2022-08-05 40:37

【646GMV】意識的に悪気なく悪事を働くナルシシズム

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『真綿の檻』面白いです
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
大変過ごしやすくて助かりますね。
もう3日前とかは、ここで収録するのやめようかなと思うぐらい、
なんか違うところを考えないとだと思うほど、ここひどかったんですけど、
同じ部屋とは思えないほど快適です。
でもこれ40分ほど喋ると結構暑くなってくるんですよね。
今ですね、この3カードという、これはノートの定期マガジンなんですよね。
月々500円で、他のジューンさんという方と、やる気クエストとか時間クエスト、
私この時間クエストの方がすごい込み入ってて好きなんですけども、
時間クエスト、あとZoeさんという方が3人で書き手、だから3カードなんですが、
3人書き手がいて、2人は漫画家で、私だけ文章を書いていくといった感じでやっておりまして、
500円で入ってきたお金は3人で仲良く配分するというだけのシステムを使っているんですけれども、
こちらでですね、しばらく中断していたこれを単行本にできるのかどうかという話はまだまだ全く未知数なんですが、
読むセラピーを再開したいなと思っておりまして、
昨日書いたんですよ、その1つをですね。
章礼堂羅を使って1つ書いたんですけども、要するに章礼堂羅自体が読むセラピーというわけですね。
読むセラピーはタイトルは非常に気に入っているし、中身も大体気に入っているし、レビューもやたらいいので、
ずっとやっていきたいんですけど、これをずっとやっていくだけだと多分私はここに生きていけなくなるので、
そういうわけにもいかないと。
これは様々なこうやっていって、練り合わせてフリーランサーやっていくしかないなと思っているんですけれどもね。
でもこれをやりたくはあるので、そのためにはまずとにかく書かなきゃならないと思うので、
3カードになるべく往復連載していこうと思っていますので、よろしければですね。
1つ1つを100円でも払うにします。
まとめてずっと読んでいくよという方には多分定期攻略のほうが、私のだけとってもおすすめで、
その上2人の漫画もついてくるので、私はこの3つで月500円なら高くはないと思うんですよ。
もっと安くしてよということはあるかもわからないんですけど、
これをあまり安くすると、確か最低金額って決まってるんですよね。
いずれにしてもあまり安くすると何のモチベーションにもならなくなってしまうので、ここらへんかなみたいなのがあったりします。
03:01
今日は読むセラピーに入れるかどうかを検討している作品を昨日読みまして、
たまたま見つけたんですよね。
Twitterの漫画の広告で見つける作品、僕すごく最近多いんですけど、
そういうものの1つにタイトルいいんですよ。
真綿の檻っていうんですよね。
この真綿の檻、どういうコンセプトでこれから続いていくのかな。
すぐ終わっちゃうのか、長編になるのかで全然ニュアンス変わる作品だなと思うんですけど、
あんまり珍しいテーマではないんですよ。
少女時代からお母さんがずっと過度に厳しく育てられてきた女の子が、
結婚してからも理解のない旦那とどうやら一緒になって苦労しているようだっていう雰囲気から始まるという。
でも結構3話ぐらいでどんでん返しがあったりして、なかなか続きが気になる話なんですけど、
1話バラ売りで121円とかで売ってるんですよね。
僕この方法いいと思うんですけれども、あまりに1話が短くねえかっていうのはちょっと気になるところではあります。
それはそれとしてですね、作者の神の視点じゃなくて、
お母さんの視点と理解がないような旦那の視点と、
いびられてかわいそうな奥さん自身の視点、これが主人公なんですけど、
その弟の視点というのがあって、要するにいろんな人の視点から同じようなシチュエーションを見ると、
時に大きく違って見えると、これがあれなんですよ、耳づけなんですよね。
だから私はこの話が大変面白いなと思ったんですけど、
でもこれそんなに真新しい手法じゃないですよね。
小説ではかなり古くから取られている手法で、
赤と黒、スタンダードだっけ?
赤と黒でもそういうのの実験みたいなのがありましたよね。
私はあの辺の流れから、かの有名な、
有名って言っても今の時は知られていないかもしれませんが、
ジェームズ・ジョイスのユリシーズあたりに結実していくんじゃないかと思う。
あそこまでやると読み物としてはちょっと読みにくいし、
正直つまらなくなってくるんじゃないかなっていう、
あれ結局面白がられてないんじゃないかなと、
めちゃくちゃ評価高いですけど、いろんな意味でね。
でも面白いかなあ、そこまでやるとってなるんだけど、
とにかく客観ってものがないって、事実その通りですよね。
客観ってものがないですよね。
主観の集合体の中で私たちはある意味生きているわけで、
人間なんてとくもとかくそうだし、
06:02
いろんな人がいろんなことを勝手に思ってるわけですよ。
有名なシーンが、ジェームズ・ジョイスの有名なシーンがありますよね。
燃えらないってやつですよね。
それもすっごいこじつけっぽいと思うんだけど、
馬がですね、燃えらないっていう馬が勝つんですよ。
イギリスってすごい競馬がみんな大好きな国なので、
競馬の王国ですよね。
その新聞はもういらないんだよって言ったのに対して、
その新聞を読んでいる人がですね、
もういらないが勝つのかっていうふうに誤解して、
で、かけると勝つと。
ちなみにこの話って実話じゃないんだけど、
そういう話が実際に、
この話やめておこう、ここに深入りしてもしょうがないですからね。
というふうに主観と主観が入り乱れて、
私たちの現実というのはできているというのを描いていくんだけど、
それを漫画でやる方がある意味やりやすいじゃないですか。
なぜなら漫画って絵がついているから、
これを最大小説でやろうということが話をややこしくするわけですよね。
様々な視点からのモノローグを読むことになりますからね、
どうしたって。
しかも解説もないわけじゃないですか。
解説って客観だから、
解説つけるわけにいかないですよね、本当は。
ユリシーズには解説というものはないわけですよ。
つまり作者視点がないわけですよね。
でもそうすると読者にとっては
すげえ不親切な話になってきますよ、はっきり言って。
で、そのいろんな視点から見るというのを漫画でやるとやりやすくて、
東京大学物語とかで江川達也さんもやってますよね。
なんかちょっと急に破綻気味になっていくのが
あの人の漫画の特徴だと思うんだけど、
それでもいろんな視点というのをすごくくだわっている感じがあって、
この真綿の檻もそうなんですよ。
要するにいじめられていると言っても、
いじめちゃいないんだけど、
すごく厳しくしつけている
古い考えのお母さんの視点から見た奥さんと、
その奥さんから見たお母さんというものは当然違うわけで、
その違いがいろんな視点から見ると
その違いがいろんな意味を帯びてくる。
だから意味付けなんですけれども。
ここで一つ、この漫画を読んだときも、
いろんな漫画を読んでても、
一つすごく、
ここを誰かやらないんだろうかと思っているポイントがありまして、
なぜみんな、お母さんから見たこの奥さんも、
弟から見た、弟から見た奥さんはお姉さんだけど、
お姉さんも旦那から見た奥さんも、
みんな同じビジュアルなんだろうって思うんですよね。
これおかしくないかっていつも思うんですよ。
お母さんから見たら、もっと子供っぽく見えてるはずなんですよね。
いくつになっても。
弟から見るともっとお姉ちゃんっぽく見えると思うし、
旦那から見るともっと可愛らしく見えてるとか、
綺麗に見えてるとかあるはずなんですよ。
09:01
つまり全部違ってないとビジュアルはおかしいと思うんだけど、
でも、全部違ってるのに同一人物だっていう、
コンセンサスが得られるところが、
この感触感性の偉いところじゃないですか。
だからみんな違うものを見てるんだけど、
同じものを見ているという、
お互いの納得もあるわけですよね。
だからコンセンサスがあるわけですよね。
同意があるわけですよ。
この同意が成立するぐらいしかずれていないけれども、
決して同じものは見ていないっていうのを、
漫画はすごく簡単に表現できるんじゃないかと思っちゃうんですけどね。
素人的には。
書き分けるのすげえめんどくさいかもしれないけど、
せめて主人公の奥さんだけは、
ビジュアル変わってないとなっていうのが、
ちょっとあるわけですね。
こういう話であるならば。
もしかして書き分けてるのかもしれなくて、
僕がそのことが分かってないだけかもしれないけど、
そんな微妙なのじゃなくて、
もっと結構違っていいと思うんですよ。
ホラーの、
うちの娘なんかちょうどそうですけど、
おじいちゃんおばあちゃんが大きくなったねとかって言うじゃないですか。
毎日見てない人にはそのギャップが見えるけど、
私たちには毎日見てるから、
そういうギャップは見えないとか、
いろんなそういう主観ならではの出来事ってあるわけですよね。
それが、
もっとあっていいんじゃないかなって、
ビジュアル的に思うんですよね。
この話は、
古い家で家事ばっかりやらされている
可哀想な遥香ちゃんという女の子がですね、
なんか弟としかも差をつけられていて、
弟は何もしなくていいのに、
お姉ちゃんは早い段階から
お父さんにビールとか持ってかされていて、
要するに今時のよくある何かが
告発されている漫画なんですけれども、
でもそのお姉ちゃんは頑張って
家事も全部やるようになって、
しかもすごい勉強も頑張って、
国立大学に行って、
その世を出ていくっていう話で、
だけれども、
結婚した旦那に
同じようにコキ使われている
っていうところから始まる話なんですね。
その遥香ちゃんが主人公なわけですよ。
これだけ聞くと
すごいありきたりなような気もすると思うんですけど、
結構そうじゃないんですね。
面白いんですよ。
でも、
今の段階で3話だけですからね。
現段階での展開では
よく分からないところも多いんですけど、
僕が興味を持ったのは
そこでは全然なくてですね、
この弟なんですよ。
弟のセイジ君が、
まさにこれが鳴るし沈むってやつだっていうのを、
こんなに漫画で、
なんていうんですかね、
ある意味疲れるような感じで
表現されていたのは
あんまり私は
記憶になくて
非常に強い印象を受けたんですね。
多分、そんなことを
作者さんは必ずしも
意識して描いてないんだろうけれども、
12:00
でもある程度は意識しないと
こうは描けないなっていうのがあってですね、
この弟のセイジ君がまず
この旦那のひどさを
告発する感じのキャラなんですね。
だから弟から見ると、
お姉ちゃんかわいそうだと、
あんな旦那に朝から晩まで
食事作らされて
なんか調子が悪くても
旦那は何もしないし
皿洗いとかばっかりして
料理作ったりしてると、
それをすごくかわいそうだという
いい弟なんですよ。
このいい弟は
こうやって外しか見えないんですよね。
お姉ちゃんがかわいそうとか、
その夫は大棒だとか
いう感じなんだけど、
自分が何をしているかっていうのが
何にも表示されないんですよ。
これって漫画の手法ですよね。
漫画の手法ってそうじゃないですか。
この人の視点って取った時に
主人公の視点ってよく取りますけど、
だから主人公ってなんか不審と
キャラに何の特徴もない人になりがちですよね。
一方間違うと。
なぜなら主人公自身のことは
主人公目線だとあんまり描かれないんですよ。
でも僕らの生き方ってそうじゃないですか。
私たちはついつい外を見ますよね。
目は外を向いてついてますから。
人のことは見えやすいわけですよ。
日本国はなってないとかね。
見えやすいわけですよ。
だけれども自分というものを
描写することがほとんどないわけですよね。
この目が自然に動く、
その動きから世の中を追っていく限りは
外のことは見えやすいんだけど、
自分が見えないんですよね。
政治君はどういう人なのかというのが
政治君の目線を通すと一番見えないんですよ。
ここに大きな問題があるんですよね。
ここに大きな問題があるっていうのが
私は精神分析だとよく思うんですけれども、
プロドゴさんがよく
時々グッドバイオスで書かれていたのが
人のことの方が意味付けにせよ
イリュージョンにせよ指摘しやすい。
だからこのグッドバイオスの取り組みは
自分一人でやらない方がいいっていう話を
今ちょっと飛躍したんですけど
そういう話があってですね。
これは私はナルシュシズムの話だって
聞くたびに思ってるんですよね。
自分という部分がぽっかり抜けているわけです。
その政治君はお姉ちゃんが心配
政治君の奥さんはそう見てるんですね。
お姉ちゃんが心配でしょっちゅう
お姉ちゃんの家に行くって。
ところがこれを旦那の視点を通してみると
全然違うんですよね。
何にもしない夫が
お姉ちゃんを動き使っていると
政治君はそう思うんだけど
旦那は全然違うようになる
世界があるわけですよ。
この夫から見ると
この政治君はやたらと家に来たがると。
こっちの都合もお構いなしで
うちの奥さんの体調が悪いと
15:00
言っているにも関わらず
そこで無理やりやってくると。
こいつの目的が決まってるんだと。
金を背びりに来てるんだと。
そうなんですよ。
こうやってみると
旦那が王子だという問題と
弟が心配して家に来ているという現実
というのが
全く違う観点に入っていくわけですよね。
何でかというと
政治君が見えるか見えないかが大きいんですよ。
夫は政治君を見てるから
非常に分かりやすいわけですね。
何を知りに来ているのか。
政治君の奥さんも
政治君を見てるはずなんだけど
政治君の奥さんは
家にしょっちゅう一緒に行くわけではないので
分からないわけですよ。
政治君が
お姉ちゃんの家に行って何しているか。
金を背びりに来てると。
そういうシーン確かに
よく読んでいくと
チラッチラッと描かれているんですよね。
お金貸してよと。
このシーンもまた面白くてですね。
お姉ちゃんちょっとお金困ってるんだけど
貸してくれないかなって言うんだけど
私には自由になるお金はないの?
って言うんですよ。
この夫に
虐げられているらしき
はるかちゃんはですね。
私には自由になるお金ないの?
だってお姉ちゃんフルタイムで働いてるのに
って言ったら
うちの人がもう帰ってくるからって
要するに
政治君目線から見ると
この金は全部夫に巻き上げられている
ってことになるわけですよ。
で、そういう風にしか見えないと思うんですよね。
ところが
ここでおかしな話があるじゃないですか。
なんで政治君はじゃあ
お姉ちゃんのお金を
当てにしなければならないのかと。
政治君は
古い家で
一人
長男ですからね。
弟だけど長男だから
ちやほやして育てられていて
実家からもお小遣いたっぷりもらっていると。
お姉ちゃんは
奨学金制度を利用して
やっと国立大学に入っているのに
政治君はお小遣い付きで
私大に入っていると
そういう話はお姉ちゃんから語られるんですけど
こういう状態にありながら
なんでお姉ちゃんが
フルタイムで働いているにせよ
夫に沸き上げられている
っていうはずのお金を
当てにしなければならないのかと。
ここにナルシシズムってことがあるわけですよ。
この政治君は
決してそれが変なことだとも
悪いことだとも
全然思ってないんですよね。
あの夫は本当ひどい夫だと。
お姉ちゃんは
フルタイムで働いているのに
全部家事をやらせた上に
金も渡してくれないようにしているんだと。
これはきっと
お姉ちゃん弱みを握られているに違いないとか
そういう話にしていくんですけど
旦那は全然そうじゃないんです。
金も巻き上げちゃいないんですよ。
実はね。
だからこの話って
どういう観点を取るかで
すごく違って見えてくるんだけど
18:00
そういうことは
普通によくあることですが
私が一番やっぱり
すごいここが
その通りだろうと思ったのが
政治君には
自分が一番思っている問題
一番自分が抱えている
良くない
やばい点というのが
全く見えないという
そしてそれは
本当に私たちが
いわゆるナルシズムの病理って言われた時に起きる
現象なんですよね。
政治君は自分の経験を
全然分かっていないわけではないと思うんですよ。
普通に言えば
お姉ちゃんに甘えているとか
一人でチヤホヤされて育っているところで
お姉ちゃんだけ苦労したとかは
全部見えているわけですよ。
お姉ちゃん絡みで
お姉ちゃんを追う観点で言えば
見えるんですよ。
でも自分だけの時になった時
自分だけがそこに
クローズアップされた時
つまり旦那視点ですよね。
お姉ちゃんと政治君じゃなくて
政治君だけが通り過ぎて
政治君が登場してきた時に
いったいどんな風な問題が
そこに抱えられているのか
全然分からないようになっているんですよね。
多分
絶対分かりたくない
っていう気持ちがあるわけですよ。
お姉ちゃんは後ほど
第2巻くらいなので
後ほどでも何もないんですけど
2巻でコソドロって言うんですよ。
政治君はすごいショックを受けるんですね。
え?って言うんですよ。
でもえじゃねえだろって感じが
しなくはないわけですね。
2巻で言わせれば
政治君は姉思いの弟でも
何でもないんですよ。
コソドロになっちゃうからですよ。
でも政治君はそういう風に
思われるっていうのが
全く理解できないんですよ。
自分としては
お姉ちゃんのお金をもらったり
もしかしてちょろまかしたり
そういうシーンは出てきませんけどね。
はっきりとは。
でもそういうことをしているかもしれないにもかかわらず
そのことに気づいていないような
感じになっちゃうんですね。
問題行動だと思ってないんでしょう。
そして非常に見えにくいところに
自分で置いてるんですよ。
これがフロイトが言った
意欲圧に僕は一番近いだろうな
って思うんです。
なるべく意識しない。
全く意識しないなんてことは
いらないですよ。
こういう行動ですからね。
だいたい訳あって
ここの訳が書かれていないんだけれども
訳あって言ってるに決まってるじゃないですか。
お金に困ってないのに
どうしてお姉ちゃんのお金を
貰いに行かなきゃなんないのか
そんなに頻繁に頻繁に
頻繁にとも本人は思ってないんですよ。
でも奥さんは頻繁だなとは思ってるわけですよね。
政治家の奥さんは。
ただそれはお姉ちゃんが
心配だからなんだろうなとも
思ってるわけですよね。
そういう風に
見えてきていいはずのことが
いろんな形で見えなくなってる。
見えないように持っていかれていると。
結局それって全体的に見ると
この人間関係全域の
21:01
病理なんですけど
病理って言ってしまえばですね
課題なんですけれども
一人一人に分けて考えてしまうと
これ全部政治君の
心の問題みたいになってしまうんですよ。
そういう問題もここにはあると思います。
政治君はそれに最も無自覚なんですね。
実は。
最も無自覚なんですよ。
全部それは姉の問題だと思ってるから。
お姉ちゃんは実は
もしですよ。
そういう話にこの話
もし姉に何の問題もないんだとすると
政治君は大問題なんですよ。
でもそういう物の見方を
自分で取るって
かなり辛いじゃないですか。
そういうことはできないんですね。
なかなか。
だから政治君は
この問題を全部姉の問題だと
姉がひどく承認欲求が強くて
ああいうひどい家に育てられた人だから
こうなってしまったと
いうことにしておいて
お金払いに行くという
流れにしちゃってるわけですね。
そしてそのことは
何も問題じゃないと思ってるんだけど
実は問題なんですよ。
で、この
はるかちゃんは
お姉ちゃんはですね、夫に
弟には来ない
政治にはもう
家に来ないようにしてもらうからと
言ってるんだけど
これが私たちの世の中一般の
最高の解決策とされてますよね。
私はこれがつまり
バラバラ意識ってことだと思うんですけどね。
このはるかちゃんは
結局のところ
夫との家庭というものを
守りにかかっているわけです。
これは作者がそのことを
非常に肯定的に描いているから
これこそが幸せの姿
っていう感じがしちゃうんだけど
私はこれはすっごく
危ない方法だろうなって
感じはするんですよね。
そんなに深刻にならないように
思ってかれてますけれども
これをですね
この線で
25年くらい
時間を先へ進めると
多分いろんな問題が
起きてくるような日が
するんですよ。
このお姉ちゃんは
一人で生きていける人になっているわけですね。
国立代も出てるし
お金になるような資格も取ってるし
しかも家事、料理
全般自分一人でやれると
すごいいいセリフがあるんですよ。
どうやって離婚なんてできるの?
っていうセリフがあるんですよ。
これは夫が嫌いっていう意味では
ないんですけどね。
で、お母さんに向かって
言い放さないんですよ。
あなたとは違うのよ。
これが言いたかったわけですよね。
もしかすると作者は
これが言わせたいだけなのかな
って感じもしなくはないんですけれども
私はこの子と
この遥っていう人のですね
問題
実は私はここには
本当に意識されてないのか
これから書かれていくのか
24:01
だからこれが短編で終わるか長編で終わるかで
すごく話が違ってくる気がするんですけど
遥さんの問題
本当は旦那も問題があると思うんだけど
旦那はちょっとキャラが薄くてですね
実は横暴なように
最初すごいインパクト強そうだったんだけど
実は私にはキャラが薄く見えるんですよね。
遥さんはでも
絶対問題をすごく抱えているはずで
既に随所にその問題が出てきているんだけど
今のところ
何の問題もない主人公みたいになっちゃっているから
わかんないんですけど
同じ問題だとか思ったんですよね
成績の抱えている問題と
だから結構
10度まではいかないけど
すごくナルシズムの問題っていうのが
ある感じがするんですよ
ナルシスティックな感じがするじゃないですか
こういうことを言うと
以前、倉園さんがぶっちゃけ相談の中で
僕はそういう話をよくだったんですけど
夜が夜なら
夜が夜なら
火あふれされても不思議のないことを言っているって
私がですね
そういう話を伺って
そっか、なるほど
頭に留めておこうと思ったんですけどね
今の世の中的に言えば
こんな弟は切って
家に来させないようにして
その旦那と一緒に
愛の巣みたいなのに築いて
自分一人で生きていける力も資格も手に入れたんだから
そういうわけわからない
昭和的な
世の中で駄目な
愚鈍そうな連中をみんな切り捨てていくのが
正しいっていう流れってあると思うんですよ
だけど私は
まずそこを
それをやると
政治君の問題が浮き沙汰にされる
私この政治君の問題は
絶対お姉ちゃんに責任あると思うんで
この政治君が
コソ泥だから切り捨てるっていうのは
大きな問題があると思うんですよね
自分の問題が見えないという意味においては
お姉ちゃんも
自分の問題が見えないという感じがするんですよ
作者がそう書いてないのに
ここでそういう話を強引に持ってくるのは
あれだなとも思うんだけども
ただ少なくとも
このお姉さんは
ナルシシスティックじゃないですか
私はもう万全なのって言ってるわけですよ
一人で生きていけるのよって
言ってるわけですよ
資格もあるし孤立代も出たし
奨学金というのを終わされちゃったけど
それは返す能力はあるし
しかも旦那もいるし
家もある
仕事もできる
これは万能感ですよね
幼児万能感ってやつですよ
幼児万能感の中核には
やっぱり偽りがあるわけですね
いろんな偽りがありますけれども
そもそも大事なのは
このハルカちゃんに
みんなが騙されてたという事実が
この漫画ではそこが爽快で
スカッとするような
書き方になってるんだけど
お母さんは例えば
愚図でどうしようもなくて
嫌いする娘だけど
マルカはこの家に
いつでも帰ってきていいのよ
とか言って炎上するわけですよ
27:00
だけどこれは炎上するのは
つまりそのお母さんは
分かってないということになるんですけれども
ハルカのお母さんは
そんなにハルカのことを
いじめてるつもりは全くないんだけど
このお母さんの視点でも書かれます
本当に気の利かない子なんですよ
このお母さんの視観点を取るとね
でもやっぱりかわいそうだから
そんな夫なら家に帰ってきなさい
とか言ってそこで
大きな炎上を起こすんだけど
この炎上を演出したのは
ハルカさんじゃないですか
どうお考えだって
明らかにある意味では
これも全く本人は
そういう意識はないんですけど
みんなを騙してるわけですよ
本人はそういう意識は全くないですよ
そういう意味で
セイジ君とよく似ているわけですよ
全く無自覚に
こうやれば絶対みんなは
そういう解釈をするだろうな
というわけですよね
これに夫がついていきすぎているので
リアリティーがいまいち感じられないんですけど
多分この夫が自発的に
このハルカさんの
言ってみれば演技なんだけど
ハルカさんの演出の通りの
この筋書き通りに動かなかったとすると
この夫婦の関係は冷え込むはずなんですよね
現実にはそうなると思うんですよ
こういうふうに
この人の演出っていうのは
無意識的な部分も
いろいろ手伝っているので
本人にしてみれば絶対これは
正しい演出なんですよ
被害者を装うと
被害者ですから
お母さんはひどかった
お父さんは無理解だった
でも自分は頑張った
だから静かに静かにしていて
これらの被害を与えてきた連中を
一人残らず切り捨てるという
そういう筋書きに持ってっているんだけれども
それは無意識なわけですよ
子供の頃からの
ストーリー展開ですからね
しかもそんなストーリーは無いわけですから
自分の頭で作ったものですから
これに夫は
普通の当たり前のように乗っかっているけど
乗っかれないと思うんですよね
これを理解しているのは
遥さんの本人だけですから
だけれどもこれは物語なので
夫は乗っかっているわけですよね
そのストーリー
だから政治君が一番簡単に
コロッと騙されているんですけど
だから
それは
罵られるわけですよみんな
いかにお前たちは愚かかと
いうことで罵られるんだけど
よくよく考えるより
それっておかしな話ですよね
それは愚かなのかもしれないけれども
だけれども
そういう
なんていうんですかね
ポジションに
密かにみんなを配置したのは
自分じゃないですか
そこは完全に無自覚だという問題って
本当はあるはずで
それに完全には乗り切れなくて
この夫婦は別の問題を抱えていくはずで
だからそこは
愛の巣として完結しないはずなんですよね
というふうにすると
30:00
長編になっていくので
短編でバチッと切るには
もっとハッピーエンドに
終わらせる必要があるんだろうな
って感じはするんですけれども
でも政治君
僕はだからこの話は
実は全体としての興味は
あんまり古き
昭和の絵の告発みたいなのは
そんなに興味はないんですけど
政治君のこの描かれ方は
めちゃくちゃ興味深いと思うんですよ
人が悪事する時は
絶対これに近い形
よっぽど酷い人は別ですよ
よっぽど酷いというか
よっぽど犯罪に
突進していくケースの場合は
別として
普通にやってきている人が
ある種の病理なのか
犯罪なのか
よく分からないなっていう行動を
している時の
行動の取り方っていうのは
きっとこういうものだと思います
政治君はお金をくすめているつもりも
せびっているつもりもないんですよね
もらっているという感覚しかない
だけどもらうんだったら
それこそ政治君だったら
何でもしてくれる実家に
行ってもらえばいいわけだから
やっぱりここには何かあるはずなんですよね
本当はお姉ちゃんのところに
わざわざ行くからにはね
で、そのことに
全く意識が回っていかない
というのが
僕が思うところのナルシシズム
っていうのは
こういうもんだろうと思います
私たちみんなにあると思うんですよ
こんなに極端なケースは
レアだと思うんだけど
私自身にも必ずあって
自分の中核の
弱さみたいなものを
守りたいと思った時に
これが出るんですね
これが書かれていないのが
この話のやっぱり
政治君の
一番守りたいと思ってる
多分育てられ方からして
最初にちょこっと出てくる
政治君の奥さんからして
多分
外面ってことなんだと思うんですよね
外面をすごく取り繕うのに
お金が偉くいるっていう
そういうことがあって
この外面を
カッチリ固めておかないと
彼は不安なんだと思うんですよ
ものすごく
だからこれをするために
努力的だったんですよね
これもお姉ちゃんに罵られる
このお姉ちゃんすごいんですよ
名前さえ書けば受かるような私立に
お小遣い付きで入れてもらっていて
っていうセリフが出るんだけど
つまりこれは外面なんですよね
別にそこに行く必要は
政治君の場合ないわけでしょうからきっと
全部そういうふうに
彼の人生はある意味できているので
お金がいるんですよ
どうしても
ここが一番彼が
持ちたくないところで
そして一番自分が脆いと
実は思っている部分なんですよね
ここを補強しなきゃっていう意識が
無意識に強烈に働いて
多分いて
全部推測ですよ
僕勝手に
所詮架空の物語の中で
33:01
書かれてもいないことを
僕勝手にどんどん架空の話を
作ってるんで
全部よた話だと思って聞いてくださいね
結末全然違う話になるかもしれませんからね
これ
岡崎いらさんっていう
作者だったかな
知らなかったんですけどね
もうちょっと読もうと思いました
ただある程度
年齢いった方だろうなっていう感じは
しましたね
そこまで若い感じではない
ここまでいろんな観点から
書けるというのは
多分それなりにやっぱり
人生経験がないと
今だけ10代の人ってすごいけど
やっぱり経験で書くものだなって感じが
内容的にはしたんで
その
偶然なのかもしれないんですけど
この成治くんの
盲点ぶりがすごいんですよ
全くこう
気づいていない人みたいな
描き方ができている
それってなんかややおかしいじゃないですか
これって要するに言ってみれば
しょっちゅう万引きしてるんだけど
自分が万引きしてることには
半分ぐらいしか気づいてないっていう話ですからね
それを
乖離とか多重人格とか
無有病みたいな形じゃなくて
はっきり意識を持てているのに
そういう事態が起こってる
っていう風に描けているんですよ
私はこれに感心させられたんですよね
漫画だからできるっていう面は
あるんだけど
だけどやっぱり漫画っていう手法を通じて
この表現に成功してるっていうのは
すごいなって思いましたね
私もぜひこういう風に
小説って書きたいなって
昔小説書いてた時代があったんですよ
黒歴史ってやつですかね
別にクロックはないですけどね
恥ずかしいとは思わないんだけど
ただ原稿当時プリンターとかに出してたから
全部どっか行っちゃってるんですよね
フロッピーディスクに入れてたってやつですよ
そのフロッピーディスクはもちろん
1枚も残って
そういえば不思議ですよね
多分1000枚ぐらい持てた気がする
フロッピーディスクが
全部どっかに行ってるわけですからね
まとめて処分した記憶も
多少はあるんだけど
あんまないんですよね
とにかくそういうものが
昔僕のところにありました
それはどうでもいいんですけど
要するに自分の一番大事なものを守りたいと
そしてそれを守らないと
自分は生きていけないぐらい
自分は決して強靭じゃないっていう意識が
意識下に近い部分にあって
そんなことを日頃からきっちり意識してる人であれば
こういう工夫にはならない
意識下に近いところにあって
そしてそれを何とかする手段というものを
なんとなく環境の方で
用意してしまっているっていうのが
多分この事態を悪化させるんだと思うんですね
そういう意味で遥さんは
政治君の問題の中核に関わっているにも関わらず
政治が全て悪いになっちゃってるわけですよ
結局この話全域がそうなってるんですよね
政治君ははっきり言って
36:00
すごいろくでもない人なんですよ
この観点をお互いにとっていると
この種の問題は
私は決して良い方向には進まないという風には思うというか
全部そういう傾向があるんですよね
自己愛のカウンセリングの治療って
やっぱりすごくグループ療法が多い
そういうことでグループ療法と家族療法ですね
結局これは
誰か一人が抱え始める問題では絶対にないんですよ
必ず親兄弟というものが深く関わっていて
多くの場合新しく配偶者になった人も関わらせられていって
巻き込まれていくわけですよね
だからそれを一人の人をここから排除すれば
一切問題が消えてなくなるんだとか
昭和のままいけなかったという風に
お母さんが泣いて心のところから後悔すれば
事態が丸く収まるといったようなものでは本当はないんですよね
物語はそれでいいと思うんですよ
でも実際にこういう事態になってしまった場合には
多分それだけじゃ治らないだろうし
そういう風に切り離そうとしても
必ずもう一度そこが関わってくる
だから長編だと面白いんですよ
この弟さんがもし切り捨てられてしまうと
はるかに病理を悪化させて
もう一回このお姉さんに必ず絡んでくるはずなんですよね
そういう意味で
切り捨てるということが私は何の解決にもならないような
事態を一段と開くから20年経てば
親は多分亡くなっているか
何かこう置いているわけじゃないですか
そして一歩間違うと資産家だから住んでいたようなところでも
例えば詐欺にあってお金を失うとか
また私架空の話にさらに自分の勝手な話を盛り込んでますけど
要するにそういう事態を招いた悪い人が
弟がはるかに悪くなってお姉さんに絡んできたら
どうするのかという問題があるはずなんですよ
本当はね
ここで切り捨てて
良い旦那と二人で幸せに暮らしました
というわけには
僕はいかないような気がするんですよね
だから
だけどそんなことはどうでもいいことなんです
何回も同じような話をしていますけど
自己愛性・人格障害とか
いわゆる自己愛の病理というのは
こういう気味悪さを人に感じさせるような
というのが
このストーリーの中では
すごく上手に表現されていて
本当に短い話の中で
なるほどなという感じがあるんですよ
よく言うと
裏表のある人が表いい顔をして
裏で金とか取っていくとか
そういう話がいっぱいあるんだけど
そういうんじゃないんですよね
自覚がないにもかかわらず
39:00
それが
いわゆる
二重人格系の
その時記憶がありませんというのとは違う
というのが面白いんですよ
そういう書き方ができるってことが
すごいなって感じます
ドステフスキーに二重人格という
タイトルが間違っている本があって
あれ二重誌なんですけれども
ドッペルゲンガー小報道なんですけど
もう一人の自分を見ちゃうってやつですね
二重人格ってそうじゃないですよね
ジキルとハイドだから
ジキルはハイド見ないし
ハイドはジキル見ないんだけど
そうじゃなくて
ドステフスキーの二重人格は
もう一人の自分を見ちゃうっていうやつなんですよ
あれは少し
やっぱり二重人格よりも
どっちかというと病理としては
きついんじゃないか
重いんじゃないかって感じがするんですよね
意識してるわけじゃないですか
自分自身を
なのにそいつを止められないというのが
はっきりあって
しかもそいつが暴走してるのを見るっていうのは
相当何かが
なんかこう
こじれてる感じがしますよね
それにちょっと近いんじゃないかなって思うんですよ
そういう
ジュードのナルシシズムみたいな
自分が何してるのか知ってると
だけどそれは
どういう意味を持ってるのかが
分かっていないと
で、同じこと他人がしていたら
それは犯罪だと思うと
こういうのがですね
全部成立しちゃうような心理状態っていうのが
多分あるんだろうと思いましたね
40:37

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