2021-09-17 35:59

【GMV 460】整合性を取るというワナ

うまくいってるけれどうまく行かせたいわけではないんです
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
金曜というのは、現状厳しい曜日だということが、だんだん認識できてきたんですね。
一つは、学校がケツカワスイモッキンと続いて、この日が一番娘が眠がる。
これは当然なんですけどね。
あとは、ケツカワスイモッキンと喋ってきて、やっぱりネタがだんだん尽きる。
これも当然なんですけどね。
あるっちゃ、あるんですけどね。
なんとなく意識的に用意してきたものが、ネタ一応用意してないわけじゃないので、
日々時が経つにつれて、どっちでもいいことのような気がだんだんしてくるんですよ。
発見した時はこれだとか思うんですけどね。
だいたいそれはもう分かりきったことなんで、あんまり気にしていないんですが、
そうだ、10月13日に本出ます。
つい人の顔色を伺ってしまう私を手放す方法。
卒業するだったんですよ、手放すのところが最初は。
そういう案もあったってことですね。
でも手放すにしておきました。
卒業するもありなんじゃないかと思うんですが、
その辺ちょっと難しいところで、つまりやってみなければ分からないんで。
やってみた時には手遅れってことになるわけで、比較しようがないですからね。
話の本、今はそうでもないのかな、でもやっぱり紙で出せてよかったかなとは思っています。
電子書籍一発みたいなのも結構これからの時代ありだと思うんですが、
結構ですね、この問題って実はいろいろ聞いてみると、非常に私の狭い関係範囲です。
年配の人も結構これは気にしてるんだなっていう気にされていて、人の顔色。
若い人ばかりの問題、私はかなり若い人を対象に書いているつもり、
せいぜい私と同世代、前後までって思ってたんですけど、そんなことはないんで。
やっぱり電子書籍読まないレベルの世代、例えば70代とか、
結構他人の顔色気にしていらっしゃるな、これはってのを知って、紙でよかったかなって思うようになりました。
電子書籍読まないですからね、やっぱり。目が疲れるとかっておっしゃるし、
もちろんKindleなんか持ってませんから、そういうところからしてもよかったかなと思いました。
持ってる人もいらっしゃるんですけどね、70代とかでもKindleすごい大好きな。
私の父みたいな年齢の人でもいるんですが、その本に書くにあたってネタを集めるみたいなことをするじゃないですか。
03:10
これがですね、今日ちょっとややライフハック寄りなテーマでありつつ、
どこに行くか全然わかんないんですけど、ネタを集めるじゃないですか。
ほぼ完璧に無駄になるわけですよ。ネタにしたものを書くことはほとんどないんですよね。
こういうのを全部集めて組み合わせて書いていくとうまく書けるっていう感じを抱かれる方もいらっしゃると思うんで、
それはもう人それぞれのスタイルなんですけど、私は結構大量に集めて、
もしかするとネタ分だけでももう1冊分くらいあるんじゃないかくらい集めてほとんど使わないんですね。
使うのはありますよもちろん、その中でも。
でも使わないというか使えないんですよ。入る場所がないなみたいな。
入れれば、入れられなくはないんですけど、なんかですね、やっぱり肥大化するだけで、
1つ作った構造物に1個余計な首をくっつけてるみたいな感じに感じられる。
からまあ、惜しいなと思う場合もあるけれども全く惜しくないなと思って落とすケースの方がほとんどなんですね。
でも明らかに関係はあるし入れたいなって思うことも多いんですけど、1個1個見ていくと1個1個割と見るんですよね。
ダメだなって感じがするんですよ。
で、よく彫刻とかでそうでない部分を削り落とす。
あれは名人芸のなせる技であって、私はああは作れない。
やっぱり集めてくるという、集めてくるという方向性もあって、ただ削ればできるっていうようなものでもないんで。
彫刻じゃないしね。
やっぱり集めてくっつけるっていう感じもないわけじゃないんですけど、集めてくっつけるじゃないし、削り落とすでもないんですよね。
今私はノープランライティングというので書き上げ塾でもやってますが、第4期の第4回が次かな。
その辺なんですけどね。
6回まで行ったら終わるんで、来期またこちらでも募集かけさせていただきますが、
ノープランライティングっていうのは私の感じではマヨネーズ絞り出すやつあるじゃないですか。
あれずっと出し続けていくと本になりますっていう感じなんですよね。
そこに素材は入っているんでしょうけど、マヨネーズの素材みたいなやつ。
でもそれはどこかから供給されてきて、これがそうなんですよまさに。ずっと絞っていく。
06:06
これ削ってグッドモーニングバイブスらしくないところを削れば出来上がるってものでは全くない。
私が何かを出してる感じがする。
けれどもそのネタを毎日集めてきてもいつかともたないっていうのも事実なんですね。
だからずっと供給されてきているものをずっと絞り出していくと出来るっていう感じなんですよ今のところ。
それが枯渇したらどうするんだとか考えるのは絶対ダメなんですね。
枯渇したらどうするんだって考えた瞬間に枯渇するんですよ。
だから枯渇したらどうするんだと絶対考えないってことが枯渇させない最大の秘訣で、
これは本当に予感を手放すっていうのと似てるんですよ。
というか同じだな。
予感を手放す。
100%まずいことがこのままで起こるぞと思うのもダメなんですよ。
100%だろうと。
これ先日クラゾンのケイトさんとお話ししたんですけど100%でもダメだよねって話。
100%でも99%でも2%でも同じなんですよ。
予感ということがダメなんですよ。
予感を持つということは私の中の、あえてそういう言い方をしますが、
私の現実を変化させてしまうんですよ。
100%そうなるんです。
今私がグッドモーニングワイヤスでこれを喋って次何喋るんだって思った瞬間に消えるんですよ全部。
多分この番組がこの回は終わってリテイクしなければならなくなるわけです。
もし皆さんこの内容をこのまま聞いているということは私は予感を持たなかったということなんですよ。
これは100%間違いないことで、今私は2秒後の予感も何も持ってないんですよ。
だから喋ってられるんですね。
ここに緊張感は一切ないんです。予感がないですからね。
どうすればそういうことができるんですかって時々聞かれるんですが、
それは予感を持たなければできるんですよ。
どうすれば予感を持たないことができるんですかというのは答えようがないですね。
予感を持たないというのは何か過眼で何かを持たないというのと同じで、
予感というのはあえて持つものであって自然と思っているものではないんで、
たとえどれほどそれが自然と思っているものに思えても、確かにあえて持っているものなんですよ。
だから予感を持たない方法とかはないんですね。
予感をあえて持ってるんだから、むしろ予感を持つ方法はないと思うけど若干あるかもしれない。
予感を持たない方法というのはないんです。予感を持つことをやめれば予感というものは消えるんですね。
そうすると、不安というものがなくなる。なぜならば、不安は予感とともにやってきますからね。
というか予感の中に入っているという感じがします。
そもそも、枯渇したらどうするんだというのは不安じゃないですか。
これを持たないということですね。
そうすれば枯渇しない。
よく私はこの例えをするんですが、これでいいと思っているんですけどね。
09:02
母親としゃべるときに、次に何をしゃべるかは予感しないじゃないですか。
しないと思うんですよ。
私、奥さんとしゃべるとき、ただの夫婦の会話をするときに、
次奥さんがしゃべるとの方が沈黙したらどうしようとかって考えないんですよね。
このモードと全く同じモードですよ。
そこに緊張感とかはないじゃないですか。
ネタが切れたらどうしようと不安にもならない。
この感じを持っていれば、しゃべることが尽きるということはありえないと私は思うんですね。
だから私はセミナーも原則このモードで行くんですよ。
そういう意味でスライドを作って用意しろって言われるのは当然言われるだろうなと思いながら、
絶対一番何か求められたくないものの一つなの。
奥さんと会話するときにスライドを用意する人はいないですよね。
私は奥さんとしゃべるときにスライドを用意する人ってたぶんこの世に一人もいないんじゃないか。
世の中にはいろんな方がいるから一人ぐらいはいるかもしれないけど、
普通はいないですよね。
そのモードでしゃべれば一番うまくいくのに、
わざわざ奥さんとの会話にスライドを用意するようなことをするんですよね、私たちは。
そしてそういうことをやるのが礼儀にかなっていて、
マナーに即していて、自然な行いであってビジネスライクだと思うんですよ、皆さんは。
そして私に言わせればですね、あまり面白くもないものを
円グラフとともに見せられてみんなが眠たと戦うみたいな。
どうしてそれがビジネスなのかがわからないんですよね、私には。
みんなで鉛のような時間を共有するということこそ、
私たちが本来最も一橋の人間として能力を最大限つぎ込んでやるべきことであるっていうのが
僕には理解できないんですよ。
だからそれが理解できるようになるまでは会社員は無理だなと思っていて、
現に理解できるようにまだなってないから会社員やったことないんですね。
私はいまだにダメなんですよね、理解できない。
やることはできますよ、私でも。
そういうのに類似したことをやったことはありますからね。
みんなで眠くなる儀式みたいなものを、
確かにいくらかの人が寝ていてそういう場を共有すると正しいビジネスのあり方なんだけれども、
正しくはないと思うな。
なんかでも非常によくあるビジネスのあり方であって、
基本的に多くの人がそういうやり方をやる限りあまり文句は出ないという非常に不思議な何かなんですね。
一方で私が研修とかでノースライドとかでやっちゃうこともあるわけですよ。
この状態を作り出したくないですからね。
配付資料とかを一切僕は持って行ったことがないんですよ、実は。
12:00
望ましいとかで書かれていてもスルーするんですよ、望ましいだったら。
必須ですって言われれば持って行きます、しょうがないから。
でも必須ですって言われない限りは絶対スルーするんですよ。
二度とこの仕事を受け終えなくてもそれはそれでいいと思っているので、
代わりにある程度は少なくとも多くの人が寝ないレベルまでは持って行ってるんだけど、
大体こう何か言われますね。
よろしければスライドとアウトラインと配付資料。
私あれが理解できないんですよね、やっぱりね。
だから理解できないことをやるっていうのは難しいことだなと。
何かそこに良さというものを見出さなければいけないんですけれども、
なかなか私の気質がですね、多分こういう話を倉園さんにすれば、
それなりに何かそれに良さや長所を見出す何か視点をいただけるんですけど、
多分僕はそれを実行できないと思うんですよね。
だから難しい、そういうことは。
恐れや不安とはまた別にですね、
別に私みんな寝ちゃうとか言うのもいいと思うんですよ。
ただそれが何て言うんですかね、
大の大人がわざわざやることなんだろうかっていうのはどうしてもダメなんですよね。
小学校とかそれに限りなく近い授業って結構あるじゃないですか。
私も出てましたし、あれはなんとなくまだ分かるんですよ。
教職ならまだいけるかなっていう感じはあるんだけども、
あの会社のはダメですね。
参加してる人が大人なのでもうちょっとなんとかならないかなってついつい思ってしまうというのがあります。
話が盛大にそれている感じなんですけど、
要するにネタは役に立たないような気がするということです。
このネタの役に立たないということはどういうことかというと、
私はですね、昨日そういう話を少ししたんですが、
フロートストックって話あるじゃないですか。
ストックはネタじゃねえなって思うんですよ。
ネタはフローに限りなく近く、
正直私はネタっていうのは1個あればいいと思うんですね。
1個だったらそれを採用するかどうかの問題なんで、
これ10個あったからって結局採用するのは1個で、
一番いいやつを採用できなかったとき、残りの9個はまず採用されないんですよ。
このいろんなもの、Good Vibes TVとかぶっちゃけ相談とかいろんなものをやってきて、
毎度思うことなんですね。
一番いいのを1個やることしかできない。
毎度毎度そうなんですよね。
その中で一番いいものが何かであればそれに決まるけれども、
それ以外のものは選ばれることがない。
だからネタをストックするっていうのは僕にはありえない概念なんで、
つまりストックというものにとってネタはノイズにしかならない。
だから検索制度というものが求められるって思うんですよ。
ああいうケースでは。
Evernoteとかで検索するのは何かっていうとネタじゃなくて、
15:00
多分思いもよらない依頼なんですよね。
これは答えられないケースありますよ結構。
例えば、私鶴ヶ島に住んでたときがあるんですけど、
鶴ヶ島に住んでたときのあんたの免許の番号なんだって聞かれたときに、
Evernote検索以外は僕はできる能力がほぼないんですよ。
とりあえずできることはない。
ましてそのときにあったエアコンの型番は何だとか答えられない。
もうEvernote探すしかない。
ヒットしなければおしまいですね。
つまりそれってネタじゃないじゃないですか。
そしてこれは依頼ですよね。
私の感じではEvernoteのストックとか、
つまり情報整理の上でのストックってものは依頼だなって思うんですよ。
決してネタではない。
だからネタを貯めておいてそれが何かになっていくというのは信じられない。
あくまでもネタが貯まってしまうのは、
本の上で使えなかった自分発の資料、自分発の発想なんであって、
これはもう多分混輪際に使うことはない。
だから私は最近はそれをまとめて捨てておしまいます。
エアコンの番号とか取っておきますけど、
それは誰がいつどこで何を言いますかわからないからですね。
でも私はネタは後で見つけたいとは思わなくなったんで、
多分なんですけれども、
そういうものがなければですね、
私の頭がもう一回考え出してくれるだろうと。
これが無駄だっていう話があるんですけど、
私はこれが無駄だとは思わないんですよね。
こっちの方が早いと思います。
エヴァノートで検索が仮にヒットしたとしても、
私が頭で考える方が早いと思う。
こう思えてしまえばですね、
こっちのものだと思うんですよ。
こう思えるからこそ予感を必要としなくなるわけじゃないですか。
後であの資料、ネタを使うかもしれないというのが予感じゃないですか。
ここには不安が潜んでますよね。
これを失ったら発想できなくなるという不安が潜んでますよね。
この二つを一切持たないようにすれば、
多分必要な時に必要な言葉は口から出てきてくれるんですよ。
そういうふうに思うようになりました。
最近質問いただいたんですけれども、
私が原稿を書く時、オン・オフみたいな話なんですよね。
どうやってオンにするのかと。
これ私はですね、その時も倉園さんは若干違う答えで、
そっちの方がいいなと思いつつ、
でも私の答えは割といつも決まっていて、
起床直後に書けってことなんですよ。
本の原稿でもブログでもやりたいことがあってできませんっていう話があるならば、
起床直後にやる。
MPとかの話じゃないですよ。
MPとかの話からでも、体力とかの話からでも、
寝起きが最大にあるって言ってもおかしな答えじゃないと思いますけど、
そっちではなく、
起床直後に書くということはつまり、
18:03
オンかオフかの判断をすることはできないということなんです。
倉園さんの表現を使えば、
オンとオフはないっていうことになるんですけど、
ゼロになると死ぬので、
そうでないとしてもですね、
書けないのかどうかってことなんですよ。
オフってのは。
書けないのかどうかってことなんです。
体が動かないとかは論外だと思うんですね。
起きたということは書けるはずなんですよ。
起きてダンベル上げろという話じゃないじゃないですか。
起きて書けるか書けないかなんですよ。
書けるけど書かないんであれば、
それは書かないんですよね。
書けるけれどもお腹が空いているから、
先に食べるというのは全然OKだと思うんだけど、
書けるけれどもお腹が空いているから、
先に食べたいということは書かないってことじゃないですか。
ここにコツも体力も何もないと思うんですよね。
意志力とかの意志力が強いだ弱いだストイックだという話あるけど、
そういうことを考えるってことがおかしいと思うんですね。
なんでそこで私なら意志力が発揮できるからうんうんって話の
それを持ち出す必要がないじゃないですか。
私がこのように言おうと言いまいと関係ないじゃないですか。
自分が本を書くかどうかなんてことと。
これはストイックかどうかってことを持ち出す必要がないですよね。
朝書くならばストイックなのか、それともそうではないのかとか、
そういう議論自体いらないじゃないですか。
起きて書けばいいんですよ。
この世に自分しかいないとでも思って書けばいいんですよ。
ちょっと書き上げ塾的にはあれなんですけれども、
僕はそういうふうに考えるんですよ。
この世に自分しかいないと思ってでもいいからとにかく書くと。
書く以外のことはないと思って書くんですよ。
気象直後というのはそういうことが一番簡単にある意味できると思うんですね。
何もしてないのでいろいろ思い出さなければ
結構何も思い出せないものだと思うんですね。
朝食を食べてないとか、起きた直後は割と思わないものです。
顔を洗ってないとか歯を磨いてないというのを思う人はいるかもしれませんけど、
思ってしまったら顔を洗ったり歯を磨ったりすればいいじゃないですか。
でもそうするといろいろ連想が始まっちゃうんですけどね。
でも顔を洗ったり歯を磨いて書けばいいじゃないですか。
つまりそういうことだと僕は思うんですよね。
何かと比較を始めちゃうんですよ、私たちは。
それは予感だと思うんですよね。
こうしてこうしてこうした方がこのまま書き出すよりも
いいとか悪いとか、それは予感ですよね。
もし歯を磨いて書いた方が、あるいは朝食を食べて
元気になってから書いた方がいいものが書けるんじゃないかという予感です。
21:00
私はそんなのはデタラメだと思うんで、
そのようなことの比較は本当の意味ではできないと思うという意味です。
デタラメだというのはストイックだとかいう話じゃないんですよ。
つまり食べた後に書いてみたことと
食べる前に書いてみたことの比較ってできないんですよ。
だって食べる前に書いちゃったらそれは食べる前に書いちゃったんだし、
食べてから書いちゃったんだったら食べてから書いちゃったんですよ。
過去の自分のと比較するとかは無意味だと思うんですよね。
前に1章書いて、今日2章書いた。
どっちの方が歯がいいかっていう比較は無駄だと思うんですよ。
同じこと書かなかったらどっちが良かったかわかんないじゃないですか。
同じことを異なる条件では絶対書けないじゃないですか。
つまりそれについてよしよしを判断するとか
優劣を競うということは無意味なことなんですよ。
脳内でやれてる気になるだけのことであって、
現実には絶対に不可能なことなんです。
つまり私たちはそういう時に
例の万能的魔術思考ってやつに絡めとられてると思うんですよね。
リアルな万能というのはそこで書くってことですよ。
書きたいから書く。万能ですよ。
やりたいことができてるんだから。
空が飛びたくて空を飛ぶっていうことができるんだったら
それは万能ってことじゃないですか。
書きたいから書く。万能ってことですよ。
ここで朝食を食べた後で書いたものと
食べる前に書いたもの。
それも全く同じコンセプトで
全く同じ部分について書いたことの優劣を比較できるものは
魔術的ってものですよ。
それはオカルトですよね。
できないんだから。
できないけれども脳内ではできるような気がする。
だから魔術的なんですよ。
この魔術的に引っ張られないことだと思うんですよね。
この魔術的なことをやってる時
普通は全部じゃないんですけど
普通は不安が潜んでるはずです。
どっちかの方がいい。
その分自分は損をするんじゃないだろうか。
この損はできないんですよ。
全く同じ条件でやらなければできないことだから。
唯一変えることができるのは
食事を摂る摂らない。
それだけってことはできないからですね。
それは思考実験っていうやつです。
この思考実験こそが大事だっていう考え方が
世の中にはあります。
ただ私はそれを信じることができない。
思考実験っていうのはでだらめでしかないと思う。
これはですね。
タスクシュートでもグッドバイブスでも
近いことを言ってると思うんだけれども
僕はそのことを心理学の授業で習ったんですよ。
思考実験っていうのはでだらめだと。
どんなに完璧にコントロールをしてるつもりでも
コントロールしきることは不可能だと。
特に心理実験みたいなものは無理だと。
心理実験でできないんだったら
日常生活で絶対無理だと思うんですよね。
A・Bテストってすっごい難しいと思うんですよ。
他の条件を全部合わせなきゃならない。
でもおかしいじゃないですか。
他の条件全部合わせないですよね。
空間の位置が違ったらダメだと僕は思うんです。
24:02
アウトだと思うんですよね。
だって空間の位置が違うわけですからね。
こういうのは全て架空のものでしかできないと思うんですよ。
プログラムとかね。
プログラムってのは実態がないから
こういうことができると思うんですけれども
今日を変えるだけとかってできるじゃないですか。
ここの文字列を変えるだけとかもできます。
それはプログラムだからなんだけれども
現実が関与してしまったらできないと思うんですね。
それを人が見てどう思うかとか
見る人によって違います。
同じ人が見たって見る時間帯によって違う。
そういうことがどうしたって排除しきれないのに
ユシア氏を完璧な
ここでですね、完璧には比較できないけど
ざっくりとならできるっていう
よくわからない話が出てくるんですが
そんなにざっくりとした比較でいいぐらいだったら
朝食食べるか食べないかなんて大した問題じゃないですよ。
私のこれまでの経験ではですね。
それは本当に頻繁大な違いは生むかもしれないけど
しょうがないですよね。
ただどっちの方が良かったかはわからないはずです。
誰にも永遠に。
だから一番いいのはですね
気象直後にやりたいことをやると。
で、その時にあれこれ考えないということです。
気象直後なのにとか
食事をしてからがいいとか
あるいは何時頃ならばとか
すべて予感が含まれていて
そして予感というものは
その人のその行動をきっとさせない方向に持っていく
たぶん予感を持ったら書かなくなるような
気がするんですよね。
ブログとかそんなものはですね。
で、つまり
なんか話が盛大にぐるぐる回っているんですけれども
まあいつも通りですね。
先日というか昨日ですね
父との話をしたわけじゃないですか
こういう時にも本当猛烈に思うんですけれども
予感を持ちますよね。
父も持ってるし私も持っちゃう。
で、こういう時予感を配するということが
一番大事なんだけど
非常に難しい正直言って。
どうしてもこう言ってくるだろうなと。
家族のことはよくわかってますからね。
よくわかってるつもりになってるから。
あのしょうがないと思うんですよ私も。
そういうこういうケースにおいては。
えーと何て言うんですかね。
最近質問いただいていて
ずっと考えさせられているのが
整合性という言葉なんですよね。
整合性を求められている。
そして求める時代だ。
密詩とかって言うじゃないですか。
密詩とかってどういう意味があるのかが
全然理解できないんですけど
あることになってるんですよね。
何かある世界ではあると思うんですよ。
27:00
ただ私は本とか個人で使うドラインの密詩って
意味不明だとしか思えないんですよ。
そんなこと気にして読んでる人は
いたとしてもかなりレアだと思うので。
そして多分そのような
そういう読み方をされた場合
何かが伝わる気はしないんですよね。
密詩と整合性は多分同じようなものなんだと思うんですけども
何なのかなこの整合性というのも
私たちは気にしますよね。
特に今の時代って気にされてるなーって思うんですよ。
グッドバイブスと他の
僕も一歩間違ってやりそうになる
グッドバイブスと精神分析との整合性とか
意味ないじゃないですか。
精神分析考えられた時には
グッドバイブスなんて賭けも形もなかったんだし
グッドバイブスの話を
倉園圭三さんはフロイトベースで
伝えてるわけでは全然ないですからね。
精神分析ってフロイトを抜いてしまったら
もはや消滅するようなぐらい
フロイトベースなので
あれは臨床のベースですからね。
私はここではあれを
たとえ話として使ってるつもりなので
よく言いますけどね。
整合性というものが
例えば
前にちょっと
ぶっちゃけ相談でいただいたんですけど
例えば社会のサイズに合わせて
リベラルだったり保守的だったりを
使い分ければいいみたいな
ああいうところに
なるほどそういう考え方なんだなっていうのが
現れるんですけれども
そのなんていうんですか
不思議な感じ
どうしてもですね
実家みたいな
整合性がそもそも取れなさそうな時に限って
なんとなく整合性というものを
みんなが考え始める
非常になんか
ナンセンスなのに
何かちょっと
あがらいがたいとまでは言わないけど
そういう力が
圧力がかかってくるんですよね
みんなにとっていいお家みたいなのって
あるじゃないですか
時々聞くんですよ
みんなにとっていいお家は
誰にとってもいいお家じゃないみたいなね
そういうのに限りなく近づいていく
大概の家ではみんなにとっていいお家は
いいお家ですよ
けれども今の
私の実家のような
ややこしい状態のあるところで
整合性を取ろうとすると
まあ
変なことが起こりますよね
変な物件を掴んでみたり
しそうな感じが
ありありと今してるわけですよ
そこで
私が侵入的にね
これを侵入的って私は言うんだと思うんです
侵襲的
っていうやつなんですよ
インプリンジメントっていうのかな
侵襲的
つまりお母さんが子供の主体性を奪ってしまう
私がノコノコ
というかズカズカ入っていって
お前らこの家やめろと
こっち買えと
30:00
これが侵襲的ですよ
そういうとき
いいと私が確信できるようなケースだと
どうするのかということなんですよ
こういうことってしばしば
臨床的な世界では
頻繁にあると思うんですよね
どう考えても
それは夫に謝るべきだろうって
言っちゃダメだと思うんですよ
でもやっぱり
親は子供に言いますよね
だから親は子供に侵襲するわけです
その時に
整合性って言葉は
なんだかひどく
いい言葉のような気がするんですよ
私のこういう考えも
父のそういう考えも
妹のこういうかなり困った考え方も
母の願望も
全てが
整合するような
何かを
探し求めればいいんだと
いいケースもありますよねきっとね
僕はでもダメだと思うんですよね
それをやったら
全員不幸になる気が
私はあんまり関係ないんですよ
実家は不幸になるだろうな
そんなことをするくらいだったら
私はここで一つ手があるじゃないですか
私は入らない
そうすれば私の分の整合を取らなくて済む
この
何て言うんですかね
入らないという
考え方って
いいなと時々思うんですよね
整合ということに
こだわるくらいならその要素を追加しない
正直時々思うんですよ
ここまで
整合性ってのが大事なら
グッドバイブスってものを取り入れなきゃいいのに
これを言うわけには
倉園さんの手前に
当然行かないと思ってるんですけど
ここまで整合性が大事ならば
グッドバイブスじゃなければ
整合性
つまりタスクシュートとかGTDでも同じですよ
なぜかタスクシュートとGTDを
整合させることは
タスクシュートオンリーあるより
タスクシュート思われやすいんですよ
とっても僕は奇妙な
感覚だと思うんですけど
これは奇妙ではないとされているんですよね
でも
それをやるんだったらGTDだけに
しといたほうが
だってGTDは一人の頭から考え出されているから
整合性は当然取りやすいわけですよ
より多くの
メリットって感じになるんでしょうけど
それは私が冒頭
言ったような
あらゆるネタを詰め込んだら
結局のものになるんじゃないかというのと
似てくるんじゃないかなという
感じがするんですよね
この整合性というものが
私はある種の
これを言うと
臨床的になっちゃうし
そしてそんな臨床が
私にできるわけではないから
あれなんですが
何言っても自由ぐらいに自分は思っているんで
むちゃくちゃ言ってるんですけどね
いつも見る
一つのパターンとして
だいたいスルーしちゃってるんですけど
整合性がこの人の人生では
取れているけど
33:00
なんかとっても
独特の空洞感を感じる
っていうケースが
結構
チラッと時々
目に入ってきては
これってどういう
風なことが
本人には望ましいんだろう
っていうのを考えさせられます
例えばよくあることで言うと
全てうまくいってます
ただどれもやりたいことじゃないです
こんなにはっきり言ってくださる方いらっしゃいませんが
でもこういうことが
だんだんわかってくるケースでありますよね
全て何もかも順調です
ただどれもやりたいことじゃないし
自分が本当にやりたいことは
わかりませんみたいな
そしてそれがなんかこう
うっすらとその人にとっては
苦痛だって感じを
あるいはそれがうっすらとして悩みだ
っていう感じを受ける
順調に順調にするようにするように
持ってってる
だから自分の全人生というのは
言い過ぎかもしれませんけど
関係している全ての整合性が
取れるようにしている
そこにすごい気を抱えているって感じはあるんですね
ただ自分の真ん中は空虚な感じがする
そういう感じ
私これに
割と
ライフハックっていうのは
トライしたいところだなと
ライフハックでトライするっていうのではないですね
私の立場では
考えたいところかなという感じがします
ライフハックっていうのはやっぱり整合性に
走っちゃうじゃないですか
でも私は人生は
整合性を取りたいっていう
そういう系の人が
いらっしゃるとは思うんですけど
大半はそうじゃないと思うんですよ
私なんか全然そうじゃなくて
整合性が取れてれば
一見順調ですけれども
そんなことを別に
したいわけじゃないじゃないですか
終始は
ここで調子よくいっていて
健康面も問題なくっていう
そういうやつですよね
夫婦間もうまくいってますと
ただどれにも本当のところを別に
それほどの情熱はない
みたいな
お金がそんなに欲しいわけじゃないし
奥さんがそんなに好きなわけじゃないし
とか言ってきたら
なんかそこは
つまりあれですよね
ウィニコットでいうフォールズセルフ
マッシグラって感じじゃないですか
自分のキュウリは
偽物ですっていう
本物は何をしたいんだろうって
気になるんですよね
やっぱり
ただ
そのうちの実家の
現状はそうであるように
うちの実家のような人格の人にとって
その整合性が壊れてしまったら
大変なことになると
ある意味
緊急外来に
行くしかなくなるみたいな
そういうケースにおいては
整合性が取れてる方が
遥かに良いような気もするしなっていう
悩みはありますよね
35:59

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