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2023-09-27 10:12

#2187 「正解」を求めすぎてる自分に気づけた話 from Radiotalk

#2187 「正解」を求めすぎてる自分に気づけた話
・正解を求めすぎると苦しくなる
・初心者の人が楽しそうに演奏していた
・自由になるために知識を求めたはずなのに
・知識を入れれば入れるほど自分の自由を奪ってた
・そもそも「正解」なんてものはない
・正しいよりも楽しいを選ぶ

#202309n
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はい、こんにちは、なおくんです。ということで、今回のテーマは、「正解を求めすぎている自分に気づいた話」というテーマです。
はい、あの無意識にいつも正解というものをね、求めていた自分のね、傾向性に気づいてめちゃくちゃショックを受けたんですけど、
でもなんかね、ショックを受けた一方でちょっとスッキリしたというか、なんか自分が苦しんでた原因って
そこにあったのかなというふうに思ったので、ちょっとその話をね、シェアしてみたいと思って話してます。
で、きっかけとしてはですね、昨日ちょっとある出来事があって、ちょっとセッションというかですね、楽器をね、みんなで弾くような場にね、ちょっと参加させてもらったんですよ。
そこにはですね、まあいろんな音楽家の方がですね、集まっておりまして、めちゃくちゃ音楽経験がある人もいれば、
そんなに音楽経験はない人もいるみたいな感じの場所だったんですね。
で、まあそこでアドリブとかですね、本当に即興で好きなことを演奏しようよみたいな時間もありまして、
で、そこでね、演奏したわけなんですが、で、僕はですね、
そういうね、即興の場でこう演奏しててもね、なかなかこう楽しいというふうに感じられる瞬間もあるんですけども、
なんかね、ちょっとしんどいなって思う時もあって、それが何なのかがよくわかんなかったんですけど、
で、その原因というのがさっき言ったように、なんか正しい演奏しようといつもどっかで思ってたっていうことに気づいたんですよ。
これはすごい大きな発見で、
もうね、音楽始めてからかれこれ10年、20年ぐらい経ちますけども、
いかに正しく演奏できるかっていうことをどっかで求めてて、そのために音楽理論を勉強したりとか、
楽器を習いに行ったりとかしてて、それは別に悪いことではないんですけども、結局なんか
どっかにあるかもしれない正解みたいなものを無意識に求めていて、それで演奏する時も間違わないように、
少しでも正しい演奏になるようにみたいな意識で演奏してたんですよね。
リズムが間違わないようにとか、音程が間違わないようにとか、
音の並びが理論的に外れないようにとか、
それをほぼほぼ無意識で発動してたんだけど、それがなんかね、自分を縛りつけていたなって思ったんですよ。
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どうしてそれに気づけたかっていうと、その同じセッションの場に初心者の方がいたんですね。
その初心者の方は本当に楽器始めたばっかです、みたいな感じの人だったんですよ。
でもね、センスがあるのかすごい飲み込みも早くて、パッパッパッとね、苦労とかを見ればね、
すごいこんなこともできちゃうんだ、みたいな感じなんですよ。
でも初心者の方はそれがどんなにすごいかっていうのは本人は分かってないんですよね。
で、周りの音楽経験者たちがすごいなーっていうことを言ってるんですよね。
で、本当にただただ無邪気に弾いてるというか楽器を演奏してて、
で、それを見て、対比的にね、その方の演奏と自分の演奏を見て、
なんか自分ってめちゃくちゃ正解を求めてたんだっていうことに気づけたんですよ。
本当に何年も何年もいろんなことを勉強して、いろんな練習をしていたのは、
なんていうかね、間違わないための訓練だったのかな。
あの、要はそれを知ることによって自分を縛りつけちゃってる部分も結構あったなって思ったんですよ。
初心者の人っていうのはいい意味で、そういう理屈とかを知らないから好き勝手できるんですよね。
だから間違いとか恐れないんですよ。何が間違いかも分かってないから。
だけど、なんかそこでいろんなことを知れば知るほど、こういうことをやってはいけないとか、
こういうことをすると間違いだっていう変な知識が溜まっていっちゃうじゃないですか。
だからそれをね、良い方に使えればいいんだけど、自分の場合は、
それをやってはダメだとか、そういうことをやったら、なんかその一般的なそのセオリーから外れるよねみたいな、
なんかあの自分のこう枷というか足枷みたいな感じでやってて、
本当は楽しむはず、楽しめるはずの音楽をどんどんこう、自分で勝手に窮屈なものにしていたなっていうふうに
まあ思ったんですよね。でそれに気づけてしまった。気づいてしまってめちゃくちゃショックでしたね。
これまでやってきたことで無駄だったの?みたいな。
初心者の人の方がすごい楽しそうで自由で、なんかいいなって思って。
なんか本当に ショックでしたね。
で、まあ一分受けたわけなんですけども。
まあ、とりあえずね、今もうちょっとね気持ちはざわついているのが正直なところなんですけど、
でもね、自分の人生の傾向性というか、自分の性格の根本的な傾向に気づけたっていうのはすごい大きくて、
やっぱりこの音楽に限らずいろんなことに僕はね、正解を求めすぎるっていうところがありまして、
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だからそれはこのラジオトークの収録にも現れていると思うんですけども、
やっぱりこう、いかにテンプレ通りに話すかとか、いかにこうなんか
論理的にわかりやすく話すかとかっていうのも、そういうのも本でいろいろ読んで、
なんか理論武装して話してたりとかしてたような気がします。
もちろんそれもね、わかりやすく話すためにはいいことなんだけど、それに縛られて自由さをなくす、
楽しさをなくしてしまうっていうのは、
まあある意味本末転倒の部分もあって、
楽しむために始めたことなのに、いつの間にかその正解を求めすぎるが故にそれに縛られてしまうっていうね、人生の負のループがあるんですよ。
なんだろうね、最初はもうまっさらな時に始めて、まっさらな状態で始めるじゃないですか。
で、楽しいってなって、で、もっとこう楽しむためにって言って勉強を始めるんですよね。
で、勉強を始めると、こうすれば正しい、こうすれば正しくない、これは良くない、これは良い、みたいな、そういうなんか、
正解と不正解みたいなのを知るわけですよね。
そうすると正解しかやっちゃいけない、不正解はやってはダメだみたいな、
そういう、なんかね、ルールみたいなのができて、どんどんどんどん窮屈になっていくんですよね。
っていうのがいろんな分野に起きてたんだなって思って、ちょっとね、それに気づけたんですよ。
だから、じゃあどうすればいいかっていうと、
うーん、勉強することはね、決して悪いことではないと僕は思っていて、それを知ることによって表現の幅が広がるのも事実なんだけど、
それによって、なんか、自分の中で正解不正解とジャッジするのを、なるべくね、やめていこうと思いました。
それは他人に対してもそうですね。他人の表現に対しても、心のどっかであ、間違ってる、これ正しいっていうふうに思うことも、なるべく手放したいと思いましたね。
いやー、なんかむずいですね。これなんか日本人によくある傾向らしいですね。
やっぱり教育において正解不正解ってジャッジつけられる機会が多かったから、結構なんか無意識的にね、正しいこと、これが正しいんだ、正しいことを求めようみたいな感じでやりがちな人って、まあ僕に限らず結構いるっぽいんですよね。
もしかしたら聞いてるあなたもそういう傾向が多少あるかもしれないですし。
まあなのでね、まあ一応シェアしておいてね、誰かのお役に立てればっていうのもありますし、
まあそれもあるんだけど、まあ自分の気持ちをちょっと吐き出したいっていうところもあって、まあ話しております。
ねー、だから楽しさ、正しさと楽しさって一文字だけ違うじゃないですか。
正しさ、楽しさ、ね。楽しさを求めてたはずが、いつの間にか正しさを求めているようになったら苦しくなるんですね。
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まあそれはほとんど無意識なんですよ。自分では正しさを求めているつもりはないんだけど、いつの間にか正しさの方向に舵を切っちゃってたみたいなね、ことがあると思うので、
えー、なんか苦しいなあ、しんどいなあって思ったら、正しさを求めていないかなってちょっと自分に問いかけてみるといいと思います。
で、正解なんてものは本当はないんですよね。何が正解かなんてものは人それぞれだし、
で、まあそもそも正解なんてものはないし、だからそれを一旦手放して、もっと楽しもうよっていうところにね、
えー、もう一回ちょっとベクトルを向け直していただくといいんじゃないかなと思いますね。だからラジオトークも、あの、正しさをね、
自分の中でね、こう続けていくと自分の中の正しさみたいなものを背負いができちゃうんだけど、一旦それを手放してね、楽しく
話せるようにしていこうかなと思いました。 はい、ということで、えー、まあ、なんていうかな、
正解ばかりを求めてしまう自分の傾向性に気づいたというお話をシェアさせていただきました。
はい、以上ありがとうございました。
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