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2020-10-28 33:20

【GMV 242】ご質問いただきました!後悔しない方法が知りたい

後悔するメリットには何があるのでしょう?
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おはようございます。グッドモーニングバイウスです。
今日はですね、あのー、ツイッターの方で
アカウントネームうきすぎさんかな? から、なんかこう、あのー、コメントと
ご質問いただいたので、ご要望みたいなのも、ぜひこちらをメインにお話ししていきたいと思います。
あの、大変ありがたくてですね。というのも、まあ、初めてのような気がするんですよね。
あの、コメント等をいただいたというのは。
で、そういうのにお答えするみたいなのも、めったにないことなので、大変ありがたいです。
こういうのがあったらですね、別にアンカウントコメントじゃなくても全然いいので、ぜひどんどんお寄せいただければと思います。
で、えっとですね、第230回についてのコメントなんですよね。
ダラダラは後悔を生むの回です。ダラダラは後悔が生むですね。
で、納得感が強くあったのですが、願わくば後悔をやめるコツのようなものについて、もっとお考えを伺えたらと思いました。
ネガティブな面に目を向けないというのはその一つでしょうか、というふうにあります。
つまり、ダラダラしてしまうんだけど、それを後悔してしまうんだけど、その後悔をやめる方法が知りたいみたいなお話だと思うんですね。
で、後悔する。
で、これ当然昨日読んだので、昨日考えたんですけど、
あの、そもそも後悔する、その目的は何なのかなということを
考えてみてほしいんですよ。
後悔するには理由があって、後悔した方がいいと思うから後悔してるんですね。
後悔というのは誰しもが当然のようにする。ここでまず私たちの多くはつまづくんですね。
こんなことをしてしまったら後悔するのは当然だっていう、この種の当然は滅多に当然ではないんですね。
あの、ものすごく熱い夜間に間違って手を触れたら引っ込めるのは当然なんですよ。
反射ですからね。
それほどですね、ダラダラしてしまったら後悔するのは当然ではないんですよ。
私はしないんで。
で、まずこの誰もがという時に、大体そういう時ってそのことを考えるの難しいんですけど、誰もがというのはまずないですね。
実はあの、熱い夜間に手を触れて反射的に引っ込められないという障害をお持ちの人もいるんですよ。
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誰もがというのはよっぽどじゃない限り成立しないですね。
すぐに脳神経科学者とかが出てきて、それをしない人がいますってすぐ言ってきます。
本当にそれぐらいですね。あの、誰もがってのはダメなんですね。種目がでかいっていうやつですけども、誰もがってことはまずないと思っていただいていいです。
まあそうは言っても反射っていうのはほとんどの人がというので、そう嘘にはならないですね。
でもダラダラして後悔するとかいうのはもう全然ですね。
もしかするとマジョリティーですらない可能性があるってことを是非念頭に入れておいてほしいんですよ。
で、マジョリティーですらないかもしれないと言われて、信じられないとするとですね、ここにはマジョリティーであるべきだという考え方がお持ちだってことになります。
つまりダラダラしたら後悔するべきだと。
で、あの、反省させると犯罪者になります。でも近い話してるんですけれども、
まあそういう本があるんですけどね。その話もグッドモーニングバイブスでしましたが。
反省にしても後悔にしても、あの、一つですね、
なんかの本みたいなんですけど、それをしない勇気っていうのを是非持ちたいなと思っています。
反省しない勇気、後、後悔しない勇気ですね。
そういう意味では工夫とか方法というよりはですね、もうそこは意思なんだと思うんですね。
まずは後悔するという、おそらく習慣があるんだろうけれども、習慣というのはメリットあってこそのものなんですよ。
私、あの、やめられなくなる小さな習慣で繰り返し繰り返ししつこく書いたんですけど、
これはもう行動科学の鉄則で、何かが習慣になっているという時に、そこに報酬がないということはありえないんですね。
あの、ネズミがレバーを倒すのはチーズが出てくるからなんですよ。他の理由は一切必要ないんですよ。
他の理由もあるかもしれないけど、まあ出なくなったら倒さなくなります。
同じようにですね、後悔することがやめられないならば、後悔にメリットがあるからに間違いないんですよ。
で、ここで、ここでグッドバイブスといえばグッドバイブスなんですね。
後悔のメリットというのは本当にあるのかということですよ。反省のメリットでも同じですけどね。
反省しないことにはね、多分勇気がいるんですよね。あいつを反省もできないとかって言われるんでね。
まずそれを回避するメリットってのを一つ考えちゃうんでしょうね、私たちは。何かやらかしてしまった。
とんでもない遅刻をしてしまった。反省の色も見せない。勇気いりますよ。
でも私はもうですね、この種のことで反省するのも後悔するのも一切やめることに決めたんですよ。
この決めるってのが、決めると言われてもって言うんでしょうけれども、それは
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メリットをまだまだ強く感じているということでしかなくて、メリットが全くないということを理解したら
私たちはその行動を繰り返したりはしないんです。メリットが全くない行動を
やってて気持ちいいわけでもないじゃないですか。反省・後悔。
やってて気持ちよくもないものをあえて何度も何度もやるのはですね、絶対にそこにメリットがあると信じてるんですね。
そんなものはないんですよ。それがもう何より大事なことだと思いますね。大事な気づきっていうのかな。
そういうふうに発見できれば、後悔にメリットはないという発見があればですね、多分後悔はしなくなります。
で、後悔するんという時に、まあこれ何に後悔するのかにもよって様々ですが、今回はダラダラですから
ダラダラと時間を過ごしてしまったと。一番手っ取り早いのは、手っ取り早いのはですね
過去というのは存在しないというあれなんですね。あれはグッドバイブスの先輩特許ではなくて、仏教以来だからもう3000年近く前から言われてきていることではありますが、
まあ過去は存在しないのです。 ですからダラダラをしたことについて、本当はこういう時間の使い方をするべきだったとか考えることの
メリットは、一つ目はまずそのような行為に意味はないということ。
で、もう一つはですね、多分PDCA的な発想で、最近PDCAでは改善しないという記事をしごたのというブログで書きましたけれども
PDCA的にダラダラしたということを後悔したり反省すればですね、次回以降全く同じシチュエーションにおいてダラダラしなくなり
例えばこうプログラミングの勉強をするだろう。これが嘘なんですね。 まず全く同じシチュエーションというものが来ないから、これもグッドバイブスでも言われている。
マインドフルネスでもよく言う話。 仏教でも言ってきたこと。まあいろんなところで言われてますよね。だって全く同じシチュエーションで来ませんからね、本当に。
えーと、一番、何が一番いいんですかね。
空とか見てるとすぐ感じることではあるんですよね。 全く同じ空模様というのは見たことが本当はないんですよ。
似たようなっていうのも相当うそくさいんですよ。よく見ると似たような空だと思っていた空は多分ちっとも似てないんですよ。
夢ってそうだと思うんですよね。夢というのは、むしろこういう言い方をするじゃないですか。 夜見る夢ですよ。寝てる時に見る夢ですが、
こういう夢、前にも見たことがある。それぐらい夢っていうのは再現性が低いんですよね。 なんかそういうことに気がつくじゃないですか。
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我々は夢のことを覚えておきにくいという性もあります。 起きていると、起きている時も夢を見ているようなものだというのもよくグッドバイブスで言う話だし、
精神分析学ではビオンという人がそのまんまのことを言ったんですよね。 起きていて夢を見られない人はすでに精神病だっていう言い方をしています。
アルファ機能と言ったのかな。その夢を見るというのは一つの能力であって、 精神障害が重度になると夢って見られなくなるんですよ。
覚えてない人は別ですよ。私たちは外して夢を覚えてませんが見ているんですよ。 しかも起きている時もまあまあ夢を見ているようなもんです。
この話もすると長くなるからチャラッといきますけれども、例えば虫がすごい怖いとか、例えば蜘蛛とかがすごい怖いと思っている人がいるとするじゃないですか。
で、背中に蜘蛛がついてましたと。 凶乱状態になったりしますよね。それが夢ってものなんですよ。
夢じゃなくて本当に蜘蛛は恐ろしいって言うかもしれないけど、全ての人が背中についた瞬間に凶乱になるわけではないんですよ。
ここでも同じですね。誰もがではないということ。 当然でもないということ。もう一つですね。
その人にしてみたところでですね、赤ちゃんのゼロ歳の時から蜘蛛が背中についてたら凶乱したかとしなかったんですよ。絶対に。
つまりこれは蜘蛛というものが体につくのは大変恐ろしいことだというイリュージョンを、まあ意味づけなんですけど、イリュージョンを持って初めてこの夢が見られるんですね。
これは脳が私たちに見せている夢に過ぎないんですよ。 赤ちゃんは多分体中に蜘蛛がついていても凶乱状態にはなりませんね。
なるのはそのお母さんですよ。 そのお母さんの凶乱状態を受けて赤ちゃんがこの状態はおぞましいんということを理解するんですね。
そうして同じ夢を見るんですよ。 話が飛びすぎると時間を食うので戻しますが、
これがダラダラというものがいけないんだというイリュージョン、夢ですね。 私たちはそういう夢を見るようにしつけられたんです。間違いなく。
子供はダラダラしたことを後悔なんて絶対しない。 つまりご質問いただいた、えっと、どなたでしたっけ?
浮き過ぎさんもですね、 ダラダラをしたら後悔しなければいけないというふうにそういう夢を見るように教育されたわけですね。
だからこそダラダラしたら後悔するんですよ。 そのうちこれは誰もが当然するものだというふうになって、しないとなると罪悪感を抱くから、
それをしないには勇気がいると。 この勇気を出すには出すほどのことだと思えないから、それよりはダラダラを反省した方がいいような気がするから、
ダラダラを反省したり後悔したりしちゃうわけですね。 ここにはメリットがありますよね。
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社会の言うことを聞いているような感じがするというメリット。 とりあえずこういうことにしておけば、それでこの話は打ち切ることができるというメリットがあります。
このメリットはメリットなのかってことなんですよ。 本当にダラダラしてその都度その都度後悔していることによって、それをやめると途端にこう社会から罵診されるの。
多分そんなことはないんですよ。 つまり後悔しないということ、後悔するということのメリットは一つないんですよ。あると思ってたものが。
もう一つは後悔することによって 次回以降もっと価値のある時間の使い方ができるのかという話が残っているんですけど、
これもできないんですよ。できないからメリットは何もないんですね。 このことを認識すればですね、多分後悔するという習慣を断ち切ることができるでしょうと。
私はそういうふうに考えているんですね。
で、ダラダラする代わりに何かをしたら、 あるいは今後ダラダラするというシチュエーション、まあ似たようなシチュエーションね。
似たようなシチュエーションすら見届きませんけどね、本当。 でもまあ似たようなシチュエーションだと思い込んでいるシチュエーションに入った時、
英語の勉強やプログラミングの勉強、つまりもうちょっと言うとやりたくもないことをやる。
質問は2番に続いて3番目にもありまして、 最近は何をするにも面倒くさい気分のようなものにとらわれていますと。
最近こういう話を大橋哲也さんと一緒に 別のところでちょっとやってるんですけれども、
タスクマの再生ボタンを公開しながら押してしまっていると。
えっとですね、 何をするにも面倒くさい気分、まあこれつまり
ダラダラする代わりにやりたくもないことをやったほうが自分にとってはいいはずだということなんだと思うんですけど、
この話はですね本当は結構深いんですよね。 だから回を分けて喋ることになるかなと思ってるんですけれども、
あの、 私たちはお腹の中で
養衰というところにいた時代があります。 これは誰もがあるはず、まあほぼほとんど誰もがあるはずです。
お母さんのお腹の中にいたってことですね。 その時は
えーと、万能の存在でした。 なぜ万能かというと、やるべきことは全部できていたから。
で、それに、例えばあれですよ、 バーベルをあげられないとか論外ですよ。誰も養衰の中にいる赤ちゃんにバーベルをあげさせようとはしないから、
やるべきことが全部できてはいいんですよ。 つまり栄養が
ゲットできて、何らかの形で排泄排泄するんですけどね、していて、 生きていればいいんですよ。
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そしてそれで万能なんですよ。 この万能は強いとかいうことではないし、
ましてや一人で生きていけるということでは全然ないんですよ。 これはですね、お母さんからの環境供給が十分であるという、また専門家はそういう言い方をするんですけど、
これ環境供給しているのはお母さんですよね。 だから万能なんですよ。
私たちってこうやって生まれてきたんですね。 で、多分ずっとこうやって生きてるんですよ。
これがですね、思春期の少年時代とか、特に少年だけじゃないと思うんですけどね、
癪だから私は一人で生きてきたんだと思いたくなる時代がやってくるんですよ。 多分これが独立する欲求なんだろうな。
でもそんなはずはないんですよね。 環境は自分で全部供給できてないですよね。
電気にしても、電気ないと多分私たちの死にはしないかもしれないけれども、 生活しているやり方は今のようにはできっこないですよね。
だいたいiPhone使っちゃってますから、今でも。 あと水もそうですよね。自分で供給してないじゃないですか。
用水の時とほど至れり尽くせりではないかもしれないけど、相当至れり尽くせりなんですよ。
今の環境、供給されている環境ってのは。 これでもって初めて私たちは、でもですね、万能なんだと思うんですよ。
やるべきことは多分全部やれてるんだと思うんですね。 だからこういうことだと思うんですよ。他人に供給、環境を十分に供給されて、十分にっていうのをですね、
ドミニコットっていう人は、グッドイナフって言ったんですけどね。 グッドイナフってのは普通の使い方とちょっと多分違うんですよね、彼が使った時は。
あの、総訳すことはできますけれども、とにかく環境がですね、他人によって、 私たちは依存していると言ってもいいと思うんですけれども、
とにかく他人がいないと生きていけないんだけど、 他人がいろいろしてくれることによって万能なんですよ。
これはみんなそうなんだと思うんですね。そうすると私たちっていうのはつまり、 人が依頼してきたことをしないということは、その相手のことを万能じゃなくするということを意味するんですよ。
だから、相手が依頼してきたことにはいくら時間を使っても損にはならないはずなんですよ。 私は蔵野さんのお話をこういうふうに解釈してるんですね。
生まれながらにして価値マックスで愛ある存在って言うんですけど、 私はこう、やっぱりどうしても精神分析に、そういう話を聞いた瞬間に精神分析の話がよぎっちゃって、
精神分析と、ちなみに精神分析科と精神科医は違いますよ。 精神分析というのは全然お医者さんじゃないです。
精神分析科ですね。ドクターじゃないですね。アナリーゼです。
その、供給されている、そして万能である。
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これがセットで愛ある存在ってこと。まあ、蔵野さんはですね、愛そのものという言い方をするんですね。
バリントという精神分析科がですね、一時愛という言い方をしたんですけど、この言葉はほぼ同じかなと思ってます。
土井武夫さんという人が日本では有名ですよね。甘えという言い方をしています。
甘えってのは非常に曖昧、極まりない言葉で、甘えの構造って本出されてますけど、甘えというのは一体どう訳しゃいいのかというと、訳せないはずなんですよね。
甘えとは何かとか言ったら訳わかんなくなっちゃうんですよ。よーく考えてみると訳わかんなくなると思いますよ。
で、甘えだけだと訳わからんので、私の考えではですね、甘えていい存在っていうことなんですよ。
甘えていい存在が万能だったら、これはもう愛そのものだと僕は思うんですよね。
今の話は多分、この回だけでは伝わらないので何回かしようと思ってるんですけれども、とにかくそういう存在だと、
これを抽象的に考えるから分かりにくくなるので、お母さんの様子の中にいるという時にですね、私たちは環境をお母さんから全部供給されてますよね。万全ですよね。
しかもやるべきことは全部できていて、万能ですよね。引っ張り出して生きられないとかじゃダメですよ。そういう話は理屈にあってないんですよ。
やってると思う人は、独立ということを何かね、とっても抽象的に捉えてしまってるんです。
例えばどんなに強い魚であっても、水から出したら死んじゃうじゃないですか。だから強くはないとかっていうのは理論的じゃないですよね。
サメとか、陸で生きられないとかいう話はしてないんですよ、ここでは。
必ず環境が供給された上での話なんですね。で、自分らはそういうふうに生きる関係上ですね、
自分一人だけでは生きられないんだけれども、環境が供給されている限りにおいては万能でもあるんですね。
だから他の人に供給を依頼された時には、それに対して応答すればいいということになるんだと思うんですね。
ここに時間をどう使おうと後悔が生じる理由はないはずなんですよ。
つまり他人からの依頼に応えている限りは、そのためにどのくらいしようと、時間を大量に使おうと、そのことが後悔を生む理由は何もないと思うんですね。
お母さんからの供給されている環境の中で生きていて、お母さんが何とかしてって言った時にその子がですね、
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いや、それをすると時間や労力の無駄になるから自分は勉強してますっていうのはおかしいと思うんですね、やっぱりね。
なぜだって感じがしますよね。どうしてもそうしなきゃいけない何か理由があるって言うならばともかくとして、ただしその場合多分後悔しないと思うんですね。
後悔するというのは何かの価値観について混乱が見られる、この混乱のことをグッドバイブスでイリュージョンって言うんだと思うんです。
つまりそれは混乱なので、整理して考えれば消えてしまうはずだと、そういう考え方がありますね。
で、そうじゃないと。他人からの依頼ではないことで、ないことをしています。
そしてダラダラしています。で、その時他人からの依頼はありませんでした。
で、他人からの依頼がなかったからツイッターを見てしまいました。後悔しています。私これ後悔する理由は何もないと思うんですね。
子供に対して環境を供給していますと。子供って環境供給してますよね。今うちの子は小学生ですけれども、小学生だって環境は全部親が供給します。
基本的には学校とかも社会も供給しますけどね。 だから何か依頼されたらまあ
した方がいいと思いますよ。起こらないようにしてますけども、しなくてもね。 ただ
した方がいいでしょうけれども、依頼する必要がない時に何していようと構わないじゃないですか。
本読んでいようと、遊んでいようと構わないじゃないですか。 これをなぜ後悔しなければならないのかと思うんです。
将来の依頼に応えるためにスキルを磨いておくべきだという主張はあるかもしれないですけど、
そのスキルを磨いておかないと後悔するという主張は僕の中では、
はなかだ不自然なものに感じるんですね。第一、例えば今うちの子がですね、将来の依頼に備えて英語の勉強をするとかしてもですね、その
将来には役立たないかもしれませんよね。 自動翻訳とか自動通訳とか強烈に進歩して誰も全くに
外国語を2つも言語を操るとかしなくなっていったら、それは特殊技能に属しますよね。
今で言うならば石板に文字を彫るみたいな。それはそういう技能が受け継がれるのはまた違う話してるな。
やめよう。ということで、そういうことはしない方がいい。しない方がいいわけじゃないけど、しなくてもいいと思うんですよ。
そうすると何してだって、 依頼に応えている限りにおいては後悔する理由にはならんと思うんですけどね。
それでだいたいどうかなと。 何をするにも面倒くさい気分っていうお話なんですけど、結局これなんですよね。
この何をするにも面倒くさい気分というものが何なのかっていうのによって、だから非常に違ってくるわけですね。
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他人からの依頼であるということであればですね、それをするのが面倒だというのは何か混乱があります。そこにはきっとあります。
他人には例えば10分ならいいけど30分はダメだとか、そういうのだとするとおかしいと本当は思うんですよね。
なぜなら私たちは万能だから。万能だということはですね、時間を惜しむ理由はないと思うんですよ。
万能なのになぜ時間を惜しむのかと。しかも万能で一時愛であるということを考えるとですね、
万能であり同時に人に甘えていい存在ということになる。 一時愛というのは愛を願うって感じなんですけどね。愛されることを願うかな。
甘えに近づいてきたじゃないですか。ちなみにバリントという精神科医は確か土田卿のことを精神分析会に紹介した人だったような気がしました。
ちょっとその辺若干曖昧ですけど、すごくこの辺で近づいてくるんですよ。
そこでですね、すごい大事な概念があって、これも概念的な用語になっちゃうんですけど、規定欠損っていうのかな。
なんかその、また非常にわかりにくいんで、後々に回しますが、とにかく欠損という言葉が出てくるんですね。
非常にそれが僕は大事だと思うんですけど、蔵野さんはよくこう、何かが足りないとか欠けているというイリュージョンだっていう話をグッドワイプスでするんですよ。
私はこのスキルが足りないとかね。 そんなことはないんだっていう話なんですよ、これは結局。
イリュージョンだってことはそういうことですよね。ないものだから。
この欠損も同じなんですよ。一時愛という存在において、欠損しているはずがない。
欠損しているというイリュージョンを取るために精神分析をするんですよ。そういう流れなんですね。
つまり欠損というイリュージョンにとらわれてしまうと混乱が生じるので、それを精神障害の一種とみなすんだけども、
これを取り除けばですね、つまりそんなものはイリュージョンだということに、当人が気づくことができれば病気は治るという考え方です。
何をするにも面倒くさいという時に、私たちはきっと何かが不足していると感じているんだと思うんですね。
2つしかないと思うんですよ。それは依頼である。とするとやる必要があるんですね。
その際において依頼をするというのは、私たちが万能であり、相手を万能で荒らしめるためにしないわけにはいかないことなんです。
相手が万能でない方がいい理由って何もないと思うんですね。
自分が万能であるということは、しかも愛されることを願っているということは、依頼に応えるということがその存在理由そのものみたいになっているんですよ。
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これを跳ねつけるという理由が必要あるとすると、それはよっぽどの理由になってくると思うんですね。
それはないんじゃないかっていうのが一つと、もう一つは依頼じゃないことをするのが面倒くさい気分だというなら、これはしないことですよね。
私たちはつまり、言ってみれば依頼に応えるために生きているわけですよ。
これがですね、どうしても依頼に応えるために生きているということを社会の中だけで換算しようとするから、
なんかこうすごく校長先生のお話みたいに聞こえるんですけど、そういうことではなくて、私たちは万能であるということがすごく大事だと思うんですね。
万能でありかつ愛されることを願っていると、この二つは実に同じことなんです。
赤ちゃんのお腹の中にいた時の赤ちゃんのことを思えば、よくわかる話だと僕なんかは思うんですけれども、万能であって愛されていることを願うと。
愛されないと困るじゃないですか。外的に対しては無力な状態なわけですからね。
無力であることと万能であることというのが非常にしばしば一致するんですけれどもね。
そういう存在であると、そういう存在として生まれてきたわけですね。
万能じゃない形で生まれてきたりはしてないし、愛されることを願うということをせずに生まれてきているわけでもないのでしょうがないんですね。
そうやって生まれてきて、そうやって生きているという状態がずっと続いているので、
だからこそ依頼されたらそれに応える以外の選択肢がないんですね。
万能なんだから。そして相手が万能であったほうがいいから。
けれどもそうじゃないことをやるとき、つまりどうでもいいことをある意味ではやるとき、それは面倒くさかったらしないことだと思うんですね。
その時も同じなんですけれども、なんで面倒くさいと思うのにそれをしようとするのかということ、
結局それは依頼なのかそうじゃないのかということ、最終的にはそういうふうになっていくと思うんです。
この話は途中出てきてないんですけど、出てきてなくもないという話があって、勝ちづけとか序列という問題と関係があるんですよ。
ここを私は万能で素通りしているんですけれども、たぶんここには勝ちづけという問題が含まれているんですよ。
本当に私たちは平気で使っている生産性があるほうが価値が高いってやつですね。
あれが余計なんですよね。本当私たちそんなことを信じようとしてないんですよ。
あまりにもこれが普通に言われているからなんとなく信じてしまっているんですね。
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時間の使い方について後悔するときは必ずこの問題が、本当は存在しないんですよ、こんな問題は。あるように思っちゃうんですよね。
ミハイル・エンデが桃で盛んに取り上げた問題でもあります。
生産性の高い時間を有効に過ごしたほうがいいのではないかというあれです。
あれもですね、そんなことはないんですよ。
もしそうだとすると、さっきもお腹の中にいた赤ちゃんが万能であり愛されるのに十分値する存在だって話がナンセンスなものになっちゃうじゃないですか。
何を生産しているんだって話になるでしょう。
でもですね、母さんは第一優先でその赤ちゃんのことをやっているじゃないですか。
自分の栄養をあげているんですからね。
その人が何をしていようとも育てているのが最優先になっているんですよ。
私たちの生活の中にはそういうことってあるんですよね。
でも既にそれは常に最優先事項にさせられてしまっていて、
拒否することとかそれじゃないことをより優先することは不可能になっている事象ってありますよね。
一つは例えば呼吸ですよ。どんな時もやめてないですよね。
あるいは物を見ること。これもどんな時もやめていません。
そういうことをしているという意識がないことはありますけどね。
どんなに大事な仕事をしている時でも呼吸と物を見ることはそれに先駆けてやってしまうでしょう。
そういうことってあるんですよ。私たちは最優先事項に固定されている出来事。
しかもそれは無視していいとでも思っているんですよ、私たちは。
でもですね、目が見えなくなったりすることはあるんですからね。
ないわけではないのだから。
これはやっぱり私たちがやってるんですよ、実際にはね。
この最優先事項として固定されている事項は一番価値があることに決まっているんですよね。
赤ちゃんをお腹の中で育てるというのもそういうことの中の一つであって、
社会構造を変えるとか価値認識を変えるとかいうことよりも上にあると僕には感じられるんですよ。
その赤ちゃんに対して生産性がいくつあるんだとか問うということには完全にイリュージョンの世界だなと思います。
このことが時間の使い方の有効性ということと関係があって、
その問いそのものが実際はイリュージョンなんですけれども、
この話も何度もしておりますけれども、なかなか簡単に受け入れられないということだと思うので、
ちょっと違うアプローチをしてみたわけです。後日またそのアプローチでもやってみます。
ただ結論として押さえておいてほしいのは、人の依頼だったら、
33:00
それにどういう時間、どういう体力、どういうリソースの使い方をしても、
つまり無制限に突っ込んでも後悔する必要は多分ないし、本当は後悔しないはずです。
依頼でないならばやらなければいいと、そういうことになります。
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