私は人間になろうとしている。
今日はお父さんとの話をしたいと思います。
なんかシンプルなね、テーマでございますが、 まあいろいろね、皆さんお父さんとの関係性、
いろいろ良好な方も良好じゃない方も、 まあご縁がない方もいろいろいらっしゃるかと思うんですけれども、
私はあの思春期の頃は最悪でした、父との関係は。 本当にね、
どれぐらい最悪だったかというと、私は家でした経験もあるし、
マジで何年かぐらい温真不通になっちゃった時もあったし、
あとは久しぶりに実家に帰ってきて、 お父さんと大喧嘩してつかみ合いのとっこみ合いになって、
その騒ぎを聞きつけた近所の方に警察呼ばれて、 警察官の人に仲裁してもらったことがあるぐらい、
父とは、 喧嘩をよくしました。
その当時はもう笑えないって感じでしたけど、 今となっちゃね、笑いごとに私はしています。
では多分記憶から抹消していると思うけど。
そんなね、あの父ですが、うちの父は、 住んでるところは江戸ではないんですけれども、
家のね、親戚とかが江戸の家賢みたいで、
父もね、あのなんて言うんですか、 本当に信じられないかもしれないんですけど、
左、あの右左の左を、あの左って言えない人なんですよ。
なんて言うかというと、しだりって言うんですよね。
何回も左だよって言っても、しだりって、 絶対にね、きって言えないぐらいの江戸っ子でございます。
そんな父も今年80ぐらいになったのかな、 ちょっと正確な年齢覚えてないんですけれども、
でも80突入しているはずで、
私はその当時にしちゃ遅くできた子供なのかなという感じですが、
先日あの父とね話した話の中で少し感動したことがあって、
まあできる限りね私、両親の話とかは、 音声とかね、まあ日記とかにもよく書いてるんですけど、
記憶に残しておきたくて、
まああの会った時はね、最近は写真じゃなくて、 もう動画で彼ら彼女の姿を撮って、
大切にしていたりします。
それは何でかっていうと、
ね、もうそんなに遠くない将来、
彼ら、彼女と、彼女らと、
らっていうか、まあ違うよね、
まあ父親母親と、
さよならしなくちゃいけないってことが、
昔よりもね近くにあるっていうことを認識しているから、
まあ楽しい思い出だったりとか、
私がいいなって思った記憶、
私どうしてもね会話が小さいっていうのと、
日々を割と一生懸命言っちゃうタイプなんでね、
そういうことを忘れてしまうという自分の特徴を理解していますので、
まあ少しでも記録に残しておきたいなっていう気持ちがあって、
まあせっかくポッドキャストをやっているので、
ちょっと父親の話もしておきたいなぁと思って、
今回は父の話をしようと思います。
今というか、父はですね、
私が生まれるちょっとぐらい前、
ちょっとぐらい前というか、昔頃か、
父はずっと自営業で会社をやっているんですけども、
昔はねレースのエンジニアをやっていたみたいで、
その実家の生業としては、
車の修理工場をやっていたみたいです。
ただオイルショックとかもあったり、
兄が生まれるってことがわかった時に、
母と相談して、
ちょっとこう在庫を持ったり、オイル系だったりとかね、
まあ値段が高かったりとか、
あとお客様が減ってしまったりっていうこともあって、
清掃業ですね、ビルメンテナンスとかの仕事を始めるっていうことに、
仕事内容を変えて、私が生まれる頃ぐらいかな、
から、清掃業、クリーニング業、
お洋服のクリーニングじゃないですね、
お掃除屋さんっていうのを始めることにして、
今でもやっています。
なんでね、そのお掃除屋さんにしたのかっていうのを、
たびたび聞いたことがあって、
父が今のお掃除屋さんを始める当時っていうのは、
不動産とかを立てたり、
街を作るみたいなニーズっていうのが、結構経済的に高かったみたいで、
そうなると、お掃除をする人たちが必要になるっていうことを、
新聞か何かで見たらしくて、
需要があるけど、人がやりたくなさそうな仕事で、
自分ができそうな仕事だなって思ったのと、
人がやりたくない仕事っていうことをやれたら、
社会の貢献にもなるし、
社会の発展にも貢献できるなって思ったから始めたんだっていうふうに言ってましたね。
母はそれと違う視点で、
修理工場ってやっぱ在庫を持つので、
お掃除屋さんは在庫を持たないから、在庫ない仕事だからいいよっていうことで、
夫婦で、
いいねっていうことで始めたっていう話を聞いています。
自営業で全く違う仕事を始めるっていうのは、
例えば今私が社老子になるために勉強してて、
ただ資格取っても、一から営業して仕事を取ってやっていくしかないなって、
やっていくしかないなっていうとネガティブですけど、やっていくっていうふうに思っている中で、
私も昔自営業というか、個人事業主で働いてたってところもあるので、
やっぱり職種転換して、
仕事をね、案件を取ってくるって結構大変な
ことだと思うんですよ。
かつ子供もできて、今から稼がなきゃいけないみたいなプレッシャーの中で、
だから初めて2人が取ってきた仕事っていうのを、今でも覚えてるっていう話を結構教えてくれて、
あの、
初めての仕事が1畳ぐらいの大きさの、
じゅうたんを洗う仕事だったみたいで、
もうそんなの、ちょっとした時間で終わっちゃう、
もう1万円ぐらいの仕事だったと思うんですけど、
なんかそれをもう一生懸命丁寧に、
あのありがたいねって話しながら取り組んで、
まあそこからこんなに一生懸命やってくれるんだったら次の仕事もあるよみたいな感じで仕事をつなげていって、
まあ、少なくとも私たちを育ててくれるぐらいの会社に2人で大きくしてくれたみたいなね、
なんかそんな心温まる、ちょっと私からすると感動するような話とかもたまに聞いたりで育っていました。
まあその父もね、80歳っていうことで、
そろそろ会社を畳む準備を考えてるっていうことを割とずっと聞いてはいたんですけれども、
メーカーにね、この間ちょっとご飯を食べた時に聞いて、
やっぱりこう清掃業、そのお掃除屋さんっていうのは体を使う仕事なので、
どうしても80歳ってなるとね、うちの父結構が体が良くって、
まあマインドもめっちゃ元気なんで、年齢の割には全然元気なんですけど、
やっぱり疲れちゃうっていう、体力的にも難しくなってきてるみたいっていうのと、
コロナの影響とかでね、景気とかの影響で、
まあここ数年で結構厳しが、仕事が結構減ってきてしまっているっていうのこともあって、
まあそろそろ畳もうかなっていうふうに考えてるっていう話でした。
まあね、自営業っていうふうに聞いていると、まあ響きはいい。
まあ要は社長ですからね、ですけれども、
まあ社長って言っても、そんなにこう大きい企業の、もう年収何千万みたいなね、
会社とは全く違いますから、
やっぱりお金の面では不安はあると思っていて、
あとやっぱ年金がね、会社勤めじゃないので、やっぱりかなり少ないっていうところもあって、
まあ仕事を畳むっていう決断は結構ね、お父さんとお母さんにとっては、
シビアな決断なんじゃないかなっていうふうに思ったりはするんですけれども、
あの、
まあそんな父が、まあ仕事を畳むよっていう、畳もうと思ってるんだよみたいな話の流れから、
なんかすごくね、取り留めもない話をすごい長くずっとするなぁと思って、ずっと聞いてたら、
最近、ここ数年取引のあった税理士の人ともちょっと揉めちゃって、
新しい税理士の方を探してたらしいんですよ。
最近やっと信頼できそうな税理士の方と出会ったっていう話をしてるんだなっていうのがわかってきて、
そこで新しい税理士の方に、今までの父の会社の経営状況だったりとかっていう書類を見ていただいて、
それを見ていただいた後に、その税理士の先生から、
いや今までよくすごく頑張ってこられたんですね、って褒めてもらったっていう話をしてるんだってことがわかりました。
どうもね、なんかちょっと江戸っ子だからなのかわかんないですけど、ちょっと父の話が、
え?みたいなところが結構多いんで、
あ、あ、ってよく聞いて、まあそういう話をしてるっていうのがわかったって感じなんですけども、
その税理士の先生曰く、自営業とか法人だと、
まあ、そう業して10年、10年後の生存率っていうのが、
だいたい、私もちょっとその後ネットで調べたんですけど、
6.3%っていうことで、私が思ってるよりも相当低いんだなと思う。
10%ぐらいっていうのはなんか認識してたんですけど、
10%もいないんだっていうね。
で、その6.3%の中の法人も、
いくつかその業務内容を変えて、例えばお蕎麦屋さんがダメだったからピザ屋さんやるとか、
まあそういう感じで、業務形態を変えて生き残っていることっていうのが多いらしくて、
一つのなりわい、そのお掃除屋さんっていうね、うちで言うとお掃除屋さんっていう名目で、
40年以上も存続して、
しかも家族を養ったなんてすごいことですよっていうのを、
その税理士の先生に褒めてもらったっていうことで、すごく嬉しそうに話をしていました。
教えたく!認可め!
褒めてもらったっていうこと自体も嬉しかった、かなり嬉しかったことみたいなんですけれども、
プラスアルファとして、もし会社を畳むんだったら、事業継承なども探すことができるよっていう提案をしてもらったそうで、
その事業継承をどうするかみたいな話はちょっとさておきなんですけれども、
ここから先、父が話してた内容がすごく私の心に残ったので、ちょっとお伝えすると、
父が言ってたのは、これから老人となって、世世を生きていく側の人間になってきているのに、
その存在していることの価値を人様に褒められて、必要とされたことが嬉しかったって言ってたんですよ。
その言葉を聞いたときに、すごく嬉しいなっていうのと、すごく誇らしいなっていうふうに感じたんですよね。
仕事の、最近ちょっとやってる、お父さんがやってる仕事の話とかも聞いてると、
いやそんなの要領よくやりゃいいのにとか、正直なことやるからもそうやって面倒くさいこと起きたりとかね、
正直に思うことあるんですけど、でもズルとかは本当にしなくて、
真っ当に、誠実に仕事に取り組んでるなっていうのを、
私も若い時、お父さんの仕事とか手伝ってたんですけど、
あの時よりもその誠実さっていうのは、多分意識的にというかですね、
誇りを持ってっていうのかな、やってるんだなっていうのをすごく感じて、
80歳になってもやっぱり社会とつながって、自分ができることを提供して喜んでもらいたいって気持ちが明確にあるんだということを感じてですね。
良くも悪くも、私はこの父の子供なんだなーってなんか思って、
自分の器用貧乏さっていうのは父から譲り受けたものなんだなっていうのはずっと思ってたんですけど、
本当に、なんかそれを感じて、
器用貧乏は故にね、何か一つに長けることができなかったり、
それこそここでね、この番組で話しているように、
他人事軸とか、その場の軸で動いて、自分が何をしたいのかとかっていうのを置き去りにして、
できるようになる、たくさんのことができるようになってしまったという、
器用貧乏さからするとですね、辛いことももちろんね、たくさんありましたけど、
まあその失敗とかね、苦労とかも含めて、なんか父の話を聞いていて、
自分のやってきたことも、
淡いことだなーって、なんか愛らしい気持ちに、
なんか思ったんですよね。
あの番組でお話したこともあるんですけど、
私はキャリアコンサルタントの資格を持っているんですが、
私がキャリアコンサルタントの資格をね、取りたいなーって思ったいくつか理由がある中でも、
国の方でもいろいろと、働くっていうことに対しての課題っていうのがいくつかある中で、
そのシニア世代の労働力を活用しようっていう計画っていうのがいくつかある。
私はそこを支援をするというか、支援をしたりとか、何かきっかけを提供したりとか、
そういった仕組みづくりができるようになりたいなーっていう気持ちもあって、
あのキャリアコンサルタントの資格を取ったことを思い出しましたね。
なんか綺麗事言ってても嘘になっちゃうんで、正直、父の話を聞いて、
なんかいい話だったなーって思いながら、
そういえば私、そういうふうに思ってキャリアコンサルタントの資格を取ろうって思ったんだったっていうのをね、思い出したんですよ。
キャリアコンサルタントの実技試験で、最後に、
あなたはキャリアコンサルタントの資格を取って何をしたいですか?みたいなことを聞かれる?
私は聞かれたんですけど、そこで父の話をして、
あのー、そこまで具体的に話さなかったですけど、
父がまあ60代後半ぐらいの時に初めての孫ができて、
だいたいもうそのぐらいの年だったら、
ね、定年すぎて、まあリタイア世代と言われるところなのに、
なんか父はですね、私に向かって、この子のために今から会社をでかくすんぞって言ったんですよね。
なんか、私びっくりしたけど、
でも、ちょっと尊敬もしたんですね。
それはお兄ちゃんの役割だから、お父さんはやんなくていいんだよって言ったんだけどね。
でも、その気概を持つっていうのはすごいなって、
やるかやらないかは別に、気概がすごいって思いました。
その父から私は、私も頑張ろうって素直に思ったんですよね。
あとは、やっぱり、
ちょうど企業の中で、私も新入社員研修とかも結構やってたりしたんで、
新入社員の子って、やっぱりイメージはキラキラしてるけど、
例えば、新入社員研修の中で、なぜこの会社に入ったのかとかね、
内省させるような研修のコンテンツの中では、結構私がびっくりするような回答をする方もいて、
例えば、暇つぶしのために働くとかね、
あとは老後が心配だから働いてお金を貯めるとかね、
いう方も結構、私がびっくりするほどにはいたんですよ。
でも、なぜそんなことを20代前半の子たちがね、
死ぬ間際のことに不安を感じて、今を犠牲にしていくんだろうって思ってた時に、
それがすべてじゃないけど、一つの理由として、やっぱり周りにいる大人たちがあまりにも疲弊してつまらなそうだからなんじゃないかなっていうのは思ったんですね。
もし、今の若い子たちの周りにいる大人たちがもっと健康的に生き生きと楽しく人生を生きていたとするならば、
こんなにも若い子たちが、何十年も先の死ぬ間際のことへの不安を感じて、今を犠牲にする必要はないんじゃないかなって、
これは仮説だけど思ったんですよ。
自分の父のことをめちゃめちゃ棚にあげちゃうけど、
父のように年齢問わず自分ができることで、良い人生にしていこうとか、社会とつながって貢献していこうって
思っている先輩がね、増えれば少しは明るい未来になるのかなって。
これは、今となっては働くってこと以外のことも含めて考えたいなって私は思うんですけど、
とにかくそのシニアの人が明るく楽しく人生っていいよって生きていることが一番の
若者への不安払拭になるんじゃないかなって、その時の私は思って、
実技試験の時にその話をしたっていうのを思い出したんですよね。