1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol. 205 俳優殿山泰司さんの..
2022-12-18 20:19

Vol. 205 俳優殿山泰司さんの訪ねた、新潟の遊廓街

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads

---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6025d15185b142d0d8d931c2
00:05
はい、こんにちは。新潟のへラジオ一戸信哉です。今日は2022年12月18日です。
日曜日、お昼12時過ぎたところですが、少しお話ししてみたいと思います。
今日はですね、新潟市内、朝起きたら雪が降ってまして、ちょっとあんまり出かけたくないなということなんですが、
溶けますよね。
今日お話ししたいのは、有格貝というのかな、いわゆる今でいう風俗貝みたいなものですね、の話なんですけど、
今ちょうどですね、新潟のことというか沖縄のことを本で読んでいて、
戦後の赤線青線みたいなやつが、戦後の沖縄で立ち上がり、
日本の法律が及ばないところでどんな風にそれが営まれ、
街のことというよりは、そこで働いている女性たちのことを描いていった、
ルボルタージュとかですね、そういうのをいくつか読んでいって、
沖縄の沖縄返還とか沖縄戦とか、表玄関からの歴史の反対側で、そこで起きた現象の結果、
人々がどういう生活を強いられていったのかっていう反対側から見ていくということをやっているんですけど、
その辺を読んでいってるんですが、読んでいく中で、いわゆる風俗画みたいな話を読んでいくんですけど、
ふと思い出してですね、家の本棚に2000年に発行されている、
富山大二さんという人の三問訳者の日本一人旅っていう本が本棚に入っていることを思い出して、
パラパラと巡ってみたんですね。そこに新潟のことも書いてあったので、
ちょっともう振り返ってみようかなと思って取り出してみました。
富山大二さんといって、パッと顔が浮かぶ方が今どれくらいいるのか、
03:05
亡くなってもうだいぶ経つんじゃないですかね。髪の毛をフスキンヘッドにしている悪役が多かったかな。
バイプレイヤーでしたよね。1989年に亡くなっていますので、もう亡くなったのはだいぶ前なんだな。
1915年生まれの方です。でも1989年に亡くなっていますので、
80年代ぐらいの映画とかをご覧になるとまだ出ていらっしゃるはずですね。
この本は最初に出たのは1977年で、
本としてまとめられていますが、もともとは雑誌の連載かなっていう内容なんですが、
1977年に出ていますから、その頃の時代感覚で、
全国の俳優としていろんなところを旅してですね、
そこの夜の街で起きたことを面白おかしくエッセイにしているというようなもので、
沖縄の話も出てきて、基本的には男性目線で書いているんですけど、
ずっこけっていうかな、そこで土地で素晴らしい女性に会っていい思いをしたみたいな話ではなくて、
そんなにうまくいかなかったっていうような、ずっこけ要素も入りながらのお話で、
ちょっと2022年の時代感覚には合わない表現もいっぱいあるんですけれども、
そういう内容ですね。
で、こうめくっていって沖縄も出てたんですが、新潟のことも出てたなってか、
たぶん新潟のことを読もうと思って買ったんだと思うんですけど、
新潟のことはですね、
十四番地牢場っていうタイトルで、牢場だから牢は牢人の牢ですね。
十四番地牢場というタイトルで、
06:01
内容はよう約して丸めてしゃべらないといけないような内容なんですが、
十四番って新潟の古町の方ですね。
いわゆる下町の方に本町通り十四番町というところがあるんですが、
そこを尋ねていくという話なんですけど、
きっかけは新宿の2丁目で飲んでたら、
マグサ川岸、
新潟のマグサ川通りって書いてあるんですけど、
今のマグサ川岸と言ってるところですよね。
マグサ川岸通り。
あの範囲の界隈に行って、
昔チョンの間って言ってた。
一応飲み屋の体裁でやってるけど、実際には売春が行われているっていうところがありましたよね。
横浜とかの有名ですよね。
そういうところがその界隈にあって、
そこですごいものを見たっていう話なんですけど、
お前も行ってきてちょっと見てこいよ、みたいなね。
そういうことを言われて尋ねていくというような話になっていまして、
まずそこでマグサ川岸っていうところが出てくるんですが、
マグサ川岸通りに、
今そういう風俗街みたいなものは一切ないんですよね。
そのあと、これ行ってこいよって言われて、
山山さんはそうかって言って、
しぶしぶっていうかね、どんなところがあるのか覗きに行ってみようかみたいな感じで行って、
新潟の街を歩いてると美人がいっぱいいてとかですね。
一年前にも新潟に来たことがあって、
そこではなべじゃ屋でどんちゃん騒げをして楽しかったとかね。
西堀、東堀、古町とか、歩いてたら美人がいっぱいいてとかですね。
そういうようなことが書いてあって、
70年代の新潟の街の雰囲気、
新潟の街の華やかなことが書いてあって、
09:00
信濃川の橋を渡って体育館のごとき大きなキャバレーにも行った、
みたいなことも書いてあって、これはたぶんキャバレー香港ですよね。
今の結婚式場がある、
特急メッセの方向に向かうところが結婚式場のところだったと思いますが、
そこがキャバレー香港っていう大箱のキャバレーがあったところですけど、
そこのことも書いてあって、
でも何を言いたいかというと、そのときはいろいろみんなで飲んできたけど、
最後は一人で部屋に帰って寝たので、
今回は街ゆく美人たちと何とかお近づきになりたいっていうような、
そんなニュアンスで行くんですよね。
そして今度14番丁というところにたどり着く。
たぶん14番丁が旧裕閣だったということで、
それで引き寄せられるように14番丁を訪ねていったっていうストーリーなんですけど、
この1970年代の14番丁に、いわゆる裕閣のようなものはほぼなくて、
60代の女性と70代の女性で、
60代の女性と70代の女性、2人でやっている飲み屋に入って、
話をして盛り上がるっていう展開で、
そういう話なんです。
それで、たぶん若い女性に、
マグサ川岸で会いに行こうと思って、マグサ川岸がどうのこうのみたいなことを、
このお店で言ったら、そんなとこ行かなくてもいいわよみたいなことを言われて参ったみたいな。
そういう展開で、
女性たちに振り回される自分みたいな、
そういう描き方で終わっているんですが、
歯切れが悪い、いろいろ露骨な表現がいっぱい書いてあって、
あまりそのまま読み上げられないんですけど。
14番丁、マグサ川岸通り。
これどうなってるんだろうって、検索してみるといろいろ出てきるんですよね。
マグサ川岸通りは、いわゆる青線通りっていうのかな。
そういう粗末な、
1階が一応飲み屋になってて、2階に布団敷いてあるっていうような、
12:03
そういうようなお店がいっぱい並んでいたみたいなんですが、
マグサ川岸通りってどこかっていうと、
何て言ったらいいんだろうな。
今そんなもの見る影もないですよね。
ビストロ椿とかがあるところですね。
鏡橋っていう、鏡橋という信号、交差点があって、
そこから新潟駅側を向いてだと左ですよね。
左に曲がって流東橋の方に向かっていく途中ですね。
途中が今もマグサ川岸通りという住所になっているところがあって、
ぐっと道が右にそれながら流東橋と合流するというようなところですが、
この辺にあったっていうことなんですよね。
全く今見る影もない。
昔ながらのね。
ちなみにまだ若干残っている感じもありますけど、
もうないですよね。
この界隈がそういうところだったみたいですよね。
奥の方にいわゆる裕郭と言われるエリアがあって、
それが十四番町というところです。
十四番町は今も町としてはもちろんあるんですが、
ここらへんもね、あんまり私行く機会がないんですけど、
いろいろやっぱりこの十四番町のあたりを訪ねていった方が、
記事を書いていらっしゃって、
私も以前フォトウォークで行ったことがありますが、
住所でいうと、
十四番町というのは今は本町通り十四番町という場所になっています。
このいわゆる裕郭の後の建物というのもほぼ姿を消していて、
私が今読んでいる記事説と、本町の十四番町のほかに、
より月町とか横七番町とか、
この辺広い範囲で裕郭の店がポツポツとあったというような説明になっています。
でももう何も残ってないですね。
もう10年前ぐらいですかね、私もフォトウォークで行ったときに見たのか、
その後で調べて出てきたんだったか忘れましたが、
15:02
最後に残っていたのが福座旅館、旅館福座か、
旅館福座っていうのが残っていて、ここが元の裕郭だった旅館で、
その後、旅館として営業しているということでありました。
この階はあんまり泊まるところとかなかったりするので、
でも結構前聞いたら泊まる人がいるんですね。
長期滞在の建設現場で働く人たちで、長期出張で来ている人たちとかが泊まるとかって言ってたかな。
まだ需要があるような話でしたが、
今検索してみたら旅館福座はGoogle上では閉業って書いているので、コロナですかね。
もうやってないというような話ですね。
おそらくネット上に出ている記事をいくつか見ると、
一生懸命探している方がいて、ここはそうだったんじゃないかみたいな、
建物をいろいろ探し歩いている方がいらっしゃるんですけど、
ほとんど建物も壊されてしまって、
思う限りはほとんど残っていないと思います。
当然そこには新しい建物が建ったりしますよね。
この下の方は結構高齢化が進んでいると聞きますので、
新しい建物がどれくらい建っていっているのかわかりませんけど、
新しく引っ越してきた人たちからすれば、
ここが有格で、みたいな話はあまりわざわざ言わなくてもいいじゃないかみたいなところもあり、
あんまり出てこないというようなことだと思いますね。
というので、ちょっとしばらく言ってませんが、
今どうなっているかもう一度回ってみたいなというふうに思って、
お話をしてみました。
富山さんの本は、
富山大次三門役者の日本一人旅という本で、
筑波諸坊から2000年に発売されています。
もともとは1977年に白川書院より刊行されたというふうに書いていて、
後書きのところの解説は、
18:00
解説は俳優の内藤武さんが書いてある。
内藤武さんが書いたのはいつなんだろう。
これ1977年。
いや、77年じゃないね。たぶん後で書いていますね。
富山さんの不法を知ったって書いていますね。
富山さんが亡くなってから書いていますので、
この文庫版に向けて書いたのかな。
内藤武さんの解説も書かれていて、
先輩の俳優へのリスペクトがあふれる後書きになっています。
本のほうは、新潟の14番町の話はちょっとだけで、
地名は22本でして、
ざっと地名を読むと、
吉原、松戸、高知、八戸、宇部、京都、土浦、大正寺、
浦安、鶴賀、松江、博多、函館、神戸、海南、
安浦は横須賀ですね。
沖縄、琵琶湖、14番町が新潟で、
最後の章が公職旅行よ、グッドバイでだそうです。
あまり中身を確認してから、
70年代のこういう表現にあまり免疫のない方にはあまりお勧めできませんが、
歴史的なエッセイとしては面白いかと思います。
というわけで今日は、
寺山大司さんのエッセイから新潟の下町の異動町についてお話をしてみました。
ありがとうございました。
20:19

コメント

スクロール