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2024-11-30 28:49

ドキュメンタリー映画「オン・ザ・ロード~不屈の男 金大中~」

韓国の近代史に興味が湧いていたところに「オン・ザ・ロード~不屈の男 金大中~」が公開されていたので観てきました。良かったです。

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こんにちは、ninjinkunです。
今日はね、またいい映画を見ました。
東中野のね、あの、ボトキャストとかが撮れるビアバーである雑談がある東中野ですけど、
そこのポレポレ東中野っていう映画館がありまして、
ここでやっている、えーとですね、不屈の男、あ、違う、オン・ザ・ロード不屈の男 金大中というね、ドキュメンタリーですね。
このポレポレ東中野は、かなり、あの、結構ですね、ドキュメンタリーとか、
あとは、低予算系のね、あの、新しい監督の、若い監督の映画とか、そういうものを、あの、かなり、あの、意欲的にね、えっと、上映している映画館なので、
たまに、今週見るものないなと思ったら、ポレポレ東中野をチェックして、面白そうなやつを見に行くんですけど、
えっと、この、えっと、オン・ザ・ロード映画ですね、
えっと、ちょうど、私はこの前、KCIA、ナムさんの部長たちというね、映画を見て、
ちょっとまた韓国のね、あの、そういう民主化みたいなことに興味が湧いてたところに、ちょうどこのポレポレ東中野のページを見てたら、
お、このなんか、キム・デジュンの、あの、ドキュメンタリーやってるやん、というのをね、発見して、
なんで、もともと上映してるのは知らなかったんですけど、これは見とくべきやなと思って、見に行ったら、
いやー、良かったなっていう内容でした。
で、えっと、キム・デジュンはですね、もう亡くなっているんですね。
で、その生誕100周年をね、記念して作られたドキュメンタリーで、
えっと、このキム・デジュンが生まれてから、1987年の民主化の、初の民主化後の初の選挙が行われる年かな、はい、までの話を描いている内容ですね。
で、キム・デジュンはこの後に大統領になるはずなので、その話はですね、書かれてなくてですね、
えっと、主にその、まあ、軍事政権下でね、いかに彼がいろいろ苦労したかっていうことが、えっと、この内容では語られています。
けど、もうこのドキュメンタリー、なんか三部作構想らしくて、これが第一弾だから、えっと、彼が、えっと、その民主化後に、またね、苦労するっぽいですけど、その辺りは次のドキュメンタリーに入るっぽいですね。
いやー、で、私はその、キム・デジュンね、えっと、元大統領が、まあどういう人かは、名前はね、もちろん知ってたんですけど、どういう人かはね、あんまり知らなかったんですが、いやー、まさにね、この韓国のその民主化の歴史そのものみたいな人で、
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で、まず生まれが、えっと、日本統治時代の韓国のね、南の方の島で生まれて、その後、えっとね、これ発音なんだっけ、モッポか、木裏と書いてモッポの高校に入って、で、まあ成績一緒だったらしく入って、で、そこの高校にね、あの、出席で入って、
で、そこを卒業して、えっと、なんかその、海運のね、会社に入って、まあそこでかなり成功して、えっと、結構、もう、当時、ジープをね、乗り回してたみたいな、その当時、ジープに乗れるのはね、そのモッポでも数人しかいなくて、まあそれぐらいお金持ちだったと。
なんか家のタンスに、あの、お札が詰まっているのを、あの、よく見てましたみたいなね、その子供の焦点が、子供があったかな、場合の人かな、焦点があったりして、なんで早く若くしてね、成功した青年実業家だったんですが、彼がその後でですね、えぇ、朝鮮戦争がね、勃発して、その時に、えっと、北朝鮮にですね、えっと、連行されてしまって、
どうも、えっと、商売のためにね、右翼団体に名前を連ねたところ、まあそれが問題だということで、ショッピーかれて、で、刑務所に入れられて、で、あわや処刑課というね、ところで、えっと、連合軍が、えっと、その、や朝鮮課をね、抑えるために入ってきて、まあそこで解放されたというところで、なんでまずね、ここで旧市に一生をね、拾ってるんですよね。
なんでそこでもう1回死んだつもりで、あの、このね、もらった命を、あの、政治にね、使おうというふうに目覚めたらしいんですね。
で、当時は、あの、大統領が、えっとね、これね、パンフ買って、パンフすごいよくできてるんですけど、このパンフを買ったおかげで、今日の昼飯代がなくなったんで、家に帰って食べました。
えっと、一寸満、大統領か。この人は、まあ元々かなり期待されてた大統領で、えっと、まあ、あの、3期ぐらいやってるのかな、初代、2代、3代までやってるので、それは人気があった人のはずなんですが、結構後半の方では、あの、もうね、自分の再選の目がないとわかると、
あの、その、選挙の方ね、結構不正選挙の方に誘導したりして、だいぶ、あの、権力にね、執着するようになって、怪しくなってた人らしくて、で、まあ、その一寸満に対するね、不満というのは全体的に高まってて、まあ、その中で、まあ、その、金平順も、こう、まあ、政治がね、やっぱ良くないから、俺もいっちょ政治家になってやってみようということでですね、
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政治家になるんですけど、えー、3回出馬して、えー、3回落ちると、なんで、まずは落選しまくるっていうことがあって、で、その落選するとですね、まあ、選挙のね、旅にお金がかかるんで、えー、1回出るだけでも家が固むときと言われてるのに、3回、えっと、落ちたんで、もう全然お金ないですっていう風になって、
で、奥さんが、あの、子供をね、2人いるのに、奥さんが美容院で身をこにして働いて、えー、で、彼をね、支えてるんですけど、えっと、まあ、そういう感じで、政治家になろうとするけど、なかなかなれないという、えー、日々が続くと。
で、そうこうしてるうちにね、奥さんはね、32歳ぐらいで亡くなっちゃうんですよね。それも、なんか胸の病気で、えーと、お金がね、ないためにもろくな治療も受けられずに亡くなったというのはね、めちゃめちゃショックで、いや、お前が選挙に出まくるせいやろうが、みたいな感じはあるんですが、いやー、ちょっとね、あのー、まあ、この辺、この辺りは普通に、あの、責められて仕方ないと思いますが、まあ、そういうことがあり、
えー、婦人がね、途中で病死して、で、その後で、えー、まあ、あのー、党からですね、これ何党だったかな?民主党かな?民主党の中で、えっと、結構ね、その弁説の際を変われて、広報、なんていうんですかね、いろいろ答弁をね、する担当になって、まだ、あの、国会議員じゃないんですけど、席はないんですが、そういう役割になって結構注目を浴びて、
で、その後で、えっと、国会議員にね、もう1回、えー、立候補して、ようやく4回目に当選すると、いう感じで、なんで、えー、選、政治家を志してから、10年ぐらいね、当選までかかってますね、まあ、地盤みたいなのがね、ない中で、あのー、いきなり、多分、出てきたので、かなり、その度に苦労したんだと思いますが、そこでようやく、えー、当選すると。
で、結構、あのー、当時は、例えばなんか、えっと、日韓のね、国交正常化みたいなところが結構、キーで、で、まあ、その当時の大統領、これはですね、大統領が、もうね、この時は、えっと、あれか、パクチョン比に変わってるのかな、そう、このパクチョン比は、えー、軍事空手団をですね、起こして、えー、
そこから、軍事政権をね、成立させた大統領で、さらに、その後、自分でまた大統領に立候補して、当選して、えー、まあ、そこからね、まあ、独立、独立じゃないな、えー、独裁政権か、を作ったことで、まあ、非常に、あの、悪名高い大統領ですけど、このパクチョン比が、えーと、大統領のね、時代ですね、
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で、その日韓のね、えっと、国交正常化を大統領がしようとしたんですけど、えーと、野党はね、みんな反対したんですが、この決め手順は、いやいや、日韓、この国交正常化、あの、もし韓国に利益があるならやるべきでしょう。
で、その代わり、こういうことには、ちゃんと、あの、例えば、列審ね、認識の問題についてちゃんと話し合うとか、えー、まあ、そういうね、あの、ところをきちんと詰めてやってくれっていうね、ふうに、こう、なんですかね、賛成しつつ、あの、いろいろ修正提案をね、してくるっていう感じでやってきて、で、大統領はね、あの、反対してる奴はあんま怖くなかったらしいんですけど、この、あれですね、
決め手順のね、言ってることにはかなり、こう、まといてるとこがあったらしく、ここからその、パクチョン1をちょっと決め手順ってやつはちょっと怖いなっていうふうに思ったらしく、し、ですね、ここから結構因縁が始まるみたいな感じの内容になってました。
で、そうそうそう、で、で、このパクチョン1政権はね、やばくて、まあ、あの、この政権時代に韓国はすごく経済的なね、成長を見せたので、
まあ、その経済成長をね、してると、やっぱみんな、あの、生活がね良くなってきますんで、まあ支持率はね高いですが、まあその一方で、その自分のね、その権限をどんどん強化するような法律を定めていって、
憲法をね、変えまくるんですよね、この人たち。韓国って確か憲法を結構変えやすいんじゃなかったっけ?あの、日本はだいぶ憲法を変えづらい方だと思いますけど、韓国はね、やたら改憲するんですよね。
それで、もともと韓国の大統領は2期までしか勤めれないのを、この人は無期限に勤めれる風に変えてしまうし、最終的には国会も解散するし、もうね、めちゃくちゃですよね。
なんで最初は、えっと大統領がいけない格があってっていうスタイルだったのが、最後の方ではもう完全に独裁政権になっていくというヤバい大統領なんですけど、で、このいう体制の中で、まあえっと
キムデジュンはその政権に対するカウンターというか、野党としていろんな政治活動を展開していくというので、かなりね、睨まれていくんですよね、その大統領陣営の方に。
で、そういう過程の中でですね、これ、アンプに燃料ついててめっちゃ便利なの。
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そう、その中で、えっと、一回ね、その交通事故にあって、どうもこれも大統領側の陰謀ではないかと言われてるっぽいんですが、で、その治療の時にね、日本に来てたんですけど、
そこからですね、えっと、日本の国内でホテルに滞在中に、韓国のKCIAにですね、拉致されて、あわや殺されそうになるというヤバい事件が起こって、
そのKCIAに拉致されて、関西の方まで、アジトがあるところまで連れてかれて、で、そこからさらに船で、韓国に向かう船で、密港というか、正式な船ではない船ですよね。
で、その船の上であわや殺されるかというところで、海上保安庁がですね、えっと、その事態をね、アメリカも日本も察知して、で、海上保安庁がその船の上にヘリで乗りつけて、光と音で威嚇を行ったおかげで、
KCIAはその場でね、彼を海に沈めるために、体に思いをつけてたらしいんですけど、本当にそこから海になり込まれる直前で、海上保安庁がそれをね、止めることに成功したらしく、いやー、海上保安庁ぐっちゃぶっていう感じですね。
まあ、日本としては、えっと、日本の国内で、その、外来の情報部が人を拉致してね、しかも、そう、殺そうというのは、完全に国家がね、侵害されているというので、めちゃめちゃキレてるわけですよね。
で、そういうので、日本側でも、このキムデジュンがね、すごい、あの、やばい目にあってるということが認知されて、で、国としてもちゃんと行動を起こしたということで、いや、当時の人たちは偉いですね。
はい、で、そう、まあ、それでなんで、最初の朝鮮戦争の時に旧姓一生を得て、今回もまた旧姓一生を得たと、いう感じでね、この人ね、もうやばい目にあいまくるんですよね。
で、えっと、そこからまた韓国に帰ってたんですが、えっとですね、またやっぱり睨まれてですね、投獄されちゃうんですよね。
これはあれだったかな、投獄される前に、えっとですね、この、まあ、戒厳令とかがね、出まくってる状態なんで、戒厳令を撤回しろ、あの憲法を元に戻せ、というか、まあその独裁やめろ、民主化にしろっていうね、声明を複数人の連盟で出したんですけど、11人って言ってたかな。
ただまあもうね、完全にその、民主主義が止まってる状態で、連絡の自由もない状態なんで、こういう声明を出すと、絶対逮捕されますと、投獄されま、っていう状態の中、まあその勇気ある人たちが、まあその声明をね、出して、みんながね、だいぶ諦めてる中なんですけど、出して、その結果ですね、投獄されますと。
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で、7年間、牢屋にね、刑務所に入りますっていう感じなんですよね。
このドキュメンタリーは、えっと、ここまではね、結構、まあニュース映像とかね、あの、その、キムデジュンのね、映像そのものは、あんまりない時代が最初はあるんですけど、たぶんそのテレビとかのね、メディアが発達してない時代なんですが、この辺り、70年代に入るのかな?から、えっと、だいぶ、あの映像がね、充実してきて、あの、実際のキムデジュンの演説映像とかもね、入ってきて、
本当にね、あの、ダビングされまくったテープの画質みたいな、あの、途中で昔のビデオのね、あの、なんか、あの、劣化したビデオの、あの、帯が入ったり、途中で白黒になったりするようなね、画質の劣化があるテープがそのまま使われてるシーンとかが、ただね、あの演説の内容自体は、あの、とても力強くて感動的なんですけど、
こういうのが入ってきて、結構ね、この辺りから映像が充実しだしますと。で、この後ですね、この刑務所内で、結構腰とかを悪くして、その中でアメリカに行ってね、治療をしないかという話が、えっと、まあそのCIA側から出てきて、その代わり、あの、アメリカで政治活動をすんなよみたいな。
最初は拒んでるんですけど、で、奥さんがね、いやあんたこの後、あの、体壊しちゃうからって言って、で、結構健康状態が悪化してたんで、まあ渋々、アメリカ行きに同意し、ただ、えっと、政治活動はしないっていうのは最後まで署名せずに突き通すみたいな感じで、で、アメリカに行くんですが、あの女政治活動しまくりますと。
で、まあ、あの、いろんなワシントンにね、えっと、住んで、治療をしつつですね、とにかくいろんな人と会いまくって、テレビとかにも出まくって、で、まあ、最初は誰もその韓国の現状とか知らないんで、いやあんたのとこ、北朝鮮よりマシでしょみたいなことをね、言われたりするんですけど、あの、いやいや、そうじゃなくて、俺たちはもともと民主主義やってたのに、今それがなくなってんだよみたいなことを訴えていくという。
で、そう、結構印象的だったのが、テレビに出た時に自分で英語を喋ってるんですよね。もちろん発音はアメリカ人みたいなわけにはいかないんですけど、なので、えっと、英語をね、かなり勉強してる、まあ、たぶん実際はスピーチを覚えてたのかもしれないですけど、えっと、勉強して自分で言葉でね、語れるようになってるっていうのは、これはすごいびっくりしましたね。
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日本語でね、スピーチしてる映像もあって、これはたぶん日本統治時代に共有語で出るから、日本語はできるんでしょうけど、そう、英語はたぶん後から覚えてるんじゃないかな、すごいですよね。で、各界のいろんな人と会って、どんどん見方を増やしていって、なんかね、途中でビルク・リントンにもね、会ったりしてるシーンがありましたね。
で、えっと、まあ、2年ぐらいアメリカで亡命生活をして、で、いよいよじゃあまあ帰国すると。で、帰国するとですね、する前にですね、えっと、フィリピンの、えっと、アキの、あれ?タイトルだったっけ?が、アメリカからその前に亡命してたんですけど、えっと、本国に帰ったときに、えっと、そのまま殺されちゃったっていう事件が起こって、
彼をね、このまま帰すと、あの、絶対ヤバいことになるっていうので、えぇ、その、彼のキム・デジョンの味方の、えっと、アメリカの議員とか、菓子とかが、一緒の、えっと、飛行機に乗り込んで、もう第二のアキのにはさせないということで、えっと、一緒に来てくれるみたいなね、そういう、それぐらいすごく見方を増やして、えぇ、帰ってくると。
で、その帰ってきたのが、ちょうどその、選挙のね、直前、4日前かな?に帰ってきて、選挙ね、まだやってるんですね。で、選挙、あのーが、えぇー、で、その時に、えっと、当時の、えっと、えーっとですね、だからみんな、民主主義は完全に諦めている状態だったんですけど、その彼が帰ってきたことで、すごく、あの、みんな盛り上がって、野党はね、これですごく、えぇーと、
実績をいっぱい獲得するということがあって 非常に勢いがつくということがありました
はい どんな感じだったかな
もうほとんど筋をしゃべってる感じになりますが 筋っていうか歴史的な事実ですけど
えっと あそうかでもこの前に あのあれですね
もう一つクゼタが起こってるんだ
えっとこれがちょうどこの前見た映画の KCIAのナムさんの部長たちで
KCIAのね その部長が当時のこのさっきの大統領 ファクチョン・ヒョウを殺害するというね
クゼタが起こって それがそのKCIAのその映画で出てきた話で
その後が今年見た映画のソウルの春につながるんですね
ソウルの春であわやというか ついにソウルの春っていうぐらいなんで
民主化来るかと思いきや そこで実験をに行ったのがチョン・ドゥファンで
チョン・ドゥファンですね
この人ね なかなか悪役っぽい顔してていいんですよね
まあいいって言ってと失礼ですが
でこの なんでチョン・ドゥファンに見誉まれて
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それでアメリカに行って 帰ってくる時も
だからチョン・ドゥファンにね オードされまくってるんですね
帰ってきたら安全は保障できないとか言われてて
だからこのチョン・ドゥファン政権時代に帰ってくるのか
このあたりから私もいろんな映画で見た知識と歴史がつながってきたんで
これ真剣ゼミで見たことあるやつっていうね
やつですねっていう感じになって
でこのしてる間に公衆事件も起こるんですよね
これはね確か彼が刑務所に入ってる時に起こって
公衆事件というのは
デモを起こした市民たちに対して
軍が発砲して100人ぐらい死ぬっていう非常にやばい事件ですけど
この公衆事件自体が
その勤務手順をね解放しろっていう
学生たちの運動で始まったらしく
なのでそれを知ったその国中の勤務手順は
非常にショックを受けたらしいです
つまり自分のためにね人がいっぱい死んだので
ああいう公衆事件が起こり
公衆事件はねタクシー運転手という映画で
ソン・ガンフォがタクシー運転手の主人公を演じた映画ですけど
そのどうやって公衆事件が
海外のメディアによって明るみに出たかっていう映画で
これも面白いんでおすすめですが
になり
それで最後に
これも映画1987ある戦いの真実で
映されている本当にね市民のあの
怒りというか民主化に対する気持ちが
もうね誰も彼もデモをするっていう状態になって
爆発してついに1987年に
民主化を市民が勝ち取るっていうことが起こるんですけど
まあそこに繋がっていくという感じですね
いやー
でまあその市民たちの
ヒーローというかのがキム・デジュンで
まあ彼はねずっと
この軍や民主化が必要で民主化のためには
まあその国民の一人一人が
暴力的じゃなくて非暴力で立ち上がっていくことが必要だし
私はそれを信じてるみたいなことを言ってるんですが
なんでその
ある種のよりどころというか
その国民感情のよりどころとして
キム・デジュンがずっと第一線に立てたという
まあそういう感じですと
あとねびっくりしたのが
結構その民主化運動をね市民が起こしていく中で
えっとある何市だったかね
名前がちょっとパッと出てこないんですけど
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あのある市の人たちが武装放棄をするんですよね
実際にその銃とかを手に入れて
国軍相手に戦うっていうことをして
これはね知らなかったんで相当びっくりしました
あのその民衆普通の例えば石を撫でたりするデモがね
行われていたのは
まあその1987ある戦いの真実とかでね
かかりさんで知ってたんですけど
市民が銃を取って軍隊と戦ってたっていうことがあったっていうのはね
初めて知ったんでそういう映像もちゃんと残ってて
でまあ最終的にはあの軍が突入して
死者はめちゃくちゃ出て
みんな殺されるか逮捕されるかしてしまうんですけど
いやーこれシビルボーじゃんっていうね
内戦じゃんっていう状態になってたっていうのはね
知らなかったんでいやーすごいですね
いやそんな感じで
まあその1987年の民主化がようやく行われるってところで
このドキュメンタリー第一部間という感じになっております
いやー私はねこのやっぱ今年ソウルの春から始まって
いろいろこの辺りの映画をね見たおかげで
結構韓国の民主化のね流れが頭に入ってたし
興味を持ったってこともあって
このキムデジュンのドキュメンタリーとてもあの立体的というかですね
実感を持ってみることができたんですごい良かったですね
やっぱりこう市民が連帯してこうデモをしていくシーンなんかは
どうしても胸が熱くなってしまいますし
はいいやーしかしすごいですね
このキムデジュン本当に何回も旧市に一生
もう一回旧市に一生あるんですよね
一回そのさっきの
何だっけ
チョン・ドファンの政権時代にですね
公衆事件とかをお前が主導したろっていう審判員に仕立てられて
死刑判決を売れてるんですよ
でこれも本当にいつ死刑になるか分からない中で
つまり死刑の執行がねいつ来るか分からない中で
非常に怯えた日々だったっていう回想があるんですけど
この時はかなり国際的な世論が盛り上がって
日本とかアメリカでも
特にね日本のデモの様子が映されてて
キムデジュンを解放しろっていうデモがかなり行われたっぽくて
これはね全然知らなかったんで
なんで外務省とか日本政府は
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韓国にキムデジュンを解放するって圧力をかけろっていうねデモとか
弁護士の人たちがそういう勉強会というか会を作ったりして
かなり日本でもそういう活動が盛り上がったらしく
そういう海外からの圧力があって
結局キムデジュンは死刑から無期懲役に原刑されたっていうので
ここでもまたね命を拾ってるっていう事情がありますと
いうので
いやこの時も日本の人たちが頑張ったっぽいので
グッジョブですよね
いやーそういう
あとやっぱこの70年代80年代は本当に映像もいっぱい残ってて
その日本のデモとかもちゃんと映像で見られますし
こういうものも見れてよかったですね
はいやばもう30分ぐらい話してる
というわけでどんどん内容をしゃべっちゃったんで
なんだろうでもこれね日本で上映してる映画館3館ぐらいしかなかったんじゃないかな
もしかしたら今後拡大するかもですけど4館ぐらいか
もっと広く見られてほしいので
サブスクとかに来るかな
もうちょっと広く見やすい体制になるといいと思いますが
見れる機会があったらこれ
NHKスペシャルを2時間やってるみたいな感じのノリで見れると思いますので
おすすめです
はいでは今日はオンザロード 靴の男 キム・デジュンについてお話ししました
ありがとうございました
28:49

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