精神分析の導入
おはようございます。働くメンタルを取り戻す精神分析的ポッドキャスト、第1086回をお送りします。
11月11日、月曜日、7時54分です。
昨日ですね、3ヶ月チャレンジという、私が説明するまでもないと思いますが、
主催しているサービスのレクチャー会というのを行ったんですね。
勝手にフロイトを読むみたいな会なんですが、ざっくりと外向けに説明するとそういうことになるんですけど、
勝手にショーレイドーラを読むって感じの会になりましたけれども、
僕はあの辺のところに精神分析の一番の大元があると信じていますので、
それについてお話しすると、こういうことが参加者さんの皆さんには役に立つと。
さらに引いては言えばですね、仕事のメンタルで云々関連な人たちにも役に立つと、
私が信じているわけですね。だからこういう活動をしております。
無料でやってどんどん幅広くやっていけば、だからこのポッドキャストやってるつもりなんですが、
いいのかもしれないんですけど、まだ僕こう資産家とかじゃないんで、
これを全部無料でひたすら頑張ってムーブメントを起こすためにやるみたいな感じにはならないんですね。
あともう一つ最近それを思ったんですけど、そういうことをやってるとですね、
明らかに絶対いい気はしないっていう人も結構いらっしゃるだろうなと。
これはいろんな文脈がここにはあるといったことがありますんで、
まだそれはできないかなっていう感じですね。
むしろどっちかというとこんなムーブメントいらなくなってから、
これを無料でガンガンやるっていうのが一番理想的なのかもしれないんですけどね。
そんな日は果たして来るんだろうかという気もします。
タスクシュート手帳の販売
わかんないです。世の中はわからないことに満ち満ちておりますんで、
そこはもう私に2030年40年っていろんな予測されてますけど、
わかんないですよ。どうなるかなんて。
トランプが大統領になってどうなるかなんてわかんないじゃないですか、結局のところ。
私たちにはその決定権も、これを聞いてる方にアメリカ人で選挙権ある人は別として、
そんな人がいるかどうかもわかりませんけどね。
わかんないことばっかりです。
一つお知らせがございまして、タスクシュート手帳というものが現在、
公式に販売になっております。予約受付中という状況ですけど、
初期の100の予約はあっという間になぜか完売になりありがとうございます。
今、追加の100を注文する予定でおりまして、
合わせて200、この様子を見てからですね、さらなる販売に進めようと思っておりますので、
まずはここまでなので、多分これも完売になってしまうので、
もしこれを聞いていらっしゃる方で、もしあの手帳が欲しいと言った方がいらっしゃいましたら、
お早めにご予約ください。本当に冗談ではないんで、
私もまさかこれを喋る前に100が完売になるはずがなかろうと思ってたんで、
あっさりなってしまいまして、衝撃を受けております。
これね、あと入手された方というか、ご予約された方はぜひですね、
17日の日曜日に渋谷で来られる方はね、来られる方はぜひ来ていただいて、
この手帳について言いたいことを…
すみません、失礼しました。いきなりシリが喋りだしたので、
なんかこれなんとかならないのかなと思ったんですけれども、
すみません、よくわかりませんってやつでね、
わかんないなら黙ってろって感じなんですが、
何の話?手帳術の回にぜひご参加いただければと思います。
この手帳について言いたいことを言ってみていただければ、
フィードバックをなるべくね、2つの相反するフィードバックをいただいた場合、
ヒステリーと夢の関係
両方入れることはできないじゃないですか。
まさに縦と方向の話になってしまうんで、
入れられるところを入れていきたいと思っておりますので、
これはもうみんなで作る手帳というコンセプトを、
みんなで作るといってもあらゆる意見を反映するということにはできないんですけれども、
そんな感じで一つよろしくお願いいたします。
で、昨日の続き、続きというか補足みたいな話なんですが、
これいくら話をいっぱい重ねても重ねても重ねても、
ただ話が重なるだけっていう部分もあるんですけどね、
定義のお話をしていきました。
あれは何で大事かっていうと、どう説明するべきなのかがね、
私も専門家の方の説明でさえも、果たしてこれで、
というか僕最初伝わりませんでしたね。
読んでも読んでもよくわからなかった。
聞いても聞いてもよくわからないっていう、
聞いたことあんまりなかったんですけども、
読んでもよくわからない。
聞くことが少なすぎるからだと思ってるんですよ。
嘘でも何でもいいから喋ってもらわないとね、
学校で習わないことなんだから、
やっぱりこう、人が口に出してるっていうこと自体が少ないんですよ、
定義なんてね。
定義と言ったら病気の定義になっちゃうじゃないですか。
正直、がんの定義じゃないですか。
エフロイト医者だったってことがやっぱ大きいと思うんですけれどもね、
定義を精神の話で使うなどということ、
それ自体があんまりないことだから、
わかりにくいことこの上ないんだと思うんですよね。
私たちがよく知っている世界で言うと、
例えば映画のマトリックス、
定義というものの理解のために、
ああいうのが世の中で理解というか受け入れられるようになっているっていうのは、
定義の説明として一つ強力かなと思うんですね。
定義ってのは、つまり何でそれが出てこなければいけなかったかというと、
ヒステリーというものを治療するにあたっていて、
フロイトは治療室というものを使ってたわけですよね。
そして治療室の中でヒステリーの患者さんは、
まさにヒステリーというものを引き起こすわけですね。
叫び出すとかではないですよ。
ただ、ショーレイ・ドーラが失敗したようにですね、
ドーラさんは打ち切っちゃったわけですけど、
何で打ち切っちゃったのかが、最初フロイトにはわからなかった。
ジーク・ムントにはわからなかったわけですよ。
何でこの展開で相手が多分怒り出して治療を打ち切ったんだけど、
何で怒り出したのかと。
怒ったとしても激怒したとかじゃないですよ。
もうやめますと。
でもこのやめますは、きっぱりとやめますといったのは怒ったんですよ。
何で怒ったのかっていうと、そこにヒステリーが出現したからなんですよ。
フロイトはヒステリーの対象にされたわけですよね。
だからこれが劇化とかエナクメントとかドラマタイズとか、
外在化とか行動化とか言われているものなんですよ。
言ってることの意味は4は、心がその部屋を、
夢というものが夢ですね。
夢、心の演劇でもいいし、空想ってあるじゃないですか。
だから空想がそのフロイトとドーラの関係を乗っ取ったというのかな。
ドーラの空想がその治療室を使って、
自分の夢の劇化を始めちゃったわけですよ。
ドラマをそこで演じちゃったわけですよね。
そういうことって僕らするじゃないですか。
どっぷり恋愛とかやってるとするじゃないですか。
悲劇のヒロインとよくわからない主人公とかにさせられて、
悲劇のヒロインを演じたい女性が、
別れの雰囲気というか別れのドラマをそこで劇的に実演したくなって、
そういう欲望ってありますよね。
何かを批判しようじゃないつもりなんですよ。
僕らみんなこれやるよねということを言いたいだけなんですよ。
これを要するにその場合、
恋人は現実の恋人かどうかはどうでもいいわけじゃないですか。
劇の役者みたいにさせられてるわけですよね。
やりたいわけですよ、そういうことが。
現役というものが必ずしもただセックスをしたいってわけじゃないわけですよ。
別れを最大限演出したいとか、
すごい盛大な結婚式やりたいとか、
やや炎上気味のことを言うならば、
お葬式ってそういう側面あるんですよ、明らかに。
だってほら、韓国でしたよね確か。
知りませんけどね僕は本当のところは。
韓国で泣き屋さんっていらっしゃるわけでしょ。
葬式の時にものすごく悲しそうに泣くという。
多分それはものすごい上手いんだと思うんですよ。
でもその人は本当に悲しいわけじゃないじゃないですか。
泣き屋さんなわけだから。
でもこれが私は精神分析で最も重要な発見の一つだったと思う。
思うからこれに天位って名前がついたんだと思うんですよね。
つまり僕らはここが大事だと思うんですけど。
この文脈で言うとヒステリーイコール。
多分この党式を解いたのがフロイトだと思うんですよ。
ヒステリーイコール夢イコール治療状況。
治療の天位状況。
つまりドーラが見ている夢のようなものが、
そのまま治療室で再現されていて、
それがヒステリーという病として現れていることなんだみたいな。
そういう感じ。
だからヒステリーイコール夢イコール治療状況。
天位ってことですよね。
これを解くことでフロイトの治療が一気に広がって、
実はこれはあらゆるほぼ神経症水準であれば、
ほとんど全てに当てはまるんではないかと。
要は夢を、現実を使って夢を見るってことをやり出すのが、
ノイ・ローゼってものなのではないかと。
例えばお腹が痛い夢というものを現実に表現すると。
これ本当にお腹が痛いと困るんで、
ちゃんと内科に行かなきゃいけないんだけど、
行くといや何ともありませんって、
あの例の精神障害の人が必ず最初に病院のたらい回しを、
というか病院巡りが始まっちゃうという、
僕もやりましたけど病院巡礼が始まっちゃうわけですよ。
夢なんでそれは。
お腹本当は何ともないんだけど、
痛いというのは痛いわけですよ。
つまり心の、我々はついですね、よく描くじゃないですか。
人の絵を描いて、僕絵下手なんだけど、
人の絵を描いて、その中に心臓みたいなハート描いて、
心がありますみたいな。
あるいは脳には心がありますみたいな。
よく分かんないこと言い出すじゃないですか。
あれがダメですとフロイトが言ったわけですよ。
そうじゃないです。マドリックスなんですと。
マドリックスってそうですよね。
現実が夢なんですよね。
僕らの中に心があるんじゃなくて、
心の中に僕らがいるんですよね。
よく哲学でそういう問題がいつも出てくるじゃないですか。
私たちは意識に取り巻かれているのか、
私たちの脳の中に意識があるのか、
みたいな解けない論争をやってるんだけど、
少なくとも精神分析の治療では
圧倒的に後者だという前提に立つわけですよ。
この二人が夢の世界の中に叩き込まれました。
なんかドラえもんみたいな感じなんですよ。
夢の中に入っていくなんかあったじゃないですか。
道具みたいな。あんな感じなんですよね。
夢の中に入っていっちゃうわけですよ。
昨日僕この点を喋りはしたつもりなんだけど、
強調しきれてなかった気がしたんで、
3ヶ月チャレンジの皆さんのためにですね、
補足としてこの話を一生懸命喋ってるわけですね、僕は。
でもこれを一般の人にもこの話のまんまでも
そこそこご理解いただけると思うので十分に。
そういう偉そうなこと僕言ってますけど、
これが全てではないし、
精神分析と意見交換の重要性
この私の認識が完全に正しいとも思えないんですよ、
精神分析において。
だからこの精神分析の話は教科書のように扱っちゃダメですよ。
大事なのは僕が大事だと思う。
こういう話題を間違っててもいいから
井戸端会議するべきなんだってことなんですよ。
これが僕らの世の中には圧倒的に不足しているから
非常に困ったことが起きるんだってことなんですよ。
例えば抗鬱剤っていう薬がありますよね。
効くと思うんですよ。
ヒステリーの人が飲んだとしても
今ヒステリーって病気は認められてないんだから
ヒステリー性の抑鬱って結構あるわけですよ。
そういう人にはきっと抗鬱剤を飲むっていう処方があると思うんですよ。
いいと思うんですよ、別に。
生物因的に、遺伝子因的に鬱になることってあるから。
だけどヒステリーと昔見なされていたこの心の中にいて
いろんな人と演劇やって
その中で鬱状態になっていくっていう事態があると
これほど精神分析の世界でこんなにいろんな事例を見てきているのに
ここに錠剤でその抗鬱をなくすということでは
すまないじゃんっていう話をしてもいいじゃないですかってことなんですよ。
別にこういうことを話されて困るんだみたいな話って
おかしくないだろうかって感じなんですよね。
市民がどんな話を信じて
無欲っぽいことを居酒屋で喋ってても
僕は別にいいと思うんですよね。
それをなんかこうそれは
はっかかく近々のところでやるディスカッションであるべきだってことは
そういう意見をする人がいるってのもまた別にいいと思うんだけど
つまりこういう話が出てこなくなっちゃうと思うんですよね。
抑鬱症状の理解とその背景
そういうヒステリーという名称が消滅し
ヒステリー性の抑鬱だろうと何だろうと
すべて抑鬱というものは鬱とのスペクトラムのみにおいて語られ
私はだからスペクトラムっていう表現は非常に警戒するんですけれども
発達障害でもよく出てくるんですけど
そんな全部を自閉症スペクトラムで説明しようとして
どんだけ意味があるんだろうと思うんですけどね。
まあいいんですけど。
でそこになんか抑鬱剤なり酸化性抗鬱剤なり
抑鬱剤って名前ね。
抗不安薬なりを常題として出すっていう
これが正式なんですっていうのが
あまりにもカチッと確立すると
これらについて
我々が意見交換する場面っていうのが
ものすごく減りますよね。
でこの意見交換自体が
あのー
なんてすればいいんですかね。
励口というのではないんですけれども
何かになるはずなのに
それが完全に消し去られて
治るならいいんですよ別に。
乗剤数乗飲めば
まるでビオヘルミンのようにね
下剤として完全に効くみたいな話ならいいんですけれども
下剤じゃないね成長剤ですね。
そうではないように見えるんで
やっぱこれは
マトリックスの話をしている方が
少なくともマトリックスの話をしちゃダメだってことはないだろう
っていうことなんですよ。
マトリックスあんなに多くの人が映画で見たんですからね。
で
マトリックスは種も仕掛けもあったわけですけれども
まあ僕らの定義も種も仕掛けもあるんですけど
別にマトリックスやらなくても
我々はあれをやっちゃってるわけですよ。
何度も何度も言いますが
だって赤信号見たら止まるじゃんって話なんですよ。
赤信号に車を止める力はないはずなんですよ物理的に。
そんなものがあったら
運転するのに大した苦労はいらないんですよね。
赤信号があれば止まるわけですよね僕らはね。
という夢を見てるわけだと思うんですよ。
信号機というおそらく現実にちゃんと存在している信号機という物体を
部隊装置での何かのように見立てて
だってそうですよね。
で止まるという演技を行ってるわけじゃないですか。
つまり僕らは心の中に
外在している物質を実際に使って
心の中の世界を生きているんだと思うんですよね。
という話がしているつもりなんですよ。
これが定義なんですよ。
だから信号で止まるのは定義ですよ。
僕が思うに。
やっぱあそこに長寿がいるんですよ。
赤信号止まれいって言ってるおじいちゃんみたいな人がいて
だから止まるんじゃないですか。
つまりあの外在している
もちろん普通に考えると劇なんで
人間関係であることがいいわけだけど
別にそこは人間関係
人間がいなくてもできちゃうわけですよ。
マトリックスがそうだったじゃないですか。
ビルから何からすべてが夢の産物だったわけでしょあれは。
そういうことで小道具みたいなものがあって
つけひげみたいなものもあって
いろんな小道具があって
つまり引きこもって一人きりでいる人だって
変異しているわけですよ。
状況転移をしているわけです。
何らかの夢の中を生きている。
あるいはそれはお母さんの子宮かもしれない。
こういう話を言い出すとまた
またしてもエグくなってくるんですけど
でもエグい話なんですよ。
そもそもね。
この外に出ることは基本我々はできないし
何かこうドラマティックなことが起きてしまうときには
もういっつもこれが起こってるよねっていう。
だからでもその時にこそですね。
名責務ですよ。
私は夢を見ている。
これこれこういう夢を見ている状況が
今のこれなんだという。
だから転移は今ここで起きるんだってことなんですよね。
犯に昔話やトラウマを
ほじくり返せばいいってもんではないんですよ。
問題7、今ここで起きているこの転移は何なんだっていうのを
系ですよね。
知りつつあるっていう状態に持っていく。
どうしてもドラマティックになっているときは
さっきの悲劇のヒロインが別れたいわけでもないのに
ただ別れるというその壮絶なストーリーで
その恋愛が失敗したというので
悲嘆したくて涙を流したいばっかりに
彼氏を振るってことが起こるんですよ。
しかもその人は彼氏に振られたことにしたり
親がすごい猛反対したというストーリーを
作り上げたいわけですよ。
だから親は別に全然反対してないし
彼氏は付き合っていたいし
何も状況に差し障りはないんだけど
もう私たちが別れなければダメなんだみたいなことを
一生懸命言う女性っていうのは現実にいたんですよ。
私はそれを目撃した。
歯医者で。
なんでなのあれ。なんでなのっていう感じの話が
しかも僕のようにそういう話めっちゃうとい人間までが知ってる。
知らされるわけですよ。そういうものが。
周りみんなの大反対によって
この恋愛は成就しなかったっていうストーリーを
これはヒステリーだと僕は思ったんですけどもね。
当時は思いませんでしたよ。その後は思ったんです。
でもやっぱり会社全域を巻き込んででも
作り出したいわけですよ。
佐々木君も別れた方がいいと思ってるんでしょう
ぐらいのノリがあったわけですけど
別に僕はその人たちが付き合ってることすら知らなかったし
興味も全く何もなかったし
何しろ僕はひもてなんでね
当時もそうだったんで
そんな人の恋愛なんかに何の興味もないわけですよね。
だけどそういうことをわざわざ知らされて
わざわざ反対側に回させられて
会社がみんな反対してるから
私はなくなく別れますという
劇的な出来事があったらしいんですよ。知らんけど。
っていう話ですよ。
だからこれはストーリーというものの
その人の心にあるストーリーというものが
会社に投影されているわけですね。
そして状況転移というものが実現して
別れるという決断に至り
すごく泣くみたいな
そういう気持ちを
強烈に味わいたいという欲求があるわけですよね。
男の人は多分
相当キスにつままれたような気分だったと思うんですけど
まあしゃあないですよ。そういうのに付き合うことも
人生ありますよねってことですよね。
それはそれとして
これがとても有効だった。
なぜならヒストリー以外にも使えるからってことですね。
例えば恐怖症みたいなものあるいは脅迫症みたいなもの
脅迫神経症みたいなものも
理解するのに状況
その人の症状だけ見ると脅迫神経症なんて
すっごく分かりやすいじゃないか。手を洗うのをやめられないと
本を書けば何のことを言ってるのかみんなが分かると
気が済まないってやつですね。
久しぶりにこのワーズ出しましたね。
そんなはず絶対ないんだけど
閉じまりを確認しに行かないと気が済まないって。
これをやってると、でも新幹線に乗り遅れてしまうみたいな
現に私はそういう目に遭いましたから、自分自身が。
これはいろんな理由があるんですけど
一つは、挑発恐怖があるわけですよ。
その間に泥棒に入られて、ひどい目に遭ってしまって
社会からお前なんで閉じまりしておかなかったんだって
奥さんからかな、親からかな、言われるという不安を
抱え込んでしまってる私が、そういう挑発恐怖によって
戻んなきゃなんなくなるとか、いろいろあるわけですね。
それって僕の心が
心を使って、てか心のシナリオがですね
私ん家の
城と鍵、ドアっていう
小道具を使って劇やってるのと変わらないじゃないですか。
こういうふうに理解していくことによって
その人がどういうストーリーを抱えている
このストーリーを書くことになった理由は
理由や抑鬱的な原因だったトラウマみたいなのが
一体何なんだろうというふうに
推理を図っていく
材料にするためにこれやってるんだと思うんですよね。
心の中の演劇と状況転移
もっともっと深刻になっていくと
この話をするから分かりにくいからなのですね。
もっともっと深刻になっていくと
このストーリーが物に拡大されていく領域が広がっていき
他の人にはなかなか理解できないストーリーも
描き出される。
もはやその人の心の中では一定のシナリオがあるんでしょうけど
他の人にはそのシナリオを読んでもよく分からないと。
でも世の中にはそういうシナリオがそもそもあるじゃないですか。
ヨネスコとかの
不条理劇ってあるじゃないですか。
あるいはそれこそあれですよね。
シャミエル・ベケットみたいな。
さっぱり分からないシナリオを
現実のシナリオの中で
描く人がいて、それを上演して他で撮ってるわけじゃないですか。
人はそれが分かるってことですよ。
あれをそのまんま
劇的に自分の周りで転移したら
多分その人は精神病
っていう風に見えますよね。
あのATMが私を見張っているんだ
みたいな話っていうのは
浄化ったかどうかを何回も確認しなければいけない
気が済まないのって言ってる人に比べると話は分かりにくい。
でもやってることはそんなに違うんだろうか。
夢の役割と転移
結局それは転移だっていう説明が
つくっていう意味で
ヒステリー以外のものにどんどん
転移っていう物差しと言いますか
器具というのかな
が役に立つってことが見えてくる。
そういうストーリーなんですよね。
ヒステリーイコール夢イコール治療状況だけでなく
漂白神経症
夢イコール治療状況でもあるし転移状況ですね。
もしかすると統合失調症
イコール夢イコール特殊な夢だと思いますが
転移状況。これも特殊な転移状況だと思うし
転移してくると多分一般の人がそこにいても
なんだかよく分かんない事態が進行しているようにしか
見えないとは思うんですよ。
でもあのラットマンだったと思ったけれども
ヒトロイトと精神分析中に
カウチに座って喋ってなきゃいけないのに
もうなんか歩き出して罵り始めたみたいな
多分それっていうのは白外星の妄想っていう風に
見えるんでしょうけれども
異常自体が進行している感じですよね。
でも完全にそれは転移なんですよね。
しかもそれはすごい濃いですよ。濃い薄いないんだけど
どうせ夢だから夢に濃い薄いってことはないじゃないですか。
どれほどリアリティがあって現実的で
私が銀行に勤めていますみたいな夢見たって
それは所詮夢じゃないですか。
ITの会社に勤めていますみたいな夢見たとして
それは確かに怪獣に追いかけられている夢に比べれば
現実的でないことに違いはないですよね。
だからそれが精神病水準なのか神経症水準なのか
みたいなことを本当にここで言い募る理由って
あんまないっていう場合も少なくないとは思うんですよね。
そいでですね
治療者と患者の夢の共創
こうやってマトリックスみたいな状況を
ただしその人にしか見えない。
ただこれを我々は
ある一定の条件だから
治療構造状況が一番望ましい理想的であるってことになるんでしょうけど
二人でその人の夢の中に入ることができ
まさにドラえもんなんですよ。
フロイトが多分精神分析が
やってきているのはそこなんだと思うんですよね。
もちろん相手にしか見えないものがあるはずなんだけれども
特にその幻覚業ってなってくると。
しかしその人が見えているっていう条件が
だんだん分かってくる。
自由連想しているうちにその人は起きているのに
自分の見ている夢について語りだし
その夢がだんだん
その夢の中に治療者も引きずり込まれ始めて
したがってその治療者は何が起きているのか
自分が夢の中に入っているということが
分かり始めて
それによって治療というものを進めることができるようになってくる。
ここで重大な問題が
夢から覚める重要性
だけど治療者自身の夢っていう問題はどうするの?
っていう患者さんが見ている夢に
治療者を引きずり込んでいる。
一見そういう顔をしてますけれども
実は治療者だって夢見てるじゃないですかと。
逆転医ですけどね。
一緒になって同じ夢を見るっていう状態になぜなるのと。
二人の夢は別個なんじゃないのっていう。
これがだから体の中や頭の中に心があるのではなくて
我々心の中に生きているっていう前提に
ひっくり返すことによって
二人で一つの夢の中に入っているかのような状態を
実現できるんだって話に持っていってるわけですよ。
もちろん治療者も夢を見てるんですよ。
ここを一社心理学みたいにしちゃいけないってことなんですよ。
それが症例ドーラの失敗の元だったんですよね。
呪いとはさも夢の外に出ていて
あなたは夢を見ているんですから
ドーラは怒ったわけじゃないですか。
二人で同じ夢を見るためには
二人で夢のシナリオを書かなきゃならないんですよ。
ここが訓練だって言われてるところなんだろうと思うんですよね。
これは僕らがよくやっちゃう失敗なんですよ。
ものすごいやってると思うんですよね。
あたかも相手だけが夢見ているような顔を従うんですよ。
そう見えるんですよ。外からだと。
相手だけが錯乱し
相手だけが神経症で
相手だけが精神病で
お前早く目を覚ませよと言いたくなるんですよ。
これは特に欲打的な人によく見られるんですよね。
欲打的な人っていうのは
自己犠牲を知るんですね。
実際それが社会的に見ても
その状態の方が説明として妥当な感じがするものだから
余計そうなりやすいんですよ。
私があなたを
その夢を見ているあなたの世話をしてあげましょうみたいな
雰囲気になっちゃうんですよ。
これが犠牲者になっている人ほど部屋側に回りやすい。
これがヤングケアラーの問題なんですよね。
その人だってどこかで夢を見ているはずなのに
その状況から外に出てしまったような感覚になり
この人は夢を見ているからこんな暴言を吐き
私に暴力を振るい
人がDVされている方が絶えながら
それでも私は現実の側にいるんだって感じを保っていて
それによって自尊心をある意味
保っている部分もあって
それによってこの関係が持続していくと
これを多分昔強依存と
呼ばれていた関係が出来上がっていくとされるんでしょうね。
でも私は強依存ではなくて
それを言うならばせめて強転移
そんな言葉を今ひねり出したことによって
何かを混乱させてしまったかもしれないですけど
自分もそのシナリオに参加しているだけでなく
相手のシナリオだけじゃなくて
自分のシナリオを追加して
だからシナリオを書いている主体はどちらかだ
という言い方は成り立たないんですよ。
このことは藤山直樹さんと
松木さんもどこかで
書いていたと思うんですけど
意味にコット的ですよね。言っていることはね。
夢のシナリオを書いている主体は
クライアントでもなければ治療者でもなくて
その両者の中間にあるみたいな言い方をするんですよね。
この観点がすごい大事だと
僕は思いますね。
この観点を勉強することが出来るだけでも
精神分析について知る価値があると思うんですよ。
DVなんていかにもじゃないですか。
夫が暴力振る側が夫だとして
夫がシナリオを書いてますって感じがしちゃうんですよね。
私はでもそのことが分かっていますから
殴られたり暴言を吐かれても耐えてます。
なぜなら私は正気ですから、狂ってるのは夫ですから
みたいなのをうんとマイルドに言うんですよ。
一番マイルドに言うとどうなるかっていうと
私が悪いんですっていう話にしちゃうんですよ。
非常に抑鬱的な夢ってものが現れているにも関わらず
抑鬱している方は私は責任を負うこともできるし
自己懲罰もできる。
つまり正気である。
だけど夫は赤ちゃん同然で
ただただダダをこねて物を投げたり
怒り出したり怒鳴り出したりしている。
それだけなんです。
こういうストーリーを自分の中でこしらえているにも関わらず
つまりそこに関与と言わないまでも
参加はしているにも関わらず
あたかもそこから外に出ているような。
もっとこれが投げられたりは辛いよねって話になると
これは私だけ年を取っているみたいだみたいな
漫画があるんですよね。
ヤングケアラーのお母さん統合主張で
ユイちゃんという主人公が乖離を使うんですよ。
ケアはしなきゃいけないと。
殴られても痛くないんだみたいな。
これは乖離ですよね。
つまりここにストーリーがあるんですよ。
気がついたら自分ロボットになってるじゃないですか。
まさに夢ですよね。
お母さんが見ている夢と完全に一致してないかもしれないけど
結局二人で一つの夢の中で生活を共にし始めている。
ケアしているユイちゃんはすごいんだけども
すでに正気はどこか失われ始めているわけですよ。
そこにはやっぱり
Kではない。まあ、しゃあないんですよ。
どうしたって限界があるから。
だからヤングケアラーはいけないんですよ。
いけないと言ったら言い過ぎかもしれないけど
難しいですよ。そこはね。すごくね。
だけども、Kでない。ここはやっぱりLとHですよね。
愛と憎しみの世界が広がっている。
当然ですけどね。お母さんがそんな状態なんだから。
だからLはある。愛のようなものがある。
しかも、まあでもすごく怒ってますよね。
だからヘイト、憎しみのようなものもある。
ラブとヘイトがLとHですね。
ラブやヘイトではないんだけど
ラブやヘイトとよく似たものがそこに強烈に働き始めていて
で、気がつくと自分は
現実から少しずつ乖離していくと。
で、私たちもみんな
そうだってことなんですよ。大事なのは。
ここがめっちゃ大事なんです。私たちはついK優先で
自分は生きていると思ってるんだけど、だけど信号機で止まるじゃん
ってことなんですよね。信号機で止まるべきですよ。
でもそれはやっぱり夢じゃないですか。だから僕らは
しかもそんなところでは本当は住んでないですよね。
会社の上司を前にするとか
会社の部下と気に入らない人と一緒に
食事しに行くとかやると、もはやKはそっちの系になって
ひたすらエルドエイジの世界に没頭していって
ひたすら転移をしてひたすら夢を見ていく
という状況がどんどんどんどん進行していって
しょうがないと僕はやっぱ思うんですよね。
で、あとは
あとはですね
一つにはこれを覚める機会があったら
ほとんど頑張って覚める方向に向かう
つまりそれが結局持ちこたえるって話に
繋がっていくとしか思えないんですけど
他に何かいい案があればですね
私も持ちこたえるって読んで
気分が良くなるわけじゃないんですよ。
僕は別に政治分析家じゃないんで
厚木さんが繰り返し持ちこたえるとか
抱えて自分で悲哀を
欲打つじゃなくて悲哀を味わっていくんだっていう話を
いくら読んでもですね、なんか立派な話にしか聞こえない
部分はあるんですよ。僕が読んでいてもですね
諸手を挙げて賛成したいんだけど
諸手は挙がらないなってところはあるんだって
悲哀は悲哀じゃないですか。悲しいわけじゃないですか。
結局その私の日もても
そうでしたけど、いいおっぱいがあって欲しいところに
実は何もなかったんだよ。残念だったねっていう
なんかそんなに皮肉っぽくはないんだけど
何にもないってのはいいことなんですけどね。
いいことなんですが、悪いおっぱいがあるよりはずっといいことなんですが
店員から覚めると
あのマトリックスもそうでしたよね
なぜかそう僕らは思っちゃいますよね。覚めてみたら
荒野だみたいな。こんなにすごい
世界じゃなくて荒野だったんだ。何にもなかったんだ
みたいな。なんかそういうところありますよね。
なんでなんでしょうね。これはね。夢から覚める方がいいんですよ
だけどそこには哀愁が漂ってるんですよ
これもですね
夢と現実の境界
口に出して言えた方がいいと思うんですよね
だって別に悲哀を味わいましょうなどというのはですね
精神分析の先輩特許にする必要あるかって感じがするんですよね
欲打つを避け、悲哀を味わいましょうと
悲哀を回避したり
悲しむことを否認したりするのはよくありませんと
まして悲しいことになってしまう自分自身を
否定してなかったことにしようとしたり
懲罰したりするのはよくないですよって
いいじゃないですか別にそういう話してたって
なんでそれがそういうことを
一般人が口にするのは危険なことだから
欲打つのことは専門家に
専門家のところに連れて行っても松木さんが書いてるような
時代にはならない気がするんですよ僕は
別に松木さんの批判しているわけでは
全然ないんですけどね。僕は松木さん
がいらっしゃらなければこの仕事できてすらいないと思う
こういうところがいけないのかもしれないけどでも
なんでも薬を出せばいいというものではないって
本に書いてあったって実際には
ほとんどの場合なんでも薬が出されるのは
現実じゃないですかここで何というのか
下に暮れててもしょうがないと思うんですよね
これだったら悲哀を味わうという話を
別に分析家じゃなくてカウンセラーじゃない人たちが
していてもいいと思うんですよ
悲哀は悲哀なんですよだってヤングケアラー
という人が現実にいてですね
その人が自分が殴られたりわけのわかんない
ところでわけのわかんないことをされていたんでも
手が痛くないですロボットだからっていうのって
悲しいじゃないですかどっちにしてもですね
理不尽でひどくて
そういうのは本当は社会の方で
なんとかするべきだから
それはそれで僕は良くないと思うんですよ
なんか良くない気がするんですよいいのかもしれないけど
なんかそれが先進的で進歩的だって感じは
もうあんまり人々も僕ももちろんそうなんだけど
信じられないんじゃないかなって感じがするんですよね
とはいえ自分が
自分自身を切り離して
ぬいぐるみの耳とかをブチブチやって
それをこうケアすると
自分がケアされている気持ちがなって
納得がいってすっきりするとかいうのも
非常に悲しい話だと思うんですよ
だから当然その悲しみを引き受けがたいので
抑圧的になったり回避的になったり
ヤングケアラーと悲哀
入りが起きたりするというのは起きると思うんですよ
そしてそれはこれ自体が夢の世界に
巻き込まれてしまっているだからマッチュリの少女ですよ
マッチュリの少女は夢の中の世界に
巻き込まれてしまっているだからあんな状況で靴なくしたことになるんですよ
あの状況で靴なくさないでしょ
どんなに幼くったってあの状況で靴なくすというのは
もはや命取りですよね完全に
で彼女はマッチュリの少女は
あの空想の世界に万能空想の世界に
行ったじゃないですか
マッチスって万能空想を見るわけですよね
それにもつらいんで
これがつまり私たちが夢の世界にいると
ますます夢的な方向に向かっていきやすくなって
マッチをするというのは行為なんで
行為に逃げていくということが起きるわけですよね
あの少年ドーラで出たじゃないですか
ドーラはもちろんフロイトが
行けないことは行けないんですが
でもフロイトのアドバイスは妥当だったわけですよ適切だったわけです
でも彼女は行動を起こして
それを打ち切るという行動を取ることによって
夢の中の自分を満足させていったわけですよね
で後で困っちゃうフロイトに
治療やっぱりやってくださいって言ったんだけど
フロイトは逆転医で
自分が振られた怒りでつまりフロイトも夢を見てるわけですよ
治療はもう引き受けられないみたいなことを言うというね
非常によくできた話みたいにしか
見えないんですけれども
なんつうんですかねこれって
なんというかよくわからないけど人というのはそういうもんだと
言わざるを得ない感じがするんですよね
この場合ドーラの方が濃い夢を見ていたなどと言っても
意味がないような気がするんですよ
ただなんかこう
ここに悲しみはあるよねって感じはしなくはないです
なんかこう人間ならではの悲しみというのか
これだけですからこんなことやってるのは本当にね
動物は幸いにして夢を見る能力自体がないのでほとんど
もちろん夢見るんですけれども
僕らほど現実を夢化する生き物って
多分いないと思うんですよ
猿がギリギリかなーって感じですよね
でもまあないですよねほぼないと思う
蜂類に至っては夢を見ませんからねそもそもね
そういう大能は持ってないんで
彼らは現実に生きるっていう感じなんですよね
でこの
まあ僕は一番結局最終的に何がっていう話になってくると
そのヤングケアラーの話をしましたけれども
そういう話ではなくて
これは何かに特定してしまってるんで
特定したいわけではなくて
例えば怒られるとすごい傷つきますみたいな
発達障害とかHSPとかいう話で出てくるんですけれども
こういうところにやっぱり僕らはですね
人は夢を見ているが
私は目を覚ましているっていう状態にあるっていう誤解
ここをどうやって乗り切ったらいいんだろうっていう風な話にしていきたいわけですね
辛いとか
起きることの難しさ
人がこういう目で見ているっていうのは
基本的に投影で
基本的に転移で
基本的に夢だと思うんだけど
それに夢だと指摘するっていう夢を見ていても
ダメなんですよ
もうその瞬間に巻き込まれちゃってるんで
そういう観点ではどうにもならないんですよね
多分
で
一番こういうのがいいんだろう
朝起きる時に朝起きるのが辛い夢というのを
僕ら見てるわけじゃないですか
見てるんですよ
だから身体状態の問題があるかもしれない場合は
一旦内科に行って見てもらった方がいいと思うんですけど
そういうことでないならば
たぶん例えばなんですが
僕にもそういう事態が必ず起きますが
目覚まし時計の音を聞くと腹が立ちません
その目覚まし時計の音が
フルートとハープのための競争曲でも嫌になってくるんですよ
聴いてるうちに
つまりそれが転移ですよ
起きたくないという状況をそこに持ち込んで
起きたんだけど夢見てるんですよ僕は相変わらず
じゃなきゃ好きな曲が嫌いになるという事態って
発生しないじゃないですか
そう思いません
そう僕は思うんですよやっぱしね
どう考えてもおかしいだろうという気がする
聴いてる時に聞くとうっとりするのに
目覚ましの瞬間に5時40分に聞くと
すっごいその曲が悪魔のなんとかに聞こえてくる
本当にそうなるんですよ
夢じゃないですか完全に
だから私は置きざまに起きたくない夢を見ているんですよ
転移がそこに出現してるわけですね
僕はその転移の大元が
おそらく
ハチミツ入りの牛乳を4歳児まで飲ませていた
うちの親との関係を見てるんだけれども
ほぼこれは間違いないと思うんですけどね
とにかく何でもいいんですよそこに今ここで出現してる
何でも何でもしかも出現してるんでまさに文字通り反復脅迫
なんですよね
毎回毎回僕はそこで昔はですね
マーズタスクシュート見てましたつまりKなんですよ
何が起きているかを知りつつある状態を作り出したい
わけですよ夢から覚めたいわけです起きてはいるんですよ
さっきまで見ていた夢じゃない夢を見てるんですよ
目覚まし時計とか
どんどかにいろんなものを使って小道具を使って
起きたくない私というものを激化してるわけですよ
エナクメントなんですよ
でまあ東へドイツかでもいいです
起きたくない私というものを投影してだんだん起きたくない
私がそこに出現するわけですよ
起きたくない私がそこにいるだけであって
寝不足の私とかいうストーリーでも何でもいいんですけど
全部ストーリーに違いはないんですよ
本当に寝不足でしょうという問いがここで発生してしまうんだけれども
それを指摘できる人間はいないだろうと思うんですよね
それを客観になっちゃうじゃないですか
6時間しか寝ていなければとか何なら3時間でもいいですよ
3時間では足りない神様の声みたいじゃないですか
それってお医者様はそういうことをおっしゃるかもしれないけど
客観になっちゃうじゃないですか
しかもそれ言ってる人いないじゃないですかそこの場面に本当は
自分が言ってるんですよ自分の中で
自分のストーリーの中で誰かに言わせてるんですよ
間違いない絶対そうだと思う
生まれたまんまだったらそんなことは僕は考えないし
そのような事実が本当にあるかどうかだって分かんない
現に私さっきまで起きられない全然無理だ
今日はとても無理だっていう感じが5時40分時点でしてたんですよ
今こんなにとうとうとしゃべってるじゃないですか
二度寝したわけでもなんでもないのにあれは夢なんですよ
これが現実だっていう話になっちゃうんですよ
誰かが夢の外に出たかのような顔をする
それは許されないと僕は思うんですよね
許されないというかそういう事実はこの世にないと思う
神はあるのかもしれない
それは知らない
神様を見てて外から見たら
お前は寝不足だと客観的事実なんだ
言うのかもしれませんけど僕は信じない
だからそういう意味では僕はそういう存在を信じてないことになりますね
内側しかないはずだと思って
その内側で私が5時半に起きたことを知ってるのは
私だけだと思うんですよ
だからそれが寝不足だとか起きられないとか
これからやるこれらのニストをやるなんて
大変だと思うんですよ
これからやるこれらのニストをやるなんて
耐えられないとか言ってるのは
全て僕の欲物的な
悲哀に至ることができていない欲物的な何かであって
欲物的な何かが起きられない私というものを作り出している
そういう犠牲にあっている私というものを作り出している
そういう現実
現実というものを小道具として
そういう演劇を開始してしまっていると
そういう演劇を開始してしまっていると思うんですよね
心は僕の中にあるんじゃなくて
部屋が心になっちゃう
って感じがするんですよ
感じをつかめるようになってから
やってられない起きようというのができるようになった
どうしてもここを結論だけ取られるよね
それをお早お客にしましょうみたいになるよね
なるんだと思うんですよ
シナリオができちゃうと思うんです
皆様の今のような時代には
きっとそうなるような気がするんですよ私は
そこを越えていく方法を一生懸命考えているわけですよ
そのシナリオを作ってしまって
また皆さんが夢の中に入っていってしまうという
ストーリーと現実の葛藤
この堂々巡りが
なんというか僕らが乗り越えなきゃならないものだよなと
一瞬だけこの夢はいらんというのがね
決定できるんですよ
これからの未来がこうなるとか
今までの根不足だった過去はこうだったというシナリオから
脱することができる事実そうだったでしょう
っていう風に引きずり戻されそうな気がするんですよ
言われると特にね
そのように言われるとだって昨日寝たの12時だったじゃないですか
だけどそれはストーリーじゃないですか
12時に寝ては5時に起きられないっていうストーリーだし
そんなこと知らないじゃないですか皆さんは
私しか知らないじゃないですか
私が他人に言われているような気がするというのは
医者に言われている神に言われている何に言われているでもいい
親に言われているでもいいんですけど
そんなのは僕がこしらえたものじゃないですか
現実にはそれを言ってくる親もいなければ人もいなければ
お医者さんも一回もお医者さんに根不足ですって言われたことはない
リアルには
僕の中ではこれは認めがたいということです
僕の外から僕の外にいるくせに
僕が12時に寝て5時半に起きたことを知ってる奴がいるっていうのは
神だと思うんですよね
それは僕の中では到底認められないオカルトでしかないような気がします
そういう信仰もありますからね世の中にはね
だからこれからやることリストっていうのも
ノーイングにつながっていくんだけど
僕はそれだってシナリオだと思ってるんで
だってやらなきゃいけないわけじゃないですか
シナリオだと思うので最近は見ないことにしています
時々その力を借りることはあります
見ないで何とかこのね
起きたくない私ストーリーというものを
出したい
出したってまた別のストーリーがどうせ出てきますけど
とにかく起きるときは出したい
出すと何でもなくなるんですよ
その瞬間何でもなくなってしまうんですね
転移状況から一瞬抜け出ることが
できると思うんですよ
転移状況というのは作り出すものなので
抜け出すことはできるはずなんですよ
作り出せる以上は
このようにして僕は犠牲になっているというこの事態から
犠牲になっているものが正気であるという世界からも
同時に抜け出したくて仕方がないわけですね