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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
いやー、あのー、ようやく全て撮っていたやつがアップされて、大変安心したんですが、
今回、前回か、昨日、一昨日あたりですね、なんかこう、AWSって言うんですか、
まあ、あの、Amazon系のですよね、きっと、えーと、外部ストレージみたいなアンカーから見るとか、
えー、なんかトラブっていたらしく、僕のところのやつもですね、なんかこう、非常に変な名前でアップされたり落ちたり、
繰り返していて、一向にこう、ラッチが開かなかったので、ようやくこう、正常化されて、
あー、あのー、いいこと何もなかったようなんだけど、そうでもなくてですね、
あのー、前から私、この、えー、グッドモーニングバイブスの、えーと、
まあ、いろんな紹介してるじゃないですか、イヴの3つの顔とか、ですね。
えーと、こういうやつのですね、リンクとかをどういう風に紹介したらいいんだろうと思ったんですけど、
最近サブスタックというのが、ちょっと、えー、まあ、ごく狭い界隈なんですけど、
私のウォッチしている、えー、界隈では話題になっていて、
これをやろうやろうと、もう、やろうと思って、1ヶ月弱経ってるんですけれども、あのー、思ってたんですよ。
あのー、でもですね、昔と違ってこう、何かというとこう、ノートに行ってみたり、
はてなブログに行ってみたりしているうちに、なんかもう、引っ越しするのが嫌になって、
引っ越しされれば、読者の人も、えー、少なくとも読んでくださっている方、
ついていくべく、えー、移行措置がですね、まあ、それはほんの2クリックぐらいなんだけど、
それでもめんどくさいという風に思われると思うんで、私もめんどくさかったし、
えー、なんかこう、だらだらしていたわけですが、えー、ここの、その、Amazonの、じゃなくてAnkerのそのアップのトラブルが起きて、
えー、見てですね、なんかこう、急にやる気になったというか、急にことが運んだんですよ。
だから、やっぱりトラブルっていいなぁと、まあ、良いわけじゃないんですけど、こういうこともあるからいいなぁと思うわけですが、
えー、というわけで、サブスタッフを、えー、準備できつつあるので、
まあ、あの、Twitterとか、ノートとか、私のFacebookとかで、えー、流しまくると思うので、
えー、そのうち、嫌でも目にされると思いますので、えー、よろしければ、あの、サブスクしてみていただけると、無料で一切出します。
あのですね、まあ、そのうち、これに多分熱を入れると脱ノートっぽい方向に向かうだろうなと、なんとなく思っているんですけれども、
まあ、あの、一元化したいんですよね、結局。一元化完全にはできませんけど、その、出力系をですね、
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例えばTwitterだけにするか、できないですよね。できないんですけど、まあまあ、あの、少なくともあっちこっちにあるよりは、
なるべくこう集約されている方が、自分も追っていただく方にも絶対いいと思うので、なるべくそうしたいと。
多分、サブスタックは、えーと、サービスがある限りはいい感じなので、いろいろとその、まだなんていうのかな、
シンプル、極めてシンプルなんだけど、その割にStripeと連携していたり、まあ私はそこで収益的なことはあまり今のところ検討を一切してませんけれども、
でもまあ実験的にそういうこともできるようになっていますし、あの、このサービス続くといいかなと思っていて、やってやることにしました。
よろしければお願いしますと。まあこれをサブスタックのサブスクしていただかずとも、これを聞き続けることは無理、あの、何も問題ないので、要するにアンカーと連携させられるんですよ。
それはすごい、あの、他には全然ないなということで、ぜひお願いしたいというところです。
で、CMツイレンジにもう一つですね。先日、たれ続けにKDP出しちゃったんですよね。
読むセラピー1というのが、これ1、2、3揃うことになっております。この1には4冊の本が紹介してあってですね、
読めば、なんて言うんですかね、あの、ここで喋っているようなものを聞く効果ぐらいは十分あるかなという内容に書きました。
で、書いたその注力というのかな、は僕の中ではかなりのもので、一般の商業の私が今まで出してきたどの本よりもエネルギー注いだというふうには言えます。
私はああいうふうに本を書きたかったというのもあったんですよ。商業出版ではまず僕はあのテーマではまだ書かせてもらえないでしょうし、
もう一つは引用が多すぎてですね、多分ああいうのはダメなんだと思うんですね。ああいう本あるんですけどね、紙の本には。
でもまあ多分ああいうのはダメだって言われると思うんですが、でも私はああいうふうに本を書きたいんですよ、もともと。
自分が言わんとしていることとぴったり一致するような引用っていうのが浮かんできちゃうんですよね。
多分これは性格、頭の性質なんだと思うんですけど、自分がこういうことをまさに書きたいっていう一説が自然と浮かんできちゃうんですよ。
で、それを書くんじゃなくて自分の言葉にそれを直すというのはすごく余計な手間なんですよ、僕にとっては。
毎回タスクシュートの本とかエヴァノートの本ですらそうで、引用の張り合わせではないつもりなんですけれども、
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ここにあれを入れればすこと足りるのにっていうのがガンガン入ってくるんですよ、頭の中に。
それを別にエヴァノートにとっておくとかスクラップボックスにとっておくとか、そういうことを私する必要一切なくて自然と勝手に浮かんできちゃうんですよ。
で、それを使わずにですね、自分の言葉で書いていくっていうのがほんとなんかね、
なんとこれを言えばいいのかな、なんかこう、こういう感じなんですよね。
日本の観光地を紹介しますみたいな感じで、でも写真は一切使えませんみたいな、そんな感じになるんですよ。
ここで一枚富士山の写真を入れておけばいいところを一生懸命自分で絵で描くみたいな、そういうことをさせられている気持ちになってきて、だんだんイライラしてくるんですよね。
それがないんですよ、読むセラピーはですね。
収まるべきところには全て引用の本が収められているという意味で、自分にとっては大変うまくいけてるなと、この形でいけるっていう風にできたのが大きかったという本なので、その形態もちょっと味わってみていただければ幸いです。
で、もう一つ、自分の時間がないんです。佐々木さん自分の時間がないんです。これはタクさんとの一応対談をまとめた本なんですけど、こっちの方がまだ動いているかな。
こっちはですね、こっちもでもすっごい時間がかかっちゃったんですよね。タクさんには申し訳なかったんですけど、長々とやっていただいてまとまりがないという話があってですね。
要は自分の時間がなくていいという話がですね、どうしても非常に恐ろしく納得がいかないという方に向かってそれを喋っているので、そこが問題になってくるんだと思うんですけど、問題になってきてるんですけどね。
で、この話今日はしますけれどもですね、倉園圭都さんがグッドバイブスでですね、現実ならなんとかなるっていうことをおっしゃってたんですよ。私はこれを一番自分の中ではですね、リフレインさせている言葉なんです。
グッドバイブスの中ではね。現実ならなんとかなる。私、これを完全に逆転させて生きてきたから辛かったんですよ。一言で言うとですね、グッドバイブスで語られていることの大半はですね、理解できることだったんですよ。
ただ私がグッドバイブスを知る前に一番そうでなかったのは理解の問題じゃないんですよね。理解の問題もあるんだけど、現実とはなんともならないという信念みたいなものに私は包まれていたので、これが問題だったんですよね。
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一つ意識とか、イリュージョンとかそれこそ、意味付けとかはまさにそうだったんですよ。そのことは私もいつも気にしてたんですよ。で、時間はなくならないとかね。
でも私の中では現実はどうにもならないっていうのが本当に、なんかそれだと、今思えば不思議なんですけどね。なぜ現実に意味を付けていて、イリュージョンのいっぱいで、時間がなくならない世界で現実はどうにもならないというふうに私はそう信じていたのか。
そのロジックが結構わかりにくいですよね。でもそうだったんですよね。たぶんこれはロジックよりも前に、まず現実とはどうにもならないっていうところから始まっていたせいで、その後の意味付けとかイリュージョンというものが入ってきていたとしても、この部分の画像が全く崩れてなかったのが最もポイントだったんだと思う。
最も私を悩ませてたんだと思いますね。とにかく現実とはどうにもならない。特にある種の条件が揃うとどうしようもないっていうこれがあったせいで大変だったんですよ。
だから現実ならなんとかなるというのは、最初はもう信仰の域に近くてですね。現実ならなんとかなるというのは信じられないけど、現実ならなんとかなるということであってほしいなということで、かなりそういう心境でやってきた感じなんですね。
グッドマイブスして1年弱はずっとそういう感じでした。すぐなんともならないにいっちゃうんですよね。そのなんともならないっていうのはもうなんかね、私の中では決定的なものであって、とにかくなんともならないから、だから例えばインセプションかな、まあマトリックスでもいいんですけど、夢だということにするとか、そういう防衛戦略で生きてたわけですね。
総的防衛っていうのもグッドマイブスでしゃべったと思いますし、またそのうちお話ししますが、そういうことだったんですね。関係を立てばいいみたいな、そういう分離の選択なんだけど、なぜならなんともならないから、なんともならないものを頑張っても無駄でしょうっていうのがものすごくあったんですよ。切実にありましたね。
ただ、タスクシュートなりライフハックなりというもので、自分がやってきたことはですね、なんともならない現実の最もなんとかなんともならないゴールに行き着かないようにするための諸戦略みたいなものだったんですよね。
ストレートフラッシュみたいに、ロイヤルストレートフラッシュみたいに、一定の条件が揃うとなんともならなさにぶち当たるので、これを回避することが人生だっていう考え方だったんですよ。
なんともならない、基本どこに行ってもなんともならないんだけど、それをギリギリのところで回避し続けることはどうにかできる。結局死ぬからなんともならない最後になるんだけど、それでもなんともならないということに衝突する回数をできるだけ少なくし、できるだけそれを後に伸ばすという戦略が、
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例えば貯蓄であり、投資・信託であり、時間管理だったと、そういうことなんですね。私の考え方の中ではですね。これが180度ひっくり返って、信じられるようになることによってですね、一切、ほぼ一切、かつてあったような問題はなくなった。
例えば、信じられるとは思いませんが、アトピーがなくなって、そういうことが起こるんですよね。あともう一つこれは言っても、今のと違って逆に今度は信じてはもらえるけど響かないやつとして、悪夢を見なくなったというのがあるんですよね。
これすごい大きなことだと思ってるんですけれども、パンデミック後に見る夢っていう、最近日系サイエンスで話題になってますけれども、話題にはなってないけど取り上げられてますけど、コロナの時代になってから人々の見る夢が変わってきているようだみたいな調査があるんですけど、あの話がよくわかる気がしますね。
悪夢を見る見ないってすごい大事なことだと思います。起きてる時間の間隔が一変しますからね。なぜそれが起こるのかというと、現実ならなんとかなるということが信じられるっていうのが大きいんですね。ほとんどそれが全てですね。
現実ならなんとかなることの一つに、自分の時間がなくても困らないっていうのがあるんですよ。
困るという風に信じるということは、時間はなくなるという風に信じるということですよね。
時間はなくならないんですけれども、まずこれが何よりも大事なんですけれども、時間がなくなるということを本当にそんなに恐れるのであれば、それは死ぬってことなので、死ぬことが怖いっていうのとイコールだと思うんですね。
ただその時に時間っていうものをテーマにしているということはですね、生きているうちにいろんなことができるはずなのにっていうことだと思うんですよ。いろんな楽しいことが。
まずこのことを僕は捉えておくべきだと思うんですよ。自分の時間がそんなに大事だということであればね、自分の時間でとにかくしたいことがいっぱいあるんだと。
それをまず片っ端からするといいと思うんですよね。自分の時間を大事がっているだけでは十分じゃないと思うんですよ、このテーマで生きるならば。
お金と似てるんですよね、これはね。お金がふんだんになきゃいけないっていうのと似てると思うんですよ。それは何かしたいことがあるってことですよね。欲しいものがあると。極力それを手に入れてみるというのがいいと思うんですよね、まず。
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なんかですね、せっかくの人生、お金がいっぱいなきゃダメじゃんということをずっと言っていながらひたすら貯金をするとか、残高を数えることだけが熱心だって言うんでは、あれだと思うんです。
失われることの恐れの方がものの価値を決めていて、実際にそれを得て何をするっていうことはしていないっていう状態が続くのは微妙に変じゃないですか。
自分の時間がないんですって話になったときには、奪われるときに腹を立てるということばかりが問題になっていて、いざ自分の時間なるものができたときにやることは実はないんですみたいな、そういう話になっていることもとても多いなと。
これは私の本の文脈とは関係ないんですけれども、あんまり。そういうことの方も問題だろうと思います。
自分の時間がない話なんですけど、これも現実ならなんとかなると全く同じところに行き着くはずで、一つは昨日もタクさんと梨田忠美さんという方が対談されていたので聞いていたんですけど、
取引先の締め切りに間に合わなければならないということは譲れないみたいな話があったときには、
ご両人ともピタッとそこで意見があるんですけど、私あれがまず納得いかないんですよ。
世の中には、どういうんだったらいいのかな、世の中にはそういうこともあると思うんですね。
そういうことというのはつまり、動かすことも絶対できないもの。
例えばそうですね、でもそういうものっていざこうやって挙げてみようとすると、そんなに簡単に上がってこない気もするんですよね。
なぜならば、世の中というのは流動的なので、そんなにこれは絶対に動かすことができませんって決まっているものって、そうはないと思うんですよ。
それをどうしてもしたくないというなら、大概のことは避けられると思うんですよ。
現に避けて生きている人いますからね、そういう生き方をしたくないというのは別の話なんですよ。
そういう生き方をしたくないというのは自由意志の問題になってくるじゃないですか。
そういうことは誰がやってもダメなんですっていう話とは違うと思うんですよね。
何がいいんですかね、絶対に動かすことができない。少なくとも私は取引先との締め切りはそれに相当しないと思いますね。
例えば、自分がそうだな、何を望んでも無理、後続にはなれないみたいな、それはそうだと思うんですよね。
現実って動かしがたくはないはずなんですよ。動かしがたいって決まったときは、その当人が大概そう決めてるだけであって、動かせるはずなんですよね。
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例えば私の本の締め切りみたいなもの。本の締め切りなら動かせるっていうふうに昨日タフさんがおっしゃっていたのを聞いて非常に意外なものを感じた。
本の締め切りが動かせるんなら取引先の締め切りだって動かせると思いますね。
これ本質的には違う契約内容じゃないと思うので、私下請けですもん、ある意味製造業の。
契約書を後から作る下請けっておかしいんですけれども、下請けであることは確かです、あの契約書を読む限りね。
動かせるんですよ、下請けであっても。
仕事を失う恐れはありますよね。でもそれはまた別の問題だと思うんですよね。
仕事を失うことは絶対に許されないことがあって、それはないと僕は思うんです。
現にこのコロナで仕事を失ってしまっているって話は出てくる。
それは失うときは失うということは、奪われるときは奪われるという意味であって、それは大変なことではありますけれども、
この世でそれが起きてはならないことではないってことですよね。だからこの世で起きちゃうわけですよね、それが。
そういうことは絶対に許されませんとテレビとかで誰かが言ったとしても、現実にそれは起きちゃうんですよね。
このことって私はすごく重視してるんですよ。
例えばそれは隕石がぶつかってくるという話とは違うと思うんですよね。
隕石がぶつかってくるというのは、誰も絶対に許されませんとか、そんなことがあってはならないんですって言わないじゃないですか。
なぜならばそのように言わないが、何にも隕石に影響を与えないですから。
でも社会の話はそうじゃないんですよね。
許されませんとか、あってはならないんですっていうことに意味があるんですよ。
ってことは逆に言うと隕石とかとは違って、融通が実は効くっていうことを私たちが案に認めている証拠だと思うんですよ。
だから許されないとか、動かせないとか、あってはならないってわざわざ言うんですよね。
言って影響を与えようとしてるわけじゃないですか。
言わないとそうなる可能性がもっと高いとみんなが思っちゃうからそう言うんじゃないですか。
つまり職を失うことはあってはならないとか、
離婚なんて認められないとか言ってもですね、現実に起きちゃうわけですよね。
そういうことっていっぱいあると思うんですよ。
私はこの時間に関してはすごくそういうところがあって、
遅れることは決して認められないとかいう話をしている段階ですでにですね、
遅れることはあり得るっていうふうに聞こえるんですよ。
で、ないならばそういうこと言わないと思うんですよね。
例えばマグニチュード級サイズの地震など絶対起きてはならない。
起きたときの悲惨さは取引先の締め切り云々の日じゃないじゃないですか。
失業とかの日ではないですよね。
でもだからと言って、そう言ったって無駄だから、
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マグニチュード級サイズの地震が直下型で原発の下で起きるなんて絶対あってはならないと言っても無駄だから言わないんですよね。
起きちゃうわけですよね。
起きちゃったときには大騒ぎにはなりますよね。
とても悲惨なことにもなると。
つまり私はその動かしがたいさほど現実的だと思うんですよ。
その動かしがたさが割と実際には動いちゃうものは、
動かないという現実はそこにはないと思うんですよね。
だから現実ならなんとかなるっていうのは非常に僕にとって大事で、
その究極的にそれが意味することは、リソースはふんだんにありますって話なんですよ。
オルダス・ハックスレーだったと思いますね。
オルダス・ハックスレーってイギリスの作家さんなんですけど、
あの人がですね、あの人本当にそういう感じで直線的な時間間隔の中だけで生きているような作家さんなんですけど、
メスカリンっていう、今ではあれですよ。
要するにイホドラックみたいなのを、あれ本に出してるくらいだから当時合法だったのか知りませんが、
体験したんですよね。メスカリン体験っていうのは。
そしたらこうやっぱり見え方が変わるんですよ。
その中で時間についてはどうですかっていう質問に対して、
ハックスレーがですね、僕はこれ非常に読んだのは大学生の時だったと思うんですけど感銘を受けたんですが、
時間はたくさんある感じがします。
ああいう感じなんですよね。
あれの意味がね、当時衝撃を受けたんだけどわからなかったんですよね。
時間が豊富にあるってどういう意味なんだろうって、今はわかるような気がするんですよ。
時間は豊富にある感銘がするんです。
これがずっとわかんなかったんですよね。
何て言えばいいのかわかんないですけど、時間がなくならないという感じと、
時間はたくさんあるという感じはたぶんね、そっくりだと思うんですよね。
ハックスレーはどこかで時間は海の水のようにあるみたいな言い方をしたこともあって、
同じじゃない人かなーって、これが近いと思います。
私の今の時間感覚ってそうですね、海の水のような感じです。
これが、リソースがですね、ふんだんにある。
いくら使ってもいいんだって感じがするっていう、この感じがですね、大事なんですよ。
しかもこっちが僕は本当に近いと思う。
そう、グッドファイブス以前の、つまり現実はどうにもならないと信じていた時の私は、
リソースが不足しているって感じに常につきまとわれてたんですよ。
これが非常に面白いことにですね、そうすると足りなくなるんですよね。
例えば、今さっきアトピーが治ったって話してたじゃないですか。
あの時に起こってた現象というのは、物理的に言うならば、保湿剤みたいなのがないと肌の油が飛んでっちゃうんですよ。
抜けてっちゃうというかないんですよね、私の体には。
なぜか、干からびてるんですよ。
だから水いくら飲んでも蒸発しちゃって、角質って言うんですけど、角質がですね、こうなんていうのかな。
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あの、反るんですね。
手でさ、中指の甲の方をグッと上に上げて、中指の上の方をグッと上げると反るじゃないですか。
全ての角質が反っていって、剥がれ落ちちゃうんですよ。
あの剥がれ落ちる時に痒みがあるんですね。
水気が全然ないんで、ポロポロポロってなってすごい嫌な感じなんですよ、痒くて。
で、不思議なんですよね。
だって自分、油とか取ってるわけですよね。
飲みもするし、塗りもするし、水も飲むんですよ。
なんか無くなっちゃうんですよね。
あれ非常に不思議な病気で、しかも極めて嫌な病気なんですよね。
で、これが逆転しただけなんですよ、僕の中で。
時間が豊富にあるんで、現実はなんとかなるんで、
リソースってのは無くならないんだって思っただけなんですよ。
そしたら、肌から肌の油が戻ってきたんですよ。
これが多分信じてもらえないと思って喋っているんですよ。
別にこう思ってアトピー直しましょうねとは言いませんけど、
これ大事なことだと僕は思ってるんですよ。
無くならないと思うと無くならないんですよ。
で、結局締め切りまで時間をふんだんに使おうと、
せせこましく使おうと言ったら、あれか、
節約しまくって使おうと同じなんですよね。
僕タスクシュートやってるから同じなんですよ。
とにかく仕事を一生懸命やる。
時間を使ってやる。
節約してるときであれば時間は使わずにやれるか?
そうではないじゃないですか。
時間は使ってやるんですよね。
ふんだんに時間があると思うと油断して全くしなくなるということは起こらないんですよ。
それはまた別の話だと思うんですね。
時間だけが問題なわけじゃないんでね。
仕事をやってるときっていうのは、
時間に間に合わせるというモチベ、動機づけだけで仕事するってことはないんで。
最初のCMでお話した通り、
私は読むセラピー大変書いていて、
この書き方が一番したい書き方だと思うんです。
ああいうときに時間に間を似合うかどうかが問題になってないんですよ。
引用を中心に書きたいのは、
そこに引用を入れたくなるからであって、
引用した方が早く書けるとかじゃないんです。
変わんないですよね。
大概紙の本なんで、
紙の本を読みながら写すのは、
僕にとって自分の頭の中で書いていくのとさして変わるわけじゃないんで、
早いからそうしたいわけじゃないんですよ。
そうしたいからそうしたいだけなんですね。
時間に間に合わせたいからやってるわけじゃないから、
結局のところかかる時間とか、
トータルで終わる終わる終わるっていうのは本当にちょっとした違いですよね。
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ただ私は時間はなくならないと思うようになっただけなんですよ。
翌日になれば翌日になってますからね。
いつだって時間はあるじゃないですか。
ここで問題にしてるのは締め切りでないとするならば、
締め切りは動かせると私は思うんですが、
一生懸命やれば大体動かさずに済むラインに、
人は締め切り設定するんじゃないかとも思うんだよね。
ただこの議論を突き進めるということはですね、
結局締め切りについての心配をすごくするかしないかのどっちかですよね。
中途半端にするとかでもいいと思うんですけど、
すごく締め切りの心配をしていたいかということだけでしかないと僕は思うんですよね、結局。
前から仕事はしてたし、今は時間がふんだんにあると思っていても、
する仕事の量や速度、速度は少しゆっくりにはなったかもしれませんが、
かけてる時間とか、トータルでは大して違うわけじゃないんですよね。
ただ私が言えるのは、なくならないんだと思うようになったということです。
お金が似てますよね。非常に似てるとは思います。
お金も私はなくならないんだと思うようにしてます。
時間は確実になくならないんでね。死ぬまでは絶対なくならないんで。
もうこれ安心してるんだけど、お金はね、そうはいかないんですよ。残念ながら。
だけどなくならないと思うからふんだんに使うわけではないんですよ。
私のお金の使い方変わらないか。
グッドバイブスを知った後、ますます使わなくなりました。
別に物欲しくなくなりましたからね。
ただ、お金はなくなるんですよね。残念ながら。
残念ながらいつまでも供給され続ける。
そういう意味で時間は海のようにあるかもしれないけど、お金は海のようにはないんですよ。
ただ、なくなったという経験という事態そのものは私はしていないというのが一つ。
これは大事なことだとやっぱり思うんですよね。
締め切り云々はともかく、タスクシュート以前に私は結構いろんなことをやらかしてたんですよね。
このやらかすというのも同じで、やらかすというのは時間がなくなるのとすごい似てるんですよね。
やらかしたことに対するもうおしまいだかみたいな。
ああいうものに苛まれる。
あれもなくなったんですよ、ついでに言うと。ついでじゃないんだけど。
現実ならなんとかなるんですからね。
リソースってそういうことなんですよね。
自分が動ければリソースはあるわけじゃないですか。
どんなでかい失敗をしようと、どんなに相手を怒らせようと、自分が動けるならば、
謝罪なりなんなりができ、自分の仕事が普通にやれるならば、なくなってないですよね、何一つ。
人は怒っているかもしれないけど。
私は今までだって人を怒らせてきたけど、なんとかここまでやってきているし、
やっぱり今日を迎えていて、今日時間はあるわけですよ。
仕事の書くこともこれからしますけど、今日できるわけですよ。
サブスタックの設定もできるわけですよ。
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これを例えばすごく失敗をしてしまって、もんもんとしていて仕事も手につかないと、
指先が震えてタイプも出ないと、そうなることあるじゃないですか。
HSPの話とかこれからしたいんですけども、そういう話も出てきますよね。
リソースがなくなるということは、何かができない心理状態に自分が追い込まれるという話であって、
リソースそのものは実はなくなってないんですよね。
お金がもうすぐ尽きると思ってものすごく心配していて仕事も手につかなくなったら、
お金がないのと同じですよね。
でも全く心配せずに、少しばかり誰かから借りて仕事をして後で返せるなら、
その人のお金はなくなってないじゃないですか。
時間はこれよりも優しいんですよ。
これが言いたかったことだと僕は思うんですね。
なくならないというふうに、なくならないので締め切りは来ますけどね。
でも締め切りが来るだけなんで、やっぱり2つしかないと思うんですよね。
締め切りが来たらもうどうにもならないのか。
失職する、取引先との締め切りが踏み越えてしまったら失職し、
そしたらもう首をくくる以外ないのかと。
そんなことはないと思うんですよね。
あとは経験だと思うんですよね。
フロリダのディズニーランドに行ったりいろんな楽しいことがあるのに、
それをせずに死んでしまう自分の時間がないと。
それは私は全然なくても大丈夫だと本当に思うんですよね。
本当になくても大丈夫だと思うんですよ。
多分僕は今から何の経験も増やさないということが、
まあそういうことはできませんが、
それにあったとしてもそのことは心配はしないんですよね。
本当にその経験がないと幸せじゃないんだろうかっていう問いはやっぱり、
純樸ですけど大事だと思いますね。
本当にレアな熱帯魚とかが水槽にいないと残念なのかと。
そういうことって結局人によってものすごく違うじゃないですか。
グッピーの新しいのが欲しい人と、
家に目高も置きたくない人とは違うと思うんですよね。
つまりそれほどズレがいっぱいあっちこっちにあるようなものの価値というのは、
実は人間にとってはなくてもどうってことはないんじゃないですかね。
私は日本シリーズ絶対見たいですけど、
日本シリーズなんか絶対にチャンネルを野球にしたら怒り出す女の人とかもいるじゃないですか。
それくらい人によって違いがあるものの価値というのは、
なくて困るようなものはほとんどないんじゃないかという気がします。
だから自分の時間なくてもヘッチャロなんですけれども、
大事なのはただなくなることはないというふうに思えるか思えないかの差はものすごく大きいと。
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海の水は有限かもしれませんが、
それをなくなる心配はしないで生きてますよね。
時間はもっと遥かに多い感じなので、
全く心配はいらないと思うんですよね。
時間がなくなる心配っていうのは、今お日様よく出てますけど、
光がなくなる心配に近いものを感じます。今の私の感じでは。
一生闇に閉ざされるみたいなね。ないと思うんですよね。
普通に今現代で生きていて、そんなふうな目にあうっていうことはほぼ。
ほぼ考えなくていい話なんじゃないかと思うんですよ。
自分が光が見られなくなる心配と光がなくなる心配はまたちょっと違いますよね。
光がなくなるっていうのは自分のっていうふうにわざわざ言うぐらいだから、
他の人の時間はあるわけですよね。
これはすごく不公平だというふうに多分捉えられるんでしょうね。
その不公平感というものから脱却できれば、
アトピー治ってほしいようはないと思いますね。
だって油も水も取ってたわけだから、どっか行っちゃってたわけじゃないんですよ。
使うのを惜しむから使えなくなるんですよ。
それだけのことだったと思うんですよね。私の表皮に起きてたことは。
これでも30年間ぐらいはこの病気で悩みましたからね。
糖質制限を完璧にやってたのも、
すっごく管理的にステロイド塗ってたのもすべてこのためでしたからね。
でもそれは治してたわけじゃないですからね。
花粉質はどうしても剃っちゃうし、そのたびに痒みが出るし、
痒み自体がないし、角質剃ることもないし、肌が落ちることもないんですよ。
理由は簡単で油が出てくるからなんだけど、
油は取ってたわけだから、さっきも言いましたけど、
なかったわけじゃないんですよね。
使えるんですよ、リソースは。
いくらでもあるとさえ思えば。
本当はいくらでもなくたって、自分が使う分があれば十分なんですけど。
ただ、いくらでもあると思える方が楽ですね。
自分が使える分は供給されると考えるより、
同じことですが、
例えば私の時間になるものは、一生分私に供給されますよね。
死ぬまで絶対なくならないという、ただそれだけの意味である。
これは私が使い切ることは不可能だという意味ですよね。
油も同じですよね。
上から保湿剤塗らなくても済むんですよ。
なくならないということを信じることさえできれば。
なくなるはずないんでね。
これが多分自分の時間がないんです。
っていう本で僕が考えて喋っていたことです。
このこと自体はですね、何度も言いますが、
タスクシュートをやっていれば、
常にわかることなんですよ。
だってタスクシュートには常に実績時間が入るじゃないですか。
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ずっとやめない限りは実績時間って入るじゃないですか。
ってことは時間がなくなったことはないってことになりますよね。
一瞬たりでもないじゃないですか。
常に実績時間。
つまり何時から何時まで何をしました。
これ時間ですよね。
ここに数字が入るってことは、
ゼロになったことはないってことは、
ゼロになるタスクはあるかもしれないけど、
そのゼロになったタスクの次の時間にまた時間を使えますよね。
だから時間がないってことはよくよく考える必要があると思うんですよ。
ないって言ってるのは、
締め切りが怖いって言ってるか、
死ぬまでにできないことがたくさんあるって言ってるかのどっちかしかないはずなんですよね。
死ぬまでにできないことがたくさんある心配をするんならば、
それした方がいいと思う。
あとはもう締め切りのことだけだと思うんですよね。
でも私たちはきっと締め切りのことだけ考えてしまうことはしないはず。
だと思うんですよ。
だったら、
ふんだんにあると思って
最大級にそこに時間を継ぎ込んだ方が
絶対いい結果になると思うし、
楽しいと思うんですよ。