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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えっと、今さら、すげー今さら、あのー、なんだっけ、鬼滅の刃というのを読み出したんですよ。
あのー、今、山間付近をウロウロしているんですが、あのーですね、
昔と違って、お金のことも考えるようになったということも多分にあるんですけれども、
読み飛ばさないようにしてるんですね。まあ他の理由もありますよ。
今ここ的なのもあります。 書くのをゆっくりにしてるんだから、読むのもゆっくりにしようと思って、
読んでいくとですね、あの種の作品って分かりにくいじゃないですか。
普通は勢いで読むものだから、別に分かんなくてもいいと思うんですけど、
あのー、なんかね、3の何とかとか4の何とかとか出てきて、全然分かんないわけですよ。
その辺をそれなりに理解できるようにして進めていくと、えらい進まないんですね。
こういう読み方をするものじゃないなと思いつつ、そういう読み方をしていると色々と気づくところがあって、
気づくところっていうのはだいたい絵に関することなんですけれども、
時間がかかるわけです。だから結構モタモタと読んでいて、
この読み方の方がバンバン勝っちゃったりしないでいいなと思ったりもしました。
で、その鬼滅の刃の3巻付近にですね、やたら怖がりな男の子が出てくる、全員につくっていう人だったかな。
とにかくやたら怖がりな子が出てきて、
まああの、なんていうのかな、緊迫感が続くのでギャグを入れるっていう、そういう手法なんだと思うんですけれども、
とにかくそういう怖がりな男の子が出てきて、
あれ鬼退治の話だから、しかも結構エグいじゃないですか。
ひたすら怖がっているというのがギャグになっちゃうんですけれども、
その、つくづくですね、翻訳してみると、
あの、もっともらしいことを言っているんだけれども、
実はひたすら全員つくんと同じになっちゃうというケースって結構あるよなと、
最近思ってですね、だから現実に、現実をよく見に行くという、
クラスのケイトさんがグッドバイブスで言うところのですね、現実をよく見に行くというのが大事なんだなと、
最近そういうことを、なりと立て続けに感じさせられる出来事が降ってきているんですね。
ということはつまり、あんまり良いことじゃないんですよ、一般的に言えば。
まあ、良いこともありますけど。
で、現実を見に行くとわざわざ言われているということは、
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現実を無視しているんだよっていうことの裏返しですよね。
現実を無視するということをどうしてするのかというと、
意味付けをするからですね。
で、意味付けをするということはどうしてするかというと、
ほとんどのケースではやっぱり、そこには期待と不安が入り混じっているからだと思うんですね。
先日、日曜日かな、ちょっと忘れましたが曜日は、
日農研の面談に行って、娘がすごく褒められてたんですよ。
私に対してですね、言ってきたんですよ。
お嬢さん、だいたいどこでもわかりますから、みたいな。
聞くじゃないですか。
とっさにですね、こういう話を例えば、うちの奥さんとすると、
とっさに考えることって、例えば、そうですね、例えばじゃなくて、
いや、営業トークなんだよ、と。
そうやってお立てておいて、いい学校に入れさせて、塾の先天にしたいんだよ、と。
もっと悪しいことを言うわけですよ。
こういう言葉をですね、翻訳してみるんですね。
つまりこの言葉の意味はどういうことかというと、
善逸君なんですよ。不安だと言ってるんですね、親は。
私は不安ですと言ってるわけですよ。
そんなことを言ってるけれども、本当は大した成績じゃないかもしれないし、
成績はいいかもしれないけど、大した実力じゃないかもしれないし、
結局落ちるかもしれないと不安だったり、
そんなことを言ってるけど、結局塾に金を絞り取られるだけなのかもしれないと不安だったり、
つまり不安なんですよ。
善逸君は鬼をお前にすると怖い怖いしか言わないんですけど、あれは全く同じなんですよ。
ただそれを怖い怖いだとバカみたいだから、
善逸君はとても頭の悪い人だというふうにわざわざ解説で書かれてたんですが、
バカみたいだから、すごく賢そうなことをここをコトするってやつですね。
上塗りするんですよ。
これはすごく多いんですね、私たちがやりがちなことですね。
因果関係というものは、大体において実相はわからないものなので、
わかる方法がないんですよね。
実相はあるんでしょうけど、大して難しくもない実相はね。
塾がお金を儲けたいからだっていうのもいかにも実相っぽいですよね。
でもこれ確かめる方法ってないんですよね、実は。
塾の真意とかってわかんないですよ。
わかるのは必ず面談した人の真意だけで、
面談した人は本当にどう思ってるのかは聞かなきゃ絶対わかんないことだし、
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聞いても結局わかんないことなんですよね。
だからわかんないことなんですが、そこをわかったほどにするんだけれども、
何のためにそうするかというと不安なんですよね。
私は不安です、私は不安です、私は不安ですなんですよね。
これを別の言葉に置き換えて喋っていると、何かこう賢そうに聞こえてくるという、
そういう一種の、まあ、詐術みたいなものがそこに働いていて、
それに他人は騙しきれないんだけど、
おおむね自分は騙せるという、これも不思議なスタジオなんですけどね、
そういうことがよくあるわけです。
で、これは娘のこととかならばいいと思うんですけれども、
あんまりよくはないけど、まあまあ許容範囲だと思うんですけど、
これを自分の特に健康とかね、肉体とかにやり始めると、
かなり良くないんだということを最近、健康になってきてわかってきたんですね。
私これ四六時中やってたんだよなと。
今日雨が降ってるんですけど肌がいいわけですよ。
そうするとこれを結びつけるんですね。
今日肌の調子がいいのは雨が降ってるから、湿度が高いからなんだと。
つまりこれ何をやってるかというと、肌がただ良くなるということは絶対認めてくれないんですよ、私が。
肌が良くなる日はあるわけですよ、アトピー持ちだとしても。
でもその時は必ず理屈が、しかもものすごく速度が速くですね、
瞬間的に理由が見出されるんですよ。
低気圧が来ているからとか、湿度が高いからとか、昨日より気温が高いからとか、
昨日食べたものが少なかったから、何でもいいんですけど、とにかく理由がいるんですよ。
で、悪くなった時にはいらないんですよ。
少なくとも私の頭の中に悪くなった時は理由が自然と発生することはなかったんですね。
良くなった時は必ず理由が発生してたんですよ。
しかもさらに良くないことに、この理由を考え出していたのは実は私自身だけではなくて、
昔は子供の頃、母も一緒になってこの理由を盛んに考え出してくれてたんですよ。
めちゃくちゃ悪くなっていくんですよ、肌は、これをやっていくと。
多分これをやると、二重三重に自分の心身症って言うんでしょうけどね、心と体の症状を確実に悪化させる、
多分一番良い方法なんじゃないかと思いますね。
とにかく良くなった時には、ただ良くなることはありえないことになっているんですね。
何か理由があるんですよ。
だから温度を高くするとか、湿度を高くするとかするんだけど、
これがまた面白いことにですね、部屋の温度を高くしたり湿度を高くしても肌って良くならないんですね。
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これは訳あるんですけれども、昔は当然そうは思わないじゃないですか。
因果律をひねり出してしまうと、その因果律を再現しようとしますよね。
再現しても再現されないんですよ、肌が良くなるという意味においては。
何の意味もない。
で、こういうことを僕らはするんだけど、この時、つまり今日たまたま肌がこういう言い方ですよね、偶然。
たまたま肌の調子が良いのは湿度が高いからだと。
これを翻訳すると、直訳するとというのかな。
この言葉が出てきたのはつまり、私は不安ですなんですよ。
さっきのと同じですね。
肌に関して私は不安なので、私は不安ですを繰り返しているだけなんです。
それを言い続けているとアホになっちゃうから、賢そうな言い方に切り替えるという、ただただそれだけのことをやっていて、
そのうちその因果律を自分で信じるようになり、そうするとですね、乾燥が続くじゃないですか。
肌が悪化するんですよ、ちゃんと。
この辺がですね、非常に困ったところなんですけども、乾燥が続くということは湿度が低いということだから、当然どんどん悪くなっていくんですよね。
この確信だけはちゃんと実現してくれるんですよ。
そうなんですよね。なぜならば、ただ良くなることはないことになっているわけだから、
予言の自己成就というのはちょっと違う意味なんだけれども、まさにそういう現象が起こっていく。
自分はそういう現象をずっと20数年以上体験してきたので、すごい力があるというか、すごい馬鹿げたものがあるということをですね、
すごい、何て言うんですかね、非対照的に思い知るんですね。
娘のそれもそうなんですけど、ただ良いことが起きないことになっているんですよ。なぜなら不安だから。
不安なのはもうインストールされているというか、確定していることなので、不安発なので。
不安、何々だから不安なんじゃなくて、私は不安なので、そこから理由というものが編み出されてくる。
だけどこれが非常に高速に編み出されるので、実際にどういうふうに自分が考えてそうなったのかということに気付くことがですね、なかなか難しいんですよね。
変だなとは思いましたね、さすがに。非対照的だから。悪くなった時にも理由がいるはずじゃないですか。
良くなった時に理由があるんだったら。ところが悪くなった時は理由がないんですよ。悪いのがデフォルトだから。
だから今日悪いのは何々だからだと決して考えなかったんですね。考えようと思えば考えられましたよ。
でもその場合は考えようと思う必要があったんですよ。ここに変な非対照性があるんですよ。
悪くなった時は意識的に考える必要があるんですよ、理由を。良くなった時は無意識的に理由が出てくるんですよ。
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で、娘に関してもそうなんですよ、きっと。これで成績が落ちるじゃないですか。理由いらないんですよね。
ところが成績が良くなって、受かることが確実されてくると不安な人は理由をそこに求めるんですよ。
たまたま何とかだからだとか得意分野が続いて出たからだとか、必ずやると思いますね。不安であれば。
で、それは別の言い方をすると、つまり私は不安ですということなんですね。
で、この不安感というものがそこにあるので、心の中にあるので、あとはもうどうでもいいんですね。
理由はどうでもいいんですよ。
何でもすぐに見つかるということなんです。
ただこれが意識しなくても見つかるというところが非常に大事で、だからとても自然な理由のような感じがするのと、
周りの人を頷かせずにおかないぞという変な迫力があるので、周りの人は一応頷いてくれるんです。
信じてないケースがほとんどですけどね。
なぜなら私自身長らくやっているとですね、肌に関して自分で自分のそんな言葉は信じられなくはなってくるんです。
なんかこう馬鹿げたことをやっているような感じってどっかしてくるんですよ、やっぱり。
まあそれはそれとしてですね、もう一つ、そこでですね、ごめんなさい、そこで現実というものを見に行くと。
これをしなかったんですよね。
現実を見に行くということはつまり、結局相手はどういうつもりで言ったのかということもそうですし、娘のようなケースではね、
実際の成績はどうなのかとか、現状はどうなのかを見に行きゃいいんですよ。
これしないんですよ、不安な人は。
一つはですね、不安になっているときというのは、現実機能がやっぱり大変弱くなってきているので、
そういうことをするのはとっても大変だという変な感情にとらわれるんですね。
だから当然するべきことを避けるんですよ。
実際の娘の状況を知るとかは、ただ頭の中で変な理屈をこね回すよりはめんどくさいんですよね。
実際に問題解かせてみるとか、最近のテストの傾向を全部見るとか、そんなに大変なことではないんだけれども、
やってみれば実に簡単なことなんだけど、こういうのが異様にめんどくさがる人って結構いらっしゃって、
いやいや、そんなのはイリュージョンですからといっても、あなたにはそうかもしれないけどっていう調子になっちゃうんですよね。
これは非常に面白いことだと思うんですけど、
自分のエネルギーレベルみたいな、自分の体感的な元気さというものに対して、
ものすごく過小評価が入っていると、これが不安ってことと多分近いんだと思うんですけど、
過小評価されていると、現実を見に行けなくなるんです。
現実を見に行くのは大変だっていう奇妙な思いにとらわれる。
あれなんですよね、この漢字って東北地方とかにお住まいの方、よくご存知かと思うんですけど、
こたつから出てみかもとってくる大変さなんですよ。
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えらい簡単なことじゃないですか。
三歳児でもできますよね。
ところがこれ、誰も出られないっていう現象を私も冬になるたびに意識してました。
誰も出なくなっちゃうんですよ。
それで本当に大変なことのような日がしてくるんですね。
あれとよく似てるんです。
元気さがなくなっていって、出るとすごい寒いという不安にただただ襲われるという、
すっごい変な現象ですよね。
現にトイレとかに我慢できなくなって出るじゃないですか。
そういう簡単ですからね。
寒い、そりゃ寒いんですけど東北の冬っていうのは。
でもまあ簡単ですよね。
これと似てるんですよ。
私たちが日常で言ってるところのそんな面倒なことはできないとか言ってるのは、
なんかどんな面倒なことなんだっていうレベルのごくごく簡単なことなんだけど、
心理的な重りがどういう日かすごく膨張していてですね、
重いんですよね、体が。
で、もう一つ現実を見に行くで言うと、
例えば肌とかあるんですけど、
悪化とか良くなったっていうのはすっごくざっくりした感覚で、
こと細かに見ていくとそんな変わってないんですよね。
ほとんどの日でアトピー持ちであったとしてもですね、
良くなったり悪くなったりはしますけど、
ほとんどそれは何て言うんだろう、
明確に何かの因果率を反映して、
よしよし100対38みたいなことはできないレベルの差でしか実際にはない。
そういうようなことってのもやっぱりこうですね、
自分の肌について特に自分の肉体についての不安感が
しっかり根付いてる時ほど見に行きたくなんかないんですよ。
そして適当な理屈を回してる方がよっぽど簡単にやれるから、
やっぱり気楽にやっちゃうんですね。
後々非常に自分を面倒な状況に追い込むにもかかわらず、
そういうことを気楽にやってしまう。
最近いろいろ新しい企画なりセミナーイベントなりをですね、
企画していてやっぱりやり始めるんですよね、頭の中では。
来ないという時に理屈を集まらないですよ。
参加者の人が見込み人数みたいなもの。
僕はそういうのを考えまいとしてますけれども、
原則考えなくて済むようになってきましたけど、
至らないとどうしても考え始めるんですよね、理屈を。
そしてこれもいつもと同じで、悪かった時にだけ、
何かが上手くいった時にだけ変な理由を必要とするんですよ。
そして悪くなった時はですね、やっぱり人気がなかったからぐらいな感じで、
ひどくあっさりした理由しか考えようとしないんですよね。
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何か考えようとすれば考えられるんですけれども、
常にそうなのはですね、上手くいった時に変な理由を持ち出すんです。
上手くいかなかった時にも理由を持ち出しますけれども、
だいたい当人もそうなんですけれども、
完全にそれが当たっているとは言えないだろうなということはよくわかっていますね。
本とか売れると本当によくわかるんですけど、
いろんな理由を、売れなくても同じですね。
いろんな理由を考え始めます。
全部善逸君と基本は同じですね。
私は不安なんだということなんですよ。
これは非常に奇妙な不安で、
つまり不安だということを言いたくないために、
別の賢そうな理屈をこねくり回しても不安が取れるわけではないので、
だからこそ理屈は量産されていくんだけれども、
この理屈を他人はともかくとしてですね、
当人は信じ始めるんですよね。
ここが僕は大変キーだといつも思っています。
嘘だということはわかっているはずなのに、
自分は不安なだけだって知っているはずなのに、
その不安じゃない理由を一生懸命信じようとし始めて、
だんだん信じられてくるような気が、
そうなったらもうかなり良くないと思うんですけど、
つまり自分で嘘を考え出して嘘を信じようとしているということになるので、
これほど現実から離れていくことはないと思うんですけどね。
現実を見たくないっていうことの多分裏返しなんだと思うんです。
実は本当は簡単なことなんですよ。
ちょっとした手間をかけたセミナーに人が来なかったか、
あるいはたまたま来たかというただそれだけのことでしかないのに、
それがその現実を見ないためならどんな理由でも考え出すぞっていう
心理的なモチベーションですよね。
そこが働き始めるという。
それは私は怖いんだっていう言葉、
だから話を聞いていると全部それに変換可能なんですよ。
私は怖い、私は怖い、私は怖い。
全員つくんですよね、完全に。
怖い怖い怖い怖い怖いになってしまうんですよ。
こんなに頭の悪い人は見たことがなかったっていう変な解説が入るんですけれども、
頭の良し悪しではないと僕は思うんです。
あれはすごく独特の表現だなと思ったんですけどね。
いやこれは怖いんだよねと。
頭の悪いっていう話ではないよなと。
そういう言い方をするならば主力が変動体に移ったから、
意識の中心が変動体側に、もうちょっと別の言い方をするならば、
神経伝達物質の流れの主体が変動体の方面に傾いたので、
確かに高次な脳の機能は期待できないという言い方になるんでしょうね。
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頭が悪いとあえて言うならば、
フェアリーブレインですから、爬虫類脳なので、
爬虫類でも機能できるレベルに下がるわけですから、
言語屋を持っている人の脳がですね。
それは確かに他人から見れば頭が悪く見えるでしょう。
ただその人は言語屋を失ったわけでも、
右脳がなくなっちゃったとかいうわけでもないので、
つまりバカになったわけじゃないんで、
一時的に判断機能が極めて低下したようには見えるでしょうけれども、
本当はそんなことはないと僕は思うんですよ。
変動体モードって言ってますが、
変動体だけが動くようになっているなんてことはほとんどないんで、
たまーにありますよね、そりゃ。
本当にもう危機的状況になったと。
このままでは死ぬみたいになったとき、
それはそれで人っていうのはすごい能力を発揮するんですが、
なったとき言葉が出なくなるみたいなことは起こるんですよ。
左脳は役に立たないですからね、もはや。
そういうことは起こりますが、大概そうじゃないですよね。
左脳、右脳も働かそうと思えば働くレベルで、
ただ変動体が活発になっちゃったという、
それだけなんだと思うんです。
ここにのめり込まなきゃいいんですよね。
不安というのは多分いろんな形があるのは、
変動体モードって僕は言っちゃってますけれども、
変動体プラスアルファ様々モードだからだと思うんですよ。
その活性の仕方も非常に活発だったり、
やや活発だったり、短時間活発だったり、
慢性的に活発だったり、様々じゃないですか。
当然身体なわけですから。
だからその状態の左右されて、
Aプラスアルファ、マイナスアルファなわけですよ。
いろんな半径が考えられるので、
いろんな範囲内の現象、不安がそこにあるはずなんですよね、
その脳内に。
ただその状態に合わせて応じてですね、
いろんな理由を頭が考え始めると、
この言葉が良くなかったとか、
今は施設柄良くなかったとか、
こういう企画の発想では良くなかったとか、
全部多分真実ではないか、
真実だとしても多分本人も他人も
それで納得するわけではないような何かだと思うんですね。
現実を見に行かないという点では
強固なものがあると思うんです。
そのセミナーが本当にその人数ではいけなかったのかどうかとか、
本当にその人数は少ないのかとか、
そもそも少ない方が良くなかったのかとか、
一切無視される。
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極力現実は無視する方向で頑張るという、
ここだけがですね、
不安心理というものの多分一番奇妙な特徴ですよね。
私たちがそんなに恐れる理由がない現実まで、
そんなに恐れる。
みかんをこたつから出て取ってこれなくなるという、
あれですよね。
あれを肥大化させるためならば、
もう何でもやってしまうというような、
大変不思議な感覚です。
私の知っている人にそういう不安ということを
ものすごく強調する人がいらっしゃって、
それは多分皆さんご存じない人です。
もう私が知っていて、
他にそんなに多くの人が知っているというわけではないような
近しい人なんですけれども、
とにかく不安で、今では少しマシになりましたけど、
家から出られないんですね。
ひきこもりとかトウゴシチョウとはまた別で、
あれはやっぱり不安症って言うんだなって思ったことがあります。
あんまり今そのまんまのことはないですけど、
不安症としか言いようがないぐらい不安なわけですよね。
何がとか何がとか関係ないんですよ。
人がとかでもない。
とにかく家から出たくない。
なぜならば不安だから。
何にもしたくない。
なぜなら不安だからっていうことなんですね。
このものすごく難因的なもの、難因ですよね。
内面の心理がそうさせる。
彼をそうさせるんですけれども、
もちろん本当はいろいろあるんだと思うんですけど、
何しろ不安なわけですよ。
そして特定の対象を言語化できないレベルで
内面に不安があって身動きが取れないっていう、
そういうのを私は聞いたことがあってというか、
見聞きしたことがあってですね、
こういうことって起こるんだなって、
恐怖症とはまた違うんですよね。
恐怖症も結局は同じなんだと思うんですけど、
外面的な何かというものと一切結びつきが見えてこないというレベルで、
イリュージョンがこう、私はよく言ってしまうんですけど、恋。
恋というのは行動力を奪っているっていう意味でしかなくて、
イリュージョンに恋も薄いもないんですけど、もともとないものなんだから。
なんだけれどもその人の心の中では、
著しくその行動、活動機能を弱らせるみたいな、
そういうのを私は見聞きしたときに、
こういうのを不安症、不安神経症とかじゃなくても、
不安そのものの障害みたいな感じになるんだなっていうのを認識したことがあって、
非常にインパクトを受けたんですよ、その感じに。
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なぜならば、やっぱり私の知る限り不安だとか心配だとか言ってるけれども、
多くの人が、私も言いますが、対処があるじゃないですか。
対処があるというのは既に対処方法もある程度あるってことですよね。
人に罵られるとか馬鹿にされるとか、電気だとか、高いところだとか様々ありますが、
全て対処がある。対処があるということは、そうじゃないところは不安じゃないっていうようなことに自然となるから、
対応可能な領域が広いわけですよね、その分。
ところが不安である、とにかく不安であるってことになってくると、
まずどこから手をつけるべきかっていうのはすごく困難になっちゃうので、
だから薬を飲むみたいな話になるわけですけれどもね、
その外因的な要因が見出せなくなると。
ただやっぱりですね、唯一同じことが感じられるというか、ここに共通点があると思えたのが、
その人もやっぱり思うのは、現実を見たくないんですよね。
現実を見るという行為がそもそも自分には無理だっていう感じを持ってるんです。
現実が不安とかじゃないんですよ。不安は中にあるんで、あらゆるものが不安。
それは現実が不安と言ってもいいのかもしれないんだけれども、
とにかく現実を見に行きたくなんかないと。
そのためだったら、どんな理由でもひねり出してくると。
昔話じゃないですけど、空が落ちてくる的なやつですよね。
外に出れば刺されるかもしれないとか、いろんなことを考え始めるんですけど、
本人も言ってましたけど、実際にそういうことが起きるというのではないんだと。
問題なのはこの不安心理があるということなんだっていう話をされていて、
そういうもんなんだなってその時は思ったんですよ。
やっぱり今にして思うと、現実を見に行くというには、
これ本当に鶏卵なんですけど、元気さがいる。
その元気さを奪うっていうのが不安ってものだなっていうふうに思うんですね。
それを不安の方を現実だと思おうとする。
つまり塾のほうは営業活動してるんだとか、金を儲けたいんだというのは、一見現実っぽく聞こえるんですよね。
こういうことなんだと思うんですよね。
現実というもの、その悪い現実というものを自分に引き付けておく。
そうすることによって現実を見に行くという元気さを失ってはなす。
トレードオフになってるんですけど、それは何がいいんだってことを言われるかもしれないんですけども、
でも私はですね、極めて多くの人がこれを現実にはやると思うんですよ。
こんなセミナーじゃダメだという理由を考え出すと。
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実際にどうだったのかを探りにはいかない。
トレードオフに必ずなってる感じがするんですね。
多分これはあえて言うならばなんですけれども、
太古、昔ですよね。
昔々私たちは活動するということそれ自体に危険が伴ったし、
それほど食料等のリソースが十分でなかった時代に、
行動そのものを抑止する。
今の時代には何のメリットもないような感じがあるんですけど、
行動そのものにブレーキをかけるというメリットがあったのかなと思います。
だから現実に興味を失うように失うように働くということが
意外に進化上というのか生存上有利だった時代があった。
その名残なんだろうかという感じが最近ちょっとしておりますね。