2023-07-17 23:21

《旅》父と娘のヨーロッパ旅行記⑮フュッセン🇩🇪~ミュンヘン🇩🇪《メルヘン王の夢の跡》


今回15回目の配信となります🙇‍♀️🙇‍♀️😆😆

こちらの旅は、両親の結婚25周年記念㊗️🎉

家族5人でイギリス🇬🇧➡️スペイン🇪🇸➡️フランス🇫🇷を
旅した記録を父が日記に✍️

私と弟2人でベルギー🇧🇪➡️スイス🇨🇭➡️ドイツ🇩🇪を
旅した記録を私が日記に✍️

纏めたものを読み上げています🍀*゜

私の書く《娘編》今回は……

憧れのロマンチック街道のバス旅🚌💨
ベルギーで別れた弟たちと【フュッセン】で再会
ノイシュバンシュタイン城の観光後
ミュンヘンへ🇩🇪


次回はスイスへ🇨🇭


#なおちゃん先生の旅バナ
#父と娘のヨーロッパ旅行記

で、過去回お聴きいただけます💛

前回配信はこちら⬇️

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑭》
フュッセン🇩🇪~ミュンヘン🇩🇪

https://stand.fm/episodes/64a7662af345d1e512de23c4

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑬》
ヴュルツブルク🇩🇪~ローデンブルク🇩🇪

https://stand.fm/episodes/649cd50a45ca954a414be9d7

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑫》
ブリュッセル🇧🇪⇒ヴュルツブルク🇩🇪

https://stand.fm/episodes/648eb6b24b9429ea673303ff

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑪》
パリ🇫🇷⇒ブリュッセル🇧🇪
https://stand.fm/episodes/648c118407d882ba0093e98b

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑩》

https://stand.fm/episodes/647d8b60d369e47ca932ee96

《父と娘のヨーロッパ旅行記⑨》

https://stand.fm/episodes/645122ec65947b1837bbd2de



BGMは…… 💛💛💛
《ドイツ》🇩🇪

ハッピーピアノヒーリング🎹✨あきよさん

https://stand.fm/channels/60b60ea1b82bc5e1f34fd948

オリジナル楽曲です🥰

#なおちゃん先生の旅バナ
#父と娘のヨーロッパ旅行記
#海外旅行
#家族旅行
#ドイツ
#ノイシュバンシュタイン城
#姉弟
#ロマンチック街道
#一人旅
#思い出
#旅の思い出
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犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

https://stand.fm/channels/5fd49189dd3aea937b455b50
00:06
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、父と娘のヨーロッパ旅行記、第15回目をお送りいたします。
こちらの旅行記は、私の両親が結婚25周年を記念して、家族旅行で行ったヨーロッパの旅行、
その家族のファミリーヒストリーを、前半は父の旅行記、後半は私の旅行記、
それぞれその旅行中に書き記したものを、帰ってきてから一冊の本にまとめたものになります。
そちらを、今、前回14回までにわたって読ませていただきました。
今回は、この父と娘のヨーロッパ旅行記、第15回目となります。
第10回目からは、私の旅行記がスタートしています。
以前の旅行記、聞いてみたいなという方は、
ハッシュタグ、父と娘のヨーロッパ旅行記で検索してください。
概要欄にも、少しだけ過去の旅行記の記録を残しておきます。
前回、14回目は、私がロマンチック街道を一人で旅をしている途中のお話でした。
そして、ロマンチック街道を一人で一泊二日、
ヨーロッパバスというバスに乗って一人で旅行をして、
二泊三日した後に最終地点、ドイツのフィッセンという街で、
ベルギーで別れた弟たちと合流をしたというところで、お話は終わっていました。
このフィッセンという街は、ロマンチック街道を就航するバス、
私が乗ったものは、ウィルツブルグからフィッセンまで行くバスだったんですけれども、
そちらのバスの終点地点になっておりまして、
ドイツ観光でも有名な観光名所であるノイシュ・ヴァンシュタイン城の観光地、
観光するのに一番近い街となっています。
このノイシュ・ヴァンシュタイン城は、私も弟たちでも一度見てみたいという憧れの場所だったので、
私と弟はその街で待ち合わせをしたんですね。
そして、なんとかなんとかB&Bを探り当てまして、一泊して次の日の朝、そこからお話はスタートします。
それでは、第15回目の旅行記、8月24日火曜日、フィッセンからミュンヘンへ、
03:04
メルヘン王の夢のあと、スタートしていきます。
張り切って朝5時50分に起きたにもかかわらず、空には雲が重く垂れ込め、雨もポツリポツリと降ってきた。
湖までは意外と遠く、行って帰るだけで1時間40分もかかってしまった。
遠かったし、天気も良くなかったが、湖の周辺の光景は素晴らしいものであった。
私たちのほかに人は見えず、湖畔に立った3人はそびえる山陰、飛ぶ鳥の姿まで忠実に映し出している鏡のような湖面の静けさを十分に楽しんだ。
2つの山の間、中腹にはバイエルン王の夢の中に今でも置き去りにされているかのような、白羽のノイシュワンシュタイン城が静かに佇んでいる。
朝7時30分に朝食を頼んでおいたので、そのまま時間を止めて立ち尽くしていたい気持ちに後ろ髪を引かれつつ、湖と夢の城跡にして真っ派で歩いて帰った。
約束の時間に10分ほど遅れてしまったけれど、パンにチーズ、サラミと紅茶はちゃんと私たちを待ってくれていた。
おかわりのお湯を頼んだら、親切なドイツ語鉛のおばさんはついでにチケット売り場や城の周辺の地図、そしてなんと、お昼ご飯用にとパンとジャムまで持たせてくれたのだった。
おばさんの好意に感謝し、3人で60ユーロ、ほんとは57ユーロのところを置いて荷物をまとめて、いざメルヘン王の夢の城へ。
駅のロッカーに大きなバックパックを入れてバスに乗ってシュワンが上。
シュワンはスワン、すなわち白鳥のことだ。
世界的に有名な2つの城のふもとに広がる小さなこの街は、すでに多くの観光客でごった返していた。
チケットを買ってノンシュワンシュタイン城までの急な上り坂を歩き出した。
私たちも息は切れ気味だったけれど、チケット売り場やその先から出ている2頭引きの馬車の馬たちはほんとに大変そうでつらそうだった。
ものすごく太い立派な足と巨大な体を持っていても、満員の荷車をひいてこの坂を上ったり下ったりするのは相当な重労働に違いない。
ちょっと馬たちがかわいそうになってしまった。
城の入場券は時間制になっていて、私たちのチケットは11時25分のもの、まだ40分以上も時間はある。
城へ続く坂道を登る途中でふと見上げると、高い信用樹の木陰の間からノンシュワンシュタイン城がその姿をさらに近く、はっきりと表していた。
06:11
そびえる山々も樹齢100年を超えるであろう木々にも負けず劣らず直線的に天を尽くように高く造られた城壁といくつもの銭湯は、
世俗の目によってこの夢の城が穢れることを恐れたというルール・ウィッヒーの思いを今も伝えるかのように、
無害者を、そして外の世界、現実世界をも拒んでいるかのように見える。
だからこそこんなにロマンティックなのだろう。時の狭間に置き忘れたかのように。
残念ながら人は隠された美ほど暴きたくなるもので、この信じられないような場所に建てられたノンシュワンでも、
実に年間130万人の人々が訪れるんだという。もちろん私たちもその中の3人である。
少し時間があるので絵描きを買った後、城が眼下の湖と街とともに一望できるというマリエンヌ橋へ行くことにした。
道はさらに急な上り坂となり少々つらかったけれど、橋の手前の展望台からはルード・ウィッヒーが育ち、
彼の父マクシミリアン王が建てた中世風の黄色い可愛らしいホウウェンシュワンガウ城が湖とともに一望できた。
しかしこの坂のつらさも登り切った先に広がった橋からの素晴らしい眺めの前にすっかりかき消されてしまった。
空はますます暗く、暗雲が立ちうこめ、今にも雨が降り出しそうだったけれど、私はこの悲劇の王の城には澄み切った青空よりもむしろ似合うのではないだろうかと思った。
BGMにはやはり重厚で少しばかり思想感さえ漂うようなクラシック、スゴイネルワイゼンあたりが似合いそうだ。
遠くから見ると城はあたかも山の中に立っているかのように見えるが、実は背後は滝と川が流れ、その少し上の高台に立っているのだった。
上から見下ろすノイシュワンシュタイン城の姿は下から見上げる感じとはまた少し印象が違う。
足がすくみそうなほどの高い橋の下を流れる水はこの高さから見ると川底が見えるぐらい澄んでいて、
その川面に降り立った白鳥のようなノイシュワンの向こうには大きな湖と少し小さい湖が並ぶ、その周辺にはオレンジ色の屋根の民家がちらほら見える。
不思議なことはこの城とこの山の一角はそれらの現実世界から完全に切り離されているように見えることだ。
たくさん取り囲む観光客も遠くを走る車の影も、ルードル・ウィッヒの夢の中で時間が止まってしまっているようなこの城には現実味を与えることはできないようだった。
09:10
全くもっておとぎ話の中の城、今もこの城の中で王子を待って眠りについているお姫様がいるのだと聞かされても信じたくなってしまうようなそんな場所。
近づき441の列に並んで中に入る。私たちはついにルードル・ウィッヒの夢の中へ足を踏み入れた。
イヤホン式の日本語説明機を装着後、グループ単位で素晴らしい装飾や壁画に彩られた部屋や通路広間を移動する。本当にディズニーランドのアトラクションか何かのようだ。
この城は地区150年ほどとドイツの名城の中では比較的新しいものにもかかわらず、その形式や様式を中世ドイツの幻想に求め、すべての古き良き美しいものをこのように具現化したような城である。
だからこそその現実と幻想のギャップ、ルードル・ウィッヒの夢にみんな魅了されてしまうのだろう。
かくゆう私もこの城の持つ独特な雰囲気の虜になってしまった。
それは華やかで雄美なこの城の陰に潜む悲しさ、彼の生きた時代の退廃的、端微的ともいえるムード、それがあるからだろうか。
城内を巡っているうちに降り出した雨と湧き出した霧が一層幻想的な雰囲気を醸し出していた。
まるでルードル・ウィッヒが泣いているかのようだ。
立ち込める霧、降りしきる雨の中、地上に作り上げた彼の楽園であるこの城とともに、彼は己自身を隠してしまいたかったのであろうか。
城主ルードル・ウィッヒ2世についてはいろいろな説があり、狂人と称されることも多い。
私はこの城に来てみて、彼のことをもっと知りたいと思うようになった。
何が彼にこの城を建てさせたのであろうか。
彼はここで何を思い、どう過ごしたのであろうか。
そして謎に包まれた彼の死。
多くの人が彼とこの城に惹かれ、研究を続ける理由がわかったような気がした。
メルヘン王の夢の城跡にして降りしきる雨の中、元来た坂道を下り、ローエングリンの伝説を彷彿とさせる湖のほとりへ。
ルードル・ウィッヒの最も愛した生き物、大きな白鳥たちが静かに身を寄せ合っていた。
ローエングリンは白鳥の騎士。
もちろん伝説の騎士ではないが、シュワンガオの住民たちは湖に隣接する山の中腹に、
白鳥のように優美な城を建ててすまうルードル・ウィッヒ二世にその伝説をなぞらえたという。
12:03
おそらく彼自身もお気に入りのその伝説の主人公になりたかったのだろう。
ピュッセンまでバスに乗って戻り、昼食の代わりにホテルのカフェでケーキをいただいた。
私はたくさんのベリー類の乗ったチーズケーキを。
ドイツは知る人と知るケーキ大国。大きいけれど味は甘すぎず上品だ。
弟のでっかい手と比較して写真を撮ってみた。
15時5分の電車に乗り、私たちはロマンティック街道の終点地、
今もルードル・ウィッヒ王の夢の中にたゆたうピュッセンを後にし、
大都市ミュウヘンへ向かう。
2時間ほど電車に揺られて着いた大都会で運良く一人22ユーロの宿を見つけた。
観楽街の真っ只中。
昨日とは偉いギャップだ。
荷物を置き、スイスに備えてスーパーで買い物。
母に包丁をお土産に買って、夕食を取れる場所を探す。
何でもいいから早く食べたいと入ったイタリア料理屋さんの味は、
まあなんとひどいこと。早まったと一度後悔後悔。
明日はいよいよスイス。お天気を願って眠りについた。
はい、ということで第15回目の旅行記がこちらで終わりになります。
8月24日、第5日目ですよね。
残りはあと6日間、6回の配信になります。
ざっとですね、今までの行程を説明しておきますね。
まず1日目がパリからブリュッセル。
2日目がブリュッセルからベルツブルク。
3日目がベルツブルクからローデンブルク。
4日目がローデンブルクからフュッセン。
ここが前回でしたね。
5日目がフュッセンからミュンヘン。
そして次回がミュンヘンからインターラーケン。
そしてその次が7日目がインターラーケンからルゼン。
8日目がルゼンからマインツ。
9日目がマインツからリューデスハイム。
10日目がリューデスハイムからフランクフルト。
11日目がフランクフルトからパリという形になっています。
これは私の日記のほうなので1日目というのは
正確に旅の行程から言えば何日目になるかな。
16日目になるんですけどね。
相当長いですよね。出発というか
両親が日本を経ったのが8月6日で
私たちが日本に帰ったのが8月31日になりますので
15:06
その間ほぼヨーロッパにいるという感じでした。
今はこんな旅行はなかなかできないなというふうに思っています。
この旅行記を配信するように
ヨーロッパ旅行記を配信するようになってから
ちょっと前に配信をしていた
世界一周の船旅とはまた違った方が聞いてくださったり
感想を寄せてくださったりするようになって
私は非常に嬉しいなと思っています。
ヨーロッパは結構行かれたよとか言う方も多くいらっしゃって
中には懐かしくなって写真を見返しましたなんて
嬉しいコメントもいただいて本当にありがとうございます。
ヨーロッパの良さはやっぱり私はですね
街並みとかどちらかというと自然も素晴らしいんですけれども
人間が残してきたやっぱり街並みや
そういったものの文化的なものの歴史的なものの
良さを感じられるものが今に繋がっている
ものが残っているところがいいな、素敵だなというふうに思います。
またヨーロッパの旅行というのは
これは結構長い旅行なんですけれども
この他にも何回か個別で旅行をしています。
ただそれらはですねこれは旅行記が残っているんですけれども
イタリアとフランスに個別に母と2人で旅行に行った時の記録というのは
残念ながら残っていないので
それもね非常に私の記憶の中にはあるんですけれども
旅行記が見つからないのでそれはなかなか配信ができないなと思っています。
ヨーロッパはね本当に歴史が長いですし
私も世界史を学んでいる中で
とても好きな分野というか場所
複雑ですけれども魅力的なところではあるので
また行きたいなというふうに思っています。
とてもやはり広いですし民族もとても複雑ですし
同じねイタリアとかスペインとかフランスとかドイツとか言っても
数百年前までは別の国だったり別の民族がそこにいたりするわけですよね。
だからやっぱり今に残っているものが違ったり
それら同じ一つの国の中でもそういったものを感じられるっていうのは
すごいなというふうに思います。
またね今まで行ったところももう一回行ってみたいなとか
今回読んでいたフィッシェンですね
ノイシュヴァンシュタイン城はまた見てみたいなというふうにも思いますし
また別のところにもね行ってみたいなというふうに思います。
18:02
それでですね前回の配信の最後にですね
フィッシェンに私が夜8時くらいに着いたら
フィッシェンに着いていた弟たちが待ち合わせ場所にいてね
それなのに宿を取っていなかったっていうので結構揉めたんですけれども
最終的に宿を取れてよかったんですが
なぜ彼らが宿を取っていなかったのかというのをですね
この一番最初に今日の旅行記でお話しした
一番最初にその湖に行く間に聞いてみたんですね
これ今でもよく覚えてるんですけど
そしたらなんとですね
3軒ぐらい回ったらしいんですよ
空いてますかと
そしたらどこも空いてなくていっぱいで
事前に予約してなかったら無理だよというふうに
足蹴りというか
早々に断られたらしいんですよね弟二人が
それで弟二人はちょっとくじけてしまって
もうこの町で宿を探すのは無理だということで
どうやらお姉ちゃんが来たら
別の町に移動しようというふうに思っていたらしいんですよね
もうほんとアホちゃうかと思うんですけど
そもそもね日本の都市部のように
交通もすごく発達してるわけではないんですよね
今はまだわからないですけどね
だから夜8時過ぎたら
別の町に行くための電車とかバスとかタクシーなんかは
そんなあるのかという感じなわけですよ
それかもうね駅で寝ようと思ったみたいなことを言うので
ほんとね私はねなんて情けない弟たちなんだろうと思って
でねお姉ちゃんが来たら何とかなるんじゃないかというね
このなんて言うんですかね
私がいけないんですよねきっと小さい頃からね
姉は絶対だというように弟たちに教え込んでいたので
お姉ちゃんが来ればきっと何とかなるというね
わけのわからない
そういう希望を抱かすような私が存在だったようですね
この時はね
なんて言う弟たちなんだろうというふうにね
ちょっと思ってますけどね
彼らの願い通りというか希望通りというか予想通りというか
姉がガツガツ言ったおかげで
なんとかね宿泊することができたわけですけど
この旅行を通してですね
ほとんどの手配を私がやってるんですよ
特に宿宿決め交渉
これはですね
私がイギリスにいた時だったので
一番英語が3人のうちでは
コミュニケーションツールとして使えるということでは
21:00
あったんですけれども
一番下の弟ですね
一番下の弟は
単位留学をこのちょっと前に1年間しておりまして
だから彼もね英語はそこそこできるはずなんですよ
そしてね今では私よりも英語を使って仕事をしているわけなので
ちょっとねどういうことという感じなんですけどね
真ん中の弟はですね
謎に大学の時に第二外国語をスペイン語を
俺は専攻してたからスペイン語は任せておけみたいなことを言ってまして
どうやらスペイン語の辞書を持ってきていたらしいんですけど
スペイン旅行の時に一度もその姿を見かけなかったですね
ちょっとねあの人ちょっと天然というかね
ちょっとなんか抜けてるんですよね
はいということでね
まあ3人ね同じ環境に兄弟として
同じ親から生まれて同じように育ちながら
全く性格が違うということですね
なぜか3人揃うと
まあいつも先頭を切るのは私で
後から弟2人がキョロキョロしながらついてくるという感じでね
まあそんな感じでしたよね
なので非常になんかこう
今でもちょっと3人揃っても
なんか弟2人はね私を立ててくれるわけなんですけれどもね
はいいいのか悪いのかという感じですね
はいそしてですね
この後また一緒に弟たちと旅をしていきます
といってもスイスですね
一緒に行くのはおそらくルチェンまでです
この後また2日ほど一緒にスイスを旅をして
そしてここでまた別れて私は一人で
今度はライン川下りに向かうということですね
まあ勝手な姉ですね本当に
はいということでですね
今回はこの辺で終わりにしたいと思います
次回はねミウヘンからインターラー圏
ハイジの国へ行きます
ということで今回も最後まで聞いていただきありがとうございました
23:21

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