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  2. 【GMV261】追い出した「悪」は..
2020-11-26 40:22

【GMV261】追い出した「悪」は必ず自分に襲いかかる

なんの気なしに、何かが良いとか悪いとか決めるのは、けっこうリスクを増やします。
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日も上げてるんですけど、なんか昨日とか一昨日とかですね、ちょっと何なのかな、これは。
サーバー的な何かなんでしょうかね。
部分的にうまくいってないことがあって、もしかしたら配信されてないかもしれないんですけど、構わず前へ進めてしまいます。
これあれなんですよ、もうトラブった時はトラブったことが良かったとみなすことに決めてるんで、後で修正はしますけれども、
トラブったからといってやり直すみたいなことはもうしないですし、上げ直す、上げ直さない、一切成り行きに任せてやってます。
本当は数字打っていくのはもう、実に間違いがちなんで私はやりたくないんですけど、数字くらいは頑張って打とうと。
数字以外はですね、何一つこう、事前の計画的なものが一切ないので、
今日も何を喋るか考え中なんですけど、まず何喋るかの前に、これだけは決めてるんですよね、最近。
CM先にやってるじゃないですか。CMだけはですね、事前に決めておかないと完璧に忘れて、CMするのが嫌いなのかな。
精神分析的にはきっとCMを抑圧してるってことになっちゃうんでしょうけど、そこまでCMを嫌いしてるつもりはないんですけども、
でもやっぱりあれですよね、倉園圭祖さんがおっしゃる、自分が何かに対して好意的でないと、それを自分がするのは気が進みませんよね。
結局私コマーシャル飛ばしてますもんね、テレビで。テレビとかで、YouTubeとかでも。
動画が可能な限りスキップしている自分を、コマーシャルか広告が可能な限りスキップしていることを考えると。
だからコマーシャルを自分で出せないんですね。そういうところはあるかもしれない。好んであれを見てればいいな。
でも好んで見るっていうのはやっぱり難しいんですよね。
昨日も第4戦で終わってしまった単純な野球ファンとしては、はなはだ残念な3試合削り取られた感がある日本シリーズ。
どうしてもNHKのBSで見ちゃいますからね。
コマーシャル入らないのいいなって思っちゃうんですよ。
コマーシャルなんですけど、読むセラピーという本が出ています。
これは佐々木さん自分の時間がないんですの前から出ていたんですけれども、読まれてないわけじゃなさそうなんですけれども、
商業出版の基準から言えば読まれてないのと全く同じレベルで、
あれ多分ですね、私が書くものの中にエヴァノートとかタスクシュートとかがあればいいんでしょうけれども、明らかにないじゃないですか。
03:03
だから多分あれを読んで何が得られるんだって感じになっちゃうんだと思うんですけど、
あれは私としては相当力を入れて書いていたりします。
自分はやっぱりこれから言いますけど、NHSPとかギリギリ心理スリラー的な話の紹介をするというのが多分自分の一番個性とマッチしているんだと思うんですね。
自分の個性と一番マッチしているものをそのまま仕事に持っていけるかどうか、
それができるのは相当恵まれているだけなんじゃないかって話もなくはないんですけれども、
でもそういうことを仕事にしていた人はいますからね。
例えばかわいいハヨウさんなんかはそうですよ。
だからああいう仕事を私もやっていきたい人間なんだなということを最近つくづくやってて分かってきたんですよ。
読むセラピーの文章は相当力を入れて、しかも時間をかけて書かないと書けないんですけれども、
あれやってる時が一番こう自分、全然疲れないんですよ。
いつまででもやってられるっていうのはああいうことで、
久しぶりに留学して心理学勉強してた時もそうだったんですよね。
1日10時間心理学の本を読んでても疲れないんですよ。
しかも英語で読んでても。
多分私はよっぽどそういうのが好きなんですよね。
しかもあれお金もらってやってたわけじゃないですかね。
お金払って言ってたんで、留学だから。
1日本当に10時間英語で心理学読んでても腰とか首とか痛くなるんだけど、疲れないんですよね。
もっと読みたいんですよ。
今でもそうなんですよね。
今ウッドバイブスの影響で精神分析を盛んに読み直してるんですけど、全然苦にならないんですよね。
ああいうのが流行らないっていうのが流行らないのが分かる気もするんですけれども、
公愛記とか公文記とか正規記とか言ってるからね。
でもね、私には実はあれ流行らない理由が全然理解できないんですよね。
ずーっと読んでられるんですよ。
フロイト全集とかもほぼ全部読んでるんですけどね。
岩波のやつ。
1冊1万円くらいするやつですね。
全然あれを読んでいてつまらんと思うのが分からないんですね。本音を言うと。
あれは実にすごい本だと思っちゃうんですよ。
でも全然読まれないだろうなという気も確かにするんですよね。
なんて言えばいいんですかね。
僕は世の中が千百だとかそういうふうに思ってるわけではないんですよ。
昨日の日本シリーズが面白いようにフロイトの本は面白いはずだと思うんですよね。
多分それはほんのちょっとしたなんかなんですよ。
ほんのちょっとしたピントなんだと思うんですよね。
あれ絶対誰が読んでも面白いんですよ。
そういう展開の流れの中でそれをかなり今風に書いているのが読むセラピーだと思っているんですね、私は。
06:04
今も書いてるんですけれども。
やっぱり扱っている本も今読まれていないとは何の関係もなく面白いと思うんですよね。
ファクトフルネスとかって読まれてるじゃないですか。
一方で例えばイブの三つの顔とか読まれてないわけですけど
イブの三つの顔の方がつまらないってことはないと思うんですね。
だからそういったわけでそういう風に何の関係も基準もないようなんだけど
実は非常に関係と基準があるんですよ。
それがグッドバイブスで得られたから読むセラピーはできたんですけどね。
だからそういうことで一つよろしくお願いしますということになります。
今こうやってCMやってるうちに何を今日喋るべきかを思いついたんですけど
これも言い訳が多いんだな、だから長くなるんだ。
Zoeさんという方がですね、自分の時間がないんです、たくさんと書いた教中について言及されていて
すごい良い言及だったんでこれの話をします。
これ話するとですね、なんか変なことにZoeさん批判してるみたいになってしまいかねないというか
そう聞こえかねないんですけど、それは全くないんで。
私Zoeさんに対しては好意以外何も持ってないですからね。
うちの子を僕が批判しないのと同じように批判しえないんですけれども
でもこれが批判ぽく聞こえるとするとですね、何かがおかしいんで
そうではないということをまず断っておいてから喋りますね。
精神分析やってるみたいになっちゃうんですよね、どうしても。
特に今の僕の気分と文脈で喋ってると精神分析やってるみたいになるんですよ。
精神分析って依頼もされてないのに勝手にするのはおかしいんだけど
この番組の特性上、グッドモーニングバイブスの特性上そうなってしまうのはご容赦いただきたいと。
Zoeさんにもご容赦いただきたいし、そう聞こえる方にもそうじゃないんだよという風に聞いてください。
週5か。週5、ご主人の夕食を用意するのが
苦痛でプンス化してたというやつだったんですけど、これなんですよね。
何がこれかというと、私たちは自分が気分が良くないという時に
その気分の良くなさをそのまま抱えてはおけない生き物なんですよ。
例外はないと僕は思うんですね。
ここから意味付けというものが始まるんですよ。
えっと、そんなご主人の晩御飯用意するのが嫌なのは当然じゃんという風に話が行ってしまうと
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もう2歩前へ出ちゃってるんですよ。
もっと手前のところから戻していかないと、この話すぐ社会問題みたいになるじゃないですか。
男女問題とか、そういう視点で捉える必要もあると思うんですね。
あると思うんだけど、つまりフェミっぽい視点も大事だと思うんですけど
もっと僕が見たくなるのはその2歩手前なんですよ。
1歩手前じゃなくてね、2歩手前。
2歩手前ってどういうことかというと、まだその感情に名前がついてない瞬間があったはずなんですよ。
旦那さんのご飯を用意するのが嫌だという場合に
自分の気分が悪いっていうのがあったわけじゃないですか。
その自分の気分が悪いのはなぜだろうと私たちは考えるわけじゃないですか。
こうして自分の中の悪いものが外に飛び出すっていうことを得られたんですよ、精神分析は。
フロイト二世、対象関係論二世。
対象関係論って術語ですね。
メラニー・クラインという一番弟子の女性ですね。
この人はドクターも何も持ってないのに精神分析家になった、おそらく世界で唯一の人かなと思いますね。
いわゆる、こういう言い方はいけないんだと思うんですけど、ただのおばさんなんですよ。
ミセス・クラインなんですね。
大学すら卒業してないのかな。大学は卒業してたのかな。
でも精神分析家っていうのは大学院を卒業している相当じゃないと取れないことになってますからね、今は。
まあいいんですけど、クライン派の人にせよそうだと思うんですよね。
外に出すっていうのが大事。
外に出すからこそ、ずっとここの番組でも喋ってますけれども、例えば太陽は良いものだ。
良いっていうのは外に出したわけですよね。
太陽に良い、自分の中の良いという気持ちを投影したわけです。
太陽自体は良いも悪いもないじゃないですか。
そんなことをですね、人間が良いもしなければですね、太陽が良いだの悪いだの言わないんですよ。
昨日これを喋ってアップされてるかどうかが微妙なんだけど、
雲がどんよりしてるとか、どんよりっていうのは私たちが勝手にそこに貼り付けた形容詞なわけですよ。
雲自体はどんより、俺どんよりとかって言ってないわけですよね。
雲がどんよりなのかどうなのか、他の生物にとっては分からんじゃないですか。
人間だけが自分の気持ちをそこに置くわけですよね、投影する。
投影するというのが難しいんですけど、なんて言えばいいんですかね。
そこに追加しちゃうみたいな感じですよね。
その風景にどんより、そのどんよりはあんたの気持ちだよねってことなんですよ。
で、ご飯を作るっていう行為があるわけですけど、この行為に意味をつけたわけですね。
めんどくさいという意味を。
でもその意味をつける前の気持ちがあったと思うんですよね。
12:03
ご飯を作らなきゃいけない、さらにその前があったと思う。だから二歩なんだけど。
なんか疲れているみたいな、それ自分の中にあるんですよね。
自分の中にあるものが名前がつけられるわけです。
そして原因が特定される。
その原因って自分の外にあるものなんですよ。
ご飯って外にあるものじゃないですか。
その原因と自分の気持ちが融合するんですね。
ここに意味づけというものが発生する。
だから意味づけは大抵良いか悪いかっていう意味がまずそこにあると思うんです。
現象的な意味化ですね。
途中前回か前々回かに喋ってるんですけど、そこに実は性と死という問題があるんだっていうのがグラインが言ったことだと思うんだけど、
少なくとも性と死っていうのも良い悪い他にも重大な意味としてあるんだけど、そこまでいくと深刻すぎるので、
よしよしだけでいいと思うんですよね。
で、悪いっていう、つまりそれは自分の気持ちが悪いのを外に出したわけですよね。
なんかね、他人のせいにするとか現実のせいにするっていうのはこの文脈なんだけど、
そうやってやっぱり語るべきではないと思うんですよね。
そうするとその人が出来が良い悪いみたいに、ここが批判的って僕が冒頭に申し上げたやつなんですけど、
そういうことではないんですよ。
で、それは旦那さんが悪いんで旦那が作ればいいじゃんみたいな話になると、
今度はこれが男女問題とか社会問題みたいになってるんですよね。
それも必要な視点だと思うんだけど、僕はやっぱりその遥か手前のというのかな、
見事手前の、まず脳内でネガティブなモードが出来上がったというか、発生したと。
仕事ずっとしてたのかもしれないし、だって気分が最高に良くてですね、
めちゃくちゃ元気いっぱいで、さあご飯作るぞみたいな時に、ご飯に悪い意味付けしないじゃないですか。
つまりまず自分の気持ちが最初にあると思うんですよ。
これがなかったら良いとか悪いという意味付け自体出来ないんですよね。
で、ついでにそこにですね、良い悪いという気持ちが発生しちゃうとどうしても人間の脳なんで、
どんな脳でもそうだけど特に人の脳は連想する脳なんで、
ついでにご飯を作る気分が良くない、融合させた時に連想して何か他のものもくっついてくるんですよね。
それが特にそうなんですけど、精神分析の一つのコアだと僕は思うんです。
例えばお母さんがいつもお父さんが食事の支度をさせられていて、
それを自分はネガティブな気持ちで眺めていたとかいう記憶がもう意識が走る前にその連想が走ってしまって、
しかもその走ったのがあまりにも素早いので、自覚することが一切出来ない。
ここを自覚していこうというカウンセリングだと思うんですけど、
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自覚することが一切出来なくて、そこに全部一緒になって投げ込まれてしまう。
だから一つ一つ解きほぐしていって巻き戻していきましょうよという、
つまり食事の支度をすると面倒くさく感じるんです。
例えばZoeさんなりがソファーのベッドに寝っ転がって、
クライアントを連想して喋っていくと、
その時にカウンセラーである精神分析家の方の顔は見えないようにする。
この位置づけ、位置取りが大事だってされるんだけど、
なんで面倒くさいんですか、続けてくださいとどんどん喋らせるわけですね。
その時に自分が考えていることをことごとく言語化していく中で、
昔の思い出というものを語っていかざるを得ないような状態になっていって、
しかもそれを分析家が聞いているものだから、
だんだん分析家が食事の支度をさせている旦那になってみたり、
そのお父さんになってみたり、
そうすると自分にとっての旦那だから、あるいは自分にとってのお父さんだから、
自分が子供時代、娘時代だったことを思い出して転移ってやつが起きるわけですよね。
そこに今度はお父さんを投影したりすると。
その中で意味づけの連鎖反応みたいなものが次から次へと生じてくるというものを分析というのかな、
解釈していくんですよね。
これをどんどんどんどん解釈していくという考え方。
で、週5の夕食の準備。
昔のお母さんは週7とかもしていたわけじゃないですか。
で、同じように意味づけしていたかもしれないし、めんどくさいなと。
同じようには意味づけしていなかったかもしれないんですけれども、
大切なのはここで、自分の気持ちをそれに吐き出すということはですね。
意味づけをするということになるんだけれども。
それを、なんて言えばいいんですかね。
吐き出すっていうのかな。
自分の中にあるものを外に置く。
その外に置いた瞬間に融合していくって今私申し上げましたけど、
そいつが戻ってくるわけですよ。
本当はこの言い方もおかしいんですけどね。
ここうまく説明しにくいんですよね。
昨日も頑張ったつもりなんだけど、
昨日の上がってなかったのかな。
とにかく戻ってくるっていうか、戻って来ざるを得ないじゃないですか。
だって元々自分の気持ちなわけだから、
例えば空に向かってぬんよりして嫌な雲だと言ったって、
雲自体が嫌さを発揮しているわけじゃないので、
その嫌さは自分の中にあるから戻ってくるっていうか、
戻ってくるって言い方するんですけどね。
戻ってくるというか、
もう一回今度はそれが外的な対象として
自分に向かってくるみたいな言い方をするんだけど、
18:01
これが嫌だと思うんですね。
これがHSPというような問題になってみたり、
先送りしたいという問題になってみたり、
様々だと思うんですけど、
私はHSPの人が言っているような、
私自身がそうなんだけど、
怒られるのが怖いっていうのは、
本当のことを言うと今のからくりで説明するべきであって、
怒られるのが怖いわけでも何でもないということを言いたかったりするんですね。
夕食からすごい飛躍した感じなんですけど、
夕食は襲いかかっちゃきませんが、
めんどくさいものとして自分の前にどーんと置かれるじゃないですか。
で、ダイさんが旦那に聞いてみたら、
旦那はそんなことは、
つまり週5とも作ってほしいと思っていたわけじゃないと。
で、自分が勝手に、
これ一人相撲ってどなたかが書かれてる?
結城さんかな?
ねつきゆさんかな?
一人相撲なんだけど、
一人相撲なんですが、
それは大変大事な指摘なんですよ。
という感じなんだけど、
それよりも、
私がもっと強く感じることがあってですね、
自分の気持ちに外的な対処を通じて気づくんですよ。
だって最初に気分が悪かった。
何か悪いものがあった。
これの原因って本当は特定不能だと思うんですね。
できることもあるとは思いますよ、もちろん。
昨日食べた柿が悪かったのかもしれない。
ここで私たちはただですね、
昨日食べた柿が悪かったのに、
夕食を作るのがめんどくさいになっちゃうと思うんですよ。
つまり第一歩は自分の中でとにかくネガティブな気分。
消化不良とか肩こりとか、
昔のことを思い出して気分が悪くなったとか、
とにかくその最初に何にも自覚ができない、
嫌な気持ちってものがあって、
あるじゃないですか、そういうことは。
あって、ふと時計を見ると6時でした、夜の。
夕食を作んなきゃって思う。
ここで夕食を作るっていう、
本来別にネガティブでもポジティブでもないものが
パッと上がった時に、
不意にさっきの消化不良の気持ちと融合して、
めんどくさい夕食を作るということをしなければならない。
それは旦那が良くないっていう話になっていくわけですよ。
なっていくこともあると思うんですよ。
だから旦那に聞くべきだっていう話を僕はするんですよ。
旦那は外にいるからね、本当は。
夕食は外にあるんですよ、本当は。
自分の気持ちと一緒になるはずはないんだけど、
私たちは脳内で一緒にするじゃないですか。
だから私はこの文脈でタスクシュートに書いてある
21:00
仕事をするのが先送りしちゃいますという
悩みを相談された時、それを先送りしない方法を答えるだけでは
全然重要なポイントにぶつかることができないというか、
解決にならないと思うんですよ。
本当は嫌な気持ちは仕事のせいじゃない可能性が
かなり高いと思うんですよね。
仕事自体は絶対に嫌な気持ちを発生させないんですよ。
発生させると思うのは、やっぱり今のようなからくりがあったと思うんですよ。
本当の原因はわからないと思うんですよね。
ネガティブな気分はあると。理由は知らないけどあると。
でも私たちはそれを一瞬で特定しようとするんですよ。
お腹の中にちょっとあれだなというだけでも思うそうじゃないですか。
昨日何食べたっけとか、さっき何食べたっけって思うじゃないですか。
食べたものが原因とは限らないですよね。
ガムかもしれないじゃないですか。演技でもないけどね。
わからないわけですよ、そんなことは。
本当は一瞬でわかるわけではないんだけど、
でも私たちは昨日何食べたっけ、つまり外に出すんですよ、原因をね。
原因っていうのは全部外に出すんだけどね。
だから投影しちゃうんですよ。
昨日食べたものに悪いものを投影する。
つまり、これもまたすごい特殊な言葉を使うから、
今日はしゃべんないですけど、
要するに自分の中にネガティブな感じがあったら、
私たちは常にそれを外に吐き出すと。
それを外に置く。
食べたものとかが悪かった。
あるいは柿というのはお腹に悪いみたいな。
あるいは低気圧というものが来ているとか。
全部悪いものを外に出すんですよ。
そうして、すごくその病気、病気というのかな、
この投影、外に吐き出すというものが
著しく無自覚に、しかも激しくやると、
投稿失調症というものになっていきかねないと。
なぜならば、そうやってどんどん悪いものを外に出したら、
世の中は悪いものだらけになるじゃないですか。
そうして剥害妄想というものを持ち始める人もいるわけです。
あれも悪いし、これも悪いし、世の中真っ黒で。
そいつらがみんな自分に向かってやってくる。
これが戻ってくるというやつなんですね。
自分に向かって戻ってくる。
だって、発信源自分だから当然なわけですよ。
あれ不思議ですよね。
私とお視聴者の人、前にも言いましたけど、
2人知り合いにいますけれども、
みんな言うことは同じ。
私を攻撃するんですよ、宇宙人とか。
あるいは悪魔みたいなのがですね。
いつも聞いてて思うんですよ。
あなたの重要度はどれほどなんだと。
時々なんですけれども、
最近話題になっている
寒霊アレルギーとか
低気圧の不調みたいなのがあるじゃないですか。
24:03
あれもそんなに重要人物なんだろうかって、ついですね。
これはちょっと意地悪いなとは思うんですけれども、
まるで皇族のお姫様みたいじゃないですか。
今日は低気圧がやっていらっしゃるから。
やっていらっしゃらないけど。
お姫様の体に気遣われますみたいな、
そういう感じになるじゃないですか。
つまり、外の悪いものを環境的に取り除くことは
リスクがあると思うんですよね、どうしても。
これもですね、甘やかされすぎた子供みたいな話してるんで、
そういうことは言いたいわけじゃないですよ。
私たちが環境を良くするのは自然でいいことだと思うんですよね。
寒ければストーブつけるじゃないですか。
暖房も。
だけれども、これをですね、なんて言えばいいのかな。
アマリング自覚にあるというリスクってあるとは思うんですよね。
冬は恐ろしいものになっていく恐れがあると思うんです。
これをとことんやると。
つまり、悪が外にあるっていう観念が問題なんだと思うんですよね。
自分の体が作り出しているものなんですよ、ある意味では。
悪というのはですね。
冬が寒いのは私たちが人体だからなんですよ。
白クマは冬が今暑くて困ってるわけじゃないですか。
自分の持っている感じを外に投影するんだけれども、
それは便利だからそうしますけれども、
コストがあると、そういうことをするとですね。
そういうことをすると、あの人は怒りっぽいとかいうことになっちゃうわけですよね。
あの人はいつも怒鳴ってばかり。
で、怒鳴られるのはいつも自分だってことになるじゃないですか。
悪の発信源は自分ですからね。
そういうふうにして、勝手にプンス化したって
Zoeさんが書かれてたのが非常に興味深かったわけですね。
つまり自分が発信源として作り出したわけですよ。
それと合流していくと。
その原因というものを外に置くようになると。
これを私たちは一番最初、早々期って言うんだけれども、
生後1日目2日目にはこれしかできないから、
これをやって、ここから私たちの
なんていうのかな、
この妄想的な投影というものをする能力といいますか、
を身につけたと。
まあ、あれなんですよね。
これもロゼンバーグかなというような精神分析家は
もっと前からじゃないだろうかと。
地球にいたときにやり始めたことなんじゃないだろうかという説を
またこういう話がすっぽく聞こえる恐れもあると思うんですけども、
それもないわけじゃないかなという、結局考えられないということが大事なんですよね。
自分の中の身体的に気分が悪いと。
27:03
空腹だっていいですよね。お腹空いたと。
でも赤ちゃんは育てたことのある人はみんな知っている通り
かなり長い間お腹空いたとは言えませんね。
とにかく不愉快だから泣くと。
で、それは自分の中の主張なんですけど、
すぐそれを外に投影するようになるはずですよね。
えーと、なんだかわけがわかんないけれども、こういう悪いことが起こっている。
お前らのせいだからなんとかしろっていう側面があるわけじゃないですか。
そうは言いませんけどね。そう考えてもいないだろうけど。
で、外から受入されると。
そうするとなんかこう悪いものが身体の中から消えていく。
まあこれがクライン的な考え方なんだけど。
消えていって、すっきりするというような世界に生きていて、
それはすごく赤ちゃんっぽいですけれども、
私たちだってそうなわけですよね。
なんかこう頭が重い感じがする。
あ、定期圧が来てたと。
わかんないわけですよ。そこに結びつける必然性はないんだけど、
私たちはついこれをやるんですよね。
中にある何かが、違和感が、それが痛みに感じられてきて、
これがまとまりって言うんですけど、一つのまとまった感覚として、
で、こうインターネットか何か見て定期圧が近いと。
この現象と自分の頭痛を結びつけて忌み付けすると。
で、定期圧いっちゃうと取り除かれて、
あ、そういえば頭痛も消えたと。
こういう構図なんだと思うんですよ。
嘘だと言ってるわけではないんですよ。
本当かもしれないんですよ、これは。
わからないというだけなんです。赤ちゃんだってそうですよね。
空腹が、空腹の原因は自分にあるんだけど、
えっと、授乳という原因は相にありますよね。
で、その因果率に間違いはないじゃないですか。
赤ちゃんがそのうち飲めばスッキリする。
お腹がいっぱいになって安らかになれるって考えるのは妥当です。
妥当ですけれども、妥当じゃない考えを必ず持つようにもなるわけです。
いずれは、こんなにイライラしているのは隣人のあのじいさんが悪いやつだからだとかいう、
そういう風な考え方と今の授乳の考え方の間に、
違いはないということなんですね。
まず悪いものが自分の中にあり、無自覚にね。
その原因を外に見ようとして、その原因を外に見つけてしまって、
それを取り除けばスッキリするっていうような構図そのものは、
いろんなところに間違っていても正しくても成り立っちゃうから、
そこで正語の見分けをつけるのはかなり困難で、
しかもこれを繰り返していると、外に悪いものがたくさんあるということになっちゃうわけですよね。
で、恐怖症ってものが例えば生まれるわけですよ。
この話も何度もしてますけれども、
もう軽くですけれども、自分の中のこうやって悪いものって、
悪いものっていろいろ人間の頭の中で作り出すわけじゃないですか。
不潔なものは良くないし、お金を失うことは良くないし、
30:03
悪いものっていうものが自分の考えの中ではっきりとすごく出てくるわけですよね。
それをクラインは死と呼ぶんだけれども、死でもいいですけどね。
死という最悪のもの、草ってなんかホラー映画みたいなものの最悪のものだと思っていただければいいと思います。
だって赤ちゃんの時はそれを悪いと思ってないわけじゃないですか。
だけど今の私たちはそういうものをとても悪いと思う。
虐殺とかでもいいですよ。
昨日ね、一応ピアノ600人殺されたというお話でもね。
恐ろしいものがある観念として僕たちが中に持っているわけですね。
この恐ろしい、どうしようもなく悪いっていうものを、
例えば雲なりに投影する。
そうすると雲を見た瞬間にうわーって思うわけですよね。
うわーって思うじゃないですか。
なぜなら自分の価値観の中で最悪だと思っているものを雲に一心に覆わせたから、
もう雲は最悪ですよね。
で、雲がこっちにたまたま向かって、向かってないんだけど、
動いてくるとうわーってなるわけですよね。
襲われてきたみたいな。
これを全世界に見ると、その人は妄想的になって、被害妄想的になっていくと。
このリスクはさすがに避けたいというのであればですね、
やっぱりこう、悪を見た時には、
それは投影してるんだということに気づけば、
だって世の中に最初から悪であるものはないから、
雲が悪いわけじゃないから、
ということを自覚していれば、
この種の多分ですけど、
心理的困難に遭遇することは激減するのではないだろうかと思う。
私は現にこれで激減させているわけですよ、今。
だから佐々木さんは先送りしないのかという話をたくさん言われても、
しないわけですよ。
する理由は認められないからですね。
悪が外にあるっていうのを一切やめることによってですね、
先送りっていうものはなくなるはずなんですよね。
なんで俺がこの仕事をしなきゃいけないんだっていうのが、
先送りには必ずある程度、ほんのちょっとでもなければおかしいじゃないですか。
何らかの形でそれをすることに自分がなったわけだから、
何らかの形でそれをする理由はあるはずなんですよ。
会社に行ってそれを振られて、どんなにそれがくだらない仕事に思えたとしても、
自分で少なくともその会社に行かないと殺すぞって、
キム・ジョンウンに脅されたとかじゃないですよね。
だから多分その会社に行ったのは自分なのであって、
ということはですね、その仕事が振られるのは何かの罰ゲームとかじゃないはずなんですよ。
本当にそうならそこから退散すればいいわけですからね。
そういうふうに一つ一つ解きほぐして考えてみると、
33:03
先送りするべき仕事ってないんですよね。
多分それは例えば自分の時々起こるんだけど、
私なんか左の膝の端っこが痛いというのが原因だったりするわけですよね。
その仕事を先送りしたい原因。
原因になってないですよね。
だから左の膝が痛いからやりたくないんであれば、
別にやらなくてもいいんだと思うんですけど、
それは先送りとは言わないと思うんですよ。
左の膝が痛いのが問題なのは、
左の膝をマッサージすればいいわけですよ。
現にそうすると仕事を進める上での差し障りはなくなったりするんですよね。
こういうことはしょっちゅうあります。
さっきのクモのホラーと全くこれは同じ構造なんですよ。
クモに悪を一心に負わせればクモが怖くなるのは当然ですよね。
クモが自分を迫害するのも当然ですよね。
だってその原因は全部自分の心の中にあるものなんだから、
クモに追わせたところでなくなるわけじゃないわけですよ。
この投影というのはそこが、
昨日喋ったか一昨日喋ったかやっぱりこれが出ちゃうんだな、
スケバンデカのヨーヨーみたいなもんで、
ヨーヨーは手にくっついてるから戻ってくるわけじゃないですか。
これを伝えても伝わらない、
Zoeさんくらいの世代の人には伝わらない恐れがありますが、
ヨーヨーなんですよ、スケバンデカの。
戻ってくるわけですね。
戻ってくるのは自分が投げたからですよね。
手にくっついてるから。
もしこれがヨーヨーじゃなくて、
一切れてピューって向こうに飛んでっちゃったら、
つまり投影というものがもしそういう類のものであれば、
私たちは迫害妄想に陥ることは決してなくなるんで、
クモが怖かったりするはずがないんですよね。
はずがない。
先送りすべきタスクがハードル高いなとか、
これは大変そうだなと思うはずがないんですよ。
だって亡くなってしまうわけだから、自分から悪いもの。
投げれば消滅するんであればそういうことになりますよね。
投げてもお腹の中のモヤモヤみたいなものとか、
喉の痛みみたいなものが取れてないからこそ戻ってくるわけじゃないですか。
ここがすごい大事だと思うんですよね。
タスク自体をやるやらないとは何の関係もなく、
自分の調子の悪さみたいなもの、体内の違和感みたいなもの、
脳内の嫌な思い出みたいなものをまず持っていて、
それは持ってますから、
それを外に投げようとしてその外と融合して自分に戻ってくると。
なぜなら自分がその痛みをまだ持ってますから。
これが迫害ということであって、
理不尽ということだし、割に合わなさということだし、
自分が仕事を余計にさせられているという感情であるしだと思うんですよ。
こう言うとまたそう聞こえると思うので言っておくんですけど、
36:02
これは人のせいにしてはいけなくて、
何でも自分に責任があると思えばいいって話ではないんですよ。
ここを分けるのは結構、
グッドバイブスで言ってもなかなか僕は一生懸命ここを言わないといけないなとは思うんだけど、
仕事を平等にするとか不公平のないように分担するとかは大事ですよ。
でもそれが嫌だという感情はまた別途独立して存在しているはずだという話なんです。
ご主人と食事を作るのを交互にするとかはいいと思うんですよ。
そうではなくて、作らされるのが面倒だという思いはきっと妖々のようなもので自分発なんだということなんですよ。
そこにネガティブなものはないんですよ。
自分から独立した客観的に悪みたいなものってないと思う。
それは悪だみたいに言えるものはないと思うんですよ。
太陽は別に善なわけじゃないじゃないですか。
だったらどんよりした空は悪なわけじゃないと思うんですよ。
蝶々が善なわけじゃないと思うんですよ。
雲が悪なわけじゃないんですよね。
そういうことでしかないんですよ。
だから職場で働くと搾取されるという感情は、いわゆる迫害妄想であって事実じゃないと思うんです。
しかしその会社で働き続けるということがいろんな意味で良くないと、
自分の生活スタイル等々と考えたり、自分の知人が良くないと言うとか、
いろんな話とか考えて不都合だと言うならば、やめるのはやめるのでいいと思うんですよね。
ここを分けられればいいんじゃないかと思うんですね。
投影して意味付けをして、その意味付けに沿って動いてしまうというのが、
そうするとその意味付けに対して自分が自覚のない確信を持ってしまうので、
つまりタランチュラは悪の権下だみたいな、そういうことになってしまうので、
そうでなければいいと思うんですよ。
私は雲が嫌なわけじゃないから、殺すことはしないんですが、
妻と娘が恐怖感に怯えれば、それをつまんで外に出します。
ちなみに娘には、昔は君はこれを怖がらなかったぞって言うんですよ。
そうすると、つまりそれは意味付けだからっていう風に彼女は答えるんですよ。
クラゾンさんは本を読んでますからね。
こういうことであれば、別に雲を外に出すのはいいじゃないですか。
分離するっていうことでもあるかもしれないけど、別に家の中で雲を飼うことはないですからね。
そういうことだと思うんですよね。
39:00
これが自分の時間がないという恐怖感も、同じだと思うと今では思っているということなんです。
つまり投影してるんですよ。意味をつけてる。
人のために働くのは飯方向だという意味をつけてる。
自分の中の不快感が、かつて学校とかで何かを無理やり
炎天下の中でやらされた嫌な気持ちというようなものがあって、それだと言ってるわけじゃないですよ。
そういうような、つまりネガティブな気持ち、名付けられないネガティブな気持ちがあり、
それと自分が今連想したことを融合させているということだと思うんですよね。
それが自分の時間がない、つまり自分の時間が奪い去られていて、不当に取り去られているという判定だと思うんです。
そのジャッジメントは私は迫害妄想だと思うので、なるべくしない方がいいと思うんですよ。
という上でですね、家で自分の好きなゲームをする。
全然いいじゃないですか。僕はそれが両立しないというふうには思えないんですよね。
といったところで長いので、しかもこの話はエンドレスに続く印象なので、この辺にしておきます。
40:22

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