2021-05-25 22:38

【GMV 383】積み上げた結果に期待しない

ノープランノーゴールの方が物事に取り組める
00:04
おはようございます。グッドモーニングバイブスです。 連日連日言ってる気がしますが、第4期の書き上げ塾募集中です。
で、これも何度も何度も言ってる気もしますが、ノープランで書けますと。
このノープランって
一番大事だと思うようにはなりました。 この書き上げ塾で一番価値があるのは
クラウドの慶応さんによる赤入れですけど、 書くときはノープランで書くというのが大事っていうのは、もう僕の中では一番大事なことかなと。
ただ、すぐ自分たちはこの簡単な、なんて言うんですかね、簡単な
戒めかな? ルールでもいいんだけど裏切るんで、ちょっと辛くなってくるとプランを立てればうまくいくんじゃないかと思い始めるんですね。
だから、書き上げ塾は意外に書き上がっているのは最後の最後までですね。
なんだかんだ言って私たちが、塾生全体の中でもそういうのちょっとありますけど、 ノープランをルールとして守り通せるっていうのが大事だなって思うんですね。
だから書き上がるんだというふうに思います。 特に書いたことがないという人は
プラン立ててから書くということになると多分書き上がらないと思うんですね。 今日はそのお話をしつつ、第4期募集中なのでぜひと何か書き上げたいという人も、この書き上げたいという欲求は
本を出すことも電子書籍化できるんですけれども、 書き上げたいっていうのがまず
割と大事かなと思います。 これとノープランがですね多分ですね矛盾してるんですよね。
多くの方の頭の中では。 この矛盾が解けないと書き上がらないんじゃないかなって思います。
私もよく捉えられそうになりましたから。 でも自分は
売れたとか、いいものができたという意味であんまり人に自慢できるものはないんですけど、 本何冊も書き上げたというのは
一つ自慢になるかなと思っています。 これですね、本書きたくてしょうがない人にしてみれば、いや機械さえあれば俺なら100冊いけるって思われるかもしれませんが、
やってみるとわかりますが、
売れる売れないに関わらず、
また書きたい書きたくないに関わらず、ネタの豊富さに関わらずですね、 10冊書き上げるというのはいろんな意味で結構大変です。
1冊2冊はいける人は余裕でいけると思うんですよ。 でもいろんな話をいろんな方がされますけど、
商業主義だとか、 蘇生暗蔵だとか、それでもですね
03:02
30作るってのは大変ですよ。たとえ全部蘇生だとしても、 全部蘇生って無理なんですけど多分大変だと思いますね。
だから書き上げるって一つ価値としてあると思っています。 そしてそれはどこかでですね、やっぱりプランニングで徹底的にやるっていう形でも
結構いけるっていう人もいらっしゃると思うんですよ。 でもそれは、僕は2、3冊図がいっぱいいっぱいなぐらい大変だと思いますけども、
5周を全部プランニングで書けるかというと、僕はそれは無理なんじゃないかと思います。
自分が全部書けばね。 ライターさんが別にいるって言うならだいぶ違いますよ。
でも自分が全部書くとなったら、本当にそれを全部プランで書けるかというと、僕はそれは
人の性格がここは絶対脳みその構造とかで出るんで、 はっきりは言い切れないけど、僕じゃあ絶対無理だと思いますね。
50のうちの35以上はノープランで書いたのが実際、私は実際のところです。 厳密な数字を出してるわけじゃないけど、
ここ7割の本はプラン立てた記憶が全くないです。 から多分そうでしょうねっていうぐらいですね。
で、もちろん何度もこれも言いますけど、出版社さん宛てにプランは出しますよ。 出せって言われるんだから出しますよそれは。
出せというのは無視して書くっていうのは超大物になればわかんないですけど、多分そうできる人はほぼいないんじゃないかという気もいたします。
本なんらかんないっていっぱいありますからね。 なんでこの2つが両立しないんだろうと。
昨日の話と似たところもありますが、今までも散々した話でもありますが、
ツイッターで今さらかんって言葉を拾ったんですよ。 これが一つの大きな原因だと思います。
今さらかんってあるじゃないですか。 年をとってみると今さらあれに手を出してもらって思ったりするじゃないですか。
今さらってことはないんだっていう話が散々なされているということがあるわけですよ。
自己啓発とかでね。ってことはみんな思うってことですよね。 今さらって思うんですよ。
で、この今さらって思う気持ちはよくわかります。
自分の書いた本とかがなかった場合、ドステフスキーとかトルストイとか見ていただいて、特にトルストイとかね、ひどいもんじゃないですか。
あんな慎重文庫で5巻とかね。 あれを1から書いてあそこまで書き上がると思える人多分いませんよね。
まさにエベレストに登るみたいな感じでね。 私は絶対このやり方はやめた方がいいと思うんですよ。
ノープランの、ノープランと書き上げるってことの一つの拠地はここにあると思うんですよね。
06:01
頂上を見て登ったらアホですよね。 アホとは言わないけど、サンシャイン60とかでもいいですよ。この話単純なんですよ。
トルストイの戦争と平和も僕はすごい圧倒されると思うんですけど、サンシャイン60とかでもいいですよ。
1階から階段登っていったら登りつける気がしませんよね。 普通の感覚の持ち主であれば。
これがプランニングを立てて本を書くことの難しさだと思うんですよね。
先にその階段があると思ったらもうアウトだと思うんですよ。 僕はそんなことを思うのは絶対良くないと思うので、
誰が何と言うことを本を書くときはこれはやんないです。 先に階段を作ってから登り出すのってとんでもないと思いません。
そしたらもう登れる気が絶対しないと思うんですよね、僕は。 そこに山があるからだで行ける人ってやっぱりアムンゼンとかさ、
一部特殊な人ですよね。正気を少し欠いているところがあると思うんですよ、ああいう方々は。 今でもあるじゃないですか。今でも僕は
どこかそこはそれには無理があると思うんですよね。例えばカヌーデン、太平洋東波とか。
距離とか測ったらダメじゃないですか。普通に考えて。正気の沙汰ではないですよ、これは。 だから正気で行くためにもですね、
なんかね、狂気の人を真似しようっていうのは僕はやめた方がいいと思うんですよ。 頭狂うしかなくなるじゃないですか。
例えば米東弁になろうとかね。よしといた方がいいと思うんですよね、やっぱりね。 若い時ってありますよね、十数歳であれば。どうしてもその古代妄想というのかな。
古代妄想で突進するみたいな。あれはですね、やっぱりね、よーくいろんな作曲家とか作家さんの
見てみると、それでやってる人ってすごい少ないんですよね。 狂気で押し切るみたいな。
狂気ですからね、そもそも。先どうなるかわけわかんないわけですから。 それ、プランニングって僕は一種の狂気だと思うんで、この壮大な計画を立ててからそれを実行するというのはね、
まず不可能だと思っておいた方がいいと思いますね。 あのですね、
天才の習慣かな、もういい本です。 体内の天才は狂気じゃないんだなっていうのはよくわかるんで、いい本です。
あれ続編もあったような気がするんですけど、それにあったんですよね。 鳥山明さんかな、ドラゴンボールとか描くときには必ずまず
すげー強い敵を出させてから、そいつに世界中を破壊させると。 こうすることでまず
そいつらをやっつける、はっきりした理由が一つ得られると。 2つ目にそいつらとてつもなく強いということを示すことができると。
3つ目にこれが一番大事なんだけど、戦闘シーンを常に荒野にできると。 つまり戦闘シーンにいちいちビルとかいろんなことを描くのはめんどくさい。
09:08
だから常に荒野を背景に戦わせるというために、 世界はこいつらによって破壊され尽くしてしまったっていうのが、まず背景として大事なんだ。
あれを読んでやっぱり正気なんですよね。
壮大な計画を立てて、霊々しい計画を立てて、それを実行しようとすると、えらい手間のかかることを
いっぱいやらなきゃいけないじゃないですか。
最近話題になってるかな、わかんないですけど、青い炎って本ありますけど、あれにもほとんど同じことが書いてあって。
学園モノで転校生出したいんだけど、どうしても教室を描くのがめんどくさいと。 ここで止まっちゃうんだという話があって。
それですごいはじゃめちゃな話にして、入った瞬間にリングがあって、そこで転校生が格闘しなきゃならないみたいにしてみれば、
これで椅子と机をいっぱい描くのがやらずに済むと。 あれがめんどくさかったんだということを一生懸命力説しているのがあってですね。
そういうもんですよね。教室なんか描きたくないですよね。
というわけだから、狂気で行っちゃダメだと思うんですよね。 狂気で行くというのは、つまり教室だろうとビルだろうと何でも、
自分は天才中の天才なんだから描き切るという理由によって、 イカダで太平洋を横断し始めるわけですよ。
もうなんかこう、暴走半島に出る前に戻ってきたくなるのが普通じゃないですか。
戻ってきた時に自分はダメ人間だとか言い出すんですけど、いやそれは普通ですよね。
私は絶対それ普通だと思うんですよ。 ノープラムが一番いいですよね。
踏破するべき階段がないわけですからね。 だから、
踏破するべき階段が先にあったら、 今更感が出るわけじゃないですか。
この話、私、 していいものかどうかでちょっと悩んでた時代があったんですけど、
ここならいいかと思うので言っちゃいますが、ぶっちゃけってことじゃないんですよ。
僕はこれすごく自然の話だと思うんですけど、J松崎さんいらっしゃるじゃないですか。
私あの人作曲するんで、聞いたことがあるんですよ。 セミナー中にですよ。
セミナーの中で、Jさん、曲ってさ、すげー長いじゃないですか。 音符いっぱい書かなきゃならないし。
最後の方まで差し掛かっている時はいいと思うんだけど、一番最初に五線譜の、一番最初になんかトーン記号みたいなのを書くところ、
トーン記号は書いてあると思うんですけど、の次の音符を書く時とか、まあ打ち込むだけかもしれないですけど、
先長いなとかって思って挫折しないな、なんでですかって聞いたことがあるんですよ。
12:04
そしたら、いや挫折しますよって言って、あ、そうだよなと僕は思ったんですよ。
やっぱりそうだよなと思ったんですよ。 普通そうじゃないですか。常識的に考えて。
そんなことを考えたら、やっぱりそこで行き詰まると思うんですよ。
僕普通に絶対何度も何度もそこで、つまり要するに一番嫌なのは一文字目を書く時なんですよね、原稿だって。
だって残り99999字あるわけじゃないですか。この考え方がダメだと思うんですよ。
どう考えてもね。私はこれでできるっていう人がいないとは思わないんですけど、
賢明だとは思わないです。そのやり方は少なくとも。なぜそこをこうですね、
常に常に常に自分がいかにゴールまで遠くにいるかということをプレッシャーとして抱え込む必要があるのか。
そこに大きな問題があるんですよね。いらないですよね、そんなもの。どっちみち。
あと何文字あるかを知っていたところで、プレッシャーにしかならないと言いますか。
戦争と平和の厚さと比較して自分の原稿の薄さを認識したところで意味ないと思うんですよ。
あれだいたい、例えば5巻目にある、あるんですよ。めちゃくちゃ長い論文みたいなのが。
あれ全部削除してもいいっていう意見いっぱいあるんですよ。トルスとの戦争と平和についても。
そこはもうコンセンサスが得られてなくてディスカッションのネタになっちゃうんですけど、
私もあそこを読んだ時は、これいらねーなーって思わなくはなかったんですよ。
だから、長ければいいってもんでもないですし、対策に圧倒されるってダメだと思うんですよね。
読んでもいないうちから、特に。読んでも圧倒される必要は別に全くないと思うんですけど。
ちなみにその論文ってのは、トルスと言ってロシア人ですから、あの戦争と平和、ナポレオンに侵略された話なんで、
いかにナポレオンがダメ人間かみたいなことを一生懸命書いているわけですよ。
あれ非常にやっぱり歴史的経緯って出るなーって思うんですよね。
同じじゃないですか。太平洋戦争だろうと日中戦争だろうと、どっち側から見るかで言いたいことってありますよね、お互いいっぱい。
ある意味、その言いたいことを書きまくればですね、書くこといっぱいあるわけですよね。
そういう人いっぱいいらっしゃいますよね。トルスと言うのもあんま変わんないところもあるわけですよ。
ナポレオンは結局、ロシアじゃ評判いいはずないわけで、特にあれはまだまだ20世紀に書いたものとかじゃないですからね。
爪痕あったはずなんで、要するにいろいろ書いているわけですよね。
それが非常に長い、小説の筋からは相当逸脱している、まあなくても小説的には全然構わないようなものなんですよね。
そういうことってありますから、やっぱり逆算っていけないと思うんですね。
15:04
作曲とかも、やっぱり逆算ということを言っていらっしゃった方ですら、やっぱり一歩目は厳しいわけですよ。
最終的にどうやってその音符を1個打ち始めるんですかって言ったら、やっぱ自分信じるしかないですねとかおっしゃってて、やっぱそうだよなって思ったんですよ。
やっぱそれしかないんですよね。最後まで行き着けるという確信を持ってからやるわけじゃないんだと思うんですよ。
その、僕これよくパッと頭に浮かばないんですけどね、僕はイメージとしてピラミッドってやつがあって、
あれをやっぱりですね、最終形態を意識してから1個積むとなったら、まあ普通は無理ですよね。
奴隷とかに無理やりやらせるからできることであって、普通あれを1個1個積んでああいう風に最後になるだろうと思ってからやったら、やらないと思うんですよね。
直ちにやめたくなると思いますよ。で、この弊害って私もう一つあると思うんですよ。
結局、ピラミッドを作り上げることが目的になった場合、積み上がりましたと、まあ普通積み上がらないって話を散々してきましたが、
積み上がりましたと、最後の1個になりましたと、北斗の件でありましてね、最後の1個をサウザーとかいう人がやっぱりピラミッドを作らせるんですよね。
最後の1個を積み上げましたということになった時、これだけのものを積み上げたんだから、
すげえことが起きなきゃいけないって思いませんかね。
僕はピラミッドを作り上げるとオカルトになっちゃうと思うんですよね。
ピラミッドにまつわるオカルト話って山のようにありますよね。あれ非常に気持ちがわかる気がします。
やっぱりなんか素晴らしいことが起きてほしいじゃないですか。
ただ石何千段も積み上げましたっていう、それで納得できないですよね、あんなものを作ってしまったら。
私、本書いた後でこれをいかに思わないか大事だなっていつも思うんですよね。
書き上げたぞ、みたいな。昔ですね、私、中学受験でそこそこの学校受かったんですよ。
なんかね、受かった直後に何にも起こらなかったことがすごい残念だった記憶があって。
これは大事な経験だと思ったことがあるんですよね。
なんならですね、それから約3日後、長いジャングルジムみたいなところから落ちて、手を下りそうになったことがあったんですよ。
もうあれをよく覚えてるんですけど、なんかですね、素晴らしいことが起きるはずなのに、なんかろくでもないことが起きたぞって感じがその時したんですよ。
18:06
この素晴らしいことが起こるはずなのにっていうのをよく考えてみると、何の根拠もねえだと思ったんですね。
なんならその目向こうに行って、私、即いじめられたんですよ。
結構いいこと起こんなかったんですよね。これがすごい私の中では大事なことだと思ったんです。
オカルトになっちゃうんだなと、人は。何かを成し遂げると。
成し遂げただけのことが起きてくれないと嫌だっていう気持ちに囚われるんですよね。
成し遂げただけのことが起きる根拠は何もないわけですよね。
てか、成し遂げただけのことが起きるというそのイメージすらなかったんですよ。
なんか、ほら、ピラミッドを作り上げるとUFOがそこの真上に降りてきて、
宇宙人がやってきて王様を連れてってくれるとかいいところにね。
そんなのに飲んない方がいいような気もするんですけどね、ああいう話って。
まあ、とにかくそういうことですよ。
何か起こりそうな気がするじゃないですか。起きやしないじゃないですか、まだ石積み上げただけだから。
これが大事だと思うんですよ。
私こういう話をすると、あまりにも冷めてるとか言われるんだけど、冗談じゃないと思うんですよね。
いい学校入ったからって、なんかすごい彼女ができるとかって、起こらないに決まっているじゃないですか。
それを冷めてるとかなんとかいう話じゃないと思うんですよね。
石なる万段と積み上げようと、なんなら何億段と積み上げようと、何も起きやしませんよね、石が積み上がるだけで。
それを冷めてるとかリアリズムだと言われるのは、すごいナンセンスだとしか思えないんですよ。
だから本だってそうで、10万字の本を書き上げようと、100万字の本を書き上げようと、誰も読んでくれないなんて可能性はいくらだって。
だって100万字書いたから読まなきゃいけないっていうキリはどこにもないはずで、しかもむしろ100万字とか書かれたら読みたくなくなりますよね。
トルストイの本だって、あんなに名作だ名作だって言われていて、何かとなんとかの課題図書とかに載ってるけど、読んでる人すっごい少ないじゃないですか。
鬼滅の刃とかの方がみんなバンバン読むじゃないですか。そういうもんですよね。鬼滅の刃もたまいけどね。
だから対策を作り上げるという弊害、つまり対策の計画を作る弊害って2つあると思うんですね。
1つは今更感が出るってことですよ。全体に対しての微分みたいなものを考えるから積み上げるっていう、いらん発想が出るわけですよ。
積み上げるから1個目が虚しいんですよ。その日その日をやるっていうことを厳密に考えてみれば、1個目だろうか100個目だろうと同じになるはずで、
そこを同じになると悟ってるみたいな話になるらしいんですけど、逆だと思うんですよね。
21:00
今日の100分の1がやれますっていう方がよっぽど強い精神力がありますよ、その日を。
僕はそれじゃ全然できないから常に1分の1にしておくんですよ。そうすれば少ないとか多いとかいちいち考える必要がないはずなので、結局同じことですからね。
で、次にこれの予測に関連事項になると思うんですけど、積み上げただけのことがあると思っちゃダメだってことだと思うんですよね。
積み上げただけのことが100日後に起きると思ってるから1日目がすごい虚しいわけですよね。
全部そうだと思うんです。自分の書いたメモとかノートとか、ライフハックでは得意としてる積み重ねたものですよね。
たくさんの帳面みたいなものの山、あそこから何にも起きないじゃないですか。
こう言うと非常に酷いことを言ってるように思われるかもしれないですけど、そういうことじゃないじゃないですか。
100年間の日記があろうと何だろうと、それ自体が何かを引き起こすってことは絶対ないじゃないですか。
それはだからピラミッド1億段と同じじゃないですか。積んであるだけですよね。
別にその一つ一つの日記は1日1日の記録であって、それ以上の意味は別にないと思うんですよ。
それで本当はいいと思うんですよね。そうじゃなかったら、積み上げた後に何かオカルトが起きないとダメだったら、
多分起きないから、てかオカルトなので起きないので、できなくなっちゃうという気がします。
22:38

コメント

スクロール