1. 働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト
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2024-03-06 53:24

「夫の扶養から脱げ出す」脱出ゲーム【GMV 947】

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ナルシシズムから抜け出したい。
00:04
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
3月6日、火曜日、朝7時34分です。
風が強い、もう本当に荒れた天気でどんよりとしていて、気がめりそうなってやつです。
はい、あのー、ようやく、完全に、なんていうんですかね、
あのー、パターンが戻ってきたってやつですが、
昨日ですね、うっかり上げそびれてましたね。すみません、夜になってましたね。
撮ったのはこの時間に近いのに、上げたのはもう夜の9時ぐらいだったような気がします。
いやもう、うっかりしていて、あれ、ないじゃん、上がってないじゃんと思って、びっくりしてしまいました。
はい、失礼しました。
あのー、おかげさまで、依然として、まあまあ、3桁の順位を先送りゼロですね。
ジェームス・ザキさんとの強調はキープしておりまして、
まあ、校長によく絶対の絶をつけるじゃないですか、絶校長ってやつですが、
ああいう言い方に習うとですね、準校長って感じですね。
あのー、準優勝の準、校長に準ずるみたいな感じですね。
あのー、まあこの状態でもいいからとにかくキープしてはいきたいけど、
昨日も申し上げた通り、その方法はよくわかっていない私ですが、
えーと、皆様よろしくお願いします。
まあなんかね、頑張ってこういろいろ手は打っていきたいと思っておりますので、
引き続き何かありましたら、こちら私に何かお寄せいただきたりすると嬉しいです。
はい、あのー、合わせてですね、買って読んで感想などいただけるとですね、
まあこれはもう売上と関わらず、書者というのは感想をもらって基本、
まあよほどものすごく徹底的に批判されれば嫌かもしれないけど、
原則僕は嫌なことは何もないなって思うんですよね。
時々このポッドキャストにも密かに登場している、
私のあの日本でのね、大学時代の指導教官が本をくれるんですよ。
なんか先生って本配るじゃないですか。
僕それに全部いちいち、まあ趣味だったんで、長い感想を出してたんですね。
また迷惑な行為な感じもしてたんだけど、めちゃくちゃ喜ばれるんですよ。
で、よくね言われていて、そうなんだって思った、不思議なのが、
感想をくれるのは君だけだからねって言われて、えーって思うんですよね。
だってあの先生はお弟子さんいっぱいいらっしゃったんで、
まあいっぱいはいないのかもしれないけど、僕の目から見れば結構ね、
他の教授を、他の教え子を教授にしてみたり、すごいわけですよ。
偉い人なんですよ。で、僕はただの、ただの大学生だから、
まあ面白ければ感想ぐらい送るんだけど、
03:02
というような風には人はしないものなんだっていうのを、
君以外に感想をくれた人は誰もいないっていうのを何回か聞いて、
これって別に褒めてるとも言い難いじゃないですか。
ある意味ただの事実って感じがしたんで、面白いなと思ったもんです。
今思いますと、いろいろね、私は別にそのように思ったことはないんですけど、
私に物書き機質があるとすると、こういうところなんだろうなって思います。
どういうところなんだよって言われるかもしれませんが、
なんかこう、著者の波長がありやすいというところはあるんだと思うんですよね。
どういう風に、どういう意図を持ってるのかみたいなのが、
伝えたくなるぐらいな、要するに先生の意図はよくわかります、
みたいなことを言いたくなるっていう感じがするんですよね。
ごく自然と。だから、すごいこう、
友達とかは男子の友達とか、比較的めちゃくちゃ真面目な大学だったんですけど、
女子の友達にまで、スタッフ君ってずいぶん真面目なんだね、
みたいなことを言われるとかとか、何しろ、ほら、
彼女欲しくて大学行ったような人間なんで、これは実話なんでね。
ものすごくいい加減な、ものすごくいい加減なんだけど、僕は。
ものすごくいい加減に思われていたから、僕のやってることがすごくこうですね、
僕の中ではごく普通に整合性が取れてるねと、
ものすごくアンバランスなことをやってるように多分見えたんだと思うんですよね。
でも僕の中では、彼女作りに大学来たのは当然だし、
先生に本くれたのを読んで面白ければ、感想をメールで出しちゃうのも当然なんですよ、僕からすると。
それはほとんど同じ次元の話に近いんだけど、
人から見るとものすごく違ったものに見えるんだろうなっていうのを、
あの時期にちょっと思いましたね。
そして、人はこういうのを基本は読みもしなければコメントも出さないというものなんだ、というのを知ったんですよ。
それで今思うとですね、
ものを書くとそういう気に確かになるなっていう、
そして想像以上に感想というものはもらえないものなんだっていうのも、
分かりますね。よく分かる気がします。
だからまあ大体想像はついたんですよね。
それは僕のもの書き知識と非常に深い関係がある気が今はします。
別に何にも考えてたわけじゃないんですけどね。
当時はもの書きになろうとすらさほど思ってはいなかったんですよ。
というか何かになろうという気は、大学時代には非常にそれも軟気な話かもしれませんが、
さらさらなかったですね。さらさらなかった気がします。
まずとにかくここで彼女作んなきゃみたいな、それしか頭になかったんでね、本当に。
しかもそれは大学時代にできなかったときてますからね。
どんだけなんだよって感じもしますけど、まあまあ。
06:01
よしとして、何の話をしてたんだ。
だから何でもいいので起こしていただけるとありがたいです、ということですね。
そして先送りゼロよろしくお願いします。
Jさんとかに感想を送ると、めちゃくちゃ厳しく批判するとかでない限りはきっと喜ばれると思いますね。
昨日ですね、2人の方にちょっとデタラメなことを不意地をして申し訳なかったというのを、
この場を借りてお伝えしておこうと思うんだけど、
昨日ですね、久しぶりに夫の扶養から抜け出したいというコミックエッセンを紹介したんですね。
で、その中でこの主人公の女の人は、女の子みたいに描かれてる女の人なんですけど、奥さんなんですけどね。
夫が無神経で、この漫画の中では個人の尊厳を踏みにじる発言をするから、離婚するべく資金を貯めていくというお話なわけですよ。
で、その大元には、もちろんこの話は今どきの、今ちょっと昔のかな、
夫が稼いでるために自分が自由な時間が取れずに、
夫のいいようにされるということに対する不満を何とかするべく奮闘する、奮闘期なわけですね。
非常にジェンダー的な話や経済的な話や、ややシングルマザー的な話を、そして結婚生活みたいなものを、いろんなところにテーマがあるんです。
でも私はそのいずれもテーマにももう一つ興味を持てないという形で、精神分析的にこれを読むという話を今日したいわけなんですけれども、
その話を昨日、たまたま思い出してお伝えしたんだけど、この話の中でこの女の人はですね、お父さんがやっぱり大坊なんですね。
これはもう分かりきったような話だなと思うんだけど、昭和のお父さんで、うちの父に比べるとはるかに大坊度が高いんで、
昭和のお父さん一口に言うのも結構ざっくりしすぎているわけなんですが、とにかく目を出したりするわけですよ。
そしてこのお父さんというのが、要するに女は一人じゃ生きていけないとかっていうお父さんで、
この長寿が入ってくるわけねって感じがするんだけれども、その話は今お祝いするとして、
このお父さんが謝るという、謝るって話をしてしまったんですけど、謝ってないんですね、このお父さん、この作品の中では。
私がこの似たような話で、お父さんが謝るのは全然別のコミックで読んだのが混ざってるんですよ、というのをお伝えしてごめんなさいという話でした。
でもこの話は大事なんですけどね、お父さん謝らないというのも、謝るんだとしても謝らないんだとしても、同じようにすごく大事なんですけれども、
09:07
僕はこれをやっぱりですね、分析的にしか読めないわけですね、今は。
そしてその分析的な読みというのも果たして精神分析の人に寄せては正しいのかどうかも分かりません。
エビデンスも全くございません。
この話はね、私のヨタ話だからねっていうのをいつも断っておりますが、だから大事なんですよ。
僕はヨタ話以外はつまんないと今は思ってるし、もともとそう思ってるような人間なんですけれどもね、
思えばですよ、僕だって大学時代のセミナーはDHロレンスですからね、やつはヨタ話の天才じゃないですか。
あれを僕は大学時代にわざわざゼミで2年かけて学んだというか、それしか読まないような世界に生きていたというのが、
いかに僕が実用、あるいは実用系の世界に向かない人間かという。
大学の3年と4年はもうDHロレンスの小説しか読んでないようなところがありましたから、
まあドステフスキー読んでたか、やつもヨタ話の天才みたいな人ですからね。
だからまだトルスと言ってるならまだわからんではないんだけど、まあでも似たようなもんですね。
とにかく、実用性とかいう本ではないわけですよ、僕が読んでるのっていうのはね、昔からまあそうです。
でもライフハックとかで生きてるわけですよね、それが人生なんだと思うんですが、
まあちょっとそれてるんで戻しますが、この夫の不要から抜け出したいというコミックエッセイは、
さっき奮闘期と言いましたけど、奮闘ってのはそもそも何だろうって思うんですよね。
奮闘ってのは、僕はですよ、僕が思うに、なんていうのかな、無我夢中なんですよね。
無我夢中って言葉って今口にして思ったんですけど、思ったというか、私がないわけですよ。
だって無我ですから。そして夢の中なんですよ。
もうなんかもう無我夢中って言葉が精神分析じゃないですか。
これを言うのはさすがにちょっと今飛躍があったなと喋って思ったんですけど、
でも無我夢中ってすごい言葉ですよね。
イリュージョンの中にいて私を失うわけですよ。失うというかないわけですね。
昨日自分がない話をしたばっかりですけれども、自分がない夢の中ですよ。
これがやっぱり僕は奮闘期というものをよく示してるんじゃないかなとつくづく思うわけですね。
一見めちゃくちゃ現実的なことをやっています。
主人公はコミックエッセイですけども、201万円を貯めるわけですね。
201万円を貯めるというのはもう数字が象徴的だし、数字は象徴しかしてないですよね。
なんか実用性のある数字というより201万円というのはまさに不要を抜け出すための数字そのものなわけですよ。
12:02
もうね、税金は取られるわ。不要控除は受けられないわ。
それが欲しかったっていう話なんですよ。
で、この夫のツトムさんというのかな?知らんけど、後で調べてくださいね。
この夫は要するに、誰のおかげで食えてると思ってるんだろうというのをうちに悶々と貯めていて、怒りまくってるわけですよ。
すごく家の中は家事も完璧にできないので、完璧って言葉が出るわけですね。
と言ってこの奥さんを責める。
家事も完璧にできないのって言うんですけども、この完璧って言葉がやっぱりですね、この方も夢の中にいらっしゃる。
つまり完璧な家事ってものがその人の心の中にあるわけですよね。
そして、完璧な家事というものの世界の中に生きていたい。
だから自分は、奥さんは家事に熱中、自分は仕事に熱中っていうわけなんだけど、
ここでね、またすごい偶然だと僕は思うんですけど、船の例えが出てくるんですよね。
僕は船の家族というのは例えるなら一つの船で独特の例えだなと思ったんですけど、
その中で僕はこうナンパしないように全力を尽くしているんだっていう表現が出るんですよ。
尾形海人さんが書いてましたよね。
小舟の時代に入ってるんだって我々はね。
昔は大舟だったわけですよ。
大蔵省を中心とするお宗船団みたいな言い方したじゃないですか。
日本は全体的に一体となっていて、
国が会社を守り、その会社が個人を守るみたいなそういう形で、
国一丸となって資本主義社会に乗り込んでいくみたいなそういうイメージ。
だから船でかいわけですよね。
大舟に乗ってるわけですね。
だけど今や小舟の時代なんで、そんな大舟はどこにもないわけですよね。
失敗するとナンパするというわけだから、
一生懸命頑張らなきゃいけないんだと言っているそのご主人は要するに危機感でいっぱいなわけですね。
これ尾形さんが今は小舟の時代になってしまったからみんな余裕がないんだという話をしていて、
こういうところに不意に余裕が一致しているっていうぐらい、
頭の中身が一致していくのが面白いなと思ったんですよね。
これ多分僕は尾形さんの方が出たのもずっと後だし、
尾形さんがこのコミックを読んだ可能性はないわけでは決してないんだけども、
だから小舟の例えを出したというには無理があるなっていう。
やっぱこういうふうにいろんなところで人の連想が近いところに来るっていうのが、
小舟の時代の層っていうんですかね。
そういうものを生むんだなって思ったんですね。
15:03
その危機感でいっぱいの夫はつまり会社で奮闘しているわけですね。
この会社での夫の振る舞いをこのコミックの中には出てくるんですよね。
これは私は珍しいなと思うんですよ。
コミックエッセイってやっぱり一人称視点ですよね。
要するに奥さんである私の視点で見えるところを書くから、
ご主人が会社でどうなっているのかなんて見えないわけじゃないですか。
話は聞くことはできてもですね。
ここを想像で書いたんだろうけど、急に神様視点になるわけですよ。
小説でいうとこの詩小説が不意に神の視点が入ってくるわけですね。
私はこれ珍しいなと思って、ちょっと構成に無理があるかなとは思うんだけれども、
面白いなとは思いました。
やっぱり夫は酷い目にあっているわけですよ、会社で。
つまりこの構造っていうのは全体的にですね、
世の中というのは荒波で、この酷い状態の中で個人が奮闘しなければならない奮闘機なんです。
だから完全にご主人も、ここが大事なんですよね。
このご主人も無我夢中なんですよ。
私を無くして夢の中なんですね。
このコミック全体が僕はそういう印象を強く受けるんだけれども、
なんていうんですかね。
あれです。
真的現実の世界なんですよ。
そして荒波なわけですね。
荒波なんだけど、荒波だからこそでしょうね。
自分たちというものが小さく、その弱々しい一見したところよりも、
多分実体よりも遥かにですね、小さく弱々しく見えているように描かれていると。
これは私はリアルだとは思わないですよね。
リアリティがあるじゃんって思われるかもしれませんが、僕にはそうは思わない。
意味づけでいっぱいだっていう。
これは別に悪い意味で言ってるわけでは全然ないです。
僕らはああいうふうに世界を見るんです。
まさに。
世界には意味しかないっていう時すらあります。
それって意味しかないですもんね。
意味だけでできてます。
現実はそこにはないわけだから。
僕らは意味を見てある意味生きてるわけですよね。
漫画ってそうじゃないですか。
漫画って全コマ意味ですよね。
わざわざ描いてるわけだから。
リアルに見えるように描きますが、リアルではないですよね。
漫画に描かれているものはすべてどれほど実話に基づこうと。
架空の世界であることは間違いないです。
基本、実話に基づきましたっていうのは記憶を描いてるわけだから。
記憶っていうのは現実ではないですよね。
僕らは記憶を参照して生きてるから、
記憶そのものが現実と取り違えることはしょっちゅうですけれども、
でも記憶が現実でないことは確実ですよね。
だって記憶はその人の脳内にしかない。
要するにクオリアですよね。
で、この不要から抜け出したいというタイトルもバッチリで、
18:04
201万円という象徴的な数字に向かう奮闘機なわけですけれども、
これはですね、僕は必ず正気に近い人間であるならば、
すでにこの状態はある意味狂気に向かっていると思うんですよ。
悪い意味で言ってるんじゃないですよ。
悪い意味にしか聞こえないかもしれませんけれども、
人はそういうふうになることあるんですよ。
復讐心に燃えることってあるじゃないですか。
どんな復讐心に燃えたストーリーであっても、
それは非常に狂気に向かっている感じってあるんですけれども、
聖書でも言うじゃないですか。
復讐するのはお前ではなく神様がやってあげるから、
みたいな独特の表現がありますよね。
つまり人間が復讐していいことは起こらないんだけれども、
でももう復讐劇っていうのは昔から人気絶大なわけですよ、一方で。
分かりやすいですもんね、目的がね。
そしてもうそこにあとは至るまでの、
それが正義であるというコンセンサスが取れれば取れるほど、
復讐劇というものはみんなにとっては復讐喝采なわけですよ。
日本では中心蔵がまさにそれですよね。
あれは日本人のメンタルに、今時の人にはもう合わないと思うんですけど、
僕なんか子供の時にすごい胸を打たれたんで、
いかに自分が日本人かというのを大学で学んだんですよ。
大学ではこれをアメリカ人に見せると、あん?っていう顔をされると。
つまりアメリカ人にはああいう正義感は、
正義の価値観というものは非常に受け入れられにくいものだというのをですね、
ただその授業は私は十分だと思ったんですよ。
どうしてかというとそこにアメリカ人いなかったんですよね。
やっぱり連れてこないとね。
やっぱりそういうのってそのインパクトをぜひ目の当たりにしてみたかった。
国際コミュニケーション論という授業なんだけど、
非常に文化的な価値観の差異を言うのは面白いんですけれどもね。
中心倉途中まで見たんだけど、やっぱり見ている大学生は、
そんな授業を受けていて、そんな話を聞かされていても胸を打たれてるわけですよ。
ここ面白いですよね。
私の大学に行っていた人はみんな国際人になりたいわけなんだけど、
思いっきり日本人なわけですよ。
だから中心倉を冒頭だけ見ても結構入り込んでいけるわけですよね。
桜が舞う中で、朝野巧の神が切腹するわけですよ。
真っ白い装束着て。こういうのがいいわけじゃないですか。
この辺がいちいちアメリカ人にはよくわからないですよね。
なんでわざわざ腹切るのに真っ白い着物を着て、桜の花の下でやるのにどういう意味があるのか。
いちいち全部意味あるじゃないですか。
意味しかない世界ですよね。
だからまさに私がなくて夢の中なわけですよね。
で、復讐劇といえば、もう一つイギリスでは大作がありますね。
21:04
嵐が丘があります。
あれは恋愛も絡めて、作者のブロンテがいかにすごいかっていうのを感じさせられる
イギリス文学なんかをやらせて。
私DHロレスだからね。
やってるとめちゃくちゃあの話は読まされるんだけど、
あの話って実に小説としてはよくできてますけど、
なんとも不毛な話じゃないですか。
まあ読んでない方が多いかもしれませんけれども、
実に不毛な話なんですよあれは。
ある意味では復讐をし、ある種の恋愛が成就するけど、
その結果誰も幸せにならないというね。
まあでも非常によく、いろんな意味でよくできた小説だと思います。
ああいうのはやっぱり人気絶大ですよね。
で、僕らはそういうイリュージョンを小説にするのは大変結構だし、
私もこの不葉から抜け出したいという主人公の、
不葉から抜け出すこのプロセスには非常にこう、ある意味引っ張られるものがあったんですよ。
もっとこうですね、もっとこうグイグイ来てもいいんじゃないかと思ったんだけど、
とにかく引っ張られるものがあったんですよね。
いやいいなって思うんですよ。
この先は成就すると不毛極まんない。
なぜ不毛かというと、生産という方向に向かってないからですよね。
復讐ってのは破壊なんで。
この先に何をためようと、何を達成しようと、
その先はどうしても虚空の世界に入って、ここが創作気味って感じが、
これは精神分析的に僕が見てるからね。
ジェンダー的に見れば全く違う結論だし、意見になると思うんだけど、
これをやっぱり僕はどうしてもそういうふうに見るのは、
強が乗らないので、それは分かるんですけど、
必要だというのも分かるし、大事なのも分かるんだけれども、
別にその見方じゃない、その見方だったらですね、
普通に読みましょうでいい話だと思うんですよ。
話分かる話なのね。
わざわざこれについて喋るというのは、
やっぱりあえてではないんだけど、
分かりにくい観点から見ているからだと私は思うんですよね。
このイリュージョンの中にいて、夢の中にいて、復讐というか奮闘すると。
奮闘している対象は、
サマはご主人に対して個人の尊厳を踏みにじったからね。
実はそうじゃないと僕は思うんですよね、やっぱりね。
実は自立できない自分というものに対する怒りがあり、
それはですね、生じがに対するやっぱり僕は怒りだと思うんですよ。
つまりそれはお父さんに怒っているんだと私は思ったんですよね。
だってお父さんは手を出してきますし、やっぱりお母さんにも暴力的だし、
まあその、よくないわけですよ。
よくないってことはないんですけどね。
お父さんも夢を見ているんで、
24:00
作ったファイブスを持ち込むのは小ずるいかもしれませんが、
夢見ている人に罪はないわけですね。
まあみんなこれをそうは認めない。
いやお父さん罪人だし、夫も罪人だしって思うかもしれませんけれども、
やっぱり私は夢中の人に罪はないと思ってしまうんですよね。
何しろ夢中なんでね。
夢中でしかも無我なのに、そこに罪を見るのは無理だろうという、
あれですよ、だからといって犯罪に反対しますとかいう話ではないです。
どっちにしても社会はこれで動くので、
この人は無我だし夢中だなっていう人は逮捕されることはもちろんあります。
車の中でね、夢見ていまして、
人身事故を起こしましたって言ったら逮捕されます。
しょうがないですよね。
これは僕が死の後のここで言う話ではないですが、
私はそれほどのことが起こってないならば、
無我夢中の人に罪を見ても仕方がないだろうと思うわけですよね。
これは昔からそうじゃないですか、本当はね。
平安時代ですらですね、
基本的に正気を失っている人が犯罪的な行為を犯したとしても、
ここに罪は見ないという考え方が、つまりこれは人間にとっては割と自然なわけですよ。
その人は現実というものが認識できていないわけだから、
罰したところで不毛であるっていう感じを人は持つんだと思うんですよね、私は。
なので、そういう意味ではですね、
奮闘期というのは全く無我夢中でやること、
無我夢中でなければですね、
育児しながら、夫は家事を完璧にやれとか言ってくる傍らでですね、
201万円稼げないですよ、やっぱり。
結構大変だと思います。
ああいうコミックエッセイのようなものをおそらく書いて、
お金稼いでいったんだと思うんですけど、それは大した話ですよね。
これやっぱり復讐の情熱というものを人が借り立てられるという傾向をよく示していて、
だからこそこのコミック全体が非常にこう、
その人の心的現実に一色に塗られているというのがよくわかる。
そして実はご主人もなんだかんだ巻き込まれているわけですよ。
会社がひどいわけですね。
なんだか知らないけど上司は仕事を全然しないと。
そしてどんどんどんどん自分に仕事を振ってくると。
奥さんは早く帰ってこいと言うんだけど、
家事完璧にやってもらいたいなら、
特に早く帰ってこいと言うんだけど、
早く帰ろうとしても早くなんか全然帰れないと。
毎日終電ギリギリになってしまうという。
こういうふうにちゃんとご主人目線が描かれている。
身もかかわらず、全体的に荒波に揉まれているという世界なわけですね。
会社を変えればいいじゃんっていう発想がどこにも見当たらないんですよね。
まずこのご主人の中に。
これはただ奥様が書いたご主人の世界なんで、
27:02
本当のところはわかりませんけどね。
もっとも本当のところは結局わからないんですけど、どっちにしても。
ここ大事なんですけれども、
やっぱり私は最初に断った通り、
これをジェンダー的にも男女同権的な話にも見ませんので、
あくまでもこれは精神分析の観点と言って怒られるかもしれないけど、
その場合はぜひコメントをいただければと思いますよ。
精神分析ってそうじゃないからと。
そういうのって一回も来たことがないんですよね。
これだけ喋ってるのにね。
精神分析的に見るというのは、
つまり家族というものの中で人々がどういうイリュージョン、
どういう意味付け、
あるいはどういう投影をしていくとどうなっているのかっていう、
そこに働く力みたいなの。
夢の中で人を殴ると現実世界では何が起きるのかとか、
そういうことをもっぱら考えていたいわけですね。
で、奥様は夢の中で、
ご主人はまず危機感という荒波という夢の中で、
俺は扇動だっていう夢を見ていて、
そして上司は海獣みたいな、海の獣ね。
海獣みたいな連中で、
俺がやらなければダメなんだっていう、
そういう、多分ご主人も長時間に叩き込まれてるわけですよ。
男は仕事をして、
稼ぎまくらないと船が転覆するんだっていう夢を見て、
これを家の中に持ち込み、
だから稼いでない奴は稼ぐか、
舵を完璧にやれという夢を押し付ける。
この夢が非常に許せないので、
許せないという夢を奥様は見始める。
で、お友達がいらっしゃるんですよね。
お友達も、その奴は離婚だっていう、
一緒になって、離婚万能感みたいな夢を見始める。
総的防衛って言った方がいいと思うんですけれども、
切り離せば、そういう悪から自分を切り離せば、
自分は幸せになれる。
でも、切り離すためには、
一人で生きていけるっていう夢を見なければならないですよね。
その現実の証拠集めをしなければならないわけです。
よほど夢がどっぷりの人は、
いやいや、私一人で生きていけるからと別談、
特に何の根拠もなく飛び出せるんですけど、
これは完全に総的っていう感じなんですけど、
総的の総は総打つの総で、
自分を奮い立たせるわけですよ、無理やりでもね。
だから元気っていうのが近いと僕は思うんですよね。
総の話の始まりにはよく、
お母さんにすごい怒られた男の子が、
いいもん、大丈夫だもんっていう、
お母さんなんかいらないもんっていう、
これが総状態みたいに。
でもだいたい防衛は無理ですよね。
無理だっていうことがすぐ分かってしまう。
30:00
つまり総ってのは自分の無力感を意識してるんで、
あえてそこを頑張って自立に向かわせる。
ある意味、自立に向かうための一つの大事な要素なんだけど、
総が目的化しちゃダメなんですよね。
そういう人っているじゃないですか。
何か組織なり、組織と言わないまでも、
友達関係ですら面白くないことがあると、
いやいや、俺はもう一人で生きていけるから、
お前なんか友達としていらないからって、
すぐ言う人いるじゃないですか。
これが総が目的化している人っていう。
つまり自分が元気になるためには、
すぐ分離をちらつかせるというですね。
昔、倉園さんにそういう人の話を伺ったことがあるんですよ。
倉園恵同さんにね。
音楽にもそういう人はいると。
つまりあれですよね。
きっと僕はもう全然わからない世界なんですけど、
バンドのメンバーとかで面白くないことがあったら、
いや俺はもう辞めるから、
って多分言う人っていると思うんですよ。
これが総的な態度ってやつで、
これが目的化するんですよ。
これを言うと気分が上がるんですよ。
上がるように僕らは、
生育歴の中でちゃんと培ってきておりますから、
全くないと親から離れられなくなるじゃないですか。
だから子供は無謀にも、
いや僕も家出るからみたいな、
4歳児がそういうことを言ったり、
口走ったりするわけですよ。
そして自分の無力感にぶつかる。
でもこれ大事なことなんですよね。
これがないと家から一歩も出られない人になってしまうので、
どこかで少し自分を奮い立たせて、
自立に向かわせると。
問題はこれは、
自立に向かう限りは生産的で結構なことなんだけど、
これが何かね、
これをちらつかせれば親困るだろうぐらいになると。
これちらつかせるのが目的化するわけですよね。
それがひっくり返っているから精神分析で、
相は倒作的であるっていうような言い方をするんですけれども、
これはすごい大事な概念だなと。
こういう人っていっぱいいますからね。
何かと離婚だとか、
俺は辞めるとか、
会社でも自表をちらつかせたがる人、
多分そういう心的な混乱を自分に抱え込んでいるんだと思うんですよ。
実は辞める気はないみたいなね。
それって結局狼少年みたいに人に扱われるようになるんでね。
だんだんバレてくるというか、
本人はそういう気はないんですけどね。
本人はただ元気になりたくてこれやってるんだけど、
元気になりたくてこれやっちゃ本当はダメなわけですよね。
だから奮闘期なわけです。
この奥様はあなたの不要なくても私がやれるんだからって言いたいっていうことが、
これがやれるという自分であるから自立するって言うならいいんですよ。
でもやれるからと言って、
言ってやりたいという気持ちが先行しているように、
このコミックの場合は感じられる。
ここが僕からすると大変興味深いところなんですよね。
僕はそれが読みたいわけ、要するに。
それのよしよしを言いたいわけじゃないんですよね。
33:02
そういう人はいっぱいいるだけでなく、
僕らそういうところを持っている。
ここ難しいところなんでね。
だって我々は多分自立できるようになって初めて創的になれるようじゃ困るわけじゃないですか。
つまり自立できもしないときに創的になって、
自立できないというところにぶつかる必要ってあるわけですよ。
だから私たちはみんなある意味創的になり、
そういうことが言えるようになっているというのは、
誰でも思っている真理なわけですね。
生まれ落ちたときには、
人間の赤ちゃんというのはよく精神分析では指摘されるけど、
まるで無能ですから。
ここも非常に大事です。
まるで無能だからこそ、
世の中に頼って生きていかなければいけないんだなということ、
世の中に人に頼って生きるのがデフォルトなんだなというデフォルト感を、
例えば既定的とかいうわけですよ。
ベーシックなわけですよ。
だからエリック・エリクソンとかもそうですよね。
基本的信頼というわけですよ。
何にもできませんから。
これが事実としてあるのでね。
観念としているわけじゃないんですよ。
僕らは一番最初の心で学ぶことは、
お母さんに全面的に依存して生きるという生き方を学ぶということなんですよね。
これを学び損ねるから、
多分ですよ、精神分析的な世界で見ると、
これを学び損ねるから精神病水準というものが心の中に宿るわけですよね。
僕らみんなある程度は学び損ねます。
なぜか、お母さんは完璧じゃないからです。
でもお母さんを完璧扱いしてどこかで裏切られる、
そういうトラウマに遭遇するからこそ良いわけです。
僕らは、あ、万能じゃないんだ、
でも万能だと思って頼ってしまうんだ、
そういうのが必要なんですよ。
これは良いとか悪いよ、ここで言うことほど、
意味のないことはないと思うんですよ。
だって赤ちゃんは首も座らない。
それどころか、これはやっぱりね、
本当は見た方が良いんですよね。
寝返りが打てないわけですよ。
寝返りを打つと腕がどうしても体の下に入ってしまうので
ハイハイができません。
そうすると腕を引き抜かなきゃならないですね、体から。
これが自力でできないんですね、赤ちゃんというのは。
これでもがいて泣く。
私はやっぱりこれを見た時がですね、
非常に心を打たれたと言いますか、感銘を受けたんです。
あ、これを親は何とかしてくれてる。
どの親も必ず何らかの形でこれを何とかしてくれてる。
これを完全に放置すると、
その段階で赤ちゃんは危機に陥りかねないので、
やっぱりここを親は手伝ってくれているわけですよね。
どの親であったとしても。
例外がないわけですよ。
いやすごいなって感じがするんですよね。
どうして人間の子はこれほど無能なまま生まれてきちゃうんだろう。
人間が未だに絶滅してないということは、
36:00
これはギャートルズの時代からこうだったってことを
よく物語ってるわけですよ。
灰灰も自分でできないのに、ジャングルで生活していた生き物が
何で現代まで命を繋いでこられているのかと考えると、
やっぱり親とか人に頼れるという能力の絶大さが
ものを言ってると思うんですよね。
多分なんだけど、周りが狼だらけだっていうのに
赤ちゃんは静かにすらできない。
例えば他の部族みたいなのに囲まれても赤ちゃんは泣くみたいなね。
絶滅しちゃいそうですよね、そんなことやってたら。
でもそんなことはないんですよね。
絶滅しなかったからこのサピエースは生きてるわけじゃないですか。
これを思うとやっぱりこのエリック・エリクソンとか
フロイトもそうなんですけれども、
一時的なね、一時愛に頼るという、
悲劇的な愛情に頼るという、
そういう心持ちが一番底辺に我々の中にあって、
これが損なわれそうになった時に
僕らパニックになったり精神病的になったりするっていうのは、
私は非常によくできた発想だと思うんですね。
だから無用から抜け出すっていう時に、
僕らやっぱり空元気がいるわけですよ。
だいたいそんなにべったりお母さんに依存してたのに、
いやもう僕は大丈夫だから一人で生きていけるんだから、
お母さんなんかいらないんだからとかいうためには、
空元気みたいなものがいりますよね。
お前どの口がそれを言ってのを意識してるようでは、
独り立ちなんかできっこないわけですよね。
昔は人の寿命短いから、
10代でもう独り立ちに向かっていくわけで、
もしかすると10歳前に独り立ちに向かっていくんで、
理想的な感情ってのは絶対人類にはあったあるものなんですよ。
ただこれが現代では何に使われがちかというと、
俺がいなくなると困るだろうっていうのに使いたがるわけですね。
つまり愛情の確認に、
想的な感情というものを使いたがるわけですよ。
このせめぎ合いなんですよね。
夫の不要から抜け出したいのは事実なんだけど、
でもこれで本当にいいのという、
ある種取引材料のようなものにしたいという気持ちも、
必ず働いてくるわけですよね。
この手前でさらに起きたことがいいんですよね。
すごくいいんですよ、このコミックの中で。
そういうふうに作者さんは必ずしもお考えでないかもしれないんですけど、
ここがやっぱり大事なんですよね。
ご主人はいきなり車に跳ねられる。
しかもこれ引き握りっぽいんですよね。
横断歩道を歩いているのに跳ねられる。
もちろん、もちろんというかもちろんじゃないんだけど、
そのご主人はすごい、
ツトモさんね、会社でひどい目に遭ってるから、
もうフラフラなわけですよ。
だから普段だったら避けられたのかもしれないし、
39:00
そもそもその車が来る時には渡らなかったのかもしれないけど、
でも青信号で点滅してたのかな。
で、渡ってる時にドーンっていう状態。
なんだけど、ご主人は無我夢中で夢の中にいて、
僕がやんなきゃダメなんだみたいになっちゃってるから、
その状態で跳ねられてほとんど死にかけて、
死にかけてはいないのかもしれないけど、
でも命に別状ありそうな状態なのに、
血だらだらなのに会社に行くって言うんですよね。
救急車なんか呼ばないでください。
会社に行かなきゃダメなんだからって言うわけですよね。
猛烈サラリーマンみたいなわけですけど、
僕はやっぱりあれがイリュージョンなんだと思うんですよ。
そしてこれを言うと怒られるかもしれないというか、
これを言うとですね、
作者の意図とは全くかけ離れているとは思うんですけれども、
僕はやっぱりこの事故が偶然起きたようには全く読めなかったんですね。
ここが僕の一番言いたいことですね。
ネタバレになってごめんなさいなんですけれども、
でもいいコミックだと思うんで、読んでも損はないと思います。
大筋喋っちゃいましたけど、
売れていらっしゃるからいいとしましょう。
僕の本なんかよりは全然売れてないからね。
つまりですね、どうしてここで交通事故なのかと。
交通事故って現実じゃないですか。
無我夢中とは違う世界からやってくるんですよ。
僕はこれがやっぱりいいことではないとは思いますよ。
いや、こんないほうがいいと思うけど、
でも夢の中には生きていられないんですよね、人はね。
どこかで現実とエンカウントしないと、遭遇しないと、
やっぱり神的には神的な死という言い方をしたりするんですけど、
ナルシシズム一辺倒で我々が生きていけるならば、
そんな悩みは持たないわけですよ。
我々はやっぱり夢から出たい。
なぜならば夢って自分ですから。
自分から出られなくなってしまうわけです。
ナルシシズムってそういう意味ですよね。
神的な死なんですよ。
自分の世界だけに生きるというのは。
不要から抜け出す寸踏というのは全て世界が自分ですよね。
201万円という金額の意味も自分自身でしか否定していない。
つまり全現実が自分の否定している世界になってしまうわけです。
世界というのはひどいところだ。
自分にとってですよ。
不要から抜け出したい。自分が不要から抜け出したい。
そのためには不要控除というものを受けない金額を手に入れる必要がある。
201万円で生きられるかどうかじゃない。
自分が不要から抜け出すための金額が201という数字によって象徴されている。
全てが自分なんです。
自分という世界でできている。
これがつまりナルシシズムの世界というものであって
うぬぼれとかとは何の関係もないと思うんですね。
これは自分自身から抜け出せないわけです。
夢というものを見ているに近い夢中で生きている。
夢中に生きている状態というところから外に出られない。
42:02
ところがご主人も全く同じです。
僕だけに仕事が降ってくる。
無能な上司は仕事をただ自分に回す。
この会社にいて自分がやらなければいけなくて。
この自分がやらなければいけない世界なのに奥さんは何だか
わけのわかんない絵の仕事とかで全く稼げないのに
家事も完璧にはやらずにいると。
全部自分から見た世界が見えているわけです。
その時ドーンと事故が。
事故は自分の外から来るんですよ。
絶対事故に遭うなんて思っていない。
でもそのご主人は車にあげられてもまだ夢から覚められずに
会社に行かなければ僕が会社に行かなければ仕事は回らないんだ
っていうこの夢を見る人もいっぱいの中にいますけれども
事実に反するわけですよね。
結局そのご主人は2週間会社に住むんですけど
会社は何事もなかったように回っているわけですよ。
現実というのは自分とは関係ないところで動いているので
どこか必ず。
だからいいんですけどね本当はね。
で現実と遭遇する。
やっぱり私はこの事故をきっかけに奥様もですね
視点が大きく変わるんですよね。
その時に息子さんいるんですよちっちゃなね。
パパが死んじゃうと言って泣くわけですよね。
自分はもうこのご主人から何とか離れたい。
お父さんを投影してるからなんだけど
何とか離れたいと思ってるんだけど
息子はそうなわけじゃないわけですね。
息子にとっては全然お父さんは違ったものに見えている。
これもまた現実ですよね。
自分の夢の中にいる限りは見えない現実がそこにあるわけですね。
これはもうありきたりな話なんであまり強調するところではないと思うけど
でもパパが死んじゃうという
見ちゃうわけですからね。
現実との遭遇なわけです。
でですね結局だからこそ
この201万稼いだからと言って離婚届を見せた時に
ご主人の反応は全然これまでとは違うわけですよ。
そんなんじゃ生きられないからとかって
エバって言えないわけですよ。
自分も体が動かなくなっちゃってるから。
それなのに無理やり起きたりして
しかも料理とか始めるんですよね。
このご主人は料理なんかできそうにないじゃないですか。
そんなことはないんですよ。
いや僕は実はってのもおかしいんだけど
養殖屋の息子だから料理は一通りできるんだよと言ってやたらうまいわけです。
これも現実ですよね。
奥さんは知らない現実がそこにあるわけです。
でも大事なのはこの現実は全て
多分事故によってもたらされたものですよね。
ということはですね
もちろんこんなのはそれこそエビデンスとは何もないですよ。
それこそヨタ話ですが
でもということはこの事故は
会いたくてあったようにも見えますよ。
45:00
私はやっぱりこういうところに
無意識の要素ってものが作用ってべきですかね。
大きくあるなって思うんですよね。
少なくともこのご主人はもう
会社はとても行けないと
行きたくないと
仕事も一切やりたくない
でも行かないわけにはいかないみたいな
そういう非常にどこかで聞いたことのあるような
追い詰められ方をしている
それで点滅信号を渡る
この時に車がやってくる
これはですね
私はこうしでもしないと
このご主人止まらないでしょう
っていうのがあるわけです。
心身症ではおなじみのパターンなんですけど
お前は病気にでもならない限り
止まらねえなっていうと
体はその本人を止めるために
しょうがないから病気になる
っていう心身症の
これも今は
受け入れられがたくなってるかもしれませんけれども
私の体験ではですね
まさにそういうことなんですよね
心身症っていうものは
この男を
こんなまま突っ走っていったら
家庭は崩壊するし
本人は壊れちゃうし
明らかに断崖に向かって
まっしぐらなわけだと
いうふうに
本人の一部である無意識がですね
どうしてやろうかってなったときに
この点滅信号を
近づいている車にも
気づかせずに
渡らせれば
こいつを死なせずに止めることは
できるんではないだろうかと
ここまで言ったら完全に物語になってしまうし
おとぎ話なんですけど
でも私は無意識とはそういうふうに
機能することがある
というふうに信じてますんで
私自身の体験からしてですね
なぜここで
こういうタイミングで
そんなに車が接近しているときに
渡っていくのか
ということですね
そして
実際に何が起きたかというと
奥様は離婚をしない
という選択を
するわけですよね
どっかここで
夢から覚めることができている
つまり現実と解放することができている
っていうのを
アレンジした世界があったように
このコミックは
そういうストーリーにしか
読めないんですよ
というふうにも読めるというよりは
というふうに読まないと
何ともいろんな話が
辻褄が
合わなくなってきちゃうように
思うわけですよね
単に
ジェンダー的な
単にそういう話
そして女性は
こういうふうに抑圧されてちゃだめだから
自立する必要があるんだ
という話であるならば
このストーリーは必ず最後は
この体が動かなくなった夫を
無理捨てて
一人で生きていって
素晴らしい結果になりました
というストーリーで
あった方がいいと思うんですよ
その方が自立というものが
確実に称賛されている
というか祝福されている
48:01
ストーリーになるはずなんですよね
でもそういうふうにするには
かなりの無理があるな
って感じがする
不自然なものが入ってくる
ましてこの事故は余計なものでしかないように
見えるわけですね
ご主人目線の
神様目線の
詩小説なのに
神様目線がそもそも入ってきたのは
なぜなんだっていうのも
やっぱり最後はこれによって
むしろ元に戻っていく
というか関係がですね
元には戻らないんですけどね
関係が元に戻っていき
結局このご主人はこれで転職を
あの
転職を決意する
実は転職もしないですけどね
だからいちいちですね
総敵にはなるけど
総敵防衛によって完全に
分離してしまう
ということをむしろ避けた話として
判決する
まあ完結というか終わってみるんですよね
一旦
私はやっぱりこれは
どこをどう押しても
あの
あれなんですよ
総敵に自立するのが人間には必要です
というストーリーからすると
ほぼ真逆だなって感じがします
そこが大変
不愉快だという読み方も
あると思うんですよね
作者は後書きで書いてたんですよ
感想が二分されたと
当然二分されるだろうなという感じがするんですよね
結局最後は自立を選ばないのかと
失望する人もいるでしょうし
最後は良かったねっていう人も
いるでしょうね
ただ私は
どこが良かったと言われれば
夢から覚めるためには
夢が深ければ深いほど
どうしても
出来事としては
衝撃が
でかくなっていくっていうのが
つまりこのようなところまで
行ってしまったときに
あえてそこから脱するとなると
結構な出来事が
必要になってしまう
やっぱり私はこの話は
大変良い話だと思ったのは
この交通事故というものが
必ずしも
基本的に良いことではないんだけど
必ずしも悪いことではないように
描かれたところが
大変良いと思うんです
そして僕らに
読んだ私としては
得たい教訓は
やっぱり現実に開講するためには
もっともっと手前のところで
開講しておきたいよねっていう
ここで
車にぶつかるっていう
ところまで行く前に
やっぱり誰かに
怒られるとかね
他者に遭遇するってことなんですよ
怒られるから云々とか
怒られて会心するとかそういうことでは全くないんですね
このご主人は
車に跳ねられて会心したわけじゃないんでね
ただ目が覚める
これが大事だって
思うんですよね
怖いものは世の中いっぱいあるわけですよ
配偶者とか
上司とかだけれども
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そこにあるのは要するに
他者にぶつかるっていうことであって
他者つまり
現実なんですよね
ぶつかってみないと想定通りになってるかどうかは
わからない
奮闘機って想定通りじゃないですか
奥様は守備欲201万円を
貯めようと思って貯めた
完全に現実は予測できる範囲に
とどまってるわけですよね
本当のことは分からないって
グッドバイブスでよく言いますけど
分かっちゃってるわけですよ
201万円貯める
病控除から脱出する
すべて答えが出ている
つまりそれはナルシシズムの世界なんですよね
現実は本当は何が起きるかは
わからない
ここから先が本当の物語じゃないですか
201万円というものが
象徴的に手に入ったとして
控除が抜け出ることができたとして
お父さんと同じような
昭和の価値観の夫から離婚して
そこからじゃないですか
この先
全然予測がつかなくなるじゃないですか
果たして子供を一人連れて
この子の精神状態はどうなるのかと
急にね
パパ大好きだったのに引き離されるわ
いきなり
収入は201万円
レベルになっちゃうわ
ここまではナルシシズムでいけるけど
その後に
現実というものがあって
すごいことが起きるかもしれないし
すごい大変かもしれないし
そうでもないのかもしれないし
実は別の男と結婚しちゃうかもしれないし
わからないですよね
一切予測がつかない
だからいいわけじゃないですか
現実なんですよね
だけどその間に
ご主人が
車にぶつかるという現実が
つまりそれは全く想定されて
なかったわけですよね
ご主人はピンピンしていて
会社に勤めたまま離婚届を
突きつけてやるつもりだったんだけれども
そのつもりというのは
あくまでもつもりなんで
一寸先は闇なわけですよ
つまり
わからないわけですよね
でもわからないことはすごいひどいことだと思ったんだけど
やっぱりわからないんですよね
すごいひどいことでは
実はなかったのかもしれない
全部そういうことになっていて
わかってるときほど
僕らはやばい状態に
あるんだというのは
少なくとも言えるんじゃないかな
と思うんですよね
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