00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
11月21日にですね、怒られたくない人というタイトルでセミナーをします。
これは私、ずっと昔からやりたかった系のセミナーでして、
気がつくとですね、その話がライフハックなり、タスク管理なりに出たわけですけれども、
どうしてかというと、怒られたくないを心理的に攻めたかったんですが、
時代の要請というのか、私のキャラクターというのか、
チェックリストを作って怒られるのを未然に防ぎましょうという話の方が、
現場で受け入れられやすく感じられたんですよ。
本もやっぱりそういう方が依頼が来てたんで、気がつくとですね、
タスク管理になっていたと。そういう実情があったんですね。
自分は心理系の方に行かないと、タスク管理で怒られないようにするというのは、
結局怒られたくないという気持ちは残ってしまうんじゃないですか。
それでいいじゃないかという意見ももちろんあると思うんですが、
自分自身もそうだったんですけれども、怒られないということを
スケジュール帳なり、タスク管理なり、手帳なりで実現するのはいいんですが、
私自身もやっていたし、だけれどもそれによって怒られなかったとしても、
怒られたくない、怒られることに過剰に怯えてしまう自分というのは、そのまんまなんですよね。
その問題がずっとあって、だから、ちょっと今タイトルを正確に見えないんですけど、
腐りてくる一言を跳ね返すとか、そういう本を結構読んできたんですよ、自分は。
なぜかというと、たとえどれほど未然にトラブルを防げたとしても、
100%10年に渡って一度も怒られずに済ませるというわけにはいかないですし、
トラブルが起きなくたって何か言われることは現実にあるわけで、
しかも一番の問題はですね、それよりも何よりも、
怒られてなくても怒られることを恐れているという心理状態は続くんですね。
こっちを何とかしたいというのがあって、タスク管理の話は他のところでも散々やってるんで、
それはもうバッサリは脅さないけれどもですね、基本的には心理メインでいこうと。
つまり、未然に防ぐことによって怒られたくない気持ちをどうにかすることはできないじゃないですか。
あくまでもできることは怒られないということでしかないんですよね。
でしかないということはないんだけど、恐れている、怯えていることのほうが、
こうも少なくともストレスなんですよ。それを何とかしましょうという話をしたいと思います。
03:04
で、それとちょっと関係あるような内容なんですが、
先日ですね、Twitterで微弱な快楽というのが出てきて面白かったので撮っておいたんですけど、
要は仕事、作業、タスクですね。
一旦SNSとかYouTubeの動画を開くと止まらなくなる現象。
ドンピシャすぎて怖いと話題にというトゥゲッタなんですけど、見たのはね。
そこで微弱な快楽という名前がつけられたんですが、
微弱かどうかはあまり関係ないような気もするんですよ。
微弱だから満たしきれないんでしょうね、気持ちが。
これはですね、やっぱりドーパミンで説明するところだと思うんですよね。
少なくとも神経質理学的にはそうだなと。
ドーパミンっていうのは、一時は快楽物質とかって言われてたんですけど、
快楽物質ではないと思うんですよ。
期待を煽る物質なんですね。
人を行動に借り立てるためのものです。
最近面白い本を、まだ全部読んでなくて最初の本だけなんですけど、
モットーっていうタイトルの本で、確かインターシフトかな。
ちょっと忘れちゃったんですけど、モットーというタイトルで、
あれがまさにドーパミンを表してる。
多分ドーパミンについて書いてる本なんですけども、
モットーなんとか。
一番簡単に説明するのは、
一番簡単に言うと、
ドーパミンって客食することを機能としているんですね。
よく見せるわけですよ。
多分グッドバイブスでもそうですし、
期待が裏切られるということは、
なぜそれを期待したのかということを考えましょうっていうような話が
グッドバイブスでもあるし、
全然違う言い方をしてるけれども、
フロイトの方でも、精神分析の方でもですね、
投影という言い方をしますね。
投影をするから分裂するんですけれども、
その辺はいつも話してる話ですけれども、
パッと言ってしまうと分かりにくくなって、
追っていきますが、
そもそも作業を始める前に、
なぜYouTubeの動画を見るかというと、
そこに期待があるからなんですよ。
微弱であろうが何だろう、微弱であろうが極小であろうが、
期待があるんですよ。
その期待はYouTubeが作り出しているように思うんですが、
06:03
実際のこの期待っていうのは気持ちの中にあるものだから、
意識の中にあるものですから、
脳が作り出すものじゃないですか。
脳のどこが得意っていう話、
どこっていうよりは何がって感じなんですけど、
それがドーパミンという物質なんですね。
そのドーパミンが働くと、
一番分かりやすいところで言うと、
道ですれ違った異性がとても素晴らしく見えるのですよ。
つまりその人と一緒にいたら、
すごく未来は良くなるだろうなという、
想像をたくましくさせる。
そのために欠かせない。
逆に言うと、ドーパミンが働かないとそうは見えない。
昔、私も不思議に思ったんですけど、
そういう気持ちになるのって、
10代は過ぎるじゃないですか。
少なくとも10代に乗っかってからのことなんですよね。
私8歳の時とか、道で異性とすれ違っても何にもときめきませんでしたから、
変わったんですよね。
それは説明できちゃうんですよ。
ドーパミンが走ってないんですね、その年では。
ドーパミンが走ってなければ、
そのようなときめきは起こらないんですよ。
ファミリーコンピューターのCMを見ると走るんですよ。
あれがあったらさぞ毎日が楽しくなるだろうと。
でも、今ファミコンの画面を見ても、
僕のドーパミンは機能しないんですよ。
だってもう今ああいう、
ドーパミンが走っていないと、
ドーパミンが走っていないと、
ドーパミンが走っていないと、
ドーパミンの画面が機能しないんですよ。
だってもう今ああいうカクカクの、
あれが懐かしいって言う人はいますけど、
カクカクの画面のゲームをしたいと思わないじゃないですか。
ましてあれ1本4800円とかであったら、
全然ドーパミンは作動しないんですよ。
だって只でできるじゃないですか。
つまりそういうことなんですよ。
YouTubeがワクワクさせるわけじゃないし、期待させるわけではなくて、ドーパミンが期待させるわけですよね。
ドーパミンが働かないと期待しなくなるんですよ。だから色あせて見えるって言うとするじゃないですか。
色あせちゃいないんだけど、他のものに対して、水際だってはいないんですね。
それがこう、輝いて見えたりはしないわけです。
太陽じゃないんで、勝手に輝いているものじゃないんですね。
ドーパミンの働きがあって初めて輝けるものなんですよ。
MODの中で面白い事例があったんですけど、新しくできたカフェとクロワッサン。
09:02
それがオープンするという知らせを受けただけでも、
カフェとクロワッサンが朝の色塗りを加えてくれて、そこに行きたいと強く思う。
だけど実際には店を見てもいない。
こういう事が私たちの心理には多々ありますよね。
しかもその店に入ったのが今日で500日目になると、
全く最初に感じたようなものはなくなるんですよね。
少なからぬ人がこれに恋愛系も含めて騙されたって言うんですけど、
騙されてるわけじゃないような気もするんですね。
突き詰めて言えば、ドーパミンが活性化しさえすれば何もなくてもいいんですよ。
極端な話。そこに何もなくてもいいんですね。
ときめきもワクワクも勝手に起こってしまうんですよ。
そういう純然だる期待感みたいなものって時々ありますよね。
あれは一種の神経症の一種みたいに言われることもありますけど、
デジャビューというものと似たようなものであって、
見てもいないものに奇思観を抱くのはおかしいではないですか。
同じように何もそこにないのに期待感を抱くのはおかしいんだけど、
ある種の脳の状態、興奮状態ってあって、
もうそこに何もないんだけどドーパミンが働いてしまった。
そうすると勝手にワクワクしちゃうんですよね。
何にワクワクしているかというものが欠落しているというのは、
本当は正常じゃないのでおかしいんですけれども、
逆に言うとですね、そういう状態を素敵な異性であろうとなかろうと、
プロワッサンがあろうとなかろうと、そんなことは関係ないということなんですね。
ということは、作業を始める前にYouTubeなりTwitterなりマインスイーパーなりに、
ワクワク感を微弱にも抱くということは十分にあり得ると。
それは微弱な快楽という言い方をするんだけれども、
実際にはそこに快楽要素が必要なわけじゃないということなんです。
快楽要素はあくまでもドーパミンの働きによる。
ドーパミンの働きというのは実は今は副作用がありますけれども、
薬で止めることができます。
ということは薬で止めてしまえば多分YouTubeには一切期待しなくなるので、
見なくなるでしょう。
そういうことは可能なんですね。
逆もあります。
コカインですけれども、コカインを入れれば大抵の人は、
さっきのドーパミンだけが過剰に働く状態を作り出せるので、
さっぱりわからないけれどもすごくときめくということが可能になりますね。
もちろんそれは後で反作用が起こりますけれども、
少なくともそういうことは可能だということです。
12:04
この投影をするとですね、
ドーパミンが働くのはいけないとかいいとか言ってもしょうがないんですけど、
働くものなので、しかも働かないと多分私たちの
正常な精神作業は不可能になってくると思うんですが、
だから働くのはいいことだと、いいこととは言えないにしても、
しようがないこととは言えると思うんですけれども、
このドーパミンの働きには多分注意しなければいけない。
これは注意しなければいけないということならば、
宗教から言っているので、少なくとも数千年言われ続けていることなんですけれども、
未来に勝手な期待を抱いてはいけないと。
どこかで勝手な期待を抱いた時に勝手な失望をして勝手に起こり出すでしょうということを
だいたい宗教は今占めるんですけれども、
近いことはグッドバイオスでもよく言いますよね。
問題というか、心理学の世界では精神分析の世界だと思うんですけれども、
このドーパミンが働くことによる反復作用で一番の問題は分裂だということになると思うんですね。
まず、投影をしている、いろんな投影がありますが、
良い投影を勝手にする異性とかにね、
ドーパミンの作用ですよそれは、脳科学的には。
だから脳科学と精神分析って実は合流する部分が今ではありまして、
そういう研究も実際カリフォルニアのバークレーコンみたいなところでも
結構メインでやってたりした気がします。
私がアメリカに行った頃の話ですけれども。
UCLAとかああいうところですね。
フロイトも実際は脳の機能についていろいろちょこちょこ語ってたりするんですよ。
何しろほら、記憶のトラウマって話があるんだから、
じゃあそのトラウマは脳のどこにあるんだと彼が考えるようになっても不思議はないんですよ。
今の脳科学研究とは全然まだレベルが違いますけれども、
当時はそのMRIとか一切ないわけですからね。
で、投影をするじゃないですか。何が良いと。
というか、よく見えてしまうんだからしようがないですよね。
クロワッサンとコーヒーとかに、あるいはそういうものを出してくれるカフェに投影をするわけですよ。
投影すると、よく見えるから、例の良いおっぱい、悪いおっぱいの良いおっぱいがそこにできてしまうんですね。
通常それ自体問題にならないんだけれども、裏切られるわけですよ。
15:02
裏切ってはいないんですけどね、誰も。ファミコンは僕を裏切らないじゃないですか。
勝手にファミコンに価値を見なくなったのは私の方なんだけど。
わかりやすい事例はともかく、わかりにくい事例の場合、果たしていけないのは投影した自分なのか裏切った相手なのか判断がつかないわけですよ。
多分でも脳科学者なら少なくともこれがことが恋愛ならば、全面的に悪いのはあなたですって、つまり相手じゃありませんときっと言うでしょう。
それくらい私たちの脳内では激しくドーパミンが活躍するんですよ、恋愛ではですね。
付き合いが長くなって扱いがあるとか言うけれども、まあまあそういう事態も起こるんですよ。
なぜなら双方にドーパミンが働いちゃってるんで、その双方のドーパミンの働きが恋愛が成就すると停止するんですよね、シャットダウンするんです。
その一つの理由として、これ簡単に言いましたけれども、本当はもっといろいろ基準がややこしくてあるんですが、簡単に言いますね。
一つにはドーパミンというのはあんまりたくさんはないんですね、残念なことに。
すごい少ないんですよ。よくこれを発見されたなと思うほど少ないんですよ。
でもまあ少ないのが激しく活動している様というものが見られると、やっぱりそれはみんな注目しますよね、そういうことなんですが。
とにかく非常に少ない。
だからあんまり有効活用しかできないんですね。
だから私たち多分ドーパミンの作用がどんどんどんどん起きればですね、何でも簡単にどんどんどんどん積極的に活動できて、そうするべきだって思っている人はいっぱいいるんですけど、
多分それは一つにはドーパミンの活動のしやすさや量そのものに個人差があるんだろうなって思います。
ただそれがちょっと量よりもドーパミンを頻繁に使えるかどうか、こういう話をするとある種の人たちはドーパミン仕事術になっちゃうんですけど、
よくよく考えてほしいんですよね。これは期待なんですよ。
ここに快楽があるとは誰も言ってないんですよ。誰も言ってなくはないんだけど、おそらくそうではないんですよね。
期待をずっとさせられ続けるというのは、はっきり言って結構つらいことだと思うんですよね。
このドーパミンというのは、この多分MODという本にあるんだけど、依存体質を生み出す元にもなりやすいんだと思います。
だってギャンブルとか全部そうじゃないですか。おそらく思考品の多くもそうだと思う。ことは期待ですよね。
私昔にそれをやっぱり感じたことがあるんです。何度も感じます。みんな感じていることだと思うんですよね。
18:06
このケーキをなぜ自分が食べたかったんだろう、あれほどって思った瞬間ってあるはずなんですよ。
つまりそれは食べる前はドーパミンが働いている。食べた後は多分セロトニンが主体に切り替わりますよね。
つまり体験はそこでスイッチされるんですよ、本当は。
そのまんまのものはなぜ手に入らないんだろうって恋愛とか甘いものとか多くの人が言うんだけど、それは実に簡単なんですよね。
脳の動きが変化するからなんです。手に入る前と入った後では。
これは手に入った時にはどんなケーキもつまらなく感じるって話ではないです。
美味しいケーキは美味しいですが、ドーパミン主体で見えている姿は食べてない時のものなので、中心は味覚中心の経験ではないんですよ。
ところが食べ始めた瞬間からことは味覚中心に切り替わるので、ケーキって多くの場合四角でしょ、訴えてる先は。
目に見える素晴らしさですよね。味わっている時の素晴らしさはそうじゃないですよね。もう見えてませんよね。
その時は脳内の伝達物質の働きももちろん変わるので、そこで全く同じものが手に入るはずはないんですよね。
これは恋愛だともっともっと複雑になりますよ。
いわゆる肉体関係でもそうですよね。
だって肉体関係というものは、目で見ている時に考える、あるいは想像するものと、実体験として持つ時に主体となっている感覚とは違うものですよね。
しかもその時にメインでなっている部分のどこかには、付き合いが長くなれば長くなるほどそうなんだけど、
主体がやっぱりドーパミンからセロトニン方面、他にも色々あります。
その方面に切り替わっちゃうんですよ。
いつまでも期待期待でいくのがおかしいですよね。
これから付き合いを得るかもしれないというのが期待であって、付き合っている時にはそれはもうないわけですよ。
同じ脳の働きではむしろ困るわけで、だから脳の働きは切り替わらなければいけない。
その時に例の分裂が発生するはずなんですよね。
そんな極端な分裂ではないですよ。好きなことは好きなんだから。
ただでも、良いお母さんも悪いお母さんも、世の中にいませんけれども、子供はそういうものとしてある程度体験してしまうんですよ。
記憶がなければもう絶対そうなるはずですよね。毎度毎度違うんだから、どこかは。
まじでものすごく怒っているお母さんと、ものすごく優しいお母さんが違うんだから。
21:00
恋愛でもそうじゃないですか。全ての体験は異なるわけですから、そこに強い投影をどこかで持ってしまえば、非常に極端な人はいるじゃないですか。
今日のクロワッサンはまずいとか言い出すお客さんが。本当にそうかもしれませんよね、もちろんね。
今日はうまく焼けてなかったということがあるのかもしれない。
でも多分、大概の場合はですね、自分の脳を疑った方がいいと思うんですよ。
特に初日に食べたのと、1年後に食べるものが、毎日食べていたりすればですけど、全体に違うはずですよね。
味覚が違うんですし、しかし味覚よりも何よりも、そこにあるのはドーパミンの有無ですよね。
多分、有と無ぐらい違うんですよ。
そうすると、でも私たちはそういう自覚をあまり持てないようになっている。
だって、毎日のドーパミン活用量とか活動パーセンテージとか測っている人はいませんよね。
実体験として多くの人は知っていることだと思いますけれども、今ドーパミンはどのくらい働いているんだろうなどとは考えない。
つまり今自分はどういう状態でこれを食べているんだろうなどとはあまり考えない。
そうすると多くの場合、体験の善悪、体験の価値に変動が起これば、体験している対象自体の価値に変動が起きたんだと考えてしまうものです。
かなりよく自覚している人であっても、昨日食べ過ぎてちょっと胸焼けしているから、
まあだったらそんなところに入らなきゃいいって話もありますが、外に原因を求めがちになります。
自覚がなければないほど分裂は進行するはずなので、
まあいい子のクロワッサンと悪いクロワッサン、いい恋愛と悪い恋愛、これはもうみんな体験していることですけれども、あるわけですよね。
そうすると私たちはその分分裂せざるを得ない。
なぜならば本当は原因は自分の方にあるわけですからね。
自分が同じ自分じゃないわけですよ。
だってクロワッサンは食べたいわけじゃないですか。
食べたいにもかかわらず、食べて気分が良くならないというのは一つの分裂であって、
人間関係にこれを入れると、要するに人間を、自分はその関係を保ちたいわけだけれども、
ある特定の関係に対しては壊したい。
壊したいまでいかなくても拒絶したいということになるわけですよ。
その時に必ず良い投影と悪い投影をしている。
それを精神分析じゃない、神経科学的に言うと、
ドーパミン主体であったりセロトニン主体であったりしている。
ちなみにそれは私がここで勝手に言っていることではなくて、
24:02
ちょっと詳しいやつ、ちょっと詳しい神経生理的な本を読むと、
脳の中に赤い矢印でワーッと書いてあったり、青い矢印でワーッと書いてあったりする図があります。
セロトニンが主体になっている状態とドーパミンが主体になっている状態の働く場所、
ドーパミンの働く経路みたいなものも今では相当程度明らかにされていて、
現にそういう切り替えがはっきりと起こる。
はっきりと起こるんですよ。
私たちははっきりと違う体験をしているはずで、
その時に投影と投影の仕方が変わるんですね。
投影はしているんで、どんな時でもね。
これも私たちはかなり自覚がないじゃないですか。
間違いなくケーキを食べているとでも思い込むんですよね。
そのような現実は存在しないかもしれないというのは、
グッドモンドバイブスでは何度も言っていますけど、
私たちは夢の中でもケーキを食うんでね、味もしますから。
ケーキは全て脳の中だけでできるものなので、
これは記憶がなくてもどうなんだって話もいろいろあるんだけど、
最近面白い記事をそれで読んだんですよね。
VRで生体験をしてみても、経験がない人はその実感がないので、
そういうシーンになった瞬間にはっきりとした実感が得られなくて、
残念だみたいな感じの秘宝みたいな感じで書いてあったんですけど、
私はあれ、そうは思わないんですよ。
人間の脳はいろんなものを保管する機能を持っていますから、
実体験があってもなくても、それに近いVR関係で
視覚に強く訴えられれば、こういう感じに違いないというものを脳は用意して、
それを持って実体験とすると思うんですよ。
それは実体験じゃないだろうって言う人もいるかもしれないけど、
僕逆だと思うんですよ。
これが実体験があった、あるいは実体験そのものだとしても、
その時脳も依然として保管してるんですよ。
これはこういう感じがするんだろうと。
だってそうですよね。
肉を食べるとこういう感じがするだろう、ケーキを食べるとこういう感じがするだろう、
客観的なものではないんですよ。
一人一人違うはずなんですよ。
生体験なんてましてやですよね。
こういう風に感じるから、実体験として正しいとか、
そういう感じ方はないわけだから、結局それは程度の差なんですよ。
実体験ならばこういう保管を脳はする。
VRならばこういう保管を脳はする。
あくまでも保管はするんですよ。
申しってあるじゃないですか。
話があちこちに飛んでおりますが、
申しっているのは、片目だけつぶると、
本来そこにあったはずの穴が見えなくなってしまうんですよ。
27:02
盲点とも言いますかね。
片目だけつぶって、ある程度の距離にすると、
そこにあったはずの穴が見えなくなる。
その時何が見えるかというと、
例えば背景の壁とかが見えるんですよ。
穴の代わり。
脳はそこに穴がない。
穴がないというか、
穴が見えなくなった場合にですね、
そこをつなぐんですよね。
保管してしまうわけです。
ないものを表示するわけにはいかないので、
周りにあるものを表示するんですよ。
こういう実験は結構いろいろあって面白いんですけれども、
この保管という作用はありとあらゆるところでやっていて、
ここが穴であるかどうかが大事じゃないと思ったら、
そこを壁にしてしまったりするんですよね、頭というのは。
そのくらいだと平気でやるんで、
体験として感覚がないんだけれども、記憶の中には。
記憶というのは結局のところ、クオリアですから、ある意味では。
脳の働きですから。
何でもいいわけですよ、非常に極端に言うと。
それがどういう体験だかわからないんだったら、
類似のもので間に合わせると。
キスしたことがないんだったら、とりあえず刺身を食べていた時の味とかを引っ張ってきて、
適当に捏造すると。
実際にあったとしても、これは刺身のと似ているから適当に捏造するということをやっているはずなんですよね。
やっていないはずはないと思うんですよ。
だってありとあらゆる感覚を全て正確に体験するなんてことは、そもそもできないじゃないですか。
それがなぜ正確だと言えるのかという保証も必要ないじゃないですか、脳的にはね。
だから全て保管しておくわけですよね。
それでこと足りるという気にできると思うんですよ。
その時にですね、その時に、
キジョという言い方をしてもしょうがないのでやめますが、
その時にドーパミンが激しく動いていればですね、
今後もこうしたいって私たちは思う。
そのために働くものなんですね。
つまり期待感がそこにかけるアルファされる感じ。
それに対してセロノニー主体で働いている時は、
それはそれでいいんだけれども、幸福感があったりするんですけど、
同じような感覚には至らない。
同じような感覚ではなくなる。
そうするとつまり未来思考といっているものはですね、
実はただドーパミン活動中思考でしかなかったりするわけですね。
思考、頭の考えとして未来を向いている方がいいとか悪いとか言っているのではなくて、
ただドーパミン経路が活躍しているから、
30:02
自分は未来思考なんだと脳は後で思うことができるという状態になったわけです。
この答えをすればするほどですね、
未来が現実につまり今ここになった時にはドーパミンが働いていませんので、
多くの子に働いていないので裏切られた感じがすると。
その時に私たちは分裂しているわけですよ。
もし裏切られた感じのする失望がとてもひどいもので、
良い恋人と悪い恋人がいるような気がしたら、
その時は分裂が激しくなっているというか、
分裂がひどくなっているということになるわけです。
このような作用があっちこっちで働いているうちに、
私たちがもし警戒心を強くしてですね、
私が多分HSPって話をしたい時にはこういう話をしたいんですけど、
警戒心が強くなってくるとここには良い会社だと思ったのに、
とんでもないパワハラの上司がいると、
良い会社と悪い会社に分裂するわけですよね。
でもその会社を切って捨ててしまえば、
自分の収入源も立たれるということになる。
これがよく言っている私たちの正常な状態。
ちょっと鬱っぽいけど正常な状態だから、
欲打つポジションというやつですよね。
神経症レベルなところなわけです。
ネガティブになればですけどね、分裂しそうになってますよね。
良い会社と悪い会社はないからね。
だけれども分裂しそうになっていて、
一生懸命それを我慢している。
最初に頑張って入ったのは私だと、
歴史的な視点を取ることで我慢して、
原因は自分にあると思うとしている。
でもこれを過剰に思いすぎるとですね、
欲打つになっていくわけですよ。
自分の選択は全て悪い。
自分がこんな会社を見る目がなく入っちゃったから、
もう一生こうやって我慢して、
毎日パーハラの上司にいじめられ続けて生きていくしかなくて、
やがてそうやって惨めに死んでいくと。
そういうイリュージョンを生み出していくんですよね。
これが欲打つ症だと思うんですよ。
ここも最初はドーパミンが働いていた。
つまりそれはこの会社に入れば私の未来は良い。
良い未来が待っているというふうに期待した。
期待させられたんですけどね。
これが多分ドーパミンの働きであり、
私たちが投影する機能であって、
この時私たちは視野が大変狭くなっていますよね。
未来というこの現状が毎日続いていくその光景というものは、
本当は空間的にしか世の中が広まっていない。
何か時間的にだけ前に進んでいくような錯覚を起こしている。
33:04
起こさせられているんですけどね。
この時視野が非常に狭くなっていて、
その時は分裂は起きていませんけど、
その時に分裂の種が発生するんですよね。
分裂し得る可能性というものをそこで自分が作り出す。
これを私たちはいつもやっていますよね。
現代社会の一つのストレスフルなところは、
これを私たちに敷いているんですよ、きっと。
新しいカフェもそうですけど、私たちにこれを敷いているんですよ。
脳内で未来のシミュレーションをする。
それも良い投影をさせる。
よく見ると全部のCMってそうなっていますよね。
当たり前なんですが。
これをやる限り、
常に分裂の可能性という、
要するに裏切られますからね、必ず。
絶対裏切られるわけじゃないじゃんって思われるかもしれませんが、
私は絶対裏切られると思います。
なぜならばサービスが私たちを裏切るのではなくてですね、
ドーパミンの正確に言うと、
機能を失くなる日がいつか必ずやってきて、
そのことが私たちを裏切るのであって、
サービスや製品、つまり物が私たちを裏切るわけではないので、
いつかその投影をしてしまえばですね、
未来に期待をしてしまえば必ず裏切られる。
その時私たちは分裂に大きく揺さぶられるので、
良くても頑張って自分のせいにするしかないみたいな話になっていく。
だからグッドバイブスというところはですね、
夢を見ている人に罪はないっていうのは、
私は非常に大事だとよく最近は思うんですよ。
自分のせいにも他人のせいにもしない。
そういう視点が必要だと思うんですね。
そうしないと良くできた人であってやっと全部自分のせいにしちゃう。
そうでない人にしてみると、つまり自覚がない人になると、
全てを相手のせいにしてしまう。
どっちも間違ってる気がするんですよ。
全てを破壊してしまう。
それは自分が築いてきた関係を破壊するんですよね。
自分と例えばクロワッサンのカフェとの関係を二度といかないみたいな感じで破壊する。
それが外に原因を求めた場合ですね。
自分に原因を求めても同じ結果かもしれないけど、
会社とかなら踏みとどまる可能性はありますよね。
そうするとでも抑鬱っぽくなっていく。
この二つを避けたいというのがあります。
36:00
そうするとやっぱりドーパミンの扱いに慎重にならなければいけないということになるかなと思います。
ただ、ドーパミンが働いてしまったら過去のことなのでそれはどうにもならないので、
あとできることとするとやっぱり誰のことも罰さない。
誰かに罪があるわけじゃないというのと、本当のことは何も知らないというあれですね。
やっぱりドーパミンが働いているせいで見てしまった世界だというのは、
デタラメなところが決まっているので、本当のことは何も知らないんですよね。