2022-01-11 33:25

【GMV 532】TaskChute Cloudにして考えたこと

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現実に目覚める時
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
15日土曜日の15時からですね、
グッドバイブス勉強会シーズン3の第1回をお送りします。
これ、オンラインセミナーで先月まで続いていた、
シーズン2からの新しい改訂版でテーマ仕事です。
1月だし、第1回なので、
できれば、
昨日もお話ししましたけれども、
仕事でうまくやっていくと。
このグッドバイブスのプリンシパルみたいなものに
準拠しているからといって、
全状況で、全てのシーンでうまくことが回るというようなもので、
ない場合も当然あるわけですね。
これは、
必ずしも、
恐れの選択みたいなやつだとしても、
様々な要因があってですね、
私がここで喋っているような、
妻と面と向かってやり合うみたいな、
わかりやすいわけでは全くないのもあるわけですよ。
そして、相手がだんだんわかるようにもなってきたんですけど、
でもですね、
メール越しで相手が何かを恐れているということが、
多少勘づいたとしても、
それはわからないことだし、
様々な、
そんなことはいちいち気にしていないんだけれども、
後から振り返ると、
心に問題はあったんだろうなというのもあるんですね。
だから、トータルで見るものだと思うんです。
昨日、
ノートというブログにも書いたんですけど、
あれはブログなのかな?
仕事を振り返ってみてですね、
2019年にグッドヴァイブス、
もうちょっと本当は前なんだけど、
2019年に概ね、
はっきり意識するようになって以来の仕事を振り返ってみると、
やっぱり協調関係というものを、
すごく、
以前とは違ったものとして考えるようになったんだというのが、
自分にはわかるんですよ。
他の人にはわかりませんけれども。
これをやった方が、
トータルで見ればですね、
同じような仕事を同じようにしているケースもあるんですけれども、
トータルで見ると、
こっちの方が多分いいだろうなと。
売上等はまた別として、
こうしている方がはるかに、
03:00
少なくとも安心して仕事をしていけるということはあるんですね。
これは怒られないとかそういう意味ではなくて、
やっぱり成果物を出すわけですから、
自分の成果物に対して、
信頼していけるというのがいいんでしょうね。
安心してやっていけるというふうに感じたんですよ。
2019年を境目にして、前後2年の仕事を振り返った場合はですね、
別にその前の仕事がとても悲惨なものだとか、
心境的に地獄を表しているとか、別にそんなことではないし、
特に私の技術書なので、
全く同じようにしか見えないものも当然あります。
ですけれども、
ここで通常であれば、
あの時にこの仕事に関しては、
ある種の見切り発車みたいな、
発車はしていないんだよね。
発車はもともとしているんだけど、
見切ってしまっていたなというのを見切らないように、
踏みとどまるみたいな感じですかね。
しておくことがこういうところには反映されるんだというようなことが分かるんですね。
この差が何だなと今のところ自分の仕事に表れてくる差というのは、
その差が別に全ての人に伝わるとかいうものではないんだけれども、
少なくとも自分には分かるんですよ。
それで十分なんですよね。
そんなことを思いながら、
ちょっと振り返ってみたので、
よろしければですね、
15日の15時から。
つまりこの発想を仕入れるということによって、
グッドバイブスの考え方を取り込むことによって、
多分トータルでは協業、仕事ってまず協業だと思うので、
協業にはいい影響を及ぼすに違いないと。
やらかさなくなるとかしくじれなくなるというのは、
ある意味でそれよりは実は重要でないことで、
ましてや怒られなくなるとか怒られるのが怖くなくなるとかは、
表面的には一番大事なことに思っちゃうんですけど、
私もそう思ってたし、
そこのインパクト一番もろに引っかぶっちゃうんで、
そう思ってたんですけど、
別にそんなことはどうでもいいことなんだなというのが、
だんだん長い時間が経過すると感じられるようになってくる。
そういうことかなと思います。
昨日お話ししたのは総的防衛の話なんですけど、
今日も今言ったような話もそれに含まれるんですけれども、
今日はそういう話はちょっと重苦しい天気なので、
06:01
そういう重苦しい話はやめにして、
ちょっと最近遠のいていたライフハックの方に、
少し久しぶりにしていこうかなと思っているんですが、
タスクシュートクラウドにタスクマからしたよという話は、
時々してます。この番組でも。
で、明らかに言うと、
いくつか久しぶりにライフハックというものを思い出したと言いますか、
何しろ私もタスクマの手足みたいになっちゃってたんで、
タスクマで不便なことはほとんど一個もなかったわけですよ。
で、そのタスクマで不便なことを思い出したと言うのは、
何しろ私もタスクマの手足みたいになっちゃってたんで、
タスクマで不便なことはほとんど一個もなかったわけですよ。
はっきり言ってしまえばですね、
iPad mini 6が買いたかったからタスクシュートクラウドにしてみたぐらいな、
そんな事情でもあるわけですね。
しかもそのiPad mini 6はまだあと1ヶ月弱は届かないという感じなので、
今の状況って一番私にとってどうでもいい状況になっちゃってるわけですね。
タスクシュートクラウドにしたはいいが、
iPad miniでは使えないというか手元にないっていうそういう状態で、
はっきり言ってこれも何度か言ってますけども、
なんかあんまり賛同いただけないんですが、
私はタスクシュートはiPhoneでやればいいと思ってるわけですよ。
パソコンでやるもんじゃないと今では思ってるんですね。
パソコンでできないからタスクマはダメだっていう話あるんですけど、
私パソコンでやる必要を全然感じないんで、
すっごいパソコンでやるときに切り替える10時半頃なんですけども、
めんどくせーって思っちゃうんですよ。
iPhoneでずっとやってればそれでいいのに、
ブラウザにすれば下で便利なんですよ。
だけれどもブラウザで1画面がタスクシュートのために
ドーンと占有されるというのは正直すごく邪魔で、
こんなのはiPhoneの中でいいんだよっていう意識がどうしても出ちゃうんですよね。
まあまあそれはしょうがないんですけど、
というかわざわざそっちにしてるんですから自分で。
で、ライフハックというものを思い出したというのは、
例えば時間というものをパッと見たときに、
というかタスクシュートの画面というものをパッと見たときに、
カレンダーでもいいんですよね。
こういうものがあるんだって感じがしちゃうっていうのが
ライフハックの一つの功罪なんだなって思います。
この罪はいわゆるグッドバイオスでいう罪とかじゃなくて、
良い面と良くない面なんだなっていうのを痛感します。
このようなものはないのに、あるんだっていう雰囲気に浸されてしまって、
09:03
確かにそれを使うと便利なんで、
ついもうないっていうことも忘れてしまいたくなるんですね。
ないんですよ、あのようなものは。
こういう時間に沿っていくということができないし、
しかもできると、これは別にタスクシュートはそうは書いてないんですけど、
このままいくと良いことが起こりますよっていう雰囲気まで帯びちゃうんですよね。
これが良い面と悪い面なんですよ。
必要な条件はありますよ、確かに。
例えば製造業とかで工程管理と時間管理がものすごく大事だという
工場のようなところで働いていたりすれば、
こういうようなものって絶対あると思うし、
ないと業務上差し障るだろうっていうのもあるんですけれども、
私のような仕事では、はっきり言ってここまで工程を
緻密に管理することによるメリットって、
自分が管理できている気持ちに浸れるだけなんですよ。
それ以上のものはないんですね、別に。
そういうふうに考えてみると、
なるほど、だからついついここで切り替えるというのが
The Vibes、最初私が実践したところなんですけど、
特に娘に関しては、何か言ってきたら即座に
本当に即座に応じるっていうのをやったんですね。
これは別にGood Vibesが本当にそうしろと言っているかどうかは
別問題なんですよ。
私はこれを一つの実践トレーニングとしてやったのであって、
別に自分の時間と娘の時間のどちらを優先せねばいけないとか
10回みたいにGood Vibesがあるわけじゃないと思うんですね。
ただ、これすらできないと、私は多分自分の時間を優先する
ということしかできなくなるから、
娘のは自分のに対して優先することにしたんですよ。
そうすると、面白いことに優先したときには別に
なんてことないのに、このタスクシュートを見ている、
見ていながら優先しようとすると、
何て言うんですかね、本当にそうしなきゃいけないのだろうか
という気持ちが湧き上がってくるんですね。
これが昨日言った装的防衛のかけらみたいなものだなと思います。
実際には娘に対して装的防衛を採用するなんてことは
考えられないんだけど、そういう気持ちっていうものが
この世にはあるんだってことなんですよね。
このままいったほうがいいのにって思うんですよ。
しかもそれは娘にとってもいいはずなのにって
変な感情にとらわれるんですね。
なんでこのままいったほうがいいのかっていうことに対する答えは
タスクシュートにも書いてはいないんですよ。
このままいったほうが早く寝られるとかなんだろうけれども、
果たしてこれが本当にそうなのかどうかは分からないんですよね。
12:02
娘の用事がどんなものか分からないわけだから。
分からないのにタスクシュートを見ると、
そこに答えが書いてあるかのように思ってしまう。
だからこの肯定表というのは
このレベルにとどまっていて、
もう少し穏やかな主張であるべきだなって思うんですよ。
過去にやったことの記録はまだいいんですよ。
おそらく本当にだいたいそうだったし、
これもそこに実態のような顔をしているのはどうかと思うんだけれども、
これだけのことができたという感覚を持つのは別に
そう悪いことじゃないと思うんでいいんだけど、
これからやる肯定表について言うと、
この通りにやるといいことが起こるんですということほど
嘘っぱちなものはないんですよね。
その通りにやって最悪の結果を招く可能性だってないわけじゃないんで、
この場合の最悪っていうのはそもそも
何を意味するのかが分からないから、
最悪の結果を招く可能性はないんですよね。
最善も最悪もないんですよね。
それは単なる妄想でしかないんだけれども、
僕らは妄想の中にいたいっていう気持ちがあるんですよ。
これが昨日言っていた
総的防衛っていうやつのたぶん
根本的な感情なんですね。
多くの場合、
別れたほうがいいのか、関係を維持するほうがいいのか、
これも本当のことは分からないと思うんです。
ただですね、
別れたほうがいいという判断のもとになっているものが
妄想であっちゃいけないとは思うんですよ。
妄想であることを知っていますっていうのは
僕は間違っていると思うんですね。
妄想であることを本当に知っていたら、
妄想は消えちゃうと思うんです。
つまり二つの意味でここにはですね、
独特のある意味、
小義満的なものがあるんですよね。
ややこしい語に四字熟語を使っちゃいましたけど。
つまり、一つは妄想であることを知っていると言いながら、
実は現実で、それを現実であると思い込もうとしている。
もう一つが、妄想をもとに判断をしているにもかかわらず、
これは客観的な判断だと思い込もうとしている。
この二つが結局グッドバイオスでは手放すという表現で
進んでいくんだけれども、
手放すという表現をここで使うんですけれども、
今言ったややこしい心理状態から解放された場合はですね、
多分同じ判定を下しをしないという、
カラクリがあるんだと思うんですね。
要は妄想にしがみついていたいという気持ちがあるんだってことです。
それが不可解なんですよ。
動物が妄想にしがみついて生きるのに有利な理由は本当はないはずなので、
15:02
私たちの脳というのはどうしてこう妄想大好き、
ワールドに住んでいるのかですね。
以前これは、ちょっと正確な名前じゃないんですけどね、
ダビックス、ちょっと調べておいてください。
もし興味があれば。
精神分析で今、新しいムーブメントみたいなのがどこかにあるらしく、
厳密にはちょっと分からないんですけど、
日常に僕がやりたいようなことをやり始めている海外の、
そういう運動みたいなのがあるみたいなんですよ。
すごいザクッとした言い方なんですけど、
要するに何も私これについて知らないんだけど、
そういう運動って今出てくるんだな、やっぱりと思ったということなんですが、
ダビックス。
そういうような言葉があります。
そこでですね、普通に精神分析なんですよ、考え方のベースにあるのは。
ナルシシズムというものから脱却できないために、
というふうに解釈しているんですね、その解釈では。
アルコール依存になっちゃっていて、
そのアルコール依存の話ってだいたいもう読めばすぐ悲惨な話が出てきちゃって、
悲惨だとしか言いようがないんですけれども、
ある病棟に入っている男性がいてですね、
家にはもう入れないって奥様から言われていると。
で、次に病棟から脱走したら、この病院には戻ってきちゃダメだと言われていると。
で、にもかかわらず脱走してしまって、
雨に濡れて公園で途方に暮れているっていうところから、
確かそういう話だったんですよね、始まるんですよ。
始まるというか、そういうところがあるんです。
そういう紹介があるんですね。
で、病院にはもう戻れないと。
というか、そもそも戻りたくないと、脱走してきたんだから。
で、家には入れてもらえないと。
当然、この種の人が考える先は決まっているわけですよね。
で、ただですね、
これは精神分析の解釈なんですけども、
この人はいずれにしても、
これは精神分析の解釈なんですけども、
この人は依然としてナルシズムの世界にいるんだって解釈をするんですよ。
で、この人は結局最終的には立ち直るんですけれども、
その時の過程で、ふとですね、
家に何としてでも帰るのか、
それともあらゆる覚悟を、
あらゆるものを犠牲にして、この人にしてみれば、
つまり酒を飲む機会ですよね。
徹底的に犠牲にして、本当につらい思いをして病院に戻るのか、
どっちかをどうして自分は選ばなきゃならないんだろうと、
悩むんですよね。
悩むことかよと思うんだけど、悩むよねっていう考え方もあります。
例えば、奥さんとすっごい喧嘩して、
しかも奥さんがすっごい怖い人で、家に帰るのがもう嫌になったと、
18:00
でも他に行き先がないみたいな、
この気分を100倍ぐらいネガティブにすると、
ここに行き着くかなとは思うんですね。
で、その人が立ち直るきっかけになったのが、
その後、講演でふとですね、
ああ、でも酒をやめるという選択肢もあったんだって気づくんですよ。
これ私は非常に面白い表現だなって思いました。
普通に考えれば、酒をやめるという決断は、
この人多分決心とかは何百回もそれまでもしてると思うんですよ。
でもこの時になって初めて、
ああそうか、自分は酒をやめるという選択肢を選んでもいいんだと思ったと。
これによって立ち直ることができたっていうエピソードで、
よく似たものが依存症系の話には頻繁に出てくるんです。
で、いつもこういう感じだなって思うんですよね。
何かですね、不意に目が覚めるみたいな感じなんですよ。
強い決断をするとかではなくて、
不意に目が覚めるみたいな雰囲気で、
そうか、酒をやめてもいいんだと。
酒をやめさえすれば、このやたら苦しんでる葛藤から解放されるんだと。
多分この人は本当のところ、その選択だけはありえないという前提で生きてたんですよね。
だから酒をやめないまま家に帰るか、あるいはアルコールをやめる病棟に、
明らかに無理がありますよね。
もうどれかのどっちかしか選べないから悲惨だったわけですよ。
酒をやめてしまえばですね、どっちを選んでも別段悲惨なことはないんですよね。
で、自分は酒をやめちゃいけないんだと思ってたんだと思うんですよ。
何らかの理由で。
えーと、そういうことってよくあるじゃないですか。
さっきの奥さんの怖くて嫌いで、
さっきの奥さんの怖くて家に帰れない人でも、
でも夫は奥さんに立ててもらわなきゃいけないんだという前提を持てたりしますよね。
それがナルシズムなんですけども、
つまりそれはおそらく親からダイレクトにインストールされた考え方であって、
えーと、もう変更は効かなくなっちゃってるんですよね。
で、もうその変更は効かないというのは妄想なので、イリュージョンなので、
変更は効かないっていうのを捨ててさえしまえばですね、
苦しめなくてよくなるわけですよね。
えーと、つまりタスクシュートとかも全部そうだと思うんですよ。
例えば時間は何よりも大事だとか、
えーと、時間とは命そのものだっていう考え方を、
これをデフォルトだと思っている限りは、
絶対に外せない問題というものがこの世では起きてくるわけですよね。
えーと、自分の時間を大切にしなければいけないっていうのが、
えーと、なんかこう当たり前みたいになっている人たちに
えーと、なんかこう当たり前みたいになっているじゃないですか。
なぜっていう問いがそこにはもうないみたいな。
これが、えー、自分は先をやめてはいけないとかになっているわけですよ。
その人にしてみれば。
僕はこれはですね、どっちも同じだと思うんですよね。
時間は大事だと。
だから、えーと、娘さんがどういうことを言ってきたとしても、
21:00
一瞬はカチンと来ちゃうんですよ。
でも、このカチンと来るのが嫌ならば、
えー、時間は大切だという妄想を手放しちゃえばいいわけですよね。
そうすれば、別に何にもそこにはないわけだから、
娘さんに呼ばれれば、普通にすぐすっとんでいってもいいわけですよ。
この、いいわけというのが、つまり、
えー、さっきのアルコールをやめてもいいわけだと。
そういう、えー、発想だったんだと思うんですよね。
つまり、何かこうふと目が覚めたような、
んー、夢を見ている時に、よく感じるんですよね。
ここに絶対行かなきゃいけないと、なんかいうような夢ってあるんですよ。
そこがどこだかもわからないし、
えー、なぜ行かなきゃいけないのかもわからないというと、
そこにもう絶対行かないけど、
ダメだということで、すっげえ必死になっているんですよ。
で、この価値観からは、この夢を見ている限りは、
逃れられないんですよね。
なんとか駅に、何時まで行かなければ破滅だ、みたいなのがあるんですよ。
私、そういう夢よく見るんです。
何かに追われているんでしょうね。
で、えー、そのなんとか駅、なんとか駅ですからね。
駅名すらわかんないのに。
しかも、なんでなのかもわからない。
人が待っているのかどうなのかもわからない。
行かなきゃいけないんですよ。
何か映画のシーンにそういうのがあるじゃないですか。
そういうのも影響しているんだと思うんですけど。
で、この夢を見ている限り、ここからはもう逃れられないんですよ。
だけど、ふと目が覚めれば、そんな駅ないわけじゃないですか。
行かなきゃいけなくもないわけじゃないですか。
つまり、さっきのは思いだけの問題だったわけですよね。
僕はこれが、お金は大切だとか、時間は大切だっていうことが、
意味しているものだと思うんですね。
これは、時間やお金が大切でないって話ではないんですよ。
並行して、そういうふうな世界に私たちはハマりうるっていうだけの意味でしかないです。
夢の中の私が、駅がその駅に何時まで行かないと破滅だと思っているのに、
夢の中の登場人物が何を言おうと無駄ですよ。
絶対にそう思っているんだから。
ただ、現実はそんな駅はないわけですよね。
つまり、僕らが相手にしているのは必ずしも現実じゃないわけです。
酒を絶対自分は辞めるわけにはいかないっていうのは、別に現実なわけじゃないんですよ。
ただ、そういうふうな夢を見ている人にとっては、
その選択肢を捨てるということは不可能なわけです。
その選択肢を持ったままアルコールを絶つ病棟とかに行かなければならない。
それはもう地獄のような話ですよね。
こういう転換を成し得るきっかけを多分くれるのが、
一つには精神分析なんですよね。
グッドバイオスも同じことをこの点では言うと思うんですが、
精神分析では結局、あなたのそれはナルシシズムですからっていうふうに解釈するわけです。
多分それは、そう言われても納得しないんですよ。
夢の中に取り込まれてしまうから。
つまり、私が夢を見て必死になっているとき、
これは夢ですからって言ってくれるのが精神分析かの仕事なんですよ。
でも無理なんですよ。精神分析かも夢の中に入っちゃってるから。
でもこれは夢ですから、その証拠はこれとこれとこれとこれとこれがって言われているうちに、
24:03
急に気づくことがあるわけですね。
気づいてしまえば、ある意味早いわけです。
また夢見に入っちゃうでしょうけれども、そういう人であれば。
でもこれに気づいてしまえば早いわけです。
やっぱりこれは夢なんで、
現実には自分がお酒を飲まないという選択はできるんだと。
できないのは夢を見ているからなんだと。
この夢をですね、見やすくさせてくれるのがタスクシュートだって考え方もできるってことなんですよ。
洪財といった、時間がすっごく大切で、自分がこのようにしていく必然性があるんだと。
思い込みやすいんですよ。
この思いが必要なシーンはあるわけじゃないですか。
例えば受験勉強中がそうですね。
受験勉強中に死亡口に行かれるのは大切だ。
残りの日数はあまりない。
これとこれを採定しなきゃいけないということの必然性が信じられなかったらやらないですよね。
そういった考え方が必要なシーンはあるわけじゃないですか。
残りの日数はあまりない。
これとこれを採定しなきゃいけないということの必然性が信じられなかったらやらないですよね。
特に子供なんてやらないですよ。
でも子供は信じる力が強いので、この校庭票にのっとって、
この難関校のクラスに合格すれば幸せになれるんだという夢ですよね。
そんな保証はないわけだから。
それを夢を信じれば、受かるために取る行動の推進力にはなるわけです。
ここには校材があるじゃないですか。
そんな夢を信じてしまったために入った後で最難関校に入ってみたら
すごい大変で勉強ばっかりしていて、学校に行く気もしなくなりました。
全然約束された地じゃないじゃないですか。
そういう校材はあるけれども、少なくともこの夢を見ないことには受験そのものができないので、
多分できないと思うんですよ。
そういう意味では、必要な時期というか、必要な経験だとみなす考え方もありますよね。
そういうものだと思って夢を見始めるんですよ、私たちは。
タスクシュートを見たり、いろんなことをしてですね。
で、私が夢を見ているということにふと気づくのは、
そういうグッドワイブズみたいな話を聞いたり、あるいはそれを実践しようとして
不意にカチンと来るとか、そういう経験をして初めて自分が夢を見ているんだということに気づくわけです、結局。
だって娘の用事と私の用事で、私の用事のほうが優先度高いケースは一つもないです、私の心の中ではね。
タスクシュートを見て初めてその優先度が逆転しうるわけですよ。
それは一つの価値観といいますか、価値観の中から飽き上がってくるイリュージョンが私を捉えていくから、私が本当はそっちを捉えるんですけどね。
そういうことが起こるということですね。
27:01
で、それがこういう小さなところではいいんですけれども、それが巨大化していくと
壮的望遠になってしまうんですよ。
この関係の中にいたら、例えば私はもうストレスでガンになるとかね、そういうふうに言う人はいらっしゃるわけです。
私、現に聞いたことだってあるわけです。
あんな夫とずっといたらもう心身とも蝕まれて、めちゃくちゃになってしまうと。
これが、それはそのご主人と一緒にいてめちゃくちゃにならないという話ではないですよ。
めちゃくちゃになりうるんだけども、そのめちゃくちゃになってしまうというストーリーそのものが
妄想であって、めちゃくちゃにならないという観点もあるんだって思える。
そういう観点を取れないと、多分大変厄介なことになると思うんですよ。
夢見ながら車を運転すれば、大変厄介なことになりうるじゃないですか。
その夢が妥当な夢であればいいんですよ。
ここでうんと気をつけておかなければ、
事故になってしまうかもしれないという妄想は、どの程度必要か知りませんが、
警察の人はしょっちゅうこれを言います。
そういう、言ってみればそういうイリュージョンを持てってことです、あれは。
ダロー運転やめろとか、そういうダロー運転も一つのイリュージョンだけど、
かもしれないという運転も一つのイリュージョンです。
どっちも現実じゃないわけですからね。
私はどっちかというと運転中もよく思うんですよ。
なんとかかもしれないとか、なんとかかもしれないとか、
なんとかかもしれないとか、なんとかなろうと思うんじゃなくて、
知覚に頼るべきなんですよ、人間は。
現実を知覚が見せてくれるので、
知覚が頼りにならないと思うから、
知覚も一種のイリュージョンなんだけれども、
でも知覚は一番イリュージョン性が低いですから、
大概の場合考え事という、それよりも遥かにひどいイリュージョンに僕ら頼るんですよね。
そのタビックスかな、分かんない、病棟を抜け出した人も、
家に戻ればこうなるだろうというイリュージョン抱いて、
病棟に戻ればなるだろうというイリュージョン抱いて、
一つも自分の現実というものを意識しようという気がなかったんですね。
酒をやめてもいいわけだというのが、その人の現実なの、
現実に向かう道なんですよね。
酒をやめるという選択は、私の心の中で決まると、これ現実なんですよ。
ところが、そういうのは無視されるんですよ、多くの場合。
多くの場合、どういうわけかそうなんですよね。
夢の中ってそうですよね。私自身の選択肢があるようでない。
夢を見ないという選択肢が、どういうわけか出てこない。
夢は自分で見ているのに。
そういう話。
だから、一番最初はタスクシュートの話で、
タスクシュートというのは、ライフハックを思い出させてくれたというのが、
タスクシュートクラウドがライフハックを思い出させてくれたというふうに思ったんです。
これを使って乗っかっている限り、ある種のことは非常にうまくいくんです。
30:03
それはただ、僕が一日分に限定しているのは、
それ以上の先のことをこのイリュージョンで、
自己コントロール感みたいなやつ、
そういうものにすっかり夢を映すようになってしまうのは、
やっぱり危険だというふうに思うのと、
その危険を取るメリットが、私の中にはもう何もないので、
過去とか未来というイリュージョンは極小にしたい。
本当はここ2,3時間の1セクションに絞り込みたいくらいなんだけど、
一日分はちょっとやむを得ない。
今、特に娘の受験もありますからね。
一日分は見ておこうという感じにしてやるわけです。
さっきからそうなんですけれども、
例えば雨雲レーダーとかを見るじゃないですか。
今8時45分ですが、8時40分に雨が止むと、
あれはイリュージョンじゃないですか。
どれほど精密で精査で、レーダーかもしれないけど、
イリュージョンには違いがない。
8時20分の段階で40分の雨雲をこうだと言うというのは、
それはイリュージョンですよね。
それが外れるのは関係ないはずなんですよ。
僕らこれをそうなるかもしれないとか言って食い下がるんだけど、
そうなるかどうかは関係ないんですよ。
イリュージョンだというのは、
知覚じゃないという意味でしかないはずですから。
現実は、それは現実じゃないと言っているだけの話なので、
現実になりうるとか、現実になりうるものは現実じゃないんですよ。
現実というのは、
私たちの手に負える範囲の話をしているはずなんですね。
実はそこにはいっぱいいろんなものがあるわけです。
自分の選択肢とか自分の意思とかですね。
それを好んで無視するわけですね。
8時45分になったら雨が止むから、その時に出かけようって。
すでに僕の意思は無視されたじゃないですか。
そういう機械的にやることが、
本当の現実なんだという顔をしだしますよね。
そこのところに、そうならないものは排除したいという、
分からない気持ちを生み出すんですね。
これが多分、相的防衛なわけです。
だからそれが、自分と同じくらいとか、
自分とほぼ同等以上に重要な娘の要求であっても、
それを排除したいという気持ちを作り出すわけですよ。
これは、どっちが大事かということ自体が、
そのイリュージョンに左右されるという意味でも、
もちろんあるんですけれども、
まあまあ、そういういろんな要素を含み込んでも、
含み込むからこそ余計ですね、
未来というものを根拠に動くのは、
やっぱり大きなリスクを取ることになるだろうと。
単純に運転しててすらそうなんだから、
人間関係のような複雑なものをそこに含み込んでいけばですね、
33:00
そのリスクはでかいと思うんですよね。
最初に仕事の話しましたけれども、
このリスクを、僕は取ってないわけではないです。
取ってしまってますけれども、
なるべく少なめにするだけでも、
仕事の成果に変化が出てくるんだから、
やって損はないなというふうに、
昨日改めて思った次第ですね。
33:25

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