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2024-08-16 40:55

「感謝」がムリになって「無気力」に陥る【1039】

のれん分けの心理。

サマリー

「感謝」が難しくなり「無気力」に陥る現象について考察しています。タスクシュートクラウド2の公式リリースやその利用法、ストレージサービスの選択にも触れ、デジタル環境での仕事の進め方が述べられています。このエピソードでは、メラニー・クラインの精神分析とタスクシュートについて考察し、感謝の重要性とそれに対する抵抗について議論しています。また、戦亡や展望についての理解が深まり、精神的な成長に向けた指針が示されています。感謝の感情が過度に要求されることで自己の無力感や無気力感に陥る現象が考察されています。特に、戦亡やヤングケアラーの問題が取り上げられ、感謝の重要性とその重圧による心理的影響について論じられています。錯覚や先望が仕事に与える影響について考察し、特に欲打つ状態に陥る原因とその克服の重要性が論じられています。

混乱と過渡期
おはようございます。100日セラピー、または働く人に送る精神分析チャット、第1038回をお送りします。
タイトルコールからしても妙ですが、まあ100日セラピーと言い切ってしまった方が言いやすいなと今思ったんですけどね。
この名前悪くないなというのはそういうふうな意味で思うんだけど、えーと、現在混乱中です。
過渡期っていう状況で、まあSpotifyからのバンドルされていたはずの収録ツールがなくなったために、現在はですね、
StandFMというプラットフォームですよね、から提供されている収録ツールを使って、使いたいとは思っているんですね。
で、これは使っているんですよ。 これはこれで良くてですね、これで行こうと思ったんだけれども、
でもSpotifyをやっぱりこうプラットフォーム的に完全にスルーはちょっと難しいなと思うように、
1日で思い直しましてですね、両方でとりあえずアップしつつ、今後考えていこうと、タイトルも含めてですね。
例えばSpotifyの方のタイトルを変えちゃって、録音だけはこのStandFMを使うというのでもいいと思ったんですけれども、
それもそれでなんかもったいないかなっていうような気持ちが若干芽生えまして、StandFMと両方上げちゃえばいいような気もしたんですよね。
で、同じ内容になりますから、当然のことながら、Spotifyの方でただ配信だけすれば一番いいんでしょうけれども、
そうすると引き継いでいただかなければならないじゃないですか、これまでのユーザーさんたちに。これもなーっていうのがありましてですね、
結局この今この形にしてみてですね、これはこれで非常にややこしいんですけれども、まあでも聞いていただく方には何も新しくしていただく必要はありませんから、
お客さん都合で考えればですね、これがやっぱり正しいかなっていう感じもします。
名前ぐらいは統一して両方で上げるか、ここで収録してSpotifyだけで上げるか、それともRSSをSpotifyの方に設置するか、
でもこれをやってしまうとSpotify上に私のチャンネルが2つになり、少なくともチャンネルの引き継ぎはしていただく必要が出てくるんですよね。
これは、形の上では一番最後のやつがそのチャンネルを2つにするというのが一番便利なんですけれども、
ここまでやってきたということもあるのと、やっぱり余計な手間をかけていただきたくない。どうせ同じ内容だから、
これが違う内容だって言うならまだ話はスムーズなんだけれども、同じ内容をタイトル変えるだけなのに何か新しい動きをしていただくというのはですね、
お客さん減りそうな気がするし、タダでさえそんなに多くはないですね。リスナーさんをわざわざテクニカルな問題で減らしてしまうというのもどうかというのもありまして、
要するに混乱中でございます。過渡期だと思ってください。スポーティファイが動いたから僕もそれに応じて動かなきゃなんなくなっているというのは、これは絶対にやらなきゃなんないことなんで、
収録ツールは提供されてないわけですからね。今までずっとですね、ここ2週間ぐらいかな、iPhoneのデフォルトの録音を使ってたんですよ。
これもですね、別に悪くはないんだけれども、体操を使いやすいかというとそういうわけでは決してないので、これに関してスタンドFMの収録ツールは大変素晴らしいんですね。
これでいきたいなっていうのはあります。だから考えます。考えますね。
RSS配信そのものがそう簡単ではないんですよ。しかもやっぱチャンネルを登録していただかなきゃなんないですよね。
タイトルはね、ヒプニチセラピーは悪くないとは思っているんですけれどもね。これも精神分析というのはパワーワードなんで、やっぱりいろいろと思うところがあるわけです。
タスクシュートクラウド2のリリース
今日はお知らせも兼ねまして本題にいきなり突入しようと思っておりますので、
特別なお知らせはありません。というか本日8月16日、ただいま8時36分なんですけれども、金曜日ね。
いよいよとうとうですね、タスクシュートクラウド2公式リリースとなりました。
早速、値段が上がりすぎであるとかいろいろな叱りも拝見しておりますけれども、それらの話も含めて軽く触れていこうかなと思っております。
でも高評を持ってというか現段階で乗り換えるって方はすごいヘビーユーザーの方も多いと思うんで、
高評を持って迎えられている感触はあるんだけれども、そういう声も当然あるだろうなと一方ではですね。
サブスクの値段というのは非常に私たちいろいろ思うところあると思うんですよ。
1回は1000円なんでね、1000円前後なんで、月に1回1000円払うことそれ自体はそう高いとは私は思いませんが、
これはもう人それぞれ感じ方だとしか言いようがないので、私自身サブスクそうは言っても絞ってますし結構ね。
まあまあCanvaとかEvernoteとか、おなじみのところでワンパスワードとかですね。
あと何だろうな、いっときBearというですね、これは完全にメモアプリなんだけど、Bearというアプリだったり、
あとは何だろうな、あとあれですよね、Dropboxだの、iCloudだの、Googleドライブだの、もう本当に特にDropboxはね、
必須じゃないじゃないですか、あれは。iCloudドライブを使っている人間からすると、あれは全く必須ではないんだけど、
みんなが使っているというのと意外と外せないっていう、すでにそこにあるものがあるっていう、こういうやっぱりね、クラウドストレージの難しさ。
だけどまあ抜群に高いか、そういうもんではないのでしょうがないかなっていう感じは持っておりますけれども。
そんな感じですね、フォトとかですね、いろいろあるわけですね。
値段のことは一旦ちょっと置いといてですね、タスクシュートクラウド2が公式リリースされて、私はもう仕事というものを、
デジタル作業環境の進化
この昨日、Jマスザキさんと、これもですね、新しくポッドキャストスタートするんで、始まったらお知らせしたいと思うんですけども、
あっちはですね、完全にJさんとの掛け合いだし、メインはタスクシュートというものになっていくんだろうなと思うんですけど、
そのJさんと話している中で、ここがタスクシュートクラウド2の肝だなと、私がですね、思うのは、
開始終了ボタンというものを押すということにおいてですね、例えばその間が長くなってくると、タスクシュートってほとんどこう、ただ開始と終了をある意味押すだけなんですよ。
そこが非常に良いところなんだけど、でも私は今、仕事はですね、開始ボタンを押してタスクシュートで仕事をし、終わったら終了ボタンを押すんですよ。
こういう形になってくると、タスクシュートそのものが書斎みたいなものなんで、だから非常にこう自然だしスムーズになったんですね。
もちろん、開始を押して1分後に終了みたいなやつの場合は相変わらず、ただある意味わずらしいだけなんですけれども、
開始を押して、例えば個人セッションというものを3ヶ月チャレンジでやっておりますけれども、
この個人セッションも誰々さんのセッションスタートってやってから、必要な事項がそこに書いてあったりすればそれについて調べるし、
何かちょっと気づくことがあったらそこにメモを置き、終わったら終了時間を押すと、タップするというかクリックすると。
この流れがですね、とっても正しい感じがするんですよね、私にとってはね。 だから私にとってはここで仕事をしていると、
あそこにズームが入ってくるようになったら完璧かもしれないけど、そういうことをやり始めるとキリがないし、重くなってしまうので完全に。
そういうふうなところまで行かなくていいと思うんだけれども、本当にですね、そのツールの中でできるようになることがタスクシュードの場合増えてくると、
こうも楽なんだなっていう、不思議な楽ですけどね。 別に、
開始と押して、開始とクリックしてから、 テキストエディターに行って文章を書いて、で戻ってきて終了クリック。でも別段、ショートカットキー一つですよね。
たったそれだけのことなんだけど、不思議とですね。 ここから一歩も出ずに済むっていうのはとても楽だと。
タスクシュードクラウドがコンピューターになったみたいな感じですね。 Mac になったみたいな感じです。一体化してますね。
私の場合は、1画面を最大化して、とにかくタスクシュードクラウドでやることは全て動いていくっていうこの形がですね、
実に正しい感じがします。
集中していればですが、エヴァノートとタスクシュードクラウドが一体化したような感触を僕は覚えるんですね。
なんかここにノートブックみたいなものがあればいいのにと思ってしまうというね。 なんか上部の方にリストを置いて、リストは長いのいらないんですよね本当に。
僕にとってはワンセクションの半分がタスクシュードのちょっと用語なんで、聞いててわかんない方は置いてけぼりになっちゃいますけど。
時間帯ってものがあるんですけど、この時間帯のリストの半分が上部に表示される、上の方にですね表示されていればもう十分なんですよね。
4つか5つあればいいんですよ、あそこには。 そしてサイドにノートブックみたいなものをいろいろと置いておけて、
下はもうサイドピークみたいな感じで、そこで仕事に必要な情報は全てまかなえるという状態。
しかもこれブラウザなんで、もうほとんど私はChromeから出ることなく仕事は完結できる。
私の仕事だからってことは当然あります。ありますけれども、テキストベースがメインであり、やりとりがほとんどZoomでっていうことになってきますと、
ZoomかChromeって感じですね。 Chromeもほとんどの場合はタスクシュート1本っていう感じで進んでますね。
これはちょっと特殊な使い方だと思うんですけれども、Web Clipってのとも違うんですけどね。
単なるコピペなんだけど、もう私はその日の必要になりそうなサイトなどのページはどんどんタスクシュートクラウドにコピペしていくんですよ。
サイドピークの中にあるものを見れば、サイドピークの行き来ってのもできるんで、サイドピークの中にあるものを見ながらそれを編集したりなんだりして、
多くの場合はZoomのURLとかそういうことでしかないんですけれども、非常に私からすると、この中のタブみたいなもんだよね、これはっていう感じがします。
Chromeがタスクシュートクラウドだし、Evernoteがタスクシュートクラウドだし、Googleカレンダーがタスクシュートクラウドだし、
しかもそれはタスクシュートでもあるという形ですね。この形は私は本当に良いだって思います。
別にChromeの他のタブに行けばいい話なんですけど、僕だからタブすごい減ったんですよね、Chromeの。
Chromeのタブを減らしたいというこの真理そのものが、そもそもちょっと人間らしいなぁとは思うんですけど、関係ないんですからね、いくら開いてたってね、デジタルなんて、そこら辺に紙が散らばってるというのと話が違うんで。
関係ないですけど、現在台風7号が直撃というほどではなくかなりそれてるんですけれども、
うち海岸沿岸部の相模湾を正面に見据えているって感じなんで、台風来るぞーみたいな雰囲気はですね、
台風と収録環境
あの、ひしひしとってかすでに来てるんですけど、なかなか風がですね猛烈になってはきました。なんかこう、テレビの中継やってるみたいですね。
雨はほとんど降ってないですね、今ね。でも今日は涼しくてだいぶ助かります。
昨日は台風の変現象で、地上でもう本当にこう南から上がってくる風で多分、車とはいえ塗ると定期で40度とかいう表記になっちゃうんですよね。
で、それクーラーガンガン効かせるしかないんで、もう本当に昨日は厳しい感じでしたけど、今日はもう一変して涼しいですね。風もまあ強く吹いてますからね。
あんまり庭見てるとこの風を吹いているのを見るだけでもこう、うーって感じはしなくはないんですけど、しょうがないんですけどね。
まあトマトは落ちまくるし、こうなってくると、しょうがないんですよね、これもね。
はい、思わず脱線してしまいましたけど、すいませんちょっとまた水をですね、録音の収録をリバーサイドの場合はどうなるのかな。
ちょっと一旦、やっぱりこれ便利ですね。今多分少しおかしかったかと思うんですけれども、少し収録中に編集したりしてみました。
こういうことがこうも簡単にできると、皆様にとっては今までの私の結構取手出しなんで、少しマシにしていけるかもと。
ここのところは、このリバーサイドじゃないスタンドFMの音形をちょっとこうこむりながらやっていきたいなと思うようになりました。
タスクショーの話を続けてるんですけど、ここからいきなり精神分析が入ってきます。
私、メラニー・クラインの今日の話ですね。フロイトの皇帝であった、皇帝と言っても女性ですけれども、メラニー・クラインとアンナ・フロイトという2人の、私は2つの大派閥の創始者だと思って尊敬しておりますけれどもね。
尊敬って滅多に言わないけど、対象関係論の創始者のメラニー・クラインの話とタスクシュートクラウド、私タスクシュートクラウドに限りませんけど、この種の特にフリーランスとして仕事をしていると、
なんて言えばいいのかな、一言で言って、煽謀ですよ。煽謀って問題はつきものだと。
だから、私はフリーランスになった人はみんな煽謀について勉強したらいいって思うんですけれどもね、役が良くないんですよ、これ。煽謀っていうのは全然意味がわからん。
これはね、こういうことなんですよね。タスクシュートというものは大橋哲夫という人が開発したものです。彼がオリジナル。彼がお父さんなんですよ。
この精神分析的に言うとね、産みの親なんだからお母さんなんじゃないかって言われるかもしれないんですが、これはお父さんなんですよ、やっぱり。
なぜなのかはよくわからないんだけど、家元は大体男性なんですよね。
で、ここにJ松崎さんという人がタスクシュートクラウド2を開発、今回しましたね。
ここに、展望という課題が上がってくるわけです。
これは、展望そのものが起こりやすい事象なんですね。
私、いつもJ松崎って人は偉いなって思ってるんですけど、この展望を、
展望がない人って僕はいないと思ってるんですね。だから、展望を問題、
自分の最も難しい問題にするという事態を避けられている。
めったに私は、これはないことで、特に若いうちは難しいって思うんですよ。
私なんかひどいもんで、多分に展望というものにやられやすい人間、まあでもこれはね、
あまり自分を責めることのことじゃないんですよね。見てて、展望を上手く買わせる人は少ない。
難しいんですよ、これは。そういうふうに人間というのは残念ながら、できてるわけですね。
だから、タスクシュートは俺のものだって思いたくなる。特にタスクシュート、クラウドはね、
自分のものじゃないかって思いたくなるはずなんですよ、どっかで。
多分人間というのはそういうふうにできてるんですよ。でも、この時に、
この時にとことんそうだと思い込むとほぼ幻覚なんですね。幻覚というか妄想の世界に生きる事になる。
で、この妄想の世界に生きるというのはもう、いやタスクシュートって考えてみると自分が考え出したよねっていうね、
ここまでいけるんですよ、人間ってすごいんで。
これ完全に精神病水準で、まあ、2歳児はやむを得ないかなって感じがしますね。
1歳児、0歳児はほぼ確実なんですよ。例えば、いいおっぱいとか悪いおっぱいとか言ってて、
お前は何が言いたいんだって思う人もいっぱいいらっしゃるとまだ思うんですけど、あれはね、こういうことなんですよ。
このおっぱいって僕が作り出したんだよねって、みんな思ってるんですよ、赤ちゃんは、おそらく。
いや、まず第一にこうなんですよ、お母さんっていうのはおっぱいだよねっていうふうに思ってるんですよ。
これを部分対象と言いますね。お母さんという全体はまだ赤ちゃんの、赤ちゃんの視力って生後間もなくはかなり低いんですね。
もう、なんていうのかなぁ、えーと、もう、
もう状態とは違うんだけれども、えーと、もうぼやーっとしか多分見えてないんですね。私が習ったことが事実である。
で、赤ちゃんにとってお母さんっておっぱいそのものなんですよ。具体的な物質であって、しかもそれしかないんですよ。
で、手塚治虫さんもやっぱすごいですよね。なんだっけ、あの、なんかちょっと不気味な植物描いてますね、おっぱいだけでできてる植物。
あれはね、すごい正しいと思いますね。手塚治虫ってなんなんでしょうね、ほんとに。でもあの頃習ってるよね、精神分析ね、たぶんね。
彼は医者だ、医者でもあったから、やっぱりあの辺が、彼の教養が独特の生きてるところが、メタモルホーゼとか言ったっけ?
まあその名前もすごいけどね。えー、まあそれはいいんですよ。とにかくああいうものなんですね。しかも赤ちゃんは、それは自分だと思ってるんですよ。
おっぱいって俺のもんだよね、そして俺だよね、ぐらいに思ってるんですよ。女の子だったら私おっぱいだからみたいな。
しかもこれを作り出したのも私だから、だって自分なんですからね。これがセンボウなんですよ。センボウの元ね。
万能空想なんですけど、だって空想ですからね。空想だっていうのはおっぱいが空想だってことではないですよ。
おっぱいを私が作り出したという考えが空想なんですね。これをメラニクライムは万能空想と呼んだんですね。
松崎さんのような方が出会ったとしてもですね、この部分が人間から存在しなくなったとか卒業しましたとか脱してますということはあり得ないと言ったのが対象関係論者なんですよ。
脱出したり成長してそこは抜け切ることができるんですに近い発想を持ったのが多分自我心理学派なんですよ。
ここにアンナフロイトとメラニクライムの大論争時代の種があると思うんですね。両者が大論争したわけですよ。そうじゃないんだってお互い言い合ったわけですね。
私は対象関係が圧倒的に正しいとこの点で思ってるんですよ。あらゆる意味で自我心理学を間違ってるとは思わないんだけど、ここは卒業できないと僕は思うんですね。
だから対抗という言い方は性格であると僕は思うんですよ。赤ちゃんに変えるのではない。いつも我々は赤ちゃんでもあるんだって僕は思うんですよね。ここはもう相当メラニクライムの肩を持ってると言っていいんじゃないかなと思うんですよね。
別に肩を持たれて彼女が喜ぶと思いませんけど、私はそういうふうに思うんですよ。
なんでかっていうと、やっぱり私自身のことを振り返ってみても、戦亡ってものから自分は卒業できてないなって感じがする。こう自由にもなってね。
確かに私は戦亡というものをスルーはできる、自分の中の。でも戦亡というものはなくなったとか、私はもう戦亡しなくなったという感じはしないんですね。
感謝の重要性
私はさすがにタスクシュート開発したりもできないから、タスクシュートって発想を考え出したのは佐々木ですよっては思いませんけれども、思いたくはなりそうですよ。開発まですればね。
思おうとした時に、例えばこの名前を変えるわけですよ。何でもいいんだけどね。シムタスクとかね、そういう名前にしちゃうわけですよ。
そして、いやシムタスク完全に俺作ったんでしょっていう感じにしたくなるわけですね。ここには何を無視しなければいけないでしょうね。記憶ですよね。
記憶を無視しなければいけない。で、さらに記憶の中でも特に何をって言ったら、戦ですよね。先日私はプロメテウスの話しましたよね。
ジュピターが言うわけですよ。誰がお前を作ったんだって。これですよ。大橋哲夫さんなら言いたくなるでしょう。だから彼はジュピターの立場に立ってるわけですよ。
本人がジュピターみたいにエバってるとか言うじゃないですよ。ただそういう立場にポジションがあるってことですね。
で、この状態からして誰がタスクシュート作ったんだよって当然言いたくなる瞬間は何回もあったと思うんですね。
このセリフが出るときは同時にセットでどこか誰かのどこかの誰かが必ず戦亡しておかしくないシチュエーションというものに僕は身を置いているわけですよね。
自由に、お前は俺を自由に作ったからいけないんだっていう。その自由を縛るためにあるのが特許とか名称独占といった話じゃないですか。
だから人間社会はこの問題から僕は逃れられてないと思うんですよ。いわゆる家元制度とか、乗れんわけとかいった問題は全部こういう問題だと思う。
それこそラーメンですらあるわけですよ。誰がその味を作ったと思ってんだみたいな。最近ラーメン交流期だったっけな。よくわかんないけど。
色々と時々目に入ってくるXとかでね、おいしん坊みたいな漫画が特にラーメンってなんか知らないけどああいうものの的になりますよね。
そういう話だと思うんですね。だからこの大元があり、そこから分離していくっていった時に戦亡という問題が発生する。嫉妬でないのはですね、元が邪魔だって感じを持ってしまうからなんですね。
元が邪魔だっていうのっておかしいじゃないですか。元がなければ自分がないはずなんでね。タスクシュートっていうものが考案した人がいなければ、おそらく自分がタスクシュートというアイデアを持つことができてない。この発想は正気なんですよ。
そしてここには、メラニー・クラインが言うにはですね、感謝があるだって叱るべきだと。ここに怒りがあるというのは正気とは言い難い。
だから嫉妬と戦亡という言葉が、ごめんなさい、戦亡と感謝っていう本が出てくるわけですよ。戦亡するのではなく感謝できるようになりなさいと。
でもまあ山崎さんも言論でおっしゃってたんですけど、僕もここで感謝、戦亡から感謝かっていうのがあるわけですね。
それはわかるんだけどね。ここであなた感謝しなさいねっていう話になってくると、感謝いたしますみたいになってしまって、なんて言えばいいのかな。
ストイックすぎるかなと思うんですよ。感謝して叱るべきだとは思うんだけれども、それこそJさんの方にも言い分はあると思うんですよ。
でもクラウド作ったの自分だしねみたいなね。つまり子供にも言い分はあるってことなんですよ。ただただ感謝しなさいっていうね。
だからここで感謝したくないっていう気持ちもどっかで湧くとですね、つまり戦亡が続いているとその人は抑圧的になっていく。
感謝の要求と自己認識
つまり、大橋さんがいなければタスクシュートなんて考えることもできなかったし、今日のXでJさん書いてましたけど、
これがなければタスクシュートクラウド2の開発が大つかなかった。やっぱり彼偉いなっていう。これがPRの項目にもなるところが、若いのに頑張るなっていう感じがするんですけれども。
結局これってどういうことかというと、初期なんですよね。抑圧ポジションに入れているっていう意味なんです。
抑圧ポジションに入っていると敬意というものが嫌でも意識されてくる。敬意というものが意識されるということはですね、
多くの場合、自分は一人では生まれてくることができなかったという意味になってくるので、お母さんいなければ自分生まれてこなかったわけですからね。
ここでお母さんが横暴だったり、ひどい親だったりするからこそ、この話は生きてくるんですけれども。
大橋さんは別にひどくないんで、この話を極端に美化する必要は全然ないんですけれどもね。
大橋さんがめちゃくちゃなことをおっしゃる方であればですね、Jさんの偉さが際立つみたいな話になってくるんだけども、
それはつまりヤングケアラー的な話になってくるって意味なんですけれども、だから偉さが際立つのは全然いいことじゃないってことですよ。
ヤングケアラーって全然いいことじゃないじゃないですか。お母さんがやってくれないから食事もします、お父さんの面倒もいます、
自分寝る時間も削ってますみたいなことをやるっていうのはヤングケアラーの世界なんですけれども、つまり自己犠牲の世界なんですけれども、
いい話ではないんですよね。美談かもしれないけれどもね。
この話の中で私たちはやっぱりですね、感謝しなさいっていう時代に直面することが出てくるわけですよ。
これは大橋さんが感謝を求めているという話では全くないですよ。この辺ね、難しいんです。母親は子供に別に感謝は求めない。
でも子供は親に感謝するべきだっていう、これは文脈を抱えてるんですよ。なぜならば、
戦亡しても、戦亡も感謝も生まれてこなければできなかった。道徳の話だけしてるわけでは決してないですよ。ここから道徳が出てきますが、
そうではないんですね。ここに怒りを覚えるということは事故破壊的であるって言ってるんですよ。
その事故の破壊に走った時に、私たちは必ず心と体を痛めつける結果になるので、あるいはこう仕事がうまくいかないという、
この私のオナポッドキャストの文脈で言えばね、仕事がうまくいかないという結末を招くので、少なくとも戦亡はやめましょうという話。
戦亡が続いている限り、でも感謝しなきゃなーって思ってると、その人は欲打的になっていくわけですよ。
本当ならね、自分が大橋さんが考える前にタスクシュートというものを考えることができていたらよかったのに、みたいな考えを持つ。これは万能空想的ですよ。
できないことをやろうとしてるから。で、でも自分はできてないと。そこでことさらにですね、自分を責め始めるわけですね。
だから自分は人に感謝してヘコヘコして、自分の無力感とか無能というものを抱えて生きていかなきゃならないんだ。ここで悩んでる人はいっぱいいますよ。
これはJが悩んでるって話じゃなくてね、こういうことで僕ら悩んでるんですよ。
だからヒーローものの漫画とか、ヒロイックな女の子が描かれている漫画はめちゃくちゃ触れるわけですよ。なぜならこの万能空想を肯定してくれる物語だからですよね。
昔に戻って、誰か創始者が現れる前に戻って、まさにそういう漫画があった。川口海次さんが漫画化したですね、
なんかこう、ビートルズがビートルズとして世界で評判になる前に、日本の5人組がタイムアレですよ、昔に戻ってしまって、
そしてビートルズが生まれた後なんですよ。ひどい話だと思うんですけどね。ビートルズが生まれているにもかかわらず、彼らが活躍する前にビートルズの曲を全部乗っ取ってしまうんですよ。
5人組がね。ビートルズのひたすら真似をするバンドが過去にタイムトラップする、トリップするっていう漫画なんですけどね。これですよね、まさに。これが文字通り戦亡というものを空想化した人間のある種の夢なんですよ。
プロメテウスの夢でもあるわけですね。創始者が生まれる前に戻り、創始したことにしてしまうと。神ですよね、この領域は完全にその領域になる。
人はこれができないから欲打つ的になり、ケースによってはうつ病になってしまうんだと言っているのがクラインの考え方で。
例えばそういう、僕はよくわかりませんが、5人組がビートルズのめちゃくちゃ真似をして、ひたすらコピーをしていくという、完全にコピーしていくということをするってことは、その一つにビートルズが素晴らしいと思ってるわけじゃないですか。
やればやるほどですね、どこかに欲打つ的な部分って出てきますよね。やればやるほど、素晴らしい、本当にビートルズ素晴らしいと思って、俺たちビートルズそっくりになろうってすればするほど、自分たちはどうしてこれができなかったんだろうって思うのが人情ってもんじゃないですか。
だから僕らは欲打つと戦亡というものはセットなんですよ。ここにはどうしたって戦亡みたいなものが出てきやすい現実ってものがあって、自分はビートルズではない。
ビートルズのようにオリジナルを作り出せたわけではなく、したがってオクマの長者になれているわけでもなくって考えて、でもビートルズは素晴らしいと思うっていうね。
だからビートルズに感謝しなさいっていうのが暗いんで、感謝かってなるわけですよ。私が思うにね、感謝厳しいじゃんっていうこの心情の時に、うつうつとしている場合はですよ。
だから良いおっぱいをもらって感謝しなさいっていうのは赤ちゃんにとってはきついんですよ。赤ちゃんは自分がおっぱいだと思ってたわけだから、
戦亡と無力感の関係
いやこれ他人が作り出したもので、自分これこのようなものは全く作り出せず、ただただここからおっぱいもらうだけなわけですかと、自分はとっても無力なんだなっていうこの頼りなさ、ヘルプレスネスですね。
ヨルベなさが赤ちゃんを成長させるとも言えるんだけど、これ成長してますよね。欲うつ的にもなりますよね。このあの力のなさで、これから社会の荒波に生まれて出ていかなければならない。
ビートルズの真似もそうで、ひたすらこうモノマネっていうことしかしなくて、それだけで生きていくのはやや困難でね。
できたとしても常にコピーした存在っていうふうなものとして生きていかなければならない。これが現実っていうものなんですよ。
これはここを恨むのは明らかに筋違いなんですよ。もともとないものだったから、ないものがなくて本当に困ることはない。これは不在論につながっていくんですけど、
自分たちはビートルズじゃないんですよ。ただそれだけのことなんですよ。ビートルズじゃなくて困ることはないわけです。
そこからいくばっかでお金を稼げたり、音楽楽しめてるなら感謝していいはずでしょってクラインは言う。
そしてそれが普通に素直な気持ちでできないとするならば、あなたはどこか敬意というものを見落としているか、あえて見落とそうとしている自己愛に囚われているんですよっていうことなわけですね。
だから無力感というものがその人たちの自罰傾向だったり怒りを生んだりするわけです。自分無能で無力だと。
クラインはそれを直視して、そしておっぱいもらえていることにそのおっぱいに感謝しなさいと、こういう話をしていて、それでもちょっと厳しすぎないかっていうね。
そんなことに果たして人間がずっと直面して結構元気にやっていくの難しいじゃないですかっていうのは、私もこの扇望と感謝を読んだ時に強く感じたことなんですね。
これを強く感じるってことは私の中に扇望の気持ちに置いたいという気分がやっぱあるってことですよね。
やっぱり僕これラーメンって考えちゃうんですよね。タスクジュードクラウドで考えればいいだろうって言われるとそうなんですけど、だからJさん偉いなって思うのは確かに思うんですけど、
僕はやっぱラーメンでなぜか考える。ラーメンに作ったこともラーメンにやったこともないんですけど、やっぱりこのなんとか系って言うじゃないですか。
だから私で言うと野木場系ラーメンとかを作り出したくなるわけですよ。その時絶対に今まであった何かを参考にしちゃってるじゃないですか。
完璧にオリジナルなラーメンってもはやとても作り出せないわけじゃないですか。その時に扇望に取られるんですよ。
いやもうここは俺の間違いなくオリジナルだからみたいに思いたいわけですよね。その時に見て見ぬふりをする。
これは実はこういうことにインスパイアされてるんだけどなーっていうのは見て見ぬふりをしたい。それがだから感謝できない部分なわけですね。
扇望ということになるわけです。この真理はですね私が知る限り独立して仕事をされている方はほとんどみんなあると思います。
もちろん精神分析というものが正式がどうだとか野良がどうだとか野の医者がどうだっていう話も全部これに関係があります。
だから私は仕事をする時に扇望という真理はよくよく要注目だなと思うんですよ。
オリジナルなんてものはほぼありえないと思う。ほぼありえなくても本当は別に何も困ることはないはずなんだと思うんですね。
何らかの形でみんなそうなわけだからここは上手くですね上手くというのはずるくって意味はほぼないんですけど上手くやっていくことはできるはずなんですよ。
だってあれですよね。自分も元々ビートルズだったしみたいに思ってしまったらこれは完全に妄想の世界じゃないですか。
万能空想が実現化してしまっていて実現化してしまった漫画もあるわけですけれども完全に精神病水準の情緒なわけですね。
こうであったらいいのにがこうであるに変わってしまう。おっぱいは私であったらいいのにが私はおっぱいであるになってしまう。
完全に正気を脱いしてる。ただゼロ歳児ならそれでいいんですよね。正気じゃないけど健全です。このような言い方が一時ナルシシズムは健全であるっていう言い方と。
メラニンクラーやっぱ厳しいんですよ。ナルシシズムというものは不健全だっていうね。彼女に寄せると一時ナルシシズムは存在しないんですよ。
言語と現実の認識
ナルシシズムってのは全部二次で。つまりあえてそのような現実に目をつぶり私はおっぱいだという世界を無理やり言い聞かせている。
極めて病的なものがナルシシズムですっていう風に彼女はやっぱり厳しく言うんですよね。さすがに扇望と感謝の人だけはあるなって思うんだけど。
私はここからちょっと異なる見解がミニコットって人から出てくるんですけれども。
その万能空想から完全に脱却して自分は無能で無力な存在なんだということにそんなにあっさり直面化してはまずいっていうことをね。
言った人がミニコットなんだなと私は思うんです。だから彼の言ってることの方がそうじて優しく聞こえるんですよね。
人間そこまで自分に対して厳しく直面して真正面から受け止めちゃダメだよっていうね。
そういうことをやってるとそれ自体がトラウマになってむしろ愛になってしまうっていうことを彼は言ったんですよね。万能空想の意地ってことを言ったんですよ。
こっちの方が私はリアリティを感じますね。
どっかでやっぱり自分というものを、錯覚を少し含んでいたとしても、だからミニコットは錯覚って言ったんでしょうね。
妄想とは言わずに。妄想はまずいんですよ。確かにタスク集とは自分が実は作ったんですよという。
大橋裕之さんが生まれる前から宇宙人に教わってみたいなことを言い出すと妄想になっちゃうじゃないですか。
そうではないんですよね。万能空想の意地、そして錯覚と脱錯覚っていう考え方は錯覚って言ってますから。
僕は錯覚の方が近いと思う。現実と全く無関係ではない発想というものがそこから出てくる必要があると。
とにかくですね、話が非常に違った方向に行ったように聞こえたかもしれませんけれども、
欲打つ状態の影響
全てのこの仕事には先望という課題があり、先望というものに変な形で引きずったまま現実に入っていくと欲打つという事態を引き起こす。
欲打つというのは結局何かが不安で仕事が手につかなかったり先のことが気になるから、
例えばタスクシュートの開発が進められなかったり、そういう話をJマスザキさんとポッドキャストでして配信する予定でもありますけれども、
タスクシュートクラウドを絶対にすぐ開発しなければいけないと思ってたんだけど、数年間全く手がつけられなかった。
これが非常に欲打つ的な状態ですよね。自分が信じられなくなってしまう。
自分にオリジナリティがあるとか、自分ならではの発想をこの現実世界に実現して生み出すことが自分にできるし、
またそれだけの価値があるものだといったような様々なものを一切信じられなくなってしまう。
ただ自分の能力の無さと寄るべなさみたいなものにただただ直面して圧倒されてしまって、
ひたすら万能空想が、万能空想というものは絶対その正規の状態では実現させられませんから、
万能空想というのは天聖者みたいに今流行っている形で、ああいう話でしかありませんからね。
時間残念ながら一方向にしか進みませんので、エントロピーは普通増大の方向に向かうので、
皿は割れることはありますけど、割れた皿が自然と元に戻ることはないわけですよね。
そういう話でしかありませんので、この万能空想というものはやっぱり多くの場合、仕事においては邪魔になってしまうわけですね。
だから今回私は2というものが今日リリースされた、つまりこれは現実に子供が生み出されたっていう風に捉えるんですけれども、
大変なことがあったはずだと、要するに生みの苦しみというものがあったはずだという風に思うので、祝日かなと思っております。
40:55

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