1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol. 190 上越線の父、岡村貢..
2022-10-10 19:19

Vol. 190 上越線の父、岡村貢と南雲喜之七

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads

---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6025d15185b142d0d8d931c2
00:10
おはようございます。新潟のへラジオ一戸信哉です。今日は10月10日、月曜日です。
今日は祝日ですので、お休みの方も多いかと思います。
私の方も今日は出番はないんですが、大学は大体、今どこも、祝日、月曜日は大体授業、ハッピーマンデーは大体授業が入るので、本来的にはお休みではないということなんですけどね。
大学の方は今日はオープンキャンパスですね。
ウィークでオープンキャンパスって普通の授業を公開する日なので、普通に大学は活動していると。そんな状況です。
さて、それで今日なんですが、先週もちょっとお休みというかですね、ほとんど配信できなかったんですが、
先週後半はエチゴユーザーの方に行ってました。エチゴユーザーから配信するとか言ってましたけどね、ちょっと忙しくて全くできませんでした。
2泊3日で情報セキュリティワークショップinエチゴユーザーというのに行ってました。
私も運営の担当なので、ほとんどワークショップそのものは公演の話とかあまり聞けてないんですけど、ずっと運営でエチゴユーザーのユーザー町公明館とかホテルとかに出たり入ったりしていました。
それでユーザー町の会場を行ったり来たりしている間にエチゴユーザー駅の中を通るんですが、よく何回も言っているので見慣れた風景だったんですが、あれってですね、
ひっそりとですね、2人の人物のレリーフが置かれてまして、レリーフっていうのは顔を胸像じゃなくて刻んだようなものが設置されていて、なんだこれと思ってちょっと眺めてみたんですが、
それがですね、この岡村光という人と、和木之知というこの2人の人物のものでした。そこで、なんだこんなの見たことないなと思って、その場でいろいろ見たんですけど、実はこの方たちは上越線の父と言われています。
03:12
岡村光さんの方が上越線の父と言われていて、それを支えたのが和木之知であるということがわかり、それからこのレリーフも、なんだ全然気づかなかったなと思ったんですが、実は今年の9月9日に除幕式があったと。
これも帰ってきてから調べたら、新潟日報に記事が出ていたということがわかりました。
で、こちらですね。多分コロナで止まってたんじゃないかなと思うんですけど、岡村光さんの没後100年というのと、それから上越線全盛開通から90年ということを記念して作ったというふうに書かれています。
帰ってきてからいろいろ書かれたものを見たんですが、岡村さんというのが石内、南大沼市ですね。南大沼市の石内というところの出身です。
それから南大沼さんは現在ユーザーマッチの土樽というところの出身ということです。
岡村光さんはこの地域の発展に非常に尽力をした方で、学校を作ったり病院を作ったり、いろいろ資材を投じてやった人なんですが、
その中の一つとして一番大きな事業として、上越線開通のために資材を投じているんですね。知らなかったんですよね。
上越線自体の最終的な開通は1931年9月1日なんですが、実はその前に1922年に岡村さんは亡くなっています。
どういうことかというと、地元の有力者として鉄道の建設というのを一生懸命国に働きかけて、
官越トンネルでいわゆる三国峠を越えるトンネルを作って、東京から新潟への道を鉄道で確保しようというふうに運動をしていたんですね。
06:25
当然、雪も多く険しい山ですので、難所だというので、なかなか鉄道の不施設が進まないということです。
他の地域の路線のことはちゃんと見ていないんですけど、この時期各地で鉄道の建設が進んでいたのは確かなんですが、東京と新潟をつなぐというような鉄道を作れるような状況ではなく、
そしてそこにチャレンジしようというふうに予算付けされるような状況というのもなく、というわけでそういう意味ではこの地域ですね、宇和沼とか反対側の水上のあたりですかね、
この辺が特に新潟側の宇和沼のあたりが発展から取り残されていくということを有料したわけですね。
この方は、岡村さんは国会議員にもなって一生懸命国にも働きかけるんだけど、なかなか動かないという中で、最終的には自分で資材を投じて、
上越鉄道会社というのを作って、建設工事を自分でやり始めるのかな。この頃そういうのはあるんですよね。今だと地元が負担する負担しないというのは別にして、一応鉄道工事自体は国の事業として行うわけですけど、
この頃は多分上越鉄道株式会社がどんどん鉄道不設していくみたいな。そこで途中から国も資材を投じていくみたいなことになっていくのかな。
とにかく自分の資材を投じて一生懸命やっていくんですけど、なかなか進まず進まなかったんですが、だいぶ後になって国も国防上の理由により、
日本海側と太平洋側を最短距離で結ぶこの上越線の路線の必要性というのを認識し、そこを支援するというふうになっていくのかな。
09:15
着工は1918年、清水トンネルの貫通が1929年、上越線の開通が1931年ですが、1922年に岡村光宗さんは亡くなっている。
途中で日清戦争と書いてあると思うんですけど、戦争の影響で自分で作った会社が立ち行かなくなるんですよね。
日清戦争後の物価高騰で資金難に陥り、会社が解散に追い込まれるというのが、新潟県立文書館のページの中で紹介されています。
それで、ご本人は直接的な事業とは離れるんだけど、それが国策として引き継がれていって、そして岡村さんの没後に上越線の開通となって身を結ぶということなので、これが1931年。
1931年の開通から90年、100年以上前の話なんですよね。それだけの時間をかけて上越線が開通するということになります。
もちろんその後に上越新幹線というのが通って、今の新潟と東京間は最短1時間半ですか、という風にして結ばれるようになっていくということだそうです。
今回はレリーフを越後湯沢駅に設置したということで、それを見てきましたが、実はこの岡村光さんを検証しようというのはもともとあったようで、すでに石内駅に銅像が建っているそうですね。
立像が建っているそうです。
もう一人の名雲さんは土樽村長だったのかな。
12:11
なので土樽のどこだったかな。
競像が建っている、小学校建っているという方で、要するに南魚沼の石内の岡村、それから土樽の名雲と2人が尽力したということなのでしょう。
ということで今回の肖像レリーフもそれぞれ南魚沼市と湯沢町がそれぞれお金を出したということだそうです。
全く知りませんでした。
その駅にこのレリーフが立つというところまで全く知らずに今まで来てまいりましたが、そういうことがあったんですね。
面白いのはこの岡村さんの子孫は法師温泉という湯沢の人ですね。
そこを持ってまして今も人をこの岡村さんが法師温泉長寿館のオーナーで出回るというか、その家がありましてそこに岡村さんの書き残したものが残っているのかなというような状況になっているということで。
なんかテレビで見たと思うんですけど法師温泉でなかなかな人なんですよね。
ちょっと興味が湧きました。
新潟側から行くとやっと新潟を抜けたなみたいな。
なので車で行っても猿川郷とかあの辺であまり行かないですよね。
すぐもうあったかい方へあったかい方へ行こうとしてしまいますが。
なるほどそういうことだったのか。
またそしてその一帯はやっぱりね。
今ゆきぐに観光圏という風な言い方をしてますけど。
新潟川の湯沢とか宇和沼川とのエリアとその水上温泉が一緒に共同して観光キャンペーンとかやったりしてますけどね。
確かにそういう意味でつながりが強いんだなっていうのも改めてわかったというところです。
15:04
コメントをいただいております。
狭いトンネルですよね。
三国トンネル。今新三国トンネルが開通しました。
なるほど。
狭いトンネルって何ですか。
三国トンネルってのは一般道の方かな。
私いつも高速で走ってるから。
本当のトンネルはどれがどうかっていうのはあまりよくわからないで走ってますが。
そうですね。
それから越後湯沢駅、菊酒や日本酒風呂が体験できるところがある。
そうですね。
越後湯沢駅は今回もちょっと見てきましたが、
日本酒館という新潟駅にもある日本酒の施設。
日本酒を試飲ができる施設が先に開業したところです。
そこが先にあるということなんですが、
最初に言ったね、情報セキュリティワークショップに来てた皆さんの中で、
温泉に入ってからみたいなことをおっしゃってた駅の温泉に入ってらっしゃる方がいらっしゃいました。
私は入ったことはなくて、
スタッフの宿の温泉には入りましたけど、
あそこにいろいろあるんですよね、温泉に。
コマコの湯とかね。
一緒に行った大学生に、コマコって誰ですかって言われたんです。
雪国の舞台ですので、
トンネルを抜けてそこが雪国だったのは、
上越線が開通したからね。
下からこそそのストーリーが出来上がったという風な言い方もできるので、
岡村光さんがいて、
岡村光さんのおかげで川端康成の雪国が生まれた。
それはちょっと大げさか。
そういう言い方もできるかなという気がいたします。
上越線の開通って新潟県の歴史の中の1ページとしては、
ちょっと出てくることは出てきますよね。
上越線が開通してこうなりました。
上越新幹線が開通してこうなりました。
上越新幹線の開通からもかなり時間が経ってるので、
40年で何かポスト貼ってありますよね。
そういう意味で上越新幹線の開業そのものが振り返りの対象になっているんですが、
実はその前に上越線の開通というのがあって、
これが言うことを改めて感じたというところですね。
18:07
というわけで今日は、
上越線の父でと言われる岡村光宮さんのことと、
その盟友と言われる永野木之さんのこと。
永野さんのことはまだあんまりパッとわからなかった。
多分同じ地域の上野町、湯沢の辺りのリーダーだったんだと思います。
もうちょっと詳しく調べて、また今度お話ししてみたいと思います。
今日は休日ですね。
皆さん、充実したお休みをお過ごしください。
どうもありがとうございました。
何ですか。湯沢の歴史で。
なるほどね。湯沢の歴史も面白いでしょうね。
多分温泉として開業していくまでの経緯もいろいろあると思いますよね。
ちょっと調べてみて、またお話ししてみたいと思います。
今日はここまでです。
どうもありがとうございました。
19:19

コメント

スクロール