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2020-10-26 29:29

【GMV 241】夢を見ている人に罪はない

私たちはいつも夢を見て、出来事に意味をつけてますが、その自覚があれば大丈夫、という話をしました。
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。 今大阪のホテルにおりまして
昨日大阪でセミナーを倉座の慶三さんと一緒にやってきたんですね。
今もその大阪のホテルにいるということなんですけど
さすがにちょっと頑張って30分以内には切り上げます。30分以内にここ出なければならないので
新幹線の時刻とかありますからね。
昨日お話ししたんですけど、もういきなりこの言葉を出しますけれどもですね。
私たちは妄想分裂ポジションというポジションに入ると
ちょっと気が狂ったような感じになっちゃう。この言葉は今ちょっとあれなのかな。でもそういう感じになってしまう。
ただ、これはどれほど正気でまともな人の、まあこういう言い方もあれかもしれないけど、まともな人の
心性にも、心性というのは心の性格の性ですね、にも必ずあるもので
時々は私たちは妄想分裂ポジションというポジションに入る。ポジションというのは
ポジションなので、なんかその足を、そこに足を踏み込むみたいな感じ。
体制っていう役の形式も、あの、訳されていることもあるんですけどね。
体制ってなんかちょっと、ちょっと違うような気も、でもまぁ体制かなぁ。
妄想分裂体制。私たちはちゃんとっていうのかな。ちゃんと抑鬱体制というもの。抑鬱体制って名前すごく変だと思うんですけど、
抑鬱体制にいなきゃいけないんですよ。
グッドワイブスではこの抑鬱体制の中でも、一つの良い状態というのかな。
その体制の中でも良い方の状態に向かっていくみたいなのがあるんだけど、
この抑鬱ポジションとか妄想分裂ポジションと言ってるものは、
あの、精神病理の話をそもそもしてますからね。抑鬱ポジションまでいければ人は正気というふうに言って
構わないので、ちゃんと抑鬱ポジションに入れるようになりましょうねと。
そこから先のことはですね、コーチングなり、
タスクシュートなりやっていけばいいじゃないですか。とりあえずまずその絶え間なく妄想分裂ポジションに
入り続けていたり、そこから全然自力で、自力でっていうのは難しい話なんですけど、自力で抜け出せなくなったり、
そういう状態になったら精神分析みたいなものが役に立ちますよという話なんですよ。
で、妄想分裂ポジションというのは妄想と分裂の間に点を打ちます。
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よくそういうふうに表記されていることが多いですね。
パラノイドデリュージョンポジションかな。そういう名前だと思うんですけど、これはですね、もうグッドバイブスでいうところの
意味づけと分離のポジションなんですよ。意味づけ分離ポジション。
で、これを絶え間なくやってちゃいけないわけですね。
意味づけ分離ポジションというのは、
一言で言うのは難しいですけど、
でもこれを5回も招きますけどね、お化け屋敷に行って本当にお化けがいると思っちゃってるバージョンと言ってもいいと思うんですね。
だからやっぱりね、幼い子供ほどやっぱりこのポジションには入りやすいんですよ。
悪鬱ポジションにちゃんといられる2歳児とかってそれはおかしいんですよ。
2歳児ぐらいの子は、私の娘もそうでしたけど、妄想分裂ポジションに入っちゃって、もうなんかね、タッチできないっていうのかな、うわーって泣くんですよ。
今じゃそういうの全く返りも見られないんでわかんないんだけど、うわーって泣いて40分ぐらいその状態なんですよね。
何を言っても効果ないんです。そういうポジションに入るんですね。
あれは赤ちゃんだからいいんですよ。
でも僕の年になってあれが起こったら、やっぱちょっと正気ではないとみなされちゃうじゃないですか。
私は欲鬱ポジションにいられるように、頭が発達、脳が発達したわけですよね。
グッドバイブスというのはね、私の考えでは、言ってみれば妄想分裂ポジションに入ったらそれを自分が意味付けしていると。
それは自分の夢の中にいるようなものなんだということを自覚して抜け出す。
あるいは目の前の人が妄想分裂ポジションに入っちゃったら、そのことについて、大体やっちゃうことはそうなんですけど、
そのことについて相手と口論したり喧嘩したり攻撃しあったりするのではなくて、
妄想分裂ポジションにいますよと伝えると相手は怒るので、なんとかそこから引き抜いてあげようという、
それを相互にやっていくというやり方なんですね。考え方だと思うんです。
で、なるべくその妄想分裂ポジションに日頃から落ちないようにするには、欲打つポジションの中にも、欲打つポジションというのが正常なポジション。
正常ポジションぐらいの方がまだいいと思うんですけど、欲打つポジションって、なんかこう欲打つ状態みたいじゃないですか。
欲打つポジションにいて、欲打つ状態になることもあるんだけども、それはどっちかというと欲打つポジションの中でも辛い状態なんですね。
欲打つポジションにいて、なるべく落ちないような、そういう心のありようというのかな、そういうものを掴んでおけるようにしましょうねというのがグッドバイオスだと。
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この文脈で言うとそういうふうに僕は考えているんですね。
妄想分裂ポジションというのは頻繁に行きます。僕もさっきも、朝バイキング食べてきたんだけど行きました。バイキングとか行くとビッフェですね。
行きやすいですね。バフェットとか行くと。なんかね、ちょっと振る舞いって人によって違うじゃないですか。家庭生活、文化環境が違うからだと思うんだけど、やっぱ違うんですよね。
そうするとなんかちょっと自分から見るとイラッとするという、他の人から見ると僕がそう見られてるんですけどね。こういう視点を取れるのが欲打つポジションなんですよ。
こういう視点が取れなくなると妄想分裂ポジションに近づいているというか、そういう体制に入っている感じなんですね。
つまり自覚がないんですよ。意味づけてるのは私じゃないですか。例えば、大きな男の人がやってきてガチャガチャってやっていて、割り込みっぽいとかそういうことに対して、この人マナー悪いとかって思うじゃないですか。
これが妄想分裂ポジションの一種だと僕は思うんですね。なぜかというと意味をつけてますよね。
マナーが悪いっていうのは僕が見てそう思うわけですよ。
客観的に、純客観的にそうだと誰もが思うかというと多分そんなことはないし、極端に言うと例えばそうですね、幼児が見てもそう見えるかというと、そうは見えない可能性はいっぱいありますよね。
大きな男の人の息子さんと仲が良かったとして、その息子さんが見てもそう思わないと思うんですよね。
こういうものはつまり、一人一人がその人の行動に意味をつけてしまう。だけれども意味をつけること自体はいいんですよ。
というか精神分析の世界ではですね、意味をつけるということは特に現在ではですね、ちょっとフロイトの時代はそうでもないんですけど、その展開からして意味をつけるということは、意味をつける能力を発揮できているということになるんです。
そういうふうに言った人がいるんですよ。精神分析家の中で、夢というのは起きてる時も寝てる時も見ていると。
起きてる時は夢を見て意味をつけている。非常にウッドバイブスで言われていることに、この辺もとてもよく似てるんですけど、寝てる時も意味をそこに、自分のもう見ている夢にですね、意味をつけていると。
だから夢として成立すると。この機能が壊れると、適切な意味を自分にとってですよ、適切な意味をつけられなくなってしまって、世の中がなんていうんですかね、むき出しのまま自分に迫ってくるんですね。
むき出しのままとても良いことが迫ってくるのはある意味良いと思うんですけど、むき出しのまま怖いことが迫ってきたらたまったもんじゃないですよね。
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ちょっと意味が伝わりにくいかもしれないんですけども、昨日もその話したんですよ。
セミナー中ですけれども、給食で、この話もグッドモーニングバイブスでもしましたよね。
シチューを大量に床にこぼしたみたいなことが起こった時、それを誰が見ているか、どんな意味をそれにつけるかで意味が大きく変わるじゃないですか。
もうこれで地球おしまいだぐらいな。これはですね、心理状態を指してるんで、聞いてると変だと思うかもしれないですけども、それぐらい大騒ぎする子もいますよね。
本当にどう失ってしまう先生もいらっしゃるんですよ。私はそういうのを何度も見てきた気がするんですよね、子供の時に。
かと思えば、例えば、それを見て何とも感じない人もいるじゃないですか。
つまりどういう意味をその出来事につけたのかによって、特に妄想分裂ポジションに入りやすい出来事ってあるわけですよね。
そういう意味を見出しやすい出来事。
で、良いおっぱい、悪いおっぱいって、この言葉とは妄想分裂ポジションセットだと思うんですけど、良いおっぱいって誰にとって良いのよって話なんですね。
赤ちゃんにとってですよ、数赤ちゃんにとって。悪いおっぱいなんて特にそうで。数赤ちゃんにとって悪いおっぱいなわけです。これ意味付けですよね、完全に。
だけど赤ちゃんは自分が意味をつけているなんて、とてもじゃないけど気がつけない。そうですよね。
何しろゼロ歳児ですから、ここで問題になっているのは。
自分がそこに悪い意味を自分がつけているなんて、全く考えつかないわけですよ。
考えつかないということは自分がそこにいないってことですよね。出来事だけがある。
この出来事だけがあるっていう状態にどれほど近づかずにいくかっていうのが精神分析でも一つの考え方だと思うし、特にグッドバイブスでは大事かなと思うんですよ。
意味をつけているのは自分だと自覚できれば少なくとも妄想分裂ポジションに落ちっぱなしということはないんですね。
かなり頭の良い人でも突然これを言い始めて最初はショックを受けます。その後私はショックを受けなくなっていったんですけど。
例えば世の中にはいろいろと聞き分けのない旦那とかもいるし、罵声を浴びせるひどい夫もいるのはわかっているが、
それらの人たちはまだそういうことはよくある。夫婦の間ではよくある。しかしうちの旦那は全然違う。最悪だと。
これが妄想分裂ポジションというものに私たちが入った時の態度なんですよ。
意味付けっていうのは要するに抽象化ですよね。
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悪いと言ったっていろいろありますけれども、例えば子供が牛乳をこぼしてしまったというのは、この意味をつけられたという瞬間にもう大したことじゃなくなっているんですよ。
さっきの夫と奥さんが口論するのはよくあることだ。大したことじゃないですよ。しかしうちに限ってはここで急に現実が意味付けを拒否しちゃうんですね。
意味付けてるんですけどね結局。つまりこれは私が、私だからそういうふうにこの夫を見るのではない。この夫は悪い暴力的なひどい夫そのものであって、誰が見てもそうなんだと言ってるわけですよ。
つまりとても強い意味付けがそこでなされてるんですね。誰が見てもになっちゃってるんですよ。その人は忘れていることがあるんですね。
例えばその旦那さんのお母さんがとてもその旦那さんを可愛がっていたり、同じようには絶対見えないことを無視するんですよ。客観の世界に入っちゃうんですね。僕はいつもこのことを言うんですけども、なかなか伝わりにくいかなと思っています。
つまり私たちは主観の世界に生きているわけで、しかもその主観の世界が自分の主観だと意識している限りにおいては正常なんだけど、主観丸出しでありながらこれは客観だと主張し始めたら、それは妄想分裂的だと、そういうことなんですね。
誰が見てもこれはもう大惨事で、誰が見ても取り返しのつかない事態ですと言っている話は大体嘘なんですよ。
倉園さんに昔言われたことがあるんですよね。現実ならなんとかなる。そういう意味なんですよ。なんともならない現実がここに出現するんです。極めて多くのカウンセリングにかかるような人はこれをまず言います。これは非常に面白い現象だと思うんですよね。
クライアントに言ってわざわざですね。私の事態はどうにもならない。あなたでもきっと無理でしょう。この話を私はしょっちゅう目にしたり読んだり耳にするたびに、この人の望みって何なんだろうとつい思ってしまうんですけど、そういうことではないんですよね。
これはカタストロフ…言い過ぎか。とにかく大惨事がある。私だけが、私は極めて特殊で運が悪くて不幸で、大惨事に巻き込まれているのですという意味付けをしているんですね。
これが悪いおっぱいなんですよ。子供にとって空腹だというのにおっぱいがもらえない。もう大惨事なわけです。でも他の人から見ればそこに大惨事は何もないわけじゃないですか。お母さんちょっと忙しいんだよとか、そういうことでしかないですよね。
大惨事なのは自分の主観丸出しになっているからなんですけれども、幼児にはそんなこと思いもよらないからこれは客観的大惨事になってしまうんですね。という状態に大人がはまっちゃいけませんという考え方なんです。
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その大惨事から抜け出す方法みたいな話になってくるんですけれども、今日はその話をちょっと一旦脇においてですね。大惨事から抜ける方法は簡単な時は簡単です。これは自分が意味をつけているんだ以上ですよ。そのことを自覚できれば必ず抜け出せるはずなんです。意味をつけているんだから。
寺尊さんの言葉を借りれば夢を見ている人に罪はないんです。自分も含めてですよ。夢を見ているわけですから。夢を見ているという自分の状態を認識できればですね。例えばこういう考え方があるんですよね。
明石部という言葉があります。ルシとドリーミング。夢を見ていると気がついて夢を見る。そういうことってありますよね。夜夢を見ていてこれ夢だなと気がつくと。考えてほしいんですが、どんな悪夢をだってそれが夢ならもはや悪夢じゃないじゃないですか。悪夢かもしれないけど夢であればなんてことはないですよね。夢の中で何が起ころうとOKじゃないですか。
いかにこの妄想分裂ポジションにハマっていようとそれは夢を見ているのと同じ状態ですから。それが夢であるならばそこに惨事はないわけですよ。人を夢の中で殺そうが自分が殺されかけようが構わないですよね。夢なんだから。同じことがあるんですよ。妄想分裂ポジションにも。
これがどんなにひどい夫に見えようとどんなにひどいパワハラがあったと思えようとそれが夢であるならばつまり自分がそういう見方をして自分がそういうポジションと視点で見ているということに気がつけばそれだけでももうことは大きく後退していくわけですよね。第三次のひどさというものがですね。
で、欲打つポジションという話があるんですけれども、時間が足りなくなってきたな。欲打つポジションというのは正常なポジションなのでこの名前をやめたいんだけども、もう今更この名前を私なんかがやめるとかやめないとか言えないので、私精神科医でもなんでもないですからね。精神分析家とかじゃないんで。
この精神分析の世界では欲打つポジションというのが必要な一つのポジションと見出されているんですね。関係性の中の話が多いんで、例えばこう、そうですね、今まさに言ったようなカウンセラーとセラピスト、受けに行くクライアントとセラピストの関係だとして、
ボーダーの人によくこういう話があるんだけど、先生素晴らしい先生ですが、やっとあなたのような方に出会えてっていう人がいらっしゃるんですね。患者さんの中には。そういうことを言っておきながらその患者さんは、大体のセラピストは予測されるでしょうけれども、いずれはですね、あなたはクソだみたいなことを言って去っていくんですよ。
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このクソだって言った時に起こっているのが妄想分裂ポジションですよね。いいおっぱいと悪いおっぱい。いいセラピストと悪いセラピスト。2人いるはずはないけれど、その人の頭の中でほぼもう2人いるんです。忌みづけですから。夢見てるんで。2人いたっていいじゃないですか。
素晴らしい先生に巡り合ったと思ったんだけれども、あれは最悪だったと。ここでなんですけど、大体の人は私の思い過ごしだったとか、私の考え違いだったとか、つまり私が出てくるんだけど出てこなくなっちゃうんですよね、妄想分裂ポジションになってしまうと。
もはやこのセラピストが最悪なのは私の視点によるものではないと。私の主観だからじゃない。私の価値観とか私の評価だからじゃない。誰が見てもこいつは最低なんだと。そういう風になってしまったらもう過去の一冊関係ないですよ。私が見誤ったとかそういうことはどうでもよくなって、とにかくこいつは最悪だと。で、行かなくなるわけですね。行くのはやめてしまう。
そうするとその関係をその患者さんは壊すことになるわけだ。そうするとですね、あれと思うわけです。その後病気が悪くなったり調子が悪くなった時、あの先生のところに行きたいと思った時にですね、いや、あの先生はクソだって言ってしまったとか、あの先生にものすごく罵声を浴びせてもう行くとまずいんじゃないかとか思うじゃないですか。
これが欲打つポジションです。正気に戻ってきてるわけです。ただ、ネットワイプス的に言うとここで罪悪感を持つのはやめましょうって話があって、ちょっとこう先へ進まなければいけなくなるんですけど、精神分析の話の中ではここで一旦後悔できるというのは、つまり私が発生しましたよね。私が以前罵声を浴びせたから行けなくなるんだと。
そういう意味ではそこで正常に戻ってます。欲打つポジションに私たちは戻ってこれなければいけない。ここでそんなに罵声を浴びせておきながら、ちょっと困ったことがあったからってさらっとセラピン室のところに平気で行ける人。より危険ですよね。
欲打つポジションがちゃんと成立していない感じがある感じじゃないですか。完全に良いおっぱい悪いおっぱいの赤ちゃんのレベルに戻ってしまっていて、罵声を浴びせたことが忘れていないんでしょうけれども、なんかもう遠い彼方の話みたいになっちゃってて、さらっと行ってですね、先生ちょっと困ったことがありました。そういう人いるんですよ、現に。
私は寺に住んでいたんで、そういう人はいっぱい見てきました。これを多分精神分析や病理の世界では境界例、ボーダーラインと言うんだと思うんですけど、結構いらっしゃって、結構びっくりしますよ。目の当たりにすると。あれ?と思うんです。二重人格かよと。よくそういうふうに言われることもありますね、この種の人たちは。二重人格なのかと思ってしまうんですけど。
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こういうこと、そういうことなんですね。妄想分裂ポジションというのはそういうこと。浴物ポジションというのは、後悔をそこでする。後悔するってことはつまり、そこに時間の流れが発生している。私という人間のこう、同一性がそこに保たれている。私が以前あのように言ってしまったその先生のところにはもう行けないと。ただこの浴物ポジションでですね、喪失、必ず出てくるのが喪失ですよね。
自分の関係を壊したわけだから、その関係を失うと。そのことをすごく悲嘆に暮れるようになると、浴物症状が現れてきます。浴物症状というのは浴物ポジションにおける一つのこう、苦しい在り方なんですね、心の。
あの、関係を壊してしまって、良いおっぱいであればですね、悪いおっぱいだと思ってぶち壊しにしてしまったんだけど、もしかするとそれは良いおっぱいと同じだったのかと。同じだったに決まってるんだけれども、私たちはそのことをしばしば思い至れなくなるほど夢を見てしまうと。そういうことですよね。
あの、思わずですね、教室に牛乳をこぼした男の子を思わずめちゃくちゃ怒ってしまって、そのことの関係を壊してしまうと。そして、例えば先生が他の学校に行かせられるということになると、そのことの関係が消失するじゃないですか。
そういうことに関して一連の教室で自分が続けて仕事できなくなる。失うということですね。失うことをすごく後悔して浴物症状に見舞われると。一番この傾向が強いのが死別というものですね。死んでしまった人は取り返せないから。
そのことであまりにも悔やみ始めると、あの時私がああ言ったからあの人は死んじゃったんじゃないかとかそういうふうに考え始めるとですね、混ざってくるわけですね。妄想分裂ポジションと欲打つポジションみたいなのが混ざってくるとある。
そうするとですね、鬱っぽくなっていきますよね。死別は鬱と本当は分けなければいけないという議論もあって、この辺も難しいんですけれども。
もう一つ、時間ないので次回も続けたいなと思ってるんですが、ここの欲打つポジションに入るのが辛くてできない人っています。
自分のせいで関係を壊したとか、自分のせいで色んなものを失ったとか、職業を失ったとか、離婚しちゃったとか、あるいはお金いっぱい失ったとか、なんでもそうなんですけど失うことなんですよ。
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欲打つポジションの一つの苦しみというのは失うことなんですね。これもグッドバイブスでよく出てくる。あなたはそれで何を失ったんですかってやつですね。
だけれども意味づけを私たちはしているので、夢を見ているので、失うわけですよ。いろんなものをですね。
で、失っても平気だもんねっていうのが、そうだっていうのが精神分析の考え方です。
本当はそういう言葉が最初からあったわけじゃないんですけど、これにそうポジションというのを付け加えるんですね。
失っても平気だもんねっていう発想があるじゃないですか。この失っても平気だと言っているのは、良いおっぱい、悪いおっぱいとはちょっとまた違うわけですよ。
2個あると思っているわけじゃないから、失うことはわかっているんだけど、そのことを苦しいので重く受け止められない。
代わりに万能感を使ってしまう。俺は失っても平気な強い人間なんだという万能感を用いるわけですね。
万々お金を使っても、いやいや、俺はその遺産があるからとか、あるいはですね、別に貧乏になっても大丈夫だからとか、そういうふうにしてどんどんお金を使って、
結局失った苦しみはどこかにあるというか、あるので、何かしらの力を改めて得たと思わない限り、人はそういう平気でいられるという、
強がっていると言えば強がっているんだけど、強がることも難しいので。
何かしら力を得たという感じを見せる感じがあるんですね。
その状態の人ってそうじゃないですか。行動が過剰にエネルギッシュになる。
それは自分が力を持っているという感じを自分の中で示したいから。
独特のナルシシズムというふうな言い方をするんですけれども、
欲打つポジションの苦しみ、要するに対象喪失というんだけど、喪失の苦しみと悲しみというものに耐えきれないので、
ちゃんと欲打つポジションにいられないので、だからといって妄想分裂ポジションというのは辛いので、
破滅のポジションですからね。悪いことがあったら悪いことがホラー映画のようにリアリティを持ったお化けになってしまうので、
それはそれで嫌なので、全部やめるということになるとどういうことになるかというと、
失っても平気な俺というものを作り出すわけです。
そういう失っても平気な俺というものは何も大事にしないということなんですよ。
大事なものはこの世に何もないという考え方なので、非常に全てに対して軽薄に見えるみたいなところがあるんですね。
そういうことを言い出す人ってちょっといらっしゃるじゃないですか。
なんか真面目に子供やってても、んなことをやっても大して意味ないよみたいなことがサラッと出てくる。
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あれはですね、自分の中から出てくるんだと思うんですよ。
物事を重視したくないという。男の人にちょっと見られる気はするんですけども、
物事を重視したくないんですよね。
だから代わりに大丈夫だからって言えるようになるという視点もあるんですけど。
何だったっけな、命案だ。
夏目漱石の命案の中で津田という主人公が、そうしたら死んでしまえばいいという言い方をするんですけど、
ああいう態度ですよね。お金がなくなったら死んじゃったらいいじゃないかと。
なんて言うんですかね、そうやって自分を守るみたいな感じなんですよね。
あれはそうポジションにしてはちょっと元気なさすぎですけど、これを元気にやるんですよ。
いやいや大丈夫だからみたいな感じで、奥さんは死んじゃったけど大丈夫だからみたいな。
やけに元気だと。
で、金使いが妙に荒いみたいな。
喪失というものを恐れていないっていう感じを自分で得るんですよね。
代わりにお金をいっぱい使っていると、何て言うんですかね、豪勢になった気分って味わえるじゃないですか。
だからよくこの相の状態の人が散財をする。過剰な買い物をするっていうのは、
DSMっていう精神病理のマニュアルみたいなものにきっちり載っているんですけど、
あれも大変見ていて怖い。
ああいうのを私は割と見ていて怖くなるところがちょっとあるんですよ。
実はどってことないんですけどね。
正気に戻りさえすれば何とでもそれこそなるんで、現実は何とかなるんで。
この現実は何とかなるとか、欲打つポジションにしっかりいるんだけれども過剰に苦しまないみたいなのは
ウッドバイブスもそうですし、いろんな自己啓発系でもそういうところで頑張る部分なんですけど、
これと相ポジションを分けるって大事だなといつも思っています。
両者の分け方は簡単なんですよ。相ポジションは実は怖いんですよ。
恐れと不安があるというか、あるどころか恐れと不安にまみれていて、
そこから自分を何とか守るために相ポジションというものを作り出しているんだけど、
そういうのであってはダメなんですね。それでいいと言っている宗教は多分一個もないと思います。
そういうお話を昨日してきたということです。
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