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2021-04-19 10:39

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.18 太宰治と新潟

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#新潟 #太宰治
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はい、みなさんこんにちは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、舘谷治、舘谷治と新潟という話をしたいと思います。
私自身は新潟にもう15年暮らしていますけども、名前の通り東北の青森の出身でして、
そういう意味では舘谷治は青森、私の地元の出身の作家として、青森では非常に有名な郷土を代表する作家ということになっていますが、
最近、舘谷治が新潟に来た時のことについて、まとめた冊子を見つけて、ちょっとパラパラと読みましたので、そのご紹介をしたいと思います。
この冊子、今写真が出てますけど、この冊子はですね、育べブックスという、新潟市内でいろんなお土産屋さんなんかで新潟盆をいろいろ陳列して、曲がりした感じでお店やってらっしゃる方がいらっしゃるんですけど、
そこで陳列されていたもので、そのお店を企画されている育べブックスの松尾さんという方が作った、300円だったかな、小冊子の中で紹介されていたものです。
昭和15年ですね。昭和15年だから1940年。1940年の秋に舘谷治が新潟を訪れて、当時の旧姓の新潟高校で講演をしたということなんですが、その講演した時の様子について、
新潟通信という、これは何だろうな、のに書いた短編小説があって、その中で新潟のことをいろいろ書いているということですね。
新潟のことを伝えたいという冊子なので、さぞかしいですね。
大沢治が新潟を訪れて、新潟のことを絶賛して書いてあるのかなと思ったら、あんまり絶賛していなくて、笑ってしまったというですね。
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大沢治は津軽という作品がありまして、自分の故郷である青森に寄居した時に様々な出来事をまとめて、同じような作品があって、これもこれでだいぶ前に読みましたけど、中身忘れちゃいましたが結構面白いんですけど、
それの新潟版という感じで、決して招かれていった新潟のことを絶賛しているかというと、必ずしもそうじゃないというところが良かったなと思います。
内容は勝手に読んでいただければと思いますが、この内容は昭和16年の11月に新潟に来て、その様子についてまた年明けに作品にしたというもので、いろんなところが出てくるんですね。
旧新潟駅ですね。今の万代公園とか、それから万代橋とかですね。万代橋のことは万代橋を渡りましたが、別段考えもありませんでしたっていうね。
ご当地者としては完全なる失敗ですね。全く褒めていないということとかですね。
あと、旧正新潟高校で公演をするんだけど、あまり質問が出ないからしょうがないので、なぜ挨拶をしなければならないのかとか、罪の意識についてとかっていうのもしょうがないから、
喋ったみたいな、自分の作品をしょうがないから朗読したみたいなのもどこかに書いてあったような気がしますけど、苦し紛れに時間を埋めていったみたいな感じがして、それでも新潟高校の人たちは喜んだのかもしれないですよね。
その後、日本海を見に行って、これもですね、やっぱり11月ですからね。ちょっと寒い風景の日本海を見て、滅亡の風景とかですね。
ひどいこと書いてあって、ダザーオさんの出身地はカナギって言って、青森の中でも若干内陸の土地ではあるんですけど、でも基本的に日本海に面してますからね。だいたい同じような風景ですよ。
だからちょっと褒めればいいんですけど、全然褒めてないっていうね。そういう内容です。あと堀も非常に不潔な感じだった。
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新潟の市内にあった堀っていうのはですね、今でもかつて堀があってっていう話は時々話題に出るわけですが、新潟国体の昭和39年の時に全部埋めちゃったと言われていて、
昔の風景とかを見るととても水が汚い状態だったということがね、写真で見てもよくわかるので、衛生上もよろしくないというので埋めちゃったんだろうなっていうのはよくわかるんですが、ダザーオさんが来たこの昭和15年もですね、やっぱりちょっと匂いもするような汚い感じのものだったようですよね。
あとイタリア圏に行ってイタリア圏の様子を伝えていたり、イタリア圏っていうのは説明するとイタリア圏っていう名前の、今もありますホテルイタリア圏というね、レストランみたいな名前ですけど、
多分元レストランですよね。ピエトロミリオーレというイタリア人の人が明治の初期に日本に来て、そしてサーカスのメンバーとして新潟に来るんだけど、怪我をして置いてかれちゃうんですよね。
置いてかれてしまったミリオーレさんを新潟の人が助けたっていうようなことなのかな。それで彼が始めたレストランというのが今発展してイタリア圏というホテルになっているということですよね。
というところに行ってます。そして今の写真は多分、背景に使っている写真はイタリア圏で撮影した写真のようですね。でもイタリア圏はこの時ホテルあったのかな。とにかくここには泊まってなくて、泊まったのは大野屋旅館って書いてますね。
おそらく古町6番町に大野屋旅館というのがあったと。この写真の中では写真、大体私もこの写真見て場所わかりますけど、あります。ただ大野屋旅館はもうありません。
大野屋旅館はもう残ってないんですけど、そういうのが残されています。ということでですね、ダダやオサムが新潟に来て、どんなことを昭和15年に感じていたかっていうのをまとめた冊子が売られています。
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私これ買ったのは新潟駅のポン酒館じゃなくて、新潟駅の中のお土産屋さんの一角に本屋さんの本売ってるコーナーがあって、そこで買いました。300円ですよね。ぜひ読んでみていただければと思います。
今日はですね、ダダやオサムと新潟ということですね。ダダやオサムが来て、新潟高校で講演したという昭和15年の様子というのが冊子にまとめられていたのでご紹介いたしました。
この冊子は地図にもなってまして、ダダやオサムが文章の中で書いている場所を巡って歩けるようになっているので、新潟の市内にお住まいの方はわりとよく知っている場所ですけども、そうじゃないね。
観光とか県外とか市外から新潟にいらっしゃった方でも、後ろのページについている地図を見ながら新潟市内を回ってダダやオサムの辿った足跡を見てくることができるかと思います。そんなに辿ったという感じではないですけどね。ということでした。はい、今日はどうもありがとうございました。また。
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