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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、旅の配信をさせていただきたいと思います。
プチセレブ・バックパッカー❣️インドへ行く🇮🇳
今回は、5月17日水曜日8日目の旅の模様をお話ししていきたいと思います。
こちらの旅配信は、私が若き頃、学生時代の親友であった友達と2人、大きなバックパックを背負い、
21日間のインドパックパッカー旅をした時の旅行記を1日ずつ、1週間に1度配信をしているものになります。
今回は、9回目になります。
前回は、やっと辿り着いたダージリンで、少し体調が回復して町を散策して宿に帰った。
そして、このまま体調が良くなることを期待して休んだ、というところで終わっていました。
ところが、ことはそううまく運ばなかったんですね。
では、今回もダージリンの旅の様子をお話ししていこうと思います。
5月17日水曜日
ヘルプ
インドに着いてちょうど1週間目の朝。
あまりの高熱ぶりに、愕然としながら目が覚める。
体中が熱くて、なのに凄まじいを感がする。
朝起きたら、良くなっていると期待して寝ただけにショックも大きかった。
冷えピタを2枚貼って、なんとか栄養クッキーを食べて薬を飲む。
今日までの分しか日本から持ってきた風邪薬はなかった。
こうなれば最終手段だ。誰かにヘルプを頼むしかない。
ドクターを呼ぶか、または幼少の頃からのかかりつけ医である日本のお医者様に国際電話をかけて指示を仰ぐか。
二つに一つである。
こちらでドクターを呼ぶとなると、語学力も去ることながら本物の医者かどうかとか支払いとか保険とかの問題でとてもとてもめんどくさくなるので、
日本のお医者さんに国際電話をかけることにした。
頼りになる旅のパートナー、私の友人に頼んで、宿の主人にこの近くに国際電話をかけられるところがないかを聞いてもらう。
ふらつく足取りで、宿の主人と一緒に二軒先の電話屋さんに国際電話をかけて行った。
まずは母に電話をする。病院の電話番号を聞き、病院に電話をかけた。
03:04
すぐに懐かしい先生の声が聞こえる。
あれ、なおちゃん久しぶりだね。元気にしてた?
先生、元気じゃないんで先生にお電話してました。
実は今、インドのダージェリンにいまして、この先生はWHOの機関で働いていたことや、
主にアジアの発展途上国などにも仕事で行っていた経験があり、国境なき医師団として活躍をしたり、
30カ国をぐらいを操る本当に頼りになる先生である。
なぜマチ医者をやっているのか未だに謎である。
私の現状や今までの経過を報告すると、すぐにアセトアミノフェンとアンティバイオティクスを取って経過を見るようにとの指示をいただいた。
これは鎮痛解熱剤と抗生物質だ。
俺を置いて早速宿の主人に頼んで近くの薬局に連れて行ってもらった。
汚い、薄暗い、看板のハゲかけている薬局。
しかも看板は無造作に地面に置かれている。
おいおいここで私の命綱は手に入るのかと一瞬ためらったけれど、
眼鏡をかけたおじさんにアセトアミノフェンとアンティバイオティクスをくださいと言うとすぐに両方とも出てきた。
眼鏡のおじさんはもしかして薬剤師さんかもしれない。
アンティバイオティクスをくれと言うとこれは飲み合わせがある薬だ。
君の症状はどういうものだと聞くので説明をするとならばこっちだと箱の山積みになっている棚から手品のように一つの薬を出してきた。
飲み方と容量を丁寧にわかりやすいアルファベットで紙に書いてくれた。
ブッキラボだけど親切なおじさんだ。
部屋に戻りもう一つ栄養補給のクッキーを食べて薬を飲む。
効果は速攻でぐんぐん熱が下がっていった。
朝、宿のフロントで出会った日本人の女の子と男の子が私たちが具合悪いことを覚えていてくれて消化に良くエネルギーになるからとバナナとマンゴーを持ってきてくれた。
優しい心遣いに胸が熱くなってきた。
彼らは三人組だったがみんなインドにはバラバラに来ていてすでに一か月以上旅をしているということだった。
偶然ダージリンで一緒になったので今は三人で同じ部屋に泊まっているということ。
すごい、たくましいな。
私はインドは一人旅はちょっと無理かも、なんて思う。
なんて言ったってプチセルブバックパッカーですから。
お礼を言って少し部屋で休んだ。
友人もまだ鼻水と咳が出ているようだったが他の症状はないようだ。
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少し日本に帰るに行ってお早めようか。
どこか途中を抜かしてちょっと贅沢に残りの旅行をするなんていうのもどう?
この後の工程だって決して楽なものじゃないし心配だよ。
優しい友人は私を気遣ってこう言ってくれた。
ありがとう。全く私は何だったってこんなことになっているんだろう。
自分の体の不甲斐なさに腹が立ち、悔しくなってくる。
しかも熱と頭痛だけなら動けないことはないのだ。
大丈夫だよ。ゆっくり休みながら行動するようにするから。
それにもう二度とインドは来ないかもしれないのに悔しいじゃない。
私がここで動けない、動かないということはそのまま友人にも迷惑と心配をかけるということだ。
私は半ば強がりでこう言ったけれど彼女は心配そうだった。
熱も頭痛も収まってきたのでロープウェイだけでいいから見てみたいと無理を言って外へ出る。
昨日は宿を出てすぐ右の道を曲がったが、今日は左。
バザールを抜けバススタンドへ向かう。
それにしてもこのバザールはすごい。
狭い坂道の両脇にびっしりと露点が軒を連ねている。
医療品と靴が主な売り物だ。
バザールの坂道をバススタンドの方面に向かって下っていく。
安売りの呼びかけも聞こえる。
バスステーションの周りはさらに大にぎわいだ。
何やら街頭演説みたいのまでやっている。
どうやら選挙の候補者のようだ。
そして乗り合いタクシー、バスの鳴らすけたたましいクラクション、
道路の脇の露点は今度は医療品に代わってパン屋や肉屋が並び出していた。
道が汚いのでハエもすごいようだ。
太陽が射してきてかなり気温も上がってきた。
汗ばむほどだ。
乗り合いタクシーに押し込まれたときには汗びっしょり。
タクシーは5分ほど走るとロープウェイ乗り場にたどり着いた。
細い階段を上がると確かに行く手にロープウェイらしきものが見える。
近づいてみるとそれはかなりの傾斜で急降下していくように見えた。
しかしながら肝心のゴンドラは動いていないし人影も見当たらない。
不思議に思ってあたりを見回すと男性が一人立っているのが見えるので聞いてみた。
クローズ閉まってると何ともそっけない答え。
なんてことメンテナンスのため来月まで運休だとかせっかくここまで来たのに
タクシーに乗る時点で誰か教えてくれてもいいじゃない。
しかしロープウェイ乗り場からの景色はなかなか爽快だったので
09:03
私たちは男性に頼んで写真だけ撮ってもらって再び町へ戻った。
お腹が空いていた。
あまりまともなものを食べていなかったせいだ。
昨日、宿の主人に教えてもらった中華料理屋さんロータスへ。
中はひんやりとしていて薄暗かったが清潔でいかにも中華らしい装飾。
ミックス焼きそば、チキン入りの汁そばを注文する。
ああ久しぶりだこういう味。
私たちは恒例の食事写真を撮るのも忘れひたすら食べた。
おいしい中華万歳。ここの国は中国人だろうか。
味はインドテイストの中華ではなくちゃんとした中華の味だ。
そういえばオーナーらしき男性も中国人のような顔立ちであった。
また来よう。
久しぶりに満腹になった私たちは宿に戻って休憩した。
ノックの音で起きて窓越しに確認すると朝フルーツを持ってきてくれた日本人の男の子と女の子だった。
どうやら三人のうち一人が熱を出してダウンしてしまったので
私の買った薬の種類を教えてほしいということであった。
困った時はお互い様。
私の症状と薬の名前、薬局の場所を教えた。
その一人は以前バラナシで食中毒で入院したこともあるそうだ。
怖い。入院だけは嫌だ。
20時過ぎになって私はまたお腹が空いてきたので街へ出ることにした。
我がパートナーは部屋にいるということだったので初の一人行動だ。
どこへ行こうかと迷ったが温かい飲み物が飲みたかったので
ずっと気になっていたこの街唯一の映画館の入り口の横にある小綺麗なカフェに行くことに。
ここなら一人でも大丈夫だし何と言ってもダージリンやインドにいるのも忘れさせるような店内の雰囲気である。
ゆったりとしたレザー調のソファー席があり日本のスターバックスのようだった。
私のほかには二三人いるだけであったがいずれもインド人ではなく西洋人観光客だった。
ソファーに座りカプチーノとサンドイッチを頼む。
おおカプチーノそういえば私はコーヒーが大好きだったんだ。
インドに来てからは暑いのと簡単に手に入られないので一度も飲んでいなかったが
久しぶりのコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
茶屋もいいけどやっぱりコーヒーは大好きだ。
サンドイッチを半分友人用に包んでもらいカプチーノも追加して彼女へのお土産にした。
今夜はぬるいお湯で足湯だけして眠りについた。
まだまだ本庄市からはほど遠い。
明日は今日よりももっと良くなりますように。
12:01
祈って眠りについたのであった。
はい、ということでダージリンの旅の様子
こちらまでとさせていただきたいと思います。
インドについてちょうど一週間が経過したというところでしたね。
体調を思いっきり壊してしまった私はやはり無理が立たったんでしょうね。
発熱、頭痛、おかんといった症状に苦しめられることになりました。
この間ですね、お腹の調子はどうだったかということが書かれていなかったと思うんですけれども
安心ください。これより以後、帰国するまでですね、コンスタントにお腹の調子は悪いです。
食事中の方はぜひ聞かないでいただきたいんですけれども
コンスタントにお腹の状態は悪いんですけれども
なんて言うんですかね、なんか人間の体ってすごいなと思ったんですけれど
コントロールできるようになってくるんですよね。
つまり、トイレに行けない場所でお腹がという事態はならない。
そんな体になってくるわけですね。これは不思議なものなんですけれども。
たぶん、あらいぐまモブさんあたりは分かってくれるんじゃないかなと思うんですけどね。
汚い話で申し訳ございませんでした。
ダージリン、ここにはですね、かなり長い時間滞在することになりました。
私がね、日本に電話をかけて、かかりつけのお医者さんに電話をして
薬を何を買えばいいかという指示を仰いだという話があったと思うんですけれども
このお医者さんはですね、実は私は自分が3歳の頃からずっと何だったら今もかかっている。
そしてうちの子どもたちも連れて行くことがあるというお医者さんでございます。
若い時にかなりいろんな海外での経験もある方で
国境なき医師団やWHOの自由軍医としていろいろな国、発展途上国に勤務していた方でもありですね。
小児発血病の権威でもあるという方なんですね。
今でも外国語が非常に多社でいらっしゃいますので
町会議室にはいろんな国の方がいらっしゃいますね。
インドにもかなり頻繁に行かれていらっしゃる方で
ヒンドゥ語、それからあと2つぐらいは何とか話せるということでしたね。
15:04
ヒンディができればある程度できるんだけどねというふうにはおっしゃっていました。
世界一周の船旅に出る前に先生に薬を処方していただいて
熱の風、お腹の風、傷可能した場合の傷とかね、鼻が止まらない時とか症状別で処方していただいて
どっさり持っていったんですよね。
なんですけどほとんど使わずに世界一周の時は帰ってきたので
インドの時も過信してたんですよね。
先生にお薬をいただいていくべきでした。
だけれども全然効かなかったんですよね。
私は日本から普通の皆さんがよくご存知の風邪薬ですね、
それから精露ガンですね、そんなものを持っていたんですけど
先生に全然精露ガン効かないんだよって電話して言ったらですね
精露ガンも効かないよって言われて
あれはね、なおちゃんロシアに行く時に使うもんだよ、インドに行く時じゃないよって言われましたね。
そういう先生でございます。
そしてこちらの先生はね、私の結婚式の時ですね
主品として挨拶をしていただいたという
もう家族ぐるみでね、お世話になりっぱなしの先生なんですね。
私は全然知らなかったんですけど
お医者様、開業医のお医者様でいらっしゃるので
先生はね、いろんな国からSOSが出た時に
どこにでも行けるように何種類かのクレジットカードと
いろんな緊急用のバッグみたいなのを常に常備されていらっしゃるそうです。
私が電話を切った後にですね、すぐに私の実家の方に電話をして
お母さん、インドに行きましょうって電話があったわよって
僕は5時間あれば病院を閉めて行けます。
あの子は国際電話もかけられないようなホテルに泊まってるんですよ。
お母さん知ってましたか?って
電話があったわよって母親から言われましたね。
私はまあ母にね、こんな状態でどうしようって電話をしても
母を心配させるだけだと思ったので
とりあえず病院の電話番号だけ教えてと言って
すぐに電話を切っちゃったんですね。
国際電話の料金も高いので
今みたいにね、もうかえすがえす何度も言いますけれども
今みたいにどこからあっても国際電話がかけられるとかね
インターネットでメールなりラインなりが
18:02
瞬時にできるっていうようなね
そんな感じのところでもなかったんですね。
私たちが泊まってた安い宿は電話はあるけど
国際電話がかけられる電話はないということでね
国際電話がかけられる電話も決まっていたわけですよね。
そんな時代でございました。
やっぱり高いので母に電話をしていると
こんな状態でこうこうでみたいな
よた話をしているのは料金がもったいないわけですよね。
コレクトコールにしたとしても。
なのでもう母にはほとんど何も告げずに
〇〇先生の病院の電話番号だけ教えてと言って
教えてもらってすぐに電話を切るというね
なんと親不幸な娘でしょうね。
そして詳しくはまさかの病院の先生の方から
母の方に電話が行って母は
いや私行きませんというふうに
私が行っても何の役にも立たないので
私は行きません先生も大丈夫ですよというふうに
先生を眺めてくれたというね。
未だにもう20年近く経っているのに
未だに私はですねこの先生のところに
子どもたちを連れて行ったりとかね
それとねいやぁなおちゃんはあの時はね
ここでね君たちのお母さんはね
とんでもない旅行してたんだよみたいな感じでね
言われるは語り草にされているわけですね。
そんなこともいい思い出ですね。
これはですねもし私がデリーとか
ムンバイとかそういった大都市に
いたのであればもしかしたら
日本大使館だったりとか
その日本人コミュニティだったりとか
そういったところに駆け込んだりとかね
そういったところに行くことができたのかもしれないですね。
ですけどなんせダージリンなので
本当にいいところなんですけど
そういった大きな医療施設はないわけですよ。
なのでね先生にもなおちゃん
医者は呼ばなくてよかったよと
医者呼んだらねまず木通し来るからねとかって
言われたぐらいですけど
本当にね呼ばなくてよかったなというふうに
思いました。
やっぱりインドはやっぱり
医療の面では
医薬品とかはねなかなか先進国
というかきちんと揃っている
ところではあるんですよ。
ただ情報が手に入りづらかったんで当時はね。
なのでその自分の体の症状を
どういう薬が
どういう場所で買えばいいのか
っていう情報さえ手に入れば
私の場合はこの時に
症状が収まることができた
ということだったんですよね。
本当にねその施設は本当に先生に
とってもとってもとってもとっても
お世話になりましたということでね。
未だに足を向けては寝られない
21:01
恩師の先生でいらっしゃいます。
ということでね
まあ本当にねこれ
無理をしてまだ熱が出たんだろうなって
今この日記を読み返すと分かるんですけど
または熱が下がるとすぐに外出する
本当に悪い女ですね。
ちょっとはおとなしく寝てろって思うんですけど
そういうことができない
処分のようですね。
こちらで
お話ししました中華料理屋さんロータス。
この中華料理屋さんは本当に美味しくて
本当にホットできる街中華の味で
その後何度もダージェリンに行くときには
立ち寄った中華料理屋さんでした。
そして映画館の横のカフェ
これもねどういう名前だったか忘れちゃったんですけど
本当におしゃれな
それこそアメリカとかヨーロッパとか
そういう系のカフェなんですよね。
本当に日本の今のスタバみたいな感じの家たちで
中もすごく綺麗で
いるのは西洋人の観光客だけというような感じでした。
今はそういうカフェもたくさんできてるんじゃないかな
というふうに思いましたが
この旅の中では積極的にそういうところに行かなかった
っていうのもあるんですけれども
ダージェリンというね
郊外中の郊外ですよね。
にもかかわらず
そういった西洋人観光客向けの
そういった場所があるっていうのは
観光地ってあるなという感じがしましたね。
ここにもちょっとインドテイストを忘れたい
インドズカレーがたまった時には
このロータスかこのカフェに行くというのが
私たちのルーティンになりましたね。
ということでですね
今回の旅の模様はここまでにしたいと思います。
次回もすみませんまだまだダージェリンです。
ということで
5月17日
8日目の旅の様子をお届けいたしました。
次回もまた楽しみにお待ちいただければと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。