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おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト第1076回をお送りします。
はい、10月の23日水曜日、20時59分です。ちょっとね、あんまり長くはできないんで短めに切り上げますが、
昨日、今日と連日で落とすほどの理由はないのに落とすのはちょっと申し訳ないなということで、申し訳ないなっていうように考えることではないんですが、
でもまぁここはちょっと一生頑張ろうと思いまして、夜におはようございます言ってるのも何なんだかなんですけども、
なんかね、こういう話を売るとかいう商売もありかなーって時々思うんですけど、
なんかそんなにね、聞いていらっしゃる方がすごいたくさんいるっていうもんでは全然なくて、
スタンドFMに至ってはもう2桁に届くかどうかみたいな日もあるわけですよ。
2桁って9人とかってなっちゃうわけじゃないですか。なんかちょっと面白い数字だなこれって思って、
3桁に届かないっていうのはもう常識としてもですね、常識っていうか連日そうなんだけど、
2桁に届かないってこれどうよっていう感じでですね、
でもこれがまたすごくて、やっと2桁だねみたいな20何名みたいな感じで、
でもいいね7とかすごい数字だなってのも思うんですよね、我ながら。
27人中7人がいいねつけてくださるって、プロ野球のヒット売ってるんじゃない27出すと7あんだみたいなね、
それってかなりの高打率なんだけど、すごいなっていう、ある意味それもすごいなっていうね、
もう本当聞く人を選ぶポッドキャストに、そういうつもりないんですよ別に。
ないんだけど聞く人を選ぶポッドキャストになってますねっていうことです。
まあことですって何なんだよって感じですが、まあまあ今日はとにかく短めなんでお知らせとかやってる暇はないので、
このまま本題いきますけど、ちょっとね先日の、
あとあれだわ、最近ベテルの家をようやくですね、本格的に読み始めて、今2冊目に入っていてめっちゃ面白くて、
どんどん読んじゃって、そして最近あの種の本はやたら高いんで、結構困っている私なんですけども、
これどうすればいいんですかね、こういうね、この商売で儲けようとしていないんだけど支出はどんどん加算でいくという、
この、でもまあ趣味兼ねてるからいいのかなーみたいな気もしておりますが、
考えなければいけないことはあるような気もするわけですよ。
このままじゃいけないという。娘が早く大学に出てくれればこのままでいいんですけどね、もうね。
別にお金とか全部奥さんにあげても全然いいんですけど、今はちょっと娘のことも考えればならないという、
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最終盤に差し掛かりつつありますんで、ここをちょっと乗り切って、
あとはもう人生はこのなんかよくわからない小塚の趣味みたいな世界で生きていければむしろ幸せなんじゃないかと思い始めておりますが、
関係ない話でまた1分使いましたね。もう一気に入ろう。
だからベテルに家面白いんで、これからちょっとベテルの家ブームが来そうな予感がしておりますが、
その前の段階ですね。
今日はあれなんですよ。ちょっと先ほどある個人セッションで、
そっかそっか、ちゃんと喋りきれてないような気もしてきたんで、
うちの奥様とのやり取りの中でね、私がこう、
あれは新しい発見というよりは確認作業みたいな感じだったんですけど、
ここのところもうちょっとちゃんと補足しておこうと。
伝わって、その方にはバッチリ伝わっていて、いや素晴らしいと思ったんですけど、
これは伝わらなかったかもみたいな、しかももう僕それを喋ったことを完璧に忘れていたんで、
なんかApple Watchとか言ってるけど、あれApple Watchの話って10シリーズのことかなみたいに思ったんですけど、
そうではなくてですね、
うちの奥様がApple Watchの解説から出られなくなって、Apple Watchに紐付けてるわけですよね、スイカを。
で、これね、うちの奥さん、駅員に言えばこと足りるわけですよ、別に。
電源がなかろうとなんだろうとやってくれるんで、まさか私がまだね、
4駅も外れているのに、しかもこの辺の4駅広いんで、
待つことないんでしょうっていう感じで思ってたんですけど、
待たれていたからやはりこれはやはりよっぽど駅員とかと話すのが実は苦痛なんだけど、
その苦痛を気づいてもいないというね、これがね、全然健常な人に起こっているということがやっぱり私はですね、
私はですよ、細川てんてんさんが漫画で事務職ですよね、彼女は。
でもついに電話が取れなかったみたいな、そして電話にね、上手いトーンかけるんですよね、さすが漫画家だなっていう、
これがこの人の心の中にあるものだよねっていう。
だって事務職で電話取れないって一大事じゃないですか、はっきり言って。
何のために事務職やってんだよみたいに思われかねないわけじゃないですか。
どんなにその人が真面目でちゃんと働いていても、電話を取らない事務職って、
もう今で言えばメールの返事は書かない事務職ぐらいの勢いですからね。
もう、で、これは健常なんですよ。
細川てんてんさんは確かに、ある時神経症気味かなみたいなのあったけど、
決してあれを精神病とかボーダーであるっていう人はいないと思うんですよね、やっぱりね。
この辺のことを勝手に喋っててはいけないかもしれないんだけど、奥様はいいと思うんですよ、僕は。
なぜならば配偶者なんて、これは私がセラピストになる意味があると思うし、
奥さんに関してはアセスメント代わりのことをするのもありだと思うんですよね。
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家の子の、自分家の子だったら、家庭の医学でも何でもそうですけど、アセスメントするじゃないですか。
いや、この子のこれは自家中毒かみたいなインチキアセスメントだってするわけですよ。
これはいいと思うんですよね、私はね。医療行為をしちゃいけないの反中外だと思うんですよ。
奥さんのに関しては、僕は精神力度を徹底的に見に行くみたいなことも割とするわけですよ。
なぜなら奥さんだからですよ。ここは僕はLHではないと思うんですよ。Kだと思ってるんですよね。
もちろん妻なんだからLはあるだろうって言われる。Lがある以上Hはあるだろうっていうのはもちろん当然ある。
でもやっぱKなんですよね。奥さんと私だからここは精神力度をはっきりと伝聞だろうと何だろうと総力を尽くすよねっていう。
だからこれを尽くさないはずだとか、アセスメントはできないはずだってことはないと思うんですよ。他人じゃないから。
細川てんてんさんの場合は漫画読んでるだけだから、他人だから勝手に僕がアセスメントするのはどうかっていうのは当然どうかなんですよ。
だから控えめにやるべきだし、ここで喋るのが関の山ぐらいな感じでいるし、こんなアセスメントは意識ですっていうのはあると思うんですよ。
でもうちの奥さんに関して言えば私がアセスメントするのは当然だと思うし、ある程度よ。専門的にって意味ではなくてですね。
ここにやっぱりこれほどまでに、私を待つほどまでに、これは私への依存という言い方はできると思うんですけど、その前にやっぱり駅員さんに対するできれば話したくないっていうのが色濃いじゃないですか。
で、やっぱりできれば電話取りたくないが極端な形式になっていたというのが私の頭をよぎったわけですよね。
よぎるっていうのはこういう形で本当大事なんですよ。
あの一コマがパッときたっていうのがやっぱりこう、これは私の頭が、なんていうのかな、私が考え出したってんじゃないじゃないですか。
奥さんと似た事例はないかなみたいなのを漫画を読んだデータベースから引っ張り出したみたいな感じでは全然ないわけですよ。
待つに追うみたいなことをLINEで書かれてパッと電話がフッと電話が入ってきたっていう。
あの細川さんの書かれた漫画、ああいう感じなのね今心理的にっていう。
じゃあしゃーない待ってもらうかみたいな。
それがなんかこうね、そこまで頼りになることなのかっていうと結局私は駅員にただ出すだけだから。
奥さん的にはもっと鮮やかに解決してほしいかもしれないけど無理なんで。
というかできなくはないかもしれないけど余計な時間がかかるとしか思えませんからね。
やっぱりこう結局やること変わらないわけですよ私が。
で駅員さんに聞いてくださいと。
でそれができないなら私が駅員さんに聞きましょうと。
何も変わんないじゃんこれじゃっていうね。
変わるんですねこれがね。
残念ながらね。
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残念な側面もあると思うんですよ。
具体的にやる行為としての負荷は全然ないわけですよ。
これは心理的な負荷なわけですよ。
この時に起きているであろうことをそのビヨン風に言うとですよ。
性格じゃなくたって私はこれが性格だと思ってるから何しろ奥さんからお金取れるわけじゃないんだから。
もうほとんど基本的に配偶者だから頑張る的なところでアセスメントするわけじゃないですか。
当然これは欲打つだと思うわけですよ。
欲打つ。
欲打つ以外のものは考えにくい。
なぜこのような欲打つがあるんだろうと。
不安があるわけですよね。
ここで駅員さんに聞くということを想像すると。
それは未来ですよね。
まだ聞いてないわけだから。
この未来を想像すると悪いことが起きるかもしれない。
どんな悪いことかって。
駅員さんがね態度を表現させて激行すると考えられないですよね今時。
非常に真面目というか今はそういうことにうるさい時代ですからね。
あり得るとしたら駅員さんが
あのおばさんも本当ダメだねみたいなことを言って
嘲笑っているようなイメージを持つとかでしょうね。
これは投影ですよね当然ね。
駅員さんに投影している。
投影をする一種投影同一化を伴う欲打つ不安がそこにあると。
でもこれが自分の投影であるということが分かってないとは思えないんだけど
これはかなりの確率であり得るんだよ。
こういうふうに駅員って嘲笑うんだよみたいになっているとすると
そこにはやっぱり外在化してきているので非常に自己愛が傷ついている感じがしますよね。
奥様の自己愛が傷ついている。
奥様がナルシシストだってことではないですよこれは。
ナルシシズムがそこには介在していると思うんだけれども
投影同一化が確実に機能していると思うんだけど
それは心の中で起きていることなのに外在化されつつある。
でも駅員の顔が荒黒さがにじみ出ている。
エチゴヤみたいなやつですよ。
にじみ出ている感じがしていてそれが見える。
駅員が言っていることが聞こえるようだってことではないと。
輪郭はないと。
確実にベータ要素とは言えないと思うんですねここはね。
どっちかというとそれが空想であることが
強く意識すれば分かるレベルだと思うんですよ。
でもできない。
そうしたくない。
そのぐらいは外在化してしまっている。
間違いなく閉じまりしたと思うんだけど
でももう1回見に行く3回目ですみたいなのって
この辺だと思うんですよね。
それは明らかにおかしいだろうって感じがする。
空いてる感じがするわけっていうとしない。
でも戻りたい。
不安だってことですよね。
すごくすごく不安だってことですよね。
あまりに不安がきつすぎて
不安なのは自分の心の中にあるはずじゃないですか。
不安なんてもの。
ここは空いてないはずですよね。
現実の問題として。
でも不安すぎて戻らずにはいられない。
これが脅迫神経症ですよね。
不安で不安でしょうがないから
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さっき戻ったのにまた戻る。
戻るってことは不安が強くて
もうその不安が外にあふれだして
まるで不安が鍵を開けたかのように
鍵が開いている様子が空想されてしまう。
でもそれ空想だから。
だって2回見に行ったんだから
閉まってるのは確実じゃないですか。
勝手に扉は開かないんだから。
だけど外在化されていく。
この外在化していく不安という空想が
外在、外的世界を作り出していく。
だから少しオカルト感があるわけですよ。
オカルトではないんだけど。
年曆とか使って鍵開けてるわけじゃないわけですからね。
やっぱりでもそういう不安が
駅員がやっぱりこう腹黒い
なんかこう嘲笑っている
そういうのが耐えられないっていう
そういう感じがあるから
私にそれを聞いてもらう。
で、でもそういう風に
ここまでプロセスを追いたくもないわけですよ。
これを追うっていうのはなんか
屈辱感があるわけじゃないですか。
なんかね、あんな夫に
あんな佐々木みたいな夫に
しょうごみたいな夫に
あんな奴にそこまで依存している自分
そんな風に思いたくはないわけですよ。
だから駅員に聞きたくないという
自分の気持ちには向き合いきれない
ってところがあるんだと思うんですよね。
ここに
クラインがよく言ったところの
煽望がありますよ。
夫がわざわざ
そういう風にコンテーナーとして
機能してくれる
そのコンテナーとして機能する
良いものをくれるからその夫が
許せなくなる。
これがつまり同時に発生しているわけですよ。
そういう夫に依存している
自分の弱さに向き合えないってことと
そういう良いものをくれる夫を
壊してしまいたい。
だからメラニー・クラインは
メラニー・クラインはフロイトの弟子ね。
これを聞いてる人はみんなわかってると思うんですよ。
30人ぐらいしかいらっしゃらないから。
でもこれスタイフの話だからな。
スポティファイは多分3桁
言ってますからね。
もっと多くの方が聞いていらっしゃると思います。
すいません。
この良いものをくれる
しかもその良いものが自分に
直接向いている。つまりここには
2者しかいないわけ。
2者しかいない良いものを壊してしまったら
自滅じゃないですか。
だからこれがメラニー・クラインの言ったところの
死の本能の最も
直接的
最も
強烈な現れは
戦亡であるって言ったのは
こういう意味だと僕は解釈してます。
これは
当たらずといえども遠からずだと思う。
よっぽど僕の理解が
追いついていなかったとしても
ここはそんなに外れてないと思うんですよね。
確かにこれをやってしまうと
自滅的。つまり2者関係に
おける死の本能の現れが
戦亡であると。
2者関係っていうのは母子一体の中での
出来事ですから。お母さんを破壊して
しまったら赤ちゃんね、もう
身の破滅じゃないですか。お母さんの
おっぱいを破壊するなんてナンセンスじゃないですか。
一番自分が必要としていて
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一番欲しいと思っていて一番好きなものを
壊してしまう。
すなわちこの死の本能というものを
非常に恐れているわけですよ。
だからこのことと
陰性治療反応とかって言ったりするし
あのローゼンフェルドですね
えーっと
あれですよ。総的防衛の
特に戦亡的な現れというのは
とってもヤバいわけですよ。
ね、あの
すいません、これはねちょっと
申し訳ないなと思いながら喋るんですけど
あのあれですね、僕どうしてもやっぱり
これも余儀るんですよ。たぶん余儀るから
これを喋るしかないんですよね。他の余儀ないんだもん。
データベースのクエリは
一瞬にして見つけ出してくれますけど
私これ無意識に集めてますからね。
えー、あれですよ。
ドコンジョガエルの娘
つまりドコンジョガエル書いた人
あの人やっぱ偉大だと思うんだけど
あの人は
奥さんなしじゃ生きられないくせに
奥さんを破壊してしまう
わけですよね。それは
私やっぱ彼は心の奥底では
それを非常に恐れてたと思うんですよね。
俺は平気だぞって言うんですよ。
なんかせせらを笑いながらね
奥さんのことを。お前なんかいなくたって
俺はやっていけるんだよと。だって
昔から俺はやってけてたんだからな
ってそういう態度なわけですよ。
これは僕は非常に強く
総的防衛だと思うし
戦亡だと思うんですよ。
自分にとって一番必要なものをくれるわけですよ。
代わりに働いてくれる。
いつでも自分の味方をしてくれる。
あんな奥さんいませんよね。
その奥さんをこう
罵るわけですよ。
お前なんかいなくても俺はやっていけるんだと。
非常に強い総的防衛であり
非常に強い戦亡なんですよね。
で
ここにジェンダー的な
話が入るのはよくわかります。
最近もチラッとXで見たんですけど
不正行為の
維持装置と
なってはならないと。カウンセリングがね。
だけど私はですね
やっぱりここを
この
人を治していくっていうのが
心理職の人の
やることであって
治すっていうか
この関係を維持する。この関係を壊せばいい
ってことには
やっぱり僕の感覚ではならない気がする。
ここをジェンダー的に
こういう人の態度はよくありませんよねと
指摘していって
平等に持ってくってのはアリだと思いますよ。
でもそれは心理職の人がやらなくても
いいんじゃないかな。少なくとも
心理職兼福祉職
ならまだわかるんですよ。でも心理支援職
専門の人は
この相的防衛の人の
話を聞いていくっていう。だってその人は
えっと怯えてる
っていうことまでわかってるらしいじゃないですか。
少なくともメラニー・クライン流に
読んでいけば、これは欲打不安
なんだってことが、欲打不安
に直結していくんだってことが
わかっているわけじゃないですか。僕の理解が
間違ってなければね。
多分これはエンビィというのは
扇防というのは
不安の表れ。私やっぱり奥さんに関しては
そう思いますもん。
そういうのを待つような奥さんを捨てなさい
みたいな話をされても
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言わないと思うんですけどそれは
ジェンダー的にも。でもそんなのを
待つようでは、ことしてどうなんですか
みたいなことは、僕はそういう話が
したいとほぼ全く
思いませんから。
これは奥さんは大変なことが
あったんだろうな昔って思うわけですよ。
で聞いていくと
直結するとは思いませんけど
やっぱ奥様の
亡くなってしまったお母様は
奥さんには厳しかったわけですよ。
息子さんには優しかった
みたいなんですけどね。その辺の
感覚が僕にはわかんないですよね。
うちの親は、うちの母は
何しろ妹の方が部屋でかかったくらいで
どっちかっていうとやっぱり
どっちかっていうと平等に
うるさい人間だったんですね。だから
長男である兄にとても良くする
みたいな発想を全く持ってないわけなんだけど
でも妹の方が
難しいですね。
難しいと思うこういうこと
っていうのはね。
それはそれとしてです。
うちの奥さんの
ご家庭は典型的に
ヘテロセクシアル
なんですよ。
長男である兄には
ベタベタだし
それは同じ気持ちの表裏一体だと
同じ気持ちの表裏一体だと
女性はそれは
納得されないと思いますけれども
それは僕は母親として
同じ気持ちの裏返しなんだよな
っていう感じしかしないんですけど
まあでもそんなこと言っても
どう扱われたかが直結しちゃいますからね
まあとにかくうちの奥さんは
不遇だったと。これがあるだろう
と思いますねやっぱり
ここに見捨てられ不安みたいなもの
非常に抑鬱的なものが
そこに生まれてしまう。当然ですよね
だってちっちゃい頃に
お母さんがガミガミ怒ってて
怒鳴ったりもしかすると手が出たりしていれば
非常に子供としては
まずそれに単純に怖い
っていうのがあるでしょうし
次にどうしていいか
わかんなくなる。そして
捨てられたくないっていうのは絶対出てくると思うんですよ
とにかく
そんなに虐待的だった
とまでは思いませんけれども
差もつけられるわけですし
自分はダメだっていうかね
自分はそんなにできないから
どうしたって
一人でやっていこうとすると
未来が不安だと
人に嫌われたくないと
そういうのが出ますよね
だから頼れる人間というものを
選別していきますよね
極力自分の
弱いところダメなところを
見ず知らぬ人間なんかに
見せたくないと
無意識のうちで思うと思うんですよ
これが現れると
つまりその抑鬱不安ってものが
現れると同時に
それが非常に自己愛的になっていく
部分が出ると思うんですよ
コンテナーが
自分の中のコンテナーが
非常にこう何て言うんですかね
抑鬱的な不安はそもそもありますよね
最初からある意味はある
だってお母さんがそうなんだから
厳しい部分がどうしたってあるんだから
シンデレラのママ母的な部分があるわけですから
この番組的に言うとね
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昔は優しいお母さんだったのに
どうしてお母様はこんな風になってしまったんでしょう
的なところは
これって抑鬱不安じゃないですか
このママ母みたいな人にいじめられるか
家を自分だけで出て行って
マチューリの少女みたいになっちゃうか
どっちにしても辛いなっていう
先行き辛いな
暗い未来だなっていうのがあるわけじゃないですか
でこの暗い未来に
直面していきたいと思う人は
誰もいないわけだから
これを外に既に外に反映させてるわけですよ
マッチを吸ってみると
優しい家族が出てくるけど
リアルなお母さんは
家に帰っていっても
ご飯もくれないかもしれない
みたいなそういうことがあるわけで
つまり外の過酷さというのが
自分の暗い未来を作ってるわけですよね
どうしたって外に出していくより
他ないわけですよね
こういう気持ちっていうのはある程度
子供の場合は特に
この戦略がずっと続いてるわけですよ
外は過酷だ
私頑張んなきゃなんだけど
それは先が辛い
だから外は過酷だっていうのが
繰り返し繰り返し外に出してみたり
自分に戻してみたり
外に出してみたり
自分に戻してみたりを繰り返すと
なので
自分としてコンティニしきれない
ということが
悪害的に感じられるんです
絶対不安は外には出て行ってくれませんから
不安ってのは心の中にしか
本来ないものなわけですから
だからこの不安があるということは
外が酷いからだと
どういう外の情勢になっていても
その可能性というものを
サーチしている感じになるわけですよね
ああまた酷い
またっていうのかな
とにかく酷いことが起きましたと
自力で対処しようとするんだけど
ちょっと難しそうだってなったときに
手直にその要因を
見るわけですよ
それバッテリー切れとかなんだけど
それだって外なんで
バッテリーのせいにしとけばいいんだけど
どっちかというと人のせいになっちゃうわけですよね
自分を迫害するっていうのは他人なんで
これ説明してると
わけわかんない話に聞こえるんだけど
みんなこれ体験してると思うんですよ
もちろん僕もしてます
なんかがあったら
なんかこう悪いやつがいるんじゃないかと
だってほら運転とかしてるとすぐあるじゃないですか
なんかねえこう
後ろに
後ろの右折の車を
気にしようと
右折するときに事故んないかなって
不安になった瞬間にもう
直進車が速い気がするし
スピードがね
なんでこのタイミングで
ちゃんと横断歩道じゃないところ
バイクすり抜けようとするんだよとか
ってあるじゃないですか
これは自分の心が不安になってるってことが
外に放映されてるわけじゃないですか
そう感じられません
難しいですかね
ここのところ
これ非常に簡単な話なんだと思うんだけど
ぶつかりたくないって気持ちは心の中にしかないじゃないですか
道路上にぶつかりたくないっていう
気持ちはないじゃないですか
道路上には事故る可能性が
増やしているように見える
行動してる人たちがいるだけじゃないですか
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でも自分らが
横断歩道じゃないところ
自転車ですり抜けようとしたとき
まさかそんなに
運転手に強い不安を強いてるなんて
考えないじゃないですか
あんまりだから惹かれるんだけど
そういうことって随所に
あらゆるところに出てるじゃないですか
これがちょっと極端な形で
うちの奥様の心の中に生じたんですよ
そしたら一番身近な人間に
つまり自分のお母様が
昔自分を叩いたり
怒鳴ったりしたように
感じられてしまうわけですよ
不安ってものがそういう
行動と直結してるから
ああなんか私の
時計とiPhoneを
ちゃんとセットして置いてくれないんだ
あの人はみたいな
そういうふうに私を見るわけですよね
そのややこしさ
どうセットしたのかよくわからないややこしさを
駅員に告げて
駅員がせせら笑うという
こういう世の中に私は
生きているんだっていう気持ちが
芽生えてくるわけですよね
というところまでアセスメントして
親子関係を
確認しながら考えていくと
ここに要するに
エンビーみたいなもの
こいつもろとも
壊してすっきりしてやりたい
っていう気持ち
できればこの改札とかiPhoneとか
叩き壊してやりたいって絶対
多少あるんですよ
非常にこれが理不尽に思えるかもしれませんが
これは僕らが
ごくごく普通にごくごく
初期の頃から繰り返し繰り返し
意識してきた意識だと
私は思うんですよね
今日はこんなところです
この辺が補足したかった
言ってること何にも追加できてないような
気もするんですけれども
この感覚は決して
特殊なものでも理不尽なものでも
わけわからんものでも
いろんなものを持つ人間は
ダメ人間だと思うようなものでも
ないと思うんです
だから僕はこれを
ジェンダー平等のラインとか
本来人間というのはもっとできたもので
なければならない論というものと
採用する気がしないんですね
そういうことなんですよ
本当に
これは僕はどんな人でも
相当できたごくごく普通の
健常な人でも
人間とはこういう感覚になるものだと
思います
だからここが
持ちつもたれつなんだって思えないと
多分人間は
非常にやっぱり
自分の方が損してると思ってしまうと思うんですよ
やっぱり自分の方が損してる
って思うってことはですよ
はっきり言って僕の観点では
その人は人間能力偏差値
75以上か
80ぐらいだと自覚している
っていうぐらいな感覚に
実はなってしまうんだと思うんです
そう思ってましたよはっきり言って
でも実際には
多分これ聞いてる人はみんな
そう思ってていいと思うんですけど
人間偏差値能力的に言って
60前後だとは思います
すげー優秀な方だと思うんだけど
自分がそう思いたいと思っているレベルは
27:01
この
そうですね
専門人が持っちゃいけないって言ったら
80ぐらいじゃないとダメな感じがしますね