2021-06-28 29:43

【GMV405】なんでも表面的にして自分守る生き方

躁的防衛の話をしました
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
最初って悩むんですよね、月曜の朝というのは。
やっぱり2日明けてしまうからなんだと思うんですけど、
なんかもうどんな話もしちゃったんじゃないかみたいな気が…
あ、えっとですね。
プラザの刑事さんとYouTubeでぶっちゃけ相談というのをやっています。
これは、これ聞いている方はご存知の方が多いと思うんですけど、
動画でグッドバイブスがテーマになっていて、
なんかお悩み相談とか質問とか疑問が生じたらですね、
専用のフォームがあるのでそこから投稿していただくとですね、
それについて2人でお答えするという番組で、
無料視聴ができてどなたでも投稿いただけますんで、
投稿がなくなるとですね、なくなってしまう。
まあ、なくなることはないんですが、休止してしまうので、
よろしければ投稿いただけると嬉しいです。
あとですね、よろしければYouTubeチャンネルに登録していただけると、
まもなく400という足し、ちょっと今最近確認してないんですけど、
もしかすると400いってるかもしれませんが、大体その辺なんですね。
ちょうどこの関係ないですが、
グッドモーニングバイブスの回とほぼ同じような数字になっていて、
目指しているのは1000なんですよ。
1000という数字には一応YouTube的に意味があって、
遠いですけどね、まだね。
でも最初の頃に比べればだいぶ現実味を帯びてきた気もしますんで、
よろしければ、これを聞いている全ての方がYouTube登録していただければ、
一気にいくんじゃないかっていう気もしますんで、
よろしければいろいろご参加いただければと思います。
久しぶりに装的防衛っていう話をしようと思ってたんですよ。
マニックディフェンスって言うんですけどね、
そうだな、やっぱりだいぶ一時やたら話題にしていた、
ドコンジョガエルの娘の、ドコンジョガエルを描いた人、
あの人の態度が非常にやっぱり装的防衛というか、
ドコンジョガエルの態度が非常に装的防衛としてよく描かれているなと思いました。
要するに関係を破壊しちゃうということによって、
なんていうんですかね、一種の開き直りなんですけれども、
関係って何か要求されることになるじゃないですか。
ちょっと我慢しなきゃならないことっていろいろ人間関係はあらざるを得ないと言いますか、
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絶対ありますよね。
そういうのに対して基本我慢ができないと。
だから我慢するくらいなら関係を断ち切っちゃうと。
俺は別に一人でも平気だからっていうセリフをですね、
口癖のように言うというのが装的防衛っていうやつなんですね。
元気に見せかけてっていうのも変なんですけど、
元気だよっていう態度で自分を守っていくと。
もちろんこれ一番最初はですね、
お母さんとの関係から来るんだと。
両親との関係ですね。
俺は親なんかいなくても大丈夫だからっていう態度から
一番最初は来てると思うんですね。
一番最初、さらにその前に遡ると、
つまり親がいないとダメなのかどうなのかすら検討できない状態。
これをフロイト派の一番弟子のメラニー・クラインさんが
妄想分裂ポジションと名付けたんですね。
分裂ポジションというのを最初に考え出したのは
この人じゃなくてフェアバーンっていう人だと思うんですけど、
そこに妄想をくっつけて、妄想分裂ポジションと。
これは要するにですね、頭が妄想でいっぱいなんですけども、
しょうがないんですよ。ゼロ歳とかその辺の人たちの話なんですよ。
その人たちっていうのはまだ分かんないですよね。
言葉も何もないじゃないですか。
だから言ってみれば妖怪屋敷みたいな感じなんですね。
この妖怪屋敷の妖怪みたいなのを内的対象と、
全部お母さんだと思うんですけど、
呼んだんですけどね、内的対象と。
内的対象って言葉はこの番組でも盛んに出したことがあるんですけど、
多分間違ったことを喋っていた可能性も結構あります。
この番組の言葉をですね、
特に精神分析に関する話を全部教科書的に受け止めないでください。
難しいんで精神分析ってやっぱり。
しかもかつ私は専門家じゃないんで、
本読みました人間なんでですね、
これはそういうのの正しさみたいなものは保証できませんから、
そういうものなんだなぐらいに思っといて、
がっつり調べたくなったら、
用語辞典みたいなのを引いていただいた方が確実です。
ただ別に間違って知っていたからといって、
大問題になるかというとそういうものでもないような気がするんですよ。
なぜかというと精神分析って今正式科目的に扱われてないじゃないですか。
高校までではフロイトの名前はもちろん習いますけど、
ほぼ何も教科書に出てこない世界だと思うんですね。
精神分析そこら辺でやっているかというと本当にわずかなんですよ。
ほとんどの人は一生縁がないぐらいな感じだと思うんで、
内的対象を間違って認識していたからといって、
これといって困ったことは起こらないんじゃないかと思わなくもないです。
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という感じですね。
これ言い訳みたいなもんですが。
何が内的対象かというとお母さんだと思うんです。
お母さんという言葉もないのにお母さんを認識しているじゃないですか。
ゼロ歳児談というのは。
お母さんという言葉も知らないままお母さん体験がどんどん蓄積されると。
人によってはすごい起伏の激しいお母さんだっていらっしゃるわけですよ。
すごい優しくしてくれたり、めちゃくちゃ怖かったりね。
その波がものすごい激しいお母さんをお母さんの体験で
言ってみれば妖怪屋敷みたいになると思うんですね。
このことを上手に描けている人たちが、やっぱり童話作家ってものだったと思うんですよ。
昔話に出てくる、得体の知れない連中と、
プラス、知り滅裂というか、
知り滅裂というか、
知り滅裂と言えるストーリー、
あれは全て、そういう観点から見たときの対象ってやつだなと思うんですよ。
これを内的対象と言っているんだと思うんです。
名付けられないってことですね。
名付けようもないみたいな感じ。
何でもあり。
ありそうなことなら、つまり心に浮かびそうなことなら
何でもありになってしまう。
なぜかというと、
なんでもアリになってしまう。
なぜかというと、たぶん自分の空想と現実との区別が全くついてないからだと思うんですね。
おっぱい飲んでるっていうのだって、認識ない、言葉もない。
で、そういう体験があった時に、その子が夢をもし見たらですね、
夢の出来事なのか、現実の出来事なのかの区別もないですよね。
だからなんでもアリになってしまう。
そういう世界なんだと思うんです。
で、そういう世界でとっても恐ろしい体験をすると、
これを悪いおっぱいって言うんだけど、名称がほんとはないわけですよね。
なんかとてつもなく酷い目にあったみたいな。
で、一方ですごくいいことも起こるわけですよね。
これをいいおっぱいって言うんだけど、これも名称はほんとはないはずなんですよね。
ただ、とてつもなく素晴らしいことが起きたと。
そういう夢を見てるんだか、現実認識をして、現実なのかも全く区別がつかないまま、
自分に食べ物を差し出してくれてる人がいるという認識もかなりあやふやなまま、
そういう対象を認識していくという、そういう世界に生きていると。
やっぱり人間、生き物なんで一番問題になってくるのは、いいか悪いかだと思うんですよ。
これがその、僕がもうね、グッドバイブスで言う、意味付けの原点みたいなもんだと思うんですけど。
まあ、こういうことを勝手に言っちゃってるんですけどね。
とにかくその何的対象っていうのがあって、すごい良いこととすごい悪いことがそこで起こるわけですよね。
で、ここまで自分の精神年齢が戻ってきてしまったらですね、私は完全に妄想分裂ポジションに入ると思うんです。
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ちょっと他の人から見ると、あの人ちょっと今精神的にヤバいんじゃないかって感じがするんだと思うんですよ。
あの、良いおっぱいも悪いおっぱいも、良いお母さんも悪いお母さんも、二人いるわけじゃないんですよね。
えーと、優しいおばあさんがいました。鬼ババに襲われましたみたいな話が昔話ではドーンと出てきますけど、あれだと思うんですよ。
あれは二者になってるけど、幼児の心の中では多分二者になっちゃってるなと思うんですよね。
だからスプリッティングとかって言うんだと思うんです。
分けるっていう。分裂させてしまう。分裂ですよね、要するに。分裂ポジションの。
どんどん分裂していくんですよ。
それは、私のお母さんだから良くなったり悪くなったりするわけじゃないですか。
客観的に見ればですね、そういう視点はゼロ歳児にとれっこないですけど、私のお母さんだから私にとって良い、私にとって悪いっていう出来事が起こるわけですよね。
他の人にとってはいいも悪いも別にどっちでもいいわけですからね。
そういうふうに認識できるようになるまでは、やっぱり1年、2年は絶対必要だと思うんですよ。
これをクラインは分裂ポジションから抑鬱ポジション、抑鬱ポジションって変な名前で、理由はあるんですけど、歴史的ポジションというふうに今呼んだりもしてますよね。
要するに時系列が発生。時系列ってやっぱり私ってものがいなければ意味を出さないはずなんですよね、本当は。
私にとってどうであると、私にとってこうであると、それは時間によって変化するので、何が私にとって良い、何が私にとって悪いって、それは一貫性があるから同一なんですよね。
なんていうのかな、お母さんは2人いると思ってたわけじゃないんでしょうけど、1人だという認識ができない以上、時間という概念がまだないお母さんにとってはいいことがドーンと起きて、悪いことがドーンと起きれば、それは別々のものとしてまず認識されるしかないと。
それが統合されていくというのは、時間ってものがこの世にあるからだっていう概念が何らかの形で意識されないと、どうにも統合の作業がないわけですよね。
登場するたびにその人は別人になってしまう、そういう病気はあるんですけどね、実際に。
で、とにかく人というのはそういう妄想分裂ポジションから始まるんですけれどもみんな、いずれ抑鬱ポジションという歴史的ポジションというものも獲得していくと。
私たちはほぼほぼ歴史的ポジションに一応生きてるんですが、頻繁に妄想分裂ポジションに入っちゃいますよね。
特に何かが起こると、そういうことになりやすいと思うんです。
普通の人が一番認識しているのは恋愛とかだと思うんですよね。
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あるいは恋人とか夫婦とめちゃくちゃ喧嘩すると、妄想分裂ポジションみたいなところに行くしかなくなるというか、行っちゃうんだと思うんです。
歴史的ポジション、そういうところで振りかざされることごと、腹立たしいことって大概の人はないじゃないですか。
よく昔のお母さんが言ってた、あんた誰に育てられたと思ってるのってやつですよ。
これ歴史的ですよね。
つまり、過去の戦であんたは私に従うことになっているんだから、黙って従えっていうことなんですけど、これは過去の戦ってものを持ち出しているわけですね、そこに。
だけども、そんなの知ったことじゃないって言うじゃないですか。
これ妄想分裂ポジションですよね。
要するにその時起こったことが、いいか悪いかが全部であって、そこに歴史的経緯とかを持ち込まなくて、好きなようにできるということですよね。
要するに統合されてないということですよね。
これ、関係を破壊するときに実はよく使うじゃないですか。
問題なのは、歴史的ポジション、妄想分裂ポジションっていうのは入っちゃうものなんだけど、意図的に使うとこれを創的防衛って言うんだと思うんですよ。
妄想分裂ポジションに私たちは入っちゃうんですよね。
ストーキングとかいう行為は完全にそれですね。
歴史的経緯というものがあるわけじゃないですか、そこには。
例えば、もう別れちゃったとか、歴史的経緯ですよね、しょうがないという。
だけれども、そういう歴史的経緯は無視すると、私とあなたは恋人なんだということにしちゃうと。
それは赤ちゃんがなんでおっぱいを吸えるんだろうとか、考えずに吸うっていうのとよく似た状態にあって、歴史的経緯とかは関係ないですよね。
そんなことを意識する赤ちゃんはいないはずなんですよ。
だから、すごく欲してくれたお母さんでも気に入らないとガンガン泣いて拒絶すると。
拒絶するとどうなるかなどということは知ったことじゃないわけですよ。
そんなことはまだわかんないから。
拒絶するということがどうなるかを知ってしまうと怖いですよね。
もしかしてお母さんはもう二度と自分のところにやってきてくれないかもしれない。
これはお母さんが同一である、一個しかないということがわかったときに初めて出てくる不安で。
だから欲打つポジション、歴史的ポジションというのは、私たちみんなが持っている、つまり正気のポジションなんですけど、みんな歴史的経緯持ってますよね。
正気のポジションなんですが、この正気のポジションで一番怖いのは何かというと、人の機嫌を損ねたり、人が死んじゃったり、失う不安というやつなんですよね。
これはよくグッドワイブスで恐れと不安と言いますが、何を失ったのかって話をよくしますが、この失う不安、つまり自分にとって大事な対象、やっぱり親なんですけどね、分離不安とか喪失不安とか言います。
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それが重大な事態をもたらすと、人は鬱になると、だから欲打つポジションと言うんですよね。
対象喪失不安があるわけなんですけど、普通の人には嫌ですよね、この不安があるというのは。
この不安は全く認められない場合、これを認めるということを能力的に拒絶してしまうと、1歳児0歳児に戻ると、完全に妄想分裂ポジションに入って、いやもう別れてないからってことになっちゃうわけですよね。
だから相手が拒絶するということは、もう認定されないわけで、そうなると非常にストーキング的な行動になるし、これはよくあることだと私は思うんですね、普通の人でも。
形式上は別れたということを一生懸命頭で納得しようとするんだけど、心の方はついていけないという場合には、妄想分裂ポジションに入っていって、
家まで行くとか、後をつけるとか、そういうことをしていても、そんなに自分の中では違和感はないわけですよ。
結局、歴史的な経緯を意識するというのは、そういう能力を発揮しているだけであって、この発揮を停止してしまえば、同情もないから、そうやるしかないわけですよね。
普通に行ってしまうと。別れたんだけどとか、そういうのもなしに、もう会いに来たからみたいな、そういうノリになっちゃうと、これが多分妄想分裂ポジションというものなんだと思うんです。
そうじゃなくてですね、この欲打つ状態って辛いじゃないですか。対象を失うというのは恐ろしいことなので、もう失わないことにしてしまうとか、
ないしは失っても大丈夫なことにしてしまう。この時に大事なのはですね、相手の価値を下げるということが絶対に必要になってくるんですよ。
壮的防衛っていうのは、もう相手の価値を極力切り下げる。だって、失ったものの価値が高かったら恐ろしいじゃないですか。
だから壮的防衛の時に必ず起こることは、自分には○○があるっていう意識を強烈に持ち出して、相手はどうでもいいものだっていう意識を、つまり、私にこれがあれば相手の存在必要ないと。
一番端的に出てくるのがお金だと思いますね。あとは精神的な強さみたいなものを持ってくるわけですね。寂しくないもんねっていうやつですね。
お金もあるし、親はいらない。それを人間関係に適応すると、これで関係が破壊されても関係を失っても、自分がやりたい放題をやっても不安にはならないと。
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これでもう後から不安になりますよって言ってるのも小野美さんで、小野美さんの対処喪失っていうのは、その後から出てくる不安によって精神が崩れていくという様子をいろんな事例を使って書いています。
結構、すごいのはすごいなっていう感じがします。ただ、この壮的防衛っていうのも、そこまで徹底的にひどいことをする夫みたいなのもいますが、それよりも僕はですね、割と頻繁にぶつかるなと思うことがあって、それで思い出したんですけどね。
例えば営業している人ってこれに近いことを使うんですよね。一見不思議なんですけれども、私も非常に不思議だったんですが、営業活動っていうのを相手にガーッとされた時っていうのは、相手の壮的防衛感っていうのが半端なくて、話が通じないというのはこういうことだって感じなんですけど、壮的防衛をやっている人とは話しにくいんですよ。
これはいつも僕はどういうことなんだろうこれって思ったんですけど、このマニックデフェンスっていうのを知ってから非常に分かりやすくなる気がしたんですね。営業する人って私が何かを買うっていうことに結論になってるじゃないですか。特権の契約であれば契約をするのがいいことだってことになってるじゃないですか、最初から。だからプロセスである会話っていうのは彼らにとって本来どうでもいいもののはずなんですよ。
私が何を言おうとそれは、基本的に私は買わない方で結論つけてるじゃないですか。だから何を言おうと無視されてるわけですよね。これがすごく壮的防衛感っていうのが出ていて、いやもう平気だもんねってことになっちゃってるんです。
そういう関係が成立していない関係というものがあるわけですよね、そこに。本当は仲良しなわけじゃないじゃないですか。本当はお互い友好でも交渉してるわけでもないんですよね。だけど会話は何か友好的に元気よく行われている。すごく相手相っていう感じがああいう時にするんですよ。
もう一つですね、これも最初非常に不思議だなと思ってた時があるんですけど、セミナーとかするじゃないですか。あるいは個人セッション、少人数の時が特に目立つんですけど、何でも受け入れてくれてしまう妙に元気な人っていらっしゃるんですね。
ある意味ではちょっとこれは申し訳ない感じもあるんですけど、私コーチングっていうものを何回か受けたことがあるんですけど、いずれもこの感じっていうのがあって、なんかですね、きついなって感じがするんですよね。相に付き合わされているみたいな。ずっと相手の人は元気なんだけど、なんかね、それが非常に、なんて言えばいいんですかね、私がわずかでも攻撃されている元気みたいな。
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感じがしちゃうんですよ。いきさつというものを認めてもらえないっていうのかな。認めてもらえないのはその抑鬱ポジションにいちゃダメだからなんですけど、このコーチングっていうようなものも、すべてのコーチングがっていう話じゃないですけど、特にあれですね、ポジティブシンキングっていうのはそういうところがあるんですよ。
歴史的経緯にこだわってしまうから人は抑鬱になるわけじゃないですか。途中お話しした通り、あんた誰が産んだと思っているのとか、誰が育てたと思っているのっていう話って要するに抑圧されているわけじゃないですか。いうことを聞けってことですよね。だから元気がなくなっていくんですよ。この抑鬱ポジションっていうだけあってね。歴史的経緯にあんまりこだわっていると。
例えばどっかの会社を辞めたいという話になっても、こういう仕事はちょっとやっていけないから辞めたいんですって。でも君は好きで入ったんだろう。歴史的経緯ですよね。我々は給料も今まで払ってきたし、良くしてやったろうっていう、何か悪い組織を抜ける時の話みたいなんですけど、これ歴史的経緯なんですよね。そうすると段々その人は抑鬱感が出てくるじゃないですか。
ここにいなきゃなんないと。好きじゃないし、やるのも嫌だけどここにいなきゃなんないと。これしなきゃなんないと。というのが抑鬱ポジションの一つの苦しみなんですよね。そこから抜け出る時、俺平気だもんねって言えたらいいじゃないですか。これ総的防衛なんですよ。
ところがこれがですね、ほとんどいつもこうだって人がいらっしゃる。だからその人には歴史的経緯というものが全然ないような感じがしてくるんですね。
昔私は親との関係があって言っても、さらっと無視されるか、いやそれは昔のことですからって言って、さらっとこれからのことを考えましょうみたいな感じになって、そうすると確かに元気になれるような気がするんですけど、何かこう、体に傷ついて血がだらだら流れてるんだけど、笑ってるみたいな、そういう感じになってしまうわけです。
これがですね、セミナーとかセッション、こっちがやる側で一番わりと厳しい受講をする方だなって思うときはこれが起こるんですよ。
例えば、何でも受け入れられてしまうんですよ。わりと未来思考で今までやってきましたみたいな感じで、7つの習慣でゴールから逆算してやっていくやり方がいいんですみたいな感じで話していらっしゃって元気よく、わりと元気なんですよそういう方って。
それに対してタスクシュートではこうこうこうですって言うと、それは素晴らしいですねっていう感じになって、全然何かですね、この人はこの話を本当に聞いたんだろうかみたいな感じがするぐらい、コロッと平気で変わってしまって元気いっぱいで帰っていくっていう感じなんですよね。
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でも多分7つの習慣もタスクシュートもどっちもやってないみたいなそういうのがあって、非常に考えさせられたんですよね最初の頃。
こういうそういう方と喋っていると、何を伝えても何を伝えても何ていうのかな、何にも伝わらないっていうことが毎度毎度繰り返される感じがするわけです。
こういう時に多分精神分析の人が言っているのはこういうことなんだろうなっていう、これはローゼンフェルドだったと思うなっていう人がナルシシステム的組織っていう表現を使ってこの種の問題を提示したことがあるんですよね。
カウンセリングの失敗する例を、あの話面白くて、カウンセリングが失敗する事例をどんどん集めるんですけど、一つにこういう、一つじゃないなこういうのが多いんですよね。
何を伝えても伝わらないと。極端にいくとサイコパスってよく言われているような感じになっていって騙されてしまうんですよ、感染の人も。
一生懸命伝えても今みたいにちょっと軽薄な感じじゃなくて本当に真剣に聞いているような感じになるんで、時には泣いたりしてですね、本当にもう突き刺さりましたみたいな感じで、全然嘘みたいな、そういう人がいらっしゃるらしくて。
これはもう完全に僕は病理だと思うんですけど、そういうところからどういった問題が発生するかっていう話を書いていて、非常にドラマチックと言ってもいいぐらいだなって。
思うんですよね。その話の中で出てくるのは、もう本当に心から精神分析みたいなものを受け入れているような顔をしていて、ある女性がですね、裏で殺人を犯していたみたいな話なんですけれども、要するに完全にカウンセラーは騙されちゃうんですよね。
まあ嘘をつかれると。騙されるも何もないんで、嘘をつかれるっていうことなんだけれども、それに比べるとタスクシュートなんていうのは軽い話なんですけれども、ただこののれんにゆでおし感っていうのは出るわけですよね。
要するに自分がやっていることは全く相手に心の深いところとかって表現しますが、全く刺さっていないわけですから、逆にどんなものも刺さっちゃうんですよ。
それが装的防衛っていうものをすごく感じさせるんです。やっぱり防衛されているんですよね、何かを。刺さらないようにしていると。
だからこう、例えば何時という時間を決めて、ここを壁にしてそこまでのタスク頑張りましょう、はいそうしますみたいな感じで、何でもすぐ受け入れてくれて何もしてくれないっていう感じが続くわけですね。
だんだんこっちの無気力感というものを感じさせられるじゃないですか。僕はその抑鬱ポジションに、歴史的ポジションにいるから経緯があるわけじゃないですか。何度も言っているみたいな。
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でも何度言っても何度言っても一切伝わらないっていう感じで、だんだん僕は抑鬱っぽくなるでしょう、少しは。
それが嫌だってことになると、この人にはとりあえず言っとけばいいやみたいになるじゃないですか。
そうすると装的防衛が、装的防衛の人に装的防衛で出るみたいな。これを投影同一視って言うんだと思うんですけれども。
あるいは単に同一かって言ったりするんでしょうね。映るって感じがあるんですよ。
こういう風になる時に、この方は何を考えているんだろうって思うんですけど、感じるものとしては営業マンを相手にしている時の感じによく似てるなっていう。
営業の人っていうのもそうですよね。僕が何を言ってもその通りですよねって言って、違うことを返してくるわけじゃないですか。
ああいう感じってのが装的防衛ってものをすごく連想させるという感じがするんです。
一番これある意味、日常のそこら中で割と使われてるかなって思うんですよね。
これ一つの対人交渉技術みたいにされてるケースも結構あると思うんですよ。
例えば、お母さんからお金を借りたいと思っている。
割と20、30、いくつでもいいんですけど、お母さんからお金を借りたいと思っていると。
そんなに簡単に貸してくれないっていう時に、この装的防衛的技術を使う人多いと思うんですよ、割と。
貸してって言っても、だってあんたこの間貸したばっかりじゃないとかって言われるじゃないですか。
じゃあお母さんのことをもう二度と頼らないからとかって言うわけですよ。
そういうことによって相手が欲打つポジションにいたままだと、罪悪感を覚えて貸しちゃうじゃないですか。
こういうことをやって、関係はいつでも破壊できるっていうことを方々で匂わせることによって、自分の利益を得ると。
これを繰り返していると、すごく報酬がそれで得られるから、マニックディフェンスをやりたいっていうのがすごく根強く出ると思うんですよね。
そういうことをいくつかの感じで感じたっていう、今日はそういう話ですね。
この辺のことが、スプリッティングとか内的対処っていう話とたぶん絡んでるんだろうなと思ったわけです。
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