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2021-02-18 33:45

【GMV 323】デフォルトの力とはマックスの力

50メートル6秒で走れる人はその速度がデフォルトです
00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
3月の6日にですね、
カチマックスというテーマで、
村園圭三さんと一緒に
グッドバイブス勉強会のシーズン2の2回目をやります。
これは、1回目と一応シリーズものなんですが、
1回目もですね、動画を購入いただくことができます。
グッドバイブスの公式サイトから
動画購入できて、なので1回目を見逃したという方でも大丈夫です。
2回目から見るというのでも私は良いと思うし、
そうすると1回目が気になるかもしれないので、後から手に入れることも可能です。
カチマックスというのはですね、
受け入れがたいという方には受け入れがたいというところがあると思うんですけど、
ちょっとその話も絡めつつですね、
良いイリュージョンというのかな?いや違うな、まずはイリュージョンというものの話を久しぶりに、
あんまり最近なんか甘えの方に、今日も甘えの話きっと出そうな気もしますが、
言ってたんでイリュージョンの話を
ちょっと考えるところがあったんでしたいと思うんですけど、
その前にですね、このカチマックス絡みで、
依頼に本気で応えるというのがどうも
納得いかないというか、納得がいかなくはないにしても厳しいという方は、
多分私の情報発信を聞かれているという方にはあり得ることだと思うんですね。
ライフハック多分がお好きだから、
私がライフハック系の話しかこれまでしてこなかったに等しいから、
聞かれている方はライフハックが好物なんじゃないですか。
ライフハック好物の人は、つまり割り込みにばかりかまけていては、
自分のやりたいことができなくなるという不安は抱かれている可能性は結構あると思うんです。
そこに依頼にどんどん応えようというのは耐えられないと思うんですね。
まして依頼のためにMPとか体力を使ってしまったら、
たとえ自分の時間がやってきても、それを元気にやるだけの、あるいは楽しむための力がなくなってしまう。
それを消耗と呼ぶんですけど、消耗してしまう。
だから力を温存して、なるべく人の依頼は、昔ありましたけどね、
この界隈でも重鎮の人が断るということを提前にされて断ろうと。
やるにしても力を温存してやろうと。
全く逆ですよね、グッドファイブスとは。
だから受け入れ難いと思われる、そういうことはあると思うんですけど。
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この依頼にマックスで応えるということを、
私たちはそんなに本当に嫌がっていて、
それやると本当にそんなに消耗するのかということについて、
昨日ちょっと考える機会があったんですよ。
これは全ての人には特にですね、
全ての人には言えないことかもしれませんが、
私大学時代ですね、好きな女の子からなら何でも答えるというタイプの人間だったんですね。
何を依頼されても即座にやると。やりたいと。
好きな子が、しかも私はいっぱいいる系の人間だったんで、
ほとんどどんな女の子でも頼まれれば何でもやっちゃうみたいなところがあったんですけど、
こういう男にはですね、誰も何も頼まないんですよ。
依頼を心待ちにする人間になっちゃってたんですよね、考えてみると。
だいたいそういう人には依頼来ないんですけれども、
来ても男の子からしか来ないんですけど、
それ一生懸命やっとけばよかったんですけどね。
ここでですね、よくよく私は考えたいと思うのは、
私たちはこの全力を尽くすところをもってデフォルトとみなしているはずなんです。
そうじゃないとスピリッチャに、それこそスピになっちゃう気がちょっとするんですよ。
誰でもいいんですけど家庭の架空の女の子がいて頼まれたとしましょう。
全力でやるじゃないですか。
しかも全く何の力を温存したいとか、一切思わないと思うんですね。
ここがね、最近の装飾系と言われる人たちは、
もしかするとそんなことはないって答えられてしまうんで、
ちょっと困るし、女性は同じじゃないかもしれないんですけど、
とにかくその人から頼まれれば全力が尽くせるという人を一人仮定してください。
その人のために全力を尽くすと、
その場合は時間がもったいないとか、体力を温存したいとか、
NPが消耗するとか、一切ないと仮定します。
そういう人は言うると私は思うんですよ。
で、私はですね、その時に出せる依頼に対する答え方が
その人のデフォルトだと思うんですね。
いや、それはおかしいと思われるかもしれない。
好きな女の子から頼まれるのと、
ヘドが出そうなマウントばっかり取ってくるおっさんから頼まれるのが
同じで答えられるわけがないって思われるかもしれませんが、
もしそうだとするならば、
その人に頼まれた時だけ力が発揮できないようになっているからなんですよ。
私たちはそれをつい何かですね、
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私は平均ではこの、例えば平均依頼答える力みたいなのが
測定できないですけど測定すると50だと。
そういうすごい生理的に剣をしているおじさんからだと1にそれがなってしまう。
でも大好きな人に頼まれればもしかすると99発揮できるかもしれない。
それは好きだから特別に発揮するんだってこういうように考えるじゃないですか。
でもそんな風に私たちは自分の力のデフォルトを測らないんですよ。
これって私はすごく変だと思うんですね。
50の人が99になる、それ何故って思うんですよね。
50の力しか本来は平均的には出せないのに、
なんでその人は大好きな異性に対しては99になるのかと。
それは当然じゃないかって言われるけど私は全然当然だと思わないです。
例えば50m走とか測るじゃないですか。
普段は50m7秒ジャストですっていう人がですよ。
前の方に大好きな子がいるから5秒5で走れますってことはあり得ないでしょ。
あり得ることになるのは少年ジャップの世界ですよ。
みんながオラに力をくれるから力が100倍とかになる。
あれはスピリチュアルですよね。
オカルトに近いと思うんですよ。
現実にそういうことは起こらないから私たちは全力を出したところをデフォルトとみなしてますよね。
私、握力測定っていうのをやったことが何回かあるんですけど、
中学校とかでやらせるわけじゃないか。
42kgぐらいは出るんですけれども、42kgがデフォルトですよね。
ああいう時に力温存とかしないじゃないですか。
別にこれ測定したからっていいことないから25kgぐらいにしておこうとか。
でもいざ好きな女の子のために物を持つ時だけ40kgを発揮しようって人ってしないですよね。
多分全力がデフォルトなんだと思うんですよ、測定する時っていうものは。
そうじゃないと測りようがないから。
測るたびに変な数字が出ますよね。
力温存してみたり時々気まぐれに出してみたりっていうことであればですね。
だから整理的に好きになれない人のためには力が発揮できないというのは事実そうなんだと思うんですけども、
それは力が発揮できないのであって逆じゃないと思うんですよね。
デフォルトは非常にまず頼まれることのない女性から頼まれた時に出せる力。
これがデフォルトだと思うんです。
私はこの考えは倉園さんからそれこそですね。
佐々木さんにとって愛するというのは難しいですかという質問をヒントに得たものなんですよ。
私は当然難しいと思ったんですね。
なぜこういうふうに考えるかというと、やっぱり好きになれない人を愛することの難しさを考えちゃうからなんですけど、
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そうではないと。
つまり、うちのここでいいんですよね。
愛することが難しくない人のことを検討すると、
愛するというのは簡単だと。深呼吸するより簡単。
生理的に検討しているような人のことを愛せないんだとすると、
それを阻む力が自分にかかっているからですよね。
かかっているからなんですよ。自分の感覚からしてそうなんです。
じゃあその力をかけているのは誰かというと自分なんですよ。
当然のことながら。
だって愛するというのは非常に内心的なものなので、内面的なものなので、
これを阻む力を発揮できるものといったら自分の内側からしかないですね。
これとほとんど同じです。
依頼に応えるということは、デフォルトではかなりの力を発揮できるんですね。
それに対して、おそらくほとんどの仕事や用事や、それこそ奥さんからの依頼、ここ面白いんですよね。
昔奥さんから、奥さんと結婚する前とか最初に出会った頃は、
その好きな異性からの依頼と完全に同じだった時代があったと思うんですよ、多くの人には。
自動的に100%みたいな。
それが今は無理です。同じ人でも無理です。
でもそれは当然ですというのは、ちっとも当然だとは思わないですよね。
そうなっちゃうかもしれないけれども、それは合理的だとか当然だとか、デフォルトがそうなんですというのは、私には信じられないですね。
それじゃスピリチュアルになっちゃうと思うんですよね。
もしかするとある種の人に頼まれると、普段は50の力しかない人だから5万になるみたいな。
それはどう考えても悟空の世界ですよ。
あの話ではいくらでもそういう話が出てきますけど、現実に良いことをやろうとするとまず絶対無理じゃないですか。
ここは本当のピンチだからすごい力が発揮できるはずだ、まずない。
急げば頑張れば少しマシになるというようなことはあっても、例えば明日までに締め切りの原稿があるとして、
あと1万字だって言うんなら何とかなるかもしれませんけど、あと100万字だみたいな時に何ともなるはずないですね。
だから普段持っている力の1.13倍は無理だと思うな、1.07倍とかなら出るかもしれませんけど、そんなもんだと思うんですよ。
基本的には力が全力で出せるところを持ってデフォルト。
これがむしろ合理的で、しかもおそらく科学的だとすら思うんですよね。
これが好きな異性のためならば100倍になりますというのは完全にラブ理論ですよね。
これは同じような本の名前があるからダメですが、何か独特の考え方であって、そっちの方が魔術的だとむしろ思います。
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ここでですね、そうすると何が阻んでいるんだろうということになるはずなんです。
その生理的な嫌悪感、催す上司とか、マウント取ってくる上司とか、今の配偶者には力が発揮できないとするならば、
本来ある力が発揮できないとするならば、そして見ず知らずに近いですね、
その人からの依頼は絶対来なさそうな女の子から、アイドルとかでもいいですよ、
だったらもっと遥かに力が発揮できるというならばですね、
阻んでいる何かがあるはずですね。
これがいっぱいあるんだけど、イリュージョンなんですよ。
イリュージョンというのは存在しないものなので、これがイリュージョンが阻んでいるならば、
実は私たちはどんな相手であってもですね、アイドルからの依頼ぐらいの力を簡単に発揮できるはずなんですよね。
そのイリュージョンの中でも最も、これが昨日ここでいろいろ考えついたんですけど、
最も邪魔をするのが評価ってやつだと思います。
このところずっとゲームゲームという話をしてきましたが、
あつ森ですよ。あつ森には島の評価ってあるじゃないですか。
島の評価が現在星3ですと、もっと頑張りましょうみたいな、
星2ですとかあるんですよね。島をきれいにしておいたり、
みんな住人が幸せそうだったりすると島の評価が上がると。
あれですよ。だって島の評価ってゲームの評価じゃないですか。
間違いなく。どう考えてもゲームの評価以外の何ものでもないと。
でね、私この島の評価というのは、ゲームというものにはこの種のものが付きものですけれども、
これがないと頑張れないってみんな言うんですよね。
私の話逆になってるっていうのはご理解いただけます?
我々は依頼に対してデフォルトで強烈な力が発揮できるんだけど、
評価というものがあるためにこの力が発揮できなくなっているというのが、
私のここまでのロジックです。
多くの人は逆を言うんですよ。島の評価を上げるために我々は頑張る。
評価というものがなければ力はちっとも発揮できないだろうと。
これが一般的なロジックですね。
私これね、やっぱり逆だと思ったんですよ。
そういうところまで、結局アイドルとか異性とか考えたところで、
その人のために力を発揮するっていう時には、
一般的なところで言うところの評価って興味がなくなってるじゃないですか。
アイドルなり好きな人なりから評価されるとかはありますよ。
でもあれは評価されるって感じじゃないと思うんですよ。
評価されればいいってもんじゃないじゃないですか。
あれはもう好意を持たれたいからやる。
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好意を持たれるということと評価されるってことは同じじゃないと思うんです。
それも全然同じじゃない感じがいたします。
で、評価されるということが、
その生理的な好きになれない上司とか、
マウントを取ってくる上司とかにも我々が求めるものですよね。
これが嫌なんですよ、我々はきっと。
2つありますよね。
そもそもそういう上司は、
自分でやったことを正当に評価しようとしない。
私で言うところの、
Amazonで星1が付けられるとかいうやつです。
で、その割には我々はそのことをやたらと気にするんですよね。
Amazonで星1を付けた人の名前がピョン吉とかでもやたらと気にするんですよ。
見たことも聞いたことも、男性だかも女性だかも年齢もわからないピョン吉さんが、
佐々木の新しくやろうとしているグッドバイオスというのは、
なんかこうライフハックよりもひどい金儲けの手段だとか書いてあっても、
すげえ落ち込むわけですよ。
なんかすごい正しく、正当に、正当じゃないんだけど、
客観的に評価されているような感じを持っちゃうんですよ。
これは一体何なんだろうと。
何なんだろうっていうことは何にもないんですけどね。
私たちが物事を評価するときのことを考えると、
よくわかると思うんです。逆にですね。
私たちは物事を誰かに好きで依頼するとき、
私さっき、まずそういうことは起こらないと言いました。
アイドルだの、好きな異性だのからの依頼がストレートに来るなどというラッキーなことは、
もしかしたら一生に一回もないかもしれませんが、
これをやるということになったとしますよね。
自分のことを好きでいてくれる人に向かって依頼するというときと、
私たちがほとんどどうでもいいと思っているものを評価するときとでは、
私たちのスタンスはめちゃくちゃ違うじゃないですか。
全くどこを取っても似たようなものではないですよね。
この差が多分依頼に全力で応えるというときと、
評価されるために何かをするというときの私たちの熱量の圧倒的な差だと思います。
だってですね、例えば自分に対してすごい好意を持っている、
かわいい子だとしましょうが、何か本を書いてくれって言って、
私が本を書くときの世間に私の本がある程度売れたらいいなと、
ついでに星4がついたらいいなと思うとき、
私が書く本のその熱量が一緒にするのは大変ある種難しいです。
この視点だけを考えた場合はですね。
いろんな意味でそうなんですけれども、
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さっきは逆に言っていましたから逆にしますとですね、
私たちが適当にそこら辺のそれこそジャンプを読むとします。
評価する。
まあ適当ですよね。
適当だと思うんですよ。非常に適当になると思う。
いやこの絵は全然よく描けてないとか、平気で言うじゃないですか。
その人のこと何も知らないときにはできることですよね。
全く逆になると思うんですよ。
全く逆にはなんないかもしれないけど、
熱量がものすごく違うと思うんですね。
評価をする時というのと、依頼をする時というのとでは。
だってそのジャンプの編集さんなりがですね、
私が適当に評価した漫画家に、
先生の絵をぜひ描いてほしい。
これは本心からだいたい言ってるもんなんで、
そういう時に評価しないですよね。
評価する人もいるのかもしれませんが、
だいたい私はその場合は評価じゃないような気がするんです。
評価されなくたっていいからっていう部分がどこにもないと、
ある意味仕事にならないと思うんですよ。
結局このいろんなイリュージョンがある中で、
特に良くないのがこの評価というイリュージョンで、
しかも評価があるから頑張れると思ってしまうイリュージョンで、
確かに多少はそうですよね。
あつ森でも、あつまれどうぶつの森でも、
島の評価を上げるために一生懸命やってますが、
娘を見ているとやっぱり思うんですよね。
依頼されて、親が何か頼んで一生懸命やろうとしている時と、
あつ森の島の評価を上げるために島についてそこそこ頑張る時とでは、
熱量が全然違うんですよ。
しかしゲームは結構熱心にやってるんですよ。
あの評価ってそんなに有効かな?
もしかするとなくてもいいぐらいなんじゃないかな、
あのゲームの場合はっていう気がする程度にしか、
ある意味機能してないように思うんですね。
この評価というやつはしかもマイナスがあるんですよね。
あつ森にはないけれど、
例えば学校のテストとかをみんなが嫌うのはそのせいですよね。
マイナスがある。
依頼に全力で応える時にはマイナスのこと考えないじゃないですか。
これも不思議なんですけど、
好きな女の子にヘタを打ったら嫌われるっていう恐れが、
もっとあってもいいような気がするんですけど、
私の経験でそういうのはあんまりないんですよ。
評価の時の方がよっぽど我々はマイナスの評価に対して
強烈な恐怖感、すなわちそれが嫌悪感になるんだけど、
を抱く気がするんです。
それこそだからマウントドッテフル上司なんですよ。
褒められても嬉しくないのにけなしやがるみたいな。
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これがここのところずっと言ってる甘えが成立しない世界が進行した場合、
もう救いようがないことになっていく気がするんです。
評価だけだと。評価だけの方が頑張れるとか、
評価があるから頑張れるというのは、
私が感じるにはそこに甘えがあればまだしもだけど、
なくなっちゃったらもう全然機能しないんじゃないかというか、
今実際全然機能してないんじゃないのかなという感じすらするんですよ。
この話をずっと進めていくと、
だからこそ好きな人からの依頼じゃないとダメでしょうという話になるんですが、
私はそうではないと思うんですよね。
というのはつまり評価されるためにやるというときは、
我々はいつも温存しながらやるじゃないですか。
そうして大体評価されないわけですよね。
だからここをやっぱり目指してやるというのは、
このゲームをやるだけでもあんまりいい考え方ではないだろうという気がするんです。
結局これはイリュージョンの中で頑張るという話になってしまうので、
よっぽど上手くいっているケースでないとむしろ辛いと思うんですね。
よっぽど上手くいっているケースでないと、要するにその上司のことが好きで、
その上司のためにやっていて、しかもそうするとどんどん評価されると。
ただこのやり方にどっぷりのめり込むということは、
いつそれが逆転してもおかしくはないという状態にやっぱり自分を置くことになるので、
Amazonで星5が大好きだということは、
1を付けられたら死んじゃうということになりかねない。
死にはしませんけれども、
1というものが付いた途端に、
なんかこう自分自身が怪我されたような気がするってところまで行きうるじゃないですか。
こっちの方がやっぱりスピリチュアルみたいな感じって出てくると思うんですよ。
魔術的ですよね、その思考法って。
最終的にはそうすると、このイリュージョンで行く限りは、
アイドルからの依頼を待ち続けるみたいな話になっていってしまうと思うんですよ。
それだって結局イリュージョンですから。
ここが私が考えた中でも一番厄介なところというか、
考えるべきところで、つまり好きな人からの依頼だったら
頑張れるというのもイリュージョンじゃないですか。
これをイリュージョンというと面白くないと思われるかもしれませんが、
やっぱりそれは一つのイリュージョンだと思うんですね。
言うならば良いイリュージョン。
良いイリュージョンはダメなんですかと。
これは難しい問題だと思います。
私は良いイリュージョンの方が悪いイリュージョンを持つよりはベターだと思うんですよ。
評価のためというイリュージョンで仕事をやろうとするよりは、
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良いイリュージョンに沿って全力を尽くせる方がいいと思うんだけど、
私この上があると思うんです。実際には、デフォルトとしては。
デフォルトなんですよ、これ。
力発揮できない方がデフォルトだという考え方は、
さっきの悪力測定で捨てられると僕は思うんです。
力発揮できないのは何か邪魔が入っているからで、
最大の邪魔がマイナスの評価をつけられるかもしれないという恐怖感。
これは皆さんも分かっていただけると思うんですよね。
普通に喋れば、そこそこ普通に喋れるのに、
ダンジョンに立つといきなり上がってしまって言葉が出てこなくなったり、
喋っていても何を言っているのかわけが分からなくなったりするというのは、
多くの人が目撃したり経験したりしているじゃないですか。
あれがマイナスの評価を受けるかもしれないイリュージョンですよね。
あれ全然好きな異性からの依頼に応えているという感じのものではないと思うんです。
で、好きな異性の依頼に応えるというのが、
僕はさっきデフォルトだと言ったんですけど、
この上が本当はあると思うんですよ。
これもやっぱり一つのイリュージョンであって、
ポジティブなイリュージョンというやつであって、
イリュージョンない方がいいと思うんです。
つまり何にもマイナスの評価を受けたり、
褒められたりけなされたりするということではなく、
依頼に応えると。
これが多分ベストだと思うんですよね。
ニュートラルな状態。
ニュートラルだと50になっちゃうというのはおかしいと思うんですよ。
さっきも言った通り。
で、何でニュートラルが本当は異性の依頼よりも上に行くと思うかというとですね、
イリュージョンがないからなんですけれども、
多分この話だけで納得されるとは思わないので、
私はここで甘えというものが出てくると思うんです。
つまりデフォルトというのは全力だと言ったんですけれども、
全力というものをデフォルトとみなすならばですね、
私たちは一体いつ全力だったかというふうに考えるんですね。
私はですね、この世に出てきた時が全力だったと思うしかないと思うんですね。
その時全力を尽くしていなかった人はおそらくいないだろうと思います。
自分ですからね、それをやったのは。
間違いなく自分です。
覚えてないのは当然ですけれども、覚えてようと思えてない毎度ですね、
やったのが自分であることは間違いないんですよね。
で、この時何の当てもなくこの世に登場するわけじゃないですか。
当てないですよね。
所持金なし、服もなし、言葉も喋れない。
前に言ったことがあると思いますが、
この世に出てくるということは甘えて出てくるだけなんですよ。
この世に甘えて出てくるしかないわけですよね。
これはどれほど優秀な人であっても同じなんですよ。
27:00
どれほど頭が切れる赤ん坊であっても同じなんですよ。
そこに出てくる以上のことは何もできないわけですからね。
これが私たちのデフォルトだと思うんです。
これってある意味依頼に応えてるわけですよ。
出てきて欲しいと普通願っているわけじゃないですか。
そこに出ていく。
ただそれだけなんですけれども、
これが私は依頼に応える時の最大の力の発揮の仕方であって、
その時まさかですよ、
うまく生まれてきて評価されようと思っていた赤ちゃんはいないと思うんですよ。
マイナスの評価をされたらちょっと耳が小さめだったからとか、
耳が横に立っているのをマイナスに評価されるのが怖いからうまく出ようとか、
そういうふうに考えることはありえないじゃないですか。
だから私はこの好きな異性からの依頼だからとか何とかいうのではなくて、
依頼にストレートに答えるということを最初に私たちがしたのは多分このタイミング。
これが価値マックスってことだろうし、
デフォルトなんだと思うんですね。
以後このデフォルトがイリュージョンによって力が発揮できないように、
要するにブレーキがかかってしまうようになったんだと思うんですね。
そのうちの一つが比較的力のマイナスにならないアイドルからの依頼なんですよ。
このイリュージョンは力を実は抑えてしまっていると思うんです。
結局のところはどこかで相手に好意を持たれようという意識が働いてしまいがちなので、
一見すごく力が発揮できるようでいて、
全力には届いていない感じがするんですよ。
握力が42の人ならその人の41か40くらいになっちゃってる気がするんですよ。
でもこれを私たちはむしろパワーが増したとでも思っているほど、
普段はイリュージョンによって力が削り取られている感じがあります。
削り取られているのはちょっと良くないんですけどね。
表現としては光に影が射しているみたいな感じの方が多分近いと思うんですけれども、
削り取られている、あるいは勝手なブレーキがかかっているぐらいの感じですかね。
これが上だと思うほど私たちは普段はマイナスの評価というものを恐れながら、
42出せる人が40出せたらいいのにと日頃から考えるぐらいに抑えられていて、
多分5とか。私の感じではそんな感じなんですよ。5とかなんですよね。
5ぐらいしか出せない。だってイメージされればわかると思うんですよ。
そういうスーパーラッキーな異性から頼まれた依頼に応える時の自分の力と、
すごく、今日もそうかもわかんないけど、どう考えても好きになれない上司のために、
ためにじゃないんだけど、上司に向かってやっている仕事、力の出し方を考えると8分の1がいいところじゃないですか。
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8倍はいつでも出せるはずなんですよ、本当は。自分の力なんだから。
オラに力をじゃないんでね。魔術的な力じゃないわけですから。
しかも本当は、その滅多にない奇跡みたいな力を発揮できる時よりも、
多分、普段の自分、つまりあるがままの自分は、もっと、もう一段階上がれるはずなんですよ。
ここが多分、倉園圭祖さんがシェンジズで連載されていた時のフォースを使えのフォースの意味だと思うんですね。
これを発揮するのは困難ですと、やっぱり戻ってきちゃうと思うんですよ。
で、それはイリュージョンなんです。イリュージョンっていうのはないんですよ。
頭では分かっているとかじゃないんですよ。頭で分かっていようと、何で分かっていようと関係ないんですよ。
分かってないからイリュージョンなんですよ。
イリュージョンっていうのは分かってないってことですから
つまり見えて、見えなくていいはずのものが見えてしまってるってことなので
それを結局取り除いていくと
僕はその取り除いていく方法をあって聞かれた時には
これがまた堂々巡りになっちゃうんですけれども
依頼に全力を応えようとしましょうってことに戻ってくるんです
そうするとその時に不満が発生するはずです
必ず発生しますよね
つまり不満が全然ないのがデフォルトなんですよ
赤ちゃんがこの世に出てきた時が
自分がこの世に出てきた時が不満ゼロです、多分
これがデフォルトなんだと思うんです
アイドルに頼まれたこれも不満が全然ないでしょう
だからデフォルトに近いんですよ
でもどっかに不満があるんですよ、多分
それはイリュージョンであるから
もっとこういう依頼だったらいいのにとか
余計なことをどこかで考えるはずなんです
もっと評価してくれる言い方ならいいのにぐらいな感じってあると思うんですよ
大体自分がすごく好きな人には
すごく手前勝手なことを希望するものなので
でもそれよりグーッと落としめられる
遥かにこれより力が発揮できないイリュージョンとして
お前あれできたの?っていうような上司なんですよ
そしてその上司は多分
自分は何をしようとっていうイリュージョンがあるんですけど
腐すだろうというイリュージョンがあるんですよ
これはもう不満そのものですよね
この不満をどうやって取り除くかという話を
いろんなところでいろんな形で
もちろん倉園さんがGood Vibesの文脈の中でもしているし
その他のありとあらゆるところで実は言われている話だなと
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この不満というものがどういうふうに発生して
その根源が何であって
どう取り除くのかという話を
多分自己啓発というのは宗教もそうですけど
ライフハックも一部そうですがしてると
何のためにかというと
結局デフォルトで最大の力を発揮するためなんですね
それが自分の価値MAXということで
きっとこの話が3月の6日に
同じ話じゃないと思いますが
近い話がされるんだと私は思っていて
皆さんに聞いてほしいなと思っている
そういう次第です
33:45

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