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2024-10-15 16:26

069岸田國士「愛妻家の一例」

069岸田國士「愛妻家の一例」

ぼくには彼が子供にしか見えません。幼児退行プレイか。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて今日は岸田邦夫さんの
愛妻家の一例というテキストを読もうと思います。 岸田邦夫さん、日本の劇作家、小説家、評論家、
劇局の代表作にチロールの秋、 牛山ホテルなどがあり、
小説の代表作に断流、そうめんしんなどがあるそうです。 僕も以前ですね、シャープ14で
方言について、 シャープ48で海の誘惑というテキストをそれぞれ読んでいます。
シャープの数字が小さい回は結構、
適当というか酔っ払いながら読んでたりする、 あまり出来の良いあれじゃないんで、おすすめしませんが、お知らせだけしておきたいと思います。
それでは参ります。愛妻家の一例。 ルナールの日記を読んでいろいろ面白い発見をするのだが、
彼は自分の少年時代を人参で過ごしただけあって、 大人になってからも常に周囲を人参の目で眺め暮らした世にも不幸な人間なのである。
一度は友達になるが、その友達は大概いつかは彼のひねくれ根性に癖起し、 彼の方でもその友達のどこかに愛想をつかして、
どちらからともなく離れていってしまう。 作家として痛ましいほどの良心を持ち、真実を追求する態度の厳粛さは、
およそ悪魔に取り憑かれているとでも言いたいくらいなのに、 人を愛し、人から愛される何者かを書いている不思議な性格が、
針のように彼を見る心を刺すのである。 そういう彼がこの世でただ一人、無条件に愛し得たのは、
平凡な世だが、その妻のマリーであった。 しかもその愛情の細やかさ、純粋さ、気高さはまず、私の知る限り類がないと言っても良いくらいである。
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彼の日記は、そのサイ君についてるる語ってあるが、 サイ君なら時々それを読むかもしれない、という配慮のもとに書かれてはいない。
その証拠に、サイ君に知れては困るようなことも書いてある。 彼は22で結婚した。
パリで、子子弁生活を始めた時代である。 処女作の出版を断られた時代である。
サイ君は、マリネットという愛称で呼ばれ、 10年の相交の妻は、彼の目に常に新鮮であった。
彼は彼女を芝居に連れて行って、さていう。 マリネットもまた、彼女の壮々たる装いにおいて成功した。
レースにくるまって、しとやかな共和の女神のようだ、と。 彼はまた、一座の女たちの露骨な話題に打ち強じている中で、自分のサイ君がどんな風かというのを、
退屈しきった純潔さ、と見るのである。 大概の男が、こういうことを言うと、常にどこか甘くなるものである。
そう感じることが決して甘いのでもなく、 感じたらそれをその通り言って、俺また必ずしも甘いわけではないが、
そう感じる感じ方、それを言う言い方の中に、ある種の隙が生じるのである。 そういう隙が、生活の全体を膨らましている場合があり、
それが人間の愛嬌のようなものにまでなって、 時にはそこの知れない深みを与えることがある。
ロシア人などには、そういう傾向が多い。 それがフランス人。
ことさらにその中でも、神経の塊のような、 このルナールのサイ君ライサンブリには、
普通に言う甘さというものは微塵も感じられず、その代わり、 泣いている子供がふと、ガングを見せられて泣き止んだ時の、
いわばあのホッとするようなものが潜んでいる。 天真爛漫は、
彼においては誠に通説な救いなのである。 そして彼をその状態に起き得るものは、天下にサイ君一人なのである。
彼のケチ臭い自尊心、青白い怪異、 くすぶる反抗精神が、
彼女の前でうんさん無償する現象は、 誠に壮絶の極みである。
もっとも、壮絶という言葉は皮肉な意味はない。 あるいは悲壮という方がいいかもしれない。
事実、私の胸は涙でいっぱいになることがある。 彼はあるところでこう書いている。
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マリネットは次第に、伸び育って怒りになりそうな私の不機嫌を、 芽生えのうちに摘み取る術を知っている、と。
世間にこういうサイ君が絶無であるとは言わない。 また自分の妻の美典を書く知り、感謝の念をもって書く語る男が、
全くいないとは限るまい。 しかしルピック夫人を母親に持ち、
自分は誰からも愛されていないと叫ぶ少年、 任人の生涯を考えたならば、
結婚が彼にもたらした一つの幸福について、 我々はそれを単なる幸福という言葉で片付け得るであろうか。
表を見せれば必ず裏を言う彼。 成功の陰で自己を嘲笑い、友情の重さを測りにかける彼。
そして浮気をしない弟子とは、この世で一番しょんぼりした男であることを認める彼が、 ただ望んで得た女なるがゆえに、
妻を尊しとするはずはないのである。 マリネットとはどんな女性であったろうか。
二人はある日墓地を散歩した。 彼女は一つの墓石の前にひざまずき、その表面へ指で、
それゆえ跡は残らないが二人の名前を書いた。 その時の彼ルナールのしんみりした顔つきを想像するのは、
これは読者の当然な権利である。 聡明で、聡明なるがゆえに単純で、
低粛で、低粛なるがゆえにコケットな一人の女性を考えてみることもできる。 再び言うが、結婚後十年、
期待のすねもの、純日本的テレヤルナールをして。 のにすみれをつましめ、これを妻への土産とせしめたものは、
ただ単に孤独な魂の鑑賞に過ぎないであろうか。 彼は結局、妻の姿を次のように書いた。
パジーへ散歩。 私は林を抜ける。
感じのいい道を選んだ。 ところがまるでドロドロの道だ。
泥の中に踏み込むたびに、マリネットは何でもないわ、とか、 もう大丈夫、心配しないで、草の中で足を拭くわ、とか言う。
こんな風に泥だらけの道にも文句を言わない女。 それは生活を恐れないいい道連れだ。
ところでこの頃はもう、私は小さな子供みたいにしている。 私はマリネットに言う。
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お前には母性の本能をすっかり満足させてくれる もう自分のない子供ができたんだよ。
その子供はまず何でも許してもらいたがっているんだ。 仕事をしないでもあんまり叱らないでくれって言うんだ。
そして全然何にもしないでいられれば、いつまでも喜んでいるんだ。 マリネットは私にすべてを与えてくれた。
私の方は彼女にすべてを与えたと言えるだろうか。
やっぱり私のエゴイズムはそっくりそのまま残っているような気がする。 私が彼女に率直に言ってくれというとき、
彼女は私の目の色でどこまで本当のことを言っていいかということをちゃんと読み取る。 これは私が愛していると確信できる唯一の人間だ。
それから私自身と。 がまだ私自身の方は、私はよく自分で自分に嫌悪のしかめ面をさせることがある。
そうだ彼女を私は非常に愛している。 しかも決して私が見損なっているわけではない。
おそらく彼女は私のことが不安になって、そして自分でこう言い聞かせたのだろう。 自分を救う道はたった一つしかない。
あの人を絶対に信頼することだ。そうすれば決してやり損なうことはないだろう。 知らないで毎日やり損なってもあの人が教えてくれるだろう。
そうして許してくれるだろうと。 時々彼女が子供たちを見守っていると、実に子供たちに近く見えてまるで子供たちは彼女の2本の枝みたいだ。
彼女の心はその目に現れている薔薇色の心だ。 太陽のような心だ。
彼女の目の底には網膜の上には、 愛情にも曇らされない一つの鏡、一つの小さな部分があるのだろうか。
そしてそこには私も美しくは映らないのだろうか。 彼女の剥き出しの腕には両身がある。
私にはマリネットがある。 私はもう何にも要求する権利はない。
彼女のそばで私は、 俺の作品はとか、俺の特質はとか、俺の才気はとか平気で言える。
そして少し躊躇しながら俺の才能はとも言える。 彼女はこういう言い方を実に自然に受け取ってくれるので、私の方でもちっとも気恥ずかしさを感じない。
彼女が私を良くしてくれたかどうか、それははっきりわからない。 しかし見たところ確かに良くなった。
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彼女が私のおかげでひどい貧乏をするかもしれないと思うと胸が詰まるような気がする。 しかし私は大潔ぎでこう考える。
彼女はきっと立派にそれに耐えてくれるだろう。 そうしてますます俺を愛してくれるだろう。
彼はフランスに生まれ作家となり、 しかもその作品のうちで一度も貫通を描かなかった珍しい人物である。
おそらくこの種の空想は彼には耐えられないものであったに違いない。 ある作家について彼は軽蔑の口を持って言うのである。
妻に裏切られても傑作が欠けさえすればいいと思っているような男と。 しかしその彼もルル夫婦生活の危機を問題とした作を書いている。
日々の綿棒やブエルネ氏のごときはそれである。 日々の綿棒の女主人公マルトには確かに彼の祈願が込められている。
アルフレッドを騙そうなんて気はもうとありませんわ。 それにしても決して騙さないってことが確かにわかっていたら、
それはつまりませんわ私。 これが美しい人妻マルトの言葉なのである。
夫の友人で彼女を賛美する男に対する遠距くな防御である。 彼女はこうも言う。
永久に摂層を守るなんていう誓いを立てたくないんですの。 真面目な女でも私は時として自分の抵抗力を疑う真面目な女ですわ。
サッカールナールの女性は彼の言葉のごとく陰影に富み、 男心の隅々まで知り尽くしている。
妻マリネットの面影がそのままこのマルトの中に映っているかどうかは疑問である。 おそらく本質的に別骨なタイプのようであるが、
彼が女性にことさらに自分の女に求め望むものは、 彼のエゴイズムと脆さに対する趣味との惨憺たる摩擦から生ずるものであって、
彼の愛妻心理もまた尋常一様なものではないに決まっている。 婦人口論昭和中年12月
1990年発行 岩波書店
15:00
岸田邦夫全集22より読み終わりです。
愛妻かね、どうですかね。
よく町で飲んでいると 風紀が乱れてますね。
みんなあちこちでやってますよ。 結婚しててもしてなくても。
なんだかなぁと思いますが、止まらないでしょうね。
まぁ結局、 最近なんか富に思ったというか、
口には出さないですけど、みんな。 みんなね。
三大欲求のうちの一つだから、食欲と同じぐらいの欲があるわけですよね。
ご飯って我慢できないもんね。 そう考えたらまぁ
やるんだろうね。
でも表にも出さないから、みんなこう水面下で動いている、動き回っている。
え、あそことあそこが?みたいなことがね、しょっちゅう起こってますけど。
まぁ僕はそんなに欲は強くない方なので、 どうでもいい、あんまりそんな気にしないんですけど。
ね、みんなよくやるなぁと思って見てます。 はい、といったところで今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
16:26

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