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2021-08-18 12:43

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.47 加島屋の紙袋


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はい、みなさんこんにちは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、このアイコンですね、柏屋というお店、新潟にあるんですが、この柏屋のしかも紙袋の話をちょっとしてみようかなということです。
柏屋さん、あの、私も、これ象、なんでしょうね、ちょっと高めの象頭品というような位置づけなので、
地元で暮らしていると自分で買って食べたりという機会はなかなかないんですけど、
どういうお店かというと、魚の、海産物の加工品のお店、それをちょっと高級な象頭品のような形にしているお店というイメージでしょうかね。
有名なのは酒茶漬けですけど、その他にもいろいろこう、瓶詰めになったいろんな海産物の加工品みたいなのが売られているということなんですが、
今日はその話もあるんですけど、紙袋の話をちょっと見つけたので、ちょっとお話してみようと思います。
でですね、これは前回お話しした柏屋力太郎さんですね。
柏屋力太郎さんのことをちょっと調べようと思って取り寄せた本ですね。
これ食の文学館というですね、かつて出されていた雑誌なんだけど、ムックっぽいですよね。
雑誌なんだけど、結構分厚くて、いろんな著名人のエッセイが入っているようなものなんですが、
これの第6号、平成元年に出たもので、特集として、新潟特集ですね。
越後寺文学と味覚の旅という風に書いていて、新潟のことと、あと新潟の食べ物のことが主に取り扱われているもので、
少しパラパラとめくってみると、30年以上前ですよね。
30年前に書かれたエッセイなんだけれども、いろいろ今に通じるというか、
今もう一回掘り繰り返してみると、もうみんな忘れているけれども、こんなことあったんだとかですね。
というのがいろいろ出てくるので、また折々紹介したいと思っています。
今日のテーマはですね、この鹿島屋さんのことは三戸博子さんという方が書かれていて、
この方のことも少し調べてみようかなと思っていますが、
山形の方ですね、庄内日報論説委員とこの当時の肩書きでもなってまして、
一方でフリーライターという、庄内日報という、
坂田ですかね、坂田の地方誌というか、いわゆる地域誌と言われる、庄内地方の新聞だと思います。
この庄内日報を中心にフリーランスで活躍されている方、
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最近のご消息をまだちょっと調べてないんですけど、という女性の方、女性のライターの方が書かれたエッセイで、
ただ、新潟の食べ物とかですね、名品のことがいろいろ書かれていて、非常に興味深いですね。
今、建材のものももちろんいろいろ書かれているんですけど、
多分このお店とかはもうなくなっているんじゃないかなというようなものも出てきていて、
なかなかこの辺もですね、細かく見ていくと面白いんじゃないかなということです。
その中で、もちろん建材の方ですね、建材の方の話として柏屋さんのことが書かれています。
柏屋はですね、ここに書かれた経緯で、そうなんだと思ったんです。
鹿島調作さんという方が今のこの酒、茶漬けを作ったと。
作った?作った。前からあったのかもしれないですけど、安定的に供給するようになったんだと思うんですが、
その鹿島調作さんという当時4代目の社長さんだった、現役だったんだと思いますね、平成元年の時には。
この調作さんのことが書かれています。
今この調作さん、調作って言って思い出すのは、鹿島屋の本店に行くと2階が茶屋調作という風に名前になっていて、
そこで何だろうな、いろいろちょっとしたものを食べられるような食堂というか茶屋って書いているので、
というようなお店になっていて、さっき見たら今コロナ対策で春ぐらいから営業していないという風に書いていましたけど、
お店あるんですね、調作どんみたいな名前の、ちょっとしたどんぶりみたいなのも、どんぶりだったかな、そういう食べ物もあったりして、
調作って誰だろうなってあまり深く通知していなかったんですけど、4代目のこの当時現役だった社長さんのお名前だそうです。
この調作さんのことが書かれていて、調作さんは鹿島屋さんに生まれて、若い時は築地に修行に行って、
築地で修行している間にいろいろ魚の目利きになっていくという話で、この書かれた三戸さんによれば酒を見ただけで、
市場行って酒を見ただけで、この酒のどこの酒かということまでわかるんだというところまで行ったと調作さんが自分でおっしゃってたんですよね。
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というようなことが書かれていて、すごいなということなんですが、その後この本では昭和32年に新潟に戻ってらっしゃって、家業を継がれたということだと思います。
そこから良質な酒を目利きの力を生かして、良質な酒を調達して、そして鹿島屋の商品として開発していこうということで、いろいろほぼ回っていらっしゃると。
おそらくこの時期と北洋漁業が縮小していく時期は重なるんだと思うんですが、最初は北海道の大室町ってですね、門別の近くですかね、だいぶ北の方に大室町って、大室に武士の部って書いて大室という場所があるんですが、
そこで秋酒を入手することに成功するんだけど、たくさん調達してくるのは難しかったんだと思います。
でも最初そこの酒で、今看板商品になっている酒茶漬けを作るんだと思いますが、その後さらにアラスカに、海外に調達に行って、アラスカのキングサーモンを輸入したという話になって、
この本の中では、要するに自分たちの拠点もそこに作って、酒の時期には基地を置くことにしたみたいなことが書いてある。
今もそのようにされているかどうかはわかりませんが、そこまでして安定的に酒の通年での供給にこみつけて、年間にわたって売るようになって、今の看板商品に育ってきた、こういうストーリーが書かれています。
これは平成元年の段階での話なので、2021年の今看板屋さんの酒がどうなっているか、そこはちょっと今確認しないで喋ってましたけど、そういうストーリーなんですけど。
この話じゃなくて、実は今タイトルに入れたのが袋の話ですよね。
袋の話、実は時々新潟の人と会話しているとよく出てきて、柏屋の袋って何でしょうね。
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デパートのご贈答品の袋とか紙包みみたいな話と似ていて、普段使いの袋みたいなものとして地元の人たちに愛されていると。
うちのおばあちゃんは普段から柏屋の袋を愛用しているみたいな話をよく聞くわけですが、それはたまたまそうなったんだと思っていたんですけど、どうもそうではないというストーリーがこの中で書かれていました。
どういうことかというと、酒茶漬けに限らないんですけど柏屋の商品は瓶詰めになっているんですよね。
瓶詰めの商品は当然重たいので粗悪な袋に入れると破けちゃうということで、お客さんから苦情があったという話なんだそうですよ。
そこで柏屋さんとしても柏屋って書いてた袋なんだと思うんだけど、すぐ破れちゃうような袋を使ってたんだけど、柏屋って書いた袋をみんな持って新幹線に乗って帰っていくというところまで行ったのであれば、むしろその袋はもっと丈夫な結構高いものを使って、
それをみんな持ってその袋で新幹線に乗って東京に帰ってもらうみたいな、そういうふうにした方がいいんじゃないかということになり、今の二食づりの紺と白の高級な袋を作るようになったというようなお話なんだそうです。
ここに書かれている柏屋という文字ですね、ここの地は地元で新潟で有名な書家の江川宗竹さんといたわけですが、江川宗竹さんという人に書いてもらって、江川宗竹さんも知らなかったし、そういう人に書いてもらったということも知りませんでしたけど、
ちゃんとしたものに人に書いてもらった立派な袋というのを作って、それを新潟から帰っていく人の手元にみんな持って帰ってもらうというようなことを意識して作られたんだそうです。
今新幹線に乗る人の中でどれくらいの方がこの紙柏屋の袋を持ってらっしゃるのか、あるいは新潟駅にもお店があったと思いますが、その中でどれくらい買われていっているのかというのは、ちょっとあまり、最近新幹線も乗らないので、ちょっとあまりパッと思い浮かばないんですけど、
ただそれは地元の人たちにはむしろすごく愛されていて、地元の人たちは普段使う袋として使っている人も、本当ですかね、わかんないですけど、そういうふうに言いますよというような存在になっています。
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というわけで今日は、この間手に入れた平成元年の本をネタ元としつつ、柏屋さんの袋についてお話をしました。どうもありがとうございました。
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