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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
毎回思うんですよね、20数分にしておこうと。
いや、毎回は思いませんけど、時々思います。
このグッドモーニングバイブスというのは、
倉澤平蔵さんのグッドバイブスをベースに喋っているわけなんですけど、
最近ちょっとPV見たら妙に伸びてたんで、
妙に伸びてる回答、そうでない回答もありますけど、
軽く説明しておいて、時々はしておいた方がいいかなと思って、
軽く説明するんですが、
要はグッドバイブスという倉澤平蔵さんの本を読んだり、
ブログを読んだり、一緒に仕事させていただいている中で、
私がですね、グッドバイブスをどういう風に受け止めて、
それをどういう風に日常と仕事に適応させているかと、
その報告レポートみたいなものだと思っていただければ結構です。
それでも違う方向に行っちゃうこともあると思うんですよ。
グッドバイブスの基本的な考え方とほぼ関係ないことを
喋ってたりすることも結構あると思うんですが、
それはそういうもんだと思うんです。
タスク管理とかでも全部そうですけど、
その中に、例えばタスク管理の中におじいちゃんのお見舞いとか入れれば、
もうそれはタスク管理でもなんでもなくてお見舞いになるけれども、
それにもなおそれを適応するみたいなことをやると、
関係のないことって当然入ってくるわけで、
それが入ってくることがむしろ意味があると思うんですよね。
最近いろいろグッドバイブスの影響下の中で本を読んだりしているので、
その本ももともとグッドバイブスとは関係なく存在している本ですよね。
特にその前から出ているような本は。
でもそれを私がグッドバイブス目線で読むということをして、
そういう目線で読んだらそういう解釈が出てくるわけですよね。
その話をしたりしていると思っていただければいいかなと。
私はタスクシュートというタスク管理をずっとやっているものですから、
それにもグッドバイブスがかかってくるわけですよ。
1日中タスクシュートをやっていて、
常にグッドバイブスを意識すれば当然そういうことになりますよね。
本来この2つが関係あったかというとないんで、
だから私の中で関係づけられているという、
そういう話もするわけですね。
この話がなんとなくPVを見ていると、
一番皆さんには期待されている部分なんだなというのは分かります。
分かりますけど、
だからといって毎日毎日タスクシュートの話をするという気にはならないのでここでは。
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これは思いつきで喋っているんですよ。
テーマも今喋りながら見つかったものを喋っているので、
タスクシュートの話が出る日もあれば、
まるで出ない日もあるということになるかなと思います。
今日はですね、
これもさっき思いついたんですけど、
昨日町田で倉園さんと一緒にYouTubeの収録をしてきたんですけど、
その中にパチンコの話が出てきたので、
ちょっとこの話をしたいかなと思って。
これって昨日お話を倉園さんから伺ってて、
私パチンコってほとんどしたことがないので、
その楽しみに至ってはましてよく分からないんですよね。
球がいっぱい出ると嬉しいんだろう、ぐらいな感じで。
球がいっぱい出るとそもそもどうして嬉しいのかというのも、
話を聞いてなんとなく理解するというレベルなんですけど、
パチンコそのもののことは分からないんですが、
依存というものについては、
ついて言えばですね、
自分にも若干の経験は依存で、
あらゆる人が経験はあると思ってるんですね。
ただ依存症というほどのところに至るということは
一生ない人も結構いると思います。
パチンコは、
昨日倉園さんのお話を伺ってて分かったのは、
完全に依存症のシステムというものに
オが適用されているというのかな。
それがビジネスの根幹にあるんだなということは
理解できました。
非常に簡単で、
依存症とは何かというと、
強いストレスをそれによって解消する報酬というものによる
学習行動です。
ベースにあるのはですね、
例えば学習行動というのは、
つまりネズミのレバー倒しなんですよ。
ネズミがレバーを倒すとチーズが出る。
実はハトが青信号を続けると豆が出るというのが、
たぶん僕が一番最初のスキナーボックスの形だったと思うんですけど、
なぜかネズミのレバー倒しの方が有名になっている。
どっちでもいいんです。
その辺はもう縦続けに、
そもそもBFスキナーという人の前に
それに近いことをやっていた人はいっぱい実はいたのでね、
スキナーはただそれを徹底的に、
公式化していったところに最大の業績があるので、
このことに気づく人はいっぱいいるじゃないですか、
動物飼っていれば。
うちでも目高かってますけど、
餌をやるのが僕なんで、
僕が窓を開けると途端に寄ってきますよね。
これがつまり学習行動です。
学習行動というのは普通このように、
報酬に向かうわけですよ。
餌に向かうわけです。
もう一つ重大な報酬がありますよね、私たちには。
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ストレスというもの。
ストレス自体の報酬じゃ無論ないですが、
ストレスから解放されるということ。
これは大きな大きな報酬になります。
ただストレスから解放されるというのは、
マイナスが言ってみればね、
これは図式的な話ですが、
マイナスがゼロになるだけです。
何かプラスになるわけじゃない。
でもマイナスがゼロになるときの快感のほうが、
ゼロがプラスに向かうときの快感よりも、
一般生物にとっては大きいんですよ。
これも当然のことでして、
なぜならば動物というのはまず
死なないことを第一に考えなければならない。
餌を取るか、それとも
虎に喰われないことを選択するかとなったら、
当然虎に喰われないことを
先に考えなきゃいけないわけですよ。
喰われてしまったら元も子もないんですね。
だからストレスから逃れる方が
何かを得るよりも
常に優先されるわけです。
ストレスというのは生きている限り、
これはグッドワイブス的ではありませんが、
普通に生きている限り常に存在しています。
それもやむを得ないことだと思うんですね。
例えばある意味空腹や寒さはストレスですが、
寒い日はやってくるしお腹が空くこともあります。
これも問題の一つ、
ここからが大事な点なんですけども、
ストレス解消をするということ自体は、
学習行動というよりは日常茶飯で、
物を食べればストレス解消されますし、
寒いのをしのげば解消されるじゃないですか。
ここにストレス解消と快楽を同時にミックスさせて、
その行為の本来の意味とは関係なく
ストレス解消に最大の負荷をかけると、
それが依存症になるというような図式があるわけです。
例えばお酒を飲むというのは、
それ自体ストレス解消ではなくても快感になりますけど、
常にストレス解消を目指してお酒を飲むと、
それは依存症になると。
しかも大体お酒の当然報酬、
つまり飲めばおいしいというのもかかってくるわけですよね。
だからこのストレス解消と快楽を得ること、
快楽を得ることを一緒にする。
プラス常にストレス解消を、
これ両方一緒にやっていれば必ずさっき言った通り、
まず生物はストレスの解消を優先させることになるんだけど、
酒を飲むときは常にストレス解消を目指すということをやっていると、
依存症に至るのは早いです。
だからこそ依存症になるものというものは、
このようにいくらでもあるわけですよ。
途中言った通り食べるということがあります。
しかもダイエットもストレス解消になり得るので、
ダイエットも依存症になり得る。
あとお酒飲むのは当然そうだし、
ギャンブルも当然そうなわけです。
ギャンブルに勝つということ自体は、
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ストレスと関係なく楽しむということはできますが、
ストレス解消のために楽しむということも当然できて、
これを常にそうするようになると、
依存症へ近づくことになると。
なぜならばマイナスのものが優先、
マイナスをゼロにすることが優先されるからですね。
しかも酒と違って、
昨日のプラゾンさんのお話が上がっていて分かったんですけど、
酒と違ってギャンブルの方が依存性が多分高速に進行します。
酒と違ってギャンブルには良い点もあるんですよ。
人体に直接の影響を、
少なくとも神経系に直接の影響を及ぼすとは言い難いので、
パチンコって飲んだりするものじゃないですからね。
そういう意味では離脱症状は多分軽いと思うんですよね。
昔言ってた禁断症状みたいなやつですね。
ああいうのは体の中にダイレクトにものを入れるのに比べると、
辞めてしまった時の辛さというのは、
実は精神的な部分だけなので軽いと思うんですけど、
でも結構ギャンブルには独特の負荷が依存にまつわるポイントがありまして、
何かというとですね、報酬がランダムに来るというところなんですね。
お酒って飲めば必ず報酬が来るわけですね。
ずっと飲んでると収穫低減が起こるんですけど、
それは置いといて、とりあえず飲めば美味しいと。
ところがパチンコはそうはいかないですよね。
しかしかすると勝てないということが起こる。
だからここにランダム強化という概念が入ってくるんですけど、
ネズミってのはレバーを倒せば必ずエサがもらえるよりも、
倒してランダムにしかエサが出ない時の方が、
そこから抜け出すのが困難になるんですよ。
抜け出すのも変ですけどね。
要するにギャンブル性があればあるほど、
いつ出るか分かんないわけだから、
それに執着する程度が高くなるんですね。
しかも、いつ出るか分かんないということ自体はストレスじゃないですか。
これが私は多分最大のポイントで、
依存症の大きな問題ですね。
もともとストレスがあったわけですよね、何か。
日常生活にパワハラの上司がいるとか。
そのストレスから逃れるためにやってるんだけど、
やってる行為自体にもストレスが潜んでるわけです。
これもタバコであれ酒であれ全部あるんですよ。
飲むと気分悪くなること々ってあるじゃないですか。
そうするとお酒もですね、
飲んでる人ほど、おかしな話なんですけどね、
飲んでる人ほどランダム強化っぽくなってるんですよ。
たまにしか飲まない人は、
飲めば常に報酬が得られるんだけど、
常時飲んでる人は、
気持ちが良くなるときと良くならないときが出てくるんで、
そうするとですね、
もともとストレスがあったのに、
それに加えてその行為自体からストレスを得るようになるので、
だからこそそれが、
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例えばパチンコで言えば出たとき、
ギャンブルであらゆるギャンブルで勝ったとき、
お酒で言えば気分が良くなったときがレアになっちゃうので、
一層ですね、依存になってるときほど
ランダム強化の報酬が強烈に感じる。
ストレスの解消と快楽が全部一遍にタイミングで来ると。
しかもその回数はですね、
やればやるほど減っていく。
日常生活のストレスに関しても、
ギャンブルもお酒もそうですけど、
生活の質を低下させていくので、
多分ストレス増えるんですよね、
それをやってない時間は。
だからそれをやりたくなる時間を増やさなければならないという
からくりがここにあって、
それが多分あらゆるゲームであっても、
ダイエットであっても、
筋トレとかですら依存症にはなり得る。
ただし筋トレとかがなぜ依存症になりにくいのかと、
少なくとも筋トレ依存みたいなのは少ないはずなんですが、
それは実に簡単なことでして、
筋トレをおそらくかなりやればやるほど、
報酬が少なくなるということはあんまり起こらない。
もともと報酬の強烈さというものもそれほどすごくはない。
何よりもストイックなので、
ストイックなやつのほうが依存症にはなりにくいんですよね。
ストレスがいっぺんに解消されないじゃないですか。
バーベル1回上げたととたんに多効感がワーッとやってくるとか、
そういうことって多分あんまりないので、
癖にはなりにくいですよね。
逆に言うとやめるの非常に簡単ということも言えると思うんですよ。
だから健全なものって私よく思うんですけど、
評価が低いだと思います。
なぜなら健全なものというのは結局報酬が抑制的なんですよね。
しょうがないんですけど、
散歩とか家族との会話とかで一気に快楽がワッとくるということはあり得ないので、
ストレスが足りに解消されるにしてもおしゃべりとかで、
少しずつしか解消されようがないんですよね。
だからそれさえやっておけばストレスが確実に解消される瞬間が来るというもの。
それがパチンコとかがおそらくそうで、
その頻度が稀であろうと何であろうと、
それによってストレスが後でトータルで増すことになろうとどうしようと、
一瞬でストレスが解消されるという快楽と、
それ自体の勝利感とかお酒のおいしさとか、
そういうものによる快楽が同時にやってくるというやつ。
それがやっぱり依存症を生み出すのかなと。
依存症って結局のところ学習行動なんで、
その行動をただひたすら繰り返すというのが依存症なわけですよ。
そういう意味では目高にエサやるのだって変わらないわけですよね。
ただ目高はエサを食べることでストレスを解消したりしていないので、
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エサ依存とかにはならないんですけどね。
という話なんです。
という話を昨日考え、
昨日考えたというより今日考えたんですね。
いや、知ってた話ではあるんですけど。
これここまではグッドワイブスと察して関係ないんですよ。
全く関係ないわけではない感じがするんだけど、
察して関係はないですね。
グッドワイブスと関係がある部分について言うと、
グッドワイブスもよく戻っちゃうって話があるんですけど、
つまりやめちゃうというか嫌になっちゃうというか、
もう攻撃行動しちゃえと思っちゃうという、
この攻撃行動には依存明いたところがあるんですよね。
私はこれが一番、
昨日のパチンコの話聞いてても思ったんですけど、
私たちが気を付けるべき依存症だなというふうに思います。
人を攻撃し続ける依存症。
これはですね、
怒鳴りまくってるパワハラ上司とかだと非常に分かりやすいですよね。
その人は完全に依存してます。
昨日パワハラ上司の話も別の件で出たんですけど、
パワハラ上司っていうのは恐れと不安を抱いている。
何でもそうなんです。
依存している人はみんな恐れと不安を抱いています。
昨日のクラゾンさんのパチンコの話を伺ってても、
そのことはよく感じられたんですね。
何かが何か、それはイリュージョンに違いはないんですけど、
何かその人の生活、仕事、キャリアその他の面で
脅かされてるという感じがあり、しかもそれが強烈なんですね。
ドコンジョガエルの娘の本の話を時々この回でもしてるんですけど、
あのドコンジョガエルという国民的な作品を書いた人は、
あれを超える作品が書けないという恐怖感に苛まれて、
実際そういう作品をかけかけと、
当時の出版社って多分とんでもないんで、
とんでもないと言っちゃ申し訳ないですけど、
昔の演出なんですごいプレッシャーかけたんでしょうね。
社会人経験として浅いんですよね。
いきなり大ヒットしちゃったから。
そういうプレッシャーをかけられて、その恐怖から逃れたくて、
やっぱりギャンブルに突っ走っていくんですけど、
その恐怖感はあるはずなんですよ。
ギャンブルに突っ走っていくと、その恐怖感が依存症を生むんですけど、
この依存症の中でも一番依存だと思われにくく、
かつ手軽に手に入るのが攻撃だと思ったんですね。
人を攻撃するというのは手軽ですよね。
まずタダだし。
お酒と違って神経伝達物質にダイレクトに作用するんですが、
そうはいっても離脱症状が出るような物質的快楽とはちょっと違うんでね。
やっぱり精神的快楽なんですよ。
そしてギャンブルと違って金がかからないですよね。
あと見栄えがギャンブルほどは悪くない。
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例えば会社に行って部下を厳しく指導している。
これは毎日パチンコをやっているというのに比べると立派そうじゃないですか。
僕は昨日思ったんですよ。
どっちもどっちなんだなと思うんですね。
毎日会社に行って部下を激怒しまくるというのはどれほどそれが仕事に貢献していようと立派そうに見えようと
やっていることは多分酒を飲みまくっているのとほぼ違いはないですね。
それが神経系的な動きとしては違いがあまりないと。
そういう話ですよ。
怒るじゃないですか。
怒るということによってまず攻撃行動を取ることで私たちはある種の感覚を逆転させることができる。
例えば痛みとかが一番ポイントあるんですけども。
痛みというものは通常の平静な気分の時は不快であり恐怖を生み出すような刺激ですけど
痛みというのは攻撃行動や攻撃的な心理状態にあるときは非常にある種の快感になる。
そうじゃないと困りますよね。
クマと戦って痛い瞬間にもうダメだと思うというのはダメですよね。
痛いと思ったら余計闘争心が湧くようにできてるんですよ。
私たちはちゃんと。
私みたいに比較的ヘタレ感が強い人間でも必ずそういう風になるようにできてます。
だからヘタレ感が強いというのは状況がよほど変わらない限りなかなか闘争本能の状態にならないという
その速度の問題であってその人の本質とはあまり関係ないような気もしますね。
このようにして攻撃行動を出ているときというのはある種のストレスが解消されるようになっているので気持ちいいんですよ。
要するにパチンコでいっぱい出たときと同じ現象が起こるはずなんですね。
そうしてないとストレスと向き合わなきゃなんなくなるから不安になるわけですよね。
絶えず怒ってなきゃなんない。
さっきのパチンコと同じで絶えず怒っているとQOLを下げるんですよ。
生活の質を落としますよね。
人間関係に良い影響を及ぼさないし、しかも絶えず怒っているというのは身体にも良い影響を及ぼさないんですよ。
だから依存症と全く同じなんですよね。
怒っていれば怒っているほどその人は身体的なストレス、人間関係からのストレスを増やすようになってしまって
ストレスから逃れたいので怒るしかなくなると。
そういうパターンが学習行動として形成されていくんだろうなというふうに思うんです。
怒るということの中には部下を怒鳴りまくるとかそういうだけじゃないですよね。
DVが一番おぞましいんですけど家で人を殴りまくるみたいな。
もうちょっと見えにくいケースもありますよね。
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SNSで密かに関係ない人にいっぱい嫌がらせをするとか。
僕はですね、でも昨日思ったんですよ。
この殴るのとパワハラと密かな嫌がらせと匿名で悪口を言いまくるのは
もちろん与える害とか影響や犯罪度は様々なんですけど
やってることは当人にとってはおそらくどれもほぼ同じで
すっごくわかりにくい例で言いますと
文芸批評家ですごく厳しくですね、書いたものを批判するという仕事をしている人の中には
この種の依存に近い状態の人も多分いらっしゃると思うんですよね。
それがどれほど優れた文芸批判であろうともですね
多分社会批判もあると思うんですけど、同じだと思うんですよ。
いわゆる批判精神とか批判能力とかっていうやつですよね。
そういう風に言われるぐらいだから批判っていいことだと思われてるじゃないですか。
でも私はですね、昨日思ったんですよね。
これはあんまりパチンコと変わらない気がする。
しかもその批判が絶望を鋭く批判してですね
たまに大いにもてはやされたり、もしかすると何とか賞とかを取ったりする可能性もあるじゃないですか。
それってパチンコの大当たりとよく似てると思うんですよね。
その人の抱えているストレスとかをその瞬間に一気に解消できる上に
その強化の報酬ってランダムにしか来ないですよね。
かけば毎回賞が取れるような人もいるかもしれないけど
そうは言ってもやっぱりランダムだと思うんですよ。
自分の能力次第でその批判がもてはやされるかどうかが決定されるというので
取った人にしてみると大変気持ちがいいですね。
そういう風にしてその人が怒りの世界にのめり込んでいって
そう簡単には足を洗えないと言いますか、離脱できない。
離脱症状が出かねない。
書くのをやめると奥さん殴りたくなるとかね。
ありえなくはないような気がしたというあたりがですね
ちょっとグッドバイブス的だよなと。
つまりこの一切の批判を封じるということと
分離の選択を避ける。
批判って完全に分離ですよね。
怒りも分離ですけど。
分離の選択を避けるっていうのは
最終的には結局一つ意識っていう話に
つながっていくはずなんですけれども
そのところまでいかなくてもですね
結局ギャンブルとかもそうですし
依存は何を一番恐れるべきだと
臨床心理の世界で言うかというと孤独なんですよ。
依存は人を孤独にさせるんですよ。
で、孤独にさせ…
孤独に…もう孤独の度がひどくなって
完全に孤独になってしまった
依存症の人というものはですね
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助かりようがないんですよね。
もう刑務所に行くしかないみたいな世界になってしまうんで
それはやっぱりこう…確かに
それは臨床の世界では分離とか一つ意識とは言いませんけれども
社会的支援とかそういう言葉の表現取りますが
結局でも同じことになっていくんだなということですよね。
怒りまくればその人が孤独になるのは
仕方がないところがあるじゃないですか。
で、怒りまくってその人が孤独になっていくという構図と
ギャンブルをしまくってその人が孤独になっていくという構図が
全然関係ないことのようなんですけれども
どっちもですね、ストレス解消から始まる依存症であって
依存症というものは人を孤立させていくという
そういう教科書にも書いてあるようなことっていうのが
なんで起こるのかというのをグッドバイブス的に説明すると
こういう感じになるのかなという話でした。