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2024-08-18 16:18

特攻隊の心境や核心にかなり近づける映像を見て思ったこと

🐰さんの放送

220 特攻資料館の記憶を特攻隊員たちの笑顔の写真から思い出した話。
https://stand.fm/episodes/66bd317cb1e830f32337ac18


#戦争
#太平洋戦争
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おはようございます、なっちゃのです。今日はですね、戦争の話をしたいなと思います。昨晩ですね、NHKの特攻隊の企画をやって、あんまり普段テレビって見ないんですけど、なんかたまたまテレビをつけて、しかもNHKもさらに見ないんですけど、なんかNHKつけてたら特攻隊の話をやっていたので、ちょっと見てしまいました。
で、なんで見たかっていうのも、先日ウサギさんがこのスタイルの配信で特攻隊の笑顔の写真とその本心っていうことについてお話をされていて、私も鹿児島のチランの懸念館にはいたことがあるので、思い出しながら考えさせられてたんですけど、とはいえ戦争の配信ってするつもりがなかったんです。
ちょっとこのNHKで見た放送が、私にとってもすごい気づきがあったというか、そういうことだったんだなっていうふうに思うことがたくさんあったので、ちょっと自分で整理したくて話してみようかなというふうに思いました。
ご飯を食べながら眺めていたので、ご情報とかがあったら申し訳ないです。ということはちょっと最初に言っておきながら、特攻隊っていうことに、戦争全般じゃなくて特攻隊っていうことにフォーカスを当てた番組企画だったんですけど、
特攻隊って終戦の1945年8月の10ヶ月くらい前から始まったんですよね。1944年の10月から始まったっていうふうに言っていて、本土を守る最後の砦のような存在だったサイパン戦、そのサイパンが陥落してどんどんどんどん戦況が悪くなっていって、このサイパンの陥落から2、3ヶ月がたって始まったフィリピン戦で、
そこの隊長みたいな人が大使に戦闘技巧と突っ込んでこいっていう命令を出して実施されたことが始まりらしいんですね。
だからそのフィリピン戦で命令をして実施したっていうのが、この1944年の10月っていうことらしいんですけど、びっくりしたんですけど、一番最初の特攻をする記録の映像っていうのがあって、最初アメリカ艦隊を守る別の小舟なのかちょっとわからないですけど、
その艦隊を守る銃撃にやられて、その第1号機だったと思うんですけど、もうその艦隊の直前の海にバーンて落ちるわけなんですね。だから艦隊には全く傷をつけることができず落とされてしまうんですけど、それを間近で見てた2機目が艦隊に突っ込むことに成功するんですよ。
で、そのことの報告だったかちょっと曖昧なんですけど、そのタイの偉い人が昭和天皇に特攻のことを報告したらしいんですね。で、その報告した時の昭和天皇の反応っていうのは、そこまでしたかっていうことには驚きつつも、しかしよくやったってねぎらうんですよ。
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で、この褒め言葉をかけるっていうのが、その時代一撃講和っていう考え方っていうのが流行ってたというか、一般的だって広まってたらしいんですけど、この一撃講和っていうのがどういうことかっていうと、これは終戦の少し前の4月に陸軍大臣になった人が説を唱えて広まっていったっていうことらしいんですけど、
その人もアメリカに勝てるとはあんまり妄想を持ってないと。だけど、例えばサイパンとかフィリピンとか、その海戦の時に一撃を食らわせて、日本結構やるなってちょっとアメリカをビビらせて、
例えばサイパンで負けてもフィリピンでガツンとやって優位に立つことによって、優位に立ったまま平和交渉を進められないかっていう考えが当時主流だったというか、そういう考え方があったらしいんですね。
だからその一撃を食らわせて優位に立つ、そのまま和平交渉に進むっていう、そのために一撃を食らわせられる手段が特攻隊っていうことになったらしいんですよ。
でも実際この特攻隊って、アメリカ軍に打撃を与えられた戦闘機っていうのは10%ぐらい、13%って出てるんですけど、最後には戦闘機とかも不足してたのか、夜々の練習機で、
なんかこんな行く意味あるみたいな、即行撃ち落とされるみたいなことさえあったらしいんですけど、でもそれも本当にどこまで本気でそう思ってたかってどうなんだろうと思うんですけど、
そのNHKが言うには、夜々の戦闘機でも低空を走ることによってアメリカのレーダーを免れるんだってそんなわけないでしょうって思いますよね。
だって普通にネズミサイズなわけでもないし、一人一人分が乗って十分な外寸っていうんですかサイズがあって、めちゃくちゃ見えてますけどみたいな、そんなことらしいんですよね。
そんな成功率10%とかそんな成功率なのに、アメリカに勝つには特攻しかないみたいに、国ももちろんですけど、この市民レベルで、学校も文化とかマスコミみんなで特攻をたたえて、市役所みたいな地方事務所っていう当時名前だったらしいんですけど、
その地方事務所から学校一校一校にこの特攻隊志願兵の人数のノルマを与えて、撃ち落とされて海に落ちてしまっただけの特攻隊は、
勇ましい姿でアメリカ艦隊をひばしら上げて強襯させて、もうその撃ち落とした特攻兵はカミワシ、ワシですね鳥のカミワシで軍心で、みんなそこに続けって学校が歌ってるんですよね。
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だからみんな続けって歌ってそのノルマにも貢献して、この模範学校とか模範自治体っていうことになることが国へのステータスだった。私たちは国に貢献してますよっていうステータスだったんじゃないかっていう風な分析とかもあるらしくて、
このNHKの調査力すげーって思ったんですけど、だからアメリカ艦隊にひばしら上げて強襯させて軍心軍心とかでみんな続けて歌を書いてる人の歌詞その歌詞を書いた人の親族にインタビューしたんですよ。
その歌詞を書いてたっていうのが29歳の教員の人で、ご自身は自分は欠格で戦場に行けなかった人らしいんですね。だからそんなひ弱で国に直接役に立てないみたいな、そんな自分が情けないとか多分いろんな気持ちがあって、
だから生徒たちを国に貢献させるのがせめて自分にできることみたいに思ったんじゃないかっていうふうに親族の人はインタビューに答えてて、なんかこれ今でこそこういうふうに語れるのかもしれないけど、
当時戦争が終わってなんか一気に特攻隊ってあれなんだったのって、手のひらが180度返った時ってなんかすごい心苦しかったんだろうなとかっていうふうにもなんか思ったりもしました。
本当にこうなんか日本中が特攻隊っていうことに一縷の望みをかけて団結していくんですね。でこの特攻隊に志願した人が貴重なことをおっしゃっていてですね。
この人は志願したんですけど、何で今生きてるかっていうのは、今っていうか15年ぐらい前の映像だったのかな、2013年に亡くなったっていうふうには書いてあったんですけど、とにかく現代まで生きていておっしゃってたのは、志願したんだけどその人は成績が優秀で選ばれなかったらしいんですね。
当時の東京理科大とかに出てたので相当優秀な方で、だから選ばれなくて、だからちょっと頭の悪い人から選ばれていく。だからもう私なんかそっこ選ばれるなと思うんですけど、それ置いといて。
でまぁこのその人自身はやっぱりこう一応聞かれるんですね。お前は志願したいかどうかみたいなことで、志願結果したんですけどやっぱり嫌だったと。
でもなんか志願するっていうふうにしか書けないとか、そうせざるを得ない状況とか雰囲気っていうのがあって、志願調査書みたいな資料に熱望を望むだけの望みっていう一文字で否、否定するの否っていうこの3種類で調査が取られてて、
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どの人が熱望しててどの人が普通の望みで、否の人はその調査資料に載ってこないので何も書いてないんですけど、っていうのがわかるんですね。
熱望じゃなくて望むってだけ書いてる人は、行きたくないけど本当に行きたくないけどしょうがなく嫌とは書けないから望むってだけ書いてるんだろうっていうふうに専門家の人は分析してるんですけど、
でもこの成績優秀で特高にならずにインタビュー受けてた人っていうのは熱望って書いたらしいんですよね。熱望って書いてても嫌だったって言ってるんですよ。
でもこれほとんどの人がそんな土地狂った病的な施策の当事者には絶対になりたくなかったっていうことだと思うんですよね。
だけどこの1億特高っていう当時そういうスローガンっていうか掲げられてて、だから特高体を1億人作るって国は言っていて、
だからそれがもうめちゃくちゃに賛美されてて、だからこの施策の当事者になるっていうのは時間の問題っていう腹のくくりもあったでしょうし、
もうなってしまったからにはしょうがないと。で絶対にアメリカを自分が打ち落として家族や大切な人をそれで俺が特高することによって守るんだっていうそこのモチベーションがないと、
そういう気持ちじゃないと生きていけないっていうふうになんか思ったんだなっていうふうにすごい思ったんですよね。
だからいくらマスコミとか国とか学校とかこの本当に市民一人一人のレベルでこう受けていたキラポエでもあのなんて言うんですか。
やっぱりその当事者になるっていうのはとんでもなく嫌なことなんですよね。
なんかあの実際のこの特高体で家族が行ってしまったご家族がインタビューを受けてたんですけど、なんか異聞客っていうか聴聞客って言うんですか。
なんかすごいザーッと来るらしくて、だからそれはもう雑誌、当時のあの流行ってた婦人雑誌とかにもこの方があのうちの近くであの特高体として行くすごい勇ましい方たちですっていうふうに言って、
あの顔写真とかも貼り出されてたりとかしてなんて言うんですか。こう一種売れっ子タレントみたいな扱いらしいんですよね。
だからこの異聞客っていうか聴聞客がどんどんどんどんどんどんどんひっきりなしに来て、だからそれはあのなんて言うんですか。
矢島みたいな人もいたんでしょうし、本当になんかこう悲しんでる人もいたんでしょうけど、でもほとんどの人がなんかこう矢島だったんじゃないかなって思うと、
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なんか本当にね、なんか本当にとちくるった試作だったんだなっていうふうに思います。
だからそんな特高体もこの沖縄線が始まる3月末とか4月をピークに成果がままならないのに、
10月から始まって4月にもう半端なく増えるんですよね、この人数が。
で、あの沖縄線が終演に向かえる6月にはもう下火になってるっていう感じだったんですけど、
だから沖縄線が終わるっていうことはもうその時日本はもうほぼ成す術がない。
もうやることは全部やり切ったっていう、もうあとはただ負けるだけ焼け野原にさせるだけっていうことだったんだと思うんですけど、
まあだからなんか線橋が悪いと人は変なことを考え始めて変なことにとてつもない希望を描いてそこにすがってすがるからこそどんどんどんどんどんどん現実が見えなくなってっていうことを
なんかすごく考えさせられたというか、歴史として見せられたっていう感じがしました。
だからなんかこの界隈のキラポエ談義も規模も被害も違いすぎて、キラポエっていうのもはばかられますけど、ちょっとさっき言っちゃいましたけど、
なんか自分も当事者だったら熱望って書いてただろうなとかも思うと、なんか本当に本当になんか嫌なことだったなというふうに思います。
しかしこの戦争に負けるっていうことはこの特攻も沖縄線も広島長崎も空襲も全部全部がそうなんですけど、
極限まで行かなきゃ負けれないっていうか、負けれなかったわけじゃないですか。
だから極限まで行って極限の末に特攻隊っていうのが生まれたと思うんですけど、
この沖縄もそうですし、広島長崎とか全部全部その一つ一つが国民に刻まれるような、何ていうか記念日って言ったらあれですけど、原爆の日とか終戦の日とかっていうふうに必ず国民が1年に1回思い出せる機会を作っているじゃないですか。
でもなんかこのあの太原洋戦争があって、でその50年も前じゃない40年ぐらい前に日露戦争とか日中戦争とかあるんですよね。
だけどそれって何の日も知られてないっていうことはなんかこれちょっとどうなんだろうっていうことはちょっと前々から思っていて、
例えば日露戦争とかはまあ兵士の被害とかはめちゃくちゃあったんでしょうけど、なんか弱小国家が大国先進国家に勝利したっていう美談が基本じゃないですか。
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もちろんそれは弱気が勝つっていうロマンがあるからこそ、勝ったからこそだとは思うんですけど、
あくまで国民を下手に巻き込むことなく政治的軍事的な戦争として収められたからかもしれないんですけど、
ここまで美談になってるっていうかあんまり知られてないっていうのはそういうことなのかもしれないんですけど、
だけどそれもちょっと恐ろしいなっていうふうに思っていて、
例えば日露戦争のこの203高地の戦いなんてひどい激戦だったっていう話もあるし、
この勝つか負けるかっていうことのこんなにも戦争の捉え方が変わるんだなっていうことはすごく思っていて、
大変よ戦争がうまくいっていたら今頃戦争経験者になっていたかもしれないし、
そもそも命がなかったかもしれないなっていうふうにも思うわけなんですよね。
ということでちょっとNHKで見たことを自分の言葉にまとめてみたくて撮ってみましたということで、
ご清聴ありがとうございました。それではまた。
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