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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
時間の帯状に捉えないという話が、グッドバイブスには結構よく出てくるんですが、
とは言ってもですね、時間は数直線上にある、ではないかと思われる人もいらっしゃると思うんですね。
で、このことがですね、いろんなところで引っかかってきて、実はすごく大事なんじゃないかと思うんですよ。
で、私、今まで起こる起こられない問題が私の最重要課題だったんですけど、
もう一つがお金の問題。この二つがどうしても拭い去りたい問題だったんですけど、
今、ようやくその二つのイリュージョンがだいぶマシになってきて、
もう一個すごく同時に取り組みたいのが、未来は存在しないというアレなんですね。
だいぶこれも感覚として自分の中に入ってきているわけです。
過去はちょっと今置いといているんですよ。まずは未来がないということをはっきりさせてしまいたいという。
で、なんでかというとこれは、ダスクシュートをやっているときから、
未来というものについてあるという過程は役に立たないなと思っていたので、拭い去りやすいだろうというのもあるんですね。
ただ一方で、未来が帯状の時間という感覚は、割とダスクシュートのような時間術で強化していく面もあるので、
そこがですね、ややこしいところなわけです。
ダスクシュートで私は未来を、未来というものを仮定するのをよそうと思っていた一方で、
ダスクシュートが使っているからなお、やっぱり未来というものを、
未来じゃないんですけどね、時間の帯というものを意識しすぎてしまうということがあるんです。
で、このことは怒る怒られないということとも結構関わるんですけど、
どっちかというとですね、自分の苦手な人みたいな、そういう存在について考えたときに、
帯状で捉えないというのは非常に有効だなと思うんですよ。
このグッドモーニングバイブスにも何度か登場していただいている、しかもその人のことを知りもしないのに登場させてしまって、
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申し訳ないと言いながら取り上げているジョイさんのワーママのお話があるんですけど、
やっぱりこの方を私は時々、今でも目に入ると読んで、
この方の大変さを思えば、自分はもうちょっとイリュージョンとして楽だなっていうのがあってですね。
本当はこういう程度の比較そのものがあんまり良くないんですけど、
でもそういうことを考えているんですね。
で、やっぱり産後鬱の暗黒期っていう一つの名詞として登場するんですけど、
産後鬱の暗黒期が時々頭をもたげてして、それが忘れられないっていう話があるんですね。
つい先日も、ドラウマに近いものの記憶が残りやすいメカニズムについてあれこれ喋りましたが、
記憶が残ってしまって、あの時のこれを私は手放すわけにいかないんだと。
手放したいんだけどできないんだって話があった時に、
私はこの実は数直線化されている時間というものが悪さしてるんじゃないかと最近頻繁に思うんですね。
何がそういうふうに、どうしてそんなことを考えるかというと、
誰かと例えば仲直りしたとか、最近グッドバイブスのおかげででもいいんですけど、
奥さんとだんだん良い感じに慣れてきましたとするじゃないですか。
そうするとふと振り返ってみた時に、今までのいきさつとかってぐっと短くなるんですよ。ぐっと。
なんかもう2秒ぐらいの出来事みたいに思えちゃうんですよね。
つまり、あれほど長いことひどい目に遭ってきた、
あの長い時間の暗黒期をどうしてくれるんだっていうふうに思うわけですよ。
そのことにこだわっている間は。
これは、その長さが長いというよりは、長いというふうに脳が思わせようとしているというふうに僕には思えるんですね。
実際よりも長く感じている感じがあるから。
よく言うじゃないですか、永遠の苦しみ。
でも永遠ってのは、宇宙創生以来150億年続いているとか、そういうことはあり得ないですよね。
私たちはひとくしに150億年とか平気で言いますけど、
1万年とかだって普通の人間の脳ではちょっととらえきれない長さで、
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1万倍が1億年ですからね。
その100倍とかって意味をなさない数字だと思うんです。
ただの数字ですよね、それを。
永遠の苦しみっていった時には150億年を超えていくっていう雰囲気があるんだけど、
それはやっぱおかしいと思うんですよ。
つまりそれは、いつまでも終わらないっていう感じを抱かせちゃうんですよね、頭は。
数値的なものなんだと思うんです。
数値的なもので測っていると、そういうことをついつい考えがちになると思うんですね。
ところが、いったん問題が解決してしまって振り返ってみると、なんか2秒間ぐらいに思えるんですよ。
これは時々申し上げますが、脳には時間矢というものはないので、
時間の長さに関する感覚はデタラメなんですね。
それは頭の良し悪しは関係ないんですよ。
デタラメなんです。
正しく10分は5分の2倍であるという感覚を持つこともできる人って多分いなくて、
たぶんね、これいると正気を保てないんじゃないかと思いますね。
いなくて、すぐ伸縮しちゃうんですよ。
だからすごい疲れてる時は、さっき寝たと思ったのに8時間ももう経ったっていうことが起こるじゃないですか。
私一番時間の長さって実はイリュージョンなんだなと思ったのが、全身麻酔なんですよね。
1回だけ経験したことがあるんですけど、本当にびっくりします。
30分が消滅するんですよ。文字通り消滅します。
これやりましたから、はいもう眠くなりますからねって言われて、起きてくださいって言われるんです。
その間が30分です。
これはたぶん経験した人はみんなご存知だと思うんですけど、本当にびっくりしました。
え?って思いました。
あの時に脳が働いて何か頑張っていないと、
実際には時間間隔ってものを刻むためのものがあるんですけどね。
体内時計みたいなやつ。あれもいろいろあるんですよ。体内時計には。
1日の長さとか1秒の長さとかそれぞれ用意しておかないと時間やは何しろないですから。
わけわかんなくなっちゃいますからね。
一切働かないとどうなるか。時間ってなくなっちゃうんですね。
消滅しちゃうんですよ。
あれだと思ったんですよね。
苦手な人との関係が苦手でなくなると、苦手な人が私にしてきたこの長い期間の苦しみをどうしてくれるんだって、
その長い期間自体が実態のないものなんで、記憶なんであくまでも。
消え失せてしまいます。
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まさに麻酔のからくりはおかしいよね。
麻酔体験と同じように消失するので、
つまり消失するってことは逆に言うと記憶で作り出してるってことじゃないですか。
この長い期間のことがあるから許すことができないというふうに脳としては思うべき理由があるから、
この長い期間はとても長いんだと作り出してるわけですよね。そういうイリュージョンも。
一方間違ってそれは永遠とかいう言葉を使い始めるわけですよ。
100億年経っても消えないみたいな感じの。
ただし結局それは消えてみると2秒とかになっちゃうんですよ。
すこぶるいい加減なものなので。
確かになんかあった気がするくらいな感じなんですよ。
現に私そういう関係になる必ずしもグッドバイオスだからじゃないですよ。
やっぱりそういうことってあるじゃないですか。
一時お互い憎悪し合ってたんだけど、何かのきっかけで仲が良くなってっていうことがありますよね。
そうするとその時の記憶ってもいらないから頭的には。
事実上締め出すんだと思うんですよね。
そうするとあれなんかそんなようなこともあった気がするねってことになっちゃうじゃないですか。
もちろんそうなった場合はその間のお互い争っていた期間が
2年であろうと5年であろうと2秒とかになっちゃうわけですよね。
で、それが解消されないと思っている時は
そのお互いの憎悪期間は30年にも100年にも永遠にも思えると。
そういうことなんだと思うんですよ。
どっち側から見るかで長さがえらい違うということは
明らかにそこにある数字はどうでもいいということになりますよね。
この数値化された非常に疑わしいものは
やっぱりでありながら極めて我々の世界をよく支配しているものとして
2つあると思うんですよね。時間とお金だと思うんですよ。
お金もだいたいそうですよ。
皆さんだって1つや2つはあると思うんですよね。
例えば初代iPadってどうしましたかっていうことですよね。
買った人がいればですよ。
買った時は5万とかいう数字を出すわけじゃないですか。
5、0、0、0、0と。
今となってはガジェット、骨董品みたいなのをコレクションする趣味がなければ
ゴミですよね。
多分捨てるのに困るからティッシュよりも価値ないですよ。
ゴミにしたティッシュよりもダメだと思いますね、私は。
そうなるじゃないですか。
でも数字で表された価値ってもの。
いやいや5万円は大切でしょって思うですよね。
思いますよね。
でも5万円払って買ったものをどう処分していいのか
とにかく処分してしまいたいって風になりますよね、私たちは。
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それは両立する感覚だと思うんですよ。
で、時間も全く同じで
いやいや数字上に表せるでしょうって。
昔ゾウの時間、ネズミの時間っていう有名な本があったんですけど
ネズミの寿命は心臓を打つタイミングが早いために
寿命短いわけですね。
ゾウはゆっくりだから寿命は長い。
大型動物ほど一般に心臓ゆっくりで済むので寿命は長い。
けれども長い寿命の方が一生長く感じるかどうかは
また別の問題だと思うんですよ。
早金のように心臓を打ってるから
一瞬一瞬を長く感じられるから
短い時間でもそれなりに一生は長く感じているかもしれないですよね。
そこは我々はネズミになったりゾウになったりできないからわからないですけれども
だからといってつまり人間が見ると一日
だから結局一日で死んじゃう虫は一日で死んでしまう。
それはもう客観的に一日なんだって思うかもしれないけど
この一日で死ぬから自分の一生は一日だと感じるということは
たぶん絶対ないので
そういう考え方には意味がないような気がするんですよ。
そうするとこの数字で直すことのできる時間の長さというものは
まったくもしかすると根拠のないもので
そう考えてみるとですね
長い間のこの苦しみをどうしてくれるというあの感じは
まさに苦しみの中にあってこそ意味のある数字で
実際に苦しみがなくなってしまえば
同時に消えてしまうんで
さっさと手放すに越したことはないと
やっぱり言わざるを得ない気がするんですが
たぶんそんなことを言われても
この手放したくないものは手放したくないわけですから
手放さないですよね。
つまりこれ体験するよりほかないと思うんです。
それが一つの結局結論になるしかないと思うんですけれども
ただこれから手放そうとしているそれがですね
例えばこれはジョイさんのワーママさんの記事であった通りなんですが
自分を苦しめた等の相手は忘れていて
しかも自分も忘れられたらいいのにと思っていて
忘れられないということが問題だとするならば
そういう状況なんですけどね
覚えておこうという
脳の方針でもいいしその人の意思でもいいんですけれども
覚えておかなければいけないという
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強い意思が介在していなければ
逆に即忘れてしまうんですよ。
これ前も先日言った通りでして
ヒグマに襲われたことを脳の動物は忘れるから
そのうち食われるので
それを避けるために覚えておくというこの戦略
だから長く私を苦しめたような人間は
近づけないに限るという人が夫だったら
それは困りますよね。
離れられないにもかかわらず
離れさせようと脳はそういう風な戦略を取っているからこそ
長く苦しみを与えられたという
それはやっぱりイリュージョンなんですけど
このことの意味ってつまりは
油断してはいけないよということなんですね。
油断してはいけないという時に
その苦しみの時間を引っ張る
つまり苦しみの時間を長く解釈するように
頭がイリュージョンを作り出すとすれば
油断って何だろうって私は思ったんですよ。
油断とはつまり
全ての苦しみは実は一瞬で終わるという感覚こそ
油断というものなんではないかと。
先日変動体モードは電光石化に実は終了するって話をしたわけです。
なぜならば変動体モードはコルチゾールを分泌するが
コルチゾールの分泌をもって終端というシグナルを送るので
その瞬間、だってそれはその瞬間的に対応したわけですから
対応し終わればもういらないわけですよ。
にもかかわらず上司に怒られたシーンをぐるぐる引っ張ったり
昔の暗黒時代を長く捉えるというのは
つまりそれはコルチゾールが分泌されている時間そのものが長すぎるわけですね。
そうすると記憶に残るので
ますますその時間が長いというふうに認識するように持っていかれる。
この感覚が時間間隔の一つの
帯状の時間間隔というものを作り出しているに違いないと。
よく考えてみるとですね、私最近思うようになったんですけど
帯状の時間に絡むもの全てと言っていいぐらい全部ではないけれども
でもおおむねほとんどがですね、ネガティブに彩られている気がするんですね。
だからこれを捨て去りたいんですね。
帯状の時間というもので
それ全体がポジティブに彩られているという記憶のあるものが
もしかすると一つもないような気がするんですよ。
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楽しかった思い出は一つたりとも帯状になってないような気がするんですね。
この引っ張ってる感じがするんです、結局。
時間というのは時間間がないといった通り
本当の意味で知覚できていないので
究極的に麻酔と同じになってしまうと思うんですよね。
一瞬で消滅し去ってしまう。
これだと少なくとも警戒ってできないですよね、全くできない。
そもそも警戒心というものを多分究極的な意味で解くために
全身麻酔ってすると思うので
現に私はその時には痛いし痛みを伴うことをやったから
全身麻酔言ってもらったわけですからね。
高校時代であろうと何時代であろうと楽しかった思い出っていうのは
帯状になってないんですよね。
楽しかった最中にコルジゾールって分泌されないですよね。
記憶はありますよ。
この帯状の時間感覚を作り出すものというのは
もちろん時計なんだと思うし
小読みなんだと思うんですけど
それに何かネガティブな事柄が絡んで初めてですね
極めてはっきりと引っ張られた長い時間感覚というものが
発生するんじゃないかという気が非常にします。
睡眠中の記憶ってそうなってないですもんね。
7時間とかいったって7時間の帯を寝てるって感じがいまいちしない。
寝るっていうのは何かもっと時間の伸縮が雑になる感じがするんです。
だから帯状になってたら
特に大人になると帯状っていうのはすごいネガティブな感じがしますね。
映画館2時間とかって言うけれども
2時間という帯を意識する映画って多分つまんないと思うんですよ。
面白ければ面白いほどそういう時間感覚とは無縁でいられる気がします。
つまり
あの帯状を最初に作り出すのって多分
退屈とかもそうですし
嫌な思い出ってやっぱりそういうものだと思いますし
何にせよ一瞬で本来終わっていいはずのものを
何らかの理由で記憶が引っ張ってしまって
それが長いという意識を保持しようと。
保持しなければダメなんだと。
これは長いんだと思えと。
そういうことが帯状の時間を作り出すのではないかという風に思う。
現に私は仕事が充実していてその仕事をやっている時に
帯状の時間という感覚は全くなくなるので
あれがあっていいことってないと思うんですよ。
だから
扁桃体カラフジコルチゾール
これも本当は電光石火で終わるはずなんですよ。
ただそうすると私たちは行ってみれば警戒しないので
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警戒し続けるということを必要とするために
警戒し続けている時の長さはただ
いい気持ちのはずないですから
これが帯状なんじゃないかなと
帯状のベースを作るんじゃないかなと。
ますます帯状というものをなくしていきたいと思うんですよね。
過去の、例えば僕がよくスクシュートで日時レビューってするんですけど
日時レビューって時間の長さ出るんですが
意味があんまりないんですよね。
後ろから振り返ってみた時
これは56分、あっちは25分とか
何の意味もないんです。
ただのデータでしかない。
帯状にそれこそ変えるんだけれども
そういうやり方もあるんですけど
帯状になった時の時間というものが
楽しかった時ほどデタラメな感じがするんですよ。
私今は食事の時間ってほぼ残すにとるようにしてるんですね。
90分とか100分とか120分とかザラなんですよ。
そういう話をするとまた非常に多くの人がけげんな顔をするというか
スクシュートユーザーともあるものが2時間も飯に浸かって
なんなんだっていう風に思うのかもしれないですけど
どうでもいいことですよね。
つまりそこを10分にしたら
110分分素晴らしいことがやれるはずっていうのは
全く嘘だと思いますね。
これはまた違う話にもなってくるかもしれないんですけど
なんとなくこの帯状の時間のありがたがというのはですね
大元に根本的に何か誤解があるような気がします。
帯状は多分後から振り返ると
本当にそれが時間の長さを伴っている実感があるならば
多分未解決の嫌なことだと思いますね。
60分いい思いをしましたという記録を見て
その60分という長さを後から振り返って実感するのは
すっごい難しいことで私なんかだいたいできないです。
面白かったことほど一瞬になってるんで。
この一瞬という時間間隔が正しいんじゃないかと思うんですよ。
長いのは全部ネガティブというのは
要はそれは警戒している長さの意識を
無理やり作り出す時に起こる方便みたいなものなので
だからその問題が解決しちゃうと
その出来事の時間も2秒とかになっちゃうんですよね。
記憶っていうのは多分もっと圧縮されたものとして思い出されるのが自然であって
帯的な長さで思い出せないと思うんです。
全部の出来事を時間の巻きながら通りに思い出すんだったら
記憶って何の役にも立たないですよ。
2時間のことを思い出すのに2時間かかるようではダメだと思うんですよ。
長いっていうのはそういう意味で
記憶の中でも何か特殊なリメイクが施されているのかなと思うわけです。