00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
これをやっていてよく思うんですが、
喋ることが山のようにあるときと、全然ないなというときが、
何か知らないけど、狙う波があるんですよね。
今はわりと、週の始まりだからだとも思うんですけど、
でも、常にそうだって言うわけでもないんですよ。
とにかくいっぱいありすぎて、いっぱいあればあったで困るんですよね。
どれもこれもがごっちゃりしてきて、あんまり喋りやすくはならないし、
足りなければ足りないで困るわけですよ、当然ないわけだから。
そういうようなもろもろがあったりします。
それはそれとして、今日は19日だったと思うんですけど、
明日ですね、私のタスク管理の本が朝出版さんから出ます。
タスク管理の本が出ますってCMしておきながら、
これからヒステリーの話がしたいなと思っているから、
すごいあれ困るんですけどね。
これを私は多分ライフワークにするんだろうなって最近思い始めました。
すごくここも説明が本当はいるんですけど、
グッドバイブスですよ、グラズノさんの影響を強く受けて、
強く受けて似てるところもたくさんあるっていうこともあるんだけど、
それよりも抑圧しなくなったんですよね、精神分析を。
ヒステリーから語るっていう話を、僕は絶対やめておこうって思って、
長らく、20年くらいほぼ封印してきた内容で、
封印しすぎて忘れるくらいな、
喋る気力自体がもうなくなっちゃってたっていう状態だったのが、
全部出てくるのが今なんですよね、今全部出てきていると。
グッドモーニングボイスも最初からそうするつもりだったわけじゃないんですけど、
あっという間にそうなったんですよね。
これを語るのに対する恐れや不安を取り除くとこうなるんだなっていうのが分かったんですよ。
いろんな意味で語ることがリスクもあると思ってたし、
コストもでかいと思ってたし、見合うものも何もないと思ってたし、
喋りたいっていうのはずっとあったんですよ、留学帰ってきた後とかはですね。
ただアメリカ帰りだったから、当然私が学んだ精神分析は全部アメリカのもので、
ある意味私が学んだ心理学って結局全部アメリカの精神分析なんですよ、今から思えばですけどね。
ということすら認識しないまま、とにかくこれについて喋るのは良しておこうと。
03:07
今もう寄せばいいのにと思って聞いていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんけど、
もう多分止まることはない。
これが止まるとすると、多分あれですよね、
グッドバイブスも一切信じなくなった時だと思いますね。
その時は精神分析について喋るのが一切停止して、またライフハック一変等になるかもしれないんですけど、
そういうことが起こらない限りは、これが止まることはないだろうなと。
なぜなら、私ライフハックとの折り合いが絶対ダメだから、精神分析についていかなる言動も避けようくらいに思っていたわけですから、
折り合いがつくんだということになれば、全然構わず喋ることになっていくわけですよ。
というわけで、すごく僕が今見ても相性良いようには思えないタスク管理の本が出ると言いましたね。
これはぜひ私は一冊でも多く読まれていきたいと思っています。
実験作なんですよ、本当に。
こういう封印していたものを解いた後に出す本だから、うまくいってるという自信があるとかではないんだけど、
でもこういう本がないっていうのは、長らくこれも意識してきたことなので、精神分析の話とか出てこないですよ、ほぼ。
だけれども、そういう下地があって書いているのと、そういう下地をなくして書いているのの違いがあるんですよ。
そういうわけで、私の中で融合させていこうというのの、第1弾が顔色の本だとすると第2弾になるって、
そしてもう全然顔色とは似ても似つかないものになっておりますが、そういうことです。
これやっぱり受けた依頼に応えているからなんですよね。
朝出版さんからお話をいただいていて、最初の、もちろん朝出版の編集者さんはまさかですね、
私がフロイトの話を従っている状態でタスク管理の方を書くと、夢夢思われていないと思って、そういうことですね。
そういう流れの中で書いた本だから、独特のねじれのようなものはあるかもしれない。
でも朝出版さんからお話をいただいて、私はこういうのが期待以上必ず融合させて、
チャレンジしていこうとは思っていますので、そういうこともあってですね、実験作という話になっているわけですね。
ついでに言ってしまうとですね、31日、今月の31日、ラストですね、7月。
橘竹志さんという方と情報発信をテーマに、私は自己発信という話をしたいと思っているんですけど、
これも同じような流れです。私はこの自己発信というのは、精神分析的なところから、
06:06
グッドバイブスでもあるけれども、そういうところから自分が出力していく内容の一つだと思っているので、
でも情報発信ってライフハックにあったじゃないですか。だから融合させていくという流れの中の活動なんですね。
これに私は今言ってみれば、ここを柱にして回しているというわけです。
収益の柱という意味ではないですよ。収益の柱ではなっていないです。活動の柱ですね。
そういう収益の柱にもしていきたいなとは思っているんですけどね。
という話がありまして、心おきなくというか、伝えるべきことは伝えると思うので、
システリーの話をしたいというわけですね。
なんでタスク管理だの?自己発信だの?と関係があるのかと、
ぜひですね、この活動を応援したいと思う方、思ってくださる方は本を見てみてほしいわけですね。
これのアマゾン順位が僕のこの活動を支えていくようなところも多分にあるので、
橘さんとのセミナーに参加いただくとか、アーカイブ買ってくださるとかでも全然すごいありがたい。
話を聞いてほしいというのと、この活動を柱にしたいというのは、
僕にとって切り離せない上に切実になってきているので、これで苔けるとまた大変じゃないですか。
苔けたから諦めるってわけにはいかないんで、また一生懸命いろんなことをするんでしょうけど、
こういうプロジェクトというのは違うんですけど、
一大ムーブメントを自分の中では強行して壊滅するとですね、また後で回収して頑張っていくというのが大変なんですよ。
でもそれを考えるというのはグッドバイオス的ではないですね。
非常に先々のことを考えていますから、多少は考えざるを得ないんですよね。
なぜなら引き落としというのは、1ヶ月後2ヶ月後にある一定の金額まとまってやってきちゃうんで、
講座引き落としというやつですね。
だからムーブメントするぞというのとマネタイズもするぞというのは、一刻を争う面があるわけです。
一刻は争わないけど、1日1日とぼんやりしていくと、
すぐ危機に陥るわけですよ。
そういうこともあって、いろいろなわけです。
ヒステリーの話なんですが、
フロイトはヒステリーの人を見るところから始まったということなんです。
彼が偉いのは、普通ならそこで絶対挫折するだろうというところで、
前進していけた非常に独特な不思議さがある人なんですね。
当時何にもないわけですから、試験が。
09:02
無意識すらないわけですから。
言葉はさすがにあったと思うんですよ、無意識って言葉が。
でもフロイトが使っていた意味とは全く違う使い方をしていたと思いますからね。
どうしてグッドバイブスなの?と言われると、さっき言った、
クラゾノさんに恐れと不安を取り除くというのを、
そういう強いメッセージを受けた時に、
とことん取り除くと、これが出てきたというわけですよね。
私の場合。
ついでによく似たところもあったということなんですよ。
どちらかというとユングの方がクラゾノさんのお話は似ているんですけれども、
ユングというのはフロイト抜きにはありえなかった人だと思うので、
当然ユングに似ているということは、最終的にはフロイトとも似てくるわけですね。
そして面白いなと思うのは、
フロイトも非常に100%と言っていいくらい経験主義なわけですよ。
クラゾノさんもクラゾノさんで、何かが参考になったりはしますよね、仏教とかね。
入ってこないわけがないので、日本人の頭の中に。
だけれども基本は経験ベースで、要するに体験ベースで考えてきたこと。
フロイトは全部臨床ベースなわけですよ。
ここは非常に重要なところです。
臨床でなくて、あれが出てきたらむしろ巨人に近いぐらいですよね。
天才的だとは思いますけれども、あんな理屈が臨床へずには出てこないわけですよ。
キーじゃないですか。
よく今でも言われますけれども、フロイトというのは全部精力をベースにしていて、
全くナンセンスな感じしかしない。
これはナンセンスな感じしかしなくて当然なんですよね。
頭で考える限りその通りだと思います。
ただ実際に体は何も問題がないのに、ここが最初のところで非常に大事だった心身症ですね。
つまり体は何も問題ないのに、なぜか例えば夜眠れませんとか、
鼻が裸足くなってくると物も食べられませんとか、母国語が喋れなくなりましたとか、
お腹がものすごく痛むんだけどお腹は何ともないですね。
私もそういう風になったから、自分がそれになったことがグッドバイオスに入っていた一つのきっかけでしたけど、
要は気質側から、身体の側からは一切アプローチできない、でもそういう病気があると。
それはもう昔から間違いなくあったはずなんですよ。
この時にそういう人を見ていくとフロイトのような理屈が出てくるという、
この臨床ベースというのが大事だったんだし、ヒステリーというのはそれにはうってつけの実例だったんですね。
何しろ体が動かなくなったりするわけですから、起き上がることもできない、欲打つとかではなくてですね、
12:01
物を食べられないとか話もできないとか、さっき言いましたけど、
要は普通それは身体のどこかに異常があるとしか思えないじゃないですか。
ただ黙っていじろぎもせずにいます。でも身体どこもはるかはありません。困ってしまいますよね。
ここに精神の働きというものを見るわけですよ。
非常にざっくりとしたところで言うとここから始まるわけですよね。
心の働きのせいでこういうことが起こっているんじゃないかと。
逆に言うと心がちゃんと働かないからこうなっているんじゃないかと言ってもいいですよね。
そうすると、じゃあ心というのは私たちはいつもみんなちゃんと働いているんだということになりますよね。
意識はしていないけど。どういうふうに働いているんだろうという話から多分始まっていくんですよ。
ヒステリーというのは一番最初の患者さん、超有名なアンナ王さんですが、
彼女の事例もすごいし、あそこからフロイドの理屈が出てくるというのは言われてみれば最もだけど、
多分最初はそんなふうには思わない。
先日また戸綾太さんの臨床心理抗議を受けたんですけど、
もっとこっちの事例の方がまさにそれらしいというのがドーラという人なんですよね。
少霊ドーラとよく言われるんですが、新庁だったか岩並だったかそれ以外だったか文庫で出ているんですが、
あるヒステリー分析の断片かな、そんなようなタイトルの本があります。
非常に私はヒルメロみたいなんですよ。
クズばっかりだなってある意味、グッドワイブス的にですね。
人をクズと言っちゃいけないんですけど、本当にもうひどいんですよ、ドーラさん。
人権とかまともになるわけですよね。
まして女性となってくると。
だからもうセクハラされ放題だね。
そして女性が人権を持っているわけですよね。
女性が女性となってくるとね、
女性が女性を持っているわけですよね。
女性が女性に対して女性を持っているわけですよね。
それを自分の男性にさせるということになりますね。
人権とかまともにないわけですよね
まして女性となってくると
だからもうセクハラされ放題だし
ドーラは少女なんですけど
10代ですね間違いなく
それでフロイトのところに来ると
いろんな意味で心身症が出てしまう
心身症くらい出て当然だなと思うんですけど
ここもまた非常に大事なんですけど
出て当然だとは当時は思われてないわけですよね
無意識とかがやっとフロイトが言って
事実上誰も受け入れなかったわけだから
気質の病気じゃないなら病気じゃないわけですよ
言ってしまえば
完全に発狂してるとかは別ですよ
当時からいらっしゃったはずですからね
それも精神分析に寄せると
そんなに簡単な話じゃないけど
少なくとも当時から言っただけだ
ドーラのようにごく普通に生活もできています
15:00
そして頭もしっかりしています
ただ明らかに自分の身体の状態がおかしいです
それは身体の医者に行きなさいって話になるんですよ
当然そうした可能性は最初あるんだけど
一向に良くならないと
これひっせりでよく聞きますよね
一向に良くならないと
当たり前なんですよね
身体どこも悪くないんだから
フロイト先生の様子は非常に変わった
ほぼ当時の感じから言うと
細木和子さんくらいの感じに
見られていた可能性もあると思うんですよね
人によると思いますよ
教授でしたしね
ただいかがわしい占い師
崩れの医者くらい
そういうふうに思われていたところにも
やってくる人はいるわけですよね
いろんな意味で
他のところに行っても
ラッチは開かなかったと思うんでね
行って何があるかというと
まず出てくるのがKという
ドーラの家庭教師ですよ
こいつがドーラに迫ると
ここがまず一つの大きなポイントなんですけど
このドーラに迫ってくるこの男が
こういうところでですね
精神分析の問題がどうしても
フェミニズムの問題と
ちなみにこれは断っておきたいんですけど
別に私はフェミニズムに反対とかでは
全然ないですから
むしろああいう運動はあって当然だし
あるべきだとも思うんですけど
こうしたドーラのような方に
すぐにですね
この人がかわいそうというアプローチじゃ
ドーラにとってラッチが開かないんですよね
確かにかわいそうなんだけど
すごくドーラに同情して
ドーラの側に立って
Kを訴えるとかやっても
必ずしもその子の症状が
ベターになるとは思われないんですよね
こういう話を見ていると
そういうところにやっぱり
アプローチの仕方の違いは
あって当然だと思うんですよ
フェミニズム一変等では
どうしようもない部分もあると思うんですね
当然ここでフェミニズムが出てくるはずですよ
ただ当時は
日本国憲法とかがあるわけじゃないんで
全然ドーラはどこにも訴える先がないんですね
しかもその家庭教師をつけたのが
ここ大事なんですが
自分のお父さんだとは来てるわけですよ
今の精神分析の考え方を適用すれば
この種の話は大体一発で
ある程度図式化できるんですけど
当然フロイトはそういうことが
知識上全然ないわけです
ここがすごいいいところですよね
で、なぜ
例えばケイがキスを迫るとか
迫るんですよ
なぜそういう時にドーラが吐き気を覚えたって言うんだけど
じゃあなんで吐き気を覚えるの
という風にフロイトは考える
普通そうは考えないですよね
当たり前じゃんっていう風に考えちゃうじゃないですか
でもフロイトはそうは考えない
吐き気を覚えるほど
例えばこの男は見にくいのかというと
この男はなかなかイケメンだと
18:00
そういうことが書いてあるわけですよ
論文に
非常に大事なポイントなんですよね
なんかちょっと観点がおかしいんじゃないかと
思われるかもしれませんけれども
若い女性がそこそこイケメンの家庭教師に
迫られて
なんで吐き気を覚えなければならないのかと
これは全然違うアプローチを
考えているわけですよね彼は
答えを知ってるわけじゃないですよ
答えを知らないのに
こういう風に考えるところが大事なんですよね
今だったらわかりますよ
ヒステリーなんだという話は
だけれどもフロイトはヒステリーなんだとは
そうは考えているんだけど
その今我々が
知ってるほどには彼自身
何も知らないわけですよねある意味では
だけれども
これは理屈に合わないと
まず考えるんですね
吐き気を模様からには
吐き気を模様させるだけの
何か力がある
例えばこういうのをリビドウと言い出したりするわけですけどね
こういうものが働いているはずだ
とりあえずまず考えるわけですよ
こういうアプローチに
乗っていけるところが
すごいと思うんですよね
で
このお父さんが
家庭教師につけてきたと
ドラのためにということですね
この偽善感がまたひどいんですよ
かんぱないぐらいみんな
偽善者なんですね
こういうところからヒステリーというか
精神症って出てくるじゃないですか
周りがみんな偽善者で
あなたのためって言ってひどいことをしてくると
非常に
気持ちが悪くなっていきますよね
で
このケイの
お父さんが
どうしてケイを家庭教師につけたかというと
実はこのドラのお父さんは
ケイの奥さんと不倫しているんですよ
こういう
ヒルメロみたいな世界なわけですね
だから
ケイを
ケイとドラを
引き合わせていくわけですね
完全になってはいいんですかね
あの
よく言ってもトレードですよね
もっとひどいと思いますけど
感じとしては
つまり私は
あなたの奥さんといい仲だけれども
うちの娘の家庭教師を
やってくれないかと
これを上流階級なんで
まるで素知らぬ顔で
みんなやっていくわけですよね
絶対これは人権問題だと
思うんだけど
当時はそういう問題のアプローチの仕方も
なかったわけじゃないと思うんですけど
今ほどはなくて
フロイトはまず棒で当然考えるわけですね
お父さんを
どのくらいドラは
好きなのかと
非常に大事なポイントですよね
もちろんドラは
こういう父親の偽善ぶりを
知っているんで
非常に腹を立てるわけですが
腹を立てるということは
期待しているってことじゃないですか
お父さんにある程度は
というかドラは
かなりの程度なんですけど
つまりお父さん大好きだったんですよね
少なくとも大好きだった時期はあったと
21:00
で
それがお父さんのこの目論みに対して
目論みがあるわけですよね
アンビバレントに絶対
なっていきますよね
このままいいダクダフと
お父さんが望む通りにケイといい仲になる
ということは断じて
受け入れられないけれども
でもお父さんのことは好きだから
お父さんの意図するような
方法に沿っていったほうが
結局は全て良くなるんじゃないだろうか
こういうところから
イステリーという問題
つまりなんて言うんですかね
要は言ってみれば
非常にグッドと
非常にバッドってのが
同居してしまうわけです
この番組でも何度かお話した
隠れピッチやってました
というコミック
どうして女の人が
男の人に
気のある素振りをやたらした挙句
さっと振るか
リベンジをしたいということなんですよ
これは
このリベンジの仕方というものが
非常にヒステリックな
雰囲気というものを
帯びてくるわけですよね
ヒステリックなという
言い方がまずければ
何かの
自分の機能を停止させるということが
リベンジにつながる
ドーラの場合がそうなんですけど
どんなにですね
抑圧されていようと
差別されていようと
人権が無視されていようと
だから無抵抗ということはないわけです
人間だから
ドーラはつまり
確かに立場は大変弱いわけですよ
もうそんな
家庭教師面をして
そして
お父さんの言うことが絶対の事態で
この家庭教師をつけたのはお父さん
しかもそのお父さんがやりたいことは
ケイの奥さんとの不倫を
公認の状態に
少なくとも今の状態を
諦める気はざらざらないわけですね
でもケイの
怒りはなだめないと
こういうことがあるわけですよ
全部この
まんまの通りだという話ではないし
これを全部
ドーラが認識しているというのとも
違うともしていると
考えた方がいいような気がするんですね
で
こういうえぐい状況にあって
どこかに訴えるということも
どこかの週刊誌に
持っていくということもならない状態で
でも
言いなりになりたくないとすると
何かできる
何ができるかというと
受け入れないということができるんですね
受け入れないということは
つまり
性欲を抑止すれば一番いいわけですよ
こういう構図で
考えてみると
いかにですね
性欲を抑圧した結果
精神病になるという
この門切り型にこれを言ってしまうことが
現実から遠いか
って感じがするじゃないですか
私はこのフロイトについて
言われている
性欲を抑圧することで
24:00
精神病が発露するみたいな
こういう言い方っていうのは
どこも間違ってはいないんですけどね
全然
何も言ってないんですよ
つまり
この
ドーラの事例っていうのを見ると
性欲というものを
けぎらいするような
ところに持っていけば
この状況に対してリベンジできる
という自分の欲望が果たせるんですよ
この過程で
ヒステリーというものが
生まれてくるわけですよね
生じてくるというのかな
だから私は
ブログでも書いてるんですけど
高梨涼子さんの
自分の反省書かれてますけど
牛乳嫌いになるまでの一冊
あれにページ書いてるんですけど
使って
非常に聞かれるんですよね
牛乳を嫌いになれさえすれば
自分のような貧乏になる
牛乳を飲んで
生活保護受けてる人に
当時は言われるんですよ
学校の先生とかに
だから牛乳を嫌いになろうと
決意して牛乳嫌いになると
この構図とヒステリーは
ほぼ同じだと思えるんですよね
つまり
意識下に
これをやってしまわないと
自然の発露にならないじゃないですか
牛乳が嫌い男が嫌い
っていうのを自然の発露にしたいわけですよね
人は
演技でやってたんじゃしょうがないから
本心で嫌いになるためには
自分が嫌いになったってことを
忘れるのが一番良いんですよ
自分が嫌いになった経過を
覚えていたんでは
なりきれないじゃないですか
好きも同じですよね
人は自然に人を好きになりたい
って思うじゃないですか
好きになろうとして好きになったんではだめじゃないですか
でも好きになろうとして
好きになったという時に
それが自然だったと思うためには
好きになろうとしたことを忘れればいいんですよ
フロイトの欲圧というのは、これを指すんだと思うんですね。
だから、ドーラは、なぜ自分が男嫌いになったのかは、もう忘れてしまうんですね。
男嫌いになった最大の原因は、お父さんが嫌いになったからなんですよ。
でも、それはお父さんが大好きだったからなんですね。
こういう複雑さを、コンプレックスって言いますよね。複雑。
コンプレックスを自分の心の奥底に、ほとんど忘却する形で置いた。
それが彼女の様々な、言ってみればもうご飯も食べたくない。
もちろん、ケイと会いたくはない。男と話したくはない、みたいになっていく。
これを全部、その要因、最初の原因を忘れていけばですね、
男が来ると話せないとか、ご飯が食べられなくなったとか、
そういう表面的な症状だけが、そこに取り残される可能性になる。
こういうのが、つまりヒステリーっていうものなんだろうと思います。
ということは、つまりヒステリーというのは、こういう事例で考えると特にですけど、
27:00
何かしらのリベンジに近い欲求を満たすための、自分の生理的な機能の停止。
特に性欲の停止っていうものを指すんだろうと。
だから、隠れビッチみたいになるわけですよ。
なぜそうしたいのかは分からない。
でも、男に復讐したい。
そのために一番いいのは、いざって時に性欲がなくなっちゃう事なんですよ。
これが男の人にとっては一番厳しい。
イヴ・ホワイトの例。
あれもヒステリーの典型的な例ですけど、非常にわかりやすいですよね。
不干渉ですから。
あれがラルフだったかな。
あの夫にとって一番厳しい。
散々努力した挙句、いざその状態になると、相手は全く何にも心良い反応はしてくれなくなる。
これはでも人権問題じゃないですか。
つまり、何にも自分に選択の余地がないくらい自分の立場が弱ければ、何が最大の抵抗としてやれるかというと、何の反応もしないことだというのが、こういうところで理解が一致しちゃうんですよね。
これをフロイトが徐々に理解していくのが、小礼・ドーラという論文なんですよね。
Kが現れた。これが第2のお父さんじゃないですか。
当然、Kに惹かれる部分は、ドーラはそういうことを言っていたと思うんですよね。あったと思うんですよ。
でも、やっぱりそこにお父さんを投影して、お父さんを投影するのは当たり前ですよ。お父さんの息がかかっているようなもんですから。
吐き気を思います。
どうして大好きな人は大嫌いであるというのが、2つ目の実例として挙がってくるわけですよね。
そこにフロイト先生がやってくる。第3のお父さんになっちゃいますよね。
これを転移というわけじゃないですか。
転移なるという言葉を、当時はフロイトがやっと見出した頃ですよね。
だから、わからないわけですよ。このようなことが起きるということがわからない。
知らなかったはずはないですよ。
われわれは、例えばヨーロッパでもみんなロミオとジレットとか見るわけじゃないですか。シェイクスピアとかね。
劇見ればその人に投影しちゃうんですよね。
投影しちゃうということは、劇中の誰かが自分の親に見えたり、自分の恋人に見えたり、自分の子供に見えているということですよね。
だから、投影ということを人が知らなかったはずはないけれども、これが治療に介入してくるなどという話を、一度もそれまで誰も言っていない中で、
フロイトはいきなりそれに、初めての人じゃないんですけれども、きっと直面するわけですよね。
ドーラは自分を父親に見る。
これをこの展開から考えて、もうキンキンドーラはフロイトを憎むようになりますよね。
30:02
だってお父さん大嫌いなんだから、フロイトがお父さんならば、フロイトのことが大嫌いになるのは時間の問題ですよね。
そうして、私はこの治療をやめますというわけですよね。
ここでフロイトが言っている、やめたいときにはいつやめてもいいんですが、非常に考えさせられるセリフだと思うんですよ。
精神分析とかカウンセリングってこれを言うことになってますよね。
多分、相手がやめたいと言ったときは、いつでもあなたがやめたいと思ったらやめることができるんです。
そうじゃないと人権問題ですからね。
だけれども、このセリフって一つの意味だけでは、そういう医者と患者という非常にカチッとした枠組みの、どうしても外側を意識しないわけにはいかないじゃないですか。
どう考えてもこれは、例えば恋人同士で、私、あなたと会うのは今日で終わりにしますって言ったとき、男が、
君がやめたいと思うなら、いつやめてもいいんだ。
このセリフひどいじゃないですか。
こういう枠組みで考えると。
でもこういう枠組みが精神分析とかカウンセリングでは、実際に成立しちゃうんですよ。
そうすると、医者として言う当然のセリフが、ものすごく冷酷なセリフになってしまいますよね、同時に。
だから、お金を取る必要があるんですよ。
そして時間も決める必要があるんですよね。
この枠組みは、医者と患者と言いますか、近代的なと言いますか、
とにかくこの、生の男女の枠組みではないよっていうサインがどこかにないと、もう何もなくなってしまいますよね、完全に。
ただの恋愛関係になってしまう。
だから、お金がここに介在しなければいけないわけですよね。
そして初めて、これを同時に意識するということを患者に知り得るわけですよね。
恋愛関係でもあるし、医者と患者でもあるし、どっちでもないとも言える。
こういう、文脈というものが私たちを決定つけないということを、私たちに思い知らせてくれる、そういう装置とも言えるんですよ、きっとあれは。
文脈というものに我々は囚われますよね。
親子だからこうしなければいけない。
親子と先生と家庭教師と生徒だから先生の言うことを聞かなければいけない。
そういうものによってドラは縛り付けられているわけじゃないですか。
だからその唯一の抵抗策として、自分の欲求というものを全部ないものにしてしまう。
これが一番のリベンジになると。
ちなみにクラゾーのケドさんがグッドファイブスで、リベンジはその人を救わないというわけですよ。
そういう風に言ってないかもしれないけど、そういう話をされるわけです。
結局フロイトもそういうことに持っていきたかったんですよ、最終的には。
33:00
でもドラはフロイトにリベンジして、その場を。
だって好きに言われたセリフからして、ドラはもう二度と来たくない。
てか来れないじゃないですか。あなたはいつ辞めてもいいんです。
そんな風に言われたら、もう絶対ドラの気持ちとしては、二度とこいつに会うもんかって思うじゃないですか。
でもそうして困るのはドラですよね。
ここが彼のフロイトの失敗であって、
でもこれによってフロイトは転移というものを発見していくわけですよね。
だからつまり転移解釈というか、転移というのは失敗区なわけですよ、最初から。
だって大抵はリベンジしたい人をそこに投影しちゃうことが多いわけですから、
そういうことを現実にその医者との関係でそこに投入してしまえば、
まあ二度と来たくない。だから二度と来なくなった。
そうしてフロイトは、要するにお父さんなんだけど、
お父さんの治療を失敗させて、自分はスッキリすると。
このスッキリによって非常に中途半端な治療のまま離脱してしまうわけですね、
カウンセリングから。
そうしておそらく症状は取れずに終わるはずですよ、この場合には。
だってお父さんへの復讐は全然果たされてもういないし、
経は行かずいるし、そして自分のアンビバレントな気分というものが。
つまりだからこれを解釈自分ができるようになると。
ということはつまりどういうことかというと、
こういうことが現実にはあるんだけれども、
そしてお父さんとか経とかクズばっかりだったりもするんだけれども、
でもそういう中で自分は生まれてきて、
そしてこれを何とかすることが自分にはできると思えればですね、
多分何とかなるはずなんですよね。
だってこういう話って結局いっぱいあるわけじゃないですか。
そしていっぱいあるからイステリーというのが当時いっぱい患者さんがいて、
フロイトは結局それで食ってたわけですよ。
こういう現実があるんですよね。
現実はこうであっちゃダメだとか、
全ての現実を正してやらなければならないと思えば思うほど、
こんな話は抜き差しならなくなっていってしまって、
事態が悪化していくはずなんですよね。
少なくともその人の心理的なもつれは解けなくなっていくでしょう。
でですね、
初礼動画はここで終わっちゃってるんで、
ある意味ここまでなんですけど、
で私はタスク管理なんですよ。
タスク管理をするにあたってですね、
一番ポイントは大事なタスクが実行できればいいはずなんですね。
よくあるじゃないですか。
これからグッドモーニングボイスをやるぞとなったらできませんとか、
もうできないから明日に回そうとか、
いう風にするとき、
あるいは原稿を書こうとしてるんだけど、
36:01
なんかどうしても今日は気が乗らないとか言って書かない日が、
気がつくと21日、3週間くらい過ぎるとか、
そして編集さんからどうなってるんですかっていうメールをもらうと、
この時に私が編集さんにリベンジしている気持ちが、
少しでもあるかないかっていうのは大きいと思うんですね。
全部がとは言いませんけれども、
タスクが実行できないときに、
特に私は今は男性でも、
男性がと言いたいくらいなんですけど、
男性でも自分のヒステリーってものを大いに疑うべきだと思うんですね。
心のどこかでこの自分が無能になることで、
そういうことですよ。
無能になることで、機能を停止することで、
誰かに一生返しができると感じているんじゃないかと。
俺が原稿を書かないとお前困るだろうって、
少しでも思ってないかと。
これはですね、
私たちは、
例えばアイドルみたいな人は分かんないですけどね、
私アイドルとか全然分かんないんで、
でもファンの人にやるってことはあり得ると思うんですよね。
私の歌が聴きたいんだろうけど、
もう二度と歌ってあげないからと。
なぜそう思うのかっていろいろあるじゃないですか。
十分あり得る話だと僕は思うんですよね。
こういうふうに思ったんだけど、
でもそのことは忘れちゃったという人が、
歌が歌えなくなる。
別に不思議なことじゃないと僕は思うんですよ。
牛乳だって嫌いになれるんですから、私たちは。
最初の理由はよっぽど腹に据えかねることが、
ファンから酷いバニゾーゴンのツイートを読んだとかね。
誤解かもしれませんけどね。
でもそういうのを読んで、
二度とこいつらに歌を歌ってやるかと。
ものすごい速度で思って。
で、一晩寝て忘れちゃうんですよ。
何があったかと思って。
それから3週間くらいして、
そういえば歌を歌ってないみたいなね。
そういうことはあり得るはずだし、
タスク管理っていう、
要するにそれは、
何かに関する実行というものを
自分に約束しようって話なんだけど、
その約束をしようっていうことを
わざわざ紙に書かなければならないのは、
どうしてなんでしょうと。
フロイトは失策行為って言ったんですよね。
本当に絶対にそれをするつもりがあるなら、
ポストを見て手紙を出すのを忘れるはずがないと。
忘れたってことは忘れたかったんだと。
こういうところから彼の無意識という問題、
そして結局転移ってところまでいくんだけれども、
そういうふうに発展していった考え方があるわけですよ。
その途中にですね、
リベンジっていうのはすごい力を発揮すると思うんですね。
なんか私たちってそうじゃないですか。
この復讐が一体自分にとって何になるんだっていう復讐をしたくなるでしょ。
39:03
ドーラはフロイトに復讐して何にもならないはずなんだけれども、
多分相当スッキリすると思うんですよね。
こういうのはどこでも起こる話ですよ。
クラゾノさんのところに行って、
アドバイブスやりますみたいな方がいて、
クラゾノさんに例えばお兄ちゃんを見ちゃったと。
お兄ちゃんは昔自分に散々暴力を振るってきたと。
こいつ困らせてやったらさぞ気持ちがいいだろうと思って、
一つ意識ですね、分かりますとか言って、
むっきりバラバラ意識で生きると。
困るのは本人なんだけど、
すっごいスッキリするってことは起こるんですよ。
何ならタスク管理でも、
例えばジェン・松崎さんという人がドイツへ行って、
なんか調子良さそうで腹が立つと。
あいつを困らせてやったらさぞスッキリするだろうと思って、
タスクシュートをやっても、
ちっともタスクが進まない。
困るのはタスクが進まない人のはずなんだけど、
タスクシュートでやっても全然進みませんでしたと。
Jさんにメールを出せたらすごい気持ちがいいとか、
そういうことはあるんですよね。
だから盗作って言うんですよ。
正という言葉がつかなくても、
正盗作とあえて言わなくても、
盗作というものは起こるものなんですよね。
私たち結局何かを失うのが怖くて、
何かをしないという時は、
だってよくこのパターンにはまっていると思うんですよね。
誰かが何かこう、
ツイッターとかで悪く言うから原稿を書かないとか、
タスクシュートの発表はしないとか、
そういうふうにだんだんなるとするとですね、
何の復習をしているのか、
本人にはよくわからないんだけれども、
つまりそれは結局リベンジというのもまた、
恐怖から来るんですよね。
失う恐怖から来ているわけです。
アンナ王のほうがドーラさんよりは、
はるかに高級といえば高級な事例だと私は思うんです。
高級はないんですよね、高級も低級も。
アンナ王さんはたぶん本当にお父さんが好きで、
散々介護をしたわけですよね。
でも亡くなってしまった。
このように失ったお父さんに復習したかったんですよ、
たぶん彼女は。
それだけじゃないと思いますが、
私別に対する理不尽な思いというのは、
実に独特なものがあって、
やっぱりよくありますよね。
私別による欲打つ、そのもの怒りですよね。
この怒りでたぶん彼女は、
どんなことができなくなっていくわけですね。
あの時はフロイトというよりはフロイヤーという先生が、
アンナ王に非常にべったりだったんですけど、
そこの展開も非常にヒステリーそのものって感じです。
何も彼女はできなくなる。
もう水も飲めなくなる。
っていうところまでいくんですよ。
私はあれはいろんな解釈があるし、
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私のような素人がそういうことを言うのもどうかと思うんだけど、
でもやっぱりあれはフロイヤーという人を、
亡き父親を見て復習してるというか、
甘えているというか、
そういう感じだと思うんですよね。
私が何もできなくなったら、
この先生は私から離れられなくなると。
そういう展開が起こることによって、
疑似恋愛みたいなのがなっていくわけですよね。
実際フロイヤー先生の奥さんが、
あなたはなんでそんなにアンナ王の女の、
あの女のところにそんな熱心に、
往診ばっかりしてるんですかっていう話になっていって、
ここで結局こういう問題が非常に強烈な転移を引き起こして、
最終的にアンナ王さんは、
想像妊娠に至るわけですよ。
妊娠しましたと言って、
フロイヤー先生を離さないようにして、
ここでフロイヤー先生が怖くなっちゃって、
奥さんと旅行に行っちゃうと。
新婚旅行に行ったところにまた行くみたいな話だったから、
いかにもですよね。
そう、妊娠したといった女性を見捨てたわけですよ。
ものすごく親身になって世話をしていたのに、
ここまでなんですよね。
フロイヤー先生ってすごい人格者だったと思うし、
フロイト先生よりも遥かに医者として分かってたのかもしれないんだけど、
あれを見るとやっぱりフロイト先生が先へ行けたっていうのは、
ああいうところで諦めないっていうのが大事なんだなって思うんですよ。
諦めちゃったというか、
怖くなっても悲しくなったわけですよね。
でもそれは天意というふうに、
フロイト先生は解釈するところまで進んだわけですね。
フロイヤー先生はそういうふうなところまで行かずに、
創造妊娠だったんだけど、
もう無理だって思って旅行行っちゃうわけですよね。
こういうふうにして、やっぱりフロイヤーはお医者さんだったし、
フロイトは精神科医のほうに進んでいったと。
そういうことなんだと思うんです。
で、この創造妊娠って復讐じゃないですか。
どう考えても、やっぱり何らかの形での復讐みたいなものが
働いているような気がするんですよ。
人ってやっぱりここまでできちゃうんですよね。
もちろん創造ですよ。
本当に妊娠するのは復讐心からじゃできませんよね。
でもこういう何も生み出さないのに、
何かが手に入ったような気がしてしまう。
何も生み出してません。
創造妊娠ということは、私たちタスクをしないということで
何かを得た気になるんですよ。
何も生み出してないのに。