2023-04-24 53:41

【773】グッドバイブス編 とにかくイリュージョンを観ていると自覚する

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ゴーグルを外さなければそもそも現実など見えようがない
第1章: チャレンジ期間について
おはようございます。
4月の24日、月曜日ですね。
朝の7時53分です。
Good Morning Voice。
らしくですね、平日、朝にできてると。
ゴールデンウィークどうするかなっていうのが薄くあるんですけど、
ゴールデンウィークもですね、だいたい休むかなみたいに、
最近はちょっと小読み通り感みたいなのがあります。
これはやっぱり、通学している人間がいるからですよね。
今日はグッドバイブス編といった内容でお伝えしていこうと思うんですが、
その前にも、選挙みたいですね。
最後のお願いに参りましたってやつで、
2席ですね、枠がありまして、
4月の30日スタートの3ヶ月チャレンジ。
これは4月の30日だから、5月30日でしょ、6月30日で、7月30日まで続きます。
そういう、第2期の3ヶ月チャレンジになります。
第3期は従ってですね、8月の1からやろうかなと思っていて、
8月の1、9月1、11月の1までぐらいですね。
10月31ぐらいにしておいて、11月1から4期を始めようかなと思っているんですけど、
そうすると、12月1、1月1、
年末年始をまたいだ上に、なんかわかんないところで終わっちゃうんですよね。
これを最後どうしようかなと。
11月1までやったら、一旦1ヶ月お休みにして、
わかんないな、これはもうそんな先のことはわかんないですね。
というわけで、4月の30日から第2期スタートさせて、
4月の30日に第1回のレクチャーをやるんですよ。
これだけを単独で受けていただくこともできるようにしました。
4月の30日単独のレクチャーで、
1万円プラス税といった形にしております。
これも最大2席ですね。
そういう会場になっちゃってるんで、
最大3席ぐらいいけるかな。
その辺をちょっとゆず聞かせますが、
もしリアルにいらっしゃった場合さん、
最大で2席は絶対用意させてもらうといった感じですね。
これで万が一、この1万円で4月の30日のレクチャーを受けていただいて、
これで3ヶ月チャレンジというのをやってみたいなと、
その場には他の受講生の方もいらっしゃって、
一緒にここでやっていきたいなというふうに心がわりした場合は、
この1万円を無駄にしないで済むように、
プラス残金を支払いいただければ、
3ヶ月チャレンジでそのまま移行できると、
いろいろ考えているわけですよ。
第2章: グッドバイブスファクトリーについて
この第2期がどうなるとしてもですね、
第3期は僕はやると思います。
それで第3期は少しですね、
第1期の方のフィードバックをいただいたりしたので、
第2期を合わせてですね、
いろいろと形を整えて第3期もやっていこうと思ってます。
第3期夏になりますよね。
7月30日くらいからだから。
この頃は私は一番、なんだかんだ体調が一番いいはずなので、
最近ちょっとね、あまりに暑いんで、
今ぐらいの方が体調実際にいいんじゃないかと思えるようになってきたんですけど、
それも先のことですからね、分かんないので。
そんな感じでやっていこうと思いますので、
ぜひですね、最後のお願いということで、
4月30日からの3ヶ月チャレンジ、
よろしければお申し込みいただけると幸いです。
暑くなってきたのでちょっと上着を脱ぎますね。
これあの、セッションもそうなんだけど、
やってるとすぐ暑くなってきて、
すぐ喉が渇いてきて、
だから水用意しとけよって話なんだけど、
やる前はですね、
全然そんな風じゃないんで、
水を用意しようという気にサラサラならないんですよね。
結構暑く着込んで、すぐ暑くなるんですよ。
やる前はこんなに体力使ってないんでしょうね。
やりだすと途端にこう始まるんですよ。
セッションもすごくて、
聞いてるときから多分何かが使われていって、
エネルギーが出ていってる感じなんですけど、
しゃべりだすともうてぎめんで、
終わると非常に空腹を覚えることがあるんですよね。
あれは何なんだろうなって思いますね。
運動してるわけでもないじゃないですか。
せいぜい喋ってるだけなのに、
明らかに違うんですよね。
それこそ、
倉園さんのボイトレとかを受けてるわけでもないので、
別に特にこれといった喋り方、
でも考えてみると、
ボイトレって特にこれといった喋り方とか、
発声の仕方をしないんだろうなっていう気がするんだけど、
これは推測ですけどね。
私は受けたことがないから。
いずれにしても、
使われるというのとは違うんですけど、
使い果たすという感じがありますね。
私だから1日にセッションは今のところ1つにしてるんですよ。
時間的には4つとかでいけるはずなんだけど、
4つとかナンセンスで、
2つが限界だと思いますね。
でも2つすると他の仕事できなくなるような日が、
私の場合はします。
そんなに熱っぽく喋ってるとか、
何かを使い果たすイメージはないんですが、
すごい大変な、
大変ではないけれど、
やってるとき大変だと思ったことはないから、
大変ではないんですけどね。
やってるときに別の意味で大変なことはありますよ。
でも肉体的な意味で大変なことはないんですが、
終わるとどっと何かが抜け落ちた感じになって、
ちょっと食が進んでしまう。
あんまりあるときにガンガン食べるのもどうかと思うんで、
ちょっと気はつけてるんですけどね、食べるときは。
これは余談です。
昨日ですね、
ちょうどグッドバイブスファクトリーにおける、
グループセッションというものを運営してきたというか、
もはやグラズノさんがお話になるのを、
私は聞いてるという感じになってしまうんですが、
聞き締まっていたんですが、聞いてました。
それで、いつも通りグッドバイブスだなと。
それを言っただけでは何も伝わらないと思うんですけどね。
でもそうだ、いつもと何かちょっと違ったんですよね。
第3章: 喋り方や体調について
何か、中盤で必ず割と長く、
グラズノさんと、僕はクランチって呼んでるんですけど、
ボクシングで腰のあたりにしがみつくのがあるんですよね。
それによって敵の攻撃を防ぐという、
反則の一種なんですけれども、
良いんですよ、良くはないんだけど、
あれはスキルの一種なんですよね。
クランチみたいな感じになるというのが時々起こるんですよね。
これ以上グッドバイブス、攻撃じゃないんだけど、
ある種の心理状態においては、
これ以上グッドバイブスを受けたくないみたいな心理にはなるんですね。
その時にクランチする、
クラズノさんにしがみついているようで、
何かのグッドバイブスな話は、
これ以上はダメージを受けないように、
独特の絡み方になっていくというのを私は、
それが昨日あんまりなかったせいか、
時間が少し余裕があった、そういう感じがしました。
だからいつもと違うというわけではないんだけど、
いつもと若干違って聞こえるというのはあるんですよね。
クランチがないからかな、みたいな。
全くないわけじゃないんですよね。
全くないと僕は、あの種のものは効果がなくなってしまうと思うんで、
そういう絡み方っていうのは出てくると思うんだけど、
なんていうか、昨日はある意味スムーズというのかな、
スムーズかどうかはわからないんですけどね。
なんだろう、外から見ていい、
僕の場合、自分がやり取りを直接していないから、
スムーズに聞こえたからといって、
そこで行われていることがスムーズかどうかは、
本当は体感しないとわからないものだったと思うんですね。
だからスムーズには見えただけということはあると思うんですけど。
昨日お話を、
アシャさんとクラズノさんのやり取りを伺っていて、
僕がすごく、今さらかよと言われるでしょうけど、
今さらなんですよね、この種の話は。
これはやっぱり、僕にとってですよ。
僕にとって大事なのはイリュージョンってやつなんだなっていうのを、
昨日は改めて再、再、再認識ぐらいかなとして、
この話を今日はしようと思いました。
それでですね、
一つね、ただただ理論を、
理論ってのも変だけど、
理屈を追っていくと奇妙なところがグッドバイブスには、
これはグッドバイブスだけにあるんじゃなくて、
ほぼ全てのこのような話には絶対に突きまとう話なんですよ。
バラバラ意識と仏教
というのはつまり、仏教なんかでは的面ですけど、
人はそもそも仏性って言うんですけどね、
幸せであるように生まれてきたと言い、
実は幸せであり、
実は苦しみに実態がないというのならばですね、
何しても何しなくてもいいじゃないかってことになるんですよ。
グッドバイブスしてもしなくてもいいじゃないか、
結局グッドバイブスなんだからっていう理屈が、
理屈の上ではね、
これは僕はこの種の考え方には慣れているので、
気にならないんですけれども、
昨日はなぜかですね、
その種の話が何度か出てきていたような気がするんですね。
極端に言うと、
いやだって人攻撃したって結局グッドバイブスじゃんっていうね、
これはおかしいんだけど、
おかしいんだけれどもですね、
究極的に一つであるということ、
バラバラ意識というものがあくまでも、
そこに何か実態がないイリュージョンなのであればですね、
結局のところバラバラ意識というのはそこにはないわけで、
どこにもないわけだから、
別にバラバラ意識でもいいじゃん、
これはおかしいんだけど、
そういうことにもなり得るという話があるんですよ。
これは仏教で主に僕は聞くんですね。
やっぱり家が仏教だったから、
ドライブスと嫌なこと
仏教の説話ではこの種のことはね、
こういうことを言い出す人がいるよっていう話は、
よくお坊さんの話では出てくると。
で、これ結論は先に分かっちゃってるからいいんですけれども、
そうじゃなくて逆なんですよね。
そのイリュージョンが怖いんですよ。
怖いっていうのも変なんですけどね、怖いんですよ。
でも怖いからイリュージョンなのに怖いんですよね。
そうそう、そういうことになるのかな。
で、シンプルに言うとですね、
そのイリュージョンを見なければグッドバイブスになるから、
その時にバラバラ意識でもあり続けるということは、
そもそもできないことなんです。
これはそういう心理状態で、
つまりほぼほぼ平安な心理状態でこの話を何度聞いても、
無駄で、無駄に限りなく等しくてですね。
そうじゃなくて、
でも嫌な状態にある時こそこれが役に立つんですね。
ただあまりにも嫌な状態にある時はどうかなっていうのがですね、
ここはもう保留時効なんですよね。
グラドノさんのお話を伺ってても、
究極的にはそうじゃない話になるんだろうなと思うんだけど、
例えば戦争とかね、そういうことです。
つまりそういうのは置いとこうということになっていて、
私もそれがいいと思うのでそれに習っていて、
僕の場合やっぱりおなじみのですね、
家庭内で夫婦喧嘩したとかそういう時ですよ。
そういう時の方が僕ら遭遇してますよね。
戦争とかテロとかそれはともかくとしてですね、
そこまでいかなくても、
例えばテレビで見るような大惨事自体に自分が巻き込まれたということは、
僕の場合なんかはほぼないと言っていいし、
やっぱりこれ聞いてくださっている方も、
そのような経験をたくさんしてきているという方は、
稀だと思うんですよね。
それに比べると夫婦喧嘩とかは山のように経験していると思うんですよ。
だからこっちにフォーカスをするというのが、
やっぱり適切ですよね。
そして、ものすごくでも嫌なこともあるわけじゃないですか。
僕は最近これもないので、むしろ急いでお伝えしておこうと思ってますよ。
この流れでいくと、
ドライブスで基本的に問題が解決していくとですね、
このものすごく嫌なことはもしかするとほとんどなくなっていくと、
リアリティを失うんですよね、やっぱり嫌なことって。
例えば、盛んに僕は多分多すぎてみんなヘキヘキしていると思うんだけど、
大学時代の思い出
僕は繰り返し大学時代にモテなかったというか、
モテなかったわけでもなんでもないんですけれども、
モテなくて彼女が欲しかったってことを繰り返し喋るのはわけがありまして、
僕の中でもリアリティがほぼないんですよ。
だって学生時代っていつだ?
まあ、25年とかじゃない、30年前ですよね。
もはや学生時代以前よりも以後の子が人生長くて、
そういうイメージ薄いんですが、
でも実際はそうで、
もう学生気分というものも多分僕の中で、
捏造された何かでしかなくなりつつあるわけですよね。
これ30代だった時はまだだいぶ違ったんですよ。
学生時代の友達とかに会ってたし、
大学行ってたことへのリアリティがあったんだけど、
今もう学生時代の知り合いをフェイスブックで見かけるぐらいになっちゃっていて、
リアリティがわけがもないんですよね、実は。
あの学校に行ってたんだな、みたいな。
あと私にフロイト選手をくださった、
僕にとってこの大学時代の一番の記憶はこの先生なんだけど、
この先生も亡くなっちゃってるっていうですね。
状態から別の状態に移る
僕が学生時代に在学して間もなく官歴を迎えられたんで、
亡くなっていて驚くようなことではないんですけどね。
狩猟も多かったしね。
なんですけれども、だから喋ってないとですね、
話として伝えるのに不都合が出てくるぞっていうのがあります。
僕は今そういうのを書き留めておきませんから、
記憶だけで行くんですよ。
それには訳があるんですけど、それは一旦置いといてですね。
脱線するとわかんなくなるので、
すでにわかんなくなりつつあるんですけれども、
つまり、そうなんですよ。
嫌なことというのは、でも僕らは戦争とかじゃなくて、
拝見するということです。
そして、でもつらいってなった時にですね、
この状態じゃないところに行けば、
これが分離の選択なんだけど、
この状態じゃないところに行けば、
こんな思いしなくて済むのになって思うことがあるじゃないですか。
転職なんかが一番いい例だと思います。
そして、この話で厄介なのは、
必ずしもそれが嘘ではないし、
それをしてはいけないという話ではないという部分は、
一応注意というか留意しておかないといけないと思うんですね。
場合によっては、転職した方がいいというケースはいっぱいあるわけですから。
ただ、転職してもしなくても、
一番最初に言った通りですね、この話の本題ですが、
転職してもしなくても私たちは幸せなんですよ。
つまりさっきの話は、だったら転職しなくていいじゃんということになるわけですけれども、
そう言えなくなった時に、この話は効くってことなんですよ。
そういうふうに言ってられなくなった時に、
私はイリュージョンを見ていると確信するのは無理なので、そうなった時はね。
私はイリュージョンを見ているのかもしれないって思うことが効くんですよ。
例えば、最近漫画をよく読んでるんで、いつも読んでますけどね。
モラオっていうのかな。モラルハラスメントオットっていうのを綴べてモラオ。
この人の言葉ってよくないなと思うんだけれども、
モラオと一緒にいるからこうだって思っている方は、
これね、留意しておくのは、そうかもしれないってことはあるってことですよ。
少なくとも一緒にいないほうがいいことはあるんだけど、
ただモラオと一緒にいるから不幸だという人は、
離れればすごく楽になるのに、多分幸せになるのにって考えるよりは、
私の感じでは楽になるのにって感じているように、
漫画を読んでても思うし、自分の体験としてもそういう感じなんですよね。
楽になるのに。
僕なんかだった場合ちょっと立場が逆になるんだけれども、
そんなに稼がなくて済むしなみたいな、
いじけた気持ちも出てくるんですよね。
そんなに稼げって言われても、そんなに稼がなくて済むしな、
言われてるわけじゃないんですよ。
ここは大事なポイントなんですよ。
言われてるような気がするんですよ。
それに準じることが言われることはありますけどね。
でもここは大事なポイントじゃないんですよね。
この状態から別の状態に移ると、
もっと幸せに。
もっと幸せにってあんまり思ったことないんですよね、僕はね。
もっと楽になれるのにって思ったことが何十万回あると思うんです。
数えたわけじゃないからね。
適当な数字を並べ立ててるだけで、
あれなんですよね。
アズマカガミみたいなもんで、
お前そんな兵力日本にいないだろっていう兵力が書いてある100万とかね。
でもまあ、多数思ったということですよね。
楽になれる。
環境と心理的ストレス
なんか不吉な言葉ではあるんだけどね。
この楽になれるというのは、
つまり、倉園さんが渋谷でずっと昔に繰り返し強調されていたことがあった、
最初の話に戻ってくるんですね、グッドバイブスで。
環境次第で自分の状態が変わるというふうに信じてはいけないとは彼は言わないんですが、
そういうことですよね。
つまり自分の幸不幸を決めるのは環境だっていうふうに考えてるわけじゃないですか。
その時の私は楽になるって言ってるんだから。
この状態、もらおうでもいいんですよ。
もらおうと一緒にいるこの状態は地獄で。
別れれば楽になるっていうのって、
自分の心理的、おおむね心理的なんですよね。
手が出てきた場合またちょっと違うんですよ。
とにかくでも心理的ストレスが絶大であってきついと。
で、これが全くなくなったらどんなにこの感覚がないと、
さっきのいつだってグッドバイブスなんだからやってもらえなくても同じでしょって話がさっきのじゃないんだけど出てくるんですよ。
そうも言ってられないですよね。
このもらおうがいるからつらいんだと。
つまりこの主張、2つの主張は衝突してなければおかしいんですよね。
どこに行ってもグッドバイブスで、どんな時でもグッドバイブスで、
私たちは幸せになるように生まれついていて平安そのものなんだからという話をずっとしている限り、
何をやってもいいわけじゃないですか。
なんである種のことを、例えば攻撃を封印するとか、正しさを手放すという、
場合によってはですね、納得できないものを無理やりやらなきゃならないような心理状態になってでもそれをやろうとしているかというと、
そうも言ってられなくなるからなわけですよ。
つまり明らかにどう考えてもこの状況はいけないと。
これがどれくらい明らかでどう考えてもなのかという話は何度も言うとおりあるんですよね。
アパラチアの進化に際していても、いやいや平安なんだからとか言ってる場合ではないんですよ、確かに。
ただこれが本当に厳しいと思っている夫婦喧嘩とかね、しかも手が出てきているわけではないと。
こういった時にあってもこの状態を続けていれば、例えば胃に穴が開くのか、この表現はあれですよね。
僕の小規模な生活の、うちの妻ってどうでしょうですね。
福道さんが繰り返しこう、でも繰り返してないのかもしれない。
僕の印象なんですけど彼は上手いところで上手いこと書くんですよね。
胃に穴が開くとかって言ってるわけですよ。
明らかに彼の胃に穴は開いてないです。
これは大事なことなんですよ、非常にね。
環境的な条件が僕らの幸福を決めるのかどうか。
すると確実にですね、一旦この話に乗っておいて、胃に穴が開くその状況を回避すれば、胃の穴も塞がり、私はとても気持ちよく過ごせるようになりました。
っていう話だとするとですね、この条件だけがいけないわけだから、
この条件以外の時は自分はすこぶる平安ですこぶる幸せだったし、今後もずっとそうであると言い切れないといけませんよね。
これがまず一点僕はすごくあると思うんですね。
福道さんの話で恐縮ですが、彼は漫画の中であの妻と結婚するまで不幸のどん底だったんですよ。
彼は私と全く同じようにモテなかったんで、今モテてるのか知りませんが、
彼女が欲しくて欲しくて仕方なくて、誰でもいいから結婚して欲しかったその奥さんが意外に小儀礼で彼向きだったんですよね。
すごく幸せになったっていうところまでものすごい長いんですよ、彼の話を。
それまではほんと暗くて、彼はよくゾンビ漫画を描くんですけど、
彼の漫画の印象っていうのは、それまでの印象っていうのはゾンビにずっと取り憑かれて、ゾンビに取り巻かれているように生きているという印象ですよ。
本人の顔もなんかゾンビみたいなんですよね、すっごく痩せてる。
あれだから幸せ太りなんじゃないかと今思うんですけど、それぐらい彼は幸せになったはずなんですよ。
で、この奥さんと言ったら忌み穴が開くって言っている彼もいるわけですよ。
つまり、いつも不幸かないしは、今は幸福なんだけど不幸な気がしているのかのどっちかだと思うんですね。
彼が奥さんと知り合うまではずっと幸福であったというならば、その現在の条件はすこぶる悪いんですよ。
忌み穴が開きそうな感じがしているわけだ。
でも彼の漫画はそうは全然描かれてないですね。
今の方が数段幸福だということになってるんですよ。
これはすごく大事なポイントだと思うんですよね。
やはり現在の条件を全部握手に戻して楽になったら幸せになるのであれば、
彼が見ている通りに現実の状態というものによって、彼は幸福というものを決定されるので、
現在は忌み穴が開きそうなほど不幸なんだから環境的条件が悪いということになるんだけれども、
彼は妻と知り合って、つまり妻と知り合ったためにそうなったんだから、妻と知り合わなかったときは平穏で穏やかで幸福だったと言うんであればですね、
今そのように解釈してもいいんだけれども、そうは解釈できないわけじゃないですか。
その前はものすごく彼は不幸だったからね。
彼によればですよ。彼によればというところがやっぱり大事ですよね。
他の人が見てどうかというのはまた別なんで、本人はそう感じていた。つまりずっと不幸だったわけですよ。
つまりその幸福を決定する条件に少なくとも妻がいるかいないかはあんまり関係ないってことになっちゃうんですよ。
イリュージョンを見ていると自覚する
あの人の本読んでるとそうは全然読めないんだけど、でもそういうことになってしまうんですよ。
で、私は昨日再三、再再再認識したくらいの話なんだけれども、
つまり彼が今どうして胃に穴が空きそうになるかというと、それはイリュージョンを見てるからなんですね。
もっとも彼の妻は手を出してきますからね。私の状況よりはシビアだなと思うんですよね。
彼も手を出すんですけどね。そこが私の状況とはまた違うんだけど。
でも胃に穴が空きそうになるのはおそらく彼がイリュージョンを見てるからなんですよ。
そして彼はすごくイリュージョンを見そうなタイプですよね。知りませんけど。漫画の中ではね。
この人、どこに行ってもこの種のイリュージョンを見るだろうなっていうのは、あの漫画を見ていればよくよくみんなわかるんですよ。
これが僕らの姿だと思うんですね。
だから最初の話は実は無情はしなくて、僕らはどこに行ってもグッドバイをして平安そのものなんだけど、
僕らがこの全て持っていて価不足なくて、愛そのもので一問マックスだとしても、それを損なうことが可能だという、この点がものすごく大事だと思いますね。
僕らは何一つ持たずにいるっていうことはなくても、でもつまり幸福そのものであろうとなかろうと関係なく、そのシチュエーションにも全然左右されず、
あれほど彼女と奥さんと恋人が欲しかった人がその全部を手に入れてもなお不幸であることができると。
これを選択できるっていうのがつまりイリュージョンを見られるってこととイコールなんだと思うんですよ。
イリュージョンを見ることで選択の余地が増える
だからイリュージョンを見ている限り、どこにいるとか何をしているとか誰がいてくれるとかいてくれないという感じは関係ないんですよ。
最初に途中何度も言った通り留意事項はあります。
表情がね、うん善不厳だけが今噴火中ですという時にこれをやってちゃダメですが、この2つは僕は分けられると思うんですよね、簡単に。
すでに今の話からしても簡単に分けられると思うんですよ。
この段階でいやいや平安だからと言ってられるのは特殊な僧侶とかだけに限られる、普通は逃げるんですよね。
普通は逃げるかどうかが人によって結構ばらける、あるいは胃に穴が空きそうな本人ですら結局逃げないような条件であれば、
これは環境を改善するべきなのか、イリュージョンを振り払うべきなのか、検討する余地があると。
そしてこの結論はもう最初から決まってて、イリュージョンをまず振り払うべきなんですよ。
なぜならそれはイリュージョンをまず見てるから。
もし現実を改善するというならばその後なんですよね。
逆をやってはいけないということ、逆を目論んじゃダメだということですよ。
イリュージョンを見たまんま離婚しても多分幸せにはなれないんですよ。
なぜならば結局イリュージョンを見てるからですね。
VRでいいと思います。
VRをつけてその人は忌み穴が起きそうになっていると。
まずVRを外してから、VRゴーグルを外してから、
実際に本当にひどいことを目の前で行われているのかどうかを検討しましょうと。
そういうことですね。
VRを外さないままこの場を逃げればですね、
そのもらうなり、最愛の妻なりからは逃げることができるかもしれないけれども、
だから一瞬何かが収まったような感じがするかもしれない、線が。
極めて早い段階で前と全く同じに穴が開く心理状態はまた形を変えてでしょうけれども、
訪れると。
なぜならVRをしているからですよという話を昨日されていたというふうに私はずっと聞いていたわけです。
だから僕にとってはまず何よりも真っ先にこのイリュージョンだと。
ただしこれは今更ですよ本当に。
ずっとこの話を聞いて、ずっとこの話をしているような気すらします。
で、必ずここで問いとして、
まあ多分私なんかも昔もそうだしたし、
この状況ではですね、本当なのかそれはという問い。
つまりこれは何を意味しているかというと、
そのVRゴーグルを外す方法があるなら教えてくれっていう話ですよ。
これは私自身が常に成功しているとは言えないから、
簡単にできるとは言えないんですが、
簡単にできるはずなんですけどね。
もちろんグラドノさんはいろんなそこにお話をしてくださるし、
いろんな提案をしてくださっているわけですね。
私は私のですよ。
私がやっぱり一番確実にできるようになっている、
人によってこれはどのやり方なのか、
人によってまた時によって状況によって変わってくると思う。
僕にとってこれまで統計的にに近い、
経験的に言うと一番これが確実に僕ができるのは、
まあ今みたいに過去の自分とそれから将来の自分を
簡単に思い描くと言うんでもいいんですけど、
どうせイリュージョンの手によってですね、
ここを逃れるとすごい素晴らしい世界が待ってるぞっていう、
これが話なんですよ。
一番でも最初にまず考えるのは、
イリュージョンを疑うということですね。
VRゴーグルをつけているんじゃないかと思うってことです。
外す理由を考える
これが思えるか思えないかは大きいです。
もらおうっていう言葉が途中、
僕はあんまりいい言葉ではないと言ったのはですね、
クラソンさんならもう少しシリアスにおっしゃるところですが、
僕はあんまりいい言葉じゃないと思うぐらいなんだけれども、
なぜかというとそれを現実だと言ってるからですよね。
現実にこの人はもらおうだって言ってるのは、
もらおうのように見えているゴーグルのせいだというのとは
全く違うじゃないですか。
ここで当然ですがもらおうだと言ってる人は、
この言われように対して腹は立つし納得はいかないし、
不正義の極みだと思うのも最もなんですよ。
当然ですよね。
もらおうがもらおうじゃないって言ってるってことは、
もはや裁判沙汰に近いんで。
ただですね、そこにもらおうがいるということであれば、
さっきの話に舞い戻るしかないわけです。
環境を変える。
そうした時に考えなければいけないのは、
環境さえ変えれば幸せになれるのにだと、
もう完全に空想の世界なので、
それが本当かどうなのかを検証する方法は全くないことになりますよね。
それよりはですね、
この人と出会う、このひどい人と出会う前は、
私は幸せの絶頂で満ち足りた生活を送っていて、
何の過不足もなかったのかというのを追うべきだと思うんですよね。
ここをどっちにしてもですね、
その過去も歪められる可能性は大いにあるんで、
これやっても無駄な可能性はありますが、
私はこれでかなりのところまでいけるんですよ。
全然幸せだったわけじゃないな結婚前はと。
これ一個でこと足りるんですよね。
で、可能性なんですよあくまで。
外してみてもらおうだったら、
その時また裁判沙汰にするなり離婚するなりを検討すればいいじゃないですか。
外すっていう観点を持てるかどうかがこの場合は一番大事です。
目の前にいる人がそう見せられているのか、
その通りなのかは違うということですね。
で、このゴーグルを外すのが難しいという一番の原因は、
外したくないからなんですけどね、実はね。
なんで外したくないのかという話を私はやっぱり考えるんです。
なんで外したくないのか。
これ昨日クラノさんのファクトリーのセッションでも出た話なんですけど、
いや外せというのが結論であるんだから、
なんで外せないのかとか云々を考えるという必要は本当はないんだと。
これも最もなんだけど、
外してしまえばいい
僕の場合はね、
僕の場合は外す理由というものを考える方が、
より確実に外せるタイプなんですね。
とにかく外してしまえばいいっていうのは最もなんですよ。
その方が早いですし、
余計な理屈をこねるよりもいいと思います。
いいと思うんだけど、
私は多分あまりにも理屈っぽいところがあるので、
特にこれを外すとなってくるとですね、
つまり私はモラオだと言っているんだからモラオなんですっていう人の気持ちは、
実はよくわかるということなんですよ。
わかりたくないからこの話と抵抗するんだけれども、
わかりたくないというのは、
それによって私はいい目を見ませんからということです。
いい目を見るんだったらそれでいいんですよ。
この奥さん本当にひどいのか、
ひどいと見せかけられているだけなのかという問いは、
私にとっては重大なんです。
なぜならば、
私はおそらくですね、
奥さんと結婚する前は全然幸福じゃなかったし、
ここからどこかへ行っても、
でもおそらく一時的に楽にはなると思う。
だいたいそれは想像がつくんですよ。
そういうようなことをしてきたから。
でもその後もずっと平安でグッドバイブスでいられるかというと、
全然自信がないんですよね、これがまた。
なんでか。
私はイリュージョンを見ているからなんですよと考える方が、
そうじゃない考え方をするということは、
私はずっと不幸だった可能性があり、
今後もずっと不幸である可能性がある理由は、
現実に私にはろくでもないことが、
何かね、いわゆるこう、
ここでオカルトになってしまうんですよね。
脅迫症とオカルトの話は散々してきたんで、
ここはすっ飛ばしますが、
不幸の星に生まれてきたからとかね。
私はこの種のことは信じませんけれども、
よくこの種の言葉が、
不幸の要因と納得の問題
なぜか来伐界隈でよく聞かれるというのは、
よくよくよく注意しておくべきだと僕は思います。
今は本当にこの種のことは、
私は常に検討するようにしています。
これも私の仕事柄ですよ。
別にこんなこと検討する必要はないです。
脅迫症とオカルトはとても相性がいいというのは、
覚えておいて損のない知識じゃないかなと思っています。
いずれにしても、
そういう方ってよくいらっしゃるじゃないですか。
行く先行く先で私はパワハラの上司、
セクハラの上司、変な同僚に付きまとわれるんです。
そういうタイプの人間なんですと、
さらっと言って抜けられるかな。
そういう方が時間厳守とか、
生理整頓とかにものすごい固執心であるということは、
全然不思議なことではないということですよ。
私に関して言うとですね、
福岡の星に生まれたとか、
他にどんな表現があるかな、
この種の表現ってよくありますよね。
つくづく好きがない人間だとか、
同じことですよね、これじゃね。
そういうことですよね。
信田君のほうがよくドラえもんに言われているセリフですよ。
私はところが、
実は自分のことをそう思っていないので、
その種の話で納得することは決してないんですね。
私はかなりラッキーな人間だと、
深底を信じているところがあるんですよ。
だから不幸になるのが当然だという話には、
全然納得するほうではないんですね。
昔不幸でした、今後も不幸になります、その通りです、
長寿がと子育ての問題
というふうに納得できるタイプではないんですよ。
なので、この条件だけが悪い、
だから条件を変えれば良くなるという話が
本当だとするにはですね、
今までも知り合う前からずっと幸福だったという必要があるんですよ。
知り合うことによって不幸になったぐらいでないと、
現実が私の状態を決定する論というのは、
私の中では成立しない。
今までずっと幸福だった、今だけ不幸であると言うならば、
それでいいんです。
福道さんのこととかも、
私の頭には当然よぎりますわね、
こういう話を考えるときは。
彼はどう考えても今のほうが幸福だなと。
僕が見ればですよ。
彼が見れば違うのかもしれない。
でも僕が見ればそういうふうにしか見えない。
だから彼は多分離婚しないだろうなと。
彼は心の底ではそのことをよく知ってますからね、多分。
ということは、
あ、ということはですね、
彼は嫌じゃないってことなんですよ。
ということは胃に穴が開くってのは何かというと、
イリュージョンが彼の胃に穴を開けようとしている。
これが怖いと私は言ったやつですね。
国産画じゃないんですよ。
何度も言いますが、
いやいや、モラオに関してそれは納得ができないっていうのは、
その通りだと思います。
だから、ゴーグルをつけているせいなのかどうなのかは、
見極める必要があるとむしろ思うんですね。
で、なんでゴーグルを外したくないのかと。
長くなってきたなぁ。
なんでゴーグルを外したくないのか。
これも昨日違う言い回しで全く同じ話をされてたんですけど、
僕に関してはなぜゴーグルを外したくないのかは、
長寿がというものがですね、
昨日ガーディガンっていう言葉で守護神なのかな、
守護神は変だな。
守護者ですね。
なんでもいいです。
親大将と私は言うこともありますが、
長寿がです。
が、私の感覚の中では理想的な存在だからなんですね。
この話をどこかでやっぱりしないとなと。
ノートでじわりは書いていて、誤解されがちなポイントなんですが、
長寿がというのは、うちうるさすぎる親とか、
過干渉な親っていう意味では必ずしもありません。
虐待する親とか独行家とかではとんでもありません。
そういうケースはありますよ。
だから厄介なんだけど。
私に関してそれは全く成り立ちません。
私はそうは感じていない。
じゃああなたの親は理想通りだったのかというと、
そんなこともありません。
私の親は至ってありきたりな親でした。
少なくとも母は。
で、この長寿がは私にとって、
そもそも人は長寿がを親のコピーにするわけではありません。
親と全く逆にする可能性もあります。
例えば親がとても口うるさくて私はとても嫌だった。
だから子育てというのは子供をのびのびさせるべきなんだという長寿がを持っている人がいっぱいいらっしゃいます。
こういう長寿がを持っていてもやっぱり長寿がは同じ問題を引き起こすんですよ。
長寿がという存在の謎
子供はのびのびと探しさせるべきなんだと。
宿題もせず1日12時間スマホゲームばっかりやっていて目もしょぼしょぼして頭も痛いと言ってます。
いい加減にしなさいと言っちゃうか言っちゃったという時、
あれのびのびはのびのびさせるんじゃないのって長寿がが言ってきたらどうするのか。
長寿がが常に口うるさい親だとか自分の絵のコピーだと限らないんですよ。
逆転させたり反転させたり他の言い分とくっつけたりして自分の理想というものを脳内でインストールした時の存在が長寿が。
原理的な最初の部分はそうじゃないかもしれないけど明らかにそういう風になっていくものなんです。
つまり長寿がというのはその人にとって絵もよく見えているものなんですよ。
だから私はこの点をすごく強調したいのはですね、だから気がつかないと言いたいわけです。
私がまさかですね、親の言いなりになっていると極めてこれは間接的な意味なんですよ。
ずっとこのことが言いたいんです。
私が学生時代にモテなくて彼女が欲しかったと散々言ってるのもこのことと、このことを言ってるんです。
つまり彼女とは長寿がなんですよ。
これが私が繰り返し繰り返し言ってることなんですよ。
彼女とは長寿がなんです。
私の母親がうんと若かった時の母親をさらに理想化してもはや私の母親であることをみじんも感じることができないレベルまで若くして、
そして綺麗にして、優しくして、私にとって理想的な存在とはこういう存在であるという風にしてしまった私の母親が長寿がなんですよ。
これが言うんですから正しいに決まってるじゃないですか。
わかります?わかりますよね。
わかっていただけると思うんですが、私にとってこれほど妥当な考え方はない。
あれですよ。昔々私は中学受験なんかをしましたから、日本国憲法の3つの要素ってのを習ったわけですよ。
基本的人権の尊重、主権財、自由主義だったと。
疑わないでしょ。
僕これが怖いと思うんですよ。
疑う余地は全くないよね。これは正しいよね。
正しいという言葉を当てる必要すらないよね。
ぜひこう考えてほしいんですけど、戦前の日本人はこうじゃないことをこれと全く同じぐらいの感情で正しいと思ってたはずなんですよ。
長寿がによるストレス
第二次大戦中のドイツ人とかね。
これとは全く違う考え方だけど、これと全く同じぐらいの情緒を持って、絶対これに疑う余地はどこにもないぐらいに思ってたはずなんですよ。
そしてそういう存在なんですよ、私にとっての長寿がというのは。
母親となんかは、実在する母親なんかとは全く似ても似つかないと思ってるから、まさかこれが母親対象だなんて思わないわけですよね。
だから疑う余地はなくなってしまうんですよ。
目の前のこのモラオは酷いことをする。酷い男だ。
だってこんなに正しい私の優しくて理想的な人が私の心の中にあって、この人は酷いよって言ってるんだから、疑いようがないんですよね。
あなたはこんなところにいるからダメなんだと。
違うところに行けば、私のような人と知り合って幸せになりましょうって言われれば、そうなろうとしますよね。
独特ですよ、これは。
誘惑っていうのはこういうことを言うんじゃないかなと思います。
しかもこの長寿がイリュージョンを作り出してくるわけですよ。
そのイリュージョンは他の人から見るとバカみたいでしょうけれども、私から見ればもう本当に天国ですよね。
このような天国があるのに、ここでグッドバイフスが言う攻撃を封印するとか、やってられないよねって思うから、
いつでもどこでもグッドバイフスです。
あなたは愛そのものです。勝ちMAXですとかいう話が、なんかどうでもいいことのようになってしまうんですよ。
このイリュージョンが強烈だっていうことです。
人によって全然違いますからね。
今言ったのは私の長寿がですから、人によってはもっと男らしいとかかっこいいとかが大事だっていうこともあるでしょう。
私の場合はやたら優しいピアノの先生みたいな女の先生みたいな、そういう感じになっているのは、
ちなみにメガネはかけていません。
ただ、私の長寿側も私と一体化が進行しすぎていて、はっきり言えば顔が見えません。
死体姿もなく、性別は女性っぽいなっていう。
これ故に母親対象だなということは分かるんですけども、正直性別も曖昧です。
中性的と言うんですかね。
本当に長寿がという言葉が私には非常にしっくりくるので、ガーディアンという話にはしてないというか、話にはしてない、言葉を使ってないというべきかな。
でもこれは目的は、私を教導するというのかな。
教え、導くみたいな。あるいは前導するみたいな。
よく導く、しかも私を幸福にするために、初期の目的がそうであったのは確かなんでね。
ので、ますますいざとなったら逆らいが大事。
いざとなんだけど、そもそもこの存在がいても困ることないですよね、別にね。
いざとなので、例えば私がお風呂に入っていて、いや、くつろいでるわって時にこの存在がいて、
イリュージョンの魅力
イリュージョンを見せてもなんてことはないですよ、はっきり言って。
困るのは、例の妄想分裂ポジションですよね。
ここにいたら不幸になるんじゃないかと。
そして私が自分のストレスの原因を外に外にと見るように見るように、これを投影と言うんだけれども、
した時にこの存在が厄介ですよね。
まずそのストレスを作っているのは間違いなくこの存在なんで。
しかもそのストレスを真っ白にリレイズしてくれる、消去しきってくれる。
スプリットオフしてくれる、そういうイリュージョンを都合よくストーリー仕立てにして、
私に提示してまでくれるわけですよ。
これだけのお金を使ってこういうところに住んで、
昔私が家出ようと思った時に見たイリュージョンですね。
完全には再現できないけど、実によくできている。
非常にお笑い草なんだけどね。
でも僕にとってはすごくよくできている。
こういう街に住んで、こうすればいいんじゃないっていう、
そういう言い方もしませんよ。実に上手いんですよ、それが。
僕好みになってますからね。
僕好みに本当になっているのか分からない。
イリュージョンの味わい方
そういうイリュージョンとそういう長寿画のセットが僕の好みを決めたんだと。
その方が正確ですね。
だからある意味では1から10まで絡め取られているような感じがするところがあるわけですね。
だから外したくないんですよ、このゴーグルは。
そう思っても不思議はないじゃないですか。
これをずっと小大事にやってたためにあれほど嫌な目にあったという記憶がなければですね、
なかなかこれを私なんかでは拒否したりするという決断は難しい。
先日だから絶縁するとか書いたのは、こういうある種の決意だ、覚悟だみたいなものがないと。
これと絶縁するって本当にとんでもないことのような気がするんですよ。
しかも対地してあるこのイリュージョンがある関係上、逆にどんなものがあるのか。
例えばですよ、これ。
まずホームレスになります。
この長寿画の言う通りにすると社会的にうまくいくという方向を向いているからホームレスになる。
私の場合はこれはホームレスになる。
死ぬっていうイメージはないんですよね、ホームレスになる。
そしてホームレスになって、ここから先は先日も言った通り、聞くと嫌な思いをするという方が多くいらっしゃるので、
ホームレスになるとですね、虫こなわずとか使えなくなるわけですよ。
そういう世界、私もだからそういうのが嫌になったんだろうなと。
これもスプリットオフの結果だと思ってるんですよ。
嫌なものだというものをそこに投影させ続けた結果、
この長寿画の反対、この長寿画はいかにもそういうものと縁のなさそうな生活をしてそうな存在なので、
そういう存在と対地されるところにろくでもないものが集約されている。
これがもう一つの怖さですよね。
前を作り出した関係上、反対側が出来上がり、
その反対側の世界に叩き込まれた時、自分どんな目に遭ってしまうんだということですよね。
僕はでもそれ、あずまひでおさんの失踪日記とかを色々読んでいて、
結局イリュージョンなんだとつくづく思うんですよね。
だってあの漫画をなぜ私が楽しくという事はないけれど、
夢中になって結構読んだかと、まだ読んでますから。
それは全然私が想像するような世界とは、彼が経験しているホームレス生活は全く違うものだから、
全く違うからこそ、読んでて面白いわけですよ。
つまり、私が描いているようなんかにはならない、
外すことの難しさ
もちろん彼が描いているように私が生きるってことにはならないだろうけれども、
やっぱり私が思い描いているようになんかならないんですよね。
僕はだから、四六時中イリュージョンの中である意味生きているようなものであって、
だからこう振り返し外そう、外そうってしている。
で、外せばですね、やっぱりそこは平穏そのものなんですよ。
不思議なんですけどね、これも。
そんなことはありえないって言われるかもしれないと思うので、
外した先に何があるかは知りません。
私が外すと平穏があるっていうだけです。
皆さんの外した先に何があるかは知りませんが、
外してみないことによってそれを見ることはやっぱりできないということですね。
そして一つだけヒントになるのは、私が思うに、
未来がこうなるだろうの中には何のヒントもない。
それは多分全部イリュージョンでできてますから、
過去どうであったかは多少のヒントにはなると思うんですね。
極力ゴーグルを外してみた場合、
過去、今の不幸を作り出している現況というものと切り離されていた過去がおそらくあったでしょう。
福道さんにとっての奥さんがいなかった時代があったわけですよ。
だって多分今知り合った人って生まれすぐ知り合ったわけじゃないと思うんですよね。
この目の前にある現況と切れていた過去において、
自分は価値マックスで欠けているところの一辺もないほど幸せだったかどうかという問いは立てる価値があると思います。
53:41

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