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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今日はですね、ちょっとこれは後ほど述べますが、
もう何ヶ月とか何年ぶりぐらいなのかわからなくなりやすいので、
最近はその辺わからなくなってるんですけど、本当に。
グッドバイブスというものを知って以来、どういう良い変化があったのかみたいな話をしたいと思うんですね。
ついでに、デメリットはないんですけれども、どういうところが大きく変わったのかということも、
良いとは必ずしも言い切れないところも含めてお話できたらいいかなと思います。
まず、いろいろあるんですが、一番良かったのは病気をしなくなったことですかね。
ここ多分1年弱ぐらいですね。自分は病院に行ってないんですが、こんなことは今まではないことでした。
これも非常に鶏卵的な話で説明が難しいんですけど、健康になったという感覚っていうのはあるんですよ。
ただそれは自分が病弱であるっていう、僕の場合にはかなり事実も含まれてなくはないと思うんですけど、
思い込みも相当あって、本当に子供の頃にはイリュージョンだろうと思い込みだろうと病気してましたからね。
その記憶が多分抜けなかったんだと思うんですよ。
これは後からいい話なんですが、記憶力が僕は今、記憶力じゃないんだけど思い出すということが激的に減ったので、
その流れの中で子供の頃病気をしていた思い出というのを思い出さなくなったんですよ。
そのことがですね、自分が病気ガッチだとか体が弱いという思い込みを大きく後退させることになりますよね。
そういうデータを思い出せてないわけですから。
そうすると健康になるという。
だからこれは健康になったからそういうふうに記憶や思い出が薄らいでいるのか、薄らいだから体が良くなっているのかは分からないんですよ。
そしてですね、最近そういうことをあんまりしなくなったんで、昔に比べて病院に行っている回数が事実減っているかどうかというのも検証をしているわけじゃないですね。
ただ自分はそうは言っても頻繁に行っていた方なんで、明らかに今行かなくなりました。
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そうは言っても今コロナもあるじゃないですか。なるべく行きたくないという意識もあると思うんですよ。
だからどれが直接のグッドバイブスによって健康になったと、それほど因果率がはっきりしているとも言えない気もするんですが、
でもこれが感覚的にはグッドバイブスなんで、一番自分の中では違うかなと。とにかく行っていないのは確かですからね。
これと並んで腰が痛くならなくなったという。
これもただコロナが入ったので、コロナも前から今まで通いつけていた生態に2週間に一遍ぐらい行っていたんです。
月に2度ぐらい行っていたんですけどね。ゼロになりました。これもはっきりわかるんですよ。
なぜかというと、あれって高いじゃないですか。そこそこ。あの支出が丸々消えているんで。
お金に厳しくなると月1回に頑張ってしてたんですね。その頃の意識ってあるんですよ。
だけど今月ゼロ回なのに痛いという風に。痛くなることが全くないってことはないんですけど、ほぼないですね。驚くほどないです。
なのでこの2つが並んで大きいかなという風に思いますね。
腰が痛くならない。肩も痛くならない。病院に行くことがなくなったっていうですね。
体調を崩すことがないわけではないですよ。
それはあるんだけど、それはですね。私の場合はやっぱり体調を崩すことがあるとかいうのは非常にこう言い方としてなんか偉そうだなと思うぐらいなんですよ。
私は体調とは崩れているものであるぐらいの人間だったんで、体調が良いこともあるっていう方が正しい言い方だったんですよ。
最近は体調を崩すこともある感じになったんで、非常にこう、すごい不思議な変化だなという風に思ってます。
まあそうは言っても、子供の頃に比べるといろんな意味で健康的になってきているのは事実なんで。
非常にですね、自分の中でも変なのが浮き沈みはあるにせよですね。
私は子供の頃確かに病弱だったんで、年々こう健康になっているんですよね。
今40、もう間もなく8になるんですけど、10代よりは20代が健康で、これはよくあることだと思います。
20代より30代の方が健康で、30代より40代の方が健康で、
しかも40代前半よりは今の方が健康なんですよ。
相当これは変だなと自分でも思うんですけど、
昔からこうだっていう人は、まあ若い頃がこうだっていう人は大変羨ましいとは思いますね。
やっぱ月に1回は病院に行く人間ってのはですね、結構こう大人になってからもですけど、
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月に一度は行くっていうのは結構今思うとめんどくさいことではありますよね。
月に1回病院に行って月に2回整体には行かないとなんか保てない感じってあったんで、
今それゼロになるとすごい楽ですよね。
お金もそうですけど、とにかく楽ですね。
行かなくて済むっていうのもこんなに楽なことだというのも一つの発見です。
行かない人って病院なんて行ったことがないとかって言うのであれ聞くと衝撃を受けるんですけど、
最近そうなりつつあるような気がします。ここ1年弱多分行ってないような気がします。
今喋ってて不安になりましたもんね少し。
1年も病院に行かなくて大丈夫なんだろう。
それぐらい僕はやっぱり医者を頼りにして生きてきてたんですよ、これまでは。
やばくなったら医者に行って何とかしてもらおうみたいなところあったんで。
これがグッドバイオスの最大の功用かな。
あとはやっぱり家庭における人間関係が良くなったということが並んで重大なことですけど、
それと同時に苦手な人というものがいなくなりました。
これも非常に大きいですね。
さっきの僕、体の不調と似てて苦手な人がいなくなっているとかいうのはそもそもちょっと偉そうな言い方なんですよ。
逆なんですよね、私の今までの感覚は。苦手じゃない人がいるぐらいな感じ。
苦手じゃない人がいる、それは例えばうちの娘であり、苦手じゃない人がいて、
例えばそれは大橋さんであるとかそういう言い方になっちゃうんですよ。
苦手な人がいるとかじゃないですよ。苦手じゃない人がいるなんですね。
人とは苦手なものなんですよ、デフォルトが。
だから苦手な人がいなくなるっていうのは全く世界が違います。
そうですね、山勝ちの地域ってあるじゃないですか。
どっち見ても山がある。その山が全部消えたみたいな、そういうある意味ちょっと異常な感じですね、これも。
私、病院に行かない1年間って異常な感じなのと似ていて、苦手な人がいない世界ってこういうもんなんだと。
確かにこれは良いですよね。
多分、僕なんかの昔の状態に比べればですね、大概の人はもっと人好きなんで、山は所々にはありますぐらいな感じ。
僕の場合は山に囲まれてますみたいな感じだったんですよ。
ここにかろうじて道がありましたっていう感じだったんですけど、
今、その山がないっていう感じなんで。
全く小高い丘みたいなのもないかというと、さすがにそういうわけには私のような人間なんで、なんか行かないんですけど、
でもやっぱり山消えたっていうのがでかいですね。
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これと、クラゾノさんがよくおっしゃる、現実ならなんとかなるっていうのがかなり似ているんですね。
完全にイコールじゃないんですけど、
例えば私の中では、現実ならなんとかなるっていうのが、人間関係ならわかるんだけど、まだできないこともあるわけですよ。
例えば私、雷っていうのに苦手で、あれが鳴ってると家から出られなくなるんですよね。
だから家の外であれに遭遇すると非常に汗だらだら出てきます。
恐怖症にまではいかないけど近いよなっていう感じで、
あれはまだ現実なんだけどなんともなってない感じですね。
イリュージョンなんですけど、どういうイリュージョンなのか。
つまり普通の人は雷になったときはどうして私よりは平気なのかがよくわからないんですよね。
雷って刺激がでかいんで、イリュージョンというよりは、とにかくあれが怖いっていう感じになっちゃうんで、
これによって妄想を膨らますとかなんとかそういう問題ではないんですよね。
とにかくあれがすごい嫌だっていう感じなんですね。
あれが現実だけどどうにもなってないんで、この話を今度してもいいかなと思うんですけど。
この辺ですね。苦手な人がいなくなったこと。病気をしなくなったこと。
病院行かなくなったこと。生体も行かなくなったこと。
代わりに起こった大きなことがありまして、記憶力が、記憶力ではないんだけど、
まあでも記憶を使わなくなってきましたね。
だからなんですよ。いつグッドファイブスをどう始めたのか。
覚えてないわけではないんですけど思い出すのが困難で、思い出す気もあんまり起こらない。
お前はよく記録をどうのこうの言ってるじゃないかって思われると思うんですよ。
これはですね、仕事術として記録をつけているし、そういう本も最近出しましたけど、
要はそのただ事実を確認するために記録をひっくり返すということもしなくなったんですね。
記録はするんですよ。メモみたいなものも残すし、相変わらずタスクシュートもやってるんですが、
興味があんまりない。過去の出来事について。
だから前自分がどうだったのかということも興味が全然ないんですよね。
仕事で必要であればその記録を読み直すんですけど、検索して。それだけなんですよ。
以前に比べてこのログに対するあった強いコレクションしておきたい欲求みたいなのが一切ないんですよね。
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整然ととっておきたいとか全くないんですよ。だから簡単に言うと忘れてしまうんですよ。
過去どうであったかっていうのが本当に思い出しにくくて、これもですね、
グッドバイブスなのか老化なのかって言われると難しいんですけど、
本気で思い出そうと思えば思い出せるから、老化というのとはちょっと違うような気もするんですよね。
健忘とは確かに違うんですよ。忘れてるわけではないから。
ただ興味がやっぱり湧かないんですね。
未来はもうとっくに、これもですね、だいぶちょっと変わったんですけれども、
それでもダスクシュートをずっとやっていて、未来ってものに興味はもうほとんどなかったので、
今はもう全くないんですよね、未来には。
このこととやっぱり関係があって、よくこれもグッドバイブスで蔵園圭三さんが、
未来がイリュージョンで過去もイリュージョンって話をされるんですけど、
この2つってですね、絡みついてるんですね、すごく。
結局それって人間の中では、言ってみればイマジネーションなんですよね。
記憶はただ出来事を頼りにしてるから、
より正確度が高いし、はっきりして再現度の高いイマジネーションであり、
未来の空想は再現性が極めて低いイマジネーションであって、
多分やってることはですね、想像というのは記憶を引っ張り出して操作しているんでしょうし、
記憶だってまさにそういうことなので、同じようなところがあると思うんです。
ただもう1つ言えるのは、やっぱり時系数直線的なですね、
過去から現在があり、現在が未来になっていくという極めてデタラメな観念を、
記憶がすごく強化してるんですよ。
だから現在というのはこういう過去があって、その上にあるもので、という
インチキストーリーをでっち上げるんですよね、脳内で。
このストーリーに沿うと未来はこうなるであろうみたいな、またインチキストーリーを。
こっちの方がよっぽどひどいんですけど、やるわけですね。
そういうものの両方に強い興味を持っているからこそ、
この一直線はちゃんとした形をとるのであって、先々の方に興味を完璧に失うとですね、
当然数直線というものが脳内から脳内で根拠を失うので、
結果としてですね、過去も根拠を失うわけですよね。
その軸が消えるんですよね。
あったはずの軸が実はないので。
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だからこう、今の私の頭の中では、過去というのはこう、
何て言うんですかね、時系列に整然と並んでないし、
そのコストが惜しいというか、
そんなイリュージョンを苦労してまで作る気がしない。
だからエヴァノートにでも入っていれば、それで十分なわけですよ。
基本的になるべく思い出さないように努力をしているぐらいなので、
つまり過去に意識を用いるというのは、僕からするとノイズを増やすようなものなので、
未来に思いを馳せるというのは、僕からすると100%余計なことで、
病気に近づきたい人がやるみたいな感覚がありますから、
少なくとも自分がそれをやると病気に近づくというのはよくわかるので、やらないんですよ。
こういうことをやらないということが、過去のお話もそうじゃないですか。
僕が病弱というデータは、僕が病気になりたければやるべきことという感じがあって、
病気になりたくないんだったら、そんなことをしない方がいいので。
そうするとですね、モチベーションがなくなりますよね。
過去のことを思い出すモチベーションというのは。
苦手な人というのも結局全く同じことで、この人とこういうことがあって、
そのことを覚えておいて許さないようにしようみたいなのが多少はないと、
記憶ってそんなにホジーが脳内に一定の緊張を強いるものですから、
弱くなるわけですよね。緊張感を弱めたければ、覚えておかなければいいわけです。
現に覚えておかなければ苦手な人というのは苦手じゃなくなっちゃうので、
だってその人が何したかよく覚えていないわけですから、
いつでも現在の関係というものを作り出すことができるはずなわけですよ。
未来というのは結局そういうことですよね。
過去にこういうことがあったから、例えばその人が苦手であってこういうことをされたんだけど、
これからは、つまりここにストーリーがいるんですよね。
情報交仏みたいな。にもかかわらずこれからは私の方で良くしようみたいな。
こういう観念ですよね。
あるいはこう、されたんだからっていう風に美行数を使って、
そのままされたから嫌いなままでい続けようとか。
どうしても未来というのは予測ではなく意思が入ってくるので、
つまり不正確になっていきますよね、それだけでも。
しかもこれはノイズでしかないと思うんですよ。
相手は私の記憶した通りの存在ではないですし、
しかも何々だからとか何々にもかかわらずとかをする必要性が必ずしもないわけなので、
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忘れるのがベストなんですよね、結局私の感じでは。
忘れてしまえば苦手ではなくなるので、最初に会った時から苦手なわけではないですからね。
そういう風にしていくんですね、多分。
していく流れの中で記憶というものが薄らいでいくという。
少なくとも私が以前あれほど活用していた記憶というものの、
大半はもう霧の中みたいな感じですね。
その方がよっぽど健康的なんでしょうね。
一番これが何に結果としてつながっていくかというと、
健康につながっているような気がして仕方がないです。
逆に言うと、あれをやっているということは病気を引き受けるみたいなところがどこかにある気がします。
苦手な人を苦手なままにしておくとか、自分が病弱だという認識のもとに生きていくというのは、
やっぱりこの今あるような感覚は犠牲にして、
代わりに過去の記憶を現在にもきっちり強い影響を及ぼすようなものにする。
じゃないとリアリティないじゃないですか。
病弱だった気がするけれども、病弱ではなかった気もするということでは何の意味もないですよね。
何の意味もないと思うんですよね。自分が病弱だったことについての確信をいくら深めておいても。
確信を深めれば深めるほど、今の健康を犠牲にする以外の結論には至らないような気がするので。
それが手放せたということになるんでしょうね。
そういう話にしてみて思ったんですけど、そうするとやっぱりどうしたって、
じゃあ手放し方を教えてくださいということになりますよね。
これがなぜ答えにくいというか、その問いが、僕もしょっちゅうその問いを立ててたんですけども、
ライフハック的にね、ほうほうってことになるんですけど、
それが簡単でないというか、有効な感じがしないのはですね、
ほうほうってのは、今1分以内にできることって感じがしますよね。
でもやっぱり長い年月をかけて記憶の強化という、私からするとやらなきゃよかったようなことをやってきたわけですね。
それを1分でやめる方法とかいうものは、一時的にあるかもしれませんが、
記憶を弱める薬みたいなのが戻ってきますよね、常識的に考えて。
そういう訓練を自分で課してきたわけですから。
だから方法というよりはやっぱり習慣に近いんですよね。
ずっとそういう余計なことを思い出さない習慣というものが、だから今ちょっと困ってるわけですよ。
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グッドバイオス以来何年くらいこの習慣をやってきたのか。
記憶が弱くなってるんで、調べればわかるんですけど、調べる意欲も薄いんで、
まあ1年くらいかなって感じなんです。
これもまた大事なことでして、1年というのは何を意味しているかというと、
人はこの1年間じゃあ習慣化すれば消え失せるんですねっていう風に言いたいんだと思うんですけど、
それがまさにですね、帯状ってやつなんですよ。
終わってみて後から考えると、とにかくこれは大して難しいことでもなく、長い年月でもないんですよ。
長い短いというのはやっぱり絶対に感覚的に作り出されたイリュージョンなんですよ。
だって10億年から見れば1年とか一瞬じゃないですか。
そんなこと言っても意味ないじゃないですか。
例えば1日で死んじゃう虫からすると1年ってもう無限の長さみたいな宇宙的な単位になるじゃないですか。
これも比較の話ですよね。意味全くないですよね、こんなことを言ってみても。
問題になってくるのは結局その習慣化する年月が長いとやる気がしないとか、
短ければその気になれるとか、だから方法論は1分以内だったらやる気になるけど、
1年もかかるんじゃやめておこうって話になるじゃないですか。
そういう理屈ではこれはないと思うんですよ。
記憶をしっかり保持することのメリットですよね、その人にとって。
私にはそういうものはこうやって手放して見て思うと全くなかったということ。
ただそれは人によって違うじゃないですか。
76億のってよく蔵園さんもおっしゃいますけど、
つまり一人一人そのメリットは当然全員少しずつは絶対違うわけで、
それについて抽象的に手放しましょうって言っても意味がないんですよ。
とはいえメリットというのは多分ですね、
ネガティブな記憶を保持するメリットというのは、
そのネガティブさをこの話は何度もしてますが、避けるためなんでしょうけれども、
その意味では大した役には立たないとは思います。
ポジティブな記憶を保持しておくメリットというのは、
私は実際それはメリットではなくて趣味に近いものだと思います。
例えば昔の娘の写真を見るとか、完全に私から見ればいい趣味だと自分では思ってますが、
趣味は趣味です。
過去の写真をいっぱい並べて見るということは楽しいですけれども、
でも現在娘が目の前にいるわけですよ。
その関係性の中で何かをするのに比べて写真を見ている方が楽しいということはないんですよ、やっぱり。
だからあれはメリットじゃないと思うんですよね。
一つの趣味だと思うんです。
何かいいことがあるからあれをやっているわけではないんですよ。
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そうは言っても記録しておかないと困ることもあります。
何を記録しておけば困らないのかという問いは、
これはもうまったくライフハク側でグッドバイオス側じゃないですけど、答えられないです。
なぜならば未来は予測がつかないので、
思わぬ記録が役に立つし、役に立つと思っていた記録が全く役に立たないということはいくらもあるので、
つまり残しておく記録はなるべくライフログ的にトータルで残しておいた方が役には立つと思います。
話が脱線したのですが、
私はこれをずっとやっていく中で、
ますます記憶にしておく必要は全くないんだなと。
要するにイリュージョンなんで、記録は記録なんで、
それは過去の実態とかではないので、正確でも全くないです。
だいたいある出来事を日本語で残すと正確だというのはおかしいと思うんですよ。
なぜ英語より日本語が正しいのか、正確なのかとかそういうことってないじゃないですか。
私はただ日本語を読む方が簡単だから日本語で残しているだけで、
つまり記録などというのは部分的なものに決まっていて、
トータルで残せっこないんですよ。
トータルで残したら記録の意味って全くないですよね。
言葉というのはチョンギルから意味があるわけじゃないですか。
何でもいいんですけれども、
沖縄だけを取り出して、そこを沖縄ということに囲ってするから沖縄の意味があるんだって、
他とつながっているわけじゃないですか、実際には。
不正確に決まっているんですよ。
言葉で残す以上、写真で残したって同じですよね。
部分的な風景を撮るんですから。
しかも時間的なところも切り取るんですから。
動画だって同じで、絶対切り取らなかったら、
永遠に見ていなきゃならないんで、記録にならないですよ。
絶対不正確なわけじゃないですか。
そこに実体性を求めるはずは、僕らはそもそもないんですよ。
最初からそれが不正確になるのは分かっているわけですから。
そういうものを、現在に確実な影響を残すようにしちゃいけないと思うというか、
確実な影響を残すことに、メリットがあるはずがないですね。
それだって思い込みの中でしか影響を及ぼしませんので、
その不正確なデータをもとに、思い込みの影響を今の自分に残して、
良いことは起こらないと。単にそれだけのことだと思うんですね。
ただ、そのことを私たちはまた不思議なことに忘れるんですよね。
明らかにこれはメリットとデメリットが結構すらしないということを忘れるんです。
趣味はそれでいいと思うんですよ。
私はだから趣味でやっているわけです。記録を残すということをですね。
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だって趣味にメリットもデメリットもないですよね。
メリットがあるから趣味をやっているわけじゃないと思うんですよ。
規定をとっておくとかそういうことですよね。
別にそれはそれを後で使おうと思っているわけではない。
写真とかも同じだと思うんですね。今となっては。
グッドワイブスというのが、僕はだからなんで今こういう風な感じになってきたのか、
どうしてこういう自分の中の功能みたいなものがひどくはっきり感じられるようになってきたのかは、
よくわからないんですけれども、
後からなってみると、ここまでに至るのはあっという間に感じられる。
何か難しいことはしていない。
例えば過去のことを全部覚えておきなさいと言ったらすごい難しくなるんですけれども、
過去のことを全部忘れるというのはある種の努力をやめれば容易にできることですよね。
もともとできなかったわけですからね、昔のことを全部覚えておくとか。
今でも子供は苦手ですよね。
とはいえ、記憶力は見ていると娘の方が私よりも10倍以上いいような感じをしますけれども。
いろいろ脱線している感じもしますが、
要はグッドワイブスをやってよかったことというのは、健康。
突き詰めてしまうと全部健康です。
病気もそうだし、苦手な人も結局自分の感覚の中ではここに統合されている感じですね。
健康というところに統合されている。
つまり苦手な人をわざわざ記憶の中で保持してピン止めみたいにして、
自分の脳内なり意識内なりにコンと黒いものをコンと入れておくのは不健康なんですよ。
病的なんです、やはりそういうことをするって。
1人苦手な人がこの世にいるからって困ることはないとは思うんです。
でも実際に起こることはそういうことじゃなくて、
苦手な人がどこにいようといまいと意識の中にそれが保存される。
非常に僕は、今思えばですけど、その感覚が嫌な感覚だったと思います。
代わりに、もしそう感じる人がいるならばという意味ですね。
代わりに副作用があるとすると、記憶力がどうしたって低下する感じは否めない。
なぜならばその苦手な人っていう記憶自体がリュージョンではあっても、
それは記憶保持なので、その記憶保持をしないようにしているわけだから、
当然無警戒な感じになりますね。
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代わりに得る。逆なんですけどね。
代わりに不健康を得るんですけどね。私の今の感じではね。
代わりに不健康を得ることで、警戒というメリットというならばそういうものを得てきた。
それをやめたと。やめると今のようになるんだなという感じがします。
それを人が、背丈が良くなったのか良くなくなったのかは分からない。
私の感覚の中でしかないような気が。
人から見ればどっちだって変わらないんじゃないかという気がすごくしますね。
だってある私がマッサージ屋さんに行かなくなる、病院に行かなくなるということは、
他の人にとってはほぼ全くどうでもいい。
もしかするとマッサージ屋さんが少し困るかな、それはちょっと申し訳ないなと思ってるんですよ。
思ってるんですけど、それ以外の人たちにとってはほぼ全くどうでもいいことだと思うので、
多分私が変わるということがこういうことであれば、大したことには思えないと思います。
ただですね、さっきも言ったけれども、
世界に与える影響みたいな話とは全く違って、自分の中に存在したものとしての影響は、
この病的な感覚の保持というものは、とても思った以上に悪い。
だから自分がかつてですね、
グッドバイブスを知らないということで人生がそんなに安定するのかと言われると、
つまりいちいちいろんな格好で自分の警戒心、
つまり安全のために病気みたいなものを保存しては自分の中にとっておいて、
保存した自分の中にとっておいてというのをやれば、
そりゃ安定もするんですよ。
ってことです。
何が直接の悪影響を及ぼしてたとかではないんです。
それはですね、本当に不健全なんですよね。
私は今では雷について私がまだ保存しているそれは、
同じように不健全なものなんだと思う。
今は見えないんですよ、それが。
ただ多分手放すことになった後で見ると、
なんであんなことをやってたんだろうっていう感じがきっとするだろうと思います。
で、こういう話はですね、こういう話じゃないんだけど、
一番僕が今思うに、Good Vibesに興味があったらですね、
分かりやすいのは今はプラゾーの参考をやっているYouTubeの無料で見られる動画です。
あれをちょろっと見ていただくとですね、本当にさらっとでいいんですよ。
見ていただくとなんとなく分かっていただける一番簡単なところなんじゃないかと今では思うので、
よろしかったら見てみてください。
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Good Vibesの人生相談で検索すると多分ヒットすると思います。
あのね、こういうのもですね、記憶が弱いんですよ。
以前よりも全く弱いんです。
だから思い出しにくいし、ちゃんとGood Morning Vibesで言おうと、
一週間くらい前から思ってたんですけど、なんかこう、まあいいやみたいになっちゃうんですよね。
チェックリストとかにもあるんですよ、私タスクシュートやってるからね。
なんかまあいいやみたいになっちゃうんですよね。
まあいいやって感じがすごい大事なんだけど、こういう時にちょっとね、あれなんですよね。
まあでも、あ、そうだ。
今日一つ話し忘れてたんですけど、30分超えちゃったんで明日に回します。
というところで。