2022-06-13 38:55

【615GMV】自分の本来の力を運用する

どう使ってもタスクシュート はよく似てくる
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
先日、YushinonさんというTwitterのアカウントの情報管理ログさんの方が有名ですね。
ブログをなさっていて、私はすごく合理的なIT大好きな方で、
ライフハッカーといえばそういう感じの方だと思っておりまして、
対談本を出しました、Yushinonさんとですね。
楽する情報整理術の見つけ方、深掘り仕事術というレーベルみたいなもので、
多分だから何回か出していくことになると思うんですけど、この種のレーベルでですね。
の第1弾という対談本です。
要するに、8日にログさんと私が対談し、その内容がまとめてあるという本になっています。
最近、私はこの種の本を割とポンポン出しているつもりなんですけど、こういう作り方でですね。
一つには、あんまりこだわりがなくなったことが大きいかなと思っています。
こだわりがなくなったというのは、私自身が情報整理ということにまずこだわらなくなったということと、
最初は自分のやり方というのに、やっぱりこうなんて言いますかね。
それはそれでこの業界でやっていくには大事だと思うんだけど、自分のやり方を前面に押し出すと。
だけど最近思うのはですね、結局みんな似たようなところに行き着くんだなと。
割と大事なのが、とはいえインターフェースが結構それぞれ大事で、
例えば可愛いとかかっこいいとか、この動きがちょっと気に入るとか気に入らないとかいうのが割と大事で、
やろうとしていることは大体同じようなところに行き着くんだけど、
なんていうんですかね、許容できるデザインと好きになれるデザインと許せないデザインみたいなのがあって、
あとですね、割とこれも大きいのが、その人が持ち運ぶにあたって耐えがたいと思う重さが結構幅があるということなんですね。
私はその種のことは割とダメで、1キロ切らないと結構許せないみたいなところがあるので、
iPad mini以下で使えないものは大体いつしか排除されていくという傾向があるんですね。
一方で2キロまでOKってなってくると全然話が違うんですよ。
03:01
例えばタブレットで言ってもiPad Proを持ち歩けるのかどうなのかっていうことになると、
私は絶対あり得ないという人間なんですよ。
iPad Proは持ち歩くものではないっていう、あれ単体なら許せなくはないんだけど、
結局キーボードだけでなくてね、いろいろあるじゃないですか。
回り回って結局なんだかんだで、ああいうものをカバンに入れちゃうとカバン操縦量は3キロ前後までいっちゃうと思うんですよ。
持っていく可能性も多々あるんですよ。
だからこういうことが割とありまして、スクラップボックスなのかエバーノートなのか、
その辺も最近全然違うツールだっていう人も多いと思うし、私も割と最近はTikTikとかなんですよ。
クラウドなのかどうなのかというのは実はガジェットの重量と関係があるんですよね。
例えばですけど、いやいやMacBook Proだって持ち歩いちゃいますという人はまだ全く違う世界にあるように生きてると思うんですね。
これを持ち歩けるとか、これを取り出せると電車の中でいうことであればですね、
それはもうスクラップボックスでも全然いけるんですよ。
一方でスクラップボックスをiPhoneで使うかというと、
これ結構ですね、あんまり好きだっていう人は多分あるんですよね。
やるっていうのも全然普通にやると思うんだけど、
私はあれは検索機能が抜群にいいとか、リンクがいけてるというところが多分にあるので、
やっぱりキーボードとセットだなっていう感覚は強いんですよね。
これも音声入力との相性とかいろいろなことを考えていくと、
私はあんまりなんだかんだ言ってインターフェースの問題でしかないような気もするんですよ。
例えばカレンダーというビューは私には必須なところがあると。
カレンダーがなくてもいいっていう人になってくるとまたこれも全然違うんですよ。
でも究極的にやりたいと思っていることは、いきなりタスク管理の話になっちゃうんですけど、
割とみんな似ていると僕は思うんですよね。
なんだかんだ教習にできることは、なんだかんだ言ってネクストアクションばっかりで、
しかも大事なプロジェクトのネクストアクションはもう外せない。
これをやれればとりあえず今日はOKだっていうような考え方に、
割といろんなライフハックでも仕事術でも集約されていく感じを今私は持っていて、
それはタスクシュートを使う上でもいろんな使い方がありますけど、
なんだかんだみんな同じようなことにきっとなっているに違いないと。
最近そのことをよく思うんですね。
だからいろんな人の話を聞いていけば、
表面的には例えば情報管理部さんと私にとっては、
06:00
例えばですけど、GoodNotes5とかを使う使わないと全然違うんですよね。
私iPad miniを持っているけど、GoodNotes5とかは全然使わないんですよ、やっぱり。
なぜ使わないんだろうと考えてみると、
手書きの文字を書こうという気がほぼないからなんだなと最近思ったんですね。
手書きで文字を書くということは、
手書きで文字を書くということは、
はっきり言って要求されて初めて私はやることであって、
自発的にはやらないんだなと。
メモに何にも書かないってわけじゃないですけど、
1日1枚メモがあればもうたくさんなんですよね。
しかもそれも別にですね、なんつーんだろう、伝言とか、
奥さんに伝言とかね、後で娘に言うこととか、
ほぼ手書きじゃなくていいわけなんですね。
この点はインターフェースの問題だと思うんですよ。
でもその手書きを見つけるとなったとき、
検索が便利だというのは当然であって、
検索で手書きの文字が見つけられるなら、
そりゃいいじゃないですか。
ただ私は実際にはそういう機能をどれほど素晴らしくても
あんまり使ってないという実態があるわけですね。
早いってのはわかるんですよ。
早いと思うんですよ。
音声入力と比べるとどうかなとも思うけど、
早いとは思うんですが、
そんなに私は早く手で書いてないんですよね。
割とノロノロ書く。
最近は特にゆっくりやるっていう方針でいるので、
ただ昔から思考の速度でメモを打ちたいと思ったことは
実はないんですよ。
むしろ手書きの速度に思考を合わせたいぐらいな感じで、
考えることが早いとは自分はそんなに思わないのと、
急いで考えたいという気持ちも別にないんですよ。
だからその辺はインターフェースなんですよね。
インターフェースが結構違う。
で、かわいいかわいくないっていうのは
本当に思考の問題じゃないですか。
タスクマもね、タスクマかわいいってのもあるんだけど、
かわいいから嫌だって人もいるわけですよ。
かわいくなければ使うんだけどっていう。
作ってる人はかわいいから作ってるわけですよ。
もうこうなってくると、
完全にインターフェースの話をしているので、
しょうがないと思うんですよね。
かわいいのが好きって人と、
かわいいの人前で使うのはみっともないって人は、
そういうものだから、機能の問題じゃないから。
機能としては最終的に全くその2人は同じものを求めてるんだけど、
かわいらしさという点では全く愛入れないということは、
しょうがないと思うんですね、これは。
趣味なんで。
私はそういう意味で人の話を伺っていく。
でもインターフェースの差が結構大事だから、
そういう観点からも人の話を聞いていて、
でも集約されていく先は割と似ている。
その人のやっている仕事の状況とか、
その人にとってのインターフェースの意味とか、
09:02
重さが耐えられる、耐えられないとか、
その人の筋力みたいな問題とも絡むじゃないですか。
例えば出かける頻度とかも大事ですよね。
どこに住んでいて何時間ぐらい持ち歩くのかってのも大事じゃないですか。
一方で都立大学に住んでいて、
他方で小田原の方に住んでますでは、
渋谷に出るっていった時の負荷が全く違うわけですよ。
この差はやっぱりありますよね。
でもだからといってそれがスッてなわけじゃなくて、
だからといってそれがスッてなわけじゃないわけです。
私のところに近くに住んでるけど、
iPad Airぐらいは平気で持ち歩ける1.3キロ、
今1.25キロになったんでしたっけね。
その辺ってあるわけですよ。
私1.25キロは論外だって思っちゃうんですよ。
そういうことですね。
というわけで今後もやっていきますけれども、
第1弾は情報管理ROGさんとの
楽する情報整理術の見つけ方。
iPad mini 6ってのも結構やっぱり
私たちの間では今ホットだったんで、
情報管理ROGさんもこのガジェット大好きだし、
私もこれかなり気に入っていて、
昨日も相当使い込んだんですよ。
バッテリーで満充電にしてあったのが
29%ぐらいまでなるぐらいは使うんだなっていうのを
昨日思いました。
そんな感じでその辺のiPad mini 6の話は
割と主要なところになってます。
ということで、
Kindle Unlimitedですから
読んでいただけるといいかなと。
割と今日は長くこの話をしたんですが、
それでですね、
久しぶりではないかもしれませんが、
タスクシュートの話でもしようかなと
今思っています。
というのは、昨日掛け上げ塾第5期最終回、
第5期最終回ですよ。
掛け上げた人もいらっしゃいましたので、
ようやく掛け上がってきたなという感じで、
本を掛け上げるというのは
簡単なことじゃないんだなと
掛け上げ塾というのをやっている側の人間が
言うのもどうかと思うんですけど、
思いましたね。
掛け上げるというのは大変だなと。
掛け上がるからすごいよなと。
一言だとそう思っちゃうんですよね。
こういうテーマで最後まで掛け切るって大変だなと。
自分だと全くそうは思わないんですけど、
この辺が自分と人の対象ってやつなんですよね。
人のものは立派に見えちゃうところがありますね。
人の隣の花は赤いとか言うのとちょっと違うんだけど、
やっぱり人のものって立派に見える。
畑とかだとすごいありますよね。
ガーデニングって他人のものはむやみによく見えますね。
自分の自信がないせいもあるんですけれども、
なんかでもやっぱり欠点が見えにくいってのもあると思います。
自分でガーデニングとか畑やってると、
ここが気になるっていうところはなかなか修正がきかないんで、
そこばっかり気にしちゃうんだけど、
人のはそれがわかんないからよく見えちゃいます。
そういうのと本ってちょっと似たところがありますね。
12:03
それで書き上げ塾で、
私はタスクシュートの話とかをするんですよ。
それで私にとってはタスクシュートで本を書いていくから、
毎日今日も書きます。
原稿を書くっていうのは10時半から13時半の間にあって、
その間のどこかで20分なり30分なりをとって、
500から1000時、最大1500時くらいを書くんですけれども、
書くタイミングでタスクシュートっていうのはやっぱり使うんですよね。
で、一体あれは何なんだろうと。
別に今言ったようなことを私は意識してるわけだから、
なくたって書くでしょうと言われると、
なくても書くだろうとは思います。
で、記録だと言うんだけど、
私はもはや記録はとってますよ、何時から何時までと。
この記録が絶対大事かと言われると、
大事なんですけど、
この記録がなきゃ書けないかっていうと、
別にそんなことはないんですよ。
で、習慣かと言われると、
習慣になっているものもありますよ、タスクシュートの中には。
えっと、そうだな、
水筒にお茶入れるとかね、
あれはもう習慣的なものですよ、娘のためのね。
えっと、あるいは、
娘を駅まで送るのも車で、
習慣に近いところがありますね。
しかし、原稿は習慣と書けないんですよ。
みんな習慣かって言うんだけど、
私はそれでは書けない、
それではできないこともあると思います。
習慣化すればだいぶ楽にできることと、
習慣化というもののサポートは、
ないと困るけれども、
それさえあればできるってものじゃないような気がしますね。
例えば、1500字書く習慣があれば、
毎日1500字書けるとかいうのは、
私には当てはまらないです。
で、書かない習慣をつけちゃだめだっていうのはあるんですよ。
それは書こうと思いすぎると起こることで、
先日お話ししたランダム教科というやつで、
書こう書こうと、書かなきゃ書かなきゃだと思っていて、
先をくると気分が良くなっちゃうんですよね。
解放されるから。
夏休みの宿題どうしようどうしようと思って、
今日はやらなくていい理由ができると、
すげえ嬉しい子供の気持ち。
これはいかないと思うんですよ。
これはつまり、やらない習慣が根付くんですよ。
やらない習慣っていうのはできちゃうんですよ。
やらない習慣っていうのは僕は、
それだけでは書けるようにはならないと思うんですけど、
やらない習慣っていうのを作ると、
やらない毎日というのは容易にできちゃうと思うんですよね。
で、このやらない習慣をつけないように気をつけてはいます。
が、やる習慣をつければ書けるっていうものじゃなくて、
15:02
これはですね、タスクシュートっていうのも本当に
様々な要因があるんですが、
まず基本的に今日はこれしかしないぞっていう枠の中で、
つまり60、70のやることあるんだけど、
それらのことを全部やるし、
60、70のことしかしないよという、
そういう、なんていうんですかね、
力学みたいなのがあるんですよね。
力学っていうのが意外と近くて、
ここの枠の中にはこれらの球しか入らないよと、
ちょっとぎゅうぎゅうになってるよと、
その中の球を10個くらい取り出したくらいでは、
原稿を2倍3倍書けることにならないんですよ。
やっぱり分量は変わらないんですね。
だからこれら全部やるよと、ぎゅうぎゅうだよと、
この中で書くっていうことに意識を用いなさいねっていう、
同意文章みたいなものなんですよ、あれは。
そういう同意を自分はできるなっていう、
このことならなんていうんですか、
やっぱり交渉って感じがあるんですよね、ここには。
そういう妥協点を見つけられますよという、
交渉ごとみたいなところがあって、
これなら10時から13時の間に、
5、600字書こうという気になりましたと、
そんな感じなんですね。
で、これを30日やってみれば、
2万字ぐらいは進むでしょうと。
で、2万字書いてみると、
見えてくることが必ずあるから、
そこから先のことはまたその時考えましょうねって感じなんですよ。
だから目処が立つっていう言い方をするんですけど、
目処は立たないんですよ、これではね。
目処というのは書いてみて立つものであって、
この話は架空の話をしているので、
目処が立っているわけではないんですね。
でもこれを目処が立っているというふうに言いたいから、
目処が立っているというふうに言いたい方がいらっしゃれば、
それはそれで結構です。
私の中では目処が立っている感じは全くないんで、
目処は立っちゃいないんですよ、このやり方では。
2万字書いた頃には一定の目処は立ちますよ。
1章から2章の途中までいけば、
この本全体の傾向みたいなものは、
なんとなくあんまり動かせないことも出てきますし、
そこまでがうまく書ければ、
このうまく書けたところを既に一つの売りにするから、
私は商業本を書いていますから、
売れないものはすごいいいけど売れないなって感じがするものを
作りたいとは思わないんですよ。
それは別のものだと思います。
だからこれでいけるなと編集さんも納得するし、
読者さんも喜ぶだろうと。
そしてこれならば、7、8線いけてもいいはずだと、
さまざまな意味がありますからね。
タスクシュートを使っている人、時間管理で困っている人、
時間がもっと欲しいと思っている人、
特に実業家さんとかそういう方の需要を考えて、
この内容で、この文章で、
こういう方向性で、この勢いなら
18:02
いけるという目処が立って、
それを誤破算にしたくはないですよ。
1章、1.5章くらいまで書いたタイミングで。
これを目処として、
この辺まで書かないと立たないですよね。
ただ、毎日1500字ずつ書き、
それかける100日であれば15万字だから、
じゃあ100日後には絶対書けているよね、
というのは、僕からすると目処でも何でもないです。
それはただ文字数のことしか言っていないですからね。
文字数というのは、
IUEOから50音まで繰り返せば埋まるじゃないですか。
それ、本当に目処が立ちすぎて、
50音まで繰り返せば埋まるじゃないですか。
それ、本を書いたことにはならないですよね。
それと同じで、目処が立つというのは、
そういうことじゃないと思うんですよ。
マス目が埋まればいい、
ここを漢字で書かないで、
これから頑張っていきます。よろしくお願いします。
まるでやったら2行埋まるなという、
小学校の作文ですよね。
しかも、作文を書きたくない子の考え方じゃないですか。
そうやってマス目を埋めていっても、
本にはならないですから。
書くのにあたっては、
そういうふうには考えないし、
逆算というのも、私からすると、
最初から逆算というのはないです。
引かず逆算させられることは、さすがにあります。
残り、ここまでに考慮してもらわないと、
デジタルに起こして、
印刷職の人が、
ここから行って、配本してという日付を、
出版社さんが逆算で示してくださることは、
あるんですよ。
あれを見せられて、
ここまでは最悪でもね、ということはされることがあって、
そういう時は逆算は手伝っていますよね。
でもこれは、手続き状の何かに近いものであって、
私が書くものを、
最終ゴールがこうだから、
最終章はこうなって、
私の考えでは論外に近い。
それじゃ絶対本は、
僕の場合は書けないでしょう。
だから今日書くのはこういう行ということは、
そういうふうには見えてこないです。
数学の照明みたいじゃないですか。
そういうふうには、僕の頭の中では、
一度たりとも見えてきたことはないし、
大体の人は、そんなふうには見えないんじゃないかと、
僕は思うんですよね。
そういう人もいるかもしれませんが、
私にはそういうことができる人は、
100万人に1人とかなんじゃないかなという、
私はそういう特殊能力の持ち主じゃないので、
普通に前から書いていくことしかできないんですよ。
それで終わるのかどうかというのは、
余計な心配ってやつで、しなければいいんですよ、
21:01
そういうことは。
しちゃうんですって言うんであれば、
やめるように努力しましょうみたいな話に、
要は、何でもいいんですよ。
いつ書いてもいいし、
どう書いてもいいし、
何文字でもいいしなんですけれども、
最終的には、そこでやることってのは、
やっぱり意思なんでしょうね。
意思というしかないです。
意思の力に頼らないとか言うんだけど、
やっぱり意思なんですよ。
今の話は、
本を書く人が楽しみにしているとか、
そういう話もいっぱい大事なんだけれども、
タスクシュートだけの話をしているんで、
タスクシュートだけで考えていくならば、
もうですね、誰がやったって、
そうなるよっていうことなんです。
最近、このことをよくよく、
皆さんにお伝えしたくなって、
皆さんって誰なんだって感じなんだけど、
タスクシュートの人とか、それこそGTDの方とか、
いろんな考え方があるじゃないですか。
いろんなのはないのかもしれない。
2、3個しかないような気もするんだけど、
最後は同じようなところに行き着くなっていうのは、
私、よく最近は思うんですよね。
例えば、すごく違う感じがするのは、
タスクシュートクラウドを作ったJ松崎さん。
ある意味、私なんかよりタスクシュートが分かってるんですよ。
彼はゴールを立てて逆算するって言うわけです。
ゴールを立てて逆算するのと、
私のように基本的に、
明日以降のタスクシュートは存在しませんっていう人間が、
ほぼ同じものが出来上がるっていうのは不思議かもしれないんだけど、
僕はあんまり不思議じゃないなと、
最近やっぱり思うんですね。
というのは、どういうふうにやろうと、
まず、彼とて、Jさんとて、
6時間は寝ると思うんですよね。
私は4時間なんだけど、そんな変わらないじゃないですか。
間違いなく、同じ行動を連続してやってる時間の長さとしては、
睡眠が人間にとっては最大になると思うんですよ。
この時間がここまでに出来るということは、
他の行動原理もかなりに出来ると思うんですね。
それで、7時間、6時間。
非常に数字も似てるじゃないですか。
分かんないですよ、Jさんが6時間なのかどうかなんて。
ただ、多分そこまで差はないだろうと。
僕が知ってる限り、Jさんは夜寝るんですよ。
非常にここの点も似てるわけですね。
世の中には昼寝るって人もいるんですよ。
だから、夜寝るということは、
全ての人に共通する話ではないんだけど、
24:01
彼と私ほど考え方が違うようでいても、
夜寝る。1日の3分の1くらいは寝る。
この辺からして、私と彼のタイムスケジュールが
大幅に違うということは考えにくくなるんですね。
おそらく彼と私は3、4食食べる。
かける時間も合わせると3、4時間になる。
この辺も似てると思うんですよ。
彼と言っても、多分私が思うに
お風呂には入ると思うんです。
このお風呂に入っている間に、
彼はオーディオブックで勉強しているかもしれないし、
私は絶対そういうことはしないという違いはありますが、
ここは言うほどでかい差は生まないと私は思うんですね。
彼がオーディオブックで勉強して、
私がその間何にもしないというのでは、
知識量等に差はつくかもしれないけど、
この差は絶対的な差とか、
致命的な差とかにはならない気がするんです。
なったと仮にしても、
それは知識的な差であって、
何かもっと時間活用上の
決定的な人生に差を生むとか、
そういうことには僕はならないような気がするんです。
だって彼といえども、
お風呂に7時間とか入るわけじゃないじゃないですか。
結局、僕と彼のお風呂に入る時間とかは
そう違わないんですよ。
彼はおそらく時間の対応にいると思うんですよ。
彼は昼の1時に入りますがとか
ってことはないような気がするんですよね。
つまり、人が取らなければならない行動の
いくつかのパーツっていうのは
言い方しちゃいますけど、
パーツですよ。
構成しているものは似てるはずなんです。
かなり。
これをですね、
まず大事に
受け入れられるかどうかっていうのが
大きいんだなって思うんですよ。
この点をね、
あんまり皆さんは重要視されない。
受け入れるっていう話が
妥協するみたいに聞こえるらしいんですよ。
あるいは諦めるとかね。
受け入れるしかないんですねみたいな。
受け入れるってことは
すごくつまらないことも思われてるらしいんですよ。
じゃあ、受け入れないとするとどうなるのかと。
それほど一人一人の時間の使い方が違いません
ということを受け入れないとすると
どうなるのかというと、
まず、四六時中苛まれることになるんですよ。
僕はこれが時間管理で実は
時間管理でなんだけど
時間管理でと言わなくてもいいんですけどね。
時間管理や多数管理で
すごく大事だと思うんです。
私は自分の時間の使い方が
24時間受け入れられませんっていうのは
害意が大きいと思います。
いちいち罪悪感を持つわけですよね。
それこそ倉園さんじゃないですけど
27:00
罪の意識を自分に抱けば
自分を罰するしかないんですよ。
24時間自分を罰するってことは
まるでなんかですね、
牢屋に入れられてるみたいじゃないですか。
本当にそういう感じが
僕は持つ必要があると思うんですね。
自分が24時間全然
罪悪感に苛まれない。
全くってことはないですけど私も。
でももう数パーセントになっているわけです。
まして時間の使い方では
一切罪悪感を持ってないわけですよ。
のと24時間365日
始終罪悪感に苛まれるのとじゃ
全然心理的な負荷が違います。
これは多分はっきり違うと思うんですよ。
で、そうやりながら
時間がうまく使えないのは
使えた気がしないのは
当たり前かなって感じがやっぱりするんですよね。
絶え間なく罪悪感に苛まれていて
絶え間なく自分を罰していて
うまくいく感じがしないじゃないですか。
まるで小学校のひどく難しい
ご家庭に育った人が
問題を間違える度に指を叩くとかやっていて
私はその子が勉強がうまくできるようになる
って感じはしないんですよ。
そういうのに近いことをやっていて
やっているならやめた方がいいと思いますね。
やめるのは様々な事情から難しいと思うんだけど
タスクシュートってのは
それをやめるのに役立つツールなんだと思うんですよね。
私は。
受け入れるしかないので。
できれば受け入れる時に
やっぱりつまらないものを受け入れていると
思わないことだなと思うんですよ。
多分24時間の使い方が私もJさんもその他
みんながほとんど変わらないと言われることが
気に食わないのは
自分は違う使い方をすることによって
例えば朝3時に分けることによって
今いるような領域から一段抜け出さなきゃ
っていうことなんだと思うんですね。
私なりが抜け出す方法も示さないのに
この現状にアマンジさせられるということは
認められないという話なんだと思います。
でもだったら余計ですね。
現状そうであるという状態
現状こういう風になりますと
多分7時間近くは寝るでしょう。
夜にお風呂に入るでしょう。
3食は食べるでしょう。
これらの行動で
現状は気に入らないというのであれば
時間を短くするという方法を取っても
あんまりというかほぼ全く
30:03
望みのところに行けないような気がするんですね。
というのは人はやっぱり見ていると
非常に極端な人もいるにせよ
7時間くらいは寝るんですね。
もし現状が気に入らなくて抜け出したとして
抜け出した後に来るのが何だか分からないんですけど
例えばちょっと前によく話題にしていた
何者かになったとして
収入も収益の収支の失敗を一切せずに
するほどのお金が手に入るという状態になったとして
何をするかというと
7時間寝るんじゃないかと思うんですよね。
ここが僕は昔考えたんですけれども
タスクシュートをやっているときも考えたんですけど
一生懸命今の状態を改善して改善して抜け出して
抜け出した後にやりたいことが元に戻ることであるならば
そこはやっぱりもうちょっと検討したほうが
いい点だと思うんですよ。
そうやって一生懸命頑張って
睡眠時間も食事時間も削って勉強したりして
抜け出した後に聞かすぐまで寝て
美味しいものをゆっくり食べたいと言うんだったら
今すぐそれをやったほうがいいじゃないですか。
少なくとも美味しいものをゆっくりは食べられないかもしれないんですけれども
それなりのものをゆっくり食べることはできるじゃないですか。
今の日本であれば。
同じしてゆっくり寝たいんであれば
何者かになって
小谷翔平さんみたいになって
お金がふんだり入ればパラマウントベッドで寝られるかもしれないんだけど
僕はその差は言うほど絶大な差はないと思うんですよね。
それよりは今すぐ7時間何8時間寝たほうがいいと思うんですよ。
今すぐできる生活の質を上げるというならば
結局1個1個にかける時間を必要な分だけかけるほうが
結果的に必ず良くなると思うんですよね。
1時間かかる食事を2分で済ませるとして
その時質が良くなるはずはないじゃないですか。
そして残った全ての時間を本を書くというようにしても
ここでさっきの話に戻るんですよ。
たとえそうやって確保した時間が7時間だとしても
私の7倍かけるというふうに人はならないと僕は思います。
私が3、40分で800字だと
そんなことでは到底何者にもなれないから
8、7、56だから5600字毎日書く
私はそれでまともに本が作れるとは思わないです。
ただですね、私の知っている著者さんに
33:02
本の企画ができたとなったら
缶詰してホテルの部屋を借り切って
1日10時間ぶっ通しで本に向き合って
1日1章ずつ、6泊で6章書くという話を
実践されている方はいました。
ただしその人はプロですね、一つには。
すでにプロです。
もう一つは、そうして6日書くと血を吐くほど大変で
1ヶ月は何もしないみたいなお話をされていて
私、そう聞いた時に
その方は6日でほぼ7、8万字いくんでしょうから
1ヶ月で7、8万字だとしても早いとは思います。
でも私だって1ヶ月経つと気が付くと2万字くらいはいくんですよ。
彼は私の1日だけ取り上げれば
10倍くらい仕事してるんだけど
30日にそれを伸ばしちゃうと3倍から4倍になるんですよ。
2ヶ月にそれをもし伸ばしてしまうと
あんまり変わらなくなるんですね。
これってさほど意味があることではないんじゃないかなって思うんですよ。
話のインパクトありますよ。
それにそれはつまらないやり方だというつもりもないです。
ただ、私が思うのは
向き不向きってまずあるのでしょう。
冒頭で話した通り
かわいいツールを使いたいのとかわいいツールは嫌だというのは
自分の感覚に合わせた方がいいですよ。
この機能は素晴らしいからかわいくて
かわいいのがすごく恥ずかしいんだけど
無理やり使うというのを私はあんまりいいと思わないし
すべての人がかわいいツールを使うべきだという話も
乗る気はないんですよ。
私はかわいいツールって好きですけど
それはそれですよ。
で、この1日に缶詰して
8日で書くのがいいんだというのは
その方法には一定の意義があるとは思うんですね。
1週間で1冊
自分の頭の中がそれだけになって
通しでガーッと書いていけるっていうメリットがあったり
話のネタとしてインパクトもあるし
なんとなくプロっぽさっていうのもあるじゃないですか。
ただ多分それをやってるって方でも
終わった後は血を吐きそうだっていう
それはだから身体にすごい大きな負荷はかかってるわけじゃないですか。
やれるにしても。
だから私はタスクシュートで
そういう風な時間の使い方は決して今までもしてこなかったし
する気配もないなと。
1日8時間全く同じことを
しかもそれをある程度負荷がかかることをするという日は
過去15、6年のタスクシュートの記録の中に
36:02
1日たりとも現れたことがない。
せいぜい私の場合はコロナみたいなオミクロンで
渋滞でほとんど1日中ベッドに入ってましたみたいな
そういう風なものはあるけれど
それは余儀なくされてることであって
好んですることじゃないですよ。
だからあんまりですね
自分の自然な時間の使い方を
強引に伸縮させない方がいいんじゃないかなと。
そして強引に伸縮させたところで
あまり結果は究極的には変わらないんじゃないかと。
もしその方が1冊書いた後で3ヶ月休憩を振られれば
ほぼ私の3ヶ月と結果として同じみたいなんですよ。
つまりどっちが早いかというと
同じですってことになっちゃうんですね。
だったら自分に合った方法でいいんじゃないかと思うわけです。
タスクシュートというか
つまり自分に合った時間の使い方っていうのは
どういう時間の使い方なのかが
記録としてそこに目の前に現れるということです。
それはもちろん日々少しずつ変動するし
1年経てば変わります。
だけれども毎日やってるわけだから
毎日の変化を反映してくれるわけですよ。
だからいつもいつも目の前にあるものは
だから私は最大
多くの場合過去のを見るといっても
前日のぐらいしか見ないんですよ今は。
今の私に一番無理のないのは
おそらくこの付近にある。
同じじゃないですよ。
同じじゃないけどおそらくこの付近にある。
で、毎日5、600字書くのは
私にとっては全然大きな負担とは言えない。
少なくとも血を吐きそうには絶対ない。
それでいいじゃないですか。
3ヶ月経てば
結局1週間で1冊書き上げたのと
そう違いはなくなるんだから
つまり人それぞれじゃないですか。
あまり人と大きく違う自分っていうのを
求めないでいいんじゃないかなって思うんですよ。
多分上手くいけばですね
自分にかなり
自分にとってかなり
本来備わっているものの
運用によって
自分が望むぐらいの存在には
なっていけるんじゃないのかなって
今は思うんですよね。
で、そのサポートにつくしおとには
随分助けられたというか
そのサポートにつくしおとには
随分助けられたんですよ。
そういうことが
これからはお伝えできるといいよなって
思っています。
38:55

コメント

スクロール