体を引き起こさずに
済むんですよ
つまりグッドファイブスを知らないと
私は人格抗体を
引き起こしちゃうんですよ
相的防衛をしちゃうんですね
えーと
乖離はしないけど
やっぱり自分の中のブラックを
呼び出してきて
めちゃくちゃ奥さんとやり合うと
やり合わせるといったほうが
いいくらい
そうすることによって
問題を解決した気になるんだけど
問題解決能力を持ってませんから
ブラックは
私の中のブラックも同じです
子供ですからね
この種の人格は大体
後で戻ってきて
その後始末をしなきゃならないのは
自分なわけですよ
この場合自分とはどっちだって話は
当然ありますが
その時に記録があったところで
大した役に当たらないんですね
あいつは大バカだみたいなことが
記録に書いてあるわけですよ
だって現にイブブラックは
そういうふうに言ってますから
あいつの頭を叩きのめせとか
そういうことを
記録しているんですね
この時に激しい頭痛が起きるんですよ
いろんな意味で
後退した人格が書き残してくれたものが
あったとしても
結局それは別人の書いたものなので
何かの証拠として
綿密に見ても
役立てるということは
可能であっても
非常に容易なことじゃないんですね
同一人物が
同一の人格が書き残したことばかり
読んでいても
それは大抵の場合
かなり無駄です
理由は簡単で
39:00
自分の人格が繋がっている限り
記憶は繋がっているので
続いているので
簡単に思い出せることばかりのはずなんですよ
というか多分忘れていないですよね
この辺を繋ぐために
記憶というものは機能していて
おそらくですよ
めったに呼び出されない人格みたいな
人格という言い方は
ちょっと乖離を含むので
違うんですけれども
でもあるじゃないですか
不意に子どもの時代のことを思い出すみたいな
あれをやりやすくするために
写真だの
動画だの
メモだのというもの
日記だのというものが
おそらくあるんですよ
そういうことを
今週は何か話してきたな
という気がするんですね