6月の時間の流れ
6月2日、第92回目の、丹羽には、にわかに庭が広い。です。
6月になってました。
日がついたら、6月でした。
いつの間になったんですかね?
なんか、知らない間にね、5月終わってましたね。
なんか、しらじらしくしてないとやってられないぐらい、時間の流れが早いです。
5月の真ん中の週ぐらいから、週に2日は絶対に雨降ってないですか?っていうぐらい、
あまり天気が良くないなっていうのを実感してるんですけど、
どうなんですかね?梅雨はまだなんですかね?
なんかもう、入っててもおかしくないぐらいの頻度で雨が降っているような気もするし、
蒸し暑いような気もするし、でも急に寒いような気もするしっていう。
6月ってもう半袖でしたっけ?なんか、何袖なんだろうって思い始めましたね。
なんだか私は5月の末の週から、冗長の波が激しい目だったので、
天気のせいにしたいし、あともなんか自分の体調のせいにもしたいみたいに思ったりもして、
天気のせいだって言い張りたかったりとか、あと目覚ましてる日の占いで、
12位だったせいだって言い張りたかったりとかするんですけど、
なんかそれでちょっと気を紛らわすような対処療法のようなことをしても、
なんか根本にあるものが治ってなかったらこの波がずっと続くのになーっていうのを考え出したりしてしまっていましたね。
原因がほぐれたわけじゃなければ、またこの波が襲ってくるなと思うと嫌ですっていう。
6月の始まりです。
2話の養鶏場、このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
思考実験アプリのお題
今回の2話の養鶏場はちょっといつもとは違って、とあるアプリに頼ろうかなと思っていて、
というのも、ただいまの時刻が6月1日の23時17分ということで、
本当はいつものように自分の考えてるモヤモヤ話そうって思ったんですけど、
6月に入っていることに本当にさっき気づいたので、
ちょっと今日は、今回は思考実験アプリっていうアプリのお題を何問か借りてお話ししようかなと思います。
この思考実験アプリっていうのは、アプリなのでスマホでダウンロードできるものなんですけど、
元々、思考実験のオンラインの集計データみたいなのを集めたサイトかなんかがあって、それをアプリ化してるみたいな感じらしいですね。
思考実験っていうものは、なんか正解はないんだけど、一応選択肢があって、どれをどういう理由で選ぶか考えるみたいな、
なんかそれをいろんな考えを巡らせるあれですね。雑です。今回は。
なんか多分一番有名なのがトロッコ問題っていう問題だと思うんですけど、一応このアプリにもあって、
このアプリは5つの大きいジャンルの中に何問かの思考実験が入ってて、なんか一応世界のって言ってるけどほとんど日本な気がするんですけど、
その思考実験オンラインのこのデータと集計されて、なんか自分は何割の人ですよみたいなのが出てくるっていうアプリですね。
じゃあ定番のトロッコ問題からいきますか。
トロッコ問題。
もしもあなたがカキのような状態に陥った時、あなたはトロッコを切り替えますか?
あなたの意見をお聞かせください。
ここでのトロッコとは、手押しトロッコではなく列車企画のものです。
ある洞窟で炭鉱作業中にトロッコの事故が発生しました。
このままトロッコが進んでいけば、奥で作業している40名が死んでしまいます。
偶然にもあなたはそのトロッコの切り替え機の目の前にいます。
そこにはあなただけしかおらず、他の人を呼ぶには間に合いません。
もしもトロッコの進路を切り替えると40名の命は助かりますが、
その切り替えた先にいる5名が死んでしまいます。
あなたは切り替えますか?っていう問題で、選択肢は切り替えるか切り替えないかの2つしかないです。
私は切り替えないかなって思います。
ちょっと…
40名の命…
なんか私がその40名の命、5名の命っていうのを切り替える選択肢を
そもそも持ってなかったことにしたいから
切り替えないっていうことを選択したいなって思ってしまうというか、
自分がいつも悶々としている選択をするという責任みたいなものを考えさせられてしまうんですけど、
だからこそ切り替えないっていう、まあでもこれも選択にはなってしまうんだけど
ことの方がどうにかこう責任というかと自然状態のまま進んだことだと言えるのではないかと思ってしまうなっていう考えです。
まあでも切り替えるの意見ももちろんあるにはあるんですよ。
なんていうか、私ちょっと言い訳をします。
なんかこのアプリのトロッコ問題…じゃない、トロッコ問題、初めて自分がトロッコ問題を見た時に出てた問題は
1人と5人とかのどっちも少人数の中でのひっかくとかだったから、
その少人数のものに関しては真っ直ぐな気持ちで切り替えないだなっていうふうに言えて、
その責任の話とか、自然の節理としてみたいな話とかをしたくなるんだけど、
でもなんかこの問題は40人と5人っていうのの選択でとかって考えると、
やっぱ40人は助けた方がいいのかなとかは思うなって思いますね。
どうなんでしょうね。でもなんか本当にトロッコ問題いろいろありますよね。
なんかこう、この少人数で比較する場もあるし、その少人数で比較はしてるんだけど、
なんかどっちかが子供で、どっちかがご老人とか、なんかそういうのもあって難しいなって思うんだけど、
でもなんか一貫した自分で入れる答えを持つんだったら切り替えないっていうので、
なんか一貫した自分を持っていたいなっていう気持ちはある。その切り替えた責任っていうのを置いたくないという、
まあとても無責任な自分とか、あとまあそのまま自然とか偶然とかに従ってくださいっていう気持ち。
ひどいかな。なんかやっぱ分かんなくなりますね。トロッコ問題ってね。
ではではトロッコ問題以外にも何個かやりたいと思ってたけど、
トロッコ問題が一番時間使えそうな気がしますね。
記憶の重要性
ちなみにトロッコ問題はこのアプリではデッドオアライブの静止のジャンルの中に入ってました。
まあ二択だったんで、小数派、多数派って偏ることはあんまりなくて、
私の選んだレバーを引かないっていう選択をする人は44%の人で、レバーを引く選択をする人が55%…55?
56%なので、まあ結構人数が大人数ってなっても半々近い感じになるんだなっていう。
やっぱ面白いですね、トロッコ問題ね。っていう風に思いました。
ではでは次はリンリンっていうジャンルの中の記憶の重要性っていう問題をやりたいなと思います。
記憶の重要性。楽しい旅行の思い出。
サリーはまるで千と千尋の神隠しのような台湾のレトロな町。9分を旅行した記憶がある。
幻想的な光に感動したことや、階段が多くて大変だったことなどの思い出もだ。
だがサリーのパスポートには台湾に行った記憶はない。というのも昔からの友人であるメイリアと記憶ディスクの交換を頻繁にしているからだ。
これは観光はもちろん、最も真面目なことにも役立つ。ダイビングのやり方だとか、英会話学習だとか。
とはいえ最近は交換の頻度が高くなり、メイリアの記憶が当たり前のように自分にある。
今後どうする?って選択肢が5つあります。
1.交換を続けても大丈夫。
2.メイリア一人ではなくたくさんの人とすべき。
3.感情を共有するのはまずい。
4.互換を共有するのはやばい。
5.思い出を共有するのはやめるべき。
という5つの選択肢があって、あれですね題材はめっちゃいいのに選択肢の文章がやばいとかまずいとか大丈夫とかふわっとしすぎじゃない?ってすごい思って
どれ選んでいいのかわかんなくなってしまうんですけど、私の意見としては
2位でですね。メイリア一人ではなくたくさんの人とすべきっていうもので。
でもこれ私一番多いんじゃないかなと思ったら、案外一番少ないんですよ。
一番少ないのが同率で2つあって、このメイリア一人ではなくたくさんの人とすべきっていうのと
思い出を共有するのはやめるべきっていうのが一番パーセンテージとしては少ない13%
のものなんですけど、そもそもこの問題はなんていうか、こう記憶したものがあってそのディスクが
自分の頭の中から出力できて友達にあげれるっていう世界観なのかなと思って、頭のどっかボタンをしたら
CDというかDVD ROMが出てきて、やきまし、記憶がやきましされて、いろんな人に渡せる。
で、それをまるで自分のことのようにまさりーは思えてしまうっていうのがあって、
なんか私はその世界観、その頭をピッて押して、DVD ROMが出てくる世界を想像したらめっちゃ便利だなと思って。
でもアンキパンの人間バージョンじゃないですけど、なんかそもそも体験って自分一人じゃ仕切れないものがあるし、
なんか例えばこうやって台湾に行くのとかだって、なんか勇気が得ることだったりするじゃないですか。
でもそれをその親友がやったってなった記憶をまるで自分のことのようにできるんであれば、
地域格差の話?田舎都会の話とか、なんかうまくやれば解消できそうでいいなと思って、
だからメイリア一人じゃなくてたくさんの人とやったらなんかもっとこう、人生広がるんじゃないかなっていう意見を私は持ってるんですよ。
まあだからその、あれですよね。この選択肢の中にある交換を続けても大丈夫っていうのと、まあ感覚は近いから、
まあ選択が2つできるとすれば交換を続けても大丈夫と、まあメイリア一人じゃなくたくさんの人とすべきっていうのになるかなと思いますね私は。
いやだってあったら便利だと思いませんか。私だけですかね。
なんかそのそれ以外の感情を共有するのとか、互換を共有するのはまずい、やばい、やめるべきみたいな、
その、やっちゃいけないみたいな選択をする人たちの意見がぜひ聞きたい。
なん、なんでだろう。なんか全然共有できたら楽しいなって思うんですけど。
なんかでもその、互換を共有するのはやばいっていう選択肢が、この問題文と当てはまってるのかって言われたらちょっとよくわからないなって、
なんか味覚の話とかも別にないから、階段が多くて大変だったとかそういう身体的なのが入ってるっていうことかな。
感情はだって知ってるじゃんみんなって思うから、別にいいと思うんだけどなーって思っちゃいますね。
感情、互換、思い出を共有するのは、やめるべきとか、やばい、まずいってしてる人たちは充実してるんですかね、自分の経験とかに。
うーん、なんでやばいとかなっちゃうのかなって思う。
私なんかは、ほとんど家にいたいような人間だから、本当にこういう交換できたらいいなーって思うタイプだし。
でも、今の現代で似たようなことが、頭ピッて押してDVDR焼きませるみたいな世界じゃ今はないけど、
幽霊に関する意見の対立
似たようなことが起こってるって言うとしたら、例えばこう、自分の周りの人がインスタに上げてるキラキラした写真を見てどう思うかみたいなのとちょっと違いのかなと思ったりするな。
まあでもあれはその感覚とか感情の共有までは言ってないけど、思い出の共有ぐらいではあるよなぁと思ってるし。
その写真とか、なんかキラキラして見えるっていうだけのものだったら、なんかこう嫉妬とか、なんで私はこんな感じじゃないんだろうとかって扇望したりとかして、
嫌な気持ちになったりもするけど、ね。
なんか丸ごとちゃんと、逆に思い出とか感情互換まで交換できてるんだったらいいと思うなって思います。
ちょっと2問ともグダグダ喋ってたらかなり長い尺になっちゃったんですけど、
ちょっともう1問だけ軽い感じの試行実験というか、こういうのも試行実験に入っていいんだっていう問題があるので、
それやりたくて。それが概念のジャンルの中にある幽霊はいるのかって問題です。
でこの問題の形式もなんかさっきの2問と違って、なんか幽霊いる派といない派の意見が出されてるっていう感じなんですけど、
ちょっと一応読みますね。幽霊いる派の意見。
幽霊現象の中でも死者の姿を目撃するいわゆる霊視現象は、
国籍、人種、宗教、教育、性別、年齢に関わらず世界各地で多数の目撃事例があるから。
もう1個、魂や輪廻転生という概念を多くの人が持っているから、
心霊写真やビデオなどの状況証拠が残っているものがあるから、いないことの証明はできないから。
で幽霊いない派の意見。幽霊人口が増えすぎで地球に収まりきらないと思うから。
幽霊の真偽についての考察
国によってデザインが違うので、文化によって生み出されたものであるから。
さああなたは幽霊いるかいないかどっち派っていう話なんですけど。
私はこの意見を読む前から幽霊いる派だなぁと思ってたから、幽霊いる派の文章を読んで納得だなぁってすごい思ってましたね。
幽霊いる派の意見の魂や輪廻転生という概念を多くの人が持っているって、
この魂とか輪廻転生の話は、
この西洋圏というか、宗教が全く違うところに行ったら、
イメージなんですけど、キリスト教って永遠の命が受けられますみたいなことを言ってるから、
結構埋葬の方法とかも違ってるっていうのがあるので、
なんか輪廻転生っていう概念が向こうの人に通じるのかなぁってすごいよく思いますね。
でも今、わりと日本だけじゃない世界中で異世界転生物のアニメが流行ってるとかって聞くと、
どう理解してるんだろうなってすごい、それめっちゃ気になるんですよね。
あと、心霊写真やビデオなどの状況証拠が残っているものもあるっていうのが、
なんかちょっとそれは、そこはどうなんだろうって思うところでもありますね。
なんかこれこそ、逆にそのデータがあったりする方が、なんか信憑性下がる分野だなって思いますね。逆に。
幽霊とかってね。でもいないことの証明はできないっていう意見あるけどね。
いることの証明もまあできないから、これはね、どうなのかなぁって思いますけど。
まあでも、世界各地で霊子現象の証言があるっていうのはなんとなく納得してて、
なんかこう災害とかで急に命が失われてしまった時に、その場に行ってみるとなんだか、
まあその幽霊そのものが見えるってわけじゃなかったりするけど、
その人にまつわるなんかお花とかでサインが起こってたりするっていうのは、なんかよく聞く話だなと思うので。
幽霊いるいないっていうか、
信じたいなって思いますね。
でもその幽霊いない派の1個目の意見。
幽霊人口が増えすぎで地球に収まりきらないと思うっていう意見もなんとなくわかる。
まあ地球に収まる収まらないとかの話かどうかは置いといて、幽霊って浮いてるんじゃないのとか思うから。
置いといて、なんか私もそのお墓ってあるじゃないですか、お墓。
あれってその、永遠に増えて人口よりも多くなるよなって思うことがあるから、
なんかこの幽霊いない派の幽霊人口が増えすぎでっていう部分が納得いくものだなって思ったりもする。
その幽霊とかお化けとかを怖いものとして捉えるとすごい嫌というか、いないで欲しいなって思っちゃう部分もあるけど、
でもなんかこう、やっぱ私はここにいたよっていうサインを与えてると思えば、
うーん、いるって信じた方がなんか自分のその後のためだなって思うことがありますね、なんだかよくわかんないけど。
まあ私幽霊見えない霊感がないので何とでも言えてしまうんですが、
という幽霊いる派のふんわりした意見でした。
なんだか長くなってしまいましたが、試行実験たまにやると面白いというか、
なんか自分のことばっか考えてる私みたいな人がちょっとやるとちょっと面白いなって思うので、
やってみて、なんかいろんな人いるなって思うと楽しいかなと思います。
ちょっと他の人の意見も聞きたい。幽霊いる派かいない派かぐらいは。
ドロッコ問題は難しすぎるし、記憶の話はなんかちょっとフィクションすぎるけど、
まあでもドラえもんの暗記版と思えば欲しいですよね、その機能ねっていう話でした。
そろそろ第92回目を終えようとしているところです。
ちょっとなんやかんやめっちゃ長くなってしまいましたが、
いつもとちょっと雰囲気の違う2話か2話、どうだったでしょうか。
たまにはいいですね、こういうのね。たまには。
本当は今日話そうと思ってた話は、
なんか自信を持つ、自信があるみたいな状態ってなんなんだろうなっていう話をしたかったんですけど、
そう、でも、でもやっぱうまくまとまらなさそうだなと思ったので、試行実験アプリに頼りました。
自信があるとか自信を持つっていうことについて、
なんか、それと責任とかを一緒にミックスさせて考えたりしてたんですけど、
なんか、そう、たぶん一連れ話すから、
自信を持つ、自信があるってどんなっていう意見をお便りで頂戴したいなと思ってます。
あと逆に自信がないってなんなんだろうとかも考えて、
自信のなさ、自信のあるなしとか、
そう、自信のあるなしについていつか絶対話すので、
ちょっと先に珍しくお便りを募集してみたいなと思っています。
話し終えたら6月2日が回ってしまいました。
また、二のつく日には庭がにわかに広い庭を開きますのでお楽しみに。
では。