2021-03-19 37:08

【GMV 342】共感よりも恐怖を取り除く

共感力なら既にあります
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
最近ですね、共感力というような、まあ、書店にさえ行けば目にしないことはないぐらいなキーワードですけど、共感力。
これ、前々から私、一番最初に見た頃から思ってたんですけど、なんかこれを解かれても我々は結構困っちゃうんじゃないかなというのがあってですね。
その理由がだんだん最近になってようやくわかってきたので、その話をします。
で、なんで困ってくるかというと、つまり日本人はこれがみんなすごい得意だからなんですよ。
最近ずっと話題にしているジゾイド人間の書いた、おこのぎけいごさんが、多分世界で一番共感能力が高い民族だと。
これはですね、この国だけにいるとほぼピンとこないと思うんですけど、西洋を旅行して住んでみたりすればよくわかると思うんですよ。
共感なんか誰もしてくれないというか、多分そんなことは可能じゃない。
これは相当の子供の時から繰り返される訓練の成果であって、自然に育って人が別に共感力とかを持つようにならないんだと思うんですよ。
私、一時発達心理学というものを勉強中に、自動心理学とも言ってたりしてましたけどね、アメリカでは。
アメリカの幼稚園みたいなところに盛んに行ったことがあるんですよ。大学とくっついてたんでね、簡単に行けたんですけど。
すっごいやっぱりいろんな意味で勉強になりまして、何かトラブルが起こるじゃないですか。子供同士の喧嘩とかね。
するといろんなことが当然起きるわけですけど、必ず先生が言うのが、あなたがどうしたいのかを考えなさいって言うんですね。
私、あの言葉ね、多分何か子供同士でトラブルが起きた時に日本の先生に聞いた。一度もない気がしますよ。
あなたがどうしたいかを考えなさい。これを考え抜くことによって、その先生の指導法っていうのも当然あるから、全アメリカ先生が同じように指導してるとは限らないんですけど、
この言葉を聞くことはアメリカに行って増えたなと、本当に増えたなと思ったんですよ。アメリカに行った時に、以来。
英語がわかるようになって以来だから、2年半後くらいの話ですけどね。
あなたがどうしたいかを考えなさいって言葉をすっげえ聞くなと思ったんですよ。
トラブルが起こった時の子供が、あなたがどうしたいかを考えればトラブルはおのずと解決するはずだってのは、すごい私からするとびっくりしたわけですね。
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僕ら必ず逆言われると思うんですよ。相手がどういう気持ちであるかを考えなさい。
これを聞かなかった日本人って多分、日本に一定期間住んでる人ならいないですよね。相手の気持ちを考えなさい。
僕らはこの習慣がついているもんだから、だから例のHSPとか、自分がないみたいな問題が出てくると思うんですね。
当然じゃないですか。2人でどっか、例えば会社の先輩と昼食を食べに行きました。
この人がどうしたいのだろうって、とっさに考える癖がついている人に、自分がどうしたいのかって二の次になるに決まっていますよね。
ごく多彩なことでもそうなるじゃないですか。この人はラーメンが食べたい。
ならラーメン屋に行こうって話になるんだったら、自分がどうしたいかを考えるのって邪魔ですよね。
それについて、そういうふうに何度も何度も言われて教育されてきて、道徳とかの時間。
僕の小学校時代に道徳ってなかったんですけど、ほぼないに等しい扱いを受けてたんですけど、今は道徳の時間ってきっちりあるんですよ。
別に国語と変わんないな、それって感じもしないではないんですけど。
そういう道徳の時間とかでも、人が何を考えているのか、特に相手に対して良心的であろうとしている関係においてはですね、
何を人はどういうふうに思うのかを推測しろと。
例えば結構高度になってくるわけですよ、小学校5、6年になってくると。
もう親が何を考えているかじゃなくて、親として子が何を考えているか。
お父さんとお母さんが難しい関係になって、なんとか食欲がなくなってしまいましたみたいなのを読んで、
この時お父さんは何をすればよかったんでしょうかみたいな話になってるわけですよ。
これを子供に推測させるんだと。難しいよなと思うんですけれども、こういうことをやるわけじゃないですか。
やったりもするわけですよね。
結構それっぽいことを考えていくわけですよね、日本人の子供ってのは。
私、アメリカの友達もさすがにちょろちょろはできたので、その人たちのほぼ全員が親が離婚してました。
90%以上っていう感じでしたね、私の感じでは。
その時に決して親が自分の気持ちを推し量るだろう、自分が親の気持ちを推し量るだろうっていうディスカッションは起きなくて、
やっぱりその時私はどう思ったのかって話を徹底的に聞かされますね。聞かされたもんです。
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相手の気持ちが分かるか、推し量るのがどうかっていう概念がほぼないみたいなところがあって。
私、心理学部にいたわけですよ。だからほとんどの知人は、まず第一に女性ですよ。女の人が多いんですよ。
しかも心理学部全員それですよ。将来はカウンセラーになりたい系ですよ。
だからなんですね。アメリカ発の、最近ちょっと目にしたので言うとノンバーバルコミュニケーションとかああいう術に絶対共感で出てくるのはそのせいなんですよ。
彼らには共感力を学ぶ大きな価値があると思うんですね。
ちょっとでも他人の気持ちについてフォーカスを当てることができれば相当先へ進むと思うんですよ。
我々があれを学ぶメリットってすっごい少ないと思うんですよね。
我々はむしろ逆だろうっていう、少なくともただ共感しましょうっていうだけではですね、ますます人に対する忖度を一生懸命やることになるばっかりで、
多分何かを解決するほど、もうここから先に共感をするっていうのは本当に大変なことで、
私たちってほとんどいつも日常的にある意味推測推測推測で生きていますから、少なからぬ人がそうなんで、
この人何を考えてるんだろう、私は今私のことを悪く思ったんじゃないだろうかって得意とするところではないですか。
一番得意とするっていうのがお好みさんの言っている話なんですけど、
世界中の人と比較してどうこうっていうのではないかもしれませんが、
多分少なくともアメリカ人と比較すれば得意であることはほぼ確実だと思うんですね。
私たちが読む昔の話は別として、カウンセリングとかコミュニケーションの本とかの最先端全部アメリカ発なんですよ。
そこに書いてあることは必ず共感しましょうっていう話なんですよ。
そうなんですよそりゃ。向こうで言えばそれはすごい心理カウンセラーとかコミュニケーションがトラブルが起きたときにそれをやったらいいんですよ間違いない。
だけれどもそれをそのまま僕らが読んで共感をしないのがいけないんだと思うのはすっごいずれてるような気がするんですね。
何て言えばいいんだろう。甘いものばっかり食べている国に辛いもの食べましょうみたいなのがあったとして、
辛いものばっかり食べているタイみたいな国の人がそれを読んで、もっと治療を増やそうと、そういうような話に聞こえるんですね。
無茶なんですよそれをやろうとするのは。
09:00
私がグッドバイブスで共感ということが全くテーマに上がらないわけではないんですけど、
一つ新しいなと思ったのはこれは日本人が、クラソノケドさん日本人なんで、日本人が創発したものだからっていうことがあるんですけれども、
共感というメッセージで最終解決を見てないというのはとても新しいなというふうに思ったわけですね。
ものすごく多い、HSP向けの人にすら共感を言う、
大体日本のとアメリカのそれはだいぶ違うと思うんですけれども、
HSP横文字なのは大きな問題だと思うんですよね。
本当に同じものを指しているとはちょっと思えないなっていうのがあります。
極端に言うと日本人なんていうのは大半がHSPだと言ってもいいぐらいだと思うんですね。
つい他人の気持ちを押し量ろうとしてしまうという、そういう辛さがあって、
ここにですね、もともとは多分お互いの気持ちを尊重し合いましょうばっかりだった国ですから、
もしどんな集団でも関係でも必ずさっきのラーメンとカレーみたいな問題は起きますよね。
そのレベルの問題は起きます。
その時に日本的には我慢するが甲斐だったんですよ、きっと。
そうか、相手がラーメン食べたいなら今私は我慢して、相手に合わせてカレーはやめておこうっていう、
要するにそういう話じゃないですか。
何かしないとダメなんですよね。
1社じゃなくて2社、2社以上なんだからそこに食い違いが起こる可能性は、
日本人であろうとアメリカ人であろうと昔の人であろうと絶対に認識していただろうし考えたと思うんですよ。
問題はそこでどういうふうに持ってったら最終的に一番いいのかと。
相手が何を望んでいようと自分はカレーを食べるという考え方なんですよ、多分。
それが信法的なんですよ、今の私たちにとっては。
アメリカ的というのかな。
だけれども日本的では我慢するというところに行き着いていたわけですね。
多分それはそれでうまくいってたんだと思うんです。
みんながみんな他人の気持ちを忖度するということの文化で押し進めている間は、
特に2社関係がうまくいっている間はそれでいいですよね、別に。
いや私別に特に食べたいものはないし、こういう人いっぱいいるじゃないですか、私たちの国には。
だから相手がラーメンを食べたいならそれに付き合おうと。
この考え方しかもどこか相手が子供っぽくなるという意味で、
12:00
みんながみんなお母さんになっていく世界なんだと思うんですね。
その辺のことをお好みさんがアジャセコンプレックスって盛んに言ったんだと思うんですよ。
エディプスとそっくりなんだけどエディプスではない。
最後にはお父さん殺したアジャセ王だけど許しちゃう。
あなたがそうしたいんなら私はそれで構いませんなわけですよ。
だいたいそれでうまくいくときはうまくいきますよね。
まず両者の関係性がいいときと、みんながみんなすごい画が強いわけじゃないような組織では特にうまくいきます。
時に日本的な決まらない問題が起こりますよね。
みんながこうなので、私はどちらでもいいですって全員が言うと、どうしたいっていう人がそこにいてくれないと困るみたいな。
こういう問題っていうのは僕はしょっちゅう日本では直面するなと思う。
本当に些細なことほどむしろこうなりやすい。
時間ばっかり経っていくんですよね。
わがままで子供っぽい人がむしろ喜ばれる、そこにいてくれないと困るという。
本当にみんなどっちでもいいと思っちゃってるから決まらないわけですよ。
僕はテニスやってた時期があったんで、テニスコートでそういうことがよく起こるんですよ。
ボールをどっちから打つとか、誰からやり始めるかとか、何で決めるとか、みんながどっちでもいいと言い出すと、
こんなつまらないことですら何にも決まらないまま時間が変に経過するんですよね。
そういう時はわがまま勝手に、俺はこうしたいからこうするって人が一人いてくれれば話がどんどん進んでいくというメリットが、
私あれをすっごく感じたのは、このテニスにちょっとハマった時期がちょうど留学から帰ってきていた時なんで、
アメリカではこの逆があって時間が経過するっていうのをすごい感じたんですよ。
みんながどうでもいいことなのに、これが一番いいやり方だって主張しまくるから決まらないんですよ、また全然別の意味で。
誰も他人の気持ちを押し量ろうという気はないんで、ボールはこれじゃなきゃダメだとか、あっちに行って打たなきゃダメだとかずっと言ってて、
そのなんかディスカッション大好きですからね、それで50分くらいディスカッションしてて、
もうなんか本当にげんなりするんです、あれはあれでね、うまくいかない時はなんですけれども。
彼らはしばしばテニスよりディスカッションがしたいわけですから、それはそれでいいんでしょうけれども、
日本人からすると本当にしょうもねえって感じになっちゃうわけですね。
当時僕は非常に時間を大事にしたがりだったんで、余計そういうのでカリカリしていた時期がありました。
それはいいんですけど、それぐらい何にフォーカス当てるかで、私たちの気持ちの持っていく方って劇的に変わるなと。
私たちはついもう瞬間的にですね、2社いれば自分以外の人の気持ちにフォーカス当てるという訓練がかなり徹底されている人が少なくないので、
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こういう問題というかそういうふうに物事が進行していってしまうと。
だからそこに急にですね、欧米式に自分の意見を持てとか言われて困っちゃうわけですよね。
僕も本当にアメリカに行って困ったんですよ。
どんな小さいことにでも意見を求められるんだけれども、ないからそんなものは。
別にコーヒーでも紅茶でもいい時は、コーヒーでも紅茶でもいいんでね。
どっちにするかをあなたの責任において決めなさいと言われても、すごい困る時もあるわけですよ。
みんなが紅茶飲んでるから紅茶っていうのは最もダメな答えとされるんですけれども、
なんといってもその方が現実世界では便利じゃないですか。
紅茶を入れる状態になっていて、そこに10人くらいいてパーティーとかホームパーティーとかで人いっぱい来ますから、
みんな紅茶を飲んでると、紅茶ならすぐ出ることは明らかで、
だから紅茶って日本人なら思うわけでしょう。
紅茶がダメとか、紅茶飲むと頭が痛くなるとかでなければね。
ところが、それではいけないんですよね。
なんかそれだと不審感をかってしまう。
自分が飲みたくて紅茶じゃないとダメなんですけれども、
なんかこう不意に、皆さん紅茶なら紅茶でって言っちゃうんですよ。
そうすると、それは良くないみたいに言われるんですよね。
私日本人だから、あなたいつもそうだみたいな、いらん説教をされてみたりですね。
だからコーヒーにしてやるとか言われて、いちいちすっごい時間かけてコーヒー入れてくれたこともあるんですよ。
今思い出したんだけど。
ああいうのもすっごい出るなりするんですよね。
いやもう早く飲みたいから。
なんかもう時間やだらかかって、自分のためだけにコーヒードリップでコーヒー入れて、
またこういうのをアメリカ人って妙に好む時があって、
すごい嬉しそうにそれをやるんでも、
本当にですね、不可解なストレスに悩むということがあったりしました。
で、お盆ばかるっていうのは2者関係以上が良い関係の時は確かに大変良いんですが、
当然いつもいつもそうではないですよね。
悪い関係というか関係がこじれた時に、どうしてもですね、恨みに転換していく。
アジャセ王は恨んだんですよ。
あれは小澤製作さんが作った話で、もともとのアジャセの話と違うと思うんですけど、
なんかこうですね、アジャセのお母さんがですね、
アジャセのお母さんはですね、つまり夫との間に王様ができない、子供ができないことに悩んでたんですね。
だんだん自分年取ってきて、このままじゃもうダメだと、
妃としての立場を失うということで、
なんかこう山の仙人とかに頼むと、
その仙人が代わりに自分が死ぬ時にあなたに見こもってあげるからっていう、
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自分の様子に自分が子供になってあげるからっていう、そういう言い方をするんですよ、確か。
大変面白い話だと思ったんですが、ところが沸き時はこれを待てないんですね。
この仙人早く死なねえかなと思い始めて殺しちゃうと。
そのためにですね、最後に殺される時になって、
その仙人がこういうことをしたからお前の子供になるけれど、
代わりに生まれた時に生まれた後で必ずお前の夫を殺すからなと言って死んでいくという話なんですね。
その予言の通り、あじゃせは生まれてきた後にお父さんを殺しちゃうんですが、
その途中でですね、思春期の悩みってやつが出てくるんですよ。
で、なんか自分すごい憂鬱になると。
なんでなんだろうと思うと思っているうちにですね、
例のあれですよ、仏陀裏切った大和だったっていう悪いやつが、
生まれの秘密、出生の秘密ってやつですね、
そういう仙人殺してお母さん悪いことをしたからあなたそんなに悩んでるんですよという余計なことを教えるわけですね。
この辺も非常に日本的とも言えなくもないなと思ったんですけど、
何しろ小沢さんが少しアレンジというか多文にアレンジしてますから。
で、この話ですっごい面白いと思うのはですね、
子供ってこういうことで悩むじゃないですか。
お母さんが仙人殺したとかそんなことはありえないんですけど、
つまりこれ、お母さんは子供を愛してないんですよ。
そもそも子供が欲しかったのは自分がお妃の立場を守るためじゃないですか。
しかも自分がだんだん女として魅力的でなくなったということを多分悩んでるわけですよね。
だから子供を何とかうまいこと作りたいんだけれども、
そのために焦って仙人殺したりまですると。
で、その仙人の予言がお父さん殺すような子供になるぞと言ってるにもかかわらず、
自分の立場のために生むと。
このお母さんが自分都合で自分を作ったということが許せないわけですよね、
アジア製からすれば。
でもこれは子供の勝手な言い分とも言えまして、
お母さんにはお母さんの事情があるわけじゃないですか。
自分への愛100%でなきゃいけないってことは、
この話実はすっごく現代的な話になってますよね。
つまりお母さんは夫以外との関係だって持ちたいかもしれないし、
自分のキャリアが大切とかいうのも当然だし、
つまり女としての幸せみたいな話に絡んできてるわけです。
で、アジア製王子は、でもそういうのは全部認められなくて、
21:00
いやいや、自分を愛してるから産むんじゃないとダメでしょうと、
そういうことを言ってるわけですね。
で、これってさっきの二者関係がうまくいってるときはいいんですよ。
あなたがラーメンが食べたいならラーメンですっていいんですよ。
これがすなわちアジア製が求めているものじゃないですか。
母性愛100%ってやつですよね。
あなたが生まれてくれば私はどうでもいいんですっていう風に
言ってほしいわけですよね。
でも、いやいや、私には私の事情があるから私は華麗にするって、
これが許せないわけですよね。
で、こうなってきたときに、こうなってきたときにっていうのは
カレーとラーメンならいいけれども、こじれることが起こります。
つまり、自分と相手は一体で同じように思ってると思ってたのに、
実はそうじゃなかったと。
相手は自分のことを結構どうでもいいと思っていて、
軽んじていたと。
言ったときに恨みの念が出てくる。
その恨みが、つまりアジア製の恨みなわけですよね。
最後それ許すんですけどね。
それも非常に日本的な流れなんです。
で、この種の恨みって私たちの国には超一般的というか
非常に一般的ですよね。
で、アメリカ人とか欧米の人が
そこを正しなさいってすぐ平気で言ってくるわけですよ。
他人は他人、自分は自分なんだから
もっと独立心を持ちなさいって平気で言ってくるわけですよ。
だけれども、それは彼らが他人の気持ちなどというものに
忖度しないという教育を徹底的に施されてきた成果であって、
最初にそうじゃないものを習いまくってきた僕らが
同じようにはできないんですよ。
やっぱり忖度しちゃうんわけですね。
忖度しておいて、そして忖度の失敗によって恨みを感じる。
だから私はここを共感で乗り切るのは絶対無理だとは言わないけど、
すっごい無理があるとは思うんですね。
よくあるじゃないですか。
最近そういう話ありましたが、
会社のために自分は一生懸命やると。
自分はもうどうなってもいいから。
とにかく会社のみんながプロジェクトうまくいって
充実感と達成を得られればいいんだ。
私はそのためにはいくらでも残業するし、
別にそんな残業代とかもいっぱい要求する気はない。
要するにお母さんが望んだことですよね。
このやり方で人の気持ちを押しはかって一生懸命やるんだけれども、
やっぱりここにはどこかですね。
だからわかってほしいというのがあるわけですよね。
つまり私たちが共感力を言うときはですね、
人の気持ちを共感するのはもうとっくにやってるから、
俺の気持ちも共感してほしいって話になりやすいと思うんですよ。
共感しましょうっていう話より、
共感されましょうの方向に向かっていくと思うんですね。
だって共感してばっかりいるんですから、
24:01
不意に気づくんですよ。
裏切られたと思ったときにむしろ気づくんですよ。
アジャセオウもそうだったわけじゃないですか。
お母さんが裏切ってたというふうに知ったときに、
それまではお母さんのために一生懸命言い大様になろうと頑張ってたり、
そういう人いっぱいいますよね、この国には。
私もそうでしたけれども多分。
自分が何をしたいかということよりも、
相手が何を望んでいるかということをお互いに押し量ることで
うまくやってきているわけだけれども、
実はこれを一生懸命やっても
相手はそれほどそれを大事だと思ってなかったということになると、
ひどく火がつくわけですよね。
盛り上がってしまう。
とんでもない話だと。
会社のためにこんなに尽くしてきたのに、
実は部長とか社長とかは、
そしてその後使い物にならなくなったら
リストラしようぐらいに考えていたと。
許せないということになるわけじゃないですか。
アジャセ王子があのお母さんを許せないということで、
やや殺しそうになるんですけど、
そういうことが起こるわけですよね。
つまり、俺がこんなに共感した以上、
相手ももっと共感するべきだという方向に、
日本の共感力って向かいやすいと思うんです。
これをアメリカでは全然言わないで済むんですよ。
なぜならば、
そんなこと誰も基本的には考えませんからね。
会社のためにというか、
会社と自分とは契約関係にある、
ちゃんと雇用契約に書いてあるから、
何時になったら帰れると。
それ以降に仕事をするなら、
1時間につき12ドルずつ支払うと、
ちゃんと書いてあると。
これ以外に何もないはずなわけですよ。
だから一生懸命やったから、
相手がもっとそれを評価するとか、
そういう話はですね、
もう全然ないわけではないんだけれども、
それが裏切られたことに
強いショックを受けて恨むとか、
そういうことは問題とほぼならないんですよね。
むしろ、
相手が大変だと思っているなら、
少しはそれに共感しましょうという方が、
断然役に立つ考えであるっていうぐらい、
共感というのは、
先頭には立たないというところがあるんですね。
共感と、
相手の気持ちを憶測したり忖度することは、
はっきり言ってイコールじゃないんですけど、
私たちのはやっぱりそこにこだわっちゃうんですよね。
我々は忖度をしているけど、
共感しなきゃいけないみたいな。
そういう難しいことを言い出すと、
あの種のアドバイスって、
すっごく役に立たないとむしろ思うんですよね。
そんなに複雑な話をしていないし、
例えばノンバーバルコミュニケーションのどこにも、
忖度みたいな概念って出てこないんですよ。
なぜなら多分、
彼らはそんなことをほぼ日常ではやらないんでね。
27:00
忖度に相当する英語ってなんだろうって考えると、
無理がありますからね、やっぱり。
エンパシーは共感であっても忖度とは程遠い。
こういう時にあれが出てくるんですよ。
つまり私が思うにですね、
共感しようとした相手の気持ちをいくら押し量っても、
私たちのこの一体からの恨みみたいな流れだと、
あんまり救われないなと思うんです。
だって私たちはもう分かってるわけじゃないですか。
実はね、会社がちょっと厳しくて経営厳しくて、
社長としては首切りたいと思ってる。
日本人っていうのは察しがいいから、
そういうのはすぐ分かっちゃうわけですよね。
だからここでますますアジャセ的になれるかっていうと、
現代ではちょっと難しいですよね。
昔の本ですよ。
そういうところでは、
例えばお父さんが浮気しても、
そういうこともあるでしょうけど、
みたいな感じのお母さんですよ。
これはもう今ではダメだと、
全然ナンセンスだってことになるじゃないですか。
非常にやっぱり、いわば先進化しましたから、
到底認められる話ではないと。
だからここまではアジャセ的じゃないんですよね、
私たちも既に。
そうするとますますですね、
一生懸命共感しなさいという言葉がですね、
全然違うコンテクストで言われているだけに、
一生懸命共感しなさいと日本人が言われると、
一生懸命利用される方向に進みなさいと言われているような気がして、
どんどん腹立つ方向にむしろなっていくんじゃないかと。
そうじゃないんですよね、たぶん。
ここがだからグッドワイブスっていうのは、
21世紀的だなと自分は思うんですけれども、
相手の気持ちを押し量るんではなくて、
相手が何を恐れているのかを考えるっていうのは、
こういう観点の切り替えがあるんだと思うんです。
リストラをするにしても、
一体だと思っていたのを裏切られるにしてもですね、
相手は何を恐れているんだろうと、
自分が何か理不尽なことをされたと思ったら、
相手の気持ちをただ押し量るんじゃなくて、
それは我々はできることですので、
たぶん分かってるんですよ、相手の気持ちだけだったらね。
そうじゃなくて、
さらにその奥にあるもの、つまり恐れと不安ですよね。
これを見に行こうっていうのは、
僕は非暴力コミュニケーションとか、
アメリカのHSPの本だとか、
いろんな本がありますが、
どれにもあんまりほぼ書いていないなと。
まず彼らにとって第一なのは、
我々にとっての第一じゃないものが、
すでに常識となってますからね。
自分がしたいことをする。
自分の気持ちがどうであるかを、
その都度その都度考える。
30:00
たぶん子供にこれをやっぱり教えないと、
アメリカであっても子供はですね、
親の気持ちを考えちゃうと思うんですよ。
そういうふうに、つまり、
誰がそう思ったのかとか、
どうしてそれを自分がしようと思ったのかというのが、
分からなくなっていくんだと思うんですね。
だからいちいちいろんな場面を捉えては、
そこにフォーカスを当てさせるわけですね。
私たちはそこにフォーカスを当てることに
全く慣れていないので、
すぐに周囲にフォーカスを当てることにしちゃうんですね。
で、うまくいってるときはいいんですが、
何か恐れと不安が、
例えば会社が傾きかけるとか、
このままこの人と一緒にいていいんだろうかという不安に駆られたり、
こいつ浮気してるんじゃないかという不安に駆られたりすると、
おかしな行動を取り始めると。
そのときに相手の気持ちを忖度しまくるとですね、
まずいいことはないと思うんですよ。
相手はこういう理由で自分を斬ろうとしているとか、
相手はこういう理由で自分から去ろうとしているとか、
そういう理由とか、そのときに起きている環境条件とか、
人間関係とかを読みに読んでいくのは、
僕らがだいたい得意とするところで、
そして泥沼にはまるじゃないですか。
で、深い恨みの念を残すと、
思いっきりアジャセコンプレックスのパターンにはまっていくんですよね。
これがかなり厳しいので、
しかも今みたいに、
人によっては人の気持ちより自分の気持ちが大事だと思う人も、
極めて多くなってきている時代にあっては、
これがだから先進家なんですけれどもね、
時代にあってはですね、
共感・共感・忖度・忖度でいくのは、
多分もううまくいかないんですよね。
で、恨みの念ばっかりになりやすいので、
このパターンだと特に忖度した側がですね、
非常にこう、なんていうんですかね、
わだかまりが残ってしまう。
だから、相手の恐れを取りにいくというところまで、
踏み込んでいるのではないかと思うんですね。
恐れを取られると、
全然考え方が変わっていきますので、
もうその姿勢を見せられただけでですね、
変わっていくんですよ。
なんか共感なんだか忖度なんだかわからないような、
心を読みに行かれてみてもですね、
嬉しくもなければ、
気も張れないし、
怖さがそもそも全然取れないですね。
むしろ俺の考え読まれないようにしようみたいに。
日本人ですからね。
読む能力はお互いに高いので、
そういうふうになっていっちゃうと思うんです。
こうしてお互いにバリアを張るみたいな形の方が、
共感という路線で、
共感は本当は違うんですよ。
徹底的に訓練を受けた人の共感というのは違うんだけども、
それとは違うんですよ。
私たちのって多分。
そういうのではないので、
33:00
その時に共感と言っているのは、
ものすごく自分の気持ちがはっきり分かっているという前提ですから。
非常にアメリカ的な何かですから。
自分が食べたいものとか、
自分が行きたいところとか、
完全にそこを見失うようなことは絶対ないみたいな人がやる共感なんで。
それと違いますからね、私たちのはきっと。
大体において、
それはもう、
ここは強調されすぎているとよく思うんですよね。
能力の問題なんですけれども、
本当に能力というのはやっぱり、
鍛えて伸びるものなんですよね。
一生懸命、いつもいつも、
どうでもいいこと、途中お話しした通り、
どうでもいいことについてまで考えているからこそ、
そこまで自我が立つんですよ。
いちいち主語に、
I、I、Iって言ってないと、
あるいはMeって言い続けてないと、
分かんなくなって、当然なんですね。
だってどっちでもいいわけですからね。
どっちでもいいじゃないですか。
バンにしますか、ライスにしますか。
日本では本当にどうでもいいもののように扱われやすいんですけど、
向こうは本当は責任を通っているわけですよ。
あなたはパンが食べたいんだと。
何としてもパンを食べさせるべく、
私たちを動かすみたいな、
そういうノリがあったりするんですよね。
だからチップ払ったりもしますよね。
すっごいある意味では、
めんどくさいわけです。
本当にもう、
アメリカでもあるんですけどね、
半分炊飯みたいな。
バーベキューとかカレーとか。
私、未だに二度とヘナには行きたくないって思っちゃうんですよ。
もうカレーをどう作るかのディスカッションみたいなのが、
長いというか、不毛というか。
僕の感覚ですけれどもね、これは。
日本人の感覚なんですよね。
話がまとまらないというか、
どうでもいいとみんなが言ってまとまらない話も、
途中した通りなんですけれども。
で、
恨みを残すわけですよ。
私たちのやり方っていうのは代わりに、
話はまとまりやすいけど、
実はあの時カレーにニンジン入れないで欲しかったとか、
後から言い出したりするじゃないですか。
ちょっと子供のワールドですけれどもね。
そういうことがあるので、
恐怖を取るっていうのがいいかなと。
これは単なる共感とはだいぶ違うなというか、
よくビジネス書で言われているような共感っていうのは、
多分出どころが、
そういう子がものすごくはっきり立っていて、
どんな細かいことにでもきっちりうるさいことを言うというような人が発揮していく共感なので、
僕らのそれとはきっと違うんで、
共感という名の忖度では多分自体は進展しないような気がします。
それではなくて、やっぱりこの恐怖を取る、恐怖を知るって感じですよね。
36:05
相手は恐怖を持っているっていうことを理解していくという感じなんです。
忖度ってそうではないですよね、明らかに。
相手の望みを押しはかるって感じじゃないですか。
究極的には相手の望みはそれから自由になることですけれども、
多分表面的にはそれは全く見えてこないと思うんです。
大体私たちはさっきの構造通り、何かを奪われそうになったり、
あるいは自分がエネルギーを投入してきたことが無駄だと言われそうになって初めて恐れを強烈に抱き始めるところがあるので、
最初から恐れを強く認識するっていうことはあんまりなく、
何となく物事が進んでおりますから、そこを見に行くというのは割と意欲的にならないとできないところがあるかなというふうにも思います。
37:08

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