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2024-08-29 25:59

059吉川英治「押入れ随筆」

059吉川英治「押入れ随筆」

味噌汁の具は何が好きですか?ぼくはわかめ、豆腐、それからナメコ!今回も寝落ちしてくれたら幸いです。



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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて、今日は
吉川英治さんという方の、押入れ随筆というテキストを読もうかと思います。 吉川英治さん。
日本の小説家、国民文学として今なお人気の衰えない宮本武蔵のほか、三国志、新平家物語など、歴史小説を中心に膨大な作品を書いたということで。
お名前ちょっと知らないなぁ。 宮本武蔵とかはわかるけど、あと三国志も。
なんか急金使いみたいなのがちょっと散見されるので、読むのに苦労しそうですが、 えっちゅらおっちゅらやってみましょう。
それでは参ります。 押入れ随筆。
持ち物嫌い。 人には馬鹿げていても、自分には許せない潔癖が誰にもある。
子供を見ていると面白い。 枕の好み一つでも、柔いのやら硬いのやらだ。
食前でも潔癖なのとズボラなのが始終問題を醸している。 ところがそのズボラ屋も時によって、
誰か僕の机をいじったな? などと、にげない潔癖を示すことが往々ある。
これは親の遺伝でもなし、単なる虫の居所でもないらしい。 下町語りではそういう癖を寒性と呼ぶ。
私にもそれがあるようだ。 いろいろあるが、外出の時はタバコ以外持つもの一切が嫌いである。
手帳はもちろん判決さえも持ちたくない。 腕時計などはしつけないので、たまたま必要に駆られてして出ても、
つい自分の水に隣席の人へ、今何時?と聞いたりする。 そして後では一人恐縮するのが常である。
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だから外国風に習って、両輪がトランクや買い物の荷を抱え、 夫人は手ぶらで歩かせるというような美風も私にはとても真似できない。
もっともこれは潔癖などという範囲のものではなく、 横着の部類に属すであろう。
私たちの古い低種族をこうしつけてきた社会の確保罪と言っておけば、 一番無難な言い方であるかもしれぬ。
暮らしの初心。 お宅ではしつけがいいと見えて、皆さんお行儀がいいですね。
などとどうかすると客からお褒めに預かることがある。 褒められてギョッとするようなものだった。
家のキャプテンとしての私は家族たちへしつけなどという意識で、 何一つ小やかましいことを日常に強いている覚えはないからである。
だが考えてみるとしつけでなく、家のしきたりみたいな風は自然なくもない。
おはようございますとおやすみなさいと、 それから間の行ってらっしゃいやおかえんなさいをとにかく家中でやりあっていることだと集約できそうだ。
それを少々丁寧にやっている。 例えば女中さんのおはようございますでも幼稚園へ通っている子の行ってまいります
でも上の空でなく、こちらも同格に礼を答えてすることだけは守っている。 それだけのことに過ぎないんですと客の質問に説明したら、
せっかく褒めてくれたその方客は今度は意地の悪い推量笑いを顔にたたえた。 じゃあご主人が酔っ払って酒に横になった時でも奥さんは枕元でおやすみなさいをして寝るんですか?
もちろんですよ。 習慣をずるければ自然翌朝は不機嫌になるものね。
まるで新婚だなぁ。 新婚でも近頃そんな他人行儀みたいなことをし合うかしら。
どうか知らないがいつまでもウブを忘れないでいい週間だろ。 いいことなら持ち合った方がいいと思うな。
艶味の言葉じゃないが初心はするべからずだ。 ハハー就寝かか。じゃあ君は学校にも就寝は置いた方がいいっていう説。
それは問題が違うじゃないか。 けれど家ではキャプテンの指針一つで日々の暮らし方も違ってくるぜ。
公会は1日でも愉快なほうがいいだろう。 乗輪を愉快に暮らさせるか否かはキャプテンの責任もあるんだからね。
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おはようもいってらっしゃいも生活のリズムさ。 つまり毎日の初心だよ。
塗料と習慣 私は18区の頃ドックの後員だったことがある。
有線の客船や外国船の中へもよく仕事に行った。 それで思い出すのが貨物船は別として船の中ほど清潔な住居はない。
サロンと言わずルームと言わず実に綺麗なものである。 船は男世帯だから洗濯物から水地や掃除まで全て女手にはかからない。
それでいてあんなにピカピカしているんだから、どうも本来の綺麗好きと暮らし上手は男の方が混ざっているんじゃないかと思われもする。
ところで船と家を比較するのは無理だろうが、 日本の一般はまだ本当には洋式住宅を十分に使っていないと言えるのではないかと思う。
大切まにせよ台所や便所にしても、 当然な汚れや古びをきれいにして、住む工夫も習慣もないようである。
それは単に不正のせいではない。 洋館というものを以前、昔の木口や板目の艶を誇った日本住宅と同じに見て、
掃除も手入れも球体と吸収のまま住んでいるということに他ならない。 第一、日本の吸収では家に塗料を施すことを嫌っていた。
これはたくさんの接収住宅が無知な外人にメチャをやられたので、なおさら勘に触っている。 けれど彼らが日本勘にした無知と同様に、
日本人は洋館の飴じみやすすには一向無関心で、手の施しようもない顔で住んでいる。
ところが実際にやろうとすれば、 洋間や洋式台所ほどすぐにも綺麗に生まれ変わらせ得るものはない。
近頃ではビニール塗料などのような素人にも用いやすい 朱色な塗料ができていて、いわゆるペンキ塗り作業でも面白いほどに誰にもやれるからである。
ところが私たちの家庭には水はけやペンキはけを持つ習慣が全くないのだ。 家具にしても汚れたり傷ついたら、ちょっとソーダ洗いしてラッカーかニスでも塗れば生まれ変わったようになるのに。
年がら年中古びたものを茶布巾か何かで拭くだけで使っている。 壁もそうだし、欄間や天井もそうだし、ドアにしても、
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家を建てた時のままというのが大部分のようである。 これが客船などの場合だと、ドアの金具でも真鍮磨きで常にピカピカにしておくのが当たり前だし、
暇があるとあなたこなたを好みの塗料で塗っている。 まあそんなにまではしないまでも普通の家庭でも風呂場、
便所などの水泉の金具など、もう少し錆びない程度にだけでも綺麗にしておけないものだろうか。
銀座編の小ビル棚、そこらの建物の内へ入ってもいつも私はそんなことを思い出す。 この夏、軽井沢の山荘でふと家中の手で家の衣替えをやらせてみたことがある。
たちまち古い家が明るいほどになってしまった。 やればやる習慣もつくのである。
子供らなどは面白がって、しまいに外のゴミ箱からブリキの古いチリトリまですっかりお化粧してしまった。
2つのニュース。 新聞を見ているうちに朝飯の膳が来ると、つい箸を手にしたまま後を読み続ける習慣が私にはある。
いい習慣でないと知っているが、今朝もついそれをしているうちに私は箸を落としてしまった。 小さな三面記事である。
未亡人のガス自殺と身だしも小さい。 昭和18年出生以来産児を抱えて良人の期間を待ち抜いていた今年44歳の妻が、
子供もどうにか成人したので諦めの果て自殺したのである。 というだけでなく、未来福音局ではいくたびも死亡の広報を出そうとしたのだが、
その夫人が望まないで未期完写の名簿に入れてある良人だとも書いてあった。 この未亡人の心情を思いやるだけでもなんとなく胸が疲れてしまった。
その上、同じ日の長寒面にはハンガリーの難民がまだ3万人も冬を越すところを得ないでいるので、
日本へ引き取って世話を見てくれないかと国際赤十字から申し入れがあったというニュースも見える。 朝の味噌汁もこういう朝はつい味もわからぬうちに終わってしまう。
誰もが皆そうではあるまいが、私はとかく朝の味噌汁に多感になる。 味噌汁を食べながらふと胸の痛みやら喜びやら、
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また過去のこと、明日のことなど一人思いに思いふけてしまう癖がある。 味噌変歴。
何かで味噌のタンパク質は純粋タンパクというものだという科学的な説明を見てから、 勤めて味噌汁は欠かさぬものにしているが、
少し腹の具合が悪いと、どうもあの人はもう残してしまう。 日本人の中には味噌痛というものがいて、味噌の公釈はなかなかうるさい。
名古屋の人は三河味噌。 越後人だと越後味噌。
新州は諏訪味噌。 上方の白味噌といったふうに、
あゆの産地についで、味噌のお国自慢もよく聞かされることである。 だが私たちのように、強度を持たない人間には、これといって格別不一調したい
悲喜味噌もない。 で、自然。
諸家の説に伏すしかなく、おかげで諸国の味噌を遍歴したが、 この頃では浅草二天門の老舗が取り継いでいる4種類の味噌を交互に変えて用いている。
大体が佐渡味噌、越後味噌、仙台味噌、田舎味噌の4種である。 田舎味噌なんていうのは元来ないはずだから、これは各地の長所を混ぜ合わせた
味噌のカクテルなんだろう。 我が家では今、この田舎味噌を用いているが、これがなかなか捨てがたい風味なので、長井辰夫氏と
味噌汁の話が出たついでに送ってあげる約束をした。 純粋な下町っ子である長井氏の好みにあったか否か、まだそこは聞いてないが、
由来、東京の下町人は味噌汁にはやかましい宅設を持っていたものだ。 けれどこの頃の人の好みは知らない。
我が家の例に見ても、若い子たちがもっぱら言うのはポタージュやコンソメについてである。 味噌汁の味噌のごときは何でも同じだと思っているらしい。
梅の味。 味噌とともにもう一つ若い人に縁のない食事は梅干しだろう。
尾崎一雄氏が風宝の詩上で、 蘇我村の梅干しの自慢を書いたことから、
私たちの友人間でもどうかするとそんな孤単な話が出る。 特に私は梅の名所と言われる奥多摩の吉野村に10年も疎開生活をしていたことがあるから、
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梅干しに限らず梅に関するものには自然、 恐縮めいたものを覚えるのだった。
先日も去る会で小林秀吉とそんな話題になったところ。 小林はある年尾崎氏に誘われて小田原財の蘇我村へ梅見に行ったことがあるよしで、
それは君、あそこの梅というものは花を見るだけでも素晴らしいよ。 と言い、また、
何しろ梅の実を摂るためだろうが、 梅の木の根へふんだんにイワシの肥料を埋めてやるというんだから贅沢だよ。と散々していた。
それを聞いて私は吉野村の梅を哀れに思った。 吉野村でも梅の実を摂るためにたくさんの梅が村中にあって、
花時には多くのバスが花見客を乗せてくるが、 私の知る限りでは梅へ肥料などをやったのを見たことがない。
もしイワシがあれば梅の木へやるよりは土地のお百姓がおかずにしてしまうだろう。 だから花も寂しいし、実も蘇我村の梅みたいにならないに違いない。
人間にもいるところの土壌と環境で、ずいぶん一生に損得もあるが、 梅にもそんな宿命があるかと思った。
けれど吉野村の人々が自分たちの土壌を不幸だとは思っていないように、 吉野村の梅にまた、
毅然として独自なやせ地の枝振りや好奇を誇っているらしい風習があった。 ここの梅作りの習慣では、梅の前枝へまんべんなく日光が差し込むように枝をねじ曲げて、
樹脂を大きな傘みたいにしてしまう手法がある。 それを吉野の織梅と言っている。
こないだ亡くなった河合玉童が吐くなどは、その風習を愛してよく織梅の図を描いたりした。 けれど梅干しの味となると、話だけ聞いてもどうも蘇我村の梅干しには及ばないらしい。
現に私なども小田原の陳柳という店へ頼んで、 大きからず小さからず、また悪酸っぱくないようなのを特に頼んで折々に用いている。
そこでそんなに梅干しの旨さとはどんな味かと聞かれたら、さあ何と言おうか。 ちょっと例える言葉に困る。
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強いて言うなら、善味があるものとでもごまかしておくほかあるまい。 梅干しの種を奥歯でカリッと噛み割ると、私たちの子供の頃、天神様とよく言った白い種の中の種肉が出る。
あれを噛むと、昔の神僧の品美人と接吻したような、 一種得ならぬ好奇がする。
前後たった一度の経験だが、かつて北京飯店でその天神様だけを集めたのを、 スープの底に潜めて、ただ見るとすましの汁ばかりかと見える中国料理の吸い物にぶつかったことがある。
忘れられない好味であった。 その後は絶えてこの金盾の一品に会ったことがない。
真珠の王冠 この間、東京祭りの前夜祭にミス東京コンテストの審査員たちが集まった。
場所は外苑の体育館ステージだった。 私もその一人だが、審査員十数名のほとんどは年老った者ばかりであった。
鳩山東子さんはじめ、佐々木重作氏。 伊藤深見氏。
大仏二郎氏。 伊藤満郎氏。
奥野慎太郎氏など、誰も彼も皆目に見るだけでも寿命の薬になるような顔して、 ご苦労様に、夕五時頃から十一時近くまでステージの前に並んだ。
そしてミスたちの法令な容姿の競いを眺め合いた。 投票は何回にも行われるので、私たちは一回ごとに審査員室へ戻って行く。
そして三十四名の美人を二十名に減らし、 また十名に縮め、最後の少数まで奮い落として行くのである。
票の集計やら審議にも大変な時間がかかって委員たちは、 こんな風では受賞式も夜半になると心配しだしていたが、
私はそんな予想よりも、だんだんに落とされてステージから消えていった子が、 なんだかかわいそうでならなくなってしまった。
だが彼女らの間にはちっともそんな干渉は見えない。 奮い残された女性も落とされた組も、最後の栄冠を指してなお、緊張と夢見るまな子を失っていないのである。
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もっと盛んなのは、あの体育館いっぱいに埋まっていた数千の館集だった。 中にはミスたちの父兄や友人なども来ているのだろう。
声援が送られる口笛が鳴る。 いやもうミスの一人一人が前へ進むたびに、一刻の英雄を祭壇に迎えるような騒ぎである。
ミスの審査員などを引き受けたのは私にはこれで2度目だった。 この前の経験はもう5、6年前である。
読売新聞主催のミス日本の時で、あれが近頃のミスコンテストばやりの最初のものかもしれなかった。 山本富士子氏は、
その時のミス日本であった。 確か私の記憶に誤りがなければ、山本富士子氏と2位の準ミスの女性とは、
審査員の票も意見も同数に分かれて、 どっちを1位にするかでは紛論まちまちで、
ずいぶん審議が揉めたように覚えている。 もしあの際2位に落ちていたら、
今日の名女優山本は生まれていなかったかもしれないのである。 そんなことをも思い出すとミス東京の当夜でも、私はまた運命論者のような運命感を、
彼女らの美の高貴の上、二重に見ないではいられなかった。 また山本富士子氏が出た一例なども、
近頃ミスを送る家庭人の気持ちをずいぶん積極的に震わせているのではあるまいか。 以前は府警たちはひどく決まりが悪がっていたものだが、
今度の大会の空気では、未人そんな控えめはない。 外野の声援者のようなものだ。
またその気負いはミスたち自身の姿にも見える。 彼女たちの変わり方も目覚ましい。
背も、四肢も、化粧も、落ち着きも、際立って優れてきた。 ただ審査員に渡された各ミスの参考表といったようなものを見ると、
趣味、教養の点では依然変わっていない低さが感じられた。 例えば、あなたの愛読書という各ミスの記入欄などを一別すると、
何も書き入れていないのが約3分の1。 曖昧な答えが後の半分。
残りはドレスメイキングとあるかと思うと、 サマセットモムダのまたマルティンデンガールと来たり、ロンドン東京5万キロとあったりする。
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古っていたのはただ一人だったけれど、ベストセラーものと書いてあった。 それはまだ良いが、私の愛読書として挙げてあるのが、万華と鍵なのだ。
きっとこの人は読んでいないのだが、何か書かなければいけないと思って鍵としたのではないかと思う。
最後の一人が決まって、その人の頭上へ真珠の王冠が飾られたのは、夜も11時を過ぎていた。 さすが観衆も終電を急いで、良い会場は人影もまばらになっていたし、
船に落ちた30人のミスたちの面にも、いじらしくも疲れ切った色が漂っていた。 けれど新聞記事などによると、落ちたミスたちにもこれが機会となって、ずいぶん書法から良いお嫁の口がかかるそうである。
とすれば、それは真珠の王冠以上なものだ。 がっかりするには及ばない。
1970年発行。 後段写。 吉川英二全集47。
総指導随筆。 より。読み終わりです。
はい。 ということで。
いいですね。 なんかどうでもいい情報の羅列という感じはしましたが、いかがだったでしょうか。
特にコメントもないです。 はい。ということで今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
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