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2023-09-29 12:01

#2189 ヘタウマ音楽 from Radiotalk

#2189 ヘタウマ音楽
・子どもでも描けそうな絵ってあるよね
・音楽で「子どもでもできそう」ってある?
・絵の世界におけるヘタウマというジャンル
・音楽でもヘタウマがあってもいいのにな
・ヘタウマが好きな理由

#202309n
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はい、こんにちは、なおくんです。ということで、今回のテーマはですね、ヘタウマ音楽というね、ちょっと言葉を思いついたので、それについてね、考察していきたいなと思います。
ヘタウマ音楽っていうね、ちょっとジャンルを僕は目指したいなと、今思いついたんですよ。
ヘタウマっていうジャンルありますよね、絵の世界で。
なんかね、ヘタウマっていう言葉聞いたことありますか? 例えばさ、なんか絵、
絵をさ、本当は上手く描けるんだけど、わざとヘタに描くみたいな、そういうなんかジャンルみたいなのがあって、あの
めちゃくちゃ美大を卒業したりとか、イラストの専門学校を卒業したりって言って、アカデミックな絵の勉強を、すごい人が敢えてヘタクソな絵を描く、ヘタに見える絵を描くみたいな、そういう風な感じの
やつってあるじゃないですか。 まあ例えばその西洋画家で言うとピカソとかさ、あの
なんかピカソの絵って子供でも描けそうって、そう言われるじゃないですか。 ピカソも若い頃は、あの普通に写実的な、写実的っていうのはリアルに見えるような絵って
いうことなんですけども、そういう絵を描いていたんだけど、だんだんだんだんそういうのをぶち壊していって、キュビズムっていって、いろんな視点で
物を見れるようにしたりとか、そのなんかアフリカの原住民が描いているような、あの
壁画的なやつをちょっと模倣してみたりとか、そういう風にして どんどん自分の態度を壊していって、最終的には本当に子供が描けるような、子供が何も考えずに描いたような絵を
なんか目指してたっぽいんですよね。 で
なんかさ、そう考えると、絵の世界ではそのヘタ馬っていうのがどんどんどんどんさ、出てきてるんですよ。
で、それは歴史をたどると何でかっていうと、おそらくね写真というね、カメラというものができてかららしいんですよ。
それまでの美術、アートっていうのは、あのまあ主に西洋絵画においてなんですけど、いかに写真みたいに描けるか選手権だったんですよ。
その写真みたいに描ければ、まあ当時は写真なかったですからね。 だからまあ見たまんま描けるかどうか選手権みたいな感じで、そこで技術を競い合ってたんだけど、
カメラというものが登場してから、もうそれに意味がなくなった。 要は今でいうAIに仕事を奪われるみたいな状態があったわけですよね。カメラに仕事を奪われるみたいな。
それで画家たちは仕事がなくなるんじゃないか。 だってそうですよね。だって画家が今まで何週間もかけてね、作ったものが写真だったら一瞬でパシャッと撮れば、一瞬で何かもう本当に
何日も画家がね、しかもその技術を磨くために何年も何十年も技術を磨き上げてきて、しかも作るのにも1日2日、もしくは数週間かかるようなものをカシャッと撮れば、素人でも一瞬でね
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いやそれ確かに今のAI以上にすごい革命かもしれないですね。 って考えるとさ、あの画家たちはやべえってなって、じゃあもう写真にはできないことをやろうって言ってどんどんどんどんこう
追求していった結果が今のその 現代アートって言われるものになっていくわけなんですよね。
でまぁそれが絵の世界で起きていると。 まあそういった中で一つのジャンルとして下手馬っていうね、絵の世界があって、で僕が描いてるね
サムネイルのイラストも基本的に下手馬なんですよ。 僕は別に上手く描こうと思って上手く描けるから下手に描いてるわけじゃなくて、なんか下手馬がすごいね
癒されるんですよね。なんか上手い写実的な絵にあんまり興味がなくて、それは元からなんですけど、一時期そういう写実的な絵にチャレンジしようと
こともあった、チャレンジしようとしたこともあったんだけど、なんかあんまり自分が楽しいと思えなかったんですよね。
で、なんか下手馬。でも下手馬っていうのもやっぱりね、ただ下手に描けばいいってもんじゃないところがすごく難しくて、
あのある程度ね絵の基礎をわかった上で下手に描いたほうがやっぱりなんか説得力はね、出るような気がしてるんですよ。
っていう感じ。で、じゃあ下手馬音楽の話に戻すと
音楽で下手馬ってあるのかっていうと、なくはないんだけど、なんかさピカソとかさ、ミロとか、なんていうんですかね、そういった
カンディンスキーとか抽象絵画とかってありますけど、そういうレベルで、なんか
みんなが世界的にすごいって称賛してくれるほどの作品で下手馬みたいなものって音楽においてはね、まだないような気がするんだよね。
こんなの子供でも歌えそうな歌じゃんとか、こんなの子供でも作れそうな曲じゃん、みたいな曲でめちゃくちゃヒットした曲ってなんかありますかね?
ないでしょ? あるんだったら教えてほしいですね。ちょっとお便りとかで。いやあるよってなったらね、僕はちょっと思いつかないですね。
要はピカソの絵とかそのね、あの本当に、 適当に描いたっぽいような絵とかあるんですよ。
それ見ると、こんなの自分でも描けそうみたいに思わせてくれるような絵ってたくあるんだけど、音楽においてはあんまないなっていう気がして、やっぱり基本的に歌が上手いとかさ、
なんか作曲の技法が優れてるとか、そういったなんかやっぱりまだ音楽って、その絵でいうところの昔の絵でいうところのいかにリアルに描けたもん勝ちかみたいな
勝負をしているような気がするんですよね。 だから僕もどっちかというと音楽をやるときは、なんか間違えないようにとか、正しい音程でとかっていう方向に
行きがちなんですよね。だからまだそういう意味ではあの 音楽と絵をね、あえて比較するとしたら音楽はちょっとまだその
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発展途上な気がするんですよね。だから音楽もその壁をぶち破ることができたら 面白いなって思ったんですよ。
じゃあどうして音楽においてヘタ馬がね、出てこないのかっていうと、 わかんないですけど
僕が思うに、やっぱり音楽はヘタでやるとね、ヘタにしてしまうと気持ち悪くなるからなんですよ。
もちろん絵も気持ち悪くなるんだけど、絵はさ、見なきゃいいんですけど、音楽っていうのは耳を塞がないと基本的に入ってきちゃうもんなんですよ。
だからあの最低限のその心地良さっていうのはどうしても必要になるんですよね。
だから音程が合っているピッピが合っているとかそのハーモニーが不協和うんじゃないとかそういった
あの なんか最低これぐらいは守りましょうねみたいなルールがかなりね
あの絵に比べると細かいですね。だって絵ってさ、別に色を何使うが基本的に自由じゃないですか。
なんかこの色とこの色を混ぜちゃいけませんみたいなってないでしょ。 でも音楽はねそれが結構あるんですよ。
あの音楽理論とかを勉強すると、もちろん最終的には自由だよっていう話になると思うんですけど、やっぱりねあの
絵に比べるとかなり細かい気がする。
まあそういったところもあってねちょっとその音楽においてはヘタウマっていうジャンルがねまだ確立してないような気がしますね。
だから僕はそのヘタウマ音楽っていうものをね、自分らにツイートしてみたいなと思いましたね。
本当はもっと上手に演奏できるんだけど、あえてヘタにやってますよみたいな。で、それが魅力的ですよ。それを聞くことによって逆にこう癒されるというか。
なんかね、僕ね上手な絵を見るとあの しんどいのは上手に描かなきゃいけないっていうふうに思っちゃうんですよ。
なんかこれねあの前誰かが言ってたんですけど、あの なんか週刊連載の漫画を見てるとしんどくなるっていう。
それは何でかっていうとその漫画家のしんどさが伝わってくるからみたいな話をしてらっしゃる方がいたんですけども、
なんかそれに近い感じがしますね。 なんかさ、上手い絵を見るとこれどんだけ時間かけたんだろうとかそういうことを思うとちょっとしんどくなるんですよね。
だからその本当に緩い絵を描いているそのイラストを見て、なんか本当に一筆描きで描いたんだろうなみたいな絵を見ると自分でも描けそうっていう勇気を与えてもらえるし、
なんかね癒されるんですよね。こういう絵でもいいんだっていうか、これでもいいんだっていう、なんか生き方レベルでさ、なんかそれでいいんだよみたいなことを教えてくれてるような気がして、
だから僕そういう下手な絵が好きなのかもしれないですね。 だから僕は音楽家としてその音楽でね、それをちょっと癒しを与えるって言ったらおこがましいですけど、
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伝えていきたいなって思ってるところがあるのかもしれないですね。 僕今ピアノの練習配信をやって、あえて本当に幼児向けの曲集をやってるのも、あれもなんか超絶技巧とか別に
やらなくても、 シンプルな曲でも楽しめるよっていうことを伝えたいっていうのが根底にあるのかもしれないですね。
音楽の分野はまだまだやっぱり技術志向というかね、上手ければすごいとかね、難しいことができればかっこいいとかみたいな、
そういうところはまだまだね、根強いんですよね。 それはなんか
ぶち壊したいっていうところがあるのかもしれないね。 って思いましたね。
ヘタウマ音楽ね。ヘタウマ音楽。 そしたらヘタウマ音楽を目指すっていう、自分の中で勝手な目標ですけど、そういう
マイルストーンじゃないですけど、そういう目標をね、自分の心の中に置いておけば、なんか上手くならなきゃっていうところから少し解放されるような気がしたんですよね。
ヘタウマでいいよっていう。 これは聴いてる人にもね、もしかしたら何か参考になればいいと思うんですけど、別に上手いことが正しいってわけじゃないんですよね。
だから、絵の世界ではそれがもうだいぶ浸透してきているような気はしますけど、
まだ音楽においては、絵の世界ほどはヘタでもいいよっていうことが容認されてないというかね。
やっぱり楽器やってるとね、結構ピッチがおかしいとか、音程が間違ってるとか、
そういったことを言われがちなんですよね。ちょっとリズムが合ってないとか、
そういうイメージあるでしょ。イメージあるし、実際そうなんですよね。 だから、ついついどうしても正しいものを無意識的に求めてるんだけどさ。
音楽も、もっとそういうところから、そういう枠みたいなものから離れて、枠にとらわれないようなものを、
自分自身がまずやっていこうかなというところを思いましたね。
はい、ということで、ヘタの音楽という概念について思いついたので、それについてちょっとつらつらと話してみました。
結論は全然出てないんですけど、とりあえず、上手ければいいみたいな、そういうところから音楽も少しずつ出していかないといけないのかなっていう気はしますね。
いずれね、そういうのも機会に多分取って変わられるような時代が来るような気がしておりますので。
はい、ということで、今回は以上となります。聞いてくれてありがとうございました。
では、さよなら。
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