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こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
はい、本日は、父と娘のヨーロッパ旅行記、こちら、今回が13回目の配信になります。
細々と続けてきました、父と娘のヨーロッパ旅行記も後半に差し掛かっております。
こちらは、両親が銀婚式の時に、私と弟たち2人を含め家族5人でヨーロッパを旅行した時の旅行記を元に、前半が父、後半が娘、私ですね、の2人が書いた旅行記を帰国してから一冊の本にしたものです。
要は、ファミリーヒストリーというか、ファミリーの旅行記ですね。
そちらを、今回まで12回にわたり読ませていただいておりました。
第1回目から10回目までは父の旅行記、そして11回目からは私の旅行記となっております。
ハッシュタグ父と娘のヨーロッパ旅行記ですべて聞くことができますので、過去配信に興味のある方はぜひそちらも聞いてみてくださいね。
さて、今回は8月23日月曜日の記録を読ませていただきます。
こちらは私の手記としては第4日目の手記になります。
私は前回からですね、弟たちとベルギーで別れて、弟と2人はその後オランダのアムステルダムに立ち寄り、その後ドイツフュッセンで合流をするということになっておりました。
私はアムステルダムは行ったことがあるので、弟たちと別れ、1人ドイツロマンチック街道をバスで南下し、最終的にフュッセンを目指すという旅行に一人旅になっております。
今回は弟の国のような街ですね、ローデンブルグを出発して、そこからフュッセンに至るという日のお話になります。
それでは始めていきましょう。
第4日目、ローデンブルグからフュッセン。
物語の主人公になる一日。
宿はとても静かで、私は何にも邪魔されることなくぐっすりと朝までよく眠った。
起きると体は軽く、喉の痛みもずっと良くなっていて、窓の外には太陽が輝き、幸先の良い一日の始まりを暗示しているかのようだった。
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おばさんの用意してくれた朝食は23ユーロにしてはもったいないほどであった。
バスケットいっぱいのパンに2種類のハムとチーズ、そしてヨーロッパ旅行で初めて目にした半熟のゆで卵は、かわいい毛糸の帽子をかぶっていた。
地元産の蜂蜜もバターもとてもおいしかった。
おかわりはもういいの?というおばさんに挨拶をして、支度を済ませ、宿代を払って荷物をかいかい運び、
2時に宿に戻ってくるよと約束して町へ出た。
外へ出ると空はどん天、風も強くうすら寒い。
起きたときはあんなに天気が良かったのに。
昨日は行かなかったダウバー川のほとり、丘の上に広がるローデンブルクを下を流れるダウバー川の方へ行ってみようと、
セントヤコブ教会を通り過ぎると、ちょうど昨日会ったNさんに出会った。
彼女はこの小さい町にもう一泊する予定だそうだ。
Nさんと近況報告をして別れ、町の北のグリーンゲーム門を抜け、城壁に沿ってブルク公園まで歩く。
公園を横切ろうとしたそのとき、パーッと空が晴れた。
すでにも、自分のCDを実演販売しているバイオリン弾きのおじさんたちがいたりして、
まるでここはRPGのゲームの世界、BGMのように聞こえてくる。
本当におとぎの国のようだ。
そこに紛れ込んだ一人の主人公。
この物語は私の人生そのものだ。
はてさて、どんな結末が待っていることやら。
ブルク公園からダウバー川へ流れる谷を下りる小道をたどる。
町は丘の上に見え、谷間に架かる二重めがね橋、しらほら点在するオレンジ屋根の家々。
小さな境界の先頭が緑の濃い木々の間から顔を覗かせ、さながら絵のような光景が広がる。
ダウバー川のほとりへつながる歩道は、ダウバーリビエラと呼ばれ、この町の散策コースの一つ。
谷へ下り、境界を横切って二重めがね橋を渡る。
小さな小さな集落が川の周りにひっそりと広がっていた。
ここにはどれくらいの人々が住んでいるんだろう。
町から切り離され谷間のダウバー川沿いに来てきた人々は、どんな日々を、四季をここで送ってきたのであろうか。
きっとそれは何百年の間変わることがなかったに違いない。
小さな牧場で草をはむポニーを眺めているうちに、雨がぽつりぽつりと降り出してきた。
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まるでこの時の流れから隔絶した集落を、緑と雨の中に覆い隠してしまおうとしているかのように、
元来た道ではないが、今度は町に続く道をゆっくりと登っていく。
雨宿り代わりにお土産屋さんを覗いたりしていると雨は上がり、すぐに素晴らしいお天気になった。
先ほどまでの雨が嘘のようだ。
2枚も上着を着ていたのだが、暑くなってついにTシャツ1枚になった。
今度は町をぐるりと取り囲む城壁の中を歩くことに。
プレーンラインと呼ばれているこの散策コースも観光客に人気があるのだそうだ。
昨日も少しだけ歩いたのだが、今日は違う場所から別のルートで歩く。
城壁の上からだと見える景色もまた違って面白い。
昔は防御と攻撃の両方のためにこの道はできた。
城壁内部の通路は人がすれ違うのがやっとの幅。
才覚の良い欧米人同士ではちょっときつそうだった。
途中で城壁の通路から降りて、
ランチ用にドイツのリンゴケーキ、アブフェルストロイセルクーヘンを買いブラブラ散策。
ローデンブルクの街の雰囲気を体に焼きつかせてから、後ろ髪を惹かれる思いで宿へ戻る。
朝食の席で一緒になった2人のオーストリア女性。
なんとこの人、一人は私の地元の英会話教室で英語を教えていたらしい。
その2人とともにおばちゃんの車に乗り込んでバス停まで乗せて行ってもらう。
バスが発車する前に買ってきたケーキを食べてバスに乗り込む。
出発時間は14時30分。
終点のフュッセン到着予定時刻は19時55分。
長い旅になりそうだ。
そして2人のオーストリア女性以外は全員日本人。
さすが日本人観光客人気ナンバーワンのロマンチック街道だ。
ほぼ予定時刻にバスは出発。
ロマンチック街道後半ルートが始まった。
ローデンブルクから子供祭りで有名なディンケルスピュール、
教科書にもよく使われる完全な中世の遠景都市を留めているというネルドリンゲン。
2000年以上の歴史を持つというアウグスブルクに少しずつ停車し、
バスは緑きらめく夏のドイツ平原を走る。
太陽が一日の活動をそろそろ終えようかとするところ、
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とうとう前方にアルプス山脈の尖った白い尾根の連なりが見えてきた。
バスはどんどん山脈に向かって走っていく。
目の前に山が迫ってくるにつれ、空気は冷たくなってきたように感じられた。
私の中でカナダロッキー山脈の山愛の街、バンフで味わった山への感動がよみがえってきた。
アルプスを背景に抱いた小さなムラムラを通り過ぎ、突然、それは現れた。
バイエルン王ルードルヒ、二世の夢の城。
この世に実在するメルヘンチックな建物のうちでもその頂点を極めるであろうノイシュワンシュタイン城。
限りなくメルヘンチックでこのロマンチック街道の終点にこそふさわしい
といえるロマンチックな通称、白鳥城はくれかけた薄紫の空を背に切り立った山の中に、
その優美な姿を見せて長旅で疲れた私たちを出迎えてくれたのであった。
夕暮れのノイシュワンシュタイン城はまるで木々の中に降り立った白い鳥のよう、白鳥城といわれるゆえんもよくわかる。
ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなったというこのひるいなき美しい城は、
緑の木々の中で一際白く美しく輝いていて眠りかけていた私の目を完全に覚ました。
バスは一度ここに停車しみんな急いで写真を撮り始めた。
たったこれだけの瞬間のために私は完全にこの城の魅惑の魔法にかかってしまったのであった。
ノイシュワンシュタイン城の観光は明日にして不思議な魅力に惹かれつつもバスに乗り込む。
弟たちとの待ち合わせをしたフュッセンの駅前に着いたのは二十時を少し回ったときだった。
弟たち二人は二人ともバス停に並んで座り、あの大きなバックパックを持っていなかったので、
私はてっきり二人がもう宿をとってそこに荷物を置いてフュッセンの街を観光した後バス停に来たのだと思い込んでいた。
そしたらなんとなんとまだ宿を予約していないということが発覚。
感動の再会、麗しき兄弟愛もどこへやら。
私は弟たちにバリ雑言の雨あられを浴びせかけた。
なんでこんな時間まで宿を取らないでふらふらしてたのよ。
どうするのよ泊まれなかったら。
雨ごりっぴくである。
日もすっかり落ち寒くなってきたフュッセンの街を宿を探してうろうろする雨になったのだ。
12:04
一軒目のB&B、そしてユースホステルは満室とのこと。
ユースホステルでもらったB&Bの案内の紙を頼りに空いているB&Bを探す。
暗くなりどう見てもただの住宅としか思えない家の前に立ち、諦めかけたときに中から人が出てきた。
不思議そうな顔をするおばさんに、
すみません、ここはこの紙に書いてあるB&Bですか?
と紙を見せて尋ねるとにっこりと微笑んで、そうよと言ってくれた。
最初は東洋人が三人という半端な数に戸惑っていたおばさんだったが、
どこでもいいし、私たちは兄弟だからどんなふうに寝たって構わない。
と言うと、ツインベッドに二、三人は沿われるソファー、シャワーとトイレ付きの感じの良い部屋に案内してくれた。
私は小さいのでソファーで十分だ、と言うと毛布を出してきてくれて半額でいいからね、と言ってくれた。
とても親切で感じの良いおばさんで、
私が兄弟で一番年上なんだ、と言うと心の底から驚いていた。
それはもう目が飛び出そうなほどだった。
私の荷物だけ置いて、遅めの夕飯を食べに街の中心へ向かった。
フェスティンはとても小さな街で、中心と言ってもインフォメーションセンターに行き、ホテルとレストランが数軒立ち並んでいるだけ。
私たちは大きなホテルの前にあるビアガーデン風のテーブル席に座った。
こういう方が堅苦しくなくていい。
私はハムとチーズの巨大なジャケットポテト、長男はターキーのステーキ、次男はハムとチーズを挟んであるとんかつのようなものをオーダーした。
付け合わせのサラダもとても美味しく、ボリュームたっぷり。
ウェイターのおじさんは弟たちのオーダーした一本のビールまでかっちり割り勘にして個別会計をしてくれた。
その後、ようやく見つけた宿に戻り、明日の朝食前に湖まで散歩に行こうと決め、目覚ましを朝5時半にセットして、私はソファーで寝ることになった。
この日の歩数、23679歩。
さて、この日も長い長い一日でした。
私はこの日のことをですね、結構よく覚えています。
もうかなり昔のことですけれどもね。
このローデンブルグの町を出発してロマンチック街道を南下していく、
半分観光バス半分は就航バスのような周遊バスに乗ってフェスティンの町まで行くというかなり長い一日になりました。
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ローデンブルグの町は本当に美しくて、私は中側を初日は歩いていたんですけど、旧市街の城壁の内側を主に散策していたんですけど、
翌日、この手記の日はですね、外側からその様子を見たくなったので、
城壁の外、そしてダウバー川という川が流れているんですけれども、
そこが渓谷になっているんですね。そこの渓谷まで少し降りていったというところでした。
本当に何時間いても飽きないような素晴らしい町だったので、
このヨーロッパ就航バスってまだあるのかな、わからないですけれども、
もしどなたかでロマンチック街道に行きたいと思ってますという方がいらっしゃったら、
ローデンブルグとてもおすすめです。
そして世界史の教科書なんかでもよく出てくるのがネルトリンゲンですね。
ネルトリンゲンは完全なる中世の城塞都市、城壁に囲まれた円形の都市の姿を今に留めている、
というふうに言われている小さなドイツの都市です。
ここはヨーロッパバスが停車を、有名な都市には停車をしてくれるんですね。
1時間とか停車してまた次の有名な都市に行くんですけど、
そのバスの停車時間しか私はこの町にはいなかったので、ゆっくりそこで一泊するとかはしなかったのでね、
じっくり見ることはできなかったんですけど、今でもかわいらしい町だったなということはよく覚えています。
そしてついに出てきました、ノイシュバンシュタイン城ですね。
こちらのお城というのは、よくドイツといえばノイシュバンシュタイン城という感じで、
もしかしたら皆さんも名前は知らないとしてもどこかでその画像なんかは見たことはあると思います。
こちらのノイシュバンシュタイン城は山の中腹というんですかね、本当にそびえ立っているんですね。
ここの存在という感じで、町の中にあるとか、大体いろんな国のお城とか城斎というのは町があってその上とかに作られていることが多いんですよね。
宮殿パレスのクラスになるとベルサイユ宮殿とかシェンブルン宮殿とか、
そういったフォートではなくてお城ではなくて宮殿になるとちょっと郊外の広大な敷地に建てられていることが多いんですけれども、
お城に関しては城下町というのは日本でも言いますけれども、城下町を従えてちょっと高台にお城があるという感じなんですが、
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このノイシュバンシュタイン城は本当になんとなくここの存在という感じで、本当に山の中に突然現れるというイメージでした。
一番近くの町がフィッセンという町で、ここはそんなに大きくはないんですけれども、美しい湖を従えておりまして、
その湖、そしてなんといっても世界的に有名なノイシュバンシュタイン城観光の拠点となる町ですね。
8月の後半ではあるんですけれども、ドイツはもう朝は寒いんですよね。この日も夜は結構冷えておりました。
私は弟たちとベルギーブリュッセルで別れて、2日後の夜8時頃にバスターミナルで会いましょうという非常に曖昧な約束をして、
ベルギーで別れました。というのも、かいすがいす、何度も言いますけれども、この時代はWi-Fiとかスマートフォンとかがないので、
別れてしまったら連絡しないのがないんですよね。ただ会えないということは思ってませんでした。
なぜなら非常に小さな町でバスターミナルも一つしかなかったからです。
そして私はロマンチック街道を下っていくバスですね、ウィルスブルクからフィスセンまで行くバスというのが1日1本しかないので、
多少時間は前後したとしてもそのバスが着く、その日のそのバスが終点のフィスセンに着くときには必ずそこにいるということを弟たちに言っておりました。
弟たちがどういうルートを通ってフィスセンまで来たのか、そして私と別れている間何があったのか、
そしてどうして私より先にフィスセンの町に着いていたにもかかわらず、宿を取らずにうろうろしていたのか、
それはまた後日わかることなんですけれども、とにかくこのフィスセンというのは小さな町なんですけれども観光客は多いんですよね。
なので圧倒的に観光客に対して当時は宿泊施設が少なかったわけです。
なので看板を掲げているようなホテルやパブの上に宿泊施設がついているような施設だったりとか、
B&Bだったりユースホステルというのはすぐに埋まってしまうんですよね。
なので私たちが泊まったのは、私がローデンブルクで泊まったような夏の間だけ自宅の使っていない部屋を観光客に貸し出します。
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宿泊施設として泊まってもらえますよという、いわば期間限定のB&Bのようなところでした。
そういうのは常時看板を出しているわけではないので、本当に見つからなくて誰かに聞いて教えてもらうくらいしか当時は情報がありませんでした。
今だったらインターネットがこれだけ普及しておりますので、どこからでも違う町の情報、細かい情報まで見たりとか予約をするということができたと思うんですけれども、
当時はそういう感じでした。
高校で泊まった時もすごくいいおばさんで、本当にね、私たち3人がいきなり夜中に、夜中じゃないですけどね、暗くなってから庭先に現れた時のギュッとした表情を今でも覚えてます。
そして私が一番小さいので、兄弟の中でね、私が一番年下の妹だと思われていたようです。
なので、あなたは一番年下だからソファーで大丈夫よねというふうに言われたんですけど、そこはね、姉のプライドとして聞きずでならないと思って、
いや、私は小さいけど実は一番年上なんだよ。でも、ちっちゃいからソファーで寝るから大丈夫だよって言ったらすごい驚いて、
Your oldest? Eldest?というふうに言われて、もう本当に目が飛び出そうなほどびっくりしていました。
おばさん、おばさんと言ってもね、おそらく今の私とそんなに年は変わらないんじゃないかなというふうに思います。
おそらくね、お子さんが成人されてお家を出られたので、空いているお部屋を観光客にシーズンだけ貸し出している。
それでちょっとしたお小遣いを稼いでいるというような感じだったと思います。
はい、ということで感動なのか何なのかの再会を弟たちと果たしまして、ここからまた弟たちと少し旅を続けていきます。
次回はフィッセンからミュウヘンですね。フィッセンという小さな町での一番下院城を観光して、大きな町ミュウヘンへ移動します。
それでは今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。
次回もまたよかったら聞いてくださいね。