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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日ですね、珍しく木曜日に、倉園圭佐さんと収録して、めでたく100回を迎えたわけですが、
100回というのはつまり、ぶっちゃけ相談というやつですね。
グッドバイブスなぶっちゃけ相談の第100回を収録は迎えました。
あの、放送はまだ少し先になりますけど。
おかげさまでですね、100回と。
100回ということは、被る方が何名かいらっしゃるんですが、
100回の102はお便りをいただいて、お悩み相談をいただかないと不成立していないので、
これは後から考えると結構大したことだなと。
昨日やってみて、ちょうどですね、ほぼちょうど全てなくなってしまったので、
できればですね、この番組を通じてというのでも、この際構いませんので、
何か相談ごとや、発砲塞がりごとでもいただければと思います。
今日もですね、珍しくこの番組にしては、質問というかご要望いただいたので、
今日はそれを取り上げしたいと思うんですけれども、
できればぜひですね、そういったものも、
グッドモーニングワイブスで佐々木がこういうことを言っていて意味わからんから、
あっちで説明しろみたいなのでもいいと思うんですね。
今日はこちらの方で、私の方で喋っちゃいますけれども、
そういう流れでですね、私が喋ってわからなかったのをもう一回私が喋っても、
結局よくわからない恐れも結構あるじゃないですか。
聞き直してみたんですけど、ご指摘いただいた回、
決してわかりやすい話でもなんでもないので、
この話ですね、一番最初グッドモーニングワイブスを、
私がキョラソノケイゾンさんのセミナーなり、連載なりを読んで、
非常に受け入れにくいところが多々あったんですよ。
ということは、受け入れて喋ったからといって、
私の方でうまいこと出てくるとは限らないんですね。
この種のことはよくあります。
タスクシュートだって最初はそうだったんですよ。
私には何が何だかよくわからないところがいっぱいあったんですよ。
やっていくうちにわかるというもので、ああいうものってそうなんですよ。
この作った人はどういうつもりでこれを作ってるのかというのが、
やっているうちにしかわかるようにならないことってたくさんありまして、
いくら根節丁寧な説明をしていただいたからといって、
それでわかるわけではないんですね。
タスクシュートがそうであれば、ましてグッドモーニングワイブスはそうです。
タスクシュートというのは極めてテクニカルな話なので、
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わかるわからないというのは基本的には簡単なはずなんだけど、
でもわかるのに私の感じでは、結局5年はかかったんです。
もっと厳密に言うと7年くらいかかってるんですよ。
7年間1日も空けずにやってやっとわかるというレベルのものだったんですよ。
そんなに難しいのかというと、そこを説明するのは難しいです、それこそね。
できるようになるだけだったら、
これタスクシュートは7年かかるんだというふうに捉えていただきたくないんですけど、
できるようになるだけだったら私の感覚では3日だったんですよ。
これって不思議だと思うんですよね。
できるのに3日かかり、わかるのに7年かかっていると。
こういうことってあるんですよ、やっぱりね。
スキーとかでもそうじゃないですか。
ある意味楽しむだけなら初日でできますよね。
相性さえ悪くなければ。
でも、どこでも自分の思い通りにとなると、
私は結果として30年かかってもできるようにならなかったんですよ。
ただですね、だとするとスキーは楽しむようになるのに30年もかかるのかというと、
そんなことはないですよね。1日でできますよ。
そういうことはあるわけですよね。
1日目の楽しみが30年後の楽しみよりも少ないかというと、
そんなこともなかったんですよ、私の感じでは。
初日から30年後くらい楽しかった。
でも、結局思い通りに滑れるようにはついに30年かけてもならなかったと。
30年間毎日滑っていたわけじゃないですけどね、スキーは。
そういうことはありますと。
今日のご質問というか、これはご要望と考えるんですけど、
ランコッコさんという方からのTwitterでのご質問で、
今年に入ってからグッドモーニングバイブスを聞いています。
ありがとうございます。
第210回の傷つけられたら相手に対して手を抜かずに謝るというところ、
20分40秒から21分30秒、すごい丁寧に教えていただきまして、
そこを私も聞き直しました。
何回聞いても分からないので、あまり分かりやすい話になっていません。
機会があれば再度お話いただけると嬉しいです。
ということでありがとうございます。
これまずですね、昨日も先ほどもお話した通り、
100回目のぶっちゃけ相談を無事取り終えたわけですけども、
ああいうものって何かが欠けたら同じことはできないじゃないですか。
例えばハガキが欠けてしまったらもう同じものにはならないんですよ。
私と倉田野さんが喋って番組を存続させることはできます。
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でもハガキがそこに介在しなくなってしまったら確かに違うものになりますよね。
このことを念頭においていただきたいと私は思うんですね、この話に関して。
続きがありましてね、先ほどの乱高校さん。
要するに傷つけられたら相手に対して手を抜かずに謝るというのが分かりにくいってことだと思うんですよね。
どこがっていうのが、ツイッター短いので分かりにくいところもありますが、
ここが分かりにくいんだと思う、というか分からないと書かれてますよね。
逆の話をしてるんです、対比としてね。
口先だけで謝っておいて、自分はすごく傷ついて、だからその人には二度と会わないというのは体験としてあります。
つまりこっちは理解できるということですよね。
口先だけで謝っておいて、自分はすごく傷ついて、二度とその人には会わないというのは体験としてあると。
その逆のことなんだろうなとは思うのですが…ということで、その逆は分かりにくいよねという。
つまり傷つけられた人が、なんで相手に対して手を抜かずに謝る、謝らなきゃならないのかと。
そして事態はそれで好転するのかと、そこがよく分からないということだと理解しておりまして、
その話を今日しようと思うわけなんですけどね。
まず、東京無職日記という漫画の話を入れているんですよ。
だからこの漫画を念頭に僕は喋っているんですね。
東京無職日記という漫画は、このタイトルの通り、無職になるのが怖い人が書いた作品なんですよ。
でも無職になるに違いないという独特の不安感と怯えがありまして、
HSP気味なところ、私から見ればどちらかというと発達障害気味かな。
何しろ怒られるということに対してですね、非常に敏感で傷つきやすい男性なんです。
ハロー君という名前になってましたね。
そのハロー君が大学は結構行けなくなっちゃって、いろいろあるんだけれども、
なんとかアルバイトをして繋いでいるというか、結構アルバイトはですね、
うまくやっているんですよ、その職場の中で。
その社長さんという人がなかなか元気なグッドバイブスな人で、
この社長さんの存在が大きいなと読んでて思ったんですけれども、
その社長さんのところで割とどんどん仕事をするようになっていくと。
ほとんどぱっと見純社員に近いレベルで働いていて、
一人が食べていくのには困るような状態ではないんですよ。
だから無職日記って書いてあるんだけど、実は無職感がほとんどないんですよね。
ここはとても大事なところだと読んでて思いました。
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この東京無職日記のそのハロー君がどんどんこうやって、
割と順調に読んでいる限りではですね、順調に仕事をしていくんですよ。
4コマ4コマでどんどん切っていって、最近の一つのパターンですよね。
4コマ4コマで、4コマ版がなんだけどずっと繋がっていくというやつね。
で、仕事をしているんだけれども、
不意にそこの行き立つがしっかり書かれていないために、
多分書きにくいことがあったんだと思うんですけど、
不意に行くの慣れちゃうんですよね、会社に。
ここはこういう人にとっての怖いところだなと私は思いました。
怖いというのはやっぱり本人が自分を不安に思う原因というものがあるんだろうなと。
全然行かなくなるほどの出来事って書かれてないんですよ。
不安だと思うんですけどね。
仕事が多くなりすぎているなっていうニュアンスは伝わってくるんですよ。
でもそれだけだったらバイトなんだから減らしてくれってある意味言えばいいじゃないですか。
多分これ言えない人なんだと思いますけれども、そういう話でも済むわけですよ。
ところがここでイリュージョンが膨らんでいく。
自分はやらかすんじゃないかみたいなイリュージョンとかね。
で、そこに行くのが恐らく怖くなってきて引きこもってしまう。
で、もう会社には行けなくなってしまったっていう感じで進むんですよ、ストーリーはね。
ところがそこにかなり立ってからだと思うんですけど、社長から電話がかかってきて今すぐ来いと。
今すぐ来なかったら俺はそっちに乗り込んで行くからって言って、
ハロー君は大変恐れてですね、このままでは殺されてしまうということで大急ぎで起きて会社に来るんですね。
この怖さと怖さの天民でやっと動けるという戦なんですけれども、
これでですね、ハロー君はつまり傷ついているわけですよ。
傷ついているのはハロー君一人だと私は思うんですね。
もしかして急にハロー君が来なくなって困った人は何人かいたでしょうし、
それらの人たちもダメージを受けて、社長もダメージを受けたでしょうけど、
なんか彼ら心が傷ついているという感じでは全くなかったですよね。
心が傷ついているのはハロー君だけなんですよ。
で、このいきさつなので当然ハロー君は会社に行ってどうもすいませんでしたと謝るわけじゃないですか。
これがつまり傷をつけられた人が実際には謝る他はなくなっているという図式であって、
私は実はそれが理不尽と感じられようが、受け入れがたいと思われようが、
この図式は圧倒的に多いはずだと思うんですね。
で、あるならばここを手を抜かずに謝れるというのは大事な点だろうなと。
思うんです。
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悪いことをしたじゃないかって思われるかもしれませんけど、
私はそこはちっとも大事じゃないと思うんですね。
悪いことをしたのかどうかなどという話は。
その話に持って行ってしまうと、誰が誰に謝らなければいけないのかというのが大変わかりにくくなるというか、
だから謝れなくなってしまって、すなわち会社に行けなくなっちゃうと思うんですよ。
で、それを恐れているから東京無職日記なわけじゃないですか。
あのですね、口先だけで謝って二度と会わないということであるならば、
このケースで言うならば、口先だけで謝って二度と会社に行かないと言うならば、
おそらく謝らないと思うんですよ。
口先だけで謝ろうと、実際何も謝るまいと、もう同じじゃないですか。
二度と会わない、二度と行かないのであれば。
これを分離の選択と、グッドバイブス的には言うわけですが、
この選択をするのであれば、謝るということはほぼ必要がこのケースではなくなってしまいますよね。
そして傷はついたままですよね。
なんですが、それが少し理に合わないなって210回の時は言ってるわけですよね。
分離して二度と会わないなら、傷ついておく必要はないですよね。
ここは人間の自分の気持ちの上での理屈づけなんですよ。
二度と会社に行かない。
なぜならば私は二度と行けないようなことをしでかし、傷ついたからだと考えなかったら、わけわかんなくなってしまいますよね。
傷ついてないならば行けばいいわけですよ。行きたいんだから本音は。
この本音は行きたいとにもかかわらず行けないことになってしまったと。
だから傷ついたというその心理的事実が必要なわけですよ。
本当はこの話はおかしいんですよ。
二度と会わないならば、傷つく必要は、傷ついたことを覚えておく必要は一切ないはずですよね。
忘れてしまうのがベストですよ、心理的にも。
忘れられないとか許しがたいというのはちょっと置いといてですね。
忘れてしまうのが一番ベストです。
分離することが確実なのであれば。
現にハロー君はバイトなので、このまま辞めることは可能だったはずなんですよね。
社長が乗り込んでこようと何をしようと。
だけれども彼は行くことを選択した。
だけれども彼は行くことを選択した。
だから謝らなければならなかったわけです。
彼は傷ついたんですよ、とにかく。
それが妄想であろうと、イリュージョンであろうと、傷ついたことは確かなんです。
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この論法を持ち出す人というのは割と私の見るところにいらっしゃるんです。
相手に傷つける意図があろうとなかろうと、
攻撃しようという気持ちがあってもなくても、
俺は傷ついたんだから、あんたは罪があるという言い方をする人っているんです。
この理屈って心理的事実にどこまでも向きを置くのであれば、
そういう言い方も成り立つのかもしれないけど、
普通に聞いているとかなり理不尽な言い回しだなと思うんですね。
ハロー君が会社に行かれなくなったのは傷ついたからだということになるんですが、
では傷つけた人が悪いのかという話になりますよね。
ところが傷つけた人はそこにいないんですよ、どこにも現実には。
彼がこのままでは何かしでかすのではないかという妄想に怯えて、
会社に行くことができなくなってしまったというところから始まったわけだから、
彼が言ってみれば自分のイリュージョンによって自分が傷ついて、
そして動けなくなったわけです。
で、私はですね、
彼はそういう事態によって行かれなくなったと言ったから謝らなければなりませんが、
彼が悪いとは思わないんですよね。
つまり彼に罪があるような感じはしないんですよ。
昨日お話しした通りなんですよ。
夢を見ている人に罪はないんですよ。
彼はどう見ても夢を見ているんですよ。
悪夢ですが、幻覚にうなされているようなものです。
幻覚にうなされている人を捕まえてきて、
例えばその幻覚の中で私が鬼の役とかをさせられていたから、
私が相手に怒るっていうのは至って理不尽だと思うんですね。
同じようにハロー君は別に私は悪いことはしていないと思うんです。
会社に迷惑はかけたんですけれども、
それは結果としてそうなんですけれども、
彼は夢を見ていたんだから、しようがないと思うんですよね。
夢を見て、手をバタバタさせていて、
その手が顔にぶつかったからといって、
その人に怒っても仕方がないですよね、と私は思うんですよ。
だから、幻覚にうなされている人を責めてみても始まらないと思うんです。
もう、社会通念上、彼が会社に来るときには、
彼は謝らなければならないんですよ。
これを甘えと言うんだと私は思うんですよね。
つまり、ここにいたいということを
ハロー君は表明するしかないんですよ。
ここにいたいのかどうかが、
頭にはわかんなくなってしまうんですよ、この行動では。
ここにいたくないんじゃないかと思われても、
仕方がないですよね。
だから、ここにいたいんですという殻には
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いさせてくださいと心の底から言う必要があると思うんですよ。
私はこれを日本では謝るという形式を取るんだと思っているんです。
あなたとの関係を分離したくありませんというときに、
しばしばどうもすみませんと言わなければならない。
どうもすみませんと言わなければならない。
わみごと言わなければならないんですよ。
あなたには関係を切る権利があるけれども、
その権利を行使しないでください、かな。
どいたきょうさんが定義するところの甘えは、
相互に行為があるという前提のもと、
その行為にふさわしい行動をとるという、
あるいは言動をとるかな、という定義なんです。
社長は春男くんに行為があるから、
悪いんだけど、今回は悪かったんだけど、
ここにいさせてくれないかなという、
あれは表現だと思うんですね。
でないんだったら、分離してしまえばそれで済む話ですよね。
それでは済まないのかもしれないけれども、
でもどうしようもないじゃないですか。
蒸発しちゃいましたと。
それに対して、追跡調査とかをする人はいないです。
やっぱり分離してしまったということであれば、
それ以上はできることはないわけです。
分離していないからこそ、
その関係をつないでいくための何かを、
真剣に模索しないといけないと思うんですね。
これが手を抜かずに謝ると。
常に全部、手を抜かずには大事なんだけど、
謝るなのかどうかはケースバイケースですね。
ケースバイケースだと思いますが、
謝るという形式であることが、
多分非常に多いだろうな現実としてはと思うんですよ。
というのは、
今回、この東京無職日記のケースがそうですが、
これが実話かどうか確実じゃないですけどね、物語だから。
でも実話っぽいですよね。
そして、こういうケースにおいて、
傷つけられた人は、
相手の意図しない攻撃によって、
恐らく傷つくことになるんですよ。
途中、意図しようと意図しまいと、
私は傷ついたんだから、
あなたの攻撃には罪があるというふうに
人は言うって言ったじゃないですか。
でもこれは、理不尽だと多くの人は捉えると。
しかしですね、
今そういう話は、
もう十分、市民権を得つつあると私は思うんですね。
市民権は得られなくても、
得られないと思うんですけれども、
でもすごく市民権に向かって進んでいる。
それにはいくつかはっきりした事情があると思うので、
そのことを本に書きたいんですけど、
なぜこういう言い方をしているかというとですね、
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まだ本に書いている真っ最中で、
完全にまとめてここで喋ってしまうとですね、
まずそれがそもそもできないから、
今一生懸命書いているわけですね。
ただ、こういうことが言えるんですよ。
例えば、HSPの人の話によくありますね。
隣の同僚がめちゃくちゃ怒鳴られていて、
それに心が傷つくと。
で、内向的で繊細で優しいからそういうことにもなるけれども、
自他の境界線がはっきりしていないんだっていう話をするんだけれども、
まあそういうふうにも言えますけれども、
これ意図しない攻撃ですよね。
だって自分攻撃されていませんから。
怒られているのは隣の同僚じゃないですか。
でも自分が攻撃されていると感じる。
それはイリュージョンですが、とにかく感じる。
だから自分は傷ついた。
こんなにひどい声で叱責しなければいいのに、
たとえ隣の同僚が悪いことをしたにしても、
こんなに大きな声で叱責したりするから、
繊細な自分もその攻撃にあっている気がしてしまうんだと。
これは怒っている上司にしてみれば、
偉く理不尽な言いがかりにも聞こえますよね。
しかしこういうことがあるんですよという本が、
現実に世の中に出回っていて、
しかもそれがかなりの部数出ているということはですね、
こういうことに配慮してもいいのではないかという話になりつつあるわけですよ。
ということはですね、
繊細な人があまり気にやまずに職場とかで実力を発揮できたり、
学校で内向的な子どもなりにすごく実は優秀だったり、
個性を発揮できるという、
そういう一面を引き出すということができる上において、
これはいいことなんでしょう。
けれどももう一つの面はあると思うんですね。
つまり一体全体自分たちの行動の何が誰に向かってのどんな攻撃になるのか、
さっぱり予測がつかないことになっていくだろうということはあると思うんですよ。
もしかして全然関係ないところで何か物を落としてしまった。
大きな音がしたと。
それで傷ついた人がいた。
これはあなたにはそういう意図はなかったのかもしれないけれども、
物を落とした音で私は傷ついたんだから、
あなたは攻撃をしたという罪を犯したことになる。
結構困りません、これは。
私はこれが進んでいくということは結構困るんじゃないかなと思わなくはないんですね。
で、意図しない攻撃なんだから攻撃している人は攻撃している気は全くないわけですよ。
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ということはHSPとは限りないですよ。
繊細な全ての人が繊細な人からの攻撃はあり得ないと考えるのであれば、
それは多分事実じゃないと思います。
繊細な人だって攻撃はするじゃないですか。
意図しないんだから。
もしかして繊細な人が職場にいつも通り行ってみたら、
その顔がとても不機嫌そうに見えて、
私はあなたのその表情によって傷つきましたって思われるかもしれません。
つまり別の繊細な人が登場して、
私は音とかは大丈夫なんですけど、どうも顔色が悪い人を見ると心が傷つくんですっていうことはあり得なくはないと思うんですね。
顔色を伺うとか不機嫌そうな人が気になるって話は繊細的な人の話では頻繁に出てきますから。
つまりどんどんイリュージョンによっていろんな人が傷ついていく。
それは全部イリュージョンなので、どんなイリュージョンがどこで発生するかは我々には想像する余地もないわけです。
もしかすると単に貧血気味で会社に行くということがすでに攻撃になってしまう可能性もあり得なくはなくなる。
そうなった時というか、そういう実情があるにせよないにせよ、
この東京無職日記のハローさんのケースでは間違いなく彼のイリュージョンが彼を傷つけたんですよ。
だから彼に対して謝るということのできる人はいないわけですね。
なぜならば誰も何の自覚もないからです。
ハローさんに傷つけられたという人もいなければ傷つけたという人もいません。
ただ傷ついたハローさんがあった。
そのために分離の選択に近い現象が起きた。
なぜならば恐れと不安がそこに蔓延したからです。
彼の心に蔓延したからですね。
彼は最後に面白いギャグを言うんですよ。
私は重度のけびょうだと言えている間は大丈夫だと思うんですよ。
重度のけびょうから始まって、重度のけびょうだと言えなくなったら、もうそれはけびょうじゃなくなるだろうなと思います。
何にしても傷つくということって、今回はその傷つくということ、
実はですね、グッドフォーイブス的に言うとそもそも傷つくということなんですよね。
何にしても傷つくということって、今回はその傷つくということ、
実はですね、グッドフォーイブス的に言うとそもそも傷はつかないという話があるんですけれども、
その話まで広げていくと、また時間がやたら長くなった挙句、
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さっぱりわからない話が出てきかねないので、ここに集中して絞るんですけれども、
要は意図しない攻撃に罪を見ちゃダメだと思うんですね。
だから私はハロー君は悪くないと思うんですよ。
ハロー君の行動は攻撃になってしまったんですよ。
意図しないんだけど。彼はただ悪夢にうなされていて会社に行けなくなった。
でも会社はそれによって一定の損害を被るわけですよね。
彼を宛にしていたから。
ここで社長が怒るんですけど、バイトのハロー君を宛にしすぎているんだお前たちはって社員が怒られるんですよ。
これだってハロー君による意図しない攻撃ですよね。社長が代理で攻撃してるんですけど。
ハロー君にフォローを入れてるんですね、これはね。
だから意図しない攻撃は起こるわけですよね。人間が生きている限り。
ただしそれは意図しないものはもはや攻撃とみなすべきではないんですよ。
そこに罪はないじゃないですか。誰がどう考えたって。しょうがないですよね。会社に行けなくなったんだから。
それを攻撃と解釈するメリットはどこにもないし誰にもないんですよ。
だから私はハロー君には罪はないし、当然罪悪はないんですよ。
ないんですけれども、もう一回そこに関係を一旦分離をちらつかせてしまった後で関係を結び直すためには謝るという行為がこの場合は必要なんですね。
だからケースバイケースなんですよ。謝るじゃないことが必要になるかもしれないし、謝るを選択する必要はないかもしれませんが、
そこで手を抜かないという、何であってもですね、何の選択をするにしても手を抜かないというのが一番多分大事だろうなと。
極論彼はあのケースでは無理だったと思うんですが、正確から言っても謝らなくたってあそこに言い続けることはできたと思うんですよ。
手を抜かずに何かをすれば。ただ口先だけ謝っておいてあそこに言い続けるというのは不可能だろうなと思うんです。
それだとどうしても分離になってしまう。だから口先だけ謝って二度と会わないという選択が自然に選択されることになるわけですよ。
という話を第210回で私はしていたんですね。
もうちょっと言いますと、このここにいさせてくださいという表現が謝るであれ、他の何かであるにしてもですね、
その行動の意味というのはですね、今ここだと思うんです。
これが要するに210回で私が強調するべきポイントで、しかもほとんど強調していない問題のある言い方だったと思うんですけど、
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要するにこのイリュージョンにまみれて恐怖による分離っていうのは外から見ると誰が見てもなんかもったいないわけですよ。
あの漫画でも一番私がそれを感じたわけです。このまま辞めるのはもったいないだろうとどう考えたって社長すごいよくしてくれてますし、
ハローさんは傷つきやすいんだけれども周りの社員さんもすごいよくしてくれてるし、これは大変うまくやってるわけですよ。
結局その会社は辞めてしまうんですけれども、その時のは良いと思うんですよ。
だから分離の仕方って大事だと思うんですよね。
2回目辞めるのは分離ですらないですけれども、とにかくそういうのは大事だと思うんですね。
で、この謝るという選択もそうですけれども、要は手を抜かずに心からやるということはいつでも今ここでやるってことになるはずなんですね。
で、イリュージョンで分離するときはいつでも今ここにはいないっていうことも大事だと思うんです。
彼は何を恐れていたのかというと、未来において自分がやらかすことを非常に怯えている東京無職日記の無職というのはほとんど出てきません。コミックの中では。
彼は無職だと間違いなくこれは無職だなと言える時期はあるけれど、とても短いです。
つまり現実としての無職はないんですよ。この作品の東京無職日記の無職はイリュージョン。
で、将来無職になる怯えが彼を無職に誘っていくんですよ。ここが恐ろしいところだと思うし、この漫画の読みどころだなと思う。続編もあったんですけどね。
もはや続編に至っては一貫ほどの緊張感を私は感じなかったんですよ。
彼はとにかく無職になるという恐怖感を抱いていて、そしてその未来に無職になるという恐怖感ゆえに人との関係を切っていく。
なぜならば人との関係をやる度にやらかしてしまうという恐れがあるから。
そしてそのやらかしてしまうという恐れゆえに大学は行けなくなって、何にも起こってないんですよ、はっきり言って。
友達ができないとかそういうことなんですけども、友達ができないのですら彼はしでかしてしまうことが怖いから関係を切っていくんですよ、自分では。
必ずしもわからない理由で。つまり攻撃を受けたというイリュージョンを持つことによって。
そのイリュージョンはすべて未来への恐れなんですが、その未来への恐れが彼の経験を作っていくわけですよね。
また人間関係で失敗したという。つまりこれなんですよ。
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彼の中にあるのは過去に失敗したという経験があり、それが未来に何かをしでかすという予測を生み出す。
このループに生きるんです。ずっとそのまま大学に行き、その後そのままバイトをすると。
今ここにいる時間がとっても短いんですね。家に帰ってくるとほとんどこのループの中に入ってしまう。
だから動けなくなるし恐ろしくなるんです。
そしてそのことが予言の自己実現的に彼を無職の方へと引っ張っていってしまうんですよ。
これが東京無職日記なんですよ。
だから手を抜かずに謝るということは、その行為が理にかなっているとか適切であるというよりも、
大事なのは今現在にフォーカスが当たり、その今現在の行動だったと。
それがすごく大事なんですよ。
この行為だけは、しでかすんじゃないかという不安や、過去にやらかしてしまったという体験と何の関係もないじゃないですか。
ここで謝ったところでまた私をしでかして社員が白い目で見るんではないかと思ってやらなかったんですよ。
そんな余裕はなかったから。
過去に謝ったけれども誰も受け入れてくれなかったみたいな経験もないんですよ。
そういうことを彼はしていないので。
だからこの行為は彼にとって新しい行為で、謝ったことは新しいと思いませんけれども、
この状況で現実にわざわざ入りに行って関係性を維持しようと、
そういう意識が強かったかわかりませんけれども、
結果としてそういう方向を向いていて、
しかもその行為を現在の彼が今までずっといたその場所で行ったということが大きな意味を持ったと思うんですね。
これは未来への不安とか過去の戦と関係ない行動だったわけですよ。
関係が全くないわけじゃないけど関係があったから謝ったんだけど。
今ここでいきなり行った行動に違いはないんですね。
社長を呼び出しましたけど他の人はそんなことを知らなかったわけですから。
こういう行動が多分イリュージョンを遠のかせるんだと私思ったのですね。
だから多分Good Morning Vibesで喋ったんですよ。
今ここなんですよ。
そうじゃないとどうしても分離に行きたくなるしそれしかないような感じがしちゃうわけですよね。
とりあえず謝って相手とは二度と会わないっていうのはパターン化された行動。
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フロイトの言うところで必ず人は反復するという反復になっちゃってるじゃないですか。
こういう人がいつも通り私はこういう人に巡り合ってしまった。
無神経で繊細な私のことを理解しない人に傷つけられた。
こういう人とは二度と会わないようにしようという反復になってしまっている。
一見自分にとって理解に苦しむ行動を取るっていうことには大きな意味があると思うんですよね。
その場でということにおいてですね。
その場で現実に今ここにおいてやるっていうことは
多分特に分離的な行動しがちな人にとっては理不尽なことをやることになるはずなんですよ。
理にかなったことをやる限り今までと同じことをやることになると思うんですよね。
なぜならばそれが自分の思考のパターンだし
自分はそういうふうに考えてきたから分離してきたはずじゃないですか。
ハローさんは極端ではありますが非常に彼にとっては自然な行動が繰り返されているわけですよね。
人との関係を自分は結ぶのが下手であると。
そして人との関係において必ず他人に攻撃され傷つくことになる。
だからちょっとでもその予兆や気配を察したらそこから目を引こうと。
今回もやっぱり仕事がだんだん多くなってきた。
あるいは社員たちは自分にいっぱい仕事を振って辞めさせようとしているのかもしれないと
彼は妄想したかもしれないんですね。
こういうパターンは今までにもあった。
だから家に引きこもってこのままフェードアウトしようと。
理にかなっているんですよ。
理にかなった行動をずっと繰り返していると
その先に知らつくものが怖いんですよ。
でもしょうがないんですよ。
理にかなっているんだから。
自分としてはわかりやすい、自然な、当然なことをやっているに過ぎないのであって
何日も何日も会社休んだ後いきなり言って
ごめんなさい、申し訳ありません、ここにいさせてくださいというのは
彼にしてみれば大変おかしな行動なんですよ。
今までそんなことやったことないし
そういうことはとても受け入れられないと思っているから
フェードアウトしようとしていたわけですからね。
これがこの場合にはですよ。
手を抜かずに謝るという意味だったし
傷つけられたと思った時は
つまり何か意図しない攻撃をくらったという意識があると思うんですね。
意図しない攻撃というのは途中申し上げた通り
意図しないわけなので
意図せずとして自分も他人にやっている可能性は十分あるので
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そのことについて私たちはいちいち全部の責任を取るのはとても無理なので
潜在であってもなくてもですね
罪をそこに認めないというのが大切だと思うんですね。
だから私は謝罪とは書いてないし
謝罪と言っちゃったかもしれませんがだとすると
その点は申し訳なかったですがそれこそ
謝ると書いたんです。
言いたいんだけれども相手が攻撃と受け取ったなら謝ると
攻撃の意図はなかったんだから関係は継続したいと
これを手を抜かずに表明すると
そうしないと誤解のまま分離しなければいけないことになりますよね。
そうすることの損失は決して小さくないと
そういう話をしたかったわけです。