2022-12-09 29:49

【715】100チャレ編 時間は万能ではない

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タスクシュート で時間の万能感を明らめる
00:04
おはようございます。みんなのセラピー心理学第715回となると思います。
今はですね、12月の8日木曜日21時ジャストですね。
多分前回が714回だと思うんですけども、
この回はですね、甘えを否定するとクレーマーになる。これ、私としてはそれなりに発見だったんですよ。
これをわりとあちこちで喋ったり書いたりする機会に恵まれているといいなと思いつつ、
これですね、これ難しい話、難しい話っていうか、話が難しいって言うんじゃなくて、話が難しいのかな?
この話は、それなりに僕としてはですね、エポックなんですよね。
なんですが、私が考えついたというわけじゃないから、だからなのかそうでないのかわかりませんけど、こういうことについてね、話し合える人というのが欲しいっていうのがあるんですね。
確信が持ちきれないんですよ。
ので、60分の対話とかでこういう話をご希望があればね、させていただくんですけど、だから最近60分の対話の中でですね、これは私の現在行っているサービスなんですけども、
6600円いただいて60分対話、対話で自分が生に会の話をしたいっていうのも非常に微妙な感じなんですけれども、
でも私、この状況というのが非常に自分の仕事の中でも仕事している感というのが実はあるんですね。
多分こういうもんなんじゃないかなって思いますね。
本当ですね、カウンセリングというものはこの世の中にあって、精神分析の話を読んでいても、必要な情報をカウンセラーの方が出すっていう形式ってほとんど存在しないんだなと思いますね。
この形式を求めると、そういうことは当然行われてもいるんだと思うんだけど、この形式を渇望するという状態になるってことそのものが、もうカウンセリングを必要とする状態なんですよ。
逆説的ですけども、やっぱり僕はですね、このマッチ売りの少女状態というのをずっとこう最近、この言葉でなんか結構推していけないかなって思っているんだけど、
吸ったら望みのものが出てくるという状態を求める心理状態は危険水域なんだなって思いますね。
そういうことが言えるほど余裕があっていいと言われることもあるし、実際そういうふうに指摘されることもありますし、
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フロイトがね、現実原則と言ったんだけど、現実原則というとなんかやけに厳しいように思われるかもしれないですけど、でもそういう面もありますよね。
今のヨーロッパの戦争とか見てるとそういう面はありますが、一方でですね、やっぱりこう、万能感というものに浸ってたいという状態か、
万能感に、たまに浸るのはいいと思うんですよ、別に。ドラッグとかはちょっとまずいと思うんだけど、たまに万能感に浸るというのはいいと思うんですけど、でも万能感に浸っていることの方が幸せだという心理状態というのはやっぱり、
それ自体がですね、なんていうんですかね、うまい言い方が見つからないんでこういうしかないんですけど、現実感覚を既存すると言いますか。
クラゾノさんのウッドバイオスリーによると言うと、平安というものはつまらないなって感じを抱いてしまうときほど、私は危険な状況だとは思うんですね。
現実原則というのは快楽原則、これはフロイトの言葉ですけどね、快楽原則を超えてみたいな論文もあるんだけど、何らそれと比較して劣る、見劣りするものではないということを最終的にはカウンセリングってお伝えしていると思うし、ウッドバイオスもそうだと思うし、ストア派みたいな哲学でもそうだと思うし、
いろんなものがこのことを手を返しなおかり言っている気がします。
今日は100チャレの皆様にお届けする回なんですよ。いわゆる100チャレ編というやつですね。みんなのセラピー心理学の100チャレ編。
こっちはグッドモーニングバイオス、ボイスのほうがいいような気もしちゃうんだけど、タイトルをいちいちここで動かしていると、いよいよただ分かりにくくなるだけなんで、このままいきますが、
100チャレ編では先送りかタスクシュートを基本的なテーマとしたいんだけど、でもやっぱりタスクシュートも今の私の考えではまさにそういうものなんですね。
万能感というものを迷い込まないための方法論でありツールだと、私にとってはですね、タスクシュートは。
まずタスクシュートをしばらく使っていただくうちに、基礎的なマネジメントができるようになるっていうのがまず大事なポイントなんですよ。
これで、あんまりぐっちゃぐちゃな時間の使い方でも、むしろ平安な人は何にも問題ないんですね。
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ただ、メンタル的にちょっと安定しないというときに、それこそその万能感を強く求めている心理状態のまま、ぐっちゃぐちゃな時間の使い方をしていると抜け出せなくなるんですよ。
言ってみればそのイリュージョンから抜け出しにくくなるので、いわゆる規則正しい生活、これもね、面白くもなんともないんですよね。
この面白くもなんともないけど、一般に良いとされているものは、要は平安というものに機械的にというか強制的に居続けさせる力があるんじゃないかなっていうのを最近ちょっとまず思うんですね。
ストア派とかが本当に言っていることって、まんまこれに近いんですよ。
一番私が心に今残っているのが、例えばお隣さんのお嬢さんが亡くなったというのに対しては、十分同情してやらなければいけないけど、同じように悲しんではならない。
これはなるほどストイックと言われるだけのことはあるけれども、ある意味諸星術的ではありますよね。
そしてものすごくやっぱり僕は仏教の言うことそっくりだなと感じなくもないんですよね。
これを奴隷だとか皇帝だとかが考えていった哲学だというのが面白いなと思います。
これとタスクシュートって私の感覚の中では似ているんですよ。
非常によく似たところがあるんですよ。
タスクシュートって結局最初は時間万能感を求めるところからスタートすると思うんですね。
とにかく我々は万能感というものを求めちゃいがちなんですよ。
お金にこれを求めるのはごくごく一番多いかもしれませんよね。
クラスの平蔵さんはギャンブルだっていうところの話がよく出てくるんだけれども、
ギャンブルというのはつまりお金ですよね。
お金以上の何かを感じるんだけど、お金が関係しているからこそのものだとは思うんですね。
多分ただ何かのアイテムが出てくるだけではほとんどの人があの半分もハマりはしないだろうという気はします。
つまりお金というのが私たちの万能感というものを、
お金が無限にあれば万能だみたいな、あるいは一生食うに困らない金があれば万能になれるみたいな、
そういうマッチ売りの少女のマッチみたいなところがお金には間違いなくあると思うんですよ。
これに準ずるのが時間だと思うんですよね。
無限に時間があれば万能だと、そういう感じを持っていると思うんですよ。
私はその万能感を人間にもたらすものは全部、要するに対象としての母親、要するにいいおっぱいなわけですよ。
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基本的にそれは約束のものはもたらさない。
私は時間などお金などではなくて、お金には結構そういう万能感を抱いていましたけど、
彼女ってものだったんですよね。
彼女がいれば人生は万事OKになると。
これも多分、これを信じない人から言うと、
それはパチンコと何ら変わらないぐらい全く信用のならないものにあてにしているよと言われるでしょうけれども、
これ不思議なんですよね。
本人にとって万能感をもたらすものって、
うむを言わさぬ力をなぜか持っているんですよ。
危険なものだとは確かに思いますけどね。
確かに、僕のようなのでも彼女ができたことは何回かありましたけど、
現実は何ら変わりませんでしたからね。
当たり前なんですけど、
ここが快楽原則を超えて現実原則に生きなければっていう話をフロイトがするところだし、
フロイトに言わせると人間にとって一番大事なのは愛することと働くことなわけですよ。
完全に現実主義ですよね、これは。
タスクシュートを使っている方というのは、
当然時間万能感というものを結構あてにされていると思うし、
特に入り口付近ではそうだと思うんですよね。
やるべきことはさっさと片付けて自由になる時間、
自分の時間を最大化すると人生うまくいくというイリュージョンを言ってみれば、
日々確実になだらかにしていって、
やがてそういう事態自体は起き得ないというところまで持っていく頃には、
にもかかわらず規則正しい生活だけはそこに残るのではないかと思うんですよね。
つまりマネジメントはそこで一旦終了する。
その頃には時間万能感というものもかなり背景に仕入れづいている。
ここで理想的には時間の万能感というものから解放されると。
そうして時間というものは決して自分の人生を万能的に豊かにしてくれないという現実原則があるわけですよ。
そこまで行き着いたら一旦このツールとメソッドの役割は終わると思うんですね。
そこから先は自由なんですよ。
そこから先こそが自由なんですよね、私の感じでは。
やっぱりマッチ吸ってる間は不自由なんですよ。
だって我々は現実にしか自由に生きることはできないから、
結局マッチの中のご馳走は食べられないし、
マッチの中の暖かい家族は直に接することはできないんですよね。
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直に接することができるのは、あの世界は過酷なので、夜の暗い雪の中の世界なんですよ。
でもここに自由があるんですね。
ということを私はタスクシュートで学んだ気がするんですよ、大部分をね。
ここに自由があるんですよ。
そこで要求されているタスクが他人発の依頼であろうが、
ごく普通の生活の繰り返しであろうが、なんだろうが、そこに自由があるんですよ。
物食べたり、お風呂入ったり、寝たりですね。
これだけでは人生を生きるに値しないと思っている間は、
なかなか生き始めること自体ができないと思うんですよね。
というのが僕はタスクシュートで自分たちに伝えてくるリアルだという感じがします。
そういう意味で家計簿と似ているんですよね。
家計簿をいくら付けていても、億万長者にはなれないんですよ。
そういうためのツールとしては、家計簿って全くと言っていいくらい役には立たないと思うんですね。
あれはやっぱりお金は万能ではないということを教えてくれるものだと思うんですよね。
でも家計簿の中にあるものは貴重じゃないですか。
非常に。
生きていく上では欠かせないものを買って、
僕らはほとんどの人は生きていく上で欠かせないもの、
プラス日本人であれば、わりと余剰の贅沢もして、
資質の大半はそれで成り立っていると思うんですよ。
それがリアルってものだと思うんですよね。
ここにありがたみを感じられないということは、
生きているってことはありがたくもなんともないことだってことになっちゃうような気がしません。
やっぱり僕はそういうふうに家計簿を見ても、タスクシュートを見ても感じるわけです。
感謝しましょうっていうことはですね。
よく言う通り、あんまり僕は言うところじゃないなと思うんですよ。
感謝って結果的にするものであって、
先に感謝する心持ちでいきましょうみたいな感じの話っていうのは、
ちょっとピンとこないんですよね。
うちの実家は寺だったから、感謝しましょうみたいな話は、
そんなに言わなかった気がしますね。
うちの父とかはね。
坊主なんですけどね。
もうちょっと普通なんですよね。
わりとありきたりなんです。
ありきたりって非常に大事だと思うんですよね。
つまり普通ってことなんですけどね。
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タスクシュートのリストっていうのは、
普通になっていくのが僕は一番いいと思うんですよね。
普通のことやってるなっていう朝から晩までね。
それができれば最高だと思うんですよね。
それでは全くないものを目指すために最初使い始めるかもしれないんだけど、
気がつくと普通のリストになっていく。
家計簿ってそういうものなんですよね。
普通の家計簿になっていくといいと思うんですよ。
お金増やせないんだったら意味ないっていうのって、
家計簿向きではないと思うし、
でも結局現実にお金が貯まっていく人って、
家計簿つけてる人に多いような気がするんですね。
そういうこれは話なんですよ、多分。
家計簿に比べると少し予算型ですけどね、タスクシュートは。
一応リピートは出る。
私家計簿でもリピートが出るやつがあったら便利だろうなっていう感じはしますね。
このイメージ持っていただくとタスクシュートっていうのは理解が早まるとは思うんですよね。
先月使ったように今月も使いますよと。
あるいは1年前の12月に使ったように今年の12月も使いますよ。
多分この2つを組み合わせてAI的に計算するとですね、
かなり良い線いくとは思いますね。
全く同じにはならないですよ。
今年物の値段上がったり円安になったりしてますからね。
こういう風に必ず不足の事態って絶対起きるはずなんですよ。
起きないとむしろ変ですよ。
だけれども、そうは言っても何にも残ってないよりは多分予測の線としては良い線いくとは思うんですよね。
この2つは全然矛盾しないと思うし、
そうである方がやっぱりそれこそ普通じゃないですか。
大事なのはこの流れの中でですね、
お金など時間などに万能感を抱かないということ。
つまり僕は今時間とか特にそうなんですけど、
これをご所を大事に使いたいとかは全然思わないんですよ。
好きにすればいいと思うんですよね。
なぜならばこれを最大限活用するということで、
人生を劇的に好転させるとかはできないと思います。
ここをやたら残念に思うことはないとも思うんですね。
ただ最初の入り口としては万能感を求めてタスクシュートを使っていくのでいいと思うんです。
そのうちこれがなだらかになっていく。
当然こうなるところに必ず行き着くんですよ。
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つまりもともとそういう時間の使い方をしていますよねってところに
記録は集約されていくに決まっていると思うんですよ。
これは誰がやってもそうなるところにポイントがあるんだとそういうふうに思います。
つまり多分ごく当たり前のことに時間を使い、
ごく当たり前のことを繰り返して、
ごく当たり前のリピートタスクがそこに残っていくというのがタスクシュートなんですよ。
このことに難点ですかね。
深く納得して、つまりこれができるっていうのがどっちがいいかな。
甘えが満たされているってこと。
今日はそっちにしようと思うんですね。
先日言った通り、自分が甘えていい半径というものを角に狭めるとですね、
実はこの時間で僕は考えたんだけど、
時間の万能感というものに異常に期待して、
自分でやるべきことは全部自分がやり、
しかも人に頼まれていることまでも短時間でカチッと済ませて、
さらに自分を優秀にするために自分時間なるものを投資するっていう発想を取るってことですね。
これが一番人気があるんですけれども、
つまり甘えられる半径をぐっと狭めるってことですよね。
人に甘えないと。
ギリギリの線よりも遥かに内側に甘えの半径を狭めると。
そうするとまずめちゃくちゃストレスフルになるんですよ。
それってつまり結局のところは我々人類っていうのは、
例えばあんまり綺麗でもない水を汲みに半年とか、半年はおかしいね。
半日とかかけて戻ってきていた。
そういうのが昔から割と長い間、
下手すると1万年近く生きてきた人類の生き方だったわけじゃないですか。
ここ本当に最近のことだと思いますよね。
ほとんどの国民は朝ジャッとやれば水が出る。
なんならお湯も出てくるみたい。
これはつまりものすごくそういう意味で、
たぶん水ひとつ取ってこうなんだから暖を取るとか、
明かりをつけるとかそういうものを含めると、
昔に比べても圧倒的に僕らは他人の力に依存して生きているわけだと思うんですよね。
これを不快だと思ったら大変ですよね。
つまり甘えの輪みたいなものを僕はイメージしてるんだけど、
これを1センチ内側にしたらもうストレスで発狂しそうになると思います。
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しかも頼ってはいるはずなんですよ。
急に頼らなくはできないですよね。
なくてもこういう物質的なことのほうが説明しやすいから、
こっちを中心にしゃべるんですけれども、
実は情緒的に人に頼っている部分のほうが大きいと僕なんかは思うんですね。
これは僕が心理のほうに寄っている性はちょっとあるとは思うんですが、
他人がいるて初めて安心して生きていけるとか、
他人に頼られてあるいは同時に頼ってですね、
生きていて初めてこう情緒的に満たされているっていう部分があって、
しかも僕らはそれに自覚がないんですよ、あんまり。
ここを減らしにかかると、
すっごくストレスがひどくなっていくと思うんですね。
で、これで時間の投資ということをやってですね、
人により頼らずに生きていこうという方向で生きるってことは、
これはますます甘えの輪を狭めていこうというわけですよね。
代わりに多分お金だと思うんですけど、お金なりの万能感、
あるいは自分の能力なりの万能感というものに
シフトして生きていこうという話だと思うんですよね。
これが実は成功すれば成功するだけ、
僕らのストレスというのはさらに拡大していって、
どっかで取り返しのつかないことになっちゃうと思うんですよ。
多分途中で起きることが欲打つ状態だと思うんですね。
不思議なことにお金もあり、時間もあり、能力も身について、
そして人の世話になっていると感じられる部分が少なくなって、
むやみやたらと人のお世話もしないと、
甘えが良くないと思っているんだから、他人の甘えも認めたくはないですよね。
こうして甘えというものの面積が縮小した上に乗った人生を生きているうちに、
すっごい不安になったりするとか、
ものすごく元気がなくなっていくとか、
そういうことが進行していくと思うんですよね。
もう話が元に戻っているんですけど、先日の話に。
やっぱり席を電車で譲られて、
ありがとうと言って素直に座れる人と、
申し訳ないからいいですという人にとってのストレスの差を考えてほしいんですよ。
多分、申し訳なく思う人のストレスの方が、
はるかにこの事態一つとってもでかいじゃないですか。
これが生活の全ての領域にかかってくるわけだから、
前者と後者とでは受けるストレスの差は、
1日でも絶大に違うと思うわけですよ。
これを僕はですね、タスクシュートなりでもそうだけど、
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何でも甘えずに済む万能感みたいなもので、
拡大する方向を食い止めるっていうのが、
自分の仕事のまず第一だなって、
最近は本当に思います。
とにかくこれをやめないと何も始まらないんじゃないかと。
しかもほとんどの場合、
こう言っちゃちょっと申し訳ないんですけど、
この企画で成功する人ってすごい少ないですからね。
今朝もグラドノさんのポッドキャストを聞いてて、
確かにこれが上手くいくという、ある意味不幸な人も、
僕はそれに不幸な人だと思うんだけど、
いらっしゃるんですよ。
自分に頼むって言うんですよね。
立心弁に寺かな。
自分に頼む人。
それで上手くいっちゃう人もいるんだけれども、
ほとんどの人はこれ上手くもいかないんですよ。
ずっと同じことを繰り返すことになるじゃないですか。
そういうことをやってると、
新しい何か、自分を万能にしてくれるスキルなり、
ガジェットなり、お金なり、時間なりというものを
増やそう増やそうとするんだけど増えないと。
増えないんですけどね、多くの場合は。
つまり万能感を得られなければ
甘えられる面積も広がって、
同じまんまだと。
そして減らさなければいけないという
ストレスだけは日々抱えているという。
この状態がですね、
やっぱり目につく気がするんですよね。
自分には。
だから私はタスクシュートでも、
これ結局先取りして言っちゃってるのが
いけないんですけどね。
全てのタスクに上下がないとか、
先のことをリストに置いておいても
それが守れるかどうかは
分かったもんじゃないとか、
そもそも分かる必要もないとか、
いう話をしたくなるわけですね。
こうしておかないと
ストレスフルになる以外に
何にもいいことが起きない気がするわけです。
仮にその通りになっても
ストレスは減らないですから。
多分人って
何度も言うけど
デフォルトで甘えてるわけですよ。
この状態が面白くないと思っても
甘えてる自体を減らすことはできないんですよね。
甘えてる自体そのものが
ストレスだということになると
減らないわけだから
ずっとストレスになるじゃないですか。
億万長者になれば
確かに数ミリぐらいの甘えを
そのお金で埋めることはできるんですよね。
でもお金で埋めるのって
他の人の労働力によって
埋めるのと同じなので
よっぽどそこのところを
取引的に割り切れる人でないと
結局それ自分でやれてるわけじゃないな
ということに気づかざるを得ないと思うんですよ。
で、ある意味では
だからこそあるじゃないですか
自給自足的生活っていう方向に向かっていく人
多分これは自力の無力さというものが
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不安だっていう側面もあると思うんですよね。
もちろんああいう生活には
ああいう生活の良さがあると思うんだけど
あれってただものすごく不便になる割に
依存度をゼロにできるわけではないと思うんですよね。
これだったらですね、私は
甘えを認めるのが一番手っ取り早いような
気がするんですよ。もっともっと。
もともと甘えて生まれてきたわけですからね。
問題なのはここを
自覚できない甘えが悪いことだっていう
その感情に
自分も他人も否定するから
この感情によってね
自分も他人も否定するから始まったストレスなので
それ辞めりさえすれば
いいんじゃないかという気がするんですよね。
だからそれこそですね
どんな話でもいいんですけどね
例えば今私がそうしてるんだけど
実家の肉親のために
土曜日に半日かけて
さらに月曜日に半日かけるとか
こういうのをですね
今の世の中では
おぞましいことのように
言いすぎている感じがするんですよね。
本当に大変ですみたいな
介護が大変ですみたいな話
大変なんだろうとは思うんですよ。
仕事もあるしね。
だけど
心だから甘えをどうやって
今受け入れてるように受け入れるかってことなんですよね。
極端に言うと
満たされていれば自覚せずに済む
そういう感じで
人の甘えというものを満たすってことも
できるんじゃないかなと思うんですよ。
ウィニコットって人がね
Going on beingって言って
静かにそこに息づいてるって言うんですけど
まさにそういう感じがするんですよね。
平安と言ってもいいんだけれども。
満たされてる限りは
穏やかでいられるってことなんですよ。
満たしてあげるのが
大変困難だとか
満たされているという部分に
ストレスだっていう風になると
ものすごく
自分の心がですね
心穏やかでなくなっていくと思うんですね。
想像しくなっちゃう。
これを
僕は
タスクシュートというもので
全部
Going on beingで
理想は
穏やかに息づいているように
終わって
生かせられればいいかなと思って
100日チャレンジでは
そういう方向のことを
いつも僕は意識して
喋ったりコメントしたりしています。
今回第2回目になりますね。
この
Podcast 100日チャレンジ編でした。
29:49

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