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けいわキャンパスレポ
この番組は、柴田市富塚にあるけいわ学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、柴田のことなどをテーマにお届けします。
けいわキャンパスレポは、けいわ学園大学の提供でお送りします。
みなさん、こんばんは。
この番組は、けいわ学園大学から大学のことや柴田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、英語文化コミュニケーション学科4年の吉田ゆかです。よろしくお願いします。
今日は、国際文化学科一之平先生とともに、ラジオについて考えてみようという企画です。どうぞよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
私たちがこうして番組をやらせていただいているラジオですけど、身近なメディアとして定着している一方で、
同世代にとって、私たちの年代とかは存在感が高いかと言われれば、そんなにテレビとかインターネットよりは高いとは言えないかなという感じで。
あまり話題に出ないですよね。
そうですよね。ラジオを聴いているという友達とかは、え、ラジオを聴いているんだみたいな、ちょっと驚きの対象になったりする。
いますけどね、いますけど、みんなの共通の話題にはなかなかなりにくくなってきている感じはありますね。
新潟県には県内全域をカバーする民放ラジオ局が3局あるんですが、今月そのうちの1つ、FMポートが閉局すると発表されました。
衝撃的でしたね。
そうなんですね、やっぱり。
新潟県内ではかなりみんなびっくりした。
あ、そうなんだ。
それとは別のコミュニティFM局、FM柴田もそうですけど、それが県内に12局あるっていう。
そうですね。だから多いですよね。
民放ラジオ局3局って言いましたけど、NHKもありますしね。NHKがあって民放ラジオ局が3局あって、その他にそれぞれの地域ごとのコミュニティFM局があって、
そういうことですから、かなりたくさんの局が県内にあるという。
そうなんだ。
これラジオっていつぐらいから始まったんですかね?
全くわからないですけど。
ラジオはだから戦前からあるわけですよね。
戦争が始まる時とか終わった時とかラジオでみんな聴いてるわけだから、ラジオはあると。
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これ調べてみると1925年に最初ラジオが始まった。
大正14年。
大正からなんだ。
そうです。この時に新潟はまだなくて、東京都、大阪、名古屋で始まって。
その後数年経って、何年だろう、6、7年経って、昭和6年。1931年にNHK新潟放送局というのが開業して、新潟でもラジオ放送が始まった。
この頃はテレビのような受信契約を結んでいる必要があった。
32年、新潟でできた頃にちょうど100万件に加入者数が到達したところで、ちゃんと残ってる契約数でね。
去年は大河ドラマで、いだてんというドラマがありましたけど、スポーツの話でしたが、
ロサンゼルスオリンピックの話が出てきて、ロサンゼルスまで乗り込んでいた日本の水泳チームがアメリカチームを打ちまかすのかなという話が出てくるんだけど、
この時ラジオ放送が実感放送というのをやったんですよね。
実感放送。
それはすごく大きなドラマの中では扱われていたんですけど、見てないですよね。
見てないですよ。テレビないんですよね。
この時、オリンピック委員会というのかな、オリンピックの主催団体がラジオ中継みたいな会場に来なくてもいいっていうことをやるのを認めなかったっていう話なんですけど、
しょうがないので、当時の日本放送協会が現地まで行ったんだけど、中継できない。
もう花々しい日本選手の活躍を伝えることができない。ニュースだけで伝えるのではみんな興奮しないじゃないですか。
そうですね。
中継に近いような形で終わった後で、ラジオドラマ風に各競技で選手がどうやって勝っていったかというのを実況中継みたいな感じで放送したっていうのをやってましたね。
ラジオが入ってきてリアルタイムに試合の状況を知ることができるようになったっていう話ですね。
このタイハドラマはあまり視聴率は振るわなかったみたいな。内容としてはメディアの普及とスポーツ。
面白いエピソードがいっぱい詰まってますね。
最近ラジオのこの時期のことを調べていたら出てきたのがラジオ棟っていうのです。
ラジオ棟は実は新潟にも現役のものがあって、この現役のものは非常に珍しいんですけど、神社にある石道路みたいな、あれなんですよ。
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あれがあそこからラジオが流れてくるっていう。
今流れてるのも別に何も気にならないんですけど、後の町角テレビってありましたよね。
知らないか。
テレビが普及していく過程でやっぱりテレビを家にない人たちが町角にあるテレビにみんな集まって。
町角にあるテレビ。
町角にあるテレビ。
町角にあるテレビって。
なるほど。
そういうパブリックテレビですよ。
それは割と知られてるんですけど、戦前はラジオがそういう存在だったということは分かるんですね。
これ今はもうほとんど忘れ去られているんですけど、調べてみたら、実は新潟市内の白山神社っていうところに、新潟市役所の近くに白山神社っていう白山公園があるんですけど、
竜池に石道路みたいなやつが建ってて、昼間ラジオ流れてるんですよ。
NHKの第一放送かな。
流れてて、誰も気にしてないですけど、実はあれは戦前から続いているラジオ棟なんです。
その後、ラジオどうなっていくんですか?
ラジオができていったあたりがちょうど伸び盛りの時期で、
その後、要するに戦争が激化していく中で、ラジオは普及してくれますよね。
みんな、戦争がどうなっていくのか注目しているので、
ラジオ放送をみんな聴こうとするので、加入世帯が増えていく。
だけど、戦争が終わったところでやっぱりみんな各家庭が相当被害を受けるので、加入率が下がって、
またその後、1950年代になってからまた持ち直してくる。
このくらいになってようやく民放のラジオ局はできるんですよ。
民放の?
民放のNHK以外のラジオ局はその後できてくるようになって、
調べていくと、新潟での民放ラジオ局は1952年に新潟放送というのが開催されました。
そのままずっとそのラジオは10年くらいはメディアとしては主役の座にいたんだけど、
東京オリンピックのあたりでテレビに変わっていくということだと思いますね。
60年代になってからFMというのができるんです。
NHKの新潟のFM局は69年。
FM局というのが民放局でできていくのが80年代で、
新潟県にFM局が入ってくるのが1987年。
この時はもう完全にテレビが普及してからの話ですけど、
FM局が新潟にもでき始めるということになりますよね。
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最初のFM局は1987年ですね、新潟でね。
これはだから新潟県内全体に電波が飛んでいる、県域局っていうんだけど、
そういうのであるのに対して、92年にFM柴田のようなコミュニティFMという制度ができる。
結構最近なんですね。
平成に入ってからなんですね。
これはだから最初にできた背景が何だったのかな、いろいろあったと思うんですけど、
一気に普及していくきっかけになったのは阪神淡路大震災。
その時期に新潟県北部地震があって、
災害時にそれぞれの地域で必要な情報を伝えるためのメディアというのが必要だよねっていうのを、
それぞれ地域が認識するようになって、
全国からとか、あるいは新潟で言ったら新潟市からもできる電波による情報ではなくて、
新潟じゃなくて、新潟とかその周辺の人たちのために必要な情報を流すためのメディアというのが
必要だと。
それは私たちも日頃から新潟の皆さんに番組をお届けしていますけど、
日頃の部分もそうだけど、とみわけ災害時にはそういう情報が必要だよねという風になってきて、
それでできる。
FM新潟は97年ですね。
97年でこれ新潟県内では4番目。
そうなんだ。確かに災害の備えるグッズの中にもラジオ含まれてますもんね。
そうですね。手で回して。
確かに大切な情報源ですもんね。
ではここで1曲お届けします。
今日はラジオがテーマということなんですが、
結構ラジオをテーマにした曲があって、たくさん候補が上がってきたんですが、
まずこちらの曲をお送りします。
2016年のNHK民放連共同ラジオキャンペーンin福岡。
これはハッシュタグっていいですかね。
ハッシュタグ?
シャープ。福ラジのキャンペーンソングだそうです。
家入れをそばにいてラジオ。
競和キャンパスレポ。
今日の競和キャンパスレポは国際文化学科市野平先生とともに、
私たちはこの番組を放送しているメディア、ラジオをテーマにお届けしています。
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ところで市野平先生はラジオはよく聴くんですか。
最近はやっぱりインターネットですね。ほとんどなので、
ラジオを聴くっていうとやっぱり車の中だったりすることが多いんですけど、
こういうものがない時代は高校生とかね。
中学生とかそれぐらいの頃は勉強するときはいつもラジオ。
そうなったんですね。
勉強がおろそかなるぐらいラジオ。本末転倒みたいな。
ラジオが好きだったんですね。
私も青森って田舎なので田舎にいるとテレビのチャンネルも少ないし、
だからいろんなものを、いろんな情報を、外の情報を得るためにラジオを聴くわけですよ。
意識高いですね。
いろいろ夜中勉強しながら聴いてると東京のラジオとか大阪のラジオとか。
あ、そっちまで届くんだ。
北海道とか。さっき話題に出たAMとかFMとかっていうと、
AMのラジオっていうのは夜中になるとすごく遠くまで電波が通るんですよ。
だから夜中だとずっと福岡ぐらいまで聞こえたり。
そうなんだ。
青森とかの。
聞くとか?
そうそうそう。そうなんですよ。
いろいろそういうのを聴けるって分かって、最終的には部屋の中にでっかい、
AM用室内アンテナっていうのを買って。
ガチだ。
ガチっていう言い訳でもないし、技術的なことにはそんなに関心もなかったんだけど、
いろんな世界中の日本国内の。
すごい。メディアの先生っぽいですね。
昔から。
当時はただの高校生でした。
後半はFM柴田の話をしていこうと思います。
FM柴田はいじみの赤谷、富士塚浜、菅谷の4つの送信所から最大20ワットの出力で放送されています。
エリアとしては柴田市、青龍町に加えて新潟市の一部、台内市の一部、阿賀野市の一部、
合わせて6万世帯、16万人が聴取可能であると書かれています。
そう言われるとちょっと、え、これも16万人が聴けるんですよね。
うん、そうですよ。
緊張しますね。
なんかすごい、経話のなんか。
内輪で喋ったみたいな気分で。
ダメですよ、それは。16万人の方が聴いてると思って喋ってくださいね。
柴田だけじゃないんですね。
そうですよね。
これ20ワットというのがさっき話していたコミュニティFMの原則的な最大出力ですよね。
20ワットで全市内をカバーしていこうとすると、当然そこから漏れるところ、漏れ出ていくと。
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漏れ出ていくというのは外側に出るところがあるじゃないですか。
そうすると新潟市の一部というと多分帰宅とか台内市とかそういうところにも聞こえるように
なっているということでしょうけど、でも基本的には市自治体ですね。
柴田市と正浪町の人たちにきちんと災害時にもきちんと情報を提供できるような
仕組みとして整備していると。
そういう部分がやっぱり大きいですよね。
なんか災害の時とか切り替わったりするんですか?
いろいろ教えていただきましたけど、放送内容がそこで変わります。
特別放送、災害特別放送、体制が切り替わって、多分この番組が途中まで流れていても
番組を切って、災害に必要な情報を発する放送になると。
最初多分Jアラートとかミサイルが飛んだ時なんかはラジオが自動的に割り込み放送が入って
自動音声の警報が流れ、さらにその間に局の人がスタジオに駆けつけて緊急の放送体制に入るとか
そういうことになるはずですよね。
それは普通のラジオで切り替わるんですか?
緊急告知FMラジオってあるんですよね。
緊急告知FMラジオ。
これはラジオを聞いてない場合ですね。
キャンパスで聞いていた場合じゃなくて、聞いてない場合でも、寝てた場合でも緊急時にはスイッチが入って放送が流れる。
勝手にスイッチが入ってくれる。
そういうラジオがあるんですよね。
これがミサイルの情報とか気象情報とか緊急地震特報、津波、こういうのが流れる。
だから放送としても切り替わりますし、受信用の端末というのもそれ用のものがある。
それ用のものがあるんですね。
自動的にスイッチが入るラジオは、FMシンバーサーのホームページを見ると販売されています。
なるほど。他のやつじゃなくて、それを買うとスイッチが入るんですね。
普通のラジオ機はスイッチが入らない。
それは入れられないので、それ用のラジオを持っていれば流れる。
今は何年か前に四字熱スタジオができたじゃないですか。
だから市役所のところのオフィスにおそらく局の人が、本庁舎と両方かな。
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四字熱スタジオが放送できる設備があるじゃないですか。
だから市役所の関係の部署からそのまま上から情報をもらって放送できるという体制を今取っている。
そういうこと、理由もあったんですね。
市役所のところで放送しているのが見えて楽しそう。
単純にただそれだけの意味ではない。防災拠点としての意味もある。
ラジオが重要だという話になる一方で、ラジオ受信機がない家庭もあると思うんですけど。
インターネットでの配信で言うと、ラディコとか。
ラジコ?
ずっとラディコって言ってました。
いいと思いますけど。
ラジコのようなサービスが想定されてますが。
いつも私たちも告知とかで、競和キャンパスレポはネットでも聞けまーして言ってるわけで。
コミュニティFMの場合にも同様の仕組みがあるんですか?
あります。日本コミュニティ放送協会JCBAというんですけど。
そこがサイマルラジオという仕組みを提供していて。
サイマルラジオだから同時にネットでも流すわけですね。
このサイマルラジオという仕組みをFM柴田も使っていて。
FM柴田もその仕組みで放送される。
放送じゃないんだよね。ネットで配信される。
ネットで。なるほど。普通に検索して出てくるみたいな。
今日はラジオについていろいろお話ししてきたんですけど。
皆さんに少しでも聞きやすい放送をしようと思ってたんですが。
それで今日お話をする中で、災害時に役立つメディアになるように
コミュニティFMには期待があるんだということが勉強できました。
そうですよね。この番組は収録で放送してますので。
普段はね。だから急に何か災害が起きて、
急に災害対応する放送ができるかというとできないですね。
できないですけど。でも放送としてはそうですよね。
ここで流れている放送というのはそういう意味合いがある。
ただ、だからといって災害の時だけのためのメディアということになったら
それはそれでその時だけみんなどうやって聞くのという話になる。
そうですよね。
やっぱり普段からみんなが親しみのある放送をし続けていて
だからこの時はあれをつければという風にみんなが思ってもらうような
ラジオになる。コミュニティFMというのはそういう存在になっていく必要がある。
なるほど。
そうなんだ。面白い。
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けいはキャンパスレポ。
私も放送部時代に。
高校の時ですか?
そうそう。高校の時放送部に入っていて
ラジオとかテレビの番組、ラジオの番組についてもやってて
その時は春と秋に大会があって
その大会のためだけにやってたというか
5分とか8分とかそれぐらい程度の番組を作るんですけど
ドキュメントとかドラマとか
本当にずっと大会のためだけにやってて
大会に追われてみたいな感じだったんですけど
今回この話を聞いて
何のために放送が存在してるのかとか
高校の時は全く考えてなかったんですけど
こういうところにつながってるんだなって思ったり
もともと放送ってそういう意味でできたんだなとか
まあ部活の活動は何でもできるんですけど
まあ部活の活動は何のためにあるかといえばね
それはまあ別に放送に携わる人を育成するために
部活をやってるとも言えないんで
まあいろんな意味あると思うんですけど
しゃべりの技量を上げていくわけですよね
そうですね
その技術というのは何のためにあるかといえば
たぶん自分の日常生活のためにもあるかもしれないけど
まあその延長線上に放送部と言ってるわけだから
その延長線上にこれが放送において
活かされるということも想定されている活動ですよね
コミュニティFMで言うならば
日常の放送もそうだけども
災害時の放送で
災害時の放送であれですよね
喋ってる人が焦ったりとかしてる
確かに
みんなを落ち着かせるために
普段通り喋らないといけない
それはやっぱり普段の訓練があってできることでもある
というふうに考えればそうですよ
だから放送部とか公文連とか
これをやっている安定的に話をするという技量というのは
そこにつながっていくわけですね
なるほど
そういうことを一生懸命やってた人の中から
放送に関わる人たちが
その技量を生かして
社会を支えていると言ってもいい
そうですね
24:00
それでは今日のK-WAキャンパスレポ
これにて終了です
みなさんおやすみなさい
K-WAキャンパスレポは
K-WA学園大学の提供でお送りしました