2023-01-01 42:57

【724】あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いします。

00:04
明けましておめでとうございます。キクセラピーの第2回、トータルでは724回ということになりますね。
今本当に1月1日日曜日なんですね、今年は。
これはちょっと損臭い感じもしますよね。明日振替休日なんだけど、3月2日ですからね。
1月1日の10時21分、これは取って出しする予定だから、11時ぐらいにはアップできるかなと思います。
今日は正月早々、ぐだぐだ話でいこうと思ってるんですけど、今年はですね、新年のなんとかみたいなのも、僕は実質的にはないんですけどね、何にも。
でも、あえて言うならば、2023年はですね、グッドバイブスの一年にしようと。
まあこういうことをグッドバイブス、多分知ってる人はみんな年初にね、決意を新たにしそうな気もするんで、極めてありふれた感覚なんですけど、でもこれはいいだろうと思ってですね。
今日かけるかどうかは本当、早々からそうなんだけど、でもやっぱり1月1日って特殊だからね。
昨日も紅白なんかを一応見て、来年来る年を見てから寝たんで、寝る時間が壮大に遅いですし、決まって朝起きるのも壮大に遅いですし、
いろいろと1月1日から何かするのは実はすっごい不利なんですよね。アドバンテージがないという。
だからグッドバイブス日記をつけようと思っているんだけど、これはもうプランの世界なんで、プランの世界というのは信用ならないんですよ。
3日も続けば相当なかなかなもんで、やらずに終わったりしますからね、1年がね。
でもまあ今年はそういういろいろ先を考えないんだけれども、これだけはやっておきたいということが一つあるとするとやっぱり、
1年通じてグッドバイブスでいくみたいな、グッドバイブスな人として過ごすみたいなね。
どこまでできるかわかりませんけどね。これを実践していきたいと思っております。
これはあれですよ、倉園圭三さんの言う意味でのってことですよ。
グッドバイブスって適当に検索したりしても、英語の場合は特にもう全然いっぱい英語が出てきちゃって、これはもうもともとある言葉ですからね。
私は馴染みが全くない言葉だったんだけれども、言葉としての意味は英語にはある言葉なので、多分違う意味になっちゃう可能性も全くないわけではない気がするので、
一応倉園圭三さんのお話になっているグッドバイブスということです。
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それとあんまり関係があるようなないような話を今日もする予定なんですけれども、
1月22日、つまり今月になったわけですけど、夢を叶える人になる、先送りせず夢を叶える人になるという3ヶ月チャレンジですね。
夢を叶える人になる3ヶ月チャレンジというのをやりますので、
これは1枠5万円で、どこかでは割引とか一切ないので、このまんまの金額でさせていただきますので、よろしければぜひ参加いただければと。
残り2枠か3枠、ここはちょっと悩んでいるところなんですよ、まだ。
でも、もしご要望があれば最大で3枠、これ以上は増やさない。
つまりスタッフ交えて最大7名という状態、私も含めてですね、これ以上には絶対しないという目算でやります。
1月22日のリアルで六本木で開催するのがキックオフになりまして、オンラインでもご参加いただけまして、
メインはですね、そのキックオフは非常に僕は重視しているし、オンラインでも行けるというのは多分書き上げ塾で、
おおむね、倉園圭三さんが確立してくださったやり方なんですけどね。
同じようなわけではないんだけれども、遠隔の方にもレクチャーを届けすると、その場所からですね。
それを皮切りにして翌日からですね、少なくとも週1回、私と短い時間のセッションやるのと、
オンラインですがコミュニティの中でやり取りをするというのと、いわば目標達成なのか夢を叶えるなのか、
その辺はその人のニュアンスの中でのお話になると思うんですけど、それをですね、何か日々やっていただくと。
そしてできない日があったとしても、そのことについてあれこれ考えない。
それと先送りということを繰り返ししているからといって、それを自分が本当にやりたいかどうかはわからないし、
それをやればハッピーになれるかどうかもわからない。そしてこれを習慣の力だけでやろうとしたら多分うまくいかない。
この辺りのことを絶えず3ヶ月ですね、思い出しながらやっていっていただくと。
タスク管理とかタスクシュートというのはやりたければそれに組み込んでいただいても結構だし、なくても構いません。
なければできないとは僕はもう思っておりません。あと記録をつけるとか振り返るとかは一切やりません。
それもやっていただいても構いませんけれども、やるやらないはご自由。私の方ではそれはレクチャーはしません。
06:05
だからそういうのをご希望であれば多分別のところに行ったほうがいいです。
なんか手帳みたいなのを使うとかいうこともやりません。
その辺りのことは多分世の中にある普通のものとは全然は違わないんだけど、違って見えると思います。
PDCA的な考え方はもちろん取らないし、頭の中を書き出すとか心の中を整理するとか、それこそマップを使うとか特性を特定するとか強みを明らかにするとかも一切やりません。
それらのことは何一つ出てこないと思ってください。
それらが出てこないと嫌だっていう場合はこういうものではないところに行ったほうがいいと私は思いますね。
出てこないんで実際ツールは基本的には特定のツールは使いません。
Zoomはオンラインでやる方は使っていただく必要があったりしますけど。
これもね、Zoomでなきゃいけないわけではないんだけど、オンラインで当日ご参加いただく場合はZoomにこれはするしかないんで、何かに統一しないと。
この人の場合はSkypeとかはできないんで、こっちはGoogle Meetingみたいな。
それはちょっとさすがにご勘弁ください。
1on1であれば、今まだSkypeでやってるって方も実はいらっしゃるんですよ。
Zoomじゃないっていう方ね。だから別に1on1であればそれはそれでいいんですけどね。
でも基本的にはZoomを使う。
ツールではないと思うんだけど別に。
ツールとしてはZoomがあるかな。
唯一っていう感じがします。
六本木なんでね、これは月に1回ずつ3ヶ月チャレンジで3回リアルでは六本木に集まっていただくといった形になります。
もし遠方からいらっしゃるタイミングや機会があるという方はぜひ来ていただけると大変私としては嬉しいぐらいな感じかな。
これで果たして何ができるのかって言われるかもしれないんですけれども、
一つはですね、場がそれをさせてくれるっていう考えを私は持っていまして、
それを実現しようという一つのチャレンジです。
それはもう僕の中では確実であって間違いないところだと思っております。
場の力だけでってことになってくるとやっぱりリアルな場じゃないと。
だから寺とかっていいんですよ、実はね。
なんだけれどもそこまでは無理としてオンラインでもこれが機能するんだということをですね、
最近100日チャレンジを通じて知ったんです、Jマスザキさん主催のね。
09:02
あれはタスクシュートで先送りをやっつけていくっていう考え方を一応取ってるんだけど、
そしてそのことは確かなんですよ。
確かなんだけどみんながタスクシュートとか先送りしないぞということを目標に集まった集団の場が、
その力を個人に与えるんですよ。
そういうことが起こるんですね。
それは励まし合うとかではないんですよ。
ドリームキラーがいるとかいないとかいう話も、
それは関係なくはないんだけど心理的安全性とかね。
それはですね、場が健全に機能している限りちゃんとそういうふうに動くはずなんですね。
ドリームキラーがいないようにするとかではないんですよ、私の考えでは。
そういうことでは人は何かはできないと思うんですね。
かき揚げ塾もそうなんですよ。
もちろんあれは倉園さんの力も力であって赤入れであるんだけれども、
そこはもう確実にそうなんですけれども、
それを含めて場の力が働くんですね。
で、その人にものを描かせる。
だって、これはバージニアウルフっていう有名な女性の作家、
フェミニストの作家がね、描いた有名な言葉があるんですけれども、
女性には当時のってことですよ、
小説を書く女性には自分の部屋が必要だっていう
有名な言葉があるんです。
僕はこれは大筋正しいと思うんですよ。
絶対一部の例外もないかっていう話をしだせばですね、
ちょっとキリがないところもあるんだけど、
大筋正しいと思うんですね。
これはもちろんプライマシーだってことも言えるし、
プライベートだっていうこともあるし、
もちろん男女平等って話もあるんだけれども、
場の力だっていうことなんですよ。
この場合は個室ですけどね。
精神分析というようなものも、
カウンセリングっていうのもそうで、
北山治っていう有名なフォークソングの方が精神分析家でもあって、
精神分析家として彼が書いていることもですね、
人生の舞台裏が精神分析なんだって、
あれが非常に正しいと僕は思うんですよね。
カウンセリングも同じだと僕は思うんですよ。
やっぱり人間には楽屋裏っていうものが必要で、
そこで着替えをしたり歯を磨いたりしなきゃいけないわけですよね。
お風呂に入ったりできる場所っていうのがないと、
多分その人は人間として機能するのが必ず難しくなると。
この舞台裏に相当するものが心理面でも必要で、
特に必要になったときに、
精神分析の空間というものがそこにあるっていうのが大事で、
12:04
よくそういうことをカウンセリング受けに来るクライアントさんが言うようになるんですよね。
そういうやり取りというのはよくカウンセリングのやり取りの記録でも出てきているのをよく読みます。
よく何回も言っちゃったな。
つまり、大変ここに来られると思えるから会社に行けるんですとかね。
あるいは、これは不登校で多いよね。
ここに来られる、ここに来られるようになってから学校に行けるようになりましたみたいな。
ここがあると思えるから学校に行けるようになりましたみたいなセリフは本当によく見かけるんですよ。
これなんだと思うんだね。
これはカウンセラーの力量っていうのはもちろんあるに決まっているんだけど、
そもそもそういう場を設定できるというのが力量なんだと思うんですけれども、
場があるということが大事。
私はその場というのは偶然なんとなく発生することは絶対ないと思うので、
かなりの感性を込めて作らないとそういう場にならないと思います。
そういう場に100日チャレンジがなったというのが良かったなと思っているんですよ。
去年の重要な成果だったと思っているんですね。
同じように私はこの3ヶ月チャレンジでは、
もうちょっと私が考えるところの目標達成なりする意味での場というものを、
フィールドというものを作りたいという気持ちが起こったのと、
作ることもある程度要請されている気がしたので用意したわけです。
まだだからさっぱりどういうものになるかはわからないんだけど、
どういう場になるかのイメージは僕の中にはなんとなくあるんですよ。
すべてをここに何かを持ち込むのを一切廃止したというのは、
例えばなんとかノードとか、それこそタスクシュートであってもですね、
ここに投入しないというふうに決めたのは大きな意味があるつもりなんですね。
場にはテーマだけはいるんですよね。
なぜなのかわからないけど、
例えば北信也さん、通称ベックさんが用意してくれた東京ライフハック研究会という場がありまして、
まだあるのかもしれない。
あれも大事なのはライフハックというテーマが設定された場なんですね。
で、ライフハックがそこで絶え間なく喋られていなきゃいけないとかいうことはないんですよ。
ないし、しかもそれはですね、
そこに行けば有用なライフハックがどんどん手に入るというものでもないんですけど、
いうものでないだろうなっていうのはなんか私なんかにはなんとなくイメージがつく気がしたんですよ。
そこに行ってどんどんどんどん新しいライフハックがみんなが語り出すっていう場に、
15:03
主催者はしたいかもしれないけど、多分そうはならないだろうなって感じって僕は思ってたんだけど、
今からもう10年くらい前からずっと基本参加できる度に参加してるんですね。
なぜ参加するのかというのは、
なんか参加したくなるからなんですよ。
僕はこれがものすごく大事だと当時もすごく感じてたんですね。
例えば、君だったら新しい本が出ましたとかのCMをしないといかんのじゃない?みたいに思われるかもしれないし、
これもできたほうがいいんですよ。
私はそれは東羅圏ではあまりよろしくないっていう意見もあったんで、極力控えるようにしてたんですけど、
一方で、でもこれは私の本が売れてほしいという意味も当然あるんだけど、なきゃおかしいんであるんだけど、
それとはまた関係なくこのCMができるようにしたほうがいいとも思ってたんですね。
私今仕事を不定期ではないんだけど、
だいたいほぼ月でやってる田島那武さんという方との、
彼が昔ディーパブという巨大な飲み会と称して作っていたものがあるんです。
あれも全く同じなんです。
彼のその辺の意見と僕のその辺の意見は実は近いんですよ。
ただ私はお酒飲めないからディーパブに行ったことは実は一度もないんですけれども、
あれはすごく僕の感覚には近かったんですね。
たださすがに大きすぎるんじゃないかなっていうのはちょっと思ってたんですよね。
あれだともしかすると知ってる人がそこに来ていて話したいと思ってても話せないで終わるということが
起こり得るんじゃないだろうかっていうのはちょっと気にはなってたんですよ。
だから今回僕が極度に少人数に設定したのにも一定の意味はあります。
ただ方針としてはですね、
田島那さんが割と何でもありで基本飲み会だと言っていたのは僕は大きな意味があったと思うんですね。
で、飲めなくてもそれだったらいけばいいじゃないかって思われるかもしれませんが、
さっきも言いましたがテーマは大事なんですよ。
ここがですね、ちょっと曰く言い難いんですよね。
僕昔からそういうことをよく思ってたんです。
何なんですかね私はね。
なんかちょっと人間関係がどこかがうまくいってなくて、
多分でもそのどこかがうまくいってないのは全ての人に当てはまると私今は思うんだけど、
昔ってのはつまりですね、幼稚園時代くらいからそうだったんですよ。
なんかね、規格に人を集め込みたいという子供だったんですね。
結構小学生同士で中学年くらいの時から子供だけで旅行とか企画して行っちゃってる子だったんですよ。
今じゃとんでもないことをやっていてよく大丈夫だったよなと思うんだけど、
意外と大丈夫だったんですよ。
結構遠くまで行きましたよ。
小学校6年の子は岐阜とかまで行った気がします。
埼玉県からね。
全員埼玉県の子ですからね。
18:01
ああいうことを僕はしたがりだったんですけれども、
今思うと一体何のためにやってたのかが全然わからないわけですよ。
いつも遊んでる同じメンバーで、
何でそんなに遠くまで行く意味があるのかないんですけどね。
テーマって大事なんですよ、そういう時。
何でもいいからテーマがないと人は集まらないんですね。
サッカーやるとか野球やるとか何でもいいんだけど。
いつもこれも面白いなと思っていたことがありまして、
サッカーやるために集まるじゃないですか、放課後とか。
サッカーしない子ってその中にいるんですよ。
僕あれがね、すっごい当時からめちゃくちゃ好きだったんですよ、その光景が。
僕はサッカー結構めちゃくちゃ下手だったけど好きだったんで、
絶えず参加したんだけど、
こいつら何でサッカーしもしないのにサッカーに来るんだろうって思ったんだけど、
結構遠くの方でね、サッカーをやってる子から少し離れたところで
石蹴りとかやってて面白そうなんですよね、それなりに。
でもこれはどういうことなんだろうなっていうのは当時はすごい謎でしたね。
謎でめちゃくちゃ興味深かったんですよ。
たまにサッカーの方が喧嘩になったりして崩壊するじゃないですか、
そうすると子供がですね、サッカーに来ているサッカーをしていないこの方に集合していくんですよ。
こういうのをね、学校の先生ってすごい嫌うんですよね。
これは授業が崩壊する一つのパターンで、
時々なんか絶えず見学してる子っているじゃないですか、特に水泳とかになると。
ところがその見学してる子に人気があったりして、
水泳の授業そっちのけでだんだんその見学してる子とだべりに走りまくるみたいなことが起こるんですよね。
で、学校の先生がそれ嫌がるのは当然で、
これつまり授業さもってどこかでタブロしてるのと何ら変わらないですからね。
ただそれが授業の中で起こるんだよね。
僕はあれがですね、すごい興味深い、非常に興味深いと昔からずっと思っていて、
そういう子にどうしても注目しちゃっている。
だからそういう子って大体私友達じゃないんですよ。
私は授業に先生の覚えめでたい子だったから、
授業へのコミット度が高かったからそういうことが、
せって自然と縁が薄くなるんですよね。
でも常にそういう子を見てたから、今でも記憶に残っているんですよ。
あの独特の魅力っていうものがですね、
場というものが常に持っている矛盾みたいなものをすごく意識させられて、
私はそのことを考えて今回、
先送りせず夢を叶える3ヶ月チャレンジという、
もうちょっと短い名前にまとめたいんだけれども、
そういうものを作り出したわけですね。
21:01
そうなんですよね。
トーラケンはすごく僕に勉強させてくれています。
一つにはトーラケンというのはですね、
仕事術というのかな、
ライフハックのための集まりなんですね。
私はなぜこれがそもそも自分は好きで惹かれるんだろうと思ってたんですけど、
これはアウトロー感がまずあるんですよ。
不思議だと思われるかもしれませんが、
アウトロー感って絶対こういう場合には
必須なんだと思うし、
私はそれが非常に強くある人間だったんですね。
僕はそういうやっぱりパラドキシカルな、
非常に困った面を一面抱えていて、
さっき言った通り、小学校時代とかも先生の覚え目で、
何か一本近く学級委員とかやってる人間なんですよ。
でも常にアウトローしていたいっていうタイプの人間で、
事業をそっちのけってすっごい好きだったんですよ。
みんなそうなのかもしれないって言われるかもしれないけど、
僕の場合その断絶が極端で、
事業に一番コミットしている側でありながら、
事業から一番遠くにいたい人間なんですよ。
外にアウトローした時の開放感みたいなのが、
ものすごいこみ上げてくる。
多分僕の、今思えばですけど、多分ではなくて、
ほぼ確実に僕の中でエリプスの問題が、
すごいねじれてこじれているんだと思うんですね。
だから私大学の授業って本当そうで、
完全に事業に全く出ない学生だったんですよ。
ほとんど、出ても常に事業は聞いていない。
だけど4年で卒業するんですよ、私は。
絶対留年とかしたくない人間なんですよね。
そういう人間だと思うんですね。
で、ノート術って、つまり勉強できない子がやることが多いんですよ。
ある意味ではね。
ちょっとこれはご閉延はありますね。
でも勉強を全然普通にガンガンガンガンできる子って、
別にノート術とかってそんなに地道をあげないじゃないですか。
これが私は仕事術の大事な不健全さだとずっと思ってるんですね。
仕事が普通にできて、会社に普通にどんどん適応できるではダメなんだ。
ダメっていうか、その人がダメっていうんじゃなくて、
それでは東京来伐研究会とかは、
生成されないと思うんですよね。
ベックさんが実際おっしゃってた通りなんですよね。
彼は会社の中で、
僕はそうは思わなかったんだけど、
適応できないときがあって、
すごい苦しんだからしごたのを見た、読んだっていうお話だったんですね。
僕はそれは、しごたのであることは大事だったと思うんだけど、
しごたのでなくてもよかったとも思うんですね。
ここが大事なんだと思うんですよ。
仕事がすごいできて、優秀で、
とにかく会社の適応度ばっちり、
100%でっていうのはおかしいから、100はないけど、
24:02
すごく好適応だったとすると、
しごたのなんか読まないと思うんですよね。
たとえそれが仕事術にがっちりどれほど詰まったためになるものだとしても、
読まないと思うんですよ。
読む必要性を全く自分の中に認めないと思う。
だから面白いことだと思うんだけど、
外に何かがあるというのは、
必ず不適応というものがどこかに含まれているのが普通であって、
例えば進学塾でめちゃくちゃエリートばっかり行く塾っていうのはともかくとして、
街には落ちこぼれないための塾ってあるじゃないですか。
私の朝霞市にもばっちりあったんですよ。
そういうまさに落ちこぼれないための塾みたいな塾がね。
これって面白いじゃないですか。
勉強ができないのに、学校で勉強できずに困っていて、
着いてもいけないのにわざわざ学校の外に行って勉強すると。
大体そういう子はそこにいて勉強なんかしやしないんですよ。
でも集まることができますよね。
僕それだと思うんですよね。
こういうところが何かに適応させようという、近代なんですけど、
組織とか会社とか学校とか、
軍隊とかそういったものががっちり組み上がって、
行けば行くほど必要になると思うんですよ。
だって非人間的じゃないですか、軍隊とかね。
組織ですからね。官僚機構みたいなものも全部そうなんですよ。
よく僕らはやっぱり考えるべきだと思うんですよね。
そこらへんに走ってる島馬とかね。
もともと僕らそういうものなんだから、
よくてチンパンジーとかですよ。
ああいうものなのに、軍隊とか病院とか財務省とかね。
おかしいじゃないですか、やってることが。
服ピシッと着て、お尻とかかけないわけじゃないですか。
適応ってものはそういうものなんですよ。
別に財務省の役人がお尻かいてないとか言うわけじゃないんだけど、
とにかくできないですよ、ある種のことが。
そこに適応するということが絶対前段みたいなことを言ってるけど、
何をもってそう思うのかっていう異常性ですよね。
その適応できるということが正常なんだけど、
適応できるってことは異常なんですよ。
だから適応できない正常さとか健全さってものが
外にはみ出してしまうはずなんですよ。
そこに場がないと大変困ったことになるんですね。
適応できない私の部分みたいなものがずっとただただ放置されていって、
ひどいことになっていくという話だと思うんです。
世の中にある基本事故啓発とかすべてが。
だから主要なメッセージが意外と共通していて、
例えばあるがままのあなたでいいんですって言ったりするのはこれなんですよ。
あるがままのあなたではたぶん軍隊では通用しないわけじゃないですか。
27:01
だからあるがままのあなたでいいんですっていうのは
ごく当然のことなんだけれども、だって当然じゃないですか。
島馬にお前競争馬じゃないから死んだほうがいいとか言わないじゃないですか、別に。
そういう話なんですよ、これはね。
だから適応できない部分というのはあるがままの部分には絶対あるはずで、
適応できない部分というものが言ってみれば剪定されてしまうわけですよね。
庭木の剪定ですよね。
刈り取られていっちゃうわけですね。
でも刈り取られていって、そもそもまっすぐでもなければ
変な木あるじゃないですか。
都内とかの公園には真四角とかいう形に切り込まれてるやつ。
木は真四角にならないですよね、普通。
だから真四角にならない部分は全部切り落とされるんだけど、
そういうことを僕らやってるってことなんですよ。
近代という世の中で生きている私たちは。
しかも真っすぐが善だってことになっちゃってるんで。
僕はだからPDCAっていうのは人を必ず病ませる。
すごい今強い言葉を使っちゃいましたけどね。
病ませないまでも真っすぐの木になっちゃうと。
曲がってる部分はどうしてくれるんだよっていう話が
どっかに完全に置き去りにされるとまずいって
場が必要なっていう話なんですよ。
その場は意外にあなたが曲がっていて辛いので
ちょっと真っすぐにするお手伝いをしますっていうテーマなんですよ。
曲がらないと人はですね、この力のバランスっていうのも変なんですけどね。
つまりバランスというか真っすぐにしようという話があるから
曲がってしまっている私っていうのがアルガママっぽく見えてくるんですよ。
適応できないというのは適応させようという組織なり力なりがどっかにあるから
その適応できませんという悩みが出てくるわけですよね、ある意味。
アルガママで本当に良い世の中がそこにポンとあるだけで
私たちがただただアルガママで生きていけていればですね
たぶんアルガママでいましょうという自己啓発には興味を引かれないと思うんですよ。
だからテーマっていうのは、さっきも一番僕が近いと思うのは
落ちこぼれのための勉強塾がテーマってものなんですよ。
勉強が嫌だからそうなっているはずなのに
勉強をする場所というものにわざわざ吸い込まれていく。
これがでも大事なことだと思うんですね。
30:01
お互いあってお互いが存在できているみたいな
適応させる場と非人間的に適応させる場と
その非人間的なものをテーマとしつつも人間性を取り戻す場みたいなね。
そういう関係性の中にあると。
関係の中にあると思うんですね。
だからそういうものを用意してみたいなと思って
私は長らく東京ラフ研究会にだから行ってたと。
つまり私はそんなに会社とか勤めてないし
今適応しなければならない辛さみたいなのも別にそんなにないけれど
でも仕事をやっているわけだから
例えば出版業界なり昔で言えばね
連載するためのお作法みたいなものに
やっぱりある程度胃がたにはめられなければどうにもならないと。
そういうストレスは当然ゼロには絶対ならないわけですよね。
人と何かをやってるわけですから。
それがエディプスってもんだと思うんですよ。
誰かが用意した
母と子が一体であるだけでは作り出せない組織というものを
誰かが作り出して
そのシステムというものは
何かによって何らかの力が働いて守られているシステムなわけですね。
今で言えばプーチンとゼレンスキーですよ。
彼らは父親なわけですよ。
このシステムの中にいれば幸せだというシステムを
作っているんだけれども
それが危機に瀕すると
ものすごくエディプス感が強くなるわけですね。
で、なければならないみたいな感じが強くなるわけです。
日本で会社っていうのはそこまでじゃないけれども
それの運と弱まった力というか
薄い力みたいなのが働いているわけだから
関わる以上は何かしらそこで感じることはあるわけで
そこをなんていうんですかね
例えばトラケントでとかで癒すわけですよ。
仕事ちゃんとやる術というものを
みんなが興味を持っているということは
そこに来ている人は仕事できる人ばっかりだと思うんですよ。
ある意味ではね。
だけれどもやっぱり感じるストレスはあるので
そこで情報交換をして
もっと楽に適応できるようになりましょうということは
結局楽に勉強できるようになりましょうという話と近いわけですよね。
そういうところに行って
人間が集まる場面というのは
必ずしもエディプス的な目的だけが全部じゃないという感じを
味わいにいくというんですかね。
33:00
すごくこれ難しいんですよね。
なんか喋りだすとやや難しさがあります。
いずれにしてもそのテーマで集まるということがなければ
人々はそこには集わない。
けれどもそのテーマというのは
実はその人たちが一番触れたくないテーマでもある。
そしてだからこそそこでは必ずしもそのテーマについて
ストレートに語り合われることが意外となかったりする。
お茶を飲んだりコーヒー飲んだり
スイーツ食べたりする方が大事だったりするんです。
そういうところでね。
でもそこに行くとなぜだか会社に行けるようになるというか
会社に行ってられるような自分というものを取り戻せる
というふうに私は思っていたので
あれはもっと定期的に行われなければならないし
やっぱりあんまり他人数でやるとなると
他人数でやることはそれなりに良さもあるんですけどね。
そこで仲良しを見つけ出しやすいですから。
そこはちょっと僕はディーパブっていうのはいいなと思ったんですよ。
酒も大事だったり
つながりっていう話もありましたけどね。
だから私は飲めない場合はいかなかったんですね。
私が横浜ライフハックなんとかとか作ったのは
実はそれが目的だったんですよ。
ライフハックというもので黙ってても興味を引かれるんだけど
実は帰り際に中華街で飲み食いするのがメイン。
あれもですね、難しいんですよね。
そうするとこう飲み食いすると
でも飲み食いは絶対したほうがいいと思うし
定期的であることが大事なんですよ。
今言ったような事情はね。
定期的に行けるような場所じゃないとダメなんですね。
つまり居場所なんですよ、そこは。
だからこうして一周巡ってきてですね
私がなんでこの感覚を得たのかというと
その感覚を持っている人に
その感覚を持っている人に
自分家なんですよね、結局。
子供時代うちは寺だったと。
寺ってのはどういう場所かというと
誰にでもオープンなんですよ。開かれてるんですね。
お金があろうとなかろうと
どんな人間であろうと来ていいと。
だから私は寺に
という方は立ち入りをご遠慮くださいって書いてあるところを見ると
気分が悪くなるんですよ。
ここはそういうところではないはずなんですよ。
だから昔の江戸時代ですら
お寺は違い封建だったんですよね。
非常に重要な意味があると思うんですよ。
誰が来てもいいんですよ。
寝ててもいいみたいな。
自分の居場所がない人が
そこを居場所にすることができる公共の空間という
ものすごく矛盾した存在なんですね。
だから寺の坊さんというのは
何にもしていないように多分見えるんだけど
36:01
めちゃくちゃ大事なんですよ。
あそこに坊さんがいないと成立させるのは
とてつもなく困難になることはほぼ確実なんですよね。
テーマあるじゃないですか。
信仰というね。
同じものを信じますというテーマで一応沿ってる。
悪い意味それさえクリアしてればあとは何でもいいという
結果をするための空間ではないですからね。
ここに来ると自動的に
病気が治るみたいな話が
ものすごくオカルティックなんだと思うんですけど
僕はめちゃくちゃ当然だろうなという気がするんですよ。
実は病院に限りなく近いところがありますよね。
ここで薬まがいのものを売るというのも
いかにも起こりそうなことなんですよ。
今それは極めて問題が大きいですから。
ただどっちかというと
薬はないほうがいいんですよ。
ここも微妙なんですけどね。
何でも効くような
あ、ありましたね。
これがまた微妙なんですけど
効くんですよ。
この話を聞いていて信じられないという人には
効くんですよ、これが。不思議なことにね。
私は飲みませんでしたけどね。
毒にも薬にもならないような薬なんですけど
効くんですよね。
つわりが止まったとかね。
すぐそういうことが生じちゃうんですよ。
だからむしろ問題なんですよ。
だからですね、
すごいうちの親は気を使っていて
めちゃくちゃ安いんですよ。
めちゃくちゃもったいぶるんですよ。
症状を聞いたりなんかして
めったなことでは出さないような顔をしている。
出すんですよ、どうせ。
めったなことでは出さないような顔をしているわけですよ。
めちゃくちゃ怪しいんだけれども
多分そうしないと効果が出なくなりやすいのと
そうしないと逆に
こういうところに近代との
寺との問題みたいなのが実はあるんですよね。
病院には当然行くべきじゃないですか。
車酔いとかが問題であれば
ご皮膚でいいわけですよ。
怒られるのかな、対外にしておきますけれども
私は東京ライフ研究会というのは実はそういう風に感じていたんですね。
そこに行った人は
ハワイアンセンターと変わらないわけです。
ただしそこで仕事術がテーマになってないと
多分人は来なくなるし
いわゆる効能が下がりますね。
そういう気がします。
なんで自分はここに来ているのかというのが
はっきりしていないといけないんです。
例えば龍町を直しに温泉に来て、そうすると治るんですよ。
39:01
でもその温泉の効能の中に
龍町を直す成分とかは別にないかもしれないんですよ。
ここがすごい大事なんですね。
これをプラシーボって近代の人は言うんだけど
僕は逆だと思うんですよね。
実は病気治るというのは
全部このカラクリが基本働いていて
ただその成分が強いか弱いかということがあるのであって
このカラクリが働かない薬は
多分どんなものでも効かないんじゃないかなという気がむしろします。
ここまで心理よりだと
到底受け入れがたいと言われるかもしれないんですけど
僕はどっちかというとこうじゃないかな
というふうに思っております。
特にライフハックとか自己啓発というのはそうです。
だから
仕事ができるようになりたいという
意識付けで来ていただく必要がある
だと思うんですよね。
でも
そこで出てくるGTDとかは
効能ゼロではない方がいいと思うんですけど
効能が1万とかなくてもいいわけですよね。
わずかにでもあればね。
そうすると
結局
最終的に起こることは
自分のだけの世界から
外に出られるということなんですよ。
一番大事なのは
自分だけの世界に入ってしまうんです。
会社とかで追い詰められていると特に
自分だけの世界というものではないところがある
そしてそこになぜか自分の居場所まである
っていうのが大事なんですよ。
寺なんて全くそういう感じじゃないですか。
あそこはどう見たって自分だけの世界ではないですよね。
公共的空間ですよね。
知らない人がいますからね。
そこに普通に。
駅とかごく限られたところですよね。
ごく普通に知らない人と
同一空間に同居している感じを
提供するっていうのは
道端では絶対そうはならないと思うんですよね。
同じ目的を持っていて
普通に相互に喋れて
何なら普通にそこで食事も
観談しながらやるんだけれども
見ず知らずの人です。
ある意味そうはなりにくいと思うんですよね。
カフェで見ず知らずの人にいきなり話しかけると
多分めちゃくちゃやばい可能性があって
一歩間違うと退場を命じられますよね。
寺ではそういう風にはならない。
だけれども
つまりだから居場所にもなるんですけれども
にもかかわらず
そこでは絶対には
薬とかごく一部のものを除くと
42:02
何一つ提供されるわけではないんですよね。
だからテーマがあるんだけど
そのテーマに沿ったものが
手に入れられるわけじゃないというのかな。
そういう風なものを
作りたい。
それはグッドバイブスな
私の一番身近に知っているもので言うと
グッドバイブスでなきゃ提供できない
というように思うんですよ。
そういう意味ではすでにグッドバイブスファクトリーという
オンラインコミュニティがまさにそれに相当するとも言えるんですけれども
それでも自分なりのものを
作り出したいと思った。
長くなったありに非常にグダグダですね。
でもこんな感じなんですよ。
そういうものって。
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