生成AIを脅威と感じる必要はない。それは生成されたものを人間が認知しないと意味がないから。
という話をしています。
にゃおの考える現代の基礎的なリテラシーは、ITをきちんと使えることが含まれます。
そのためにどのような問題があり、どう解決していったらよいか考えてみるPodcastです。
LISTEN版にゃおのリテラシーを考えるラジオ
https://listen.style/p/nchiba
配信書き起こし
https://note.com/nchiba
twitter @nchiba
YouTube
https://www.youtube.com/@nyaos
「読書と編集」の活動は、https://www.nyaos.net/
ストアカの「読書と編集のITリテラシー教室」は、https://www.street-academy.com/steachers/468576?conversion_name=direct_message&tracking_code=62e788e6ff484f6d2952151bb9c955b4
をご覧ください。
00:05
にゃおのリテラシーを考えるラジオ、読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書とIT時代のリテラシーを中心に、様々な話をしています。
今回お話するのは、
AIは見えないことにするができるのか、というものです。
土曜日は日頃考えていることを適当に話しています。
僕はAIのことを考え始めてから40年以上になります。
と言っても、ただ考えていただけで、ちゃんと研究してきたわけではありませんし、
当時はまだハードウェアが未熟な上に、ネットワークへのアクセスもまだまだで、
もちろんインターネットなんて夢のようなものでしたから、
大半の期間をAIなんて幻想だなと思いながら過ごしてきたのでした。
実際、最近生成AIが芽吹き始めた感じがしますが、
それでも現実の世界で実用になるにはまだ少し時間がある状態ですから、
僕の人生はAIを現実のものとするには、少し早い時期に始まってしまったのだろうなと思います。
ただ、10代の頃に考え始めたことは案外ずっと引きずるもので、
時代ごとのAIと呼ばれるものについて考える癖は、
そろそろ官暦という今になってもなくならないのです。
今流行りの生成AIは、過去のAIと呼ばれるものとは比べ物にならないくらい、
知能っぽい動作をしますが、
人間にとっての脅威という文脈で語るほどではないなということが、
少しずつわかってきているような気がします。
空を飛べないから人間は飛行機に絶対的に劣るという人はいないように、
人間よりも知的処理が早いからといって、
全てにわたってAIが人よりも優れているとはやっぱり言えないのですよね。
その違いはどこなのだろうという疑問の持ち方は、
40年前とあまり変わっていないのです。
生成AIの振る舞いはとても知的に感じるものではありますが、
それは結局人間が必要とする処理を行うものであって、
それ以上でもそれ以下でもないような気がするのです。
多分大事なことは、人間が必要とするということなのですよね。
で、ここには人間の認知というものが関わってきます。
もっと簡単に言うと、人はどう感じているのかということのような気がします。
感じるというのは主観ですよね。
僕たちは他人が感じていることをそのまま感じることはできませんが、
感じることに価値があるとは思っています。
逆に言うと、何も感じないものには価値がないのです。
AIが何かの処理を行って結果を出したとしても、
そこから何かを感じるのは人間です。
人間にとって価値がないものなら、それは存在する意味はありません。
こんなことを感じることがあります。
自分の目で見ている景色とカメラで撮った景色は一致しないものだということです。
03:04
人の視覚はありのままを見ているわけではなくて、
自分の好みの部分だけを見ているのです。
それだけではなく、認知に都合がいいように脳内で改変されているのです。
よくある目の錯覚は、そういう人の認知の癖みたいなものから現れるものなのです。
自分の見ているものが現実と少しずれているということは、
撮ってみた写真で微妙に違和感を感じるということがわかります。
人間は二次元で描かれたものを立体的に感じることができますが、
この時に認知しているものは、目に入った光を脳内で都合よく変換したものなのですね。
これは人間が生きていくのに必要だから作り上げた脳の仕組みです。
人が見た時に錯覚を起こす図形をAIが同じように錯覚するかというと、
これはなかなか難しいというか、
AIにとっては意味のあることではないような気がするのですよね。
人間はそこに存在しているものを見ても気づかないことがあります。
網膜には映っていても、存在しないことにしてしまうことがあります。
一般的にそれは良くないことと思われることが多いですが、
あえて見ないことにしていると捉えることもできます。
見方を変えると、それが人間の感じ方を表しているわけです。
これ、主観的というか、思維的ですよね。
これが感じるということであって、
AIがそれを代行することに意味はないというか、
AIが出す結果を解釈して何かを感じるのは結局人間なんですよね。
将来は分かりませんが、現在の生成AIにできていることは、
人が感じるための材料を便利に提示してくれる機能だけなのではないかと思うのです。
これは今まで存在してきた機械や道具と大きく変わらないのではないでしょうか。
結局のところ、便利にはなるけれど、恐れるほどではないのですね。
もちろん、便利なものにはたまに事故を起こすことがあるということを忘れてはいけませんが、
自分でも何を言っているかわからなくなってきました。
まあでも、こんな風に40年間、その時々のテクノロジーについて考えてきましたが、
正直なところ、生きていくのに脅威を感じるようなことはまだ起きていません。
もしもあと40年生きたとしても、それはあまり変わらないのではないかと思います。
楽観的すぎるでしょうかね。
今回は、AIは見えないことにするができるのかという話をしました。
今日はここまで。
読書と編集では、ITを特別なものではなく、常識的なリテラシーとして広める活動をしています。
ストア化でITリテラシーの基礎を学べるオンライン講座をやっています。
詳しい内容については、概要欄のリンクから見に行くことができます。
コメントはリスンで、文字で読みたい方はノートをどうぞ。
06:00
どちらも概要欄にリンクがありますので、フォローいただけると嬉しいです。
今日もワクワクする日でありますように。千葉直樹でした。ではまた。
06:15
コメント
スクロール