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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
最近思うところがありまして、
クレームというものを読み漁ってみたんですよ。
過去に私がいただいた、私だけじゃないけど、いただいたクレームみたいなものを
記録があるだけ読み直してみようと思って、読み直してみてですね。
ふと思い当たったことがあったんですね。
一つは、これがもう一つで全部ですが、
事実の誤認が必ず含まれている、例外がないということがあるんです。
これはちょっと調べれば誤認であることがすぐに分かるレベルの誤認で、
微妙だなとかグレーだなって言うんではないんですよ。
事実でないことがそこに挟まっている。
これは非常にですね、面白いなと僕は思ったんですよね。
ものを書いている人って、そこはあえてっていう人もいるんで、
例外はあるんですが、基本的には事実誤認って避けたがるんですよ。
突っ込まれるんで。
クレームって長くっても一万字とかまずないんですね。
そうすると、そう長くない文章の中にはっきりとした事実誤認があった場合、
結構気になると思うんですよ、ものを書く人である場合。
これはどういうことかというと、調べたくないというのもあるんですが、
ふとですね、事実誤認のことについてよく読んでいくとですね、
これは調べたくないというよりは、
ここをちゃんと見たくないっていうやつだなって思うんですね。
真っ先に僕がその事実誤認から連想するのが欲圧なんですよ。
欲圧ってすごい微妙な概念なんですよ、フロイトの欲圧ですね。
話がすぐに脱線するのがこれのいいところなのかどうなのか分かりませんが、
まだ脱線じゃないんだけど、欲圧。
1歳以前の記憶って害してないじゃないですか、子供は。
普通の人はない、まずないと思うんですね。
言葉がないからだと僕は思うんですが、
フロイトは欲圧の結果という風に見出したんですよね、最初の頃は。
そのことは夢判断とか読んでいただくとすぐ出てくるんですが、
明らかに覚えていないと。
記憶を欲圧してるからだって書いてあって、
私最初そこを読んだのは高校生の頃だと思うんですけど、
行天したんですよね、どう考えてもそうじゃないだろうって思ったんですよ。
全人類と言ってもいいぐらい、2,3歳、4歳未満は基本ないですよね、記憶ほとんど。
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それは欲圧の結果であると。
思い出したくないことがそこにあるからだと。
それが要するにお母さんとエッチしたくて、
お父さんにちんちん切られるみたいなことが怖くて欲圧してるみたいな話になってくるんですけど、
これだけでも相当フロイトの評判が悪かったのはよくわかる話ですよね。
エディプスコンプレックスは大事な概念だと思うんですけど、
そして欲圧もすごい大事な概念だと思うんですけど、
この二つをこういう風に結びつけられてみると、
当時でさえ納得のいく理屈じゃないなと思われたと思うんですよ。
でも欲圧っていうのは嫌なことを思い出したくないっていうのは、
微妙に僕たちは頻繁に経験してると思うんですね。
フロイトの理屈の中でも非常に、
あの人はやっぱりあれを物理学みたいなもので、
例外のないものにしようしようと頑張ってた気配がちょっと感じられるので、
あとあれですよね、時代が時代ですんで、
1900年より前みたいな、まだいろんなことが全然わかってない時代には、
しょうがない面も多々あると思うんですけど、
要するにこの欲圧というのは、
クレジットカードの例えば、使いすぎたお金とかを、
ウェイサイを見たくないぜみたいな、
そういうことかなと思うんですね、欲圧というのは。
見よと見まいとそこに事実あるし、
それも結果じゃないですか。
だからこの欲圧というのが大変面白いと思うのはですね、
実際にそれを意識するかしないかによって、
結果は変わらないわけですよね。
この子供の頃の恥ずかしい思い出にしてもそうで、
それに直面しようと向き合おうと向き合うまいと、
結果は変わらないわけですよね。
それは心理的な負担を軽減したいという理由で欲圧する、
あるいはもう思い出さないということになるんでしょうけれども、
思い出そうと思い出すまいと、
それはもう起こってしまったことのはずなんですよね、欲圧というのは。
これから起こることを欲圧とは言わないので、
この話の面白いのは、
そういう2歳児の頃の話はともかくとしても、
そういうことは確かにあり得るということを、
多分みんな意識していると思うんですよ。
さっきのクレームの話から入ったのはですね、
クレームを出してきている人には、
この欲圧的な心理が見え隠れするんですよ、その文章から。
ここに直面したくないっていうようなことがザラにあるから、
2つ5人が混ざっちゃうんだと思うんですね。
事実っていうのは大体過去に起きたことなので、
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欲圧しているとは思えないんですけど、
その人にとっての必ずしもミスじゃないしね、
私の側のミスだったりするわけですから。
でも、人のであれ自分のであれですね、
欲圧したいという意識が働くと、
どうしても事実の確認というものを怠るというよりは、
意識的に避けますよね。
こういうことがあるんだろうなと。
これ、事実確認するのは簡単なことなんですが、
簡単というのはあくまでも手続き的な話であって、
心理的にはそうではないと、負担になる。
だからそのようなことはしたくないので、
結果として事実5人が挟まりやすくなる
というようなことが何となく感じられたんですよ。
私、最近一つやってないことがあるんですね。
今日のテーマは基本的にはこれなんですが、
ずっと最近ノープラン、ノープラン言ってきてるじゃないですか。
ノープランのセミナーが来週土曜にありますので、
よろしかったらぜひチェックしていただきたいんですが、
グッドワイブズ勉強会の第5回ですね、ノープラン。
このノープランという話をしていますが、
私同時にノーレビューというのを自分の中ではやってるんですね。
こっちはあんまり言わないのはですね、
そもそも人はレビューってあんまりしないんですよ。
プランは好きですけど、レビューって大して好きじゃないと思うんですね。
過去にあったことは結局、さっき言った通り動かしがたいので、
見直してそれを何かの改善に役立てるということが、
ここが仕事の橋本さんのお箱ですが、
大概の人はこれをレビューしましょうという話は山のようにされてもプランするわけですね。
このレビューを私は最近してないんですよ。
記録がめんめんとあるんだけど、見直すことはほぼないと。
だから実は自分の中ではノープラン、ノーレビューなんですが、
ノープランは多分なかなか厳しいので、
結構言ってるわけですよね、ノープラン。
ノーレビューは多分そもそもレビューしてる人少ないから、
あんまり強調して言うところでもないからみたいなのがあるわけですよ。
で、なんで私が最近レビューしないんだろうと、
自分の中のことなんでそれはわかってるんですが、
最近ですね、私はその抑圧ということをすごく意識するようになっていて、
何かというとその抑圧を避けるようにというか、
抑圧しないように、嫌なことがあったらとことんそれに入っていこうと。
これは別にですね、嫌なことに向き合おうとか、
最初はそういうことになっちゃうんですが、
ストイシズムでやってるわけじゃなくて、
実はよく頑張ってみていくとですね、
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嫌なことってだいたいないんですよ。
これはイリュージョンみたいな話なんですけど、
よくそれを紐解いていくとですね、
ほとんどが忌みづけの方向で、
忌みづけを一個一個外していくとですね、
嫌なことって消えちゃうんですね。
これが大変気分的にいいものだから、
常にこれをやるようにしてるんですよ。
努力は、一定の努力はいるんですけどね、
でもやるだけの価値はあるんです、これ。
嫌なことがなくなっていくんですよね、人生の中で。
これをやってる関係情報とですね、
レビューというものとは違うんですよね。
これをレビューと言うんだったら、
そう言ってもいいと思うんですけど、
記録を見るところじゃないんですよ。
記憶を探っていくんですね。
そうじゃないと意味ないんですね。
記録というのは、忌みづけは入りにくいものなので、
忌みづけ入っちゃうんですけどね、記録にも。
でもやっぱり事実の記録に徹するじゃないですか。
だから視点がどうしてもニュートラルになりますよね。
それは大変いいことなんだけど、
一方で抑圧って私たちはやっぱりしちゃうんですよね。
つまりそれは嫌なことだという意識を持ちながら
記憶に残していくってことをするんですよね。
これは記録に残りようがないんですよ。
この嫌なことというのは、まとわりついている感じなんで、
ここを記録しないんですよね、わざわざ。
非常に記録もしにくいものですし、
紙に書いてしまうと変化してしまって、
その嫌な記憶、それ自体は完全な形では残らないんですよね。
非常に微妙な話をしているようなんだけれども、
クレジットカードの迷彩がそうじゃないですか。
迷彩そのものにホラー感があるわけじゃないですよね。
ホラー感はつけているものですよね。
よくそれに向き合ってみると、そのホラー感って消えていくんです。
私はこれを記憶でやるべきだと思うんですね。
なぜならば、記憶の中にあるからなんですよ、そのホラー感そのものは。
多分、何か、どんなことでもいいんですけど、
意味付けしているものですよね。
ああいうところ嫌だな、みたいな。
このああいうところ嫌だな、みたいなものに入っていく感じで、
向き合って分析していくんですね。
そうすると、そんなものはなかったりするということが頻繁にあって、
私これをやるようになったから、多分レビューしなくなったんだと思うんですね。
改善とかをする必要がないんです。
嫌なことがあったりするものがないから。
改善というのは、悪いものを改善するわけじゃないですか。
修正するとか。
修正するっていうのはグッドバイオスにもあるんだけど、
これはその文脈たちと違って、
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ある時間における出来事が良くないというものを改善するわけですよね。
でも良くないということが意味付けであって、
イリュージョンであるならば、
それを改善する必要って一切発生しないんですね。
だからこのレビューというものが、
私の活動からは消滅したんだなと最近思うわけです。
ノープランだからノーレビューなんですけどね、必然的に。
必然的に。
なぜならば活かすべきプランがどこにもないのに、
レビューだけ改善のためにやらないじゃないですか。
思い入れに浸るとかは別ですよ。
私はあれは別に全然良いと思うんですけど、
レビューとは言わないと思うんですよ。
写真眺めるとかね、そういうことはします。
そういうのではなくて、
何かに活用するレビューっていうのはしないという感じなんですね。
これは抑圧しているものとはまた別なんですよ。
抑圧というのは実はですね、今ここでやるんですね。
そこを通り過ぎたいと。
蜂の巣の横を通り過ぎたいみたいな感じですよ。
今そこにあるじゃないですか、蜂の巣というのはね。
蜂の巣に近づいちゃダメなんですけど、
記憶の中の蜂の巣みたいなのはあるんですよ。
そこに近づいていくと消えるんですよね。
あれを消していくというのが非常にグッドワイブス的に有効だと。
最近つくづく思うようになったんです。
本当に嫌だと思っていたことも、実は全然嫌じゃない。
これ変な話な気もするんですけどね。
本当に嫌だと思っていたことが全然嫌じゃないというのは、
それはそれを好きになるとかではないんですよ。
それはないんですね。
何かあると思っていたもの。
近づかずに遠くから見ると確かにあると思えるんだけど、
近づいていくとなくなってしまう。
そういうことがあるんです。
それはヒロイトが抑圧と呼んだものにとてもよく似ている感じがするんです。
そういうことが幼児期にあったケースもあると思うんですよ。
これがやっぱり精神分析だなと思います。
それって大変じゃないですか、二つの理由で。
一つはそもそも思い出したくないことだから。
もう一つは、そもそも覚えていない恐れがあることだから。
昔のことですからね。
そういう意味で、近づいていくことによって消えてなくなってしまうものを
自分は一生懸命今、それに出くわしたら頑張ってやるようにしているわけです。
これをやるということは、レビューが必要なくなるということと
僕の中ではイコールのことなので、
つまり現実というのは改善の余地がないはずなので、
もしそれがどうしても受け入れられないと思ったら、
そこには意味付けとイリュージョンが必ずあるはずなんですね。
これは論理ですけど、グッドバイブス的な論理ですけど、
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現実には抑圧していることが私の中にあると、あるいはあったと。
あったという方がはるかに多いですけれども、
抑圧している普段の意識、
だからやっぱりフロイトっていうのはその辺すごいなと思うんですけど、
普段は意識しきれてないんですよ。
それが嫌だということは、
普段は意識しきれてないんですけども、
不意にあれ嫌だなぁみたいに現れるわけですね。
あれが何か引っかかってるなっていう、
ちょっとGTDみたいじゃないですか。
気になることってやつですね。
私はそれを書き出したりしたくないというか、
書き出したりすることにあまり意味を認められないと思ってるんですね。
今、書き出すというのは扱いやすくするという意味なんですよ。
それをやるとダメな気がするんです。
扱いにくさこそが最大のポイントで、
だからこれを皆さん、人にお勧めはしたくはないんですけど、
自分としては気持ち悪さのまま入っていかないと、
あんまり意味がなくなってしまう。
さっき言ったレビューと違うというのは、そういう意味なんですよね。
この嫌だという気持ち、これが大事なんですよ。
この嫌だという気持ちそのものに向かっていくというか、
近づいていかないと意味のないものになってしまう。
やっぱり書き出すと薄まるんですよ。どうしたって。
誠実に書き出すとかそういう話ではなくて、
誠実だったら書き出すよりもやっぱりですね、
それを見つめるというか、味わうというか、
そっちに向かっていかないとどうしようもないんですよね。
私の場合は、奥さんとのこととかが多いですよね。
お金のこととかね。
そこに嫌な気持ちにマッシュグラに行くと、
とにかく思い起こすわけですね。
詳細に思い起こす。
書き出すというのはどこか逃げている感じがあるんですよ。
詳細に思い起こしたくないから、
その代わりにできることをしましょうという感じがあるんですね。
書き出しているときのほうがよっぽど簡単でしたもん。
正直にやっているつもりでいい。
正直にやっているつもりになりながら書き出すという。
非常に簡単でした。一番嫌なのはやっぱりですね、
意識のど真ん中にそれを持ってきて、
とことんしゃぶり尽くすみたいなのが一番嫌なんですよ。
味わいたくないものをひたすら味わうような感じになるんで。
ところが、こういうとさぞ苦行みたいなことをやっているように思われるんでしょうけど、
ここに大きなポイントがあるんですね。
味わえないんですよ。なぜならそれはないから。
こういう感覚になれば、つまり書き出すというのはもう一つの意味でおかしいんですよ。
ないものは書き出せないじゃないですか。
あると思っているから書けるわけですよね。
で、書いちゃうとそれは少なくとも書いた事実としては残りますよね。
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ところが、最大のポイントはないということなんですよ。
味わおうとしてみると、一切消滅する事実はあるんですよ。
でももはや、さっきまで自分がそれを事実だと思っていたような事実はないんですよ。
それは非常に、何と言えばいいのか非常に難しいですが、
さっきまでこれは腐ったリンゴだと思っていたものが、実はボールでしたみたいな感じなんですね。
これを実際に向き合うために腐ったリンゴの写真を撮るとかをするのがレビューっぽさなんですよ。
そうすると写ってしまうんですよね、それが。
本当は写らないですけどね、記憶だから。
そういうことをしてしまうと何かをやり損なう感じがあって、
私はこれを一切やめています、今は。
要するに今記録と私が言っているものって、今今じゃなきゃ絶対ダメなんですよ。
もう今今取り損ねたら取らないことにしています。
ただ、私はたまたまタスク修道でずっとある種の訓練をしてきたような形になったので、
今今の記録を落とすってことは、しようと思う限りはないんですよ。
でも今今で取れないならば、もう取らない。
ちょっと前のを振り返って記録するということは一切やらないんですね。
Googleタイムラインみたいなのを使えばある程度保管できるんですけど、
一般にタスク修道をやるっていう方にはそういうやり方はお勧めしますが、
自分じゃもう絶対やらないです。
それは記録では、僕の中ではもうない。
それはただ記憶をレビューしているだけであって、記録にならないと思うんですね。
この場合の記録というのは、もう今今の記録そのものでないとあんまり意味がないような気がしています。
レビューということではなくて、要するに抑圧していったら、
多分そこには心肌を恐れることが抑圧なんだと、そういう気がします。
多分これはこうやって抽象的に言うと、なんとなく受け入れられる人もいるかもしれないし、
意味不明だと思われることもあると思いますが、
実際にやるとなると結構嫌なものだろうなと思います。
本当にこれも言いにくい話でもしかもあります。
つまりトラウマになっている出来事というものを再評価するというのは、
抵抗が強いんですよね。
絶対そういうことになると思うんですよ。
例えば私の妹なりに、私にいじめられた記憶は、
実は抑圧ですと言うと絶対腹を立たすし、めちゃくちゃ怒るし、喧嘩になっちゃうと思うんですね。
お前は何を都合のいいことをって話に絶対なると思うんですよ。
でも間違いなくそうだなというのが最近の私の感じ方なんです。
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いろんなのがありますよね。
親のとか、昔の友達とか、嫌な思い出というのがいっぱいありますよね。
全部なくなる。
そうなって、そうしたくこの話にどうしても戻ってくるんですけどね。
どうしてもいつも同じところに行っている気がします。
言葉ってそうなっちゃうんだなと思うんですよね。
復讐心が満たされないという問題に最後は戻ってくるんですけれども、
もともとが蜃気楼であるならば復讐心は生じない。
ただそれはでも自分のあっていうふうに思うじゃないですか。
私だってまだ溶けてないやつに関してはそう思っています。
予感はあるんですけれども、全部全く蜃気楼である予感はあるんですけれども、
こう思えると全然違いますけれども、
何かしらそこには事実誤認が挟まっております。
これだけはもう確実ですね。
事実誤認が一個挟まっている記憶というのは、
その事実誤認を修正すると崩壊するので、
これは私はクレームを出す方が事実誤認をそのままにする理由だと思うんですけれども、
これが抑圧であり、記憶喪失は言い過ぎですけれども、
でも事実でないものを記憶しているという意味においては、
それはもう記憶にはなっていないわけですから、
それが記憶だとも言えなくはないですけどね。
この辺はやっぱり込み入ってますよね。
話をしてみるとそういうふうに思います。
12日のノープランなんですけれども、
そして4期のノープランライティングなんですけれども、
つまりプランに沿って書くと、
さっきの私が言っていたレビューになっちゃうんですよ。
だからダメなんです。
これは確信を、このことを考えているうちに得たんですけど、
確信を得ました。
つまりプランというのは過去のものじゃないですか。
非常に不思議に聞こえちゃうのは、
これは人間の観念のからくりなんですよ。
昨日立てた今日のプランはどう考えても過去のものじゃないですか。
未来思考とか未来というものを数値上に直線で表すということをやるから、
そういうものがさも現実にあるかのように思う、
そういう思い込みの上に作った、これはからくりなんですね。
1年後にやることを想定する、つまり未来計画というものを書きますよね。
それを2年後に見たらそれは過去のものじゃないですか。
どんな場合でもこの例に漏れはないはずで、
プランを書くということは既にそれはレビューなんですよ、間違いなく。
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どう考えても過去に知っている言葉を使って、
過去の経験をもとにこれからやることの行動を記述するということは、
それの日付が例えば1万年後になっていようとも過去のことに決まっているんですよ。
記憶しているものしか書けないわけですからね、その時には。
それをもとに本を書くとか行動を起こすということはレビューになっちゃうじゃないですか。
過去のことをもとにして何かを書いているわけですから。
そこには事実誤認が含まれているに決まっていますよね。
だって未来についての事実というものは記載できないわけですからね。
だから未来について何かを書いて、それをもとに文章を書いてしまうと、
それはさっきの私のレビューそっくりになっていくと思うんです。
それが多分後になって文章がまとまらなくなるおそらく最大の原因になるんだと思います。
そのようなレビューをもとに本一冊書くというのは至難の技であるかほぼ無理であるかのどっちかで、
これにすれば簡単だと思うのは何かに引っ掛かっている感じがしますね。
引っ掛け問題に引っ掛かっている感じがあります。
これをしないためにはさっき私が抑圧というものが心機能であったように、
今度は逆にならなきゃいけないんですけれども、心機能を書いていっちゃダメだと思うんですよね。
心機能を書いていくといずれそれが消えてしまいますし、
さっきの事実誤認が挟まっていないとクレームを出せないという話があったように、
つまりそれはクレームを書くときと同じなんですよ。
事実誤認をもとに作る話なので、もしそれが書けてしまうと、
その手紙自体多分成り立たなくなるので出せなくなるでしょうね、普通に考えてみると。
書いていて面白くもなんともなくなると思うので、
この現象とほぼ同じ現象がプランを中心に文章を組み立てたときには出来上がっていくと思うんですよ。
その中のいくつかが、これは整合性がおかしくなっていると思って引っこ抜くと文章崩壊するので、
これが多分原因で書けなくなるんだと思うんですね。
だからプランを作ってから文章を書くというのは無理だという話になっているんだと思うんです。
さまざま拡散してきたんですけれども、
要するに嫌なことというのは実はほぼほぼなくせると、
最近これは気づいた一つの割と大きな出来事だったわけです。
脳内にあるものを、これは新記録、それは新記録とやると消えていくんですよ。
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そうすると嫌なことって全部消えていくんですよ、実は。
非常に変なんですけどね、これはね。
ついでに一つ発見したことがありまして、こうやって消していくじゃないですか。
そうすると一つすごい大きな事実に気づいたんですよね。
さっきまで自分は頭痛があったということに気づくんですよ。
これはもうほとんど迷妻ものだと思って聞いていただいて結構です。
別に私頭痛持ちじゃないと思ってますし、
これで頭痛が治るという話をする気も全くありませんけれども、
嫌なこと、抑圧している記憶というものが消滅するとですね、
一つ頭痛が減るんです。
ただしこの頭痛、さっきまで認識していなかったんで痛みとしては、
消えて初めて痛んでいたんだということを知るみたいな感じなんですね。
非常に驚きます。
いろんな意味で自分で自分を苦しめるって、
人間はすごいレベルでやれるものだと思いますね。
フロイドが無意識、無意識とあれほど口うるさく言っていた理由が、
口うるさくはないけど、分かるような気がします。
無意識に抑圧している。
もうそのことを彼は、その論理は完全なものではなかったと思うんですけど、
いかにそれを取り除くことが重大かということは、
あの人があんなに言っていたのは、こういうことなんだなと。
なんて言うんですかね、あるじゃないですか、
孫悟空がなんか占められているあれ。
あれが一個一個取れていくような感じなんだと思うんですよね。
あれ、もう多分、それがトレの膜みたいになっている僕は、
あれ、あることも忘れていることがしょっちゅうだと思います。
あれ、あることも忘れていることがしょっちゅうだと思うんですよ。
取れてみることを思い出すじゃないですか。
あんなものがあったということをですね。
まさにそんな感じで、頭痛は僕はないけれども、
人によってはですね、頭痛というものが心肌による苦しみであって、
それは抑圧されている記憶であって、
実際にそれはしかし、事実でも何でもなく、
もしかすると記憶でも何でもない可能性があるということなんです。
ただこれは今言った通りで、
じゃあこうやって抑圧している記憶に向き合って、
それを一つ一つ手放していけば頭痛がなくなっていきますという話ができるかというと、
そういう話はできません。
ありがとうございます。