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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
時間が遅くなっているのはですね、今日はわけあって、家事に関してかなりことごとくやってから、この収録に入ったからなんですが、
とはいえ、これを続けるな自分と思ったんですね。
今日はちょっと続けるということについてお話ししようと思うんですが、
まず、習慣で続けることってありますよね。
私はよくネズミのレバー倒しの話をしますけれども、要するに行動、学習行動というやつですね。
あれはなくはないんですよ。 でも私はブログの習慣化とかは信じちゃいないんですよ、全く。
つまりそれは、私の考えでは、学習行動というのは、今庭に蝶々が来上がっているんですけど、
来上がっているというのはですね、卵を産んでいくわけですが、そうすると、植えている葉っぱが穴だらけになるというか、一歩間違うと全滅するんですね。
蝶々の幼虫というのは、すごい飲み欲なんですよ、実は。
なぜこれを今喋ったかというと、もちろん蝶々が目の前を飛んでいったからなんですけど、
この種の行動は概ね学習されているわけですね。
つまり報酬があるわけです。
そうすると、じゃあブログを書くとどんな報酬があるのかっていろいろ言うじゃないですか。
ないと僕は思っているんですね。
例えばこのポッドキャストの報酬はないと僕は思うんですよ。
だから報酬で続けようというのは懸命じゃないと思っております。
いろんなことを言うんですよ。
習慣化が大事っていうところから。
でもそれは、たぶん習慣化がいろんなことは言わないんだよな。
多くの方がそう言っているという話であって。
習慣化が楽だっていう風に考えちゃうんですね。
確かに習慣化って楽なんですけれども、そこには多分スキルアップするから楽だっていう部分が圧倒的なんですね。
例えば運転。
運転というのは最初超大変です。
だからペーパードライバーっていう人が現れるわけですけれども、最初大変なんですよ。
でも10年もやっていれば楽勝になります。
だからこれを習慣化とごっちゃにしてしまって、習慣化にはスキルアップって付きものなので、習慣化すれば楽になるというわけですよね。
でも私はブログを書くのは、はっきり言ってそのレベルでは絶対楽にならないと思うんですよ。
03:05
なぜならばその話って文章を書くのが大変だった人が、例えば5歳児とかが20歳になれば楽々書けるようになりますっていう話と変わらなくて、
ブログを5歳から始めたんならそういうことも言えるでしょうけれども、
ブログを30歳から始めた人は多分楽にはなるぐらいスキルはアップするでしょうけれども、
絶対それは運転のレベルにならないんですよね。最初が上手いんですって。
ポッドキャストも同じなんです。確かに1回目に比べればこなれますよね。
でもそれは微々たるものであって、この楽になるという、ただそれだけが理由ではですね、これ続かないんですよね。
だからこれは報酬というものは、この種の報酬はないわけではないけれども、それを使って習慣化しようというのは絶対無理だと自分は思います。
つまり今この時間に僕がこれを喋っているのは、習慣化の恩恵とはあんまり関係ないですね。
多分それだけを頼りにしていたらどっかで途切れると思いますね。途切れるんですけどね、これは。
で、習慣化はダメなんで、つまり報酬は大して当てにならないということになってくると、あと何だろうと。
お金になっていないので、金銭的な理由、つまりビジネスで続けているとも言いがたいわけです。
それはビジネス化しようと思えば全くできないわけではないんですけど、現にCMとかしてるじゃないですか。
だから全く無関係ではないんですけど、これもですね、微々たるもので、というのも毎日うなぎ登りに視聴者数が上がっていくとかって全然起きてないですから。
むしろ何か、離限する状況って現れるんですよ。
こういうの何歩やってると、すごい上手な方は別だと思うんですけれども、すごい上手な方でもやっぱり数字が大きくなるだけで、こういう状態ってあるんじゃないのかな、何て言いましたっけ、丘っていうやつですよね。
丘に来るわけですよ。
丘に来ちゃいけないという風に考える方は、つまり登ってい続けるモチベーション、右肩上がりというものを目にするモチベーションが大事っていうわけですよね。
それだと丘が来たらやんなくなるじゃないですか。
僕はもう丘が2年くらい続いている感じなんで、丘が来たらやんなくなるなら、もうとっくにやめてるんですよね、普通のその観念なら。
これを話しているとだんだん、私はただの異常者になってしまうんですが、私はそうじゃないと思うんですよね。
ポッドキャストを続けている人の中には、僕みたいな人はいっぱいいると思うんです。
みんな異常者だっていう観点もなくはないと思うんですけど、僕はそれは説明になっていないと思うんで、
報酬と習慣化ではないとまず思うのと、右肩上がりだから続くものでもないと思う。
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つまり違う理由があるはずなんですね。
で、それ何なんだろうと思って、6月12日にノープランというお話を倉園圭三さんにいただくことになるわけですけれども、
これはしてねって言ったからしていただくもんじゃないんですけどね、倉園さんが決めたので、ノープラン。
で、ノープランというのは最近思うんですけれども、鍵だなとは思っています。
まずこれは私はノープランじゃなければもう明らかに挫折してきたので、
ネタ絶対に切れるじゃないですか、もう明らかに切れてるじゃないですか。
なぜ喋っていられるのかというと、ネタで喋っているわけではないから喋っていられるわけですね。
ネタの問題じゃないんですよ。
あと、プランは論外ですね。
なぜならば、プランというのはそもそもこういうものについてどうやって立てるのか。
例えば、多分ほとんどの人はそうすると思うんですけども、
もしこれが平日、日間でやりますということになってくると、月、火、水、木、金と5つネタを用意すると思うんですよ。
これをプランと呼ぶんですよね、私たちは。
つまりプランというのは、先に何かを考える時間を確保して考えておけば、
あとになってそれに直面して困ることはなくなるよって話なんです。
でもこれは、この種の永遠に続けるのか、それとも明日にもやめるのかわからないようなものについてはですね、
私たちは決してこれを真剣にやることはしないんですよ。
だって何かの報酬にならない、ビジネスに役に立つとも限らない、
そしていつまで続ければいいのかもわからないのに、ネタ絶対途中で切れることはもう原理的に明白だと思うんですね。
事前に1,000個考えておこうと2,000個考えておこうと、まずそんなことはできないんですけどね。
全部無駄になるかもしれないじゃないですか。私たちはそういうことはできないと思うんですよ。
2,000個考えて全部無駄になるかもしれないけど、2,000個真剣に考えろよって言って、考えそうな人あんまりいないじゃないですか。
さっきの話と同じですよね。一部、特殊な人はそういうことがするかもしれないけど、
普通に考えれば多分そういうことではできないんですよね。
2,000個考えました。真剣に考えてすげえいいネタだけど1個も使えませんでした。ありえなくはないんですよ。
そういうことを僕らは真剣にはやらないと思うんですね。2,000個考えるのに多分20時間くらいかかりますから。
そして20時間かけたからといって2,000個考えつくと限りませんからね。今日390回目じゃないですか。
その前からポッドキャストやってたんでネタ1,000個くらいはいるんですよ、実質的には。
そのネタが1,000個をかぶらないようにするなんてもうナンセンスで絶対無理ですね。
だからこれを考えておけば安心だというのは間違ってるんです。
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土曜日に考えておけばいいじゃんっていう人もいらっしゃると思うんですけど、
やってみれば必ずわかりますがそんなことはやらなくなります。
土曜日に週次レビューとかね、土曜日にネタを充填とかいろんなことやってみると、
土曜日1日中かけてもネタ全部集まらないんですよ。
レビューも全部しきらないんですよ。
そしてしかもできることといったら土曜日1日かけてネタ収集とレビューばっかりっていう人生になっちゃうんですよ。
そこに奥さんがですね、塾に送ってってね、子供のことを雨降ってるからとか言うんですよ。
そしてこう、いや俺はネタを考えなきゃいけないとか言って喧嘩するんじゃないですか。
この人生絶対避けたいと僕なら思いますね。
すっごい虚しい感じがしますね。
使わないかもしれないネタを考えるために娘にどっかに送るのは渋って奥さんと喧嘩するってナンセンスな気がするんですよ。
ところがこれ、えーとですね、今このように喋るとただのコントみたいになっちゃいますけれども、
実際にこういう訴えってあちこちでなされていて、
多分、僕は知らないですけど実例を、世の中にはこれが理由で別居するっていう人もいらっしゃるんですよ。
きっといると思うんですよね。
これと全く同じではないと思いますよ。
でも、えーと、例えばこれが1本5000円の連載を書くためにネタを考えてGTDの収集レビューをやんなきゃ自分は絶対人生ダメになるんだって考えていらっしゃる方いると思うんですよ。
そういう方が私と同じように、往復わずか12分の娘の送迎なんですけどね、
これをやる時間を惜しいと感じるというかありうるし、そして実際にもう1週間口を聞かなくなると、
こんな状態に耐えるくらいならあいつを追い出そうと、不思議じゃないんですよね、こういうことって起こるんですよ。
私はそういうことを起こしかねない人間だったとつくづく思うので、めちゃくちゃ気をつけてるんですよね。
この種のネタを重点事前にするとか、計画を立てておくとか、セミナーのことを考えておくとか、一切やめるようにしてるんです。
一切やめてみても、結構今このグッドモーニングバイブスが10時になってるように、なかなかやることってあるわけですね。
だから危険極まりないと思うんですよ、そういうことばっかりやってたら。
そしてそれは役に立つとは限らないっていう、このことも忘れちゃいけないと思うんですよ。
これはグッドバイブス的な話ではないです。
グッドバイブスでもそういう話もしないわけじゃないけど、ブログ書いてればみんな知ってることですよ。
ネタなんて役に立たないじゃないですか。
役に立つネタもありますよ。
でも多分1000個考えておけば1000個使えるかというと非常に疑わしい。
1000個考えつくのに使う時間はかなり長いですよ。
12:02
とっても退屈ですし、それは。
やめたほうがいいと思うんですよね。
そんなことでは続かないです、あの種のものは。
現に私ブログ書くのはもう今停止していますね。
これがブログだと今思って喋っているわけですけれども、要するに入れ替わったわけですね。
この辺にもヒントがあるんです。
よく喋る方がずっと楽だからって言う方もいらっしゃるじゃないですか。
それも一理あると思うんですけど、私はそういうのは当たらないんですよ。
ことを書くことと喋ることを比較してみた場合、
早いですよ喋る方が。
でも喋る方が書くのと比べて楽かと言われると、
100対99ぐらいでは楽ですね、というぐらいの差なんですよ。
こっちだったら絶対楽で二度と書く方には戻れないなってことでは全然ないんです。
現に私本を書いていて、本を書くのはブログ書くよりずっと大変ですから、
それを比較してみると本を書くのがもし喋ることによって本を書く分ぐらい稼げるようになったら、
本を書くの止まるかと言うと僕は止まらないんですよ。
だからこれは楽だから続いているわけでは全然ないですね。
楽という意味ではブログなんて楽です、私からすれば。
あれを書くのに苦労は別にないんで。
これの99ぐらいの100ぐらいは苦労しますよ。
でもこれが続くんだったらその楽でブログが続くんだら続きます、別に。
そうやって考えていくと楽だからじゃないし、
習慣化じゃないし、ビジネスだからではないし、報酬もないんですよ。
異常だからだとは思わないんですよ。
性格はあると思いますけどね。
なんで続くんだろうというか、なんで今日もやっているんだろうとさっき考えてたんですね。
ノープランなのは非常に間違いないところです。
ノープランにすれば続かないことはもしかすると、
これはライフワーク的な話ですね。
習慣化にしたいことがあったらノープランでやるのはすごい大事だと僕は思います。
特にこの種のことはね。
情報発信とか言われているもの、情報発信じゃないなって思うんですけどね。
情報ないじゃないですか、この中に。
聞き続けていられる方はどうしてなのかっていうのを一度考えてみていただきたいんですね。
情報じゃないですよね、これは。
どう考えても情報としての役にはほとんど立たないと思うんです。
なんか理由があるはずなんですよ。
もちろん皆さん違うと思いますよ。
私がこれを今日もできたのは、
一つの理由としては、
これをたぶんグッドワイブスでは偉いと呼ぶんですが、
私の中ではほんのりとした義務感っていう感じなんですね。
義務感っていうことはすごい嫌われていて、
義務じゃないってみんなおっしゃるんですけど、
僕は大体のことはほんのり義務感なんですよね。
15:03
もしかすると食事すらそうなんですよ。
ほんのり義務感なんですよ。
食べるのすごい好きですけど、
好きなだけでは毎日は食べないと思うんですよね。
寝るのも私極めて好きですが、
たぶん寝るのも好きだと言う、
ただそれだけの理由では毎日は寝ない。
現に毎日寝ない人っていますよね。
毎日寝ないで来てるって言うんじゃないですよ。
たまに徹夜するって人いるじゃないですか。
私は徹夜したことって生涯一度もまだないんですね。
これたぶん僕は義務感を持ってるんだと思うんです。
寝なきゃいけないと心のどこかで思ってるんですよね。
マスト感があるんですよ。
昨日ですね、
倉田さんと収録をしたんですね。
毎週水曜日ではないけど、
時々水曜日。
で、
ヒゲを剃った。
これほんのり義務感なんですよ。
どうしようかなというレベルだったんだけど剃ったんですよ。
私ヒゲを剃るというのは全然好きじゃないんですね。
いかなる意味でも嫌いなんですけど、
剃るんですよ。
これも義務感なんですね。
ほんのりではなくて、
ほぼマスト感でやっているわけです。
嫌いかと言われるとやや嫌いなんですね。
報酬はなくはないですよね。
あれ、なんで私は剃るんだろうっていうのと近いんですよ。
ほんのり義務感に近いんですね。
これが大事かなと思っています。
人が義務という言葉を嫌うのは、
義務というものにまつわる負のイリュージョンがデカいから。
負の意味付けですね。
要するに意味付けは大体負が多いんですけどね。
嫌だということですよね。
これが大きい。
私の静電気みたいなもんです。
負の意味付けがバカデカい。
これが義務感という言葉そのものに関わってくるので、
義務という名がついたものは全部やりたくなくなるから、
可能な限りそれを義務にしちゃダメだって、
多くの方は思っているんですよ。
私は寝るってことは、
義務だ。
少なくとも2、3%は義務だ。
もうちょっとあるな。
15、6%は義務だと思ってるんですね。
嫌な要素は1個もないんですよ。
僕にとっては。
だから義務イコール嫌なわけじゃないって、
このポッドキャストが近いんですね。
ほんのり義務なんですよ。
このほんのり義務が大事だなと時々思うんです。
一切無理だっていう日もあるわけですよ。
一切無理ならこれはアップしないことがありますが、
その時結構アップした方がいいなって思うんですよね。
これが義務なんですよ。
これは習慣じゃないんですね。
18:00
シートベルトがよく言うじゃないですか。
習慣家だから。
やらないと気持ちが悪いと。
あそこまで行けばブログが続くって。
ところが私シートベルトはですね、
義務だからつけてるんだと思うんですね。
多くの方は。
そして、
つけないと気持ち悪いのは、
何か違反してるから。
事実上交通法違反になるんですけど、
今は。
道路交通法違反。マイナス1点。
運転手がマイナス1点かな。
だからつけろって絶対運転手が言いますよね。
あれ、義務。
昔していない時代あったんですよ。
全く。
誰も。ドライバーも。
そんなに大昔じゃないですよ。
私が子供の頃、
あれが義務になったのは、
それこそ、
私が小学生だった時だから。
私幼稚園の時、父してませんでしたよ。
女子席に乗ってる私もしてませんでした。
今思うとすげー危ないんですけど、
その当時、エアバッグついてない車とかっても
あったし、
ついてても開かないとかいうことがありましたからね。
事故った時に。
問題になってたりした気がしますけど。
だから、
そういうものの義務になってるか、
なってないかって、
結構時代によって違ったりするんで、
私たち、
何に義務感を抱くかって、
すごい実は、
本当は主観的じゃないんですけど、
道路交通法だから、
主観的にそれが義務だと思っているか、
いないか。
この主観的に、
義務だと思ったのが、
依頼。
グッドバイブスで言うと、
依頼っていうものと、
すごい実は関係あるなと、
自分は思うんですね。
自分は依頼されたことを、
義務だと思うようになる。
この時に、
負の意味付けを、
それにどれほど付けないかが、
依頼というものを、
自然に果たせるようになる。
かどうかの境目になるなと。
正直、
例えばですけれども、
何でもいいですよね。
このポッドキャストでも、
これが私にとっての静電気みたいなものになったら、
絶対できなくなりますね。
義務であり、
かつああいうものになってしまったら、
アウトですよ。
私にとって一時、
ヒーヤーソルって結構微妙なところまで来た時がある。
でもそれをやると、
ヒゲを剃れなくなっちゃうじゃないですか。
だから、頑張ったんですよ。
負の意味付けしないように。
今思えば、それはグッドワイプス知らなかった時代の話だから、
そういうことって、
自分やってたんだなと思うんですけど、
ヒゲを剃れなくなったら、
結構問題じゃないですか。
お風呂入れなくなるとか、
そういう恐怖症と、
関係があるんだと思うんですね。
だいたい、
静電気って、
おかしいと思われると思うんですけど、
アメリカとかひどいんで、乾燥ひどいですからね。
結構アメリカの時はね、
悩んだんですよ。
例えばエレベーターのボタンとか押せないんですね。
21:00
あれ絶対来るんですよ。
アメリカだったら。
特にネバダ州とかは。
あそこ砂漠地帯でひどいんですよね。
絶対にエレベーターのボタン押すと、
静電気来るから、
階段で行こうとかって思っちゃうんですよ。
もうやや病気的なんですよね。
ところが階段に、
登るためにはね、
階段の扉を開けると、
手を触らなきゃならないんですよ。
それも絶対来るんですよ。
こうしてホテルに泊まるときに、
客室に行けない人みたいなのができちゃうんですよね。
なんとかしたんですけれども、
負の意味づけって怖いんですよ。
結構。
怖いところまで行くと。
義務に負の意味づけを必ずしちゃうっていうことってあって、
私一時そういう時代が、
だいぶ若い頃にあって、
仕事というものができなくなっちゃうんですね。
仕事全部義務だから。
義務には負の意味がついてるんで、
触りたくないわけですよね。
これを考えてみると、
逆に言うと、
義務に負の意味づけをつけなければ、
かなりのことは、
一応、結果としてですよ。
結果としては習慣化できるんですね。
で、この、
義務に負の意味をつけないために、
ノープランは大事なんです。
プランを、
作ってしまうと、
義務に負の意味がつくんですよ。
多くの場合、
そうなる気がするんです。
さっきも言いましたけど、
ネタとかを、
これ、義務ではないんですよ。
ネタを集めようと。
なんでネタを集めようとするかというと、
続かなくなることが怖いわけじゃないですか。
で、
いつしかポッドキャストが、
実はですね、
好きでやってるんだとか、習慣化するんだとかいう割には、
義務化するんですよ。
しかもそこに不安が付きまとうんですね。
不安は自分自身に対する不安なんです。
続けられないんじゃないだろうかという、
不安なんですね。
だから、報酬とか、
右肩上がりとか、
そして、
続けないと右肩に上がっていかないから、
ネタ帳を作るとか、
全て出だしに、
不安がありますよね。
自分自身に対する不安が。
自分自身に対する不安っていうのは、
野球やってる人とかは知ってると思う。
テニスとかでも分かるんですけどね。
スポーツやってる人は、
大体分かるんじゃないですかね。
時々起こることなんですけど、
一回微妙なエラーをしちゃうと、
次もエラーするんじゃないかっていう、
自分に対する不安が発生するんですね。
テニスって不思議ですよ。
打つじゃないですか、ボール。
ネットするんですよ。
2、3回続くと、
どう打ってもネットするんじゃないか、
恐怖症みたいなのが発生するんですよ。
そうすると、どう打ってもネットするんですよ。
あれ、すっごい嫌なんですよね。
予言の自己実現みたいになっちゃうんですよ。
次ネットするなみたいになって、
ほらネットしたみたいになるんですよ。
これが自分自身に対する不信感で、
習慣化っていった時には、
人はこの不信感を
24:01
自分に抱くようになって、
またきっと途中で挫折するんだよ、
みたいな。
だから、ノープランっていいんですよ。
途中で挫折するっていうのは、
未来に対する見通しじゃないですか。
それは未来を見通そうとするから
起こることですよね。
プランがないということは、
先の見通しがないわけだから、
一切先のことを
考えないわけだから、
挫折するという不安はないはずなんですよ。
本当に。
ノープランであれば。
そうするとネタを作っておくということも
無論できないわけですよ。
ノープランだと。
そういうふうに考えていくことで、
ある種の義務がですね、
義務に
負の意味をつけなくて済む。
この場合の負の意味というのは、
俺は信用ならないという負の意味ですね。
これ持っとけって話、
ライフハックには頻繁に出てくるじゃないですか。
私という人間は信用なりませんよと。
週刊化しようとしても
三日坊主で終わりますよと。
だから報酬を用意しておきましょうとか、
計画をきちんと立てておきましょうとか、
ゴールから逆算しましょうとか、
ネタを用意しておきましょうとか、
聴衆からの声を可視化しましょうとか、
そういう話になるわけじゃないですか。
全部、出だしに
自分への不信感がありますよね。
この自分への不信感があると、
どれだけ
右肩上がりを用意していようと、
ネタを用意していようと、
義務化したことに
たちまち負の意味がつくんですよ。
義務自体に負の意味がつくんですよね。
そうすると、
自分が
そうすると、
報酬はあるかもしれないけど、
恐怖もあるんですよ。
この状態が多分、
プランニングというものを
人に勧めさせて、
しかも挫折を促す
という結末になるんじゃないかと思うんですね。
僕はこれがないんです。
今このポッドキャストには。
なぜなら、
明日やるかどうかは
私の知らない話なんで。
だから私に対する不信感とかも
別にないんですよ。
明日この佐々木ってやつは
サボるんじゃないか
って思わないんですよ。
なぜなら、明日のことは知らないんで。
こういうことはできるんですよね。
本当にやろうと思えば。
明日のことを一切考えないと。
徹底すればですね。
火落としちゃう時代はありますよ。
明日の計画ぐらいは立てようみたいな。
一切やめるようにさえすれば、
いずれ考えることはしなくなるんですよ。
いずれ考えることはしなくなるんですよ。
一切。
そうすると自分に対する不信感も
同時に消滅しますよね。
少なくとも未来に関することであれば。
実は自分に対する不信感って
ごくごく近い
未来のことであれば、
常に未来のことなんです。
さっきのネット思想だってのはそういうことですよね。
もちろん一瞬後の未来みたいな話ですよ。
テニスでラリーしてる最中に
考えることですから。
考えちゃったらダメなんですよ。
必ずネットするんです。
僕昔、
27:00
少年野球で
サード守ってた時代があるんですけど、
冒頭するんじゃないか
恐怖症が同じですね。冒頭するんですよ。
これを考える。
キャッチボールしてる時はしないんですよ。
必ずそこに大体投げられるのに
試合になると冒頭するんですよ。
冒頭すると思ってるから。
そういう不信感って
未来じゃないですか。
ほんのわずかの未来だけど
やっぱり未来ですよね。
これを
どんな時でもやめたほうがいい
と思うんですよね。
これをやめると
プランなんてそもそも立てようとも
しなくなる気がするんです。
っていうようなことを
12日にしゃべるかどうかは
今の段階では考えないことに
しているんで
極力考えないんですけど
時々考えちゃうんですよね。
で、いいことにはならないんですよ。
時々考えると。
だからこのプランを立てるというのは
多分よっぽど
自己不信と関係があって
よく言うじゃないですか
自己肯定感を上げるとか
あの自己肯定感を上げるという話と
未来計画を立てるという話は
多分
原理的に
相入れないんじゃないかなって最近思います。
大体私たちが
未来のことを考える時に
100%バラ色だという
想定は立てないんですよね。
100%バラ色だと
確実に未来はうまくいくという
風に考えておくぐらいなら
何ら考える必要がないはずですから
で、現に
今のところ
podcastはそうじゃないですか
ほぼ平日日間でやれている
なるべく考えないことにしていたら
未来はバラ色になってるじゃないですか
で、なってる限り考える理由は
全くないですよね。
考えてより完璧にしようとして
しくじるぐらいだったら
考えない方が子供趣だと思うんですよ。
で、今思えば
ブログもおおむねそうだったんです。
続いている時は。
昔はいろんな説明してましたよ。
同じ時間帯にやるとか。
あれ嘘ですからね。
同じ時間帯なんかにそもそもやらないですから。
で、例えば本書き始めるじゃないですか。
そしたらブログ全く同じ時間帯なので
やりませんよね。
で、あるいはこう
報酬になるっていうのは
報酬になる人にとってはなるんで
これで続けられるっていうのがありますよね。
私だってきっと
ブログ一本書くたびに100万入ってくるって
なったら絶対続いたと思いますね。
ある程度は。それで。
あとはだから
義務なんですよね。私がやってたのは
それなんです。
PVだって最大値取った時でさえ
デイリーで5000
いった月は多分ないと思うので
それだけの頼りにはやれないですよね。
5000ってすごいですよ。
デイリーで。今思えばね。
月に5000でデイリー
いってるってのはすごいけど
それだけでじゃあ
一生食べていけるかとなってたら
そう思ってたら大変だったと思います。
30:01
今の時。
今の時ブログでそうやって
いけるっていう人はほとんどいないと思うんで。
だから
そうじゃないんですよね。結局。
もろん
習慣化じゃないです。習慣化ってそういうもんではないです。
例えば習慣化であれば
今もブログ書いてるでしょう。私は。
でも今書いてないです。
習慣化というのは
決してそういうもんではないです。
ネズミがレバーで倒して
チーズ出る限り絶対倒さなきゃならない。
そういうもんではないので
あれは
習慣化でやれていた
わけじゃないってことですよね。
それは私自身がそういう
身をもって証明しちゃってますね。
楽になったってのは論外で
楽でしたよ。
別に今でも大変だと全く思っていません。
だから
続く理由としてはそういうようなもん
じゃないと思うんですよね。
あれは多分誰かに対する義務で
あったと思うんです。
今そういう意味では
義務を怠ってるんでその方には
申し訳ないと思うんですよ。
だから多分こういうことは言えますよね。
前々から読んでたんです。
こういう記事とこういう記事あったよねって言われて
ありました。
ぜひ書いてください。
ずっと待ってるんですって言われたら多分
かなり考える気がします。
義務なんで。
ただその時に僕がネガティブなものを
入れちゃダメだと思うんですよね。
書くのはいいんだけど
これで続くんだろうかと思ったら
絶対書けなくなるような気がします。
これがノープランってことの
裏側なんだと思います。