2021-03-22 35:27

【GMV 343】ジゾイド人間にはGTDよりタスクシュートが向いている

同調的な引きこもりの前には深い悲しみがある
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。 4月の11日に、また第2回の、第1回とか第2回とかで繋がっているわけではありませんが、
えっと、ライブで赤入れというものをですね、 倉園圭三さんと主催するので、オンラインなんですね。
で、この、 えーっと、これはですね、文章書き上げ塾という現在3期になっている
本、書籍、執筆講座ですね、半年にわたるの中の、特に赤入れする部分だけをスピンアウトさせて作った講座でして、
大変ですね。 まあ、
言ってしまえばタメになると思います。
ブログとか書くという方もいらっしゃると思うんですが、
特に論文ですね、大学にお勤めで論文を書かなければいけないという方。
私、これが一番効くんじゃないかと最近思っております。
あの、まあ、あの、大学の先生とか、
準教授の方が文章が書けないってことはないんですよ。 ないと思うんです。
頭脳労働者ですしね。 ですが、別にだからといって文章を書く専門家とか、
文章を書くことを生業にしたいですとか、 あるいはそればっかり集中的にやってきました、という方ばっかりでもないと思うんですね。
で、書くことが頭の中にはっきりあって、しかもそれを普通に表現することはできると、
いうにも関わらずですね、例えばページ数としてそうですね、30ページ超になってくると、
というのをイメージするだけでも必ずしも簡単じゃないとか、 あるいはそもそもモチベーションが湧かないとか、あると思うんですよ。
というのは、そもそもなんですけど、これもう論文書くことだけをやってるわけではないので、多分ですね、
これはブログを書く方も同じですけど、ブログを書くことだけやってる人は今時そう滅多にいないと思うんですが、
じゃないので、他にもやらなきゃならないことがいっぱいある中でですね、
必ずしもそれをいついつまでにやらないと、すぐに成形に差し障るってわけでもないものに、
コミットするの結構大変だってことはあると思うんですよ。 そういうケースででも、この赤入れをしてもらうというのはですね、
とっても良いことというか、 コミットするのにとっても役に立ちます。
人に見てもらうということ自体がある意味難しいじゃないですか。 見てもらいたくないという面もあると思いますしね。
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その辺の矛盾がモチベーションを避けるんですよね。 本来論文というのは論文に限りませんで、文章というのは日記を除けば人に見てもらうことが目的ですが、
一方で見られたくないというのがある方もいらっしゃると思うんですよ。 見てみてって人もいると思うんですけどね。
で、見てみてって人はそれはそれでモチベーションを維持するのが実は難しくて、っていうのは見てくれるとも限らないじゃないですか。
ブログを書いたからといってですね。 みんなが喜んで見てくれるとも限らないので、そういう意味でもこの
赤い入れを推しする、クラドンさんは特にそうですが、 人は非常に集中的に真剣に読んでくれるっていうことがあります。
じゃなきゃ赤い入れできないですからね。
という方にもですね、非常におすすめなわけです。 結局この私も昨日も書き上げ塾に行ってきたんですけれども、行ってきたというか、
開催側として参加しているわけですけど、 自分が言いたいことを
言おうとして言えないということ自体の一つの文章書く上での ラストレーションになると思うんですよ。
ここを乗り越えるということ自体が、 一つのハードルでありモチベーションでもあると思うので、そういう面でもですね、
赤い入れの講座を受けてみていただくとよろしいんじゃないかと思います。 何らかの形で書きあぐねている文章があるという方は、
一度ご検討ください。 ということで、
今日はですね、ここのところずっと
訳あって考えることになっております、
タスクシュートというのかな。 タスクシュートですね、とりあえずはまず。
で、どうしてタスクシュートで自分は結構
自分のやるべきことだの生活が回っていったんだろうということと、
それをですね、今はかなりグッドバイブス寄せに
運用しているんですけれども、
自分が今どういう方向転換を
目指していて、 なんでそれをしなくちゃならない
くなったんだろうということを最近考えておるわけですね。
で、なんでうまく回るかというと、最近これも
ずっと前からこうなんだとは思ってたんですが、 そこを、それをあんまり言いたくなかったということもありまして、
認めずに来たところがあるんですけど、 タスクシュートというのは実はですね、実はということはないけど、
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うまくいくのは、 生活時間から入るからなんだろうなって思うんですね。
で、なぜこれを言いたくないかというと、 リストを見ていただくとすぐわかることなんですけど、
朝起きました。歯を磨きます。 散歩行きます。シャワー浴びます。
朝食準備をして、ご飯食べて、娘を学校に送ってから、 雨戸を開けて、目高に餌をやります。
このリストでは、ビジネス書では全然受けないんですよ。
まあその聞いていただけるとすぐわかるんですけど、 そういうのはいいから、もっと役に立つリストを出せって。
このまんまのことを言われたことはありませんが、 そういう、まあでもこれよりも辛辣なことを読者さんのレビューでは書かれますし、
編集さんにもまあまあ指摘は受けるんですよね。 もうちょっとなんとかならないのかと。
私はそれを当然そう言われるだろうなと思いつつもですね、 それじゃダメじゃないんだろうかってずっと思ってきてるんですね。
プロジェクトなんとか企画とか、そういうのがいいんですよね。 そういうのだけが出てくるリストにむしろしろよってことなんですよ。
せめて、なんだろうな、日報とか、メールチェックとか、でもやっぱりこう、 なんとかの打ち合わせ、取引先とのなんとかとか、
ミーティングとか、そういうふうにしてくださいってことですよね。 税務調査とか、そういう、なんて言うんですかね、要するに仕事ですよね。
仕事のリストにしろと。 ところが私はですね、これを
一つはですね、例えば、 イコールじゃないんですけど、GTDという有名なメソッドありますよね。
これについての解説はしませんが、 つまり、これを聞いている方は知っているというものと、
見なさせていただくか、後で調べてください的な、 ゲッティング・シングス・ダウンですね、デビッド・アレンの。
アレンをやると気になることを最初にリストアップするというのがあるんですよ。 気になることをリストアップしちゃうと、こういうのしか出てこないはずなんですよね。
特にその仕事が出てきがちであり、 かつ仕事の中でも気になっている仕事ですよ。
つまり、アレでつかずにいてヤバいなとか思っているやつですよ。 それが出てくるわけじゃないですか。
まあまあ聴触とか出てくるはずがないんですよね。 僕は第一歩としての大きな違い、タスクシュートとGTDの大きな違いは、
真っ先に出てくるものが、おそらくタスクシュートの場合は、 容易にというのが、いつもやっている容易にできることがどんどん出てくる。
GTDの場合おそらく、普段やっていない、 なかなか手がけられないことがどんどん出てくるはずなんですよ。
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タスクシュートが回りやすい理由の一つとして、 これがあると思っているんですね。
いつもやっている、繰り返しやってきた
簡単にできることがどんどんリストアップされればですね、 そのリストが実行できるのは当たり前じゃないですか。
でもこれがね、なかなか大事なことで、 逆をやろうとすると当然そのリストはいつまでたっても動かないリストになりますよね。
私はあのハードルがあるはずだと思っているんですよ。 GTDには。
で、これをハードルと感じるということの理由を、 まず私は考えたいと思うようになったんですね。
これはGood Vibesの強い影響です。
Good Vibesにも仕事に関しては、 仕事に関してだけじゃないんですが、
依頼されたことは依頼主のため、お客さんだったりするわけですけど、 ために、ためにでもないですけど依頼主に向かってですね、
本気でやりましょうとか、全力でやりましょうとか、 あえてお客さんということを言わないにしても、
とにかく依頼されたことを全力でやると。 ここにアレルギーがあるはずだと、少なくともアレルギーのある人はいるはずだと思っているんですね。
いなければGTDで気になることのリストが、 そもそもそんなに出てくるはずがない。
でも大体の人が、特にGTDとかに携わるような人はですね、 5万と出てきちゃうと。
それは、その中には僕は気にしなくていいものがいっぱい含まれているはずだとか、 いろんな話があるんですが、それにしても5万と出てくるわけですよね。
つまり、もうアレ本当にまずいのになぁと日々思っているのに、 全く手をつけずにきたプロジェクトXみたいなのがあると。
これはですね、はっきり言ってしまえば、 グッドバイブスもGTDもタスクシュートもないんですよ。
だってこれらの、このずっと頭に引っかかっているプロジェクトXがですね、 気になることリストを洗い出すまで出てこないなんてことはありえないじゃないですか。
いつもいつももう、頭の片隅にあって嫌だなぁと思っていると思うんですよね。
で、タスクシュートだって同じですよ。
このリスト、このタスクにはいずれ必ずぶつからなければいけないはずですよね。
やらなくてもいいんだったら、そんなものが気になるはずないですし。
そしてですね、グッドバイブスで言うまでもなく、 このようなものは実は全力で本気で取り組むしかないと思うんですね。
片手間にやって終わるぐらいなら、もう終わっているじゃないですか、そんなのは。
自分がどうしてもアレをやんだけど、それが不思議なもので、 割とどうってことないことのようなものもあったりもしますけどね。
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何にしてもそれを手掛けるのが嫌だと。
でですね、先週あたりから、もっと前からかな、チラホラ言っている、こう、ジゾイド人間っていうのを、
私はこれは実は最初に知ったのは和田英樹さんという、 数学アンキダで有名だった、現在精神科医やってらっしゃるのかな、
本いっぱい書かれている方の本で知った言葉なんですけど、
お好みさんという人が実際には多分作った用語ですね、ジゾイド人間。
で、私思うに、これはお好みさんが書いているまんまですが、 日本人はみんなジゾイド化しているはずなんですね。
そうじゃない人もいますよ。
でも、この話って、ジゾイド人間という性格のタイプがありますって話ではないんですよ。
ジゾイド人間になることは、もう適応の一つの形式であって、 嫌でも大でもジゾイド人間になるしかないんだって話をこれしてるんですよ。
それは結構大変なことなんですよって話を彼は書いてるんですよ。
私たちはいろんなタイプがいます。
それこそこう、うつうつとしがちな人もいれば、楽観的な人もいますし、
それこそ、そもそも分裂気味、これがジゾイドって言葉なんですけど、
この分裂気味の人がますます分裂気味になるとか、そういう話をしてるんではなく、
分裂も欲うつも、これの二つは違うんですよ。
分裂も欲うつも、楽観的な人も悲観的な人も、いろんな人いますが、
みんな揃ってジゾイド化していくしかなくなったんだぞっていう話をしてるんですよ。
で、必ずしもそれは、いわゆる今までの分裂消失とも違うんだよっていう話もしてるんですね。
で、このジゾイド人間っていろんな特徴を、ある意味思いつきで特徴を当てていくということになるんじゃないかみたいな、
そういう批判はあると思うんですけど、一つにはモチベーションが低いというのがあり。
何でかというと、反動難題ですよ、これ多分。
グッドバイブスで倉園恵都さんがよく言うところの、よくは最近言ってないかもですが、
カプセルの中に入るっていうのがあるんですね。
私たちの生活はそういうことがどんどん可能になってるし、どんどん可能にするようにしてきてます。
ワンクリックでAmazonから物が届けば、苦に困らないじゃないですか。
今ではお掃除するとか、お風呂洗ってくれるというサービスのお金さえ出せばやってくれます。
つまり、引きこもって快適に生きていけるレベルをどんどん上げているんですね。
で、倉園さんがカプセルと言ったのはそういうことだと思うんですが、
要するに人と極力関わらないと。
アレックスさんに言っとけば済むんだったらですね、奥さんに言うのとアレックスさんに言うのとは心理的にハードルが全然違いますからね。
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アレックスさんが怒ったり嫌だと言ったりすることはないわけじゃないですか、基本的に。
お金さえあれば、あれが便利なのは間違いないところがあるわけです。
これがね、奥さんだったらあれ買っといてって言った途端に怒られる可能性だってあるわけですからね。
アレックスさんだったら、それが2個目だろうと10個目だろうといらないものだろうと関係ないですよね。
それによって機嫌を損ねるとかはあり得ないわけです。
これが大きな理由ですね。
人々が自然移動化する。
どんどんアレックスさんを使う方向へ向かうように世の中は作られている面があるので、
ああいうの嫌いだって言う人も全く使わないのは難しくなっていくわけですよ。
スマホも全く使わずに、インターネットもせずに、今の世の中で生きていくのは結構難しくなっていくと思います。
今後ますます普通に考えれば、それが絶やすくなっていくとは思えないんですよね。
それに便利ですから、大体の人は強い抵抗を示すことなくこっち方面に行くと。
人との付き合いは面倒くさいじゃないですか。
よく言われている通り、人間関係は面倒くさいと。
この人間関係は面倒くさいというのが、ごく自然に軽く言われているレベルとはちょっと違って、
日本人が特にジゾイド化しやすい一つの重要な理由として、
二度裏切られているというような話があるんですよ。
お好みさんが書くにはですね。
一度は敗戦で裏切られたと。
つまり、他人のためとか、組織のためとか、もっと言うと国家のためとかに一生懸命になって、
一生懸命やれば絶対に報われるからっていう約束をしちゃったんですよね。
もう僕らの世代の話ではないですよ。
僕らの上の世代ぐらいですよね。
一生懸命やればいいことあるからと。
とにかく死ぬ気でっていうか、死にましょうくらいな勢いだったと。
で、それをやって、散々やって、とことんやって、特攻とかまでして、
ダメでしたと。
ここで対象喪失が起きたというのがお好みさんの書き方なんです。
みんなで一斉に鬱になるわけですね。
欲鬱症が出るわけです。
対象というのはつまり素晴らしいものですよね。
素晴らしいもののためにやってたんだけど、素晴らしいものが裏切ったと。
亡くなってしまったということですよね、素晴らしかったはずのものが。
帝国ですよね。
それでみんな対象が亡くなるとがっかりするわけですよ。
私で言えばうちの娘ですよね、対象。
対象喪失というのはなぜか娘が先に私に対して先立つと。
こうすると対象喪失が起こりがっかりするわけです。
これが国民規模で起きたのが一環目。
で、二回目はそれを上の世代がですね、国家とかにとことんやるのは対象喪失の下でひどいことになるからということで、
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そういうことを下の世代に伝えたわけじゃないですか。
こういうことをやるのは馬鹿馬鹿しいよということを伝えたと。
そこで今度次の世代はこれを会社にしたんだという話があって、
会社という素晴らしいもののためにみんな一生懸命頑張ると。
とことんのめり込むということ。
これがよく現在ホモソーシャルという表現を使われてフェミニズムから攻撃を受けてるんですけど、
私はホモソーシャルという言葉を読んで非常にある種の感銘を受けたんですよ。
ああ、なるほどなぁと思ったんですよ。
パッとやっぱり思い出すのは大相撲かなぁみたいな感じ。
で、女人均生観があるじゃないですか。
あるいはやっぱり悪行浪士の打ち入りですかね。
やっぱり女人均生観は別にないんですけど、
そこに女性が入ってるっていうイメージはかけようがないところはありますよね。
別に入りたい人は思わないと思うんですけどね。
つまり、男の同性愛的世界。
肉体関係みたいなのはなく、ひたすら精神的にお互いが愛し合うと。
そしてお互いの達成のために涙を流すと。
なんかそういう世界って確かにありますよね。
私は子供の頃からそれがなぜか苦手で、ややね。
なぜか苦手な男の人って結構いると思うんですけど、なぜか苦手で。
どうしても入りきれないなっていうものがあったんですよ。
ホモソーシャルって言われてしまうとちょっと抵抗感を感じますけれども、
その言葉は結構強い言葉で、
多分やっぱり女性は結構怒ってるんだなって思うんですよね。
特殊な世界を築きうるものなんですよ。
あんまり指摘されないんですけれども、不祥事とか起きた時に、
時々話題になりますが、大相撲の世界って大変独特ですよね。
まずトップから下まで全てが大相撲さんで構成されてるじゃないですか。
純度高くて非常に良い面もあるんでしょうけれども、
他にあの種の世界って僕は一つもないんじゃないかと思ってるんですよ。
一つでもあったら何らかの形で教えていただくと嬉しいんですけど、
私が考えるに、例えば野球って全然違いますよね。
監督ぐらいまでだと思うんですよ。野球選手だけで構成されているのって。
球団職員さんとかコミッショナーとか、全然元プロ野球選手でも何でもなかったりしますよね。
これごく普通に体内の組織ってそういう感じがするんですよね。
だいたい経営者、社長、そして社員、全部が同じところから来てます。
来てる人ですっていう大組織ってあんまりないんじゃないんでしょうかね。
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わかんないですけど。
いわゆる政治の世界でも全部国会議員は官僚だとかいうことってあり得ないですし、
その官僚の方が国会議員になる方は当然あると思うんですけれども、
相撲さんの社会はすごい徹底していますよね。
ある意味、両地さんは相撲さんじゃなかったのかなと思うんですけれども、
とにかく助人の人から、いわゆる野球でいうコミッショナーに至るまで、
理事も全部そうですよね。
だからある意味横綱審議委員会という独特の雰囲気が持たれるんだと思うんですよ。
あそこだけお相撲さんじゃない人たちが横綱に関する限り口を出せるという組織を、
でもあれは後から作った組織ですけど、
なんか不思議な組織って感じがいっつも相撲を見ているとするんですよね。
あそこにだけ女性も入っているんですよ。
だからお上さんみたいな人もいるんですけど、この辺ですよね。
フェミニズム的に非常に許しがたく見えるところがあるとするとですね、
お上さんみたいな形でしかそこには参加することができないというような、
男性同性愛的世界みたいな。
これを男性同性愛としてはっきり指摘したのは、
多分僕はどいたけおさんが最初なんじゃないかな、最初じゃないかもしれないけれども、
一番読まれている本の中では多分彼だなって気がするんですよ。
その中で夏目漱石の心を取り上げて、
男子同性愛というものがどれくらい危険なものなのかというのを、
実技工をうまく表現しているというような分析されています。
危険かどうかは分からないですけれども、
要するにこれをジゾイド人間は避けたという感じがするんですよ。
というふうにお好みさんは書いているんですね。
ジゾイド人間は結局これにも裏切られて嫌になっちゃった人たちだと。
第三世代ですね。
会社のために一生懸命尽くせば悪いようにはしないからという話だったはずなのに、
就寝雇用じゃなくなるし、いざリストラになったら首切ることもするし、
すっごいその会社を愛していたんだけど、
意外と会社は自分を愛していないということに気づいて、
部署でも要するに人間関係なんですよね、そこにあるのは。
もちろん男同士の飲みに行ったりして、
すっごくわきあいあいとやっていたはずなのに、
気がつくと周りがコンピューターばかりになっていて、
よく話も通じないような人になっていて、
女性もどんどん入ってきて、
自分は急に寂しくなるみたいな、
そういうお好みさんが見てきたクライアントさん、患者さんの中には
そういう人結構いらっしゃったんだと思います。
やっぱり非常に目に見えて対象喪失で、
24:03
よくつく敵になっていくと。
家にいても居場所がないと。
奥さんは要するに、奥様は、
よくこれもフェミニズムの批判対象になりますが、
お母さんになってしまうんですね。
そうするとそれがみんながみんな嬉しいかというと、
そんなことはないんですよ。
多分この会社に行ってた人は、
家に帰ると子供扱いされてしまう。
家に行けば子供になっちゃうし、
会社に行けば行ったで、
所在がない上に周りは機械ばっかりになってきたということで、
急速に鬱になっていくというような話が出てくるんですね。
これも結局バカバカしいよねということになり、
この次の世代はモチベーションが低下していると、
なるべくコミットをどこにもしないよという生き方を目指すと。
そこにたまたまアレクサも登場するので、
なるべくどこにもコミットせず、
なるべく誰にもコミットしなくても、
生きていくことは不可能じゃなくなってきたというか、
むしろ快適じゃないかということになって、
急にジゾイド化が進んでいくという話を書いている本です。
ジゾイド人間という本は。
彼はカプセルという表現ではなく、
UFOという表現なんですけど、
同じようなものですね。
その中に入っていると快適ですと。
いろんなことも機械がバッチリやってくれますと。
同調的引きこもりという表現も使うんですよね。
人との関係もあるので、
人との関係のときは仮面でくぐり抜けると。
いかにも会社員ぽく愛想よく振る舞っているんだけど、
そのとき自分は出さないと。
近所付き合いをするときも、
それこそ学校でPTAとかに行くときも、
絶対にコミットはしない。
表面的には決して戦わない。
戦うメリットないですから戦わないんだけど、
とにかくコミットはしないと。
この種の人々が一番恐れていて、
前の世代と極端に違うのは、
出世というものをすごく嫌うという話が書いてあるんですね。
出世させられるのはたまったものじゃないので、
つまりコミットさせられるということになりますから、
極力出世を避けることで、
同調的に引きこもっていられる。
つまり同調はしてるんですけど、
同調してるのは仮の人格なんですよね。
どこに行っても仮の人格があって、
昔ラクター合唱を取った平野圭一郎さんが、
文人って書いたのと非常に似てると思うんですけど、
やっぱり私は文人と言っちゃってもいいかもしれませんけど、
そこはペルソナっていう方が近いんじゃないかという感じはしますね。
仮面という感じがします。
仮面をつけてるわけですよ。
自分の素顔は絶対さらさないと。
素顔になれるのはUFOに戻った時なわけですよ。
UFOに戻った時は素顔になってですね、
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2.5次元くらいかな、異星とイチャイチャしたりして、
幸せに過ごすと。
非常に合理的な選択ではあると。
で、話がすごい壮大に回り道してきてるんですけども、
だからタスクシュートはうまくいくんじゃないかってまず思ったんです。
これが私の中で結構あるんですよ。
このような人にGTDが向くとは思えない。
GTDはアングロサクソン初だから、何かあると思うんですよね、そこには。
気になることに向かっていける、何か日本人的ではない理由が、
多分前の世代のフェミニズムにホモソーシャルと呼ばれていた人々であれば、
そういうことを言わなくてもいいんですけど、
体育会計的でスクラム組んでいくぞみたいな人たちであれば、
GTDいけると思うんですよ。
つまりあれってハードルが高いことのリストじゃないですか。
サムデイリストっていうのもありますけれども、
サムデイにしたくないっていうことを多くの方が言うわけですよね。
それはどういうことかというと、やりたいこととはちょっと違うと思うんですよ。
やった方がいいみたいな、そういう独特の個人主義。
七つの習慣という本もありましたが、人格主義みたいな感じで、
とにかく取り組んでいって立心主戦を目指すぞみたいな、
そういうですね、一世代前的な何かが感じられるし、
そうじゃないとそのリストのハードルが高すぎて、
ついていけない感じがするんですよね。
結局それは見るたびに抵抗感を感じて、
放置されるしかないんではないかと。
放置されてきたものリストじゃないですか。
気になることリストなどというものは。
地沿いの人間向きだとは思えないんですよね。
地沿いの人間というのはなるべくコミットせずに、
同調的に引きこもっていたいというわけですよね。
ここにあるのはどういうことかというと、
とことん詰めていくとですね、
二度裏切られているということを考えてもそうなんですけれども、
恐れているんだとやっぱり思うんですよ。
自分はというのかな、個人というのは無力なものであって、
そういうふうに組織にとことんのめり込んでも、
いいように使われて放置されるだけだから、
現に我々はそうされてきたんだぞという話を、
二世代続けてしてきているわけじゃないですか。
賢く立ち回るためには、賢く立ち回るということは、
決して強者の戦略じゃないと思うんですよね。
そういうことであるならば、
UFOの中で気ままにやりたいということなんだからですね。
そんなにガッツリしたリストがどーんと来たのでは困ると思うんですよ。
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私が思うに、ところがこのUFOの中の生活にはですね、
ある種の難しさがあって、
というのはつまり規制されることが何にもないわけですから、
一方の違うとですね、
なんでこれずっとやっているんだろうということを、
ずっとやっちゃったりすると思うんですよ。
ツイッターを見るとか、
いかにもUFOの中でやるには向いている感じじゃないですか。
ずっとツイッターをやるとか、
ずっとあつ森やるとかになっちゃうと思うんですよ。
だからそれをですね、タスクシュートというものは、
なんとか独特のやり方でマネージメントしてくれる、
それがうまくいった理由かなと思っております。
基本的には一番基礎的な生活のことをつぶさに記録していって、
これだけは最低、繰り返しちゃんとやっていこうねみたいな、
そういうニュアンスが生まれてくるんですね。
毎日やっていることだし、
例えばUFOの中でもやらないでは済まないことなんですよ。
まず出てくるのは絶対に食事とか、
お風呂はギリギリスキップできるんですけど、
なるべくしないほうがいいですよね。
お風呂とか睡眠はもう絶対じゃないですか。
そのリズムがどんなに狂っていようと、
それはとりあえず関係ないんですよ。
とりあえずそれをしていると、
それが記録に残っていくと。
そういうふうにしていくことの繰り返しの中で、
例えば何にも仕事をしなかったとしても、
完璧に引きこもっちゃったとしても、
これだけは生物として残るというものが、
残っていくリスト。
これを何度も何度も眺めていって、
記録を続けていくうちにですね、
自分は少なくとも生きているんだなということをですね、
何て言うんですかね、
叩き込んでくるんですよね、あのリストは。
不思議と。
僕、これがですね、
GTDよりは私たちのような時代の人間には向いていると思っているんです。
結局いろんな意味で同調的にみんなが引きこもるということは、
みんなの関係が断ち切られていくということだって、
そこに独特の怖さがあると思うんですけれども、
そうだとしても、
自分はここでちゃんと存在して生きていますと、
というふうに繰り返し繰り返しですね、
再確認して再確認して、
私それに近い感じというのをですね、
一番最初にタスク集といったときに実感したんですね。
今ではもう亡くなってしまいましたが、
朝霞の家で実家で両親と暮らしていて、
仕事は一応大橋泰三さんとしていたんですけれども、
本当に一個していればいい方で大変暇だったわけですよ。
その中で繰り返し繰り返し、
基礎生活なことは確かにするんだ、
自分は確かに生きているんだなという感じ、
あれを使って持ってたんですね。
そのうちに、
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だんだん外に出ていけるようになるんですよ。
まともとそれで、
僕は引きこもっていたわけではないんですけど、
でももう心理的にはかなり引きこもっているようなもんだったんですね。
それがだんだんだんだん、
別に素顔でも外に行くことができるんじゃないかなという感じをあれでもった。
その前にGTDやってた時代もあったんですけど、
やっぱりリストに圧倒されてしまうんですね。
そして別にこんなことしなくてもいいやっていう風にしか思えないわけですよ。
コミットしないもののために全力尽くさないじゃないですか。
コミットしない会社のプロジェクトX、
どうしても頭に引っかかっているってなったら、
引きこもってしまえばいいわけですよね。
ここにジゾイド的な発想っていうのがあるわけですよ、やっぱり。
それにどこまでも関わっていなくても別にいいんじゃないかっていう感じを抱いちゃう。
そういうところがありました。
というか非常に僕はそういうのが強かったわけです。
30代の前半の頃、20代の後半の頃はですね、
もうジゾイド感まっしぐらいって感じだったんですよ。
ただタスクシュートで抜けるわけじゃないんですけれども、
やっぱりちょっと違うんですよね。
何にもできなくてもこれだけはやる。
それをしないと死んじゃいますからね。
それを私はやらずにはおけないことっていう表現を取ったんですよ。
これがやっぱりいわゆるタスク管理には出てこないんだよなと。
やらざるを得ないことをやらないと死んでしまうようなことですよ。
社会人生活は諦めなければならないようなこと。
やっぱり諦めきれないんですよね。
きれないから散髪したりお風呂に入ったりするわけじゃないですか。
完全に諦めちゃうんだったらそれすらやんなくていいんですよ。
こういうところに独特の欲うつ感。
その時うつうつとしていた記憶はないけれど、
欲うつ感っていうのが現れてはくるんですよ。
そこからなんですよね。
そこからもう10年経っちゃいましたけど、
ずっと割とジゾイド主義で、主義じゃないですけど、
そういうイデオロギーでやってきたんですけど、
そこからグッドバイブスに移行しているっていうのが
現在一なんだなって感じを持ってます。
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