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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今、9月11日、19時10分ですね。
相変わらず、うまくいってると言えばうまくいってるんですよね、この形式が。
第669回になるはずのこれなんですけれども、
久しぶりにですね、私がどうしてグッドヴァイブスに、
どうしてってことはないんですけどね。
でも、それを一冊を説明することは可能なので、
どうしてグッドヴァイブスに、この活動を今ですけどね、
ホットに押し進めているのかといった話を久しぶりにしたいんですが、
その前に第2回のですね、働く人のための深層心理というのが今週土曜日で、
これはいつも申し上げている通り、
60分の私との対話というものを受けていただければ無料でご受講いただけます。
単独で第2回の方にご参加いただく場合には4,000円ということになっています。
深層心理というのはつまり層が深いというわけだから、浅い層と深い層とあるわけですね。
今日まずその辺をごく簡単にフロイトのかなりベーシックなお話ですけど、
要は意識というものがあって、私たち多く今日はこのお話をするんですよ。
無意識という言い方をしますよね。
無意識というのはフロイトの定義によると思い出そうとしても無理なものです。
思い出そうとしても無理なものというのを別の言い方しようとすると、
意識しようとしてもできないことにもかかわらずそれが私の中にあるっていうんだから相当なものなんですけどね。
これがあったという話を私は今日したいわけですね。
これが大変困ったことが起きると、私のような人間にしてみるとですね、誰だってそうなんだけど大変なんですよ。
だから私はグッドバイブスというものに傾倒する大きなきっかけを2018年頃に得ることになった。
厳密には2017年の冬だったと思うんですよね。
11、12月、もうちょっと前かもしれませんね。
この辺ちょっと私にははっきりした年月日が今出てこないんですけども、大きく狂ってはいないはずです。
私たちがよく平気で無意識言っていて、それがなんとなく潜在意識とか思い出そうとすれば思い出せなくもないことみたいな意味で使っちゃうんですけど、
そっちはフロイトは前意識って言ってるんですね。前の意識ですね。
これ非常に大事な区別で、前意識と無意識ははっきりと違うんですよ。
フロイトにしてみれば。もちろんそこにはグラデーションありますが、
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例えばですね、私の祖父の祖父母の名前というのは、私にとっては前意識です。
つまり多分皆さんにとってもそうです。今言うまではそんなの意識の中に入ってなかったと思うんですね。
だけど思い出そうと思えば思い出せるんですよね。
意識しようと思えば意識できる。これが前意識です。
無意識ってのはそうじゃない。思い出そうとしても無理だし、意識しようとしても意識できない。
そんなものは実は我々の心の中に普通に考えればないんですよ。
無いものだから意識できないわけじゃないですか。ところがこれがあるという問題なわけです。
そのある場所が真相だから真相真理なんですよ。
といった話が私にはですね、今タスクシュートというものと深く関わっていると思って、
タスク管理でもいいんですけど、おおむねタスクシュートですよ。
あとはメモの整理とかいった話にも深く関わると思うので、この話の関連性をお話ししたいんですけれども、
今日はですね、この前にグッドバイブスの倉園啓造さんの、私はブログとかチェンジ図とかで読んできたんですね。
それがたぶん2018年の冬、夏から冬にかけてだったと思うんですよ。
緑のですね、グッドバイブスご機嫌な仕事という本はですね、
2019年の冬だったような気がするんですよね。
この辺ののも曖昧で、私は読んだ記憶と本を読んだ記憶が何かこうすでに曖昧になりつつあるんですけれども、
2018年のいずれにしても夏前ではなかったと思うんですね。
私が本当に困っていたのはそれよりさらに前ですから、2018年の冬、1月、2月、3月の頃は結構困っていたし、
2017年のやっぱり冬にも十分困っていたわけですね。
だからこの困っている期間が約1年はっきり、本当1年以上、2017年の早い段階ですでに相当私は苦しい状況にありました。
これがですね、私のヒステリーってものだと思っているんですね。
ヒステリーというものは、今この用語を使わない方がいいのかもしれないんですけれども、
この用語を使わずに自分の症状を説明できない気がするんですね。
私は胃腸器内科クリニックというところに行ってですね、いろんなところに他にも行ったんですよ。
本当に龍町の先生とかね、いろんなところに行きました。
なんだかんだで10件ぐらいは、10件ってこういう時によく出てくる言葉なんですけどね、10件ぐらい行って、
ひとつったりと全く原因もわからず、よくもならなかったジンマシンなんですよ。
結構ひどくて全身から出てたんですね。
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全身からジンマシンが出ているのに、体はどこもその原因が体にはないんですね。
この話はこれをするの初めてじゃないですけれども、なんかですね、ピンとこないんじゃないかなって思うんですよ。
本当はそれ体に原因があったんじゃないのって思われると思うんですよね。
私がそう思ったからこそ10件も行って、結局最終的にはですね、お尻の穴から内式を入れて、
口の方からは胃カメラ入れたんですよ。
胃カメラの方は麻酔打たなかったから、あとおえってなるやつの止める麻酔は打ちましたよ。
胃はでも自分意識あった形で見ました。
本当ね、なんていうんですかね、昔スーパーボールっていうおもちゃがあったんですけど、
あれを喉から押し込まれていく感じなんですよね。
本当ですね、どう言っていいんですかわかんないですけど、きつかったですね。
本当麻酔打てばよかったと思いました。
でも見たんですよ。見たのは面白かったんで、それはそれでよかったんですけど、
どこも悪くないって言うんですよね。
よく聞きますよね、この種の話。
どっか悪くあってくれよ、あんまり悪くても困りますけどね、
全身からジンマシンが出てるっていうのにどこも悪くないって繰り返し言われても困っちゃうわけですよ。
で、お尻の穴から内式を入れて、こっちの時はもうね、ゴリゴリだったんで、全身麻酔で。
あれも大変いい経験で、30分というのが一瞬で空白になる。
あれ、死ぬ時ってあだろうなって感じがします。
本当空白ですね、完全な空白です。
何の意識もありませんでした。
1秒で30分が経ったと。
これ以上適切な表現がないほどです。
それで見て、なるほど綺麗だなと。
本当に自分の胃腸は綺麗なんだなと。
それはそれでよかったんですけど、でも一向にジンマシンはなくならない。
綺麗にもならない。原因もわからない。
薬だけ気休め程度のものをもらって、あれですよ、もう本当に。
喉が痛くてどうしようもないのにトローチもらってるようなもので、何にも効果が上がらない。
ただただ毎日痒い。
で、例えば、そうだな、温泉とかにも行くわけですよね。
口脳がきがあるやつに。
全く良くならないわけです。
なんなんですかね、っていう。
今思ってもあれなんなんだって感じがしますね。
で、えっとね、フロイトは我々は自我っていう言葉に翻訳されてますけど、
出す意義って書いてるんですよね。私なんですよ。
意識してるところ、意識してないところもありますけど、出す意義が私なんですね。
で、その出す意義はですね、何を例にすればいいのかわかりませんが、ガスコンロがいいですかね。
エネルギーをエスから得てるんです。エスってイットですよ。
これをフロイトがカッコつけてですね、何かカッコいい言葉がいいんじゃないかとか思って、
なぜかイッヒなのに、イッヒに対してガス供給をしているのはイドとか言い出しちゃったんで、
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ラテン語で変なことが起こってるわけですよ。
フロイトはそれを後悔していたって話がどっかに書いてあったような気がします。
それはいいんですが、英語ではイットですよ、イドは。
だからドイツ語はエスであるべきなんですよね。
で、イッヒとエスであれば、つまりアイとザイネスっていう風に英語で訳すこともあるみたいなんですけど、
アイネスでもいいんですけど、アイネスに対してイットがやってくると。
で、イットは焚きつけるわけですよ、言うならば。
食欲もそうだし、排泄もそうですし、そもそも服とか着たいわけではないと思うし、
性欲もそうです、睡眠もそう。
だけれどもイッヒがそれをいじるんですね。
そのままの形ではまずいんで、いろいろまずいですよね。
寝たいとか食べたいとかしたいとか言ってもそのままできないんですよ。
で、私たちはそれを社会に受け入れられるような形に変換するんですね。
変換するということはエネルギー効率がなんか悪くなりそうじゃないですか。
実際僕は悪くなると思うんだけど、変換して社会で通用するやり方で、
例えば何か出したくなったらある場所に行って出すということをするんですね。
最初赤ちゃんにとっては大変納得いかない話だと思うんですよ。
なぜそんなことしなきゃならないんだってことになっちゃいますよね。
そこでなんですよ。そこでウーバーイッヒっていうんですよ、もともとは。
私に対して上から私の力だけではSの力がちょっと強いんでどうにもなりませんってときに援軍を頼むんですね。
ウーバーイッヒを頼むんですよ。
それをスーパーエゴって言い出しちゃったからわけわかんなくなってきてるんですね。
スーパーエゴとウーバーイッヒ全然違うんじゃないですか。
ウーバーイッヒっていうのは上から私に圧力をかけてる感じがすごくするんだけど、オーバーアイって感じですよね。
スーパーエゴとなってくるとなんかもう超越的な感じになりますよね。
日本語で超自我というからよいよわからなくなってくるんですよね。
もとは簡単な話だと思うんですよね。
そこら辺で出したいんですけどって言うんだけどダメだと。
文化的にそれは認められないというふうに自分の中で調節しようとしてるんだが上手くいかないのでそこでしょうがないなということで
親っちゅうものがやってきてですね援軍をやってくるんですよ。
これしちゃダメだとものすごく強く言うから自我がその援軍を得て頑張ってSを上手く調整するっていうそういう筋書きなんですね。
でですよ。
こういう筋書きに乗ってそういうふうにするようになりますよね。
いずれそれをほぼ完全に意識していなくたら、
とはいえ欲動って言うんですけどSはSの中にあるものは様々あるわけですよ。
あいつはもう筋肉がないからぶっ飛ばしたいとか様々あるわけですよ。
仕事なんかせずずっとだらだらしてたりとかね様々あります。
対抗のところでも言いましたけど対抗するというのは一費がつまり私がですねSに対抗するというのは、
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子供ってそうじゃないですか常識的に考えて。
Sに対してやたら強い一費がいるっていうのは子供の場合おかしい。
これが用事だったらちょっと既に病んでる感じになってしまいますよね。
だからこのSというのはですねいろいろあってですね一費のいいようにはされないわけですよ結局。
例えば何でもいいんですけれどもすごい嫌なAmazonでレビューをもらったとなるとうわーってなるのがSの働きがまずあるんですよね。
うわーってなるっていう。
ここをうわーってなったまま例えばAmazonに殴り込みに行くとかはまずいんでまた一費がつまらないんですよね。
そういう状況になってしまうんですよね。
そこで長寿がの支援を借りてガスをぐっと下げる。ガスの火力をぐっと下げるような感じでやるんですよね。
でもそんなことをするとですねガス充満したりしてガスの減量を失ってしまうというのは本当に大変なことなんですよね。
だから一費がすべて一緒に出てくるんですよね。
だんだんちょっと壊れてきたりするわけですよ。
そうした時にSの出どころというものがおかしなところから出ちゃうんですね。
もうコントロールしてコントロールしてコントロールしてるんで、
なんだかわかんなくなってくるっていう時がやっぱりあるわけです。
それでもSのエネルギーがどんどんどんどん強くなってきて、
圧力を内側からどんどんどんどんかけてくると、
しょうがないから長時間上から抑えつけるしかなくなってくるじゃないですか。
上からぎゅーっと抑えると、下からぐーっと上がってくると。
で、これが意外と自分の全く気づかないところで起こったりすると、
ヒステリーという身体症状が起きたりする、出たりするわけですね。
それが僕には諸に出たわけですよ。
全然自分では自覚できないわけです。
みんなが言うのはストレスですねって言うわけですよ。
それぐらいはわかりますよ。
こういうことをやってるんだから、何らかの形でストレスなのだろうと。
心当たりはありますね。
家庭の状況もあんまり良くなかったと。
お金回りも非常に良くなかったと。
そこへ持ってきて実家から大きな大きなトラブルが発生したと。
そう、つまりですね、結局私が当時Gマシンとして得た症状は、
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絶対とは言えないんですけど、ロジカルに考えるならば、
これはやっぱり心身症なんですよ。
ヒステリーというふうに昔だったら言われたものだったと思うんですね。
コンバージョンって言いますよね。
Sの力が、無意識の力でもいいです。
無意識の力ってのは表現としておかしいんですけれども、
私が意識できないところで起こっている出来事、
その結果として体に反応が出ちゃう。
実家のトラブルが全てじゃないし、家庭内の不和が全てではないし、
お金の不足が全てではないんですけれども、
でもそれらが根前一体となったのが、
もう自我には処理しきれず、長時間抑え込んだからといって、
どうにもならない、抑え込めるものではないですから、
生き取りもありますしね、私自身の中の。
そういったものが身体症状として出たと。
身体症状として出たGマシンは、それ自体がストレスになるので、
ますます自体はアッカーの一頭をたどるわけですよ。
どうにかしなければならないんだけど、
どうしようもないんですね。
というのが、僕は自分の中ではこれをヒステリーと呼んでるわけです。
ヒステリックになるって表現あるじゃないですか。
だから差別用語みたいになってるんですけど、
女性がキッとなるみたいな言い方を。
それで済むなら、何て言うんですかね、
それで済むんだったらいいもんだったわけですよ。
僕もキッとなって済ませたいところだったわけです。
全身から何かが出てきて、僕自身の感情はもうどっちかっていうと身体気味で、
そういうヒステリーって別に全然不思議はないと思うんですね。
人によっては口も聞けなくなるとかいろいろあるんでね。
身体症状にそういったものが出るんですね。
そしてそれが何かを知らせてきてる部分があるわけです。
お前、この状況まずいよってことですよ。
それを無意識の方から知らせてきている。
ただその過程が無意識なものだから、自分にはわからないんですよね。
どうまずいのか、何が一番まずいのか全然見えてはこない。
他の人の目には見えるのかもしれないけど、私の目には見えない。
そして原因がわからない。
身体の原因にはおそらくない。
10件ぐらい医者に行ってもどこも悪くないとみんなおそろって言う。
そしてとりあえず出してくれる薬は全く効かない。
話を非常によく懇接丁寧に聞いてくれるお医者さんもいたんですけれども、
だからといって治りはしない。
よくもならない。
という状態が少なくとも半年は続いてるわけですよ。
200日って長いですよ、この状況では。
全然何の改善も見られない激しい身体反応が200日も続いちゃってるわけですね。
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途中吐いたりもしてますし、どうにもこうにもね。
日中も札幌も行っていないわけですよ。
お金は結構使っているんだけど、少しもよくはならないわけですね。
でですよ。
倉園さんのグッドアイブスをここで知ると。
怪しい話じゃないですか。
こういう怪しさって今の世の中でこれがなぜ怪しく見えるのかというと、
それは絶対身体症状だって言うほど、
それを言えるほどに医療ってものが物質で説明がつくようになったからです。
物質で説明がつかない、意識化できない世界で何かが起きるっていうのを、
僕ら本音のところであまり信じてないところがあるんですね。
これ人によりますよ。
人によって全然違うと思います。
霊魂だとかスピリチュアルだとか、それを言ったって噛まないわけですよ。
わからないんだから。
私にはさっぱりわからない理由でそういうことが起こってたわけですからね。
もちろん一つ一つの原因は全く無縁じゃないですよ。
ただそうは言ったって、ストレスですでは説明になってないのに違いはないわけですよ。
そりゃ実家の方のトラブルがなく、家庭関係もおおむね温和で、
お金回りも良ければ、たぶんじんましが引っ込んだでしょう。
でもそうじゃないわけですから。
で、そういった中でですね。
倉園さんのブログを読み、本を読んでいたから、
なんとなく症候状態には入ったけど、だから治ったってわけでは当時なかった。
で、彼のセッションを受けてみたわけですね。
その時に私が最初に持ちかけた相談事っていうのが、お金なんですよ。
お金ないです。
私ね、この自分自身のエピソードを思い出してみても、
河合駿先生ってのは実にすごい人だったなって思うんですよね。
彼は、人はカウンセリングに絶やすく通うことはできないんだってことを言ってたんですよ。
それはちょうど、髪がボサボサで汚くしたまま、
はい、美容院に行って綺麗にしてきちんとやってくださいと、
そう言えばいいのに、それを言える人はそういるもんじゃないと。
人によっては、髪をきちっと整えて、綺麗にしてから出ないと美容院に行けない。
だから、永遠に行くことができないっていうタイプの人が結構多い。
その通りだと思うんですね。
非常に自分は辛い状態にあります。
何とかしてください、以上って言って、カウンセラーのところに行けないんですよ、我々は。
格好をつけたがるんですね。
そういう時ほどつけたがります。
それで私も、相談するお悩み事をわざわざセットして行っちゃうんですね。
こういうことって本当そうだなって思いました。
お金がないっていう話を。
この話の中で、金がないのは一番軽いんですよ。
実家のトラブルについて話すのは一番気が重い。
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家庭内不安もそれに匹敵して気が重い。
金のことだけはなんとなく言える。
そしてこの金のことは、多分倉園さんでは解決しえないんだろうなと思って言ってるという。
この辺の自分の整え方のあやふやさというか、
知り滅裂ぶりが当時の私の心理状態を非常によく表してたんですね。
そして倉園さんが私に伝えてくれたことっていうのが、
お金なくて本当に困ったことってかつてありましたかって言うんですよね。
これはもちろん人によって言うことが違うはずなんですよ。
こういうセッションってそういうものです。
そしてそれを聞いて、何点ですかね。
もちろんこうすればお金儲かりますよって話はしてくれるわけじゃないだろうなとは思ったんだけど、
そうくるんだっていうふうに当時は非常に意外に思いました。
でもわざわざセッション受けに行ってるわけですから真剣に考えたわけですよ。
金なくて本当に困ったことが自分はあるんだろうかと思うところがないんですよね。
非常に困ったわけですよ。
本当に困ってることは何なのかっていう話をしに行ってるわけじゃないですか。
なのに本当に困ってることでは本当には困ってないんですっていう答えを自分が得て帰ってきちゃうわけですよ。
でそれじゃ困っちゃうじゃないですか。
あのそうか、金に困ってるともちろんお金には困ってたんですよ。
なんだけれども本当は大丈夫なんだ。
でもそんなの信じて人間生きていられないじゃないですか。
多分当時もうちょっと後かもしれませんね。
麻生副首相が老後2000万問題という。
ああいうふうに考えるのが私たちの常ですよね。
このままでもかつて困ったことがないんだから困らないと思って生きていけばいいんじゃないだろうかっていうふうには思えないもんなんですよ。
でも非常に不思議なことに子育て相談はそもそも私人にできなかったですからね。
実家に行ってもなかなかそういうわけにいかないし、実家そもそも非常にトラブってはしたし妻にもできない。
人に全然相談できないこの状態そのものが非常に私のヒステリーという身体状況には心身状況には悪かったわけですよ。
それこそ髪ボサボサで長くしてる人が美容院に決して行くことができない問題に悩んでるようなもんです。
それでまず喋るじゃないですか。そしてそういうのが戻ってくると。
そっちに行っても意味がないような気がするんだけどその道に入っていくんですよね。
とりあえずそんな感じがありました。
そっちに行くことは滅多にないほぼ無意味なような気がする道に入っていくんですよ。
ところがそうしたらですね、これもまた非常に怪しい話になるんですけど。
すっとこうジンマシンがすっと収まっていったんですよね。
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一つたりとも10件程度回った医者で一つたりとも原因なんてないんだけどある意味では身体側には特定できなかったのに
全部と言っていいぐらい一気に収まったんですよ。
しかも僕はこれ悩みが解決したという気はしなかったんですよ。
これは一体何なんだろうなって思いました。
その時僕はフロイトの言葉が非常にしっくりきたんですよね。
Sというものは存在しているんだと。
そしてあなたはそれについて分かっていないんだけどそれはあなたなんだっていう彼の言ってることだよ。
突き詰めればそういうことですからね。
ヒステリーとはそういうもんなんだと。
Sというものの働きによるんだと。
痛感しました。
他の説明は受け付けられないなって私だったら思いましたね。
他のいろんな説明は可能なんだけど意味を感じられないなと。
だって収まらないんだもん。
だから私はもう一回接種を受けに行ったんですよ。
今度はもう少し確信に迫って。
実は離婚したいんですよぐらいに言ってたわけですよ。
本音としてはね。
そう言わないあたりがやっぱり私の離発しにいけない髪の伸びきっちゃった人なんですけどね。
そういう表現は取りませんでした。
クラノンさんのお話っていうのはまた古っててというか
当時の私には非常に古ってて。
私はいやもうそれは別境なりするしかないですねっていうのを期待してたわけですよ。
こういうもんなんですよクライアントっていうのは。
やっぱりカウンセラーにですね期待する言葉があるんですね。
でも期待通りの言葉は戻っちゃこないんですね。
こういう時って。
それは本当にスタッフさんにとって困ったことを言われているのか。
お金の話とよく似てますよね。
本当にそれで困ってるのかっていうわけですよ。
で私は本当に困ってると思ってたんですけど。
よーく考えてみると本当には困ってないんじゃないかって問題が戻ってくるんですよね。
例えば妻の言う通りにしていては。
まずさっきの話と戻ってくるんですけど。
お金がなくなっちゃうような気がすると。
あるいは妻の言う通りにしていては。
仕事が前へ進まないと。
本当にそうなのかと。
でよーく考えてみると。
よーく妻の言うなりに動いてみるってことを。
そもそも私はやってみたことがないなと。
で言うなりに動いてみると。
なんと驚いたことにあんまり仕事の進み具合に違いはないんですね。
私は絶対そういうことをしていたら無駄だと。
多少は無駄ですよ。
多少は無駄なんだけど。
絶対それをやってたら無駄だって思っていたんだけど。
そこまで決定的だって言えるほどの無駄はない。
起こらないんですよ。
困ったなあと思いました。
だって私の決意があんまり意味のないものになってしまいますからね。
でも同時にこれで少なくとも。
しばらくの間は何もしなくて済むんだって。
こういう風に考えるしかなくなったんですよね。
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しばらくの間は。
近作をしても。
ていうかできないんでね。
近作をしなくても良くなるし。
一生懸命仕事をするっていう。
その当時これしか高い作はないと思ってたんですけど。
あるいは妻に決して怒られないように振る舞う。
いずれもこの方向に向けての努力というものを。
しなくて良くなったような気がしたんですよね。
倉園さんに言われてから。
本当にそれでは困ってないはずなんで。
もうある程度開き直ってたってところもあります。
もう後は肉なり薬なり好きにしてくれと。
状況が状況でどん底だったんでね。
そしてやっぱり同じような感情を抱いたんですよね。
帰る時完全には解決してないというか。
何一つ解決していない気がする。
だけどまた今まで入ったことのないあんまり意味のなさそうな道に。
迷子になっている感じでね。
こっち行っても正解の道のような気がしないなという方を。
ふらふらと行った感じがしました。
そして寝て起きてみたらなんとですね。
無くなってたんですよジムマシンが。
怪しいと思いませんこういう話。
怪しいと思うはずなんですよ。
グッドファイブスが怪しいって話じゃないですよ。
私が怪しいんですよ。
非常に大事なポイントだと思うんですね。
私がジムマシンを出してたんですよ。
だから私がジムマシンを引っ込めちゃうんですよ。
怪しいじゃないですか。
けびょうに近いですよね。
でもそういうもんですよ。
ポイントは僕のコントロール下にあった気がしないってことです。
だからこそですよね。
Sなんですよ。
Sと超自我って日本語では超自我とSかな。
自我とSという風な論文があります。
自我とSとかやめてほしいですよね。
愛とITですよ。
そう書いてあるはずです。事実上。
とにかく私という認識できる意識の中では
この問題は解決できなかったんですね。
でも私の中には認識できない私の働きというものがあり
そいつが言ってみれば
強いメッセージとも言えるし
事実上の暴走とも言える
そういった事態を起こしていたと。
だけどその事態というものは実は
必要のないものだったという話になった時に
このメッセージが出てくるあるいは
暴走が出続ける必要性というものが消失して
沈むという文字通り沈んだという感じがしました。
体の中に
体の中から沸き上がってくるような
何かが一斉に下がっていったと。
そんな感じがしましたね。
非常に怪しい話だと思うんですけど
怪しいのは私なんですよ。
ウッドバイブスとかじゃなくてね。
無意識と自我がこうまで
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乖離してはいけないんだけど
私のそれまでの生き方というのを
無意識という概念は持ってたわけですよ。
アメリカまで行って留学して
フロイトの話は散々読んでるんだし
そもそもそんな事しなかったって
今時無意識というものは常識じゃないですか。
無意識という概念についてはね。
ところが分かっちゃいなかったんですよね。
そこから起こってくる事ってのは
私には分かりようがないんだけれども
ただそれを分からせられていたわけですよ。
そのままじゃダメだよと。
そういうものが身体からではない所から
身体を通してやってくると。
そしてそれが身体でない所への働きかけによって
身体症状が停止すると。
そういう経験をしてしまうと
これを否定するっていうのは恐ろしく
非論理的な感じがするんですよね。
全くおかしな発想だと。
これはフロイトが言ってる事が100%正しいとか
そういう話ではないんだけれども
これを受け入れる気にならなかったら
他の何を受け入れる気になっても
ならないなって思ったわけです。
今はもう残ってますよ。
自分の胃腸器内科で得た
いろんな細かいデータですね。
とにかく全てを確認しても
これほどのジムマシンが出るような
いかなる何も見出せませんと。
ピロリ菌とか菌の数とかも
徹底的に教えてもらったんですよ。
結構お金かかりますね。
そして全然身体的にはね
でもそうは言っても症状は出てるんですよね。
これが全部ストレスのせいかっていうと
そういう風にしちゃちょっとひどいよねっていう話も
伺いました。何の意味もないじゃないですか。
どうしようもないですよね。
何で出てるのかわからない。
原因らしきものも言うことはできるけど
それが原因とも思えない。
極端に言うとこれは他人事なんですよ。
何でもいいから治してくれよと。
お祓いでもいいから治してくれよというのが本音のところですよ。
こんな状態が200日も続けばね。
それがつまり
無意識ってものの凄さだと思うんですよね。
そしてある意味長寿がっていうもののむちゃくちゃぶり
っていうのを抑え込んでみたところで
私っていうのは全然救われないのに
あなたはもう抑え込むしかないよねっていう。
ガスの元栓閉めようかぐらいな感じなわけですよ。
ガスの元栓閉めるということは
欲動が働かなくなるってことになっちゃうので
多分死んじゃったかのように生きるって形になりますよね。
私の場合そういう風にはなりませんでしたけれども
長寿が任せっていうのは
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最低だなっていう風に今では思います。
この話はまた別の日にしようかなと思ってます。
長寿が悪者だってわけではないんですけどね。
長寿が別に悪いものじゃないですよ。
長寿がまた私なんですよ。Sが私であるようにですね。