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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は135回ということで、ポッドキャストをちょっと振り返ってみようと思います。
タイトルは、AI時代に音声で発信することの大切さを思う、というタイトルです。
この135回になりまして、私自身、このポッドキャストの配信を振り返ってみるに、まず自分なりの鍛錬ができつつあるな、というふうに思います。
話し方も最初のあの頃を振り返ってみると、下手くそだなと思って、全然なってないなと思うこともあります。
今もやっぱり下手だなと思うことは何箇所も何箇所もあるんだけど、あの頃よりはだいぶ進歩しましたかね。
気をつけているのは、喋り方とか、肯定アクセントとか、そういったこともなんだけど、
喋り方に表現力をつけようと思って、いろんな喋り方を工夫して喋っているんですね。
あとは、やっぱり語りに表情がもうちょっと豊かになるといいなと思っていて、ついつい一生懸命喋りすぎて、
なんだか一本調子になっている時もあったりなんかして、もっとなんかこういろんな表情豊かにならないかなっていうふうに今工夫中です。
でも、他の先生とコラボしたりなんかしたら、その表情もついてるんで、やっぱり一人で喋るよりも、
対話しながらやっている方が、声に表情がついていいなっていうふうに思いました。
なので、一人で喋っている時も、誰かがなんかこの目の前に誰かがいるんだなぁと思いながら喋ると表情が出ていいんじゃないかなっていうふうに振り返って思っています。
あとは、大きな進歩なんですけど、詳しいメモ書きがなくてもそこそこの配信内容になってきたっていうことですね。
理想はもうメモなしでやるっていうのが私の理想なんですけど、どうしてもメモなしで頑張ってみるとグダグダ感がなきにしもあらずなので、
今のところは、ノートの半分ぐらいに柱をポンポンとキーワードを置いて、それから喋るようにした配信はまあまあいい感じにはなっていますけど、
全くのメモなしでやってる時っていうのは、よほど日常的なそういうネタでない限りは、やはり若干のグダグダ感は免れません。
ということで、理想はメモなしで喋るっていうのを理想にしながら毎日鍛錬を重ねていきたいと思います。
今日の配信はやっぱり音声配信の重要さですね。
特に私、AIを活用し始めて、AIっていうのはすごい便利だけれど、たくさんの文字をどんどんどんどん吐き出してくれて、
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いろんな情報を取捨選択しながら、新しい道がどんどん開けてきて大変便利で、
これから絶対活用していかないといけないなって思いながらも、このAIの吐き出す文章にものすごい物足りなさを感じることがあります。
それは何なんだろうって思いながら、この半年間過ごしてきたんですけど、
やっぱり、ネットとリアルの間っていう西垣徹さんの《ちくまプリマーシーン書》を読んだときに、
これだと思ったことがあって、やっぱり情報っていうのは、文字の情報とそれに伴って身体性がくっついて発信されるものが普通じゃないですか。
例えば、お互いに面と向かっていろんな話をしているときに、音声っていうものは身体性を伴ってどんどん伝わっていくから、
いわゆる文字情報と、その中にコアネとかトーンとか強弱とか音っていうものを肌で感じながら、
身体性を伴っていろんな情報を受け取っているわけで、デジタル文字だけだったら完全な情報とは言えないらしいんです。
だから、身体性を伴うことによって人間は初めて情報を豊かに受け取るっていう生き物らしいんですよね。
だから、この肉体・身体っていうものがとても重要になってきて、それのない情報っていうのは、やっぱり人間の受け取り方としては乏しいものになるっていうような内容だったと思うんですけれど、
西垣徹先生が書いていらっしゃるのを見てものすごく納得しました。
チャットGPTとかエアーが出す文字っていうのに物足りなさを感じているっていうのはそこだったんだなっていうふうに思って、
どうしても私は人間同士の喋りを授業でやっているから、そこでの心と心の通じ合い、理解の通じ合いよりも何かAIの方が物足りないなと思っていたのは、
身体性が欠落しているからだっていうふうにちょっと思ったんですね。
ということを考えると、やっぱり本っていうのはそこプラスの本をめくるっていう身体性も伴っているから、まだ頭に入りやすいんだなって思ったり、
でもだんだん進化してくるとデジタルの文字もパソコンでクリックするっていう身体性を伴いながら入ってきやすくなってくるのかなと思ったり、
この先、人間とデジタルの付き合い方っていうのも新しくいろんな展開が待ってるんじゃないかなって思いながら、
どうしてもやっぱりデジタルだけの文字情報だけの発信っていうものには身体性が伴ってないから、私の中でしっくり落ちてないんだなっていうふうなことは分かりました。
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そういう意味ではこのポッドキャストは音声、肉体はなかなかないけど息遣いであるとか、ここに確かに人間が喋っているっていうような肉性を伝えるので、
文字だけの情報よりもその人のパーソナリティとか感情とか、そういうのが息遣いと共に伝わってくるようなところもありますし、
音声っていうのは実際に肌で感じる音の響きっていうのもあるし、このデジタル化時代にあって音声発信っていうのはものすごく可能性を秘めてるんじゃないかなっていうことを最近思っています。
特に私がポッドキャストをやっていて可能性を感じているのは、この情報の蓄積のスピードと量が半端ないってことですね。
先日も配信しましたけど、私が10年間月間国語教育で連載していたのが118回。これ10年間で118回ですから。
それがたったの4、5ヶ月で118回を到達してしまうこのポッドキャストの情報のスピードと蓄積の量、これはすごいですね。
こういうコンテンツをどんどん溜めていくと、いろんなものが発信できそうな予感がしてきました。
そうは言ってもやっぱりこういう文字情報の洪水に溺れてしまうっていうような、そういう面も出てくるんじゃないかなと思います。
こういう情報のスピードと蓄積の量がすごかったら、その分どうしても人間のキャパを超えて情報の処理が間に合わなくなってしまいますよね。
そんなふうに、情報発信のスピードと量が増えれば増えるほど、どうやってその情報をうまく自分の中でフィルターにかけながら、どうやってうまく取り込んでいくのかっていうのは課題になってくると思いますね。
そこでAIにちょっと働いてもらえたら、だいぶ情報の精査ができていいのかなっていうふうにも思いますけどね。
ということで、これからも私はこの音声発信についての可能性を探りながら、ポッドキャストを配信していきたいと思います。
これから新しい流れとして、この音声発信というのが、国語教育の流れになってくれたらいいなと思ってるんですよ。
今までずっと読むとか書くとかばっかりだったじゃないですか。話すとか聞くとか、録音してその音声を聞くとか、そういうのもどんどん国語の中に入ってきたら豊かになるんじゃないかと思うし、
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これからはそうやって人の前でパフォーマンスしながらやりとりしていく人間が社会で重要になってくるんじゃないかと思うので、
喋れる人間、ある程度情報を発信できる、肉体でもって発信できる、そういう子どもたちも育成できたらいいなと思っています。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。